ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十六話

 

 

 

 

 クリスマスイブには三大魔法学校対抗試合の合間に舞踏会が開かれる。普段は戦いしか頭にないガキどもが、急に髪型だの服の色だの騒ぎ始める時期だ。そんなくだらねぇ行事のために、俺はジジイと一緒に日本へ飛ぶ羽目になった。姿現しで国境を越えるのは骨が折れる。空気の密度が一瞬で変わるせいか、肺の奥が少しだけひりつく。それを誤魔化すように深く息を吐きながら、俺は街の雑踏へ足を踏み出した。

 

 冬の東京は相変わらず人間の群れがせわしねぇ。魔力ではなく、ただの生活臭と都会の喧騒が肌をざらつかせる。道を行き交う人間の足音、車の音、遠くの工事現場の金属音、コンビニの前に溜まるガキの笑い声、すべてが一度に耳に押し寄せてくる。その雑音の中を歩きながら、俺は目的地を頭の中で反芻した。

 

 電車を二度乗り継ぎ、さらに少し歩いて、ようやく女の住むアパート前に辿り着いた。年季の入った3階建て。鉄の外階段はところどころ塗装が剥げ、冬の湿気を吸って冷えきっている。夜気の中に漂う金属の匂いは、ホグワーツの石造りの廊下とはまったく違う。この無機質な匂いは東京の冬に特有のものだ。

 

 「ここかの?」

 

 ジジイ――ダンブルドアが、アパートを見上げながら言った。

 その隣で相変わらずマフラーを巻き、どこか観光気分が抜けてねぇ顔をしている。

 

 「あぁ」

 

 短く返事をし、俺は階段に足をかけた。

 

 「ここで待ってろ」

 

 「うむ。気をつけるのじゃぞい」

 

 ジジイはそう言って手を後ろに組み、まるで近所の散歩に来た老人のようにその場に立った。だがその手の先には高密度の魔力が張り巡らされている。何があろうと俺の邪魔はさせねぇという意思が漂っていた。まったく、こういうところだけ妙に気が利く。

 

 階段を上がると足元の鉄が軽く軋む。冷え切った鉄板の感触が靴底からふくらはぎを通って伝わってくる。冬の匂いが漂い、遠くで踏切の警報音が鳴り響いた。あの音を聞くのも随分久しぶりだ。

 

 目的の部屋の前に立ち、俺はほんの一瞬だけ息を整えた。別に緊張なんざしてない。ただ、この扉の向こう側にいる女は、俺の人生に何度か――ほんの少しだけだが――柔らかい影を落としてくれた存在だ。馴れ合うつもりはねぇが、完全に切り捨てる気にもなれない。そんな曖昧な距離感のまま今日まで続いてきた。

 

 インターホンを押す。

 電子音が短く鳴り、その後すぐに応答が返ってきた。

 

 「『はい』」

 

 記憶通りの、張りのある女の声。

 その響きには、都会で生き抜いている女特有の鋭さが混じっている。

 

 「俺だ。迎えに来た」

 

 その言葉を口にした瞬間、部屋の中で空気が跳ねるような気配がした。たぶん、向こうは理解が追いついてねぇ。

 

 数秒の沈黙が落ちる。

 やがて、やや声が上ずった反応が返ってきた。

 

 「『……は? ちょっと待って。来たって何? アンタ今日どこにいるんだっけ』」

 

 「玄関前だ。ドアを開けろ」

 

 はぁぁ!? という悲鳴じみた声が扉越しに漏れた。

 どうやら想像以上に準備ができてねぇらしい。まぁ、突然押しかけたのはこっちだ。

 

 扉の向こうでドタバタと足音が走り、何かが倒れる音がして、続いて女の荒い息が近づいてくる。冬の冷えた廊下に、その温かい気配がじんわり伝ってくる。

 

 「『ま、待ってよ! 心の準備ってもんが――』」

 

 「準備しながら開けりゃいい」

 

 「『無茶言わないで!?』」

 

 ガチャ、と鍵の外れる音がした。

 ドアがゆっくり開く。室内から暖房の熱が流れ込み、冷えていた頬がわずかに温まった。暖気に混じって、女が好んで使っている花の香りが薄く漂ってくる。妙に懐かしい匂いだ。

