ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第八話

 

 

 

 

 

 3人――ハリー、ロン、ハーマイオニーが階段の向こうに消えていったあと、俺は廊下に立ち尽くしていた。

 

 薄暗い回廊には、冷たい夜風と燭台の小さな炎だけが残っている。

 

 その先には“禁じられた扉”がある。

 

 「……さて、どうするか」

 

 腕を組み、扉を睨む。

 

 勝手に首を突っ込んで減給でもされたら目も当てられない。200万――あの額を失うのはヒモ稼業にとって死活問題だ。

 

 「……減給はごめんだ」

 

 だが、鼻がはっきりと告げている。この扉の向こうには“ただならぬ何か”がある。

 

 「……気になるな」

 

 結局、好奇心が勝った。

 

 俺は静かに扉に手をかけ、ゆっくりと押し開ける。

 

 ――ギィィ……

 

 軋む音とともに、ぬるい空気と獣の匂いが流れ出した。

 

 薄暗い部屋の中央に、巨大な影があった。

 

 三つの頭。分厚い胴体。石床を叩く爪。

 その正体――フラッフィー。

 ハグリッドから話は聞いている。フラッフィー。だが何を守っているのかは聞かされていない。

 

 「……やっぱりデカいな」

 

 目の前にいる相手は明確に“脅威”だ。

 三つの首が同時にこちらを睨み、牙を剥く。鼻息に混ざる肉の腐ったような臭いが鼻をついた。

 

 俺の姿は“魔力”では感知できないが、視覚では捉えられている。

 犬の目が俺を見据え、唸り声が低く鳴った。

 

 「……そう来るか」

 

 三つの頭がわずかに広がる。

 一発目――右の首が突っ込んできた。

 巨体とは思えない速度。生半可な術師なら吹っ飛ぶだろう。

 

 だが、俺は一歩も引かない。

 

 踏み込みと同時に、腰をひねり、右拳を打ち上げる。

 

 ――バキィッ

 

 拳がフラッフィーの顎を正確に捉えた。

 骨が鳴る。反動で床の石が軋む。

 右の首が仰け反り、呻き声とともに石床に衝突した。

 

 残る二つの首が牙を剥き、俺に襲いかかってくる。

 

 俺はその牙を掠めるように身を沈め、足をひとつ横に滑らせた。

 左の頭の鼻先を掴み、膝を打ち込む。

 

 ――ドゴッ

 

 鼻梁が潰れる音とともに、左の首が大きく仰け反る。

 巨体がバランスを崩し、床石がひび割れる。

 

 最後の中央の首が咆哮を上げた。

 腹の底に響く低音が、空気そのものを震わせた。

 

 「おお、吠えるじゃねぇか」

 

 中央の首が牙を剥き、俺に喰らいつこうと飛びかかる。

 俺は右足を引き、腰を落とし――拳ではなく掌を構える。

 

 掌底を下から突き上げた。

 

 ――ドガァッ

 

 凄まじい衝撃が掌を抜け、犬の顎を跳ね上げる。

 牙の間から飛沫が飛び、血と唾液が床に散った。

 巨大な頭部がぐらりと揺れ、瞳が白く濁る。

 

 三つの首は同時に崩れ落ち、巨体が床に倒れ込む。

 石床が軋み、重い音が響いた。

 

 「……寝ろ」

 

 俺は息ひとつ乱さず、倒れたフラッフィーの鼻先に立つ。

 

 その目は半ば開いたまま、焦点を失っている。完全に気絶したな。

 三つ首の巨犬がこうもあっさり落ちるとは……こいつは番犬としては大味すぎる。

 

 「牙のサイズの割に……顎の動きが甘いな」

 

 床にひびが走り、倒れたフラッフィーの体が微かに痙攣した。

 鼻息だけが静かに漏れている。

 

 俺は軽く肩を回した。拳の感触はまだ残っている。

 呪霊相手でもそうだったが、生物相手の戦いは“構え→攻撃→命中→破壊”がきっちりしていれば、結果は単純に出る。

 

 「……ったく。俺の方が番犬向きじゃねぇか」

 

 鼻で笑い、犬の頭を跨ぐ。

 

 倒れた犬の巨体の向こうに、床の継ぎ目がある。

 そこに沈殿している魔力の濃さが、鼻を刺すほど強い。

 

 「コイツに守らせてる“何か”があるってわけだな」

 

 指先で石板を押す。

 

 ――カチリ

 

 床がわずかに沈み、暗い穴が姿を現す。

 底は見えない。湿った空気がゆっくりと這い上がってくる。

 

 「……覗くだけ、な」

 

