ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾” 作:物体Zさん
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ドラゴンの試験が迫る数日前のことだった。授業を終えたハリーは、教科書を脇に抱えながら城の廊下をゆっくりと歩いていた。昼下がりの光が高い窓から射し込み、石壁に淡い金色の筋を落としている。
その光の中を通るたび、ハリーの影が長く伸びて揺れ、まるで重圧そのものが形を取って伸びていくように感じられた。すれ違う生徒達は、皆、一瞬だけ顔に戸惑いを浮かべる。声をかけてくる者はいない。ただ、胸の奥底に渦巻く「なぜ?」「どうやって?」「羨ましい」「ずるい」という黒い気配だけが、確かな熱を帯びて漂っているようだった。
だが、伏黒甚爾の授業を受けているホグワーツの生徒達は、その感情を表に出すことはない。甚爾の鉄拳と理不尽そのものの訓練が教えたのはただひとつ――貶している暇があるなら鍛えろ、という単純な理屈であり、それが根付いている。だから、視線には濁った色がありながらも、誰ひとり文句を言わず、ただハリーを見送り、そして走ってトレーニング場へ向かっていく。
そんな空気を感じながら歩いていたハリーの前に、影が滑り出てきた。
「やあ、ポッター」
その声音には皮肉とも親愛ともつかぬ独特の響きがある。ドラコ・マルフォイだ。取り巻きのクラップとゴイルがいつものように後ろに控え、胸を張っていた。
「ドラコ」
ハリーは肩の力を抜きながら応じた。試合前で気持ちが落ち着いていないはずなのに、どこか淡々とした表情だった。それがまた周囲の生徒達には苛立ちに見えるのかもしれない。
「まず、おめでとう……と言っておくべきかな?」
ドラコはわざとらしく肩をすくめた。金髪が揺れ、日の光を反射して煌めく。だがその笑みは涼しげで、どこか底意地の悪さを含んでいる。
「はぁ……ありがとう、ドラコ。で?それだけ?」
「いや、実はね」
ドラコはわざとハリーに歩み寄り、声を落とした。クラップとゴイルは左右に立ち、通路を塞ぐようにしている。その立ち方はいつも通りだが、今日はどこか緊張気味で、肩に力が入っていた。
「父上と賭けをしていてね。ポッターが生きるか死ぬか……もちろん、僕は生きる方に賭けた」
クラップがくぐもった笑いを漏らし、ゴイルは意味も分からず同じように笑った。ハリーは軽く眉をひそめたが、それ以上何も言わない。挑発に乗らぬのが、甚爾に叩き込まれた処世術でもある。
そんな三人のやり取りを、廊下の陰からじっと見つめる視線があった。
マジックアイをぎらつかせ、獲物を舐め回すようにズームさせるその者の名前は、アラスター・ムーディ……ではない。本物のムーディではなく、その姿を借りたバーテミウス・クラウチ・ジュニアだ。
ジュニアは壁の隙間に深く身を潜め、片目でドラコ達を観察しながら舌をそっと唇の裏に忍ばせた。その動きは本物のムーディの癖ではない、ジュニア固有の癖だ。蛇のように、湿り気のある細長い舌を一瞬覗かせる。その仕草は緊張とも焦燥とも快感ともつかない、己だけが理解できる衝動からくるものだった。
(……やはり、近づくタイミングが難しい)
ジュニアは心の内で呟いた。闇の帝王の密命を受けてホグワーツに潜入し、この数ヶ月でいくつもの布石を打ち込んできた。ハリー・ポッターを試合へ誘導し、強制的に契約を結ばせ、最終的に墓地の中央へと連れ出す。そこで主君を復活させる――その道筋は既に固めたはずだった。
だがただ一つ、予想外の誤算があった。
(伏黒甚爾……あの男の存在が厄介すぎる)
甚爾が授業で生徒達を鍛えたことで、ハリー達の警戒心が妙な方向へと研ぎ澄まされ、ジュニアが「頼れる教師」として接触しようとする度に、何故かすれ違う。ハリーは訓練で鍛えた勘を働かせ、ジュニアの影を察すると自然と距離をとった。
