ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十二話

 

 

 

 

 1994年11月15日、三大魔法学校対抗試合の第1試合が始まる。

 

 ドラゴンが守る金の卵を奪う。単純だが、生き残るには運と実力の両方がいる。特設のフィールドには既に1頭のドラゴンが放たれ、鎖を噛んだまま岩場を踏み砕き、低い唸り声を響かせていた。

 

 俺はダンブルドアの隣に座り、観客席から眼下を見下ろした。風が強く、朝靄がまだ薄く漂っている。岩ばかりのフィールドは滑りやすく、起伏が妙に激しい。わざと選手を追い詰めるように造形されているのが気に食わねぇ。

 

 そして俺の反対側――ダンブルドアの横には魔法省大臣のファッジが陣取り、何故かワンカップ大関を振りながら上機嫌に揺れていた。

 

 「いやぁ〜ドラゴンとはいえのぉ!競馬のような高揚感があるのぉ!ぷはぁ」

 

 「……ジジイ、なんであの大臣ワンカップなんか飲んでんだ」

 

 「………知らん」

 

 ジジイも呆れてやがる。クラウチ・シニアはあからさまに引いた顔で大臣から距離を取り、襟を直しながら鼻息を荒くしていた。

 

 ま、どうでもいい。俺の仕事はこの試合が無事に進むかを見定めることだ。

 

 「最初はセドリックか?」

 

 「うむ。スウェーデン・ショート・スナウトじゃ。性質は獰猛、火炎の温度は高く、突進の勢いも強い」

 

 青みがかった鱗に覆われたドラゴンは、岩を踏むたびに火花のような塵を散らした。首に巻かれた鎖は太い鉄で何重にも固定されているが、ドラゴンが鼻息を漏らすごとにギシギシと軋む。観客席との距離も妙に近い。あの火炎が飛んできたら、まともな防護魔法でも焦げるだろう。

 

 「これ、観客席まで焼けるぞ」

 

 「良い観察じゃな。じゃがのフシグロ君、今回は“あえて”距離を詰めておるのじゃ。迫力と緊張を演出するためにな」

 

 「はぁ……くだらねぇ」

 

 俺はフィールドを見下ろした。セドリックが入場口の陰で深呼吸をしているのが見える。肩の力を抜き、脚を軽く動かし、リズムを作っている。良い身体してるな。無駄な力がなく、動きも柔らかい。

 

 ドラゴンはその姿をとらえた瞬間、鋭い金色の眼を細め、翼を広げようとした。翼膜が岩壁に擦れる音が低く響き、観客席からざわめきが上がる。

 

 「セドリック、どう戦うつもりかの?」

 

 ジジイがぼそりと言った。

 

 俺は少し肩を竦めた。

 

 「頭じゃなく“癖”を見てるな。最初に吠えるか、飛ぶか、火を吐くか。息を整えるタイミングを読んでる」

 

 「ほほぉ……やはりお主、戦い慣れておる」

 

 当たり前だ。呪霊を殺すために生きてきたんだ。ドラゴンだろうと大して変わらねぇ。

 

 ドラゴンが急に首を振り、鎖が弾けるように唸った。その瞬間、観客席のファッジが椅子ごと揺れ、ワンカップが危うくこぼれそうになる。

 

 「ぬおっ……っぶねぇ!大迫力だのぉ!」

 

 「大臣、酔っている場合では――」

 

 クラウチが顔をひきつらせながら注意するが、ファッジは聞いちゃいねぇ。

 

 風向きが変わり、竜の吐息が微かに漂ってくる。焦げた金属みたいな匂いだ。温度は高いが、まだ本気の火力じゃない。

 

 「さて、始まるぞい」

 

 ダンブルドアの声に合わせ、観客席の歓声が一気に高まる。

 

 セドリックがフィールドに足を踏み入れた。岩場の土埃が彼のブーツの周りでふわりと舞い、風が髪を後ろになびかせる。

 

 ドラゴンが吠えた。地鳴りのような音が胸に響き、観客達の声を一瞬で飲み込む。

 

 鎖が引きちぎれそうな勢いで張りつめ、ドラゴンの前脚が岩を叩くたび、岩片が飛び散り、白い煙が上がる。

 

 「セドリック、落ち着けよ……」

 

 俺は眉をひそめた。目の動きは悪くないが、足運びがほんの僅かに“軽い”。緊張で呼吸が浅くなってる。

 

 ドラゴンが大きく息を吸い込んだ。胸が膨らみ、青い鱗の隙間から熱が漏れ出す。

 