 

 扉の隙間から顔を出した女は、髪をバサッとまとめただけで、寝間着に薄いカーディガンを羽織っていた。焦って準備したのが一目で分かる。

 

 「……本当に迎えに来たの? アンタ、今、現実にここにいるの?」

 

 「いるだろ」

 

 女はしばらく固まったまま俺を見つめていたが、やがて肩の力を抜き、半ば呆れ、半ば笑うような表情になった。

 

 「……もう。ほんと、あんたはいつも勝手なんだから……」

 

 それだけ言って、女は小さくため息をついた。

 

 冷たい外気と、暖かな室内の空気が廊下で混ざる。

 冬の匂いと、女の生活の匂いが重なり合い、妙に落ち着く空気が生まれた。

 

 舞踏会なんざ興味はない。

 だが、この女を連れて行くことに後悔はねぇ。

 

 俺は短く言った。

 

 「支度しろ。時間はあるが、のんびりはできねぇ」

 

 女は言葉を飲み込み、それから少しだけ笑った。

 

 「……分かった。待ってて」

 

 その声を聞いて、ようやく肩の奥に溜まっていた力が抜けていった。

 思ったより悪くねぇ夜だ。

 

 少し待つと女が出てきた。玄関の薄い灯りが背中の輪郭を縁取っていた。寝間着のままではなく、いつもの仕事帰りよりも幾分柔らかい格好だ。肩までの髪を丁寧に整えたらしく、ほのかに甘い匂いが外気と混じり合って漂ってくる。冬の夜気が冷えこんでいるせいで、その香りがやけに鮮明に鼻腔に残った。片手にはコンパクトな旅行鞄。必要最低限の荷物に絞ったのだろうが、その判断の速さは相変わらずだ。

 

 「お待たせ」

 

 女がそう言いながら鞄を軽く持ち上げた。

 

 「そんなに待ってねぇ。じゃあ行くぞ」

 

 言い終えると同時に、冬の空気が肺の奥を刺す。東京の夜は湿り気を帯びているが、その水気とは別に、どこか刺々しい緊張感のようなものが漂っている。都会の空気は、魔力の流れが読めるホグワーツのそれとはまったく違う。

 

 「というか、どうやって行くのよ?」

 

 女が俺の横に並びながら言った。

 

 「気にすんな」

 

 「……あんたねぇ」

 

 呆れたような声を出しながらも、歩幅は俺に合わせてくる。相変わらず口は悪いが、ついてくる気はあるらしい。外階段を降りて敷地を出ると、路地の暗がりに立っていたジジイ――ダンブルドアがこちらに気づいて顔を上げた。

 

 街灯に照らされた銀髪が夜風に揺れた。日本に馴染むはずもねぇ格好だが、本人はまったく気にしていない。

 

 ジジイは俺の隣に立つ女を見て、いつものように朗らかな笑みを浮かべた。

 

 「ホッホッホ、フシグロ君の奥さんじゃな? 初めまして、わしはアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。よろしく」

 

 長ったらしい名乗りを聞き終える前に、女が眉をひそめた。

 

 「長いわね」

 

 「確かに長えな」

 

 そう返すと、女は一拍置いてから英語で挨拶を返した。やはり仕事で使っているだけあって発音が妙に滑らかだ。東京で外資だか外商だかの会社で働いているらしいが、こういう場面では確かに頼りになる。

 

 ジジイは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに満足げに頷いた。

 

 「う、うむ……では行こうかの」

 

 女が困惑したように俺の袖を軽くつまむ。

 

 「え? どこに行くの?」

 

 「ホグワーツだ。イギリス旅行だ」

 

 俺がそう言うと、女は目を瞬かせた。冬の街灯の下で、その瞳がわずかに揺れる。驚きなのか不安なのかは知らないが、それを隠そうともしないところは昔から変わっていない。

 

 ジジイが手を差し出す。古ぼけた指輪が街灯の光を受けて鈍く光っていた。

 その手を掴めば、一瞬で世界が切り替わる。魔力が空気の密度を歪ませ、風景そのものを引き裂く感覚。普通の人間なら気絶しかねない移動法だ。

 