そのせいで、ジュニアはこれまで何度もチャンスを逃してきた。
ドラコとの会話を終え、ハリーが歩き出すと、ジュニアはゆっくりと姿を廊下に現し、金属の足をカツンと鳴らした。ドラコが一瞬振り向きかけたが、すぐに顔色を変えて礼をした。
「ムーディ先生……」
しかし、その「ムーディ」は何も言わず、ただ無言のままハリーの後ろ姿を見つめ続けた。マジックアイがぎょろりと回り、背中の一点に焦点を合わせる。そこには狂信にも似た執念が宿っている。
(必ず……連れて行く)
ジュニアはゆっくりと舌を出した。蛇のように細長いそれが、乾いた空気の中で一瞬だけ光り、また口の奥に消えた。
その瞬間、廊下を吹き抜けた風が冷たく、まるでどこか遠くで死の鐘が鳴ったかのような錯覚を生徒達に与えた。
誰も、気づいてはいなかった。ただひとつの例外を除いては。
陰のまた陰から、甚爾の視線がジュニアを射抜いていた。
そして試合前日の午後、薄曇りだった空がようやく晴れ間を見せはじめた頃、闇の魔術に対する防衛術の教室には、授業後の独特の熱気がまだ残っていた。机の上には生徒達が書き殴ったメモや羽ペンの削りカスが散り、床には練習で吹き飛んだ椅子の跡が残っている。そんな荒れた空気の中、最後の片付けを済ませた生徒達がぞろぞろと廊下に出ていき、やがて教室には数人の足音だけが響くようになった。
その時だった。
「待て、ポッター。話がある」
アラスター・ムーディ――いや、姿を借りたクラウチ・ジュニアの低い声が、背後からハリーを呼び止めた。ギョロリとマジックアイが回転し、金属が擦れるわずかな軋みが、教室の静けさに不気味な振動を落とす。
「……ハリー、話してこいよ。俺たちは先戻ってる」
ロンが肩に手を置き、気遣うように言った。だがその声の奥には警戒の気配がある。ハーマイオニーもネビルも同じだった。誰もが「ムーディが偽物である可能性」を知っている今、背を預けるのが恐ろしくて仕方がない。しかしハリーは小さく頷き、三人を見送った。彼らの足音が廊下の奥に消えていき、静寂が戻る。
ハリーは振り返り、ムーディの前に立った。
「で、先生。話ってなんですか?」
その声は穏やかだが、胸の内では緊張が湧き上がっていた。ムーディのマジックアイは常に動いている。だが今、左目――本来の眼球の奥に潜む光は、妙に落ち着きがなく、何かを測るように瞬きを繰り返していた。そこに薄い違和感を覚えながらも、ハリーは崩れない姿勢を保つ。
「明日、試合だろう?」
ジュニアは机に片手をつき、ぎしりと体重を掛けた。
「……既に何をやるかは分かっているな?」
「はい。分かってます」
ハリーの返答は短い。だがその一言に、過去数週間の訓練で積み重ねた自信がわずかに滲む。湖畔でのネビルとの組手、甚爾の容赦ない指導、重く響く打撃音、息が切れ、全身が悲鳴を上げてもやめなかった走り込み。あの地獄の時間が今、少しだけ支えになっている。
「どう戦う?」
ジュニアはさらに一歩近づいた。その距離は近すぎた。マジックアイがハリーの顔を舐め回すように動き、その動きの気味悪さにハリーの心臓がわずかに跳ねる。彼は喉の奥の乾きを飲み込み、静かに息を吐いた。ドラゴンとの戦い――それをどう乗り切るか、既に仲間達との話し合いの中で、自分なりの戦法は固まりつつあった。
しかし、目の前のムーディが本物ではない可能性を考えれば、その策略をここで口にする危険は計り知れない。
だから――
「先生に教える理由は……ありません」
ハリーはゆっくりと、しかし迷いのない口調で言った。
その言葉は教室の空気を鋭く裂き、わずかな緊張が生まれる。
ジュニアの口角がひくりと動いた。笑ったのか、怒ったのか、それとも別の感情なのか判然としない。だがその表情の歪みには、確かな“苛立ち”が含まれていた。
「ほう……?」
ジュニアは杖を指先で転がすように回し、低く呟いた。
「賢いな。だが、危険な賢さだぞ」
その声には、挑発と誘惑が混ざり合っている。