 「来るぞ」

 

 ドラゴンが火を吐いた。白と青の混ざった高熱が一直線に走り、フィールドの岩肌を瞬時に溶かしながら進む。観客席にも熱気が押し寄せ、思わず顔を背ける者もいた。

 

 セドリックは岩陰へ飛び込むように回避したが、背中に熱がかすめ、外套の裾が少し焦げた。

 

 「まだ動きが硬ぇな……」

 

 俺が呟いた瞬間、セドリックは岩陰から飛び出した。ドラゴンの死角を狙って大きく旋回し、杖を構えたまま一気に走り込む。

 

 火炎の余韻で上昇する熱気が渦のように舞い、セドリックの姿がゆらりと歪む。その間を縫うようにして、奴はドラゴンの側面へ近づいた。

 

 「悪くねぇ。だが――」

 

 俺が呟くと、ジジイが小さく頷いた。

 

 「金の卵を奪うには、あの尻尾をどう躱すか、じゃな」

 

 まさにその通りだった。ショート・スナウトは火力こそ強いが、尻尾の一撃が致命傷になりやすい。セドリックはそれを理解しているのか、慎重に距離を保ちながらドラゴンの動きを読んでいる。

 

 「……さて、どう出る」

 

 俺は静かに呟いた。セドリックの視線がドラゴンの足元、そして卵の位置に向けられたのを見逃さなかった。

 

 勝負はこれからだ。

 

 そうしてセドリックは岩陰を滑るように駆け抜け、そのままドラゴンの脇腹へと回り込んだ。奴の呼吸に合わせた見事な間合いの取り方だ。巨体が息を吸い込む瞬間、胸郭が外へ膨らむ。そのわずかな隙を、セドリックは正確に読んで踏み込んだ。

 ドラゴンの青い鱗は朝日に照らされ金属のように硬く光っているが、近づけばその表面には細かな溝が走り、熱で歪んだ空気がゆらゆらと立ち上っていた。

 

 「プロテゴ・マキシマ!」

 

 セドリックが呪文を唱えた。

 

 その声と同時に、杖先から噴き出した光が空気を押しのけるように膨張した。結界として張る時とは違う。セドリックはまず光を薄い膜として展開し、それを息を吐くように一気に圧縮した。ベキベキと氷を割るような音と共に、光の膜は拳大の塊へと凝縮し、青白い板のような硬質物へ変わる。結界というより“質量のある盾”になった瞬間だった。

 

 セドリックは腰を沈め、肩から肘へとしなる動作で全身を連動させる。脚を踏み込んだ瞬間、地面がわずかに沈み、砂塵が跳ねた。(鈍器)へ変わった結界は空気を巻き込みながら唸りを上げ、振り抜きの軌跡に沿って空気が裂け、俺の頬をわずかに冷たい風がかすめた。

 

 「ふっ……!」

 

 次の瞬間、結界の盾がドラゴンの脇腹へ叩きつけられた。衝突の瞬間、光の盾と鱗の間で火花のようなエネルギーが弾ける。鈍重な金属同士がぶつかったような、腹の底に響く音がスタンド全体に広がった。青い鱗がしなり、内部の筋肉が震え、その振動が巨体全体へ伝わる。

 

 ドラゴンは咆哮を上げた。喉奥で生まれた低い振動が俺の胸郭を震わせ、耳の内側に金属音のような残響がいつまでもまとわりつく。セドリックの攻撃はただの一撃ではねぇ。結界が衝撃を一点に集中させる構造になっているから、ドラゴンの厚い皮膚の奥まで衝撃が突き抜けている。

 

 「ほぉ……これは面白いの」

 

 ジジイが珍しく声を漏らした。

 

 「防御の呪文を攻撃に転ずるとはのぉ……あれは結界の“剛性”を最大まで高めた使い方じゃ」

 

 「へぇ」

 

 俺はセドリックの踏み込みの深さ、体幹のぶれなさに感心した。あれは訓練を積んだ動きだ。俺の授業で散々身体の使い方を叩き込んだ成果が出てるってわけだ。踏み込みの瞬間、地面と靴底の間で小さな砂が弾けたが、その反動を逃さず推進力へ変えられるのは、筋肉の連動が仕上がってる証拠だ。

 

