ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十八話

 

 

 

 

 そうして年が明け、あっという間に3月になった。冬の冷えはまだ石造りの廊下に残っていて、朝の巡回では吐いた息が白く伸びる。風に流されるその線の細さで、どれだけ外気が冷たいかが分かる。ホグワーツの空気は魔力の流れと温度が同調しているから、季節の移ろいが肌に刺さるように感じられるのは悪くねぇ指標だ。

 

 この2か月、特に大きな騒ぎはなかった。アラスター――いや、化けているジュニアは相変わらず不自然な動きをしていたが、暴走するほどじゃない。ジジイとスネイプが奴の周囲に結界のような警戒網を敷いていたこともあり、今のところ奴は牙を剥く隙を得られねぇでいる。とはいえ、そろそろ動く頃だという直感もあった。魔物でも呪霊でも人間でも、追い詰められる前の静けさには特有の臭いがある。湿った鉄臭さとでも言うか、ハリーにまとわりついていた嫌な気配に似ていた。

 

 そんな中、ドビーから届いた報告は思っていた以上に核心を突いていた。

 

 「アズカバンにクラウチ・シニア様の奥様がおられましたぁ!」

 

 あの間延びした声の裏に、鋭く光る情報があった。アズカバンでジュニアから感じたざらつく違和感。魂の匂いが“本物”と違っていた理由。それがようやく腑に落ちた。奴は母親と入れ替わって脱獄した。アズカバンの看守は吸魂鬼だから、奴らが感知するのは肉体より魂の位置だ。魂の在り処を誤魔化せば脱獄は可能。方法としては最低だが、筋は通っている。

 

 それを許したシニアも相当だ。息子を刑務所に入れながら、しかし妻の遺言には逆らえず脱獄に手を貸す。家族想いと言えば聞こえはいいが、その実、ただの優柔不断だ。仕事に甘いタイプの人間は、必ずどこかでボロを出す。

 

 実際、今もシニアは何食わぬ顔で対抗試合の運営に参加している。規則だの手順だの、魔法省の意向がどうのこうのと能弁を垂れてはいるが、目の前にいる息子が別の姿で暗躍していることには全く気づいていない。俺からすれば、お笑いだ。親子でつるんで世界を混乱させるにしては、あまりにも間抜けな構図だった。

 

 だが間抜けでも、危険は危険だ。ジュニアは狂気じみた忠誠心を持っている。ヴォルデモートのためなら手段を選ばねぇ。そのしつこさは呪霊の残穢並みに鬱陶しい。

 

 そんなことを考えていたら、目の前でジジイが茶を啜って言った。

 

 「ではフシグロ君、選手達の“大切なもの”を奪ってきてくれるかの?」

 

 俺は茶菓子の袋を押しのけながら短く返す。

 

 「……あぁ」

 

 第二の課題――“湖の奪還”。生徒の“大切なもの”を奪い、水中人の住む湖の底に縛り付け、選手たちに取り返させる。魔法界のイベントのくせに、やることは妙にダークだ。あれが正式な競技というのがどうにも理解できねぇ。ホグワーツは年に1回は子どもを危険に放り込まなきゃいけない呪いでもかかってんのか?

 

 湖の底に棲む水中人――マーピープル。人間と違う価値観を持ち、湖底に文明を築き、縄張り意識も強い。以前、魔法生物の専門家ニュート・スキャマンダーがホグワーツに来て、わけのわからねぇ優しい声色で奴らを説得していたのを覚えている。俺にはただの水中の怪物にしか見えんが、魔法界では知的生命体らしい。まぁ同意を得ているなら問題はねぇ。

 

 問題は――奪う側だ。

 

 選手たちの“大切なもの”。その定義もまた魔法界らしく曖昧だが、今回の場合は舞踏会のパートナーか、家族、恋人が該当するらしい。ジジイ曰く、本人が無意識に“守りたい”と強く思っている相手が選ばれる。

 

 セドリックならチョウ・チャン。恋人未満友達以上ってところか。

 

 フラーは妹。あの家族愛の強さなら順当だ。

 

クラムは舞踏会で選んだホグワーツの女生徒。誰だったか名前は忘れたが、わりと落ち着いた雰囲気の奴だった。

 

 そしてハリー。選ばれたのはエロイーズ・ミッジェン。俺式の地獄の鍛錬で顔つきも体つきも変わり、今じゃ4年の女子で一二を争う美人。ハリーの心がそっちに傾いてるのも分かる。あのガキ、強くなると女の好みも変わるのかもしれねぇな。