 俺はジジイのローブの裾を掴み、もう片方の手で女の手を握った。女の手は冷えていたが、少し強く握ると、その指が反射的に絡んできた。

 

 「大丈夫だろうが、舌噛むなよ」

 

 「ちょ、ちょっと待ちなさいってば!心の準備――」

 

 文句を言う暇すら与えず、ジジイが短く呟いた。

 耳の奥がひっくり返るような圧力が走り、世界が一瞬で折り畳まれる。

 

 風が逆流する。

 空気の温度が跳ね上がる。

 皮膚の表面を細い針のような魔力が撫でる。

 視界の端が白く弾け、次の瞬間には冷たく乾いたイギリスの空気が肺に流れ込んできた。

 

 足元の感触がコンクリートから石畳へ変わる。

 

 夜の匂いも東京とはまったく違うものに切り替わる。湿度の低い冷気、遠くの森の匂い、澄んだ風に混じる古い石壁の粉の匂いが、一度に押し寄せてきた。

 

 女は一瞬息を呑み、俺の手を強く握ったまま目を見開いていた。

 

 「……ここ、どこ?」

 

 震え混じりの声。

 当たり前だ。魔術も呪術も知らねぇ一般人を姿現しで連れてくれば、こうなる。

 

 俺は淡々と答えた。

 

 「ホグワーツだ。これから舞踏会だ」

 

 女は言葉を失い、そしてゆっくり息を吐いた。

 

 「……相変わらず、めちゃくちゃね。アンタ」

 

 褒め言葉かどうかは知らねぇ。

 だがその声には、恐怖よりも――少しの期待が混じっていた。

 

 そうして翌日、俺は和装に着替え、女はホグワーツの専属仕立てが用意した深い紺色のドレスに身を包んだ。一晩を同じ部屋で過ごした後の、あの独特の距離感がまだ空気に残っている。肌に触れた温度や、互いの呼吸の近さが記憶の奥にこびりついているせいで、妙に周囲の空気が軽くざわついて感じられた。窓の外から差す冬の朝の光が畳に斜めに落ち、和装の黒の生地に深い陰影を刻んでいる。

 

 女は鏡を覗き込みながら後れ毛を整え、その視線を俺に向けた。

 

 「アンタはタキシードより、やっぱり和装が似合うわね」

 

 「そうか?まぁ禪院家で散々着てたからな。着飽きたくらいだ」

 

 そう言いながら帯を軽く締め直した。生地のこすれる音が部屋の静けさに溶ける。和装は肌に密着する部分が少ない分、空気の流れが布の隙間を抜ける感覚が敏感に伝わってくる。袖を通した瞬間から、昔の忌々しい家の匂い――畳と古い木の乾いた匂い――がふっと記憶に蘇るが、今さら気にするような感傷は持ち合わせちゃいない。

 

 「なんというか……幕末志士、って感じ」

 

 女が茶化すように言う。ドレスの布地が揺れるたび、微かな香水の匂いが鼻を掠めた。日本製の香りではない。おそらく海外のブランド品だろう。重すぎず、すぐ消えず、冬の冷気と混じると淡く甘くなる香りだった。

 

 そんな他愛のない会話を交わして部屋を出る。城の廊下に足を踏み入れた瞬間、魔力の流れが一気に変わった。昨日の夜の静けさと違い、今日は空気が浮つき、熱を帯びている。大広間へ続く通路には、色とりどりの正装に身を固めたガキ共が集まり、興奮が渦を巻いていた。タキシード、スーツ、各国の民族衣装、ホグワーツでは見慣れねぇ派手な装飾のドレス……魔力が服の布地にまで揺らぎ、空間全体がざわめいている。

 

 「うそ!あれ、フシグロ先生!?か、カッコいい……というか隣の女性は誰?」

 

 「フシグロ先生ー!!ふぅー!!」

 

 「隣の人、すげぇ綺麗だ……」

 

 ガキ共が勝手に盛り上がる声が耳に飛び込む。声帯の震え方、呼気の速さ、興奮した脈の乱れ――全部分かる。普段、鍛錬で絞り上げてるせいで、生徒達の気配の揺れは手に取るように察知できる。

 

 女が困惑気味に俺の袖をつまんだ。

 