 ドラゴンは怒り狂って鎖を軋ませるほど暴れた。地面が揺れ、砂埃が舞い上がる。観客席の最前列にいるやつらは思わず身を引いたほどだ。奴の眼孔が赤く燃え、口角が裂け、その奥で白熱した炎が渦巻き始める。まるで内部で巨大な炉が息を吹いているみたいだ。吐き出される前の、あの一瞬の沈黙と熱の集中——これは見慣れないやつには恐怖しかねぇだろう。

 

 セドリックは一気に後退し、岩陰へ戻った。しかし、それは単なる退避じゃない。奴はドラゴンが炎を放つタイミングを待っている。息を吸い込む音、胸部が膨張する速度、溜めの深さを見極めてる。

 

 「来るぞ……」

 

 俺が呟いたその瞬間、ドラゴンの喉奥から地鳴りのような唸りが立ち上がり、炎が一直線に吐き出された。空気が爆ぜ、熱気が観客席にまで押し寄せてくる。眉毛が一瞬チリつくほどの温度だ。セドリックは岩陰へ飛び込み、炎が岩肌にぶつかって黒く焦げる。爆ぜた岩片が数m飛び散り、地面へパラパラと落ちた。

 

 「おいおい……あんな至近距離で喰らったら骨ごと溶けちまうぞ」

 

 俺が言うと、ジジイはうむと頷いた。

 

 「セドリックは判断が良い。恐らく彼は“あれ”を狙っておる」

 

 「……あれ?」

 

 ジジイはにやりと笑った。

 

 「炎を吐く時、ドラゴンは必ず“視界”を固定する。その一瞬、動きが止まるのじゃ」

 

 なるほどな。奴はその隙を突く気か。

 

 炎が収まると同時に、セドリックが岩陰から飛び出した。反動を利用して走り出す脚の筋肉が弾けるように動く。腰のひねり、肩の回転、体幹の安定——動きが全て一つの目的に集中している。ドラゴンの横腹へ回り込みつつ、奴は再び杖を構えた。

 

 「プロテゴ・マキシマ!!」

 

 先ほどより濃密な光が生まれた。盾は今度、より厚みを帯びていく。内部で光が幾重にも屈折し、まるで巨大な水晶の塊が形成されていくみたいだ。衝撃に特化した形状に仕上げてる。温度が上がった空気が波打ち、結界の外縁で小さな稲妻のような光が走る。

 

 「おらぁッ!!」

 

 振り抜いた瞬間、空気が炸裂した。音が遅れて届き、観客席の中には思わず悲鳴を上げたやつもいた。ドラゴンの鱗が数枚、衝撃に耐えきれず剥がれ飛び、地面へカランと音を立てて転がる。巨体が横に揺れ、膝に似た関節がぐらりと沈んだ。

 

 「やるじゃねぇか、坊主……!」

 

 俺は思わず口元が緩んだ。セドリックの攻撃は確かにドラゴンに致命傷は与えてねぇ。だが“巨体を倒すための正しい手順”を理解している。衝撃を弱点へ積み重ね、動きを鈍らせ、最後に卵を奪う——冷静で良い判断だ。

 

 ドラゴンが怒号を上げる中、セドリックは地面へ飛び込み、爪の隙間を抜け、そのまま金の卵へと手を伸ばした——。

 

 

 

 

 

 

 観客席全体を包む熱気は、初冬の冷たい空気を押し返すほどの勢いを持っていた。朝から張り詰めた緊張と期待が混ざり合い、歓声、悲鳴、どよめきが渦のようにフィールドを囲む。しかし、その中心から少し離れた位置で、ネビル・ロングボトムはただ一人、周囲の喧噪をまるで別世界の話のように切り離し、腕を組んで一点を見据えていた。視線の先にあるのは、選手が戦う岩場ではない。セドリックがドラゴンの尾をかわし、結界の衝撃波を叩きつけようと動いているその最中でさえ、ネビルの瞳は微塵も揺れず、ひたすら一つの人物に焦点を合わせている。

 

 アラスター・ムーディ――表向きは闇の魔術に対する防衛術の教授であり、歴戦の闘士として名高い。義眼をぎょろぎょろと動かし、杖を握り、身じろぎするたびにコートの革が擦れる。だがネビルにとってその姿は、もはやただの教師でも、ただの熟練者でもなかった。胸の奥に沈殿する黒い熱が、アラスターの姿形を借りた“別の何か”を幻視させる。

 

 (……バーテミウス・クラウチ・ジュニア)

 

 地図に刻まれていた名前を見た瞬間、身体の奥底で長い年月眠っていた何かが一気に目を覚ました。脳裏には、崩れ落ちるように膝をつき、呆然としたまま言葉を失った幼い頃の自分が重なる。白い病室、眠ったままの両親。笑いかけても返事はなく、触れた手は冷たく乾いていて、生者とも死者ともつかぬ曖昧な温度だった。