 

 で、俺の仕事は――

 

 誘拐。

 

 まぁ“演出”の一環だから大げさなもんじゃない。水中人との契約がある以上、危険は最小限に管理されている。とは言え、相手を傷つけず気絶させ、湖底まで運ぶのは骨が折れる。特にネビルみたいに筋肉のついた奴を運ぶのならともかく、一般の女子学生は魔力的にも精神的にも脆い。扱いを誤れば事故になる。

 

 俺は深く息を吐き、椅子から立ち上がった。ホグワーツの空気が微かに揺れ、外の風が遠くで唸っている。湖の底の魔力が、まるで生き物のように蠢くのが分かる。水圧、暗闇、冷気――そこへ人間を運ぶんだ。呪霊を放るより繊細だ。

 

 「ジジイ、オレが奪ってくる。だが生徒に指一本触れさせねぇように、水中人の契約内容もう一度確認しておけよ」

 

 ジジイは笑みを浮かべた。

 

 「ホッホッホ、任せておくれ。フシグロ君の腕なら大丈夫じゃろうて」

 

 まったく気楽なもんだ。

 だが、仕事は仕事だ。

 

 誘拐に行くとするか。

 

 まず向かうのはセドリックの大切なもの、チョウ・チャンにしようと思った。青い寮服を着て湖を眺めている姿を何度か見かけたことがあるが、あの落ち着き払った雰囲気の裏には鋭い観察眼と、俺の授業で鍛えられた反応速度が隠れている。あのガキに一瞬で近づくには、こちらも多少丁寧にやる必要がある。もっとも、こっちは殺しではなく誘拐だ。加減は必要だが、同時に“痕跡を残さない”というのが今回の肝になる。

 

 夜のホグワーツは冷え込んでいた。石壁が吸った湿気が皮膚に触れ、呼吸をするたびに肺に薄い冷気が入り込み、俺の体温とぶつかって微かな刺激を残す。月は雲の切れ間から顔を覗かせたり隠したりしていて、光の強弱が廊下の影を伸ばしたり縮めたりしていた。こういう環境は俺にとって都合がいい。気配の波が揺れ、相手の判断力を鈍らせるからだ。

 

 レイブンクロー寮の前に立つと、例の鷲の扉がいつもの調子で喋った。

 

 「『謎を解け』」

 

 毎度くだらねぇ。だがこいつを破ろうとすると騒ぎになる。仕方なく与えられた問題を聞き、即答する。鷲は満足したように翼を広げ、扉が開いた。

 

 寮内は清潔で香が薄く、壁際には本棚、足音を吸う長い絨毯。チョウの気配はすぐに分かった。魔力の流れ方が均整で、呼吸が深い。寝ているどころか、部屋で本を読んでやがる。勉強熱心なことだ。

 

 俺は足音を完全に殺し、廊下を滑るように進む。扉の前に立つと、内側の空気の揺らぎでチョウがページを捲った瞬間の微かな動きが伝わってくる。今扉を開ければ即座に気づかれる。なら――“誘う”方がいい。

 

 ノックをしなかったのは、相手の思考を少し乱すためだ。ドアノブを静かに回し、わずかに隙間を作る。その瞬間、チョウの視線が跳ねた気配が伝わってきた。

 

 「……誰?」

 

 声の高さ、呼吸の浅さ——警戒している。レイブンクローのガキ特有の理詰めの慎重さだな。

 

 扉を開けると、チョウが椅子から立ち上がり、杖を構えた。姿勢は悪くねぇ。肩のラインが崩れないのは俺の授業を真面目に受けていた証拠だ。

 

 「フシグロ先生……深夜に何の用ですか?」

 

 察しが早い。だが、声が揺れている。理由が分からない状況で、俺が寮に来るなんざ“異常事態”以外の何物でもないからだ。

 

 「悪いな。少し付き合ってもらうぞ」

 

 その言葉の瞬間、チョウの気配が鋭く跳ね上がった。理性で動く優等生が、本能で“危険”と判断したとき特有の反応だ。

 

 「いや……待っ――!」

 

 杖先に魔力が集まった。防御呪文ではない。牽制の閃光だ。逃げるつもりか。意外と根性がある。

 

 が、その魔力が形になる前に、俺はもう動いていた。

 