 「アンタ、ここで何してんの? 先生とか呼ばれてるけど……」

 

 「体育を教えてる」

 

 「はぁ?アンタが体育?」

 

 「まぁな」

 

 女はぽかんと口を開けた後、俺の足元から頭の天辺まで視線を滑らせた。和装を着た俺を、教職者という文脈で見るのが信じられないといった顔だ。まぁ、まともな教育者の格好じゃないのは確かだが、ガキ共をしごくのに服装は関係ねぇ。

 

 大広間の方へ歩を進めると、魔力が濃く渦巻く空気が肌に触れた。冬の冷たい空気の中に、暖炉の火の熱気、甘い菓子の匂い、磨かれた大理石の床から立ち上る乾いた香りが混じり合っている。天井からは雪の結晶を模した魔法の光が降り注ぎ、床の上で溶けるように消えていく。その光が俺の和装や女のドレスの生地に反射し、淡い輝きを落とした。

 

 生徒達は俺たちの後ろでざわつき続ける。耳の奥にまで響く騒ぎだが、不思議と不快ではない。訓練の成果なのか、ガキ共の気配には芯が通っている。怠惰や甘えの気配が薄れ、代わりに緊張と興奮が混じっている。あの地図の一件やドラゴン戦の経験が、ガキ共なりに何かを変えたのだろう。

 

 女は周囲の喧騒に少し戸惑いながらも、俺の隣を離れようとしない。目に映る光景のすべてが初めてのはずだが、怯まずに進み続けるあたり、肝は据わっている方だ。

 

 「……なんか、すごいわね。映画のセットみたい」

 

 「映画より本物だ。触れるもの全部が魔力で動いてる」

 

 「へぇ……そういうの、もっと早く言いなさいよ」

 

 女はそう言いながら目を輝かせ、大広間の扉が開くのを待つ人の波に自然と並んだ。俺の和装の裾に雪の結晶が一つ触れ、瞬時に吸い込まれるように消えた。その消えゆく瞬間の冷たさが皮膚にわずかに残り、冬だという現実を思い出させる。

 

 まもなく扉が開く。光と熱気があふれ出し、その先には舞踏会の空気が満ちている。俺は軽く息を吐き、舞台に上がる戦いに向かうのと同じ心持ちで一歩前へ踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー・ポッターとロンは正装に身を包み、大広間へ向かう石造りの長い廊下を歩いていた。冬の冷気が壁の隙間から染みこむように漂い、足元の床石には夜気の湿り気がうっすらと残っている。燭台の炎が揺らめくたびに光が廊下いっぱいに広がり、2人の影を伸ばしたり縮めたりした。

 

 「ハリー、お前そんな服持ってたのか?」

 

 ロンがぶっきらぼうな声で言いながらも、友への興味が隠しきれない様子で視線を滑らせた。

 

 ハリーは数日前、シリウスから届いた仕立ての良い黒のスーツを着ている。柔らかな生地は光を吸うように深く、形の良い肩や細い腰を控えめながら綺麗に縁取っていた。ネクタイの結び目には不器用な手つきの跡が残るが、その不揃いさすら少し大人びて見える。

 

 「ロンこそ、すごいカッコいいよ……それ」

 

 「そうかぁ?なんか古びてて変な匂いするけどな〜」

 

 ロンは、ウィーズリー家に代々伝わる古い礼服を着ていた。布の色はところどころ褪せ、袖口には祖母の時代の刺繍が残っている。だが鍛え上げた胸板と肩幅がその古びた服を力強く押し返し、燃え立つような赤毛と合わさって独特の迫力を生んでいた。古いのに堂々としており、まるで肖像画から抜け出した戦士のようだ。

 

 「まるで肖像画にあるゴドリック・グリフィンドールみたいだ」

 

 ハリーが言うと、ロンは照れ臭そうに鼻をこすり、嬉しさを隠しきれない顔をした。

 

 「まぁ……そう言われると嬉しいかな」

 

 その時、後ろから重い足音が響いた。床石の振動で誰なのか分かる。

 

 「おーい2人とも!」

 

 ネビルが息も乱さず歩いてくる。鍛えられた足取りは安定しており、広い肩と厚い胸板が黒の礼服をぐいぐいと押し広げていた。

 