 

 母の声が聞こえた記憶はもうほとんど残っていない。父が自分の名を呼んでくれた記憶さえ霞んでいる。それでも、あの双眸に刻まれた絶望と痛みだけは鮮烈だった。

 

 (あいつが……あいつがやったんだ)

 

 ベラトリックス・レストレンジ。そして――バーテミウス・クラウチ・ジュニア。

 二人はネビルの両親の精神を破壊した。呪いでねじ切り、二度と戻らぬ場所まで追いやった。誰も戻してはくれなかった。誰も救えなかった。ホグワーツに入ってからようやく少しずつ前を向けるようになったが、この名前だけは、胸の奥の膿のように消えずに残り続けていた。

 

 ネビルはゆっくりと呼吸を深くした。肺に冷たい空気を入れ、胸の奥で燃え盛る炎をわずかに抑え込む。だが視界の端では、セドリックがドラゴンへ結界の塊を叩きつける音が響き、観客が歓声を上げていた。周囲は興奮の渦の中だ。だがネビルの世界は、音のない濃密な静寂に閉ざされている。全ての音を遮断し、肉体の重みと心臓の鼓動だけが自分を現実に繋ぎ止める。

 

 アラスター――いや、クラウチ・ジュニアは椅子に腰掛け、わずかに体勢を変えながらセドリックの動きを観察していた。義眼だけが右へ、左へと滑らかに動き、観客席の喧噪をまるで楽しんでいるかのようにも見える。

 

 ネビルの拳が、無意識にゆっくり握られていく。

 

 (今すぐにでも……)

 

 胸の奥で、何度も殺意が形を成す。両親が受けた痛みに対する報いを、自分の手で返したくなる。幼い頃には決して抱けなかったほど鋭く重い怒りだ。フシグロ甚爾の授業で鍛えられた肉体は昔とは違う。石の床だろうが鉄壁だろうが壊すほどの腕力が今の自分にはある。それを“奴”に向ければどうなるか――想像するまでもない。

 

 「……」

 

 ネビルはかすかに鼻から息を吐いた。その肩がわずかに震えたのを、隣にいたハーマイオニーは見逃さなかった。

 

 「落ち着いて、ネビル」

 

 ハーマイオニーの細い指が、ネビルの肩にそっと触れた。冷たい風に晒されていた肩に、人の温かさがほんのりと染み込む。

 

 「今はまだ“その時”じゃないわ」

 

 ハーマイオニーの声は優しいが、決して甘くはなかった。彼女はネビルの怒りを否定していない。むしろ理解している。だが、それでも今ここで動くべきではないと断言していた。

 

 ネビルはゆっくりと視線をフィールドへ戻した。セドリックが岩場を駆け、ドラゴンの咆哮が空気を震わせる。熱気と砂塵が立ち上り、火炎の色が視界を赤く染めている。それでもネビルは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 

 「……分かってるよ、ハーマイオニー」

 

 その声には、押し殺した怒りの熱がまだ残っていたが、同時に冷静さが戻りつつあった。

 

 ネビルの拳は依然として固い。しかし、今はまだ包み込むように握りしめている。解き放つ時は、必ず来る。それはハーマイオニーも理解している。そしてネビル自身も。

 

 クラウチ・ジュニア――

 必ず、お前を捕まえる。

 必ず、お前に償わせる。

 

 ネビルは静かに息を整え、再びアラスターへ視線を向けた。

 憎しみは消えない。だが、それを燃やすべき“時”は、まだ先にある。

 

 

 ネビルに鋭く睨まれている当のアラスター――いや、アラスターの外殻を纏ったバーテミウス・クラウチ・ジュニアは、その視線の苛烈さに気づく様子もなく、ただ腕を組み、岩場で奮闘するセドリックの動きを愉悦すら滲ませながら観察していた。義眼の魔力が不気味にうなり、虹彩のない瞳がセドリックの細かな体勢移動を追って左右に滑るたび、首の古い皮鎧がギシギシと音を立てる。

 

 (つまらないな……)

 

 それは試合に対する評価だった。それと同時に、ホグワーツに潜り込んでからこの方、一度も追及されることなく過ごしてきた偽りの生活に対する確信でもある。彼は心中で鼻笑いしつつ、ほんのわずかに唇の端を歪ませた。その角度は、アラスター本人なら決して見せぬ陰湿なものだ。