 筋肉の収縮音すら発さない踏み込み。足裏と絨毯の間に生まれる摩擦が風のように逃げ、俺の体はチョウの死角へ一瞬で入り込んだ。視界がぶれたように見えるのは、俺の動きに空気が引きずられたからだろう。

 

 チョウの魔力が弾ける前、喉元に俺の指が触れた。

 

 衝撃は与えない。ただ、意識のスイッチを落とすように。喉にある特定の神経を一瞬だけ圧迫し、脳への信号を断つ。力はいらない。タイミングと角度だけが重要だ。

 

 「……っ」

 

 チョウの身体が崩れた。倒れる前に抱きとめ、無音のまま支える。息は浅く、だが安定している。苦痛もない。ただの気絶だ。痕も残らねぇ。

 

 抵抗は悪くなかった。むしろ上出来だ。ここ数年のガキ共の中では反応が鋭い方だろう。

 

 「やれやれ……訓練の成果ってやつか」

 

 俺はチョウを抱えながら寮の出口へ向かう。途中で巡回している生徒や寮長とすれ違う気配があったが、全員深い眠りについていた。屋敷しもべ妖精が手を回したのか、それともジジイの命令か。まぁどちらでもいい。

 

 廊下の冷えた空気が、気絶したチョウの体温と混ざり、腕に柔らかな重みと熱を伝える。脈は落ち着いていた。問題なし。

 

 レイブンクロー塔から出ると、湖から吹き上げる風が頬を撫でた。夜気は冷たく、遠くの水音が静かに響いていた。今からこいつを湖の底まで運ぶのは面倒だが、この課題のためなら仕方ない。

 

 「次は誰だったか……フラーの妹か」

 

 誘拐はまだ始まったばかりだ。ガキ共の“守るべきもの”を預かるのは骨が折れるが、これも仕事だ。やると決めた以上、完璧にこなす。

 

 担いでいたチョウを桟橋の上にそっと下ろした。湖面から吹き上げてくる湿った冷気が、寝巻き越しにあいつの肌を撫でるのが分かる。体温を奪われすぎると面倒だが、ここでの段取りは全部屋敷しもべ妖精に任せてある。水中人との連携、浮遊の呪文、保温用の魔法道具――そういう細けぇ準備はジジイと妖精の仕事だ。俺がやるのは、決められた時間までに“決められた獲物”を静かに並べておくことだけだ。

 

 「後は任せる」

 

 桟橋の木板を軽く爪先で叩くと、すぐ足元の影が揺れた。湖の水に魔力の波が走り、水中人の気配と、妖精どもの小さな気配が混ざって立ち昇る。チョウの身体がふわりと浮き、音もなく水面へと滑っていく。目を覚まさないように魔法がかけられているのだろう。湖面が小さく波打っただけで、すぐに闇に溶けた。

 

 「……次だな」

 

 夜気を肺いっぱいに吸い込む。冷たい空気が喉から胸へと滑り込み、血の温度とぶつかってじわりとした熱を生む。その感覚で自分の筋肉の状態を確かめる。疲労はない。神経も静かに澄んでいる。なら、あと何人でも運べる。

 

 城へ引き返す途中、雨の匂いがした。まだ降ってはいないが、空気の層が変わる瞬間の、鼻の奥がピリつくあの匂いだ。湖と森と石壁の匂いが薄く混ざり合い、その上に雪の気配が重なる。静まり返った校庭に、俺の足音だけがない。踏みしめるたびに靴裏と地面の間で生まれた力は、膝から腰へと抜いて殺す。動きの起点と終点を自分の骨格の中で完結させれば、外に漏れる気配は最小限で済む。

 

 次の目的地はボーバトンのガキ共が寝ている部屋だ。フラーの妹――ガブリエルだったか。まだ年端もいかないガキで、警戒心なんざほとんどねぇ。だが、常にフラーの側にくっついている。ホグワーツで授業を受ける時も、飯を食う時も、風呂に行くのも寝るのも一緒。守ることに関しては、フラーもなかなかしつこい性格をしている。

 

 「……家族想いねぇ」

 

 そういう手合いは嫌いじゃない。守るべきものを持っている奴の方が、いざって時に踏み込みが深くなる。ギリギリの場面で“自分のため”よりも一歩踏み込める奴は、鍛え甲斐がある。

 

 城壁の外れに作られたボーバトン用の部屋は、4つの寮とは少しだけ趣きが違う。扉の前には例の絵画の貴婦人が、気取った顔で座っていた。こいつはグリフィンドールと同じ系列の奴だ。何度か酒とつまみを差し入れしてやったから、俺の顔と匂いは覚えている。