 フラッフィーは完全に沈黙している。

 俺は穴の縁に膝をつき、闇を見下ろした。

 

 この先にあるものが何なのか――それはまだ知らない。

 

 だが、少なくとも番犬は片づいた。

 

 「さて、いくか?」

 

 穴に片足をかけた、その瞬間だった。

 

 背中に――魔法使いの気配。

 

 犬とは違う、息を潜めた気配の立ち方だ。五感のうち、嗅覚と聴覚が一気にそちらへ向く。

 

 「勘弁してやってくれんか、フシグロ君」

 

 聞き覚えのある声。

 

 「ダンブルドアか」

 

 俺は足を引き上げ、ゆっくりと振り返った。

 

 そこには、倒れたフラッフィーの巨大な頭を撫でながら立つアルバス・ダンブルドアの姿があった。松明の明かりが白銀の髭を揺らし、その瞳には妙な笑みが浮かんでいる。

 

 「ガキ共がここを嗅ぎつけてな、俺も気になったんで入ろうとしたところだ」

 

 「う〜む……」

 

 ジジイは困ったように唸り、犬の鼻先を軽く撫でた。フラッフィーの三つの頭は完全に気絶しており、だらしなく舌を垂らしている。

 

 「しかし君もやりすぎじゃのぉ……フラッフィーは多少は手荒な客にも慣れておるが、ここまで伸されたのは初めてじゃ」

 

 「悪かったな。向こうから牙剥いてきたんだ」

 

 「……まぁ、フラッフィーが相手となれば、普通の人間はまず助からん。君が無傷なのも想定内じゃが……」

 

 「……想定してたのかよ」

 

 「ふむ。君は術師殺しじゃろう?」

 

 俺の眉がわずかに動く。

 

 「名前を出すなよ。此処ではな」

 

 「ふむ……わしも長いこと生きとるでな。マホウトコロの校長からも噂くらいは聞いておる」

 

 「ちっ……余計なことを」

 

 背後の穴から、湿った冷気が吹き上がる。魔力の匂いが鼻を刺す。

 

 「それにしても、あのガキ共はなぜこんな場所を嗅ぎつけたんだ?」

 

 「……あれは偶然じゃな。だが、それを“偶然”と呼びたくなるのは大抵、誰かの仕掛けがあるときじゃ」

 

 ダンブルドアの声は、いつもの柔らかい調子のままだった。だが、瞳は笑っていない。

 

 「ここ、何を守ってんだ」

 

 俺が問うと、ジジイは顎髭を撫でた。

 

 「それはの、今はまだ“知る必要がない”ことじゃ」

 

 「つまり、まだ俺の仕事の範囲外ってことか」

 

 「そういうことじゃ」

 

 「……そうかい」

 

 納得はいかねぇが、これ以上踏み込めば減給どころの話じゃなくなるのは目に見えてる。

 

 「一応聞いておくが、ここを嗅ぎつけたガキ共にはどうする?」

 

 「ふむ……君が何もせんで正解じゃった。彼らはまだ子供じゃ。今は“知らずに済む方がいいこと”もある」

 

 「……そういうもんかね」

 

 「そういうもんじゃ」

 

 ダンブルドアは一歩踏み込み、穴の縁に杖を軽く向けた。

 

 瞬間、柔らかい光が広がり、床の継ぎ目が音もなく閉じていく。まるで穴など初めからなかったかのように。

 

 「便利なもんだな、魔法ってのは」

 

 「君には少しばかり馴染まんじゃろうな」

 

 俺は肩をすくめた。確かに、魔法の“見え方”は呪術とは根っこから違う。あいつらが使うのは“流れ”であって、“存在”ではない。俺の五感じゃ感知しきれないところも多い。

 

 「さて、そろそろ戻ろうかの。夜は冷える」

 

 「ったく、こんな時間に呼びつけやがって」

 

 「呼んだのはわしではない、君の鼻じゃろう?」

 

 ダンブルドアが肩をすくめた。

 

 俺は鼻で笑い、フラッフィーの巨体を一瞥する。

 

 「ジジイ、この犬どうするんだ」

 

 「眠っておる。しばらくは起きんよ」

 

 「そうかい」

 

 ジジイのあとを歩きながら、扉の向こうへ出る。重い扉が静かに閉まる音が背後に響いた。

 

 夜のホグワーツは再び静寂に包まれた。

 

 「……さて、次はいつ面倒が起こるかね」

 

 俺は小さく舌打ちして、廊下の先へと歩き出した。

 

 

 それから数日後、ハロウィン当日になった。

 