「誰もがドラゴンに正面から挑む必要はない。手段はいくらでもある。空を使うか、地を使うか、罠を使うか……“助言”してやれることはいくらでもあるのだがな?」
「あいにく、先生の助言は必要ないんです」
ハリーは一歩下がった。その動きには怯えではなく、距離を計算した冷静さがあった。甚爾の授業の中で叩き込まれたのは、強者から身を守るための“間合い”の感覚だった。杖を抜かせない距離、自分の逃走経路を確保する位置。ハリーの足は本能的にそこへと動く。
ジュニアはその一歩を見逃さなかった。
(……勘の鋭いガキだ)
主君が求める“唯一の生贄”――その器として、確かに価値がある。だが、自我が強すぎる。従わせるのが難しい。ゆえに、操りやすいルートに誘導する必要があった。しかし伏黒甚爾が鍛えたことで、そこに余計な壁が生まれた。
「ポッター。明日は命が懸かっているんだぞ」
低く押し込むような声だ。
「分かっています。だからこそ……自分で考えて戦います」
ハリーの言葉の裏には、強い意志がある。そしてそれは、ジュニアが最も嫌うものでもあった。
しばしの沈黙が教室を満たす。壁に掛けられた蝋燭の炎が揺れ、天井に歪んだ影を作った。その影がハリーとムーディ――偽物のムーディ――を包み、まるで試合の予兆のように濃い緊張感を広げた。
ジュニアはやがて、ふっと肩の力を抜いたように見えた。
「……好きにするがいい。だが、覚えておけ。ドラゴンはお前を殺すためにそこにいる。卵は、お前を試すために置かれている。そして……」
最後の一言だけは、わずかに含みを持たせた声音で。
「お前の選んだ“戦い方”が、お前の未来を決める」
そう言い残し、ジュニアは背を向けた。金属の足が床を打つ音が遠ざかり、マジックアイの回転音だけがしばらく教室に残響した。
ハリーは小さく息を吐き、胸の鼓動を落ち着かせながら廊下へ出た。外の空気は冷たく、だがどこか澄んでいた。
そして彼は気づかぬまま歩き出した。
暗がりの奥で、もう一つの視線――伏黒甚爾の視線が、さきほどの会話を全て聞いていたことは誰も気づいていない。
そして時が進み試合当日、ハリーは待機テントの中でただ自分の番を静かに待っていた。朝の光は布越しに淡く射し込み、テント内の空気を白く照らしながらも、そこに満ちる緊張感までは払えない。風は冷たく、時折テントの布を鳴らし、観客席のざわめきが地の底から響くように微かに伝わってくる。ハリーは深く息を吸い、わずかに白くなる吐息を見つめながら、自分の心拍が静かに、しかし確かに上がっているのを感じていた。
試合のための鍛錬はずっと続けてきた。仲間たちと共に湖畔や城内で積み重ねてきた動き、それを肉体に染み込ませるよう繰り返した日々。その中でも決して緩めなかったのが“警戒”だった。忍びの地図に浮かび上がったあの名前──バーテミウス・クラウチ・ジュニア。地図の上で揺れるその文字を見た瞬間、血が冷えた。あの呪文、あの悲鳴、ネビルの怒気──全てを連想させる名前。その名が闇の底から這い寄ってくるように感じ、背中に薄い氷膜が貼り付いた。
その場で伏黒甚爾へ知らせたのは当然だった。甚爾なら即座に行動し、必要とあれば敵の喉笛を即断で噛み千切るように排除してくれると分かっていた。だからこそ、ハリーはそれ以降、ムーディ──いや偽のムーディとの接触を極力避け、授業中でさえ一言一句に警戒を滲ませた。視線を合わせすぎず、しかし不自然にはならず、動揺も弱みも一切見せないように、研ぎ澄まされた薄氷の上を歩くような振る舞いで日々を過ごした。
テントの中でハリーは杖を手の中で回した。杖の木肌は緊張で少し湿った指に吸い付き、重心がわずかに揺れるたびに掌の中で静かに位置を変える。その感触が、かえって集中を促した。伏黒甚爾の訓練で身についた体重移動や足の運びは、動かずとも身体の奥底に熱のように潜んでいる。長い戦いの前に感じる、あの独特の静けさ。筋肉が、肺が、心臓が、これから先の動きを予測している。
ドォォン!