 

 「よう」

 

 「『あら、甚爾くんじゃない。話は聞いているわ……どうぞ』」

 

 妙に艶っぽい声で言いやがるが、相手が油絵なのを思い出して、どうでもよくなる。

 

 「助かる」

 

 「『い、いいのよぉ』」

 

 貴婦人の身体がキャンバスの中でゆらりと揺れ、扉の錠が内側から外れる気配がした。絵画が門番ってのもどうかと思うが、ホグワーツに来てからだいぶ慣れちまったな。

 

 中に入ると、暖気が肌を撫でた。ボーバトンの連中は寒さに弱いのか、ホグワーツの他の部屋に比べて少し暖かい。甘い香水と焚きしめた香の匂い、それに女の髪や肌の匂いが薄く混じっている。空気は柔らかく、魔力の流れも緩い。ここは戦場じゃない、ただの寝室だという油断が空間そのものに染みついている。

 

 廊下を進むと、板張りの床がわずかに軋んだ。だが、軋む前に足の力を抜き、木材が悲鳴を上げる寸前で止める。膝と足首の角度をほんの少し変えてやるだけで、床にかかる荷重のかかり方が変わる。こういう細かい誤魔化しは、呪力も魔力も関係ない。ただ、人間の骨と筋肉の使い方を知っているかどうかだ。

 

 フラーの部屋の前に立つ。内側から、小さな寝息が2つ、重なって聞こえた。片方は年長者の規則正しいリズム、もう片方は子供らしい、ところどころ引っかかるような浅い呼吸。間違いなく目的のガキだ。

 

 ノブに手をかける前に、一度目を閉じた。扉の向こうの空気の揺れ方、ベッドの軋みが最後に鳴ったタイミング、窓から入る外気の冷たさ――そういった断片から、室内の配置を頭の中に描いていく。扉を開けて3歩、左側の壁際に大きいベッド、その手前に小さい影。フラーが妹を腕の中に抱いて寝てやがるな、多分。

 

 「……ちっとだけ面倒だな」

 

 静かに扉を開ける。蝶番に油が差してあるのか、音は出ない。部屋の中は柔らかなランプの明かりが落ちていて、完全な暗闇ではなかった。薄い布越しに月光も差し込んでいる。ベッドの上には、予想通り2人がいた。金色の髪が同じ方向に流れ、姉が妹を庇うように腕を回している。

 

 フラーを起こさず、ガキだけを抜く。楽勝と言ったが、力任せにやれば話は変わる。こういうのは“構え”よりも“抜き”が大事だ。まずは自分の呼吸を落とす。鼓動を静かに沈め、筋肉の緊張をほどく。全身を弓ではなく縄のようにして、いつでも長さと形を変えられる状態に持っていく。

 

 ベッド脇まで近づくと、フラーの魔力が肌を掠めた。眠っていても、守る対象が腕の中にいるときの女の気配は鋭い。肩にかかった毛布をほんの少しずらしただけで、彼女の呼吸が短く跳ねた。

 

 「……ん」

 

 眉がわずかに寄る。目蓋が持ち上がりかける。その瞬間、俺は片手でフラーの額に触れた。生え際から頭頂へと滑らせるようになぞり、掌でごく弱く圧をかける。呪文でも何でもない、ただの按圧だが、人間の身体はちょっとした刺激で簡単に眠りを深くする。特に、疲れ切っている時はな。

 

 フラーの眉がほどけ、呼吸が再び深くなった。さっきよりも意識が底へ沈んでいくのが分かる。これなら当分起きねぇ。

 

 次に妹だ。小さな身体は姉の腕の隙間に収まっていて、こちらもすやすやと寝ている。頬にかかった髪を指で払うと、子供特有の体温の高さが皮膚に移った。汗と石鹸と、甘い菓子の匂いが混じったような匂いだ。

 

 「悪いな、お姫様。ちょっと借りるぞ」

 

 囁きながら、まず姉の腕の力を読む。力の入り具合、筋肉の方向、関節の角度を一瞬で計算し、最も抵抗が出ない方向にそっと持ち上げる。肩から肘、肘から手首へと順に支点をずらし、抱き締めている腕の輪を少しずつ広げていく。布と肌が擦れる音が出ないよう、指の腹で布地を押さえながら。

 