 「お、おぉ!ネビル……やっぱりお前デカいなぁ……」

 

 ネビルの服は張りつめ、少しでも力を入れれば縫い目が弾けそうだ。

 

 「ギリギリだったぜ」

 

 3人は並んで歩き、大広間前の広場に着いた。扉の向こうからは管弦の調べが響き、甘い香りのする魔法の花が壁を彩り、空気はどこか浮き立つような気配を帯びていた。

 

 これから各自のパートナーと合流し、並んで入場するのだ。

 

 「ネビル!」

 

 「あ、ジニー」

 

 階段の陰から姿を現したのはジニーだった。紅い髪を緩く巻き、鮮やかでありながらどこか鋭さも宿すドレスをまとっている。その纏う空気は、ただの少女のものではない。

 

 「似合ってるぜ、ジニー」

 

 「ありがと」

 

 2人は軽く笑い合い、手を繋いで大広間へ消えていった。

 

 「おやポッター……とウィーズリー、あなたたちの姿……随分と勇ましいですね。似合っていますよ」

 

 マクゴナガルが音もなく近づいてきた。表情は厳しいままだが、口調には柔らかな色が宿っている。ロンの古い礼服を見ても眉をひそめず、むしろその堂々とした雰囲気に内心感心しているようだった。

 

 「ポッター、代表選手は先に踊ります。パートナーとここで待っていなさい」

 

 「えっ、そうなんですか? 分かりました」

 

 そう説明されて数分後、階段の上からドレスの擦れる音と軽いヒール音が近づいてきた。

 

 「ハリー、ロン」

 

 「うお!ハーマイオニー!やば!めっちゃ綺麗だな」

 

 階段を降りてきたハーマイオニーは、普段の知的さに加え、鍛えた身体がドレスラインを引き締め、まるで戦場に立つ女神のようだった。背筋の伸びた姿勢と胸元の落ち着いた呼吸が、彼女の強さと気品を同時に示している。

 

 「ロン、あなたもちゃんとしてるじゃない。まるでゴドリック・グリフィンドールね!」

 

 「ハーマイオニーも同じこと言ってる!」

 

 ハリーとハーマイオニーは思わず笑い、それに釣られてロンも笑った。

 

 「じゃあなハリー、先行ってるよ」

 

 「うん」

 

 ロンとハーマイオニーが大広間へ入っていく。ハリーは独り残り、胸元のネクタイを少し直した。大広間の扉は金に縁どられ、向こう側の光が隙間から漏れ、楽団の音と混じり合いながら彼の胸をざわつかせる。

 

 すでに他の代表選手はパートナーと並び立ち、晴れの舞台を前に静かな緊張を纏っていた。

 パートナーが来ていないのは、ハリーただ1人。

 

 その時——

 

 「お待たせいたしました」

 

 「ううん、待ってないよ」

 

 振り返ったハリーの瞳に、星の光を帯びたようなドレスの少女が映った。

 

 エロイーズ・ミッジェン。

 

 伏黒甚爾の授業で体を鍛え、生活を整え、何度も悔し涙を流しながらも立ち上がり続けた少女。今では4年生の中でも際立つ美貌と強さを持ち、その背筋は迷いなく伸びている。

 

 代表選手の隣に立つなら、彼女ほど相応しい者はいなかった。

 

 「じゃあ、いこうか」

 

 「えぇ」

 

 ハリーがそっと差し出した手に、エロイーズの白い手が重なった。

 

 大広間の扉が静かに開く。

 

 代表選手達がパートナーを伴い大広間へ入場した。両脇には生徒達が列をつくり、静かに通路を開けている。全員が息を呑み、煌びやかな光で満たされた空間の中、選手達の姿を目で追っていた。

 

 天井には冬の夜空が映し出され、浮遊する燭台が風もないのにわずかに揺れ、柔らかな光が床へ波紋のように落ちていく。その光に照らされるドレスやタキシードが、ただそこに立っているだけで儀式のような荘厳さを帯びていた。

 

 

 「では始めよう」

 

 