突然、外から地響きのような轟音が響いた。空気が揺れ、テントの柱がわずかに軋む。ビクトール・クラムがドラゴンと交戦している音だ。鋭い咆哮が少し遅れて届き、観客の歓声と悲鳴が混ざった波が押し寄せる。地面が震え、その震動が靴底から膝へ、背骨へと伝わる。
ハリーは深く息をついた。
「落ち着け……大丈夫だ」
自分に言い聞かせる声は静かだったが、その奥には確かな意思があった。ここに至るまで積み重ねてきた訓練、仲間たちと過ごした時間、伏黒甚爾の厳しい指導──そのすべてが身体の中で一枚の刃のように整っているのを自覚していた。
『ビクトール・クラムが金の卵を取ったー!!!』
歓声が爆発し、テントの布が震えた。鼓膜を震わせる声の波の向こうには、間違いなく次の瞬間が待っている。
「僕の番だ」
ハリーはゆっくりと立ち上がった。座っていた椅子が小さく軋む音が、周囲の喧騒とは対照的に妙にはっきりと耳に残る。杖を握り直す。足を一歩踏み出すたび、大地の冷たさが靴底越しに確かに伝わった。体温が上がり、血が巡り、鼓動が力強くなる。恐怖ではなく、覚悟が身体を満たしていく。
テントの出口に向かうその背中には、少年らしい迷いではなく、獲物を正面から見据えた若き戦士の影が宿っていた。
ハリーがテントを出ると、澄んだ冬の朝の冷気と共に割れんばかりの歓声が一気に押し寄せ、肌を震わせた。観客席に詰めかけた生徒も教師も、さらには他校の来賓たちまでもがひとつの円環となってフィールドを包囲し、中央へ歩み出たハリーを光の矢のような視線で射抜く。寮の垣根など存在しない。ただ挑む者へ向けられる純粋な興奮と期待。それが波のようにうねり、ハリーの足元の地面を震わせていた。
フィールドの最奥、黒々とした巨岩が突き上がるように積み重ねられた岩場。その中央に金の卵が置かれていた。朝日を浴びた卵の表面は鋼のように輝き、冷たく眩しく、まるでわざと挑発するようにハリーの視界に揺れている。しかしハリーは卵を見るより先に、空気の流れの変化に反応した。肌に刺さるような熱、乾いた風、低く唸るような震動。それらが混ざり合った一瞬の違和感が、背筋を冷やす。
(ハンガリー・ホーンテール)
ロンが仕入れた情報は練習の最中に何度も脳裏へ刻み込んだ。ドラゴンの中でも群を抜いて危険、そして気性が荒い。黒い鱗は鉄の矢すら弾き返す強度を持ち、黄色い瞳は闘争本能で爛々と光る。尾の先端まで続く鋭利な棘は軽く触れただけで人間の肉を貫く。翼を広げれば影だけで数人を覆うほどの大きさ。炎の温度は建物ごと焼き払う出力を持つ。そうした情報が、ハリーの頭の中で闘争の地図を描き上げていく。
「フッ……!」
刹那、ハリーは身体を捻った。視界の端で地面が赤く染まった。炎だ。ドラゴンの咆哮とともに吐き出された灼熱の奔流が一直線に迫り、空気が膨張し、皮膚の産毛が逆立つほどの熱が押し寄せる。その一撃は走るどころか考える暇すら与えない速度だったが、ハリーの身体は既に動いていた。伏黒甚爾が叩き込んだ反応速度で、ハリーは地面を蹴り、岩の影へと低く滑り込むように身を投げた。
直後、世界が赤で染まる。炎が岩肌を舐め、石が爆ぜ、熱風が追いすがるように背中を叩く。焦げた空気の匂いが鼻腔を突き、熱で乾いた空気が肺を焼くように流れ込む。ハリーは岩陰に身体を押し込みながら、肺の奥に溜まった空気をゆっくりと吐き、胸の高鳴りを押さえ込んだ。