 ガブリエルの身体が、姉の腕からふわりと解放された。俺はそのまま両腕ですくい上げるように抱きかかえる。体重は軽いが、眠っている人間特有の“力の抜けた重さ”がある。筋肉が完全に脱力し、骨と内臓の重さだけが腕に落ちてくる感じだ。

 

 その瞬間、ガキのまぶたがわずかに震えた。意識の底で、何かがおかしいと感じている。呼吸のリズムが一拍だけ乱れ、細い指が俺の着物の布を掴みかける。

 

 「シーッ……寝てろ」

 

 喉の奥で低く、振動だけを送るように囁く。声の高さや言語じゃない。鼓膜と骨に伝わる振動が、安心か危険かを決める。子供は特にその手の“音の質”に敏感だ。俺の声に触れたガキの指先から力が抜け、再び深い眠りに落ちた。

 

 ベッドから離れるときが一番危ない。布団の重みが変わり、空気の流れも変わる。フラーの髪が肩から滑り落ち、枕に触れて小さな音を立てた。だが彼女は起きなかった。按圧と疲労が効いている。

 

 扉までの数歩を、俺は影のように進んだ。足裏に伝わる床板の弾力、壁から返ってくる自分の気配の反射、それらを逐一確認しながら、余計な揺れを排除していく。扉を閉めると、部屋の中に残っていた暖気がひとかたまりになって背中を押し、すぐに途絶えた。

 

 廊下に出ると、さっきよりも空気が冷たく感じた。腕の中のガブリエルの体温が高いせいで、温度差が際立つ。胸が規則正しく上下し、そのたびに小さな吐息が俺の首元にかかる。生きている証拠だ。誘拐って言っても、こいつらを殺すつもりは毛頭ない。むしろ、絶対に傷一つつけちゃいけねぇ“商品”だ。

 

 「チョウとガキ1人……残り2人か」

 

 湖へ戻る道すがら、雨の匂いがさっきより濃くなっていた。雲が月を隠し、闇が一段深くなる。こういう夜は、何かが始まる前触れみてぇで、少しだけ胸騒ぎがする。もっとも、俺がやることは変わらない。決められた時間までに、決められた人数を、決められた場所へ沈める。それだけだ。

 

 ガブリエルを桟橋に置き、湖面に揺れる光を一瞥した俺は、そのまま踵を返して城へ戻った。夜気は冷たく、肌を撫でる湿度も低い。水中人の気配が遠くに揺れているが、今の俺には関係ない。次に確保するのは、ブルガリアのエース、ビクトール・クラムのパートナーであるハンナ・アボット。金髪のおさげで、魔法薬に真剣な目を向けるあのガキだ。ネビルと仲良く根を詰めて勉強していたのが印象に残っている。あいつらは妙に勤勉だ。俺の授業にも真面目だった。だからこそ、誘拐されるとは思ってねぇだろうが……まぁ容赦はしない。

 

 問題はハッフルパフ寮だ。あそこは樽が入口で、叩く場所や回数を間違えると酢の雨が降る。だがダンブルドアのジジイから仕込みは聞いている。俺は迷いなく樽の前に立ち、指定された位置を一定間隔で叩いた。空気が一枚めくれるような気配と共に、地下へと続く丸い穴が現れる。外の空気の冷たさと違って、こっちは暖炉の熱が漂い、湿り気のある木の匂いが満ちている。ハッフルパフらしい居心地の良さってやつか。

 

 階段を下り談話室の手前で足を止めた。暖炉の揺れる橙色が廊下に漏れ、影がゆらゆら揺れている。そこで、違和感。空気に微かに乗った呼吸、筋肉が張り詰める音、杖を握る布の擦れる気配。それらがすべて“俺を待つ者”のものだと告げていた。鼻腔をくすぐるのは焦燥と決意の匂い、そして微かに甘いプロテインの残り香。……は?なんだこの間抜けな甘ったるい匂い。

 

 談話室を覗くと、暖炉の前に影が立っていた。背中越しでも分かる鍛え上げられた肩幅。振り返ったその顔は、案の定セドリック・ディゴリーだった。代表選手の中でも一番素直で、努力家で、俺の授業でも手を抜かない優等生。だが今その手には杖だけじゃなく……何故かシェイカー。

 

 「待ってましたよ、フシグロ先生」

 

 「セドリック」

 

 「ポッターに聞きました。金の卵の歌を。“大切なものが奪われる。1時間以内に取り戻せ”。僕の大切なものを奪わせないと思って、今日まで準備してきたんです」

 