 マクゴナガルの隣に立つダンブルドアが軽く顎を上げ、楽団へ目配せした。瞬間、弦楽器がふわりと鳴り、次いで木管が柔らかな旋律を重ねる。大広間全体が楽器そのものになったように空気が震え、生徒達の胸をくすぐるような音の粒が広がっていく。

 

 セドリック・ディゴリーとそのパートナーが最初に円の中央へ進み、静かな一歩を踏み出した。身体の軸は揺れず、導く手は確信に満ち、流れるような動きが会場全体をひとつの方向へ引き込んでいく。続くフラーは光の糸を纏ったような優雅さで舞い、歩くだけで香り立つような雰囲気を放つ。クラムは表情こそ硬いものの、鍛え抜かれた体幹で相手を支え、ひとつひとつの動きを確実に決めていった。

 

 そして最後に、ハリー・ポッターとエロイーズ・ミッジェンが中央へ進む。

 

 エロイーズのドレスに散った星屑のような飾りが光を受けて揺れ、彼女の頬や髪を淡く照らした。伏黒甚爾の授業で鍛えてきた身体は細身でありながら強さを宿し、ドレスの線を壊すことなく芯のある姿勢をつくりだしている。ハリーは緊張で指先がわずかに冷たかったが、彼女の手を取る瞬間にその温度が少しだけ和らいだ。

 

 楽団の音が一段階大きくなり、代表選手達が同時に踊り始めた。

 

 最初の1歩が揃った瞬間、床に落ちた影が波のように広がり、観ている者の胸に静かな衝撃を走らせる。4組がつくる円が大広間の中心に緩やかな渦を描き、音楽がその渦に吸い込まれていくようだった。

 

 エロイーズのドレスが旋回のたびにふわりと上がり、ハリーの動きに合わせて流麗な弧を描く。彼女の髪から微かに香る甘い香水の香りが、近くを通るたびに空気へ混ざって消えていった。

 

 観客席の生徒達は、目をきらきらさせながらその様子を見つめていた。代表選手としての誇りと努力が、今だけは戦いではなく美しい所作となって形を成し、誰もがその一瞬を逃すまいと息を止めていた。

 

 やがて曲が落ち着き、代表選手達が円の外側へ広がると、次に参加するのは教職員達だった。ダンブルドアは満面の笑みを浮かべ、マクゴナガルの手を取って優雅に歩き出す。普段の厳格さを完全に封印したマクゴナガルは、少しだけ頬を赤らめながらも完璧なステップを踏んだ。

 

 スネイプはというと、心底嫌そうに眉を寄せながらもマダム・ポンフリーに腕を差し出しており、そのぎこちない動きに近くの生徒達が小さく笑っていた。

 

 そして最後に、伏黒甚爾が妻を伴って入場した。

 

 和装に身を包んだ甚爾の姿は、魔法界の中に突然現れた異質な威厳を持っていた。鋭い目つきはそのまま、ただ隣にいる女の手を取る仕草だけが驚くほど柔らかく、周囲の生徒達は一瞬息を呑む。女のドレスは深い色合いで、煌めきは控えめながら気品があり、甚爾と並ぶと不思議なほど調和して見えた。

 

 2人が踊り始めると、周囲の空気が変わった。甚爾の動きは静かでありながら迷いがなく、一歩ごとの重さが床を通して伝わり、和装の裾が滑らかに揺れるたびに周囲の視線が吸い寄せられた。妻はその導きに自然と身を預け、2人だけの世界がそこに構築される。

 魔法ではない、ただの身体の動きだけで空気を支配していくその姿は、生徒達にとって新鮮であり、どこか神秘的ですらあった。

 

 こうして、代表選手から始まった舞踏会は、ゆるやかに、そして確かに広がり続けていく。

 

 華やかで穏やかな夜が、大広間を満たしていった。

 

 

 一方アラスター・ムーディに化けているクラウチ・ジュニアは、教員席の端で背筋を固く伸ばしたまま動けずにいた。大広間は灯りに満ち、曲に合わせて滑らかに揺れるドレスの裾や靴音が幾重にも重なり合うのに、彼の周囲だけは冬の墓所のように冷えていた。ムーディの身体を完全再現したポリジュース薬のせいで義足をつけざるを得ず、わずかに体重を移すだけでも付け根に鈍い痛みが突き上げる。五体満足のはずの自分の身体が、いまだけは不自由で、動けば動くほど“本物のムーディ”の重さがのしかかるようだった。

