ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十七話

 

 

 

 

 「フシグロ先生とダンスしてた女性ってもしかして……」

 「まさか奥さん!?」

 「なわけ……」

 「フシグロ先生の奥さんだよ。前に結婚してるって言ってた」

 

 大広間の片隅、丸テーブルの一角にハリー、ロン、ハーマイオニー、そしてネビルが座り、肩で軽く息を弾ませながら休憩していた。照明は先ほどの優雅な灯りとは変わり、いまは色とりどりの魔法光が天井から降り注ぎ、ステージではイギリス魔法界で人気のロックバンドが歪んだギターの音を魔術的に増幅させながら奏でている。

 

 煌びやかな空気が渦巻く中、4人の話題は完全にひとりの人物へ集中していた。

 

 「綺麗な人だったな」

 「そうね、大和撫子ってやつかしら?」

 「フシグロ先生が汗かいてるの初めて見たぜ」

 

 ネビルがグラスの中身を一気に飲み干し、腕の太い筋肉を軽く動かしながら呟いた。巨大な体格に似合わず、目を細めて感心しているようだった。ハリーはネビルの言葉に頷きながら、ほんの少し前の光景を思い返していた。

 

 大広間中央、優雅に流れたワルツの最中、伏黒甚爾は和装の袖を揺らしながら、隣の女性と静かに、しかし妙に絵になる歩幅で踊っていた。あの鋭利な眼光を持ちながら、相手の腰に添えた手は驚くほど柔らかく、音に合わせて滑らかに導く様子は、普段の無骨さとはまるで別の面を覗かせていた。

 その女性──細やかな所作、芯の通った背筋、妖しいほど落ち着いた黒髪。ドレスの下に隠れた体幹の強さを感じさせる立ち姿は、魔法界にいるはずなのにどこか日本の古い絵巻物を思わせ、周囲の視線を自然に吸い寄せていた。

 

 ロンが軽く肩をすくめる。

 

 「奥さん……ってなると、やっぱり日本の人なんだよな?英語めっちゃ上手かったけど」

 

 「外資系の会社だって言ってたわよ。あの受け答え、普通の人じゃないわ」

 

 「ハーマイオニー、なんでそんな詳しいんだ」

 

 「さっき聞いたの」

 

 「それ大丈夫なの!?」

 

 「フシグロ先生なら大丈夫じゃねぇか?」

 

 ネビルは当然のように言う。鍛え抜かれた身体を椅子にもたせかけると、背凭れがきしむほどの重量が響いた。ハーマイオニーは呆れ半分、感心半分の表情でため息をつく。

 

 「奥さん、なんだか不思議な雰囲気だったわね。話し方も落ち着いてて、でも芯があって……先生とは真逆なのに、変にお似合いだったわ」

 

 「確かに。てか、あんなに優しく踊る先生初めて見たなぁ……」

 

 「それな!」

 

 ロンとネビルが同時にうなずき、大広間のざわめきと混ざって笑い声が広がる。そのすぐ横では、他の生徒たちも同じ話題で盛り上がっていた。

 

 「先生の奥さん超綺麗だったな!」

 「どこで出会ったんだろ……」

 「絶対強いよ、あの人」

 「なんで強い前提なんだよ」

 「いや、なんか……雰囲気?」

 

 ハリーは苦笑しながら、その会話が間違っていない気がしていた。あの女性、ただの一般人には到底見えなかった。立ち姿から伝わる圧、場に飲まれない静けさ──伏黒甚爾と共に立つだけで不思議な均衡を生み出す存在感。それを年齢も経験も違う子供たちが本能的に察してしまうほどだった。

 

 「……でも、ちょっと意外だった」

 

 ハリーがぽつりと言う。

 

 「え、何が?」

 「先生が……あんな顔するんだって」

 「どんな顔よ」

 「なんか……少しだけ、嬉しそうだった」

 