 まっすぐな瞳。真剣そのもの。だがその手に握られているのは……プロテインシェイカー。青色の蓋。中身は恐らくバナナ味。甘ったるい匂いの理由がようやく分かった。なんでそれが“大切なもの”なんだよ。チョウ・チャンじゃねぇのか。

 

 「……シェイカーか?」

 

 「そうです。僕のシェイカーは誰にも渡しません。僕の尊厳です」

 

 はぁ……筋トレに魂売りすぎだろアイツ。ネビルも筋肉はあるが、ここまでじゃない。セドリックの筋肉の張り方、肩と腕の緊張、足の踏み込み。完全に“戦う構え”のそれだ。ガキとはいえ、こいつは俺が鍛えた世代。警戒心と覚悟は相応にある。

 

 「先生が来ると思ってました。だから――」

 

 セドリックは床を蹴った。風が一瞬だけ逆巻き、杖先が白く光る。体温が高まったのか、空気がうっすら歪む。さすが代表選手、筋肉も魔力も素直に育ってやがる。だが――遅い。

 

 俺は一歩踏み込み、腰を沈め、拳に体重を乗せた。セドリックの魔法が形になる前、呼吸が満ちる前。その“予兆”を潰す。

 

 拳が腹の中心に触れた瞬間、空気が爆ぜる寸前の圧を生み、内部の筋肉が抵抗し、それでもなお貫通する力だけを残し、必要以上の破壊は避けた。無音で叩き込むために、衝撃波を外に漏らさない角度で拳を押し込む。骨のきしむ感触、臓腑が揺れる微かな震え、熱の移動。セドリックの全身がひと息で脱力していくのが手のひらに分かる。

 

 「……っ」

 

 声にならない吐息すら漏らさせず、そっと受け止めるように崩れ落ちる身体を抱え、床に倒れないよう静かに寝かせた。気絶しているが、身体へのダメージは最小限。俺なりの優しさだ。

 

 「悪いな。お前の“大切なもの”じゃねぇほうを奪いにきてる」

 

 セドリックの手からシェイカーをそっと抜き取る。……重い。何だこれ、中身ギチギチじゃねぇか。蓋の内側に日付が書いてある。“1994/03/01 調整比率・120%”。努力の結晶かよ。

 

 「安心しろ。シェイカーはここに置いとく」

 

 棚の上に丁寧に置いた。プロテイン臭が談話室に漂う。

 

 俺はそのままハンナの部屋へ向かい、軽い抵抗を覚悟しながら、静かに足を進めた。夜の空気はまだ動かない。俺の仕事はまだ終わってねぇ。

 

 ハンナのいる部屋の前に立つ。気配を探れば、こいつは完全に寝ている。規則正しい呼吸が扉越しにも伝わり、空気がゆるく揺れていた。魔力の流れも落ち着いており、戦闘でも緊張でもなく“休息”の波だ。ハッフルパフの地下は暖炉の熱が残り、ほんのり甘いバターの匂いが漂う。厨房が近いせいだろう。

 

 俺は扉をゆっくり押し開け、中へ足を踏み入れた。慎重に足音を殺し、身体から発される微かな気配すら薄める。部屋は円形で、壁に沿ってベッドが並び、カーテンと布団の隙間から寝息の白い揺らぎが見える。窓際の一番端に、ハンナ・アボットがいた。

 

 金髪を肩に散らし、眉間には子供のような緩い緊張の線。頬は冬の冷えが残ったままで薄く赤い。身体の中心から脈打つ魔力も弱々しく、深い眠りに沈んでいた。

 

 「楽勝だな」

 

 そう思いながら近づくと、ほんの一瞬だけ、彼女の胸の上下が乱れた。寝返りを打つわけでもなく、ただ身体の奥で微かな反応。あれは“俺の気配に触れて反応した”証拠だ。鍛えた生徒に特有の、無意識の警戒。

 

 それでも俺には遠く及ばねぇ。

 

 ハンナが伏せる顔を覗くと、寝顔は妙に穏やかで、まるで何かにすがって眠っているみたいだった。頬や唇の少し上がった形から、夢の内容までは分からないが、嫌な夢じゃないらしい。

 

 俺はその横にしゃがみ込み、指先を彼女の首筋に添えた。大動脈の脈動を軽く押さえ、血流を鈍らせて眠りをさらに深くする。こうしてやれば、普通の人間は何をされても気づかねぇ。

 

 だが――

 

 「……んっ……せ、先生……?」

 

 起きちまった。

 

 瞼がゆっくり開き、ぼやけた視線が俺に向けられた。その瞬間、胸の奥から強く揺れる気配。驚き、緊張、そして……妙な甘い匂いを伴った感情の波が肌に触れた。

 

 なんだ、この反応。

 

 「黙ってろ。何もしねぇ。大人しくしてろ」

 

 俺が低く言うと、ハンナは一瞬肩を震わせ、耳まで真っ赤になりながら目をぎゅっと閉じた。

 

 「ひゃ、ひゃい……!」

 

 声が妙に高い。勘違いしているのか、それとも別の意味で動揺しているのか……分からんが、まあ静かになったからいい。ハンナの体温は急激に上がっており、手首を掴んだ瞬間、脈が跳ねたのが分かった。それは恐怖のだけの反応じゃない。けれど、俺はそんなこと知ったこっちゃない。

 

 俺は彼女を軽々と抱き上げた。重さはほとんど感じない。日々鍛えているから身体は引き締まっているが、まだ成長途中だ。腕の中で縮こまり、俺の胸当てに頬を押し当てたまま動かない。呼吸が妙に浅い。

 

 「落ち着け。何もしねぇって言ってんだろ」

 

 「は、はい……!」

 

 また変な反応。何なんだこいつは。

 

 部屋を出て階段を静かに上がる途中、彼女の髪から微かに甘い匂いがした。多分、ハーブ石鹸の香りだろう。緊張で硬くなった身体が抱えられるたびに強張り、しかし俺の腕に触れると僅かに緩む。その変化が皮膚越しに伝わった。

 

 談話室に戻ると、相変わらずセドリックが床に転がっている。腹に一撃入れた時の衝撃がまだ拳に残っている。あいつの反応は素直だったな。鍛えてはいるが、俺の踏み込みと攻撃の速度に気づく前に沈んだ。

 

 ハンナはセドリックを見て小さく息を呑んだが、俺の腕の中で動けないまま固まっている。

 

 「心配すんな。生きてる」

 

 「そ、そうなんですね……」

 

 その声にも、また妙な色が乗っていた。ほんとによく分からん。

 

 城を抜け、湖の桟橋へ向かう。夜の空気はひんやりしていて、草の匂いと水面の湿気が混じる。湖から吹く風がハンナの髪を揺らし、俺の指に柔らかい感触が触れた。

 

 桟橋にはすでにガブリエルの姿はない。屋敷しもべ妖精が魔法で更に深く眠らせ、湖底へゆっくり沈めた。魔力が水面に溶けるように漂っている。

 

 俺はハンナをそっと桟橋に置いた。彼女は一瞬だけ俺の手首を掴んだが、すぐに離した。閉じたまつ毛がかすかに震え、口元が何か言いたげに動いた気がした。

 

 「……っ」

 

 小さな息が漏れる。

 

 だが俺はそれが何を意味するか知らないし、興味もない。

 

 「寝とけ。すぐ終わる」

 

 ハンナは頷くように身体を小さく動かし、そのまま深い眠りに落ちていった。

 

 俺は立ち上がり、湖面を一度だけ見渡した。夜気は水面を這うように冷たく、湿った匂いが肺の奥にじわりと染みた。波紋の揺らぎが月明かりを歪め、その奥に沈むガキども――チョウ、ガブリエル、ハンナ――の気配がかすかに残っている。まだ屋敷しもべ妖精の魔法が保護しているが、普通の人間なら数秒で気絶するほどの冷たさだ。

 

 「あと1人か」

 

 呟くと同時に思考が切り替わった。残るはハリーの“大切なもの”、エロイーズ・ミジョン。グリフィンドールのガキだ。ハリーがパートナーに選んだ時、周囲が妙に騒いでいたのを思い出す。顔は悪くないし、立ち居振る舞いも落ち着いていた。まあ俺には関係ない。

 

 城に戻り、石造りの廊下を進む。夜のホグワーツは空気が澄んでいて、魔力の粒が冷気の中で静かに流れている。石壁から微かに冷えが伝わり、靴底の振動が階段に吸われていく。俺は気配を限界まで薄め、いつものように“存在しない影”として動いた。

 

 グリフィンドール寮の入り口――例の貴婦人の肖像画の前に立つ。

 

 「入るぞ」

 

 「『甚爾くぅん……どうぞ』」

 

 相変わらず声に妙な艶がある。絵の癖に色気づくんじゃねぇ。無視して中へ入る。

 

 談話室は暖炉だけが赤く揺れ、椅子の影が床を引きずるように伸びていた。温度は地下のハッフルパフより高い。グリフィンドールらしい熱気の残り香がある。だが、生徒の気配はない。

 

 階段を上がると空気が一段静まり、寝室の前の廊下には緊張の膜のような魔力が薄く漂っていた。生徒同士が無意識に張る“身を守る気配”だ。俺の授業を受けて鍛えられた影響だろう。

 

 エロイーズのいる部屋へ音を殺して入る。

 

 月光がカーテンの隙間から差し込み、銀色の光がベッドを照らしていた。その中央にエロイーズがいた。スラリとした腕、整った横顔、寝息の規則性。まるで童話の“眠れる森の美女”そのまま――そんな言葉が自然に頭に浮かぶほど整った寝姿だ。

 

 「……あのガキが選ぶだけのことはあるか」

 

 皮肉のつもりで思ったが、その時、彼女の気配が揺れた。寝ている者の反応じゃねぇ。呼吸のリズムがわずかに変わり、肩の筋肉が微かに緊張を帯び、魔力が毛布の下で凝縮した。

 

 次の瞬間、ゆっくり瞼が開く。

 

 「何かご用ですか?フシグロ先生」

 

 毛布の内側で杖を構えている。指先の位置、肩の角度、微かに動く喉の線――全部、警戒のサインだ。いい心構えだ。

 

 「別に襲うわけじゃねぇ。第二の課題で()()協力してもらう」

 

 「課題……わかりました。どうぞお好きになさって下さい」

 

 肝が据わってるのか諦めがいいのか、動揺がほとんど無い。瞳は落ち着いていて、俺の言葉を即座に飲み込んだ。

 

 「課題が何か気にならないのか?」

 

 「生徒には秘匿されているものでしょう?なら、知るべきではありません」

 

 イイ女だ。そう思ったのは事実だ。無駄に騒ぐガキよりよほど扱いやすい。

 

 「そうか。それなら手間も省ける。着いてこい」

 

 俺は彼女を立たせ、腕を軽く掴んで部屋を出た。エロイーズは一切抵抗せず、ただ静かに足を運んだ。階段を降りる途中、後ろから彼女の体温と魔力の流れが微かに触れる。恐怖ではない緊張が背骨のあたりに伝わってくる。

 

 談話室を抜け、肖像画の前に戻った時、貴婦人が何か言いたげに口を開いたが無視した。

 

 城の外に出ると、夜風の匂いが一層強くなる。草の湿気、湖から漂う冷気、そして水中人の魔力が薄く地表に滲んでいる。エロイーズが肩をすくめ、小さく息を呑んだ。

 

 「寒いか」

 

 「……少しだけ」

 

 その声も揺らぎは少ない。強いガキだ。

 

 桟橋に着いた。屋敷しもべ妖精と水中人が待っている。

 

 エロイーズを桟橋に立たせ、俺は妖精に顎を軽くしゃくった。

 

 「フシグロ先生」

 

 エロイーズが俺を見上げた。月光がその瞳に乗り、琥珀色が深く反射する。

 

 「フシグロ先生は、この対抗試合……どなたが優勝すると思いますか?」

 

 「……さぁ」

 

 即座に答えると、彼女はかすかに微笑んだ。恐怖でも緊張でもない、不思議な落ち着きがそこにはあった。

 

 「そういう答えをなさると思っていました」

 

 「占い師にでもなったつもりか」

 

 「いいえ。ただ……フシグロ先生なら、誰にも肩入れしないと思っただけです」

 

 言われてみれば、その通りだ。俺がガキどもの優劣なんか気にするわけがない。

 

 屋敷しもべ妖精が合図を待っている。

 

 「行くぞ」

 

 俺がそう言うと、エロイーズは一度だけ深く息を吸い、静かに目を閉じた。

 

 そして透明な魔力の膜が彼女の身体を包み、湖面へと沈め始めた。水に触れた瞬間、月光の反射が揺れ、その姿は静かに深い闇へ消えていく。

 

 俺は湖面をしばらく見つめていた。

 

 風が頬を撫で、遠くで水中人の歌のような低い響きが揺れた。

 

 「……よし」

 

 全員揃った。第二の課題の準備は、これで完全に整った。




原作映画みたいに多分魔法でパパッと誘拐した方がいい気がしたけど、甚爾くんに活躍させたかった。


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