ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾” 作:物体Zさん
湖面を眺めていると動きがあった。水面がぐらりと揺れ、泡がまとまって浮かび上がる。
最初に飛び出したのは、いや最初もクソもなかった。
ほぼ全員が同時に飛び出してきたのだ。
「へぇ……」
意外だった。俺の予想ではセドリックかハリーが少し抜けて来るかと思っていたが、ほぼ同時、しかも全員“宝”付きで帰ってきやがった。水飛沫が会場の床を叩き、冷えた空気に水の匂いが一気に広がる。湖の泥と藻が混ざった独特の臭い、冬の湿気に乗って鼻を刺した。
俺はチラッと会場に設置されてる時計を見た。残り15分。まだ余裕はあるが、ギリギリってほどでもねぇ。身体強化も、魔力の配分も、教えた通りにはやったらしい。
「諸君、選手達が帰還した!」
ダンブルドアが杖を喉に押し当て声を張った。増幅された声が湖面に反響し、遅れて山肌から跳ね返ってくる。生徒どもの歓声が一気に爆発し、冷たい空気が一瞬だけ熱を帯びた。
セドリックはチョウを、クラムはハンナを、フラーは妹のガブリエルを、そしてハリーはエロイーズを抱えていた。全員、震えながらも意識はある。水中人の魔法と、こっちで仕込んだ安全策がちゃんと機能している証拠だ。
「毛布を!」
マダム・ポンフリーが前に出て怒鳴るように言い、屋敷しもべ妖精どもが慌ただしく動く。分厚いタオルと毛布が次々に選手と“宝”に掛けられ、温熱魔法の薄い光が肌の上でじわじわと広がった。冷え切った身体から、湯気と一緒に張り詰めていた緊張が抜けていくのが、遠くからでも分かる。
俺は腕を組んだまま、一人一人の顔と気配を確かめた。
セドリックは腹をまだ気にしてやがるが、目は死んでない。むしろ、あの一発を踏み台にして自分なりの答えを出した顔だ。クラムは肩で息をしながらも、掴んだハンナをひと時も離す気配がない。フラーはガブリエルを抱き締めたまま、悔しさと安堵を混ぜた目で湖を振り返っていた。
そしてハリー。あのガキは、自分が選ぶ余地のない“宝”を前にしても、最後まで何かを捨てきれない顔をしてやがる。エロイーズを抱えた腕に力が入りすぎていて、指の関節が真っ白だ。息も荒く、肩は震えているが、目だけは落ち着いて湖底を思い返している。
「ふむ……なかなか面白い結果じゃ」
ダンブルドアが小さく呟き、審査員の連中、マクシームやカルカロフ、クラウチ・シニアの方へと歩いていく。クラウチの魂の輪郭はさっきよりさらに削れていた。外見はいつも通り殊勝な顔をしているが、中身は崩れかけの石像だ。ちょっとした衝撃でバラバラに砕けてもおかしくねぇ。何かに気づいたのかもしれねぇ。
「さて諸君!」
ダンブルドアが壇上に立ち、いつもの芝居がかった声で言った。
「選手らの勇気と技量、そして“何を良しとするか”の判断をもって、第二の課題の採点を行う!」
観客席がざわつく。フレッドとジョージが何やら紙切れを配りながら走り回っているのが見えた。あいつらはあいつらで、裏でちゃっかり賭けをやってやがる。日本の競艇場の話をしたのが悪かったかもしれねぇな、と一瞬だけ頭をよぎったが、まぁ今さらだ。
しばらくして、審査員たちがひそひそと話し合う声の波が落ち着く。カルカロフが何度か顔をしかめ、マクシームがそれを睨み返し、クラウチ・シニアは形だけ頷いている。その全部をダンブルドアがまとめて、いつもの要領で“納得させた”のが空気で伝わってきた。
「では、結果を発表しよう」
杖先から光が飛び、空中に大きな数字が浮かぶ。セドリックには高得点、クラムにもそれなり、フラーは途中棄権に近い形だが、妹を救った分だけ加点されている。ハリーの数字は、技術だけ見れば少し低めだが、“他人の大切な者を見捨てなかった”という名目で底上げされていた。