 3人は一瞬黙った後、同じ方向へ視線を向けた。

 大広間の奥、柱の影に寄りかかりながら、甚爾がグラスを片手に周囲を警戒するように目を走らせ、それから隣に立つ妻へ小さく何かを囁く姿が見えた。表情は硬いが、その口元には微かに笑の影が差している。

 

 「……うそ、ほんとに笑ってる……?」

 

 ハーマイオニーが驚きの声を上げ、ロンは箒でも飲み込んだような顔をして固まった。

 

 「やっぱ……奥さんなんだなぁ」

 「そうね。あの人の隣なら、そりゃ笑うわよ」

 

 ネビルだけは腕を組み、静かに頷いた。

 

 「先生も人間だしな。……まぁ、奥さん、すげぇ良い気配してたけど」

 「ネビルの“気配判定”は当てになるからなぁ」

 「うるせぇ」

 

 4人の笑い声が溶け、音楽が最高潮に達する。

 

 この夜は戦いや危険の影から解放された束の間の休息──だが、彼らの知らぬところで、すでに暗い波が静かに寄せてきていた。

 

 それでもいまは、ただこの時間を楽しむだけでよかった。

 

 

 そうして舞踏会は幕を閉じた。

 

 つい先ほどまで魔法の光と歓声で満ちていた大広間は、嘘のように静まり返っていた。長卓に並んでいた料理は影も形もなく、空のグラスや皿も跡形もない。暖炉の火だけが低く揺れ、その熱が消え残った香りとともに、かすかな余韻として空間を温めている。まるで先ほどの喧騒が幻だったかのように、床も壁も光沢を取り戻し、人気のない広間には冬の冷たい空気がゆっくりと流れ込んでいた。

 

 クリスマスが終わるかという深夜。

 ホグワーツ城の高み、時計塔の屋上に続く石段には冷えた夜気が満ち、外へ出ると一気に冬の星空が視界を占める。吐いた息が白く広がり、遠くの森の黒い稜線が月の光で薄く縁取られていた。

 その欄干に、男女が寄り添うように並んでいた。

 

 「まさかアンタがこんなとこで働いてるとはね、先生だなんて驚き」

 

 女の声は乾いた風に溶け、少し震えるように響いた。素肌を刺す冷気に頬を赤くしながらも、その瞳には好奇と少しの呆れが宿っている。ホグワーツの尖塔を背に立ち、遠い日本からここまで連れてこられたというのに、怯む様子は一つもなかった。

 

 「金が良いんでな、仕方なくやってる」

 

 甚爾は欄干に背を預け、片手をポケットに入れたまま淡々と答えた。夜気に触れた和装の袖が静かに揺れ、彼の横顔をかすめる月光は鋭い輪郭を柔らかく見せている。

 その口調にはいつもの皮肉と無関心があるが、どこか僅かに緩んだ色が混ざっていた。

 

 「殺しよりも?」

 女が小さく笑みを含ませて言った。

 

 「……さぁ」

 

 甚爾は視線を女へ向けた。

 その目は、敵を見る時の鋭さとは違い、何かを計りながらも完全には踏み込まない距離感を保っている。強すぎる風に耐えるように瞼を細め、ほんの数秒、静かに観察するような視線。

 

 月明かりに照らされた女の横顔は、都会的な化粧の陰影と自然の光が溶け合い、喧騒の大広間で見た時よりも静かで、艶めいた深さを帯びていた。強い意志と柔らかさが同居するその相貌は、甚爾でさえ美しいと感じさせるものがあった。

 

 「なぁ、お前もずっとここにいたらどうだ?ガキ共は鬱陶しいが、日本よりも()()だぞ?」

 

 甚爾の声音は淡白だったが、言葉の端には気安い誘いではない、微かに深い気遣いのようなものが滲んでいた。

 ホグワーツの夜風が2人の間を抜け、石造りの床を滑っていく。冬の魔力が空気を少し重たくし、遠くでは湖面に反射した月光が波紋を描いていた。

 