 

 (闇の帝王の命を完遂する――ただそれだけだ。誰も俺に近づけない。誰も“ここ”には気づかない)

 

 己の胸中に芽生えた優越感に酔うその感覚は、少年時代から変わらぬ危うさと歪さに満ちている。世界は自分のためにある、自分の力と才覚を理解しない者こそ愚かだ――そんな驕慢を骨の奥底に宿す彼にとって、いまホグワーツで行われている騒ぎは、すべて“次”の段階へ進むための単なる前座に過ぎない。

 

 しかし、ジュニアは知らない。自分が座る席から少し離れた観客席の中で、何層にもわたる視線が彼へ向けられていることを。

 

 伏黒甚爾は鋭い獣眼で偽アラスターの呼吸のリズムまで見抜くかのように観察していた。筋肉の動き、皮膚の張り、指先の癖。そのどれもが“戦士の勘”に引っかかっている。甚爾の観察は試合そのものよりもはるかに深く静かだ。ひとつの獲物に照準を合わせた狩人が獲物の皮を剥ぐ前の静寂のような、冷えた集中があった。

 

 ダンブルドアは表情を崩さないまま、横目でちらりと“彼”を測るように視線を送る。銀髪の間からのぞく蒼い瞳には、推理と確信の奥に潜む鋭利な光が宿っていた。今はまだ刃を抜かない、だがいつでも抜ける――その静かな意思が、何よりも重かった。

 

 酔い潰れてワンカップ大関を揺らしている魔法省大臣コーネリウス・ファッジでさえ、ふとした拍子に視線をあげてはアラスターの姿を訝しげに見つめていた。酒の匂いをまき散らしながら、それでも直感だけは逸れていないのが奇妙だった。

 

 ミネルバ・マクゴナガルは眉間に皺を寄せ、肩を強張らせつつ視線を向けていた。優秀な生徒たちの安全を預かる者としての責務が、彼女の眼差しを厳しく鋭くする。

 

 セブルス・スネイプもまた、袖口に隠した手をわずかに震わせながら、アラスターの舌の動き、指先の癖、そして香り――あの甘く薬品めいた匂いを逃すまいと観察していた。ポリジュース薬を知り尽くしている男の目はごまかせない。細い瞳は氷のように冷え、いつでも刃に変わる気配がある。

 

 さらにはハリー、ロン、ハーマイオニー、ネビルという四人の生徒たちまでもが、息を潜めるようにアラスターを見ていた。忍びの地図が示したその名前に背筋を冷たくしたまま、彼らはそれぞれの意志を抱えている。ハリーは疑念と警戒、ロンは苛立ち混じりの緊張、ハーマイオニーは冷静な分析、ネビルは沸騰しきった怒り――そのどれもが偽アラスターへ向けられていた。

 

 (誰にも気づかれていない……)

 

 ジュニアはそう思い込んだまま、椅子に深く腰掛けて足を組み、フィールドへ視線を流す。ドラゴンが咆哮し、セドリックが結界の衝撃を叩きつけて応戦している。観客から歓声があがる。彼にとっては、どれも耳障りでくだらない雑音だ。

 

 (この茶番が終われば、計画は次の段階へ移る)

 

 口元の笑みがさらに深くなる。皮膚の下で脈打つ魔力が波のように揺れ、そのたびに舌がわずかに覗く。蛇にも似たその癖すら、今の彼にとっては無意識の喜びの発露だった。

 

 だが――彼の周囲を取り巻く空気は、既に完全に変わっていた。

 

 伏黒甚爾の指に力が入り、スネイプの黒い瞳が細く鋭くなり、マクゴナガルは杖に指先を添える。ダンブルドアはまるで時間を操るように静かに呼吸を整え、ハリーたちは緊張に喉を鳴らす。

 

 “誰も気づいていない”というジュニアの自負は、ただの幻想に過ぎない。

 彼はすでに包囲され始めていた。

 気づかぬまま、静かに、確実に追い詰められているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「終わったな」

 

 俺はフィールドの中央で、セドリックが金の卵へ伸ばした指先がようやく触れ、そして確かな握力でもってそれを掴み取る瞬間を見届けた。あの慎重さと大胆さを兼ね備えた動きは、授業で鍛えた反射と判断の積み重ねだ。刹那、観客席が爆ぜるような歓声を放ち、その熱気がまるで炎の波のようにこちらまで押し寄せてきた。ドラゴンが負けを悟ったかのように低く唸り、蒸気を吐きながら頭を伏せる。