ドラゴンは確実にハリーを殺すつもりで動いていた。地を揺らす足音と、鎖が軋むような金属音が混ざり合い、獣の呼吸の荒々しさが遠くからでも肌を震わせる。ハリーは岩陰に身を潜めながら、ドラゴンの足運びを耳で追う。岩と岩の隙間を擦る爪の音、風を裂く尾の唸り、鱗と地面がこすれる鈍く重い音。その全てが位置を知らせる手掛かりだ。
(距離……十数メートル。まだこちらを探っている)
ハリーは懐から杖を抜いた。握り直した指先に力がこもり、木の温もりが少しだけ緊張を和らげる。そのまま岩の陰からほんのわずかに身を乗り出し、ドラゴンの影を確認する。巨大な翼の縁が陽光を遮り、黒い鱗が陽光で金属光沢のように反射していた。視線を向けた瞬間、ドラゴンの黄色い瞳が閃き、火花を散らすように怒りの光が揺れた。見つかった。
「ボンバーダ!」
裂帛の声と共に、杖先から白炎のような爆裂が轟音を伴って放たれた。空気が弾け、風圧が後ろ髪を引っ張る。呪文は一直線にドラゴンの顔面へと飛び、鱗の隙間で炸裂した。衝撃で火花が四散し、黒い鱗が一瞬だけたわむ。しかし、その厚い鱗は傷一つ負っていない。代わりにドラゴンが怒号のような咆哮を上げ、翼を広げて地面を叩きつけると砂塵が巨大な壁となって押し寄せ、ハリーの頬を叩いた。
轟音と震動が世界を塗り潰す中、ハリーは目を細めたまま息を整える。爆裂呪文は牽制に過ぎない。ここから先は──自分の足と判断で切り抜けるしかない。
「行くしかない……!」
ハリーは岩陰を蹴り、次の一手へと身体を走らせた。
走りながら杖を振るう。正面から噴き出した炎の舌を、手首の返しだけで横へ逸らし、熱風に背中を押される勢いを利用して芝の無い岩肌を転がった。焦げた砂の匂いと喉を刺す熱が肺へ突き刺さるが、止まれば終わると知っているから歯を食いしばって起き上がる。
「レダクト!」
杖先から放たれた破砕の呪文が、狙い違わずドラゴンの足元の岩場へ突き刺さり、乾いた爆ぜ音と共に石が砕け、粉塵が白い煙のように巻き上がった。巨大な脚が踏ん張る場所を失い、黒い鱗の巨体が僅かに傾く。鎖がきしみ、爪が岩を抉って火花が散った。
(今だ)
ハリーは息を吸い込むと同時に、全身の筋肉へ力を叩き込んだ。一歩踏み出す。靴底が石を噛み、ふくらはぎが弾けるように伸びて、身体が前へ飛んだ。歓声が遠のき、代わりに自分の鼓動と血の音だけが耳を満たす。
(いいか、お前ら魔法使いには魔力が身体に流れてる。馬鹿なお前らはそれを外に出すことしか考えねぇ。やれ火だ水だって呪文を唱えて威勢を張る前に、自分の骨と筋にそれを通せ。内側を強くしねぇと、外の派手さなんて飾りだ)
伏黒甚爾の低い声が脳裏で蘇る。ハリーは杖を握ったまま、胸の奥を意識した。呪文のために吐き出すのではなく、体内に渦のように巡らせる。熱い液体が血管を走る錯覚がして、肩の痛みが薄れ、足首の捻れが消え、視界の縁が研ぎ澄まされる。呪術師が呪力を纏うと聞いた時は他人事だったが、今は違う、魔力は別物でも、増幅させたいのは同じく肉体だと理解した瞬間、背中の皮膚がひりつくほどの高揚が走った。