 「バカ、あたしにも仕事があんの。こう見えてもアンタより稼いでんのよ?殺しなんかせずにね」

 

 女は肩をすくめ、冷たい風に揺れる髪を耳にかけ直した。指先には微かな震えがあったが、その瞳にはブレがない。都会のオフィスで飛び交う数字、明滅するモニター、複雑な交渉──彼女の世界は刀ではなく言葉と知恵で渡る場所で、甚爾とは正反対の生き方をしている。しかし、その違いがふたりの関係を壊すことはなかった。

 

 「へっ、羨ましいこった」

 

 吐き捨てるような甚爾の声。その奥に皮肉と、ほんのわずかな尊敬と、そして別の感情が重なっていた。

 2人の間に静かに沈む沈黙は、気まずさではなく、長く会っていない恋人同士だけが共有できる緩やかな間だった。

 

 塔の上には冷たい月が浮かび、冬の風が石造りの欄干を撫でるたびに衣擦れの音が微かに響く。遠くからは、まだ片付けをしている妖精たちの足音がかすかに伝わり、夜のホグワーツはゆっくりと眠りに入ろうとしていた。

 

 深い静寂の中、2人は肩を並べて夜空を見上げる。

 

 その距離は、互いの沈黙が埋めるには十分で、言葉にしなくても伝わる何かが確かにそこにあった。

 

 その頃、グリフィンドール塔に戻り、厚い毛布に包まれてベッドへ潜り込んだハリー・ポッターは、ようやく身体の力を抜いた。しかし瞼を閉じた途端、意識は暗闇の底へと沈み込み、彼はまたあの夢を見始めた。冬の冷気が石造りの壁を通して肌に触れていたはずなのに、夢の中では一転して重い熱気と湿り気を帯びた空気が漂い、まるで別の世界へ踏み込んだような錯覚に包まれた。

 

 そこはどこかも分からぬ陰鬱な墓地だった。空には月も星もなく、雲が厚く覆いかぶさり、風すら吹かない静寂だけが広がっている。冷たい霧が地面から立ち上り、ハリーの視界を白く侵食していく。墓の中央には大鎌を構えた死神の像がひっそりと立ち、その彫像が今まさに歩み出しそうなほど生々しい光沢を帯びていた。それがゆらりと近づいてきたように見えた瞬間、視界が暗転した。

 

 次に意識が浮上した時、ハリーはまた別の場所に立っていた。今度は古い家の中だった。板張りの床は湿気で反り返り、壁には剥がれ落ちた壁紙がぶら下がり、どこかで水が滴る音が続いている。外の風が吹くたびに家全体が軋む音を立て、まるで生き物が呻くように空気が震えた。

 ハリー自身がそこにいるのか、それとも誰か別の人間の視界を借りているのか、それすら分からない。だが階段の一段一段を踏むたびに、木が軋む感触が足裏に伝わってくるような鮮烈さがあり、夢だと分かっていても逃げられない現実味があった。

 

 階上から、低く押し殺したような声が聞こえた。

 

 (この家には誰もいないはずなのに……)

 

 そう思っても足は勝手に動き、薄暗い廊下の奥へと進んでいく。やがて部屋の扉が半開きになっているのが見えた。そこから洩れる光は赤黒く、火の粉のように揺れている。

 ドアの隙間から覗き込むと、部屋の中央に大きな椅子があり、その背凭れに隠されて座っている人物の顔は見えない。しかしその存在感は異様で、人の形をしていながらも人ではない冷たい気配が肌を刺し、胸の奥がざわつくような不快な寒気が走った。

 足元には巨大な蛇がとぐろを巻き、黄色の瞳が闇を裂いていた。その周囲で、ピーター・ペティグリューと見知らぬ男が跪き、身をすくませながらその椅子に向かって何かを必死に訴えている。

 

 「『もう一度見せよ……』」

 

 その声は、耳ではなく脳髄を直接撫でるような悍ましさを孕んでいた。音というよりも呪いのように響き、空気の温度を一瞬で下げる冷たさがあった。

 命じられた男は震えながら裾をまくり上げた。白い腕の内側には、蛇が髑髏に巻き付いた闇の印――死喰い人の印が、まるで生き物のように蠢き、皮膚を焼くような光で轟いていた。

 それを見て椅子の主は満足げに息を漏らした。

 

 「『いよいよ時は熟したようだ』」

 

 部屋全体の空気がねっとりとした魔力で満たされ、ハリーは扉の外に立ったまま、その凍りつくような威圧感に押しつぶされそうになった。逃げたいのに、足は床に縫い付けられたように動かない。

 

 「『おぉ!! ハリー!! 現れたか!!』」

 

 突然、椅子の主が名を呼んだ。ありえないはずの呼び声が、どす黒い笑いと共に耳へ突き刺さる。

 ハリーが息を呑んだ瞬間、ピーターがニヤついた顔で振り返り、禿げた頭をいやらしく光らせながら、ゆっくりと近づいてきた。灰色に濁った目が、捕らえた獲物を見るように細められている。

 

 「『そこをどけワームテール、客人を歓迎申し上げねば』」

 

 椅子の主がそう告げると、ピーターはお辞儀をしながら横へ退いた。

 視界の正面――

 そこに、緑の閃光が生まれた。

 

 眩いほど鮮烈な死の光が世界を塗りつぶす。

 

 次の瞬間、ハリーは跳ね起きた。

 

 「ハッ!!」

 

 胸が上下し、息が荒い。額から汗が流れ落ち、寝巻きが背中に貼り付いている。部屋は暗く、静かで、ただ窓から冷たい風が入り込み、現実に引き戻すように肌を撫でた。

 彼は震える指先で眼鏡を探しながら、小さく呟いた。

 

 「また……あの夢だ……」

 

 今学期が始まるより前から繰り返し見る悪夢。

 

 その内容は少しずつ鮮明になり、まるで誰かが“見せている”かのように具体性を増していた。ハリーは胸の奥にひどく嫌な予感が渦巻くのを感じながら、暗闇の中で息を整えようとした。

 

 冬の静寂が、やけに重くのしかかっていた。

 

 

 そうしてクリスマスは何事もなく過ぎ去った。大広間を賑わせた華やかな舞踏会も、翌朝には何事もなかったかのように清掃され、古い石造りの空気だけを残して静寂が戻ってきていた。伏黒甚爾が自ら伴って現れた“妻”の存在はホグワーツ中に衝撃を走らせ、とくに甚爾に淡い憧れを抱いていた女生徒達の中には、しばらく寝込んだ者までいたらしいが、それは甚爾本人にとってはどうでもいいどころか、耳に入っても反応すらしない程度のことだった。

 

 クリスマスが終われば次に来るのは冬休みだ。各寮の談話室ではトランクを閉じる音、フクロウの鳴き声、帰省する生徒達の弾んだ声が飛び交い、石造りの廊下には一時的な喧騒が満ちていた。列車に乗って家へ戻る者もいれば、ホグワーツに残って休暇を過ごす者もいる。

 その中でハリー・ポッターは例年通りここに残る選択をした。ロンも残る。家族の多いウィーズリー家ではよくあることで、ロンにとってもホグワーツで年を越すのは珍しいことではなかった。一方でハーマイオニーとネビルは家へ帰っており、談話室はいつもより少し静かで、吹き抜ける冬の風の音が耳に残るほどだった。

 

 しかし、ハリーの心は休暇の静けさとは裏腹に落ち着かなかった。クリスマスの夜に見たあの夢が、まるで濃い墨汁のように意識の奥底に沈殿し、何度頭を振っても離れてくれない。それどころか、あの夜以降も同じ夢が繰り返し続き、断片的だった映像は次第に鮮明さを増し、まるで誰かに“覗かされている”かのような嫌な感覚さえあった。

 

 「なぁハリー、その怖い夢さ。フシグロ先生とかダンブルドア先生に相談してみろよ。怖くねーか?」

 

 昼下がりの談話室、暖炉の火が柔らかく爆ぜる音の中で、ロンがハリーの肩を小突いた。ロンの声はいつもの調子だが、その目の奥にはわずかな心配が滲んでいる。鍛えられた大柄な身体に似合わず、友に対しては昔から変わらぬ気遣いを向けるのがロンだった。

 ハリーは少し俯きながら曖昧に頷いた。

 

 「うん……でも、なんて言えばいいか……分からなくて」

 

 夢の中には、はっきりとピーター・ペティグリュー――ワームテールの姿があった。去年、再び生者の世界へ戻ったシリウスの冤罪を証明し、その後どこかへ逃げ去った男。あいつが夢に出るだけなら気味が悪いで済んだだろう。しかし、彼の夢は“見知らぬ家”の内部を細かく描写し、何を話しているか、どんな光が揺れているか、そこにいる人物の視線まで感じ取れるほど現実味があった。

 

 (本当に……夢なのか?)

 

 そんな疑念が胸に渦巻き続けていた。夢であればいい。しかし、もしこれが“繋がっている”のだとすれば、彼はすでに危険の中へ片足を踏み入れていることになる。

 

 ロンは眉をひそめながら言った。

 

 「ハリー、何かあんだろ?だって、お前寝てても身体がビクッてなってたし……あの夢、普通じゃねぇよ。ほら、フシグロ先生なら気配とか匂いとか、そういう変な……いや、すげぇ感覚で何か分かるんじゃねぇか?」

 

 「……そうだね。僕も誰かに話した方がいいと思ってる」

 

 2人は立ち上がった。廊下に出ると、冬特有の冷気が頬を刺した。石壁に触れる空気は外気をそのまま飲み込んで冷えており、そこに暖炉の温もりがじわりと混ざっている。誰もいない廊下を歩くたび、靴音がやけに大きく反響した。

 

 「とりあえず、飯行こうぜ。先生ならだいたい食堂にいるだろ?」

 

 「うん、そうだね」

 

 そうしてハリーとロンは大広間に向かった。

 昼時の大広間は外の寒さとは対照的に温かく、食事の香りが漂っている。高い天井には陽光が揺らめき、魔法で温められた空気がテーブルの上を柔らかく包んでいた。

 

 いつもの時間に――

 伏黒甚爾は、そこにいるはずだった。

 

 ハリーは胸の奥の不安を押し込みながら、彼を探すために歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 冬休みに入った。雪が積もるほどでもねぇが、外気の冷たさは肌に触れるだけで刺さるようで、城の石壁まで冷え込んでやがる。それでも大広間の中だけは魔法の暖房だか焚火の術式だかで程よく温かく、鼻を抜ける香りもいつもの飯の臭いで落ち着く。俺はいつも通りホグワーツに居残りだ。女?あいつはとっくに日本へ帰った。ダンブルドアが連れてった。次に会うのは…まぁ、また向こうの気分が乗った時だろう。いちいち考えるもんじゃねぇ。

 

 大広間に入って空いた席に座り、ひと息つく。冬の空気を吸っていたせいか、鼻の奥に残る冷たさがようやく溶けていく。テーブルに肘をつきながら適当に声を出す。

 

 「中華、レバニラ炒め、トマト卵炒め、白飯、中華スープ」

 

 言った瞬間、湯気と共に料理が現れた。音すらしねぇ。屋敷しもべ妖精の仕事はいつもながら手際が良すぎる。まぁ、俺が数ヶ月前に“少しだけ”躾けた結果だ。頼んだら秒で出す、雑に扱うな、味は落とすな、それだけ徹底させればこの有様だ。魔法生物は素直でいい。

 

 箸を取り、レバニラを摘み上げる。ニラの強い匂い、レバーの独特の鉄の臭い、湯気の温度。その全部が腹に染み渡っていく感じがした。口に放り込む直前、大広間に甲高い声が響いた。

 

 「あ!先生ー!!!」

 

 「やっぱいた!」

 

 「チッ」

 

 煩せぇガキの声と同時に、思わず舌打ちが出た。なんで毎回こういうタイミングで来るんだ。飯ぐらい静かに食わせろ。レバニラを皿に戻し、声のする方を見ると、ハリーとロンがこっちへ小走りで向かってくるのが見えた。息が弾んでるくせに、妙に嬉しそうな顔しやがって。

 

 そして何も言わず、当然のように俺の両隣へ座った。

 

 「なぁ、俺は今飯を食おうとしてたんだ、邪魔すんな」

 

 言いながら横目で睨むが、ロンはお構いなしにニコニコしている。あいつのその無神経な明るさは、嫌いじゃねぇが今はムカつく。

 

 「まぁまぁそう言わないでくださいフシグロ先生」

 

 ムカつく顔で笑うから余計腹が立つ。俺は溜息をひとつ吐いて、ようやくハリーの方を見る。

 

 「フシグロ先生、ちょっと相談があるんです」

 

 相談。ろくでもない予感しかしねぇ。ハリーの顔をじっと見れば、魂の輪郭がわずかに揺らいでいる。火のゆらぎみてぇに、微妙に形が崩れては戻ってる。あれは普通の疲労じゃねぇ。魂に別の気配が触っているせいだ。

 

 薄い霧のような、粘つくような、どす黒い魔力の残滓がハリーの胸のあたりに薄く張りついて見える。呪術で言えば“憑きかけ”ってやつに近い。完全じゃねぇが、侵食が進めば精神を乗っ取られてもおかしくない。

 

 「相談?なんだ?」

 

 「最近夢を見るんです」

 

 ハリーは言葉を続ける前に、小さく喉を鳴らした。声の奥に恐怖が滲む。一つ吐き出すたびに気配が揺れる。こいつ、相当参ってるな。

 

 「夢…というか、毎回同じ場所で……同じ声がして……何かを“見せられてる”みたいなんです」

 

 “見せられてる”。そこに自覚があるだけまだマシだ。だがその感覚を言語化できるってことは、向こう側の気配がかなり強く干渉してきている証拠だ。普通の夢ならこんな表現にはならねぇ。

 

 「どんな夢だ」

 

 レバニラの匂いとスープの湯気が混じる中、ハリーは深く息を吸って語り始めた。

 暗い墓地。死神の像。知らねぇ家の階段。椅子に座る見えない何か。巨大な蛇。ピーター・ペティグリュー。緑の閃光。

 一語一句が生々しく、聞けば聞くほど“夢”で済ませられる代物じゃねぇ。

 

 「最後に光が……緑の……たぶん、呪文の……で、目が覚めて……」

 

 そこまで言うとハリーは黙り込み、拳を膝の上でぎゅっと握りしめた。その肩から微量の魔力が漏れ、空気を震わせる。恐怖と緊張が混ざった匂いが肌に張りついた。

 

 俺は深く息を吸って、気配を読み取る。

 夢の残滓がまだハリーの身体にまとわりついている。それは間違いなく“向こう側”の魔力だ。

 強い。粘つく。冷たい。

 そして何より“蛇”の臭いがする。

 

 「……それ、夢じゃねぇな」

 

 俺がそう言った瞬間、ハリーの肩が跳ねた。ロンも息を呑む。

 

 「“誰か”がお前を通して何かを見ようとしてる。あるいは、お前に見せようとしてる」

 

 「だ、誰が……」

 

 「まだ分からねぇ。だが、お前の魂に触れられるレベルの化物なんざ、そう多くはねぇ」

 

 ハリーの青い目が揺れる。手の甲に浮かんだ血管が強張り、指先に力が入りすぎて白くなっているのが見えた。

 

 「フシグロ先生……どうすれば……」

 

 「まず、今日から俺の監視下に入れ」

 

 もう既に入ってるが。

 

 「えっ……?」

 

 「お前の魂に触れる“何か”を切り離すには、最低でも気配の流れを読める奴がそばにいなきゃ無理だ。ジジイにも話す。これは放っときゃ死ぬぞ」

 

 ロンが青ざめて口を開いた。

 

 「し、死ぬ!?」

 

 「魂を引っ張られ続けりゃそうなる。身体が壊れる前に心が壊れる。どっちにしろロクな末路じゃねぇ」

 

 ハリーは唇を噛み、だが逃げるような気配はない。ただ恐ろしさを飲み込み、それでも目を逸らさなかった。

 

 「分かりました……お願いします」

 

 「よし。だったらまず飯を食え。弱ったままじゃ寝込みを襲われる」

 

 そう言ってレバニラを口に放り込む。熱が舌に広がり、鉄の味が喉奥に落ちていく。

 ガキ共の相談は面倒だが――放っといたら本当に死ぬのは目に見えてる。

 

 (まったく……冬休みぐらい静かに過ごさせろってんだ)

 

 そんな愚痴を胸の中でだけ吐きながら、俺は次に何が必要かを計算していた。

 ハリーの魂に触れている“蛇の気配”。

 そいつの正体に、もう心当たりがないわけじゃなかった。

 

 飯をかっ込んで、ガキ共が皿を空にするのを横目で見届けた俺は、ハリーの腕を掴んで大広間を出た。魂の輪郭が揺れ、皮膚の裏にざらりとした魔力の逆流みてぇな違和感が張り付いていたからだ。あれは放っとくと悪化する。ロンも心配らしく後ろから付いてくる。

 

 冬休みのホグワーツは静かだ。廊下の魔力の流れは薄く、石造りの壁が息をひそめているように冷えている。ときおり窓から吹き込む外気が頬を刺し、俺の皮膚感覚に細い痛みとして残る。戦場の夜ほどじゃねぇが、悪寒は走る。

 

 校長室に入った瞬間、湯気と一緒に緑茶の匂いが鼻に抜けた。ジジイが椅子に座り湯呑を持っていた。机の上には駄菓子。相変わらず緊張感のねぇ部屋だ。

 

 「フシグロ君……おやハリーとロン、どうしたのかね?」

 

 俺は返事もせずにハリーの肩を押し、ジジイの正面に立たせた。

 

 「ジジイ、どう見える」

 

 ジジイは細い目をさらに細め、ハリーの顔を覗き込んだ。

 

 「ふむ……魂が揺れておる。外から何者かが触れておる気配じゃ」

 

 俺が察していたものと同じだ。魔力も呪力も持たねぇ俺でも、天与呪縛で強化された肉体感覚は魂の歪みを“匂い”として感じる。ハリーから漂っていたのは、生暖かい湿った気配。呪物に触れたときの嫌な粘り気に似ていた。

 

 「おいハリー、夢の内容を全部話せ」

 

 促すと、ハリーは拳を握りしめ、ゆっくり口を開いた。

 

 「……暗い場所でした。墓地みたいで……誰かの家に移動して……そこにピーターがいて、椅子に座った“何か”と話していて……僕の名前を呼ばれて、緑の呪いが飛んできて……そこで目が覚めたんです」

 

 声が震えている。ロンも横で青い顔をしていた。

 

 ジジイは深く息を吸い、湯呑を机に置く。

 

 「……これは、ヴォルデモートがハリーに“触れようとしている”証拠じゃ」

 

 空気が一気に冷えたように感じた。実際に室温が下がったわけじゃねぇ。だが、魔力の流れが一段重くなる感覚は俺にも分かる。

 

 ハリーは目を見開き、唇が引きつって動かない。

 

 「やはり奴は生きてるんですね。でも、な、なんで僕に……」

 

 ジジイは静かに続けた。

 

 「彼は未だ肉体を持たぬ。だが、かつての“繋がり”ゆえに、そなたの心へ触れることができる。放っておけば、夢だけでは済まぬ。心を覗かれ、操られ、記憶を差し替えられる危険すらある」

 

 「……」

 

 ハリーの肩がわずかに落ちた。だが情けねぇ顔ではない。状況を理解した上で恐怖を飲み込む“覚悟”の揺れだ。こいつは本来臆病だが、肝は据わっている。

 

 ジジイは杖を軽く振り、空中に淡い光を描いた。波紋のように広がり、すぐ消える。

 

 「“閉心術”という魔法がある。心を閉ざし、外部からの侵入を拒む術じゃ。セブルスも得意な術で、かつて彼は己の秘密を守るために磨き上げた」

 

 俺は椅子を蹴ってハリーの真正面に立った。

 

 「よし、そこに立て。ジジイが理屈を教えるなら、俺は身体で覚えさせる」

 

 「え、えっ?」

 

 俺は胸の前で腕を組み、呼吸を整えるハリーを見下ろした。こいつの呼吸は浅く、肩が上がっている。心が開いたままの奴の特徴だ。

 

 「いいか、ハリー。閉心術ってのは“魔法”だけじゃねぇ。体の芯で拒む感覚をまず覚えろ」

 

 ジジイも頷く。

 

 「心を固く閉じるには、強い意思と集中が必要じゃ。思考を散らすな。恐怖は敵じゃ。己の中心に深く潜り、外界の波を遮断するのじゃ」

 

 俺は言葉を続けた。

 

 「簡単に言やぁ“心の扉をぶっ壊して閉め直す”感覚だ。お前の中にある記憶も感情も全て、他人に触らせねぇ壁で囲う。殴られそうになったら無意識に肩が上がるだろ。その反射を、心に向けてやる」

 

 ハリーは真剣に頷き、目を閉じた。

 

 ジジイは杖を横に置き、静かに声をかける。

 

 「ではハリー、心の中に“火炉”を思い描きなさい。暖かく、小さく、誰にも触れさせぬ焔じゃ。その焔を覆うように、厚い“領域”で囲うのじゃ」

 

 ハリーの眉間に力が入る。呼吸がゆっくり落ち着き、肩の位置が下がっていく。

 

 ……悪くねぇ。

 

 俺はハリーの頭頂にそっと手を置き、皮膚越しに魂の揺れを感じ取った。さっきまで滲んでいた外からの冷たい気配が、薄い膜の向こうへ押し返されるように弱まっていく。

 

 「その調子だ。余計な雑音(考え)を全部捨てろ」

 

 「……はい」

 

 ハリーの声はかすれているが、揺れはない。

 

 ロンが小さく息を呑んだ。

 

 ジジイは穏やかに微笑んだ。

 

 「よいぞハリー。そのまま続ければ、ヴォルデモートの干渉は弱まる。完全に遮断するのは難しいが、そなたならば必ず習得できるじゃろう」

 

 俺は手を離し、短く言った。

 

 「――続けろよ。油断した瞬間に入り込まれる。閉心術の訓練は毎晩やれ」

 

 ハリーは深く頭を下げた。

 

 「……はい、先生。ダンブルドア先生。僕、絶対に負けません」

 

 その声に迷いはなかった。魂の輪郭も先ほどよりずっと固い。

 

 ジジイは湯呑を持ち直し、満足げに言った。

 

 「フシグロ君、やはりそなたの“指導”は効き目があるのぉ」

 

 「……あぁ。殴ってねぇだけありがたく思えよ、ガキども」

 

 俺は踵を返し、寒い廊下へ歩き出した。背後でハリーの呼吸が安定していく気配が、微かに温かく感じられた。




ハリーはジュニアの顔を知りません。名前だけ知ってます。
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