 

 (よりによって踊れだと……冗談ではない)

 

 代表選手達がパートナーを伴って中央を舞い、それを包み込むように生徒達の輪が広がる。華麗な流れの中で、動かない自分は明らかに浮いている。それでも立ち上がれない。義足が音を立てれば誰もが振り向く。ムーディなら無理を押してでも踊るだろうと思われるかもしれないが、ジュニアはそこまでの真似はできない。

 

 ポケットから銀のボトルを取り出し、酒を飲む仕草でポリジュース薬を口に流し込む。粘り気のある液体が舌に張りつき、喉の奥へ沈むと同時に、皮膚の下をムーディの特徴が這い戻るような感覚が走った。肩の古傷、義足の付け根の鈍痛まで再現され、ジュニアは眉を動かさず耐えた。

 

 (問題は……変身ではない)

 

 ハリー・ポッターに近づけていない。

 

 今日こそは、と狙っていた。浮かれた舞踏会なら警戒がゆるむ。酒も入る。音楽と笑いに紛れれば接触も容易い。しかし現実は正反対だった。ハリーの周囲には仲間達が常に気配を張り巡らし、当の本人も伏黒甚爾から叩き込まれた“気配の察知”を身に着けている。ジュニアが視線を投げただけで、あの少年はわずかに肩を強張らせ、すぐに周囲へ警戒を広げる。訓練の痕跡が、動きの端々に滲んでいた。

 

 (あれでは隙など作れん……伏黒甚爾さえいなければ)

 

 遠目に見える甚爾の姿は、和装ながら威圧感の塊だった。妻の腰に手を添えて踊りながらも、視線はまるで戦場に立つときのように鋭く、空気の流れまで読み取っているかのようだ。

 ジュニアは一度、甚爾が軽く振り向いた瞬間を見た。ほんの数センチ顔を傾けただけで、周囲の気配が一瞬にして緊張を孕むのが分かった。あの男は無意識に殺気と圧を溢れさせる。

 

 (あれに気づかれれば終わりだ……近づく以前に、存在が露呈する)

 

 指先に力が入り、ボトルが小さく軋む。義足に伝わる振動が痛みに変わり、顔をしかめそうになるのを必死で抑えた。ムーディの顔で痛みを漏らすなど、逆に怪しまれる。

 

 ハリーはエロイーズと踊っていた。足運びこそぎこちないが、相手の動きを読み、崩しにくい姿勢を自然に取っている。揺らぎの少ない重心。戦いに近い距離感。

 

 (伏黒甚爾……お前の影響がそこまで濃いとはな)

 

 計画の軸はハリーに触れることだ。近づき、信頼を得て、次の課題へ“導く”。それが主君から与えられた使命。それなのに、ここに来て一歩も踏み出せない。

 周囲が浮かれ、音楽が高まり、誰もが一夜の魔法に酔っているのに、自分だけが冷えた檻の中に閉じ込められている感覚。焦燥は喉の奥を焼くようにじわじわと広がっていた。

 

 (このままでは……遅れる。奴らの絆が強まれば、ますます入り込む隙がなくなる)

 

 銀のボトルを持つ手が震え、義足の膝が軽く揺れた。その動きを誤魔化すため、杖の先で床を軽く叩いてみせる。ムーディにしては珍しくない癖だ。周囲は一瞬視線を向けただけで、すぐに踊りの世界へ戻った。

 

 だが、その一瞬だけでもジュニアは悟った。

 あの場で自分を見逃すかどうかの決定権を握っているのは、生徒でも教員でもない。

 伏黒甚爾ただ1人だった。

 

 (……ならば、方法を変えるしかない)

 

 焦燥が、決意に形を変える。

 計画を、少しだけ歪ませればいい。

 直接触れられないのなら、状況そのものを変えてしまえばいい。

 伏黒甚爾の目が届かない場所──そこへハリーを誘い出す。

 

 大広間は華やかな光に満ちている。

 しかしその片隅で、クラウチ・ジュニアの胸には、静かで濃い闇が渦を巻き始めていた。

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