歓声だの不満だの入り混じった声が飛び交う中で、ハリーだけが数字を大して見ちゃいなかった。視線は隣で毛布に包まれたエロイーズに向いている。ちょうど目を覚ましたところらしく、状況も分からずきょろきょろと辺りを見回し、最後にハリーと目が合って、ふっと笑った。
ああいう時のガキの表情ってのは、戦場から離れた場所でしか見ねぇ顔だ。だからこそ、俺とは縁遠いものでもある。
「フシグロ君」
いつの間にかダンブルドアが隣に戻ってきていた。湖から吹く風で髭が揺れているのに、こいつの声はまるで暖かい屋内みてぇに落ち着いている。
「どう見るかね、今回の“勝者”を」
「点数で決めるなら、セドリックとクラムだろ」
俺は鼻を鳴らし、選手と“宝”が医務室に運ばれていくのを目で追った。
「だが、“賭け”をするならハリーだな。ああいうガキは、最後の最後で盤面ひっくり返す」
「同感じゃよ」
ジジイは目を細めた。その横顔を見ていると、競馬場のスタンドで新聞を丸めてオッズを睨んでいた時と同じ顔をしているのが少し笑えた。違うのは、ここで賭けているのは金じゃなくて、未来の話だってことくらいだ。
「それとジジイ」
俺は何気ないふりをしてアラスターのいる方向を顎で示した。マジックアイが忙しなく動き、額には玉のような汗が浮かんでいる。水の冷たさで出る汗じゃない。身体の奥から噴き出している種類のやつだ。
「そろそろ“あれ”も、限界だぞ」
「……じゃろうな」
ダンブルドアの声色が一瞬、底を覗かせた。さっき湖面を眺めていた時の軽さは消え、冷えた石と似た匂いが、言葉の隙間から顔を出す。
「第二の課題が終わった今が、好機じゃろう。クラウチ・シニアも、そう長くはもたん」
「詰め方は任せる。俺は、落ちた駒を片付けるだけだ」
俺の役割はいつも同じだ。盤面をひっくり返すのはジジイの仕事、その後の掃除と、必要とあらば“物理”で黙らせるのが俺。呪力も魔力も持たねぇ分、俺は殴るか斬るかしかねぇからな。
湖面をもう一度だけ見下ろした。さっきまで暴れていた水魔の気配は引き、代わりに水中人たちの静かな魔力の波だけが残っている。底で揺れる4つの影はもうない。ガキ共は全員、地上に戻った。ここまでは、予定通りだ。
問題は、ここからだ。
「……ジジイ、これが終わったら日本行くぞ。中京か阪神か、どこでもいい」
「ホッホッホ、それはぜひシリウスも呼ばんとな」
ダンブルドアが口の端を上げる。その何でもない会話の裏に、これからやるべき“仕事”の重さが滑り込んでくる。俺は小さく伸びをして、固まっていた肩の筋肉を鳴らした。
第二の課題は終わった。だが、本当の勝負は、まだ湖の底よりずっと暗い場所で続いている。
アラスター・ムーディ──いやクラウチ・ジュニアは、今にも剝がれ落ちそうな変身の皮を必死で押し留めていた。湖畔から吹く湿った冷風がローブの隙間を入り込み、揺らぐ皮膚に冷たい刃のような刺激を与えるたび、体内の薬液が分離する嫌な感触が骨にまで響いた。眼前では選手達が仲間と抱き合い、課題の生還を喜んでいる。だというのに、自分だけが世界から取り残され、底知れない泥沼に沈むような焦燥に囚われていた。
舌が勝手に飛び出す。癖だ。抑えても抑えても滲む。脂汗が顎から滴り落ち、胸元の革に暗い斑点を作った。最悪なことに、その癖を父に見られた。あの男は視線を逸らしたように振る舞ってはいたが、長年の経験から息子の“異常”にはすぐ気づく──その確信がジュニアの首筋に蛇のような冷たい圧を走らせた。
母を犠牲にして脱獄した。父に服従の呪文をかけられ屋敷に幽閉された。だがクラウチ家に仕える屋敷しもべ妖精ウィンキーの助力でその枷を破り、闇の帝王に馳せ参じ、アラスターをピーターと共に襲撃して入れ替わった。
──すべては、このホグワーツでハリー・ポッターを闇の陣営に“誘導”するためだった。
(なのになぜ……なぜ全て上手くいかない!?)
ハリーには近づけない。
ポリジュースの材料も底をついた。
薬は限界が近い。皮膚は熱を持ち、骨は軋み始めている。
そして──父にバレた。
(殺すしかない……!)
この段階で露見すれば、全てが泡と消える。ホグワーツに潜った自分も、闇の帝王から与えられた使命も、全てが無へ落ちる。焦燥が胸を焼き、心臓が乱暴に跳ねた。脳裏には、父の喉を切り裂く映像しか浮かばなかった。
そんな折、ダンブルドアの声が会場に響く。
「『第二の課題はこれにて終了じゃ。諸君、城へ戻るのじゃ』」
湖面の霧が風に散り、観客や生徒が移動を始める。静かに、しかし確実に、人波の流れはジュニアを追い詰めるように感じられた。
ジュニアは父シニアを探した。
──いた。
ダンブルドアの隣で、何かを報告している。距離があり声までは聞こえない。しかし、シニアの魂の輪郭が乱れ、微かに震えているのが見えた。魔力の揺らぎで察した。
(俺のことを……話しているのか!?)
被害妄想にも近いが、疑念は一度生まれれば膨らみ続ける。胸の中で黒い沼が泡立つように恐怖を育て、同時に父への激しい殺意へ変わる。
生徒たちが帰路に向かって動き出す頃、ジュニアはハリーに話しかけている父に近づいた。
「バーテミウス!魔法省見習い生に勧誘か?神秘部から戻らなかった者もいると聞くぞ!」
ジュニアは反射的に舌を出してしまう。
シニアの目が細くなった。疑念が確信に変わった瞬間だった。
「マッドアイ、少し話がある。ポッター君、話せて良かったよ。ご両親もお喜びになるだろう」
「は、はい。ありがとうございます」
ハリーは深く頭を下げ、仲間の元へ駆けて行った。
──二人きりになった。
「話とはなんだ、バーテミウス」
「ついてこい」
シニアは森の小径へ足を向ける。濡れた落ち葉が靴裏で沈み込み、灯りも魔力も届かない場所へ二人は歩みを進めた。背後には誰もいない。湖の音すら遠ざかる。
そして、木々が途切れた小さな空間でシニアは振り返った。
「貴様……ムーディ。いや──ジュニア」
「やはりバレてたか」
ジュニアは無表情のまま懐に手を入れ、杖を抜いた。シニアは一歩後ずさるが、すでに逃げ場はない。
「アバダ──」
殺意が魔力となって杖先に凝縮し、緑光の閃きが形を成す直前。
空間が揺れた。
「いけません!!!」
甲高い声と共に、シニアの横に小さな影が現れた。空気の流れが変わり、周囲の魔力が一点に収束する。
伏黒甚爾が“監視”を命じていた屋敷しもべ妖精──ドビーであった。
ドビーはジュニアに向かって両手を翳した。その動きはまるで雷が落ちる瞬間のように鋭く、空気を裂く音すら置き去りにする速度だった。小さな身体が発するとは思えないほど強烈な魔力の奔流が両掌から溢れ、白光が森の暗がりを照らし、影が幾重にも揺れた。
次の瞬間、光は圧縮された槍のようになってジュニアの胸部に叩き込まれた。湿った木々の香りを焦がしながら空気が弾け、衝撃が地面を震わせる。
「グボォッ!」
重い肉の潰れる音と共にジュニアの身体が宙を舞い、背後の樹木へ激突した。幹が悲鳴のようにきしみ、樹皮が裂けて破片が散った。
「ジュニアッ!!」
父、バーテミウス・クラウチ・シニアが声を張り上げる。その声には怒りでも憎悪でもなく、悲痛な混乱が滲んでいた。魔法省の男が初めて“ただの父親”として叫んでいた。
「クラウチ様!ドビーめはあなたの監視を申し付けられておりましたぁ!危機と思い、思わず出てきてしまいましたぁ!お怪我はないですかぁ!?」
言わなくてもいい事を言いまくりながら、ドビーはシニアの周囲をぐるぐると回った。小さな足が落ち葉を跳ね飛ばし、湿気を含んだ土の匂いが周囲に漂う。
しかし、シニアはそれを理解する余裕すらなかった。
自分を襲おうとした“アラスター”の癖──舌を出すその仕草が、間違いなく息子ジュニアのものだったからだ。
「息子が……私を……殺そうと……」
そのつぶやきは、森の空気に吸い込まれるほど弱々しい。冷たい風が、衰弱したシニアの頬を撫でる。記憶が脳裏に走馬灯のように巡る。
──妻の遺言。
──息子をアズカバンへ送った夜。
──脱獄を手伝った朝。
──ワールドカップの夜、息子が家から消えた絶望。
「なぜ、なぜなんだ……!」
シニアはその場に膝をつき、空を仰いだ。夜空は雲が切れ始め、冷えた星明かりが僅かに差し込む。魔力の糸がほつれていくように、シニアの魂の輪郭が弱々しく震えていた。
「もう……終わりだ……」
その言葉は諦めではなく、自分の罪の結末を受け入れる声のようにも聞こえた。
「へぇ……もう無理だったか」
暗がりの中から聞き慣れた声が落ちてきた。
伏黒甚爾が静かに歩み寄り、影が揺れる。
「まぁ、もう頃合いじゃろう」
続いて重厚な声。アルバス・ダンブルドアが杖の光を灯しながら姿を現した。光が揺れ、樹木や倒れたジュニアを浮かび上がらせる。
「ドビー、よくやった」
甚爾が言うと、ドビーは耳をぴんと立て、涙をぽろぽろと流しながら飛び跳ねた。
「褒められたぁ!!!うひょぉおお!!!」
騒がしい声とは裏腹に、甚爾は落ち着き払ってその頭を軽く撫でてやる。
その手つきは粗暴な外見に似合わず、妙に的確で優しい。ドビーは鼻を鳴らしながら震えていた。
甚爾はすぐに視線を切り替え、倒れたジュニアへ歩み寄った。湿った土の上でジュニアは呻き声を漏らし、身体が痙攣していた。皮膚がぶよぶよと動き、色が不自然に波打つ。骨格が収縮し、筋肉が軋むように形を変えていく。
──ポリジュース薬の効果が切れたのだ。
「出てきたな、“本物”がよ」
甚爾が低く呟いた瞬間、ジュニアの全身が震え、長い髪と痩せこけた頬が現れた。アラスターの偽りの姿が完全に剝がれ落ち、そこに残ったのは病的なまでに痩せた青年──クラウチ・ジュニア。
彼の瞳は狂気と恐怖が入り混じった色を浮かべていた。シニアを見ると、ひび割れた声で叫ぶ。
「父さん……オレは……!」
しかしシニアは答えなかった。何も言えなかった。
ジュニアが震える手で杖を探りかけたとき、甚爾の靴先がその手を踏み潰した。骨が音を立て、ジュニアは悲鳴を上げる。
「おっと……まだ暴れる気かよ」
甚爾の声音は淡々としているが、そこには確かな警戒と、同時に容赦のなさが滲んでいた。
ダンブルドアは静かにシニアへ手を添えた。
「バーテミウス……ここからは、わしらが預かろう」
シニアは弱く頷き、震える手で顔を覆った。
冷たい風が吹き抜ける。
森の中で、ただ一人、ジュニアの荒い呼吸音だけが響いていた。
ジュニアの頸動脈を指圧して意識を刈り取った俺は、そのまま肩に担ぎ上げて立ち上がった。ぐにゃりとした重みが片肩に偏り、骨と筋肉に素直な負荷が乗る。もう少し鍛えりゃいいのになと場違いな感想が浮かぶあたり、俺の頭もすっかりこの仕事に染まってる。
一度だけ森の空気を吸い込む。湿った土の匂い、木の樹液の甘ったるい匂い、さっきドビーがぶっ放した魔力の残り香が鼻の奥に刺さる。少し焦げたような金属臭が混じっているのは、多分、ジュニアのローブが擦れた幹の破片だ。
「ジジイ、いくぞ」
俺が肩で担いだまま振り返ると、白髭の老いぼれはいつもの落ち着いた目でこっちを見ていた。あの目は、競艇場でオッズを眺めている時とほとんど変わらない。
「うむ。バーテミウスよ。おぬしも来るのじゃ」
「……私も、か」
シニアの魂はひび割れたガラスみてぇに揺れていたが、それでも頷くくらいの力は残っていたらしい。そうして俺とダンブルドア、バーデテミウスの3人──ついでに胸を張っているドビーもまとめて、校長室へと姿現しで飛んだ。
ホグワーツの空気は森とは違い、古い石と紙の匂いが濃い。校長室に入ると暖炉の熱がじわりと肌を撫で、壁一面の肖像画が一瞬こちらを見た。こいつらも状況は大体察してやがる。
俺は校長室の椅子にジュニアを縛り付ける。ロープじゃねぇ、魔法紐だ。手足、胸、喉元にかけて固定し、少しでも暴れたら締め付けが増すようにしてある。物理的な拘束なんざ何度も破られるのを見てきたからな、魔法と合わせて潰す。
「息子をどうするつもりだ……」
背後からシニアの掠れた声が落ちた。振り向かずとも分かる、肺に入る空気を絞るたび、こいつの魂が軋む音が聞こえる。
「バーテミウス、心配することはない。少々話を聞くだけじゃ」
ジジイが柔らかい調子で言う。だが、その杖先から滲む魔力はいつでも首を刎ねられるくらいには鋭い。安心させる言葉と、実際にやることが違うのはどこの世界も同じだ。
「ドビー、スネイプを連れてこい」
「はいぃ!」
ドビーが床を蹴ると、空間がねじれて消えた。あいつの移動はいつ見ても人間のそれとは質が違う。呪力も魔力もねぇ俺には上手く言葉にできないが、空気の層そのものをくぐり抜ける感じだ。
俺は近くの椅子に腰を下ろし、ジュニアの顔を真っ正面から見据えた。まだ気絶してるせいで口元から涎が垂れている。アラスターの皺だらけの顔が完全に剝がれ、若い骨格が露わになってもなお、その瞳の奥にあるのは薄暗い狂気だけだ。
「さて……」
ジジイが杖を軽く振るい、ジュニアの額に小さく光を落とした。魔力の波が皮膚の下を走るのが、俺にもぼんやりと分かる。脳の奥にあるスイッチを指先で押すみてぇな、そんな細かい操作だ。
ジュニアのまぶたが痙攣し、ゆっくりと開いた。焦点の合わない視線が天井を彷徨い、やがて自分の両手が縛られていることに気づいて怯えたように震える。
そのタイミングでドビーがスネイプを連れて戻ってきた。
「フシグロ先生、連れてきましたぁ!」
「ご苦労」
スネイプは無駄口ひとつ叩かず、黒いローブを翻して俺たちの前に立つ。ポーションまみれの匂いがふわりと広がり、薬草と薬品と、ほんの少しだけ血の匂いが混じっていた。
「セブルス、真実薬を」
「御意」
スネイプが懐から小さなアンプルを取り出した。中の液体は透明に近いが、光を受けるたびに微妙に色を変える。俺は使ったことはないが、話だけは聞いている。たった3滴で、ダンブルドアですら口が軽くなるという厄介な代物だ。
「口を開けろ」
スネイプが低く言い、ジュニアの顎を掴んでこじ開ける。抵抗する力も、もうほとんど残ってねぇらしい。喉に落ちていく液体の感触に、ジュニアの身体がびくりと震えた。
ジジイが杖を向け、静かに問いを投げる。
「わしの名は」
「アルバス・ダンブルドア」
間髪入れずに返る声。ジュニアの瞳は虚ろで、だが嘘の影は見えない。
「ホグワーツへ何をしにきたのじゃ」
「闇の帝王を復活させる為に……ハリー・ポッターを求めに」
「ほぉ……」
ジジイが眉をわずかに持ち上げた。俺は鼻で笑う。
へぇ、やっぱりあのガキは“鍵”か。額の傷だけじゃなく、魂ごと握られてるってわけだ。
シニアの肩が小さく揺れた。真実の言葉が、肉より先に魂を抉る。足元の空気が急に重くなり、室内の魔力の流れが沈む方向へと傾いた。
「“本物”のアラスターはどこじゃ」
「自室の箱の中だ」
ジュニアの口から淡々と出てくる告白。自分がやってきたことを誇るでもなく、悔いるでもなく、ただ事実として並べているだけなのが逆に気味が悪い。
「箱の中、とな」
ジジイが視線だけでスネイプと合図を交わす。スネイプはすぐに踵を返し、ローブを翻して部屋を出ていった。足音が石段を下りていく。残ったのは俺とジジイとシニア、そして椅子に縛られたジュニアだ。
「息子は……どこまで堕ちていたのだ……」
シニアの声は、もはや囁きにも満たない。自分の喉から出ている音に、自分で耳を塞ぎたくなっているような、そんな響きだ。
俺はそいつをちらりと見てから、興味を切り捨てるみたいに視線を戻した。親子の悲劇なんざ、この世界にいくつも転がってる。いちいち全部に肩入れしてたら、仕事にならねぇ。
「まだ聞くことは山ほどあるぞ、ジジイ」
「そうじゃな。ヴォルデモートの居場所、仲間、計画……“後ろ”を洗うには丁度良い口じゃ」
ジジイの青い瞳が、蝋燭の火を映しながら鋭く細められた。さっきまで湖の上で観客を楽しませていた校長と同じ人間とは思えない冷たさが宿っている。
ジュニアの喉がごくりと鳴った。真実薬に縛られた舌は、これから自分が一番守りたかったものを吐き出すことになると、もう理解しているのだろう。それでも抗えない。
真実ってのは案外、呪いよりよく効くもんだ。
そんなこんなでジュニアから何もかも吐き出させた。
真実薬ってのは便利なもんだ。聞かれた事は何もかも喋りやがる。さっきまで舌を噛み切りそうな目で睨んでいたくせに、今じゃ自分のやったことを一つ残らず白状している。俺も仕事で使えりゃ楽なんだが、こんなもんに頼り出したら勘が鈍るだけだな。
ジュニアが吐いたのはヴォルデモートの居場所、協力者の名前、ハリーをどうやってヴォルデモートの元へ向かわせるか、その経路と段取り……この辺りだ。優勝杯に細工を施し、ポートキーとして変え、決勝でハリーに触れさせる。遠回りなようでいて、奴らしい嫌がらせだ。
「コイツはどうする?」
俺は椅子に縛り付けられ項垂れるジュニアを見据えながら言った。目の焦点は合っていないが、あれは完全に壊れたってより、喋らされ過ぎて脳味噌が沸いてるだけだ。真実薬は便利だが、使い過ぎるとこうなる。
「無論、アズカバンへ再収監じゃよ。バーテミウスに
「……分かっている」
ジュニアのそばに立つクラウチ・シニアが泣いているのか怒っているのかよく分からない顔で言った。魂の輪郭は穴だらけで、今にも霧みてぇに散りそうだ。それでもまだ背筋だけは立っているあたり、こういう男を役人に据えたがる魔法省の好みってのがよく分かる。
「で、ジジイ。今から殺しにいくのか?ヴォルデモート」
俺はジュニアの頭をペシペシと軽く叩きながらダンブルドアに言った。叩くたびに、こいつの首がガクガク揺れる。生きてはいるが、もう自分の足で歩かせちゃいけねぇ種類の人間だ。
ジジイが長い顎髭を指先で撫でた。日本の競馬場でオッズ表を眺める時と同じ癖だが、今この部屋にあるのは紙切れの数字じゃなく、死体の山に繋がる未来の話だ。
「……それはまだ
「先?まだ何かやることがあんのか?」
「さよう、まずは対抗試合を進めなければいけない。ジュニアが言った通りならば既に優勝杯に細工がされておる。思惑通りにハリーを奴の元に向かわせる」
「おいおい、ガキを生贄にすんのか?」
俺が眉をひそめると、ジジイはいつもの調子で喉の奥を鳴らして笑った。暖炉の火が顎髭を橙色に照らしている。その明かりが、こいつの目の奥で妙に冷たい光に変わって揺れた。
「ホッホッホ、それは違うぞフシグロ君。これは必ず勝てる賭けじゃよ」
「賭けってんなら、負ける可能性もあるだろ」
「勝率を限りなく100に近づけてから賭けるのが、わしと君の流儀じゃったはずじゃが?」
日本で何度も一緒にやった競馬と競艇、その時の光景が一瞬頭をよぎる。新聞を広げて、馬柱を睨んで、締め切りぎりぎりまで券を買わずに粘るジジイ。シリウスは横でポテトをつまみながら好き勝手に穴馬の名を挙げていた。あの時も結局、一番最後に全部計算し終えたジジイの買い目が一番当たっていた。
「今回は外れたら終わりだぞ」
「だからこそ、盤面を整えるのじゃよ」
ジジイはそう言って、ジュニアから視線を外した。今この場で殺しに行くほうが分かりやすくて早い。だが、奴の言う通り、向こうの準備もまだ終わっちゃいねぇし、こっちの仕込みも足りない。無策で飛び込むほど、俺もジジイも若くはない。
「俺にやれってのは?」
「ハリーの側にいてやってくれ。あやつの体を守れるのは、今ここではフシグロ君だけじゃ」
「買い被りすぎだ」
口ではそう言うが、頭の中ではもう動き方を組み立てている。対抗試合の残り日程、授業の割り振り、ハリーの鍛錬時間、監視しなきゃならねぇ連中の顔ぶれ。全部重ねて、どこで誰の首を折るのが一番効率がいいかを考える。感傷を挟む余地はねぇ。
「バーテミウス、おぬしも覚悟を決めねばならん」
ジジイが静かに言うと、シニアはぎこちなく頷いた。
「私は、息子をアズカバンへ送り届ける。それが……最後の務めだ」
その声は乾いていたが、折れきってはいなかった。こういう人間は、途中で投げ出したりはしない。ただ、役目を終えた瞬間に燃え尽きる種類だ。
「じゃあジジイ、決まりだな」
俺は椅子から立ち上がり、軽く背筋を伸ばした。背骨がコキコキ鳴り、筋肉がじわりと熱を帯びる。戦場に出る前と同じ感覚だ。まだ殴る相手の顔も、斬る順番も決まっちゃいないが、身体だけは先に準備を始める。
「次の試合までは、まだ少し時間がある。ハリーを仕上げておけ。わしは優勝杯と、魔法省側の口を整えておく」
「金さえくれればな」
俺はそう言って、校長室の扉に向かった。暖炉の熱と真実薬の匂いを背中に受けながら、これから始まる面倒な仕事の段取りを、頭の中で一つずつ並べていく。賭けは嫌いじゃない。ただし、負ける気で参加する賭けだけは、死ぬほど嫌いだ。