ドラゴンがバランスを戻そうとして尾を振る。棘だらけの尾が風を裂き、低い唸りと共に地面を薙いだ。ハリーは跳び上がるのではなく、腰を落として滑り込む。尾が頭上を通過し、棘が空気を切り裂く音が耳元で鳴った。風圧で頬が歪み、砂が歯に噛む。
「ボンバーダ!」
追い討ちの爆裂が尾の付け根の岩を弾き、石片が散弾のように飛び、ドラゴンの腹の鱗に当たって甲高く弾けた。鱗は割れないが、痛みに似た苛立ちでドラゴンが顔をこちらへ向ける。黄色い瞳が収縮し、喉の奥が赤く灯る。次の炎が来る。
(来い)
ハリーは岩陰へ逃げない。魔力を脚へ回し、地面を蹴る角度を変え、斜めに切り込むように走った。炎は直線だ、熱は肌を舐めるが、芯に触れなければ耐えられる。髪が一瞬焦げ、耳が焼けるように痛んだが、速度は落ちない。卵までの距離が縮み、金色が朝日に濡れたように輝いた。
ドラゴンが前脚を突き立てて阻む。爪が岩を抉り、石が砕けて飛ぶ。ハリーは踏み込んだ足で跳ねず、肩を入れて方向をずらし、爪の死角を抜ける。そこで最後に杖を振った。
「プロテゴ!」
薄い膜のような防壁が前腕に沿って生まれ、飛んできた石片を弾き落とす硬い音が連続した。痛みが骨へ響く前に、防壁が衝撃を散らしてくれる。その隙にハリーは卵へ手を伸ばし、指先が冷たい金属のような表面に触れた瞬間、重さが手首にのしかかり、掌が熱くなるほどの緊張が全身に走った。
「取った……!」
声は小さく掠れていたが、卵は確かに腕の中に収まっていた。
だが終わりではない。卵を奪われたと理解した瞬間、ハンガリー・ホーンテールの喉が膨らみ、胸郭が鳴り、熱い息が刺すような熱の塊となって吐き出される。空気が一段重くなり、岩の表面がじりじりと赤く染まり、観客席のざわめきが悲鳴へ変わる気配が耳の端で裂けた。砂埃が舌に貼りつき、唾を飲むたび喉が痛む。視界の隅で旗が揺れ、遠い叫びが波のように押し寄せた。
ハリーは卵を抱えたまま反転した。腕に重さが乗ると動きが鈍る。なら、足で運ぶしかない。魔力を膝へ、腰へ、背中へ回して身体を支え、地面の凹凸を読むように走る。足を置く場所を誤れば捻挫で終わる。この岩場は敵だ。息を吸うたび金属の匂いが混じるのは、炎で熱された鎖の臭いか、それとも自分の汗が焦げかけているのか分からない。
ドラゴンが前脚を踏み込んだ。鎖が限界まで張り、鉄が唸り、杭が地面を引き抜こうとする。巨体の影が伸び、棘の尾が追いすがる。ハリーは卵を一瞬だけ胸に押しつけて両肘を締め、身体を小さくして岩の裂け目へ滑り込む。背中に棘が掠り、布が裂ける音がした。皮膚が熱くなり、血の匂いが一滴だけ鼻を打つ。
「ボンバーダ!」
爆ぜた岩が煙幕となり、灰色の粉塵が視界を奪う。ドラゴンは怒りに任せて炎を吐くが、粉塵が熱で渦を巻き、火の筋がねじれて空へ散った。ハリーはその隙に走路を変え、鎖の軌道の外側へ回り込む。足元で小石が跳び、卵が腕の中で鈍く鳴る。咆哮が背後から追ってくるが、距離だけは確実に広がっていった。
そして境界線を越えた瞬間、鎖が鳴ってドラゴンは届かない場所へ押し戻され、卵の重さが改めて現実として腕に乗り、ハリーの膝が遅れて震えた。
箒呼ぶの忘れた。
もっとハリーをゴリラっぽく戦わせたかったけど、流石にドラゴン相手じゃやっぱ無理だろと思ってこんな感じになりました。
術師による呪力操作の身体強化を魔力でやらせてみました。多分絶対できると思うんですよ。知らんけど。