 

 「フシグロ君、やはりわしの目に狂いはなかったの」

 

 ジジイが長い髭を揺らしながら呟いた。賭け事の結果を語る老人のような声音ではなく、教師としての妙な誇らしさを含んだ声音だ。

 

 「なんのことだ?」

 

 「賭け…じゃよ。フシグロ君を体育教師に据えたお陰で、生徒達は見違えるほど強うなっておる」

 

 「賭け……ね」

 

 まったく、ジジイはこういう時だけは妙に饒舌だ。俺は肩をすくめつつ、視線だけをそっと横に流した。アラスター――いや、クラウチ・ジュニアが座る席だ。奴は相変わらず落ち着き払ったふりをしながら、セドリックの勝利に興味も薄いような態度で足を組み替えていた。時折顔が歪む。苦痛とも焦燥ともつかない奇妙な歪みだ。それを誤魔化すように銀のボトルをあおり、喉を鳴らすたびに、あの薬品臭が微かに漂う。

 

 「コーネリウスよ、気づいておるかね?」

 

 ダンブルドアがぼそりと声を投げかけた。隣にはワンカップ大関を片手に、酔いと睡眠不足と虚栄心を全部混ぜたような顔のコーネリウスがいる。さっきからどれほど飲んだのか分からないが、蓋が転がってるのだけで三つ見えるぞ。

 

 「うっぷ……あぁ、気づいておるとも……うっ」

 

 ゲロを吐きそうな顔で気づいてると言われても説得力がねぇ。クラウチ・シニアが横で眉間に思い切り皺を寄せていた。あの男は規律にうるさい。大臣がワンカップ片手に観戦する姿なんて見るに耐えんのだろう。まぁ、お前の息子の方が問題は深刻だがな。

 

 「ほぉ……なら良いんじゃがの」

 

 ジジイは穏やかな声で返したが、その目は少しも穏やかじゃなかった。青白い光が瞳の奥で微かに揺れ、どこかフィールドで交錯する魔法と同じ、張り詰めた気配を孕んでいた。

 

 俺は腕を組んでクラウチ・ジュニアをじっと観察した。奴の喉元には薄い汗が滲み、舌が時折蛇のように覗く。魔力の循環が乱れた時に出る癖だ。あれは焦っている証拠。周囲の視線に気づいてないからこそ、余計に動きが雑になる。

 

 (ようやく追い詰められた感覚を覚え始めたってわけか……)

 

 いや、本人は気づいてない。だが、俺たちは確信している。ジュニアの動き、匂い、癖、それらすべてが嘘の上に成り立っている。

 

 「しかしフシグロ君、セドリックは見事じゃったのぉ。あの結界を打撃に転用する技など、わしの教えでは到底無理じゃ」

 

 「いや、アイツが勝手に伸びただけだ。才能も努力も見合ってるってだけだ」

 

 蜘蛛退治の時に、ネビルが同じような応用をしてたな。

 

 「ふむ……」

 

 ジジイは満足そうに頷く。セドリックが金の卵を掲げた瞬間、歓声はさらに膨れ上がり、いくつもの紙吹雪が宙を舞った。対照的に、クラウチ・ジュニアだけは一度も拍手をせず、ただ薄く笑っていた。薄気味悪いほど無関心で、目的以外に興味なしといった顔だ。

 

 「ダンブルドア先生!セドリックやりましたね!」

 

 遠くからフリットウィックが身振りを交えて叫ぶ。その声の調子は明るく、観客もつられて笑い、喜びの渦が広がっていく。だが、その温度と対極の冷たさが、俺たち教職員の側には漂っていた。ジュニアの存在が空気を冷やしている。まるで毒霧のように、ゆっくりと広がる不穏。

 

 「次はフラーかの」

 

 ジジイが呟き、紙をめくる音が響く。だが俺の耳は、ジュニアのボトルの蓋を開けるわずかな金属音に集中していた。ポリジュース薬の量が明らかに増えている。焦りが表層に滲んでいるのが分かる。

 

 「ジジイ、そろそろだろ」

 

 俺が小さく言うと、ダンブルドアは微かに頷いた。表情は変わらないが、その瞳だけが鋭く細められた。

 

 「うむ……見極めの刻は近いぞい」

 

 観客の歓声がまたひときわ高く響いた。ドラゴンが吠え、風が舞い、紙吹雪が渦を巻く中、俺たちの視線はただひとり、偽アラスターに刺さり続けていた。

 

 いよいよ――逃げ道はなくなる。

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