 あの夜――フラッフィーをぶん殴って気絶させた夜から、特に何も起こらず、俺はいつも通りの日々を送っていた。

 正直な話、少し身体がナマっている気がする。ガキ共に筋トレを教えたり、たまにデカい犬をぶん殴ったりする程度じゃ、張り合いってもんがねぇ。

 

 ……いや、こういう生活こそ“理想”なのかもしれない、とも思い始めてきた。

 

 だってそうだろ。俺はただ筋トレと基礎的な体術を教えているだけで月200万もの大金が懐に転がり込んでくる。呪術の仕事みたいに命を張る必要もなければ、血塗れになることもない。こっちの方がよっぽど効率がいい。

 

 俺は金のためならプライド(自尊心)なんざいくらでも捨てられる男だ。

 

 そんなことを考えながら、俺は大広間へと足を踏み入れた。

 

 ハロウィンの装飾が施された大広間は、まるで別の空間のように騒がしかった。頭上には無数のカボチャが浮かび、灯りをぼんやりと落としている。天井をすり抜けるように呪霊――いや、ここの言葉で言う“ゴースト”が数匹、楽しげに飛び回っていた。

 

 生徒達はテーブルに並んだ山のような菓子やケーキに群がり、好き勝手に食い漁っている。テーブルの上は甘い匂いと油の匂いで満ちていた。

 

 「もっと軽い食い物はねぇーのか?カロリーが高すぎる」

 

 そうぼやきながらも、俺は一番隅の教員席に座り、目の前にあったカボチャパイを手に取った。サクサクしたパイ生地の香ばしい匂いと、甘くスパイスの効いたフィリングが鼻をくすぐる。

 

 「……まぁまぁ美味ぇな」

 

 ひと口かじると、バターの濃厚な味とシナモンの香りが口に広がった。こういうもんを食ってるから魔法使いは軟弱なんだ。筋肉には鶏肉と米、あと牛乳だ。甘いもんなんざ滅多に食うもんじゃねぇ。

 

 それでも、こうして静かに飯が食える時間は悪くなかった。

 たとえ周囲がガキと騒音だらけでもな。

 

 視線を横に向けると、教員席ではマクゴナガルが紅茶を優雅に啜り、スネイプはいつものように陰気な顔でグラスを傾けていた。クィレルは相変わらず……ん?アイツどこいった?いつも俺の隣でビクビクしてたはずなんだが……

 

 ほんの少し目を向けただけで肩がビクッと跳ねるクィレルがいない。まぁいいか。

 

 生徒の方に目を向ければ、ハリー、ロン、ハーマイオニーがいつものように同じテーブルに集まっていた。ガキどもはやたら元気だ。ロンはケーキを山盛りにして腹に詰め込み、ハーマイオニーは何やら説教じみた話をし、ハリーはその話を聞いてるんだか聞いてないんだか分からない顔で笑っている。

 

 こいつらは初日の頃と比べると、ずいぶんと身体ができてきた。肩の線や足腰の筋肉の付き方を見りゃ、少しずつ基礎が出来上がってるのが分かる。ガキ共の回復力ってやつは本当に馬鹿にできねぇ。

 

 「体育で鍛えた甲斐はあったな」

 

 ぼそりと呟き、再びカボチャパイを齧る。

 

 この瞬間だけを切り取れば、まるで戦場とは無縁の“平和”そのものだ。

 呪術の世界じゃ絶対に味わえなかった感覚。

 だが同時に――俺の中のどこかがムズムズして仕方がねぇ。

 

 戦いの空気が長すぎた人間は、平穏に慣れるのが下手なんだよ。

 

 そんなことを考えていると、大広間の扉が勢いよく開いた。

 

 「ト、トロールが!! トロールが校内に!!」

 

 甲高い悲鳴のような声が大広間を震わせる。

 

 クィリナス・クィレルだった。顔面蒼白で叫びながら、そのままドサリと床に崩れ落ちる。どうしたんだアイツ。というかクセェな。

 

 そして一瞬、ざわめきが走った。だが――

 

 生徒達は動揺こそしているが、ヒステリックに泣き叫ぶような混乱は起こらなかった。

 

 俺の目にはっきりと映る。

 ガキ共が“筋肉で支えられた自信”を持っている。

 怯えた顔をしていても、足はしっかり地を踏んでいる。

 

 こいつら、少しは育ってきたな。

 

 「生徒諸君、落ち着きなさい!」

 

 ダンブルドアの声が大広間に響いた。

 大仰な演説なんか必要ない。

 

 「先生方、生徒の誘導を」

 

 マクゴナガルが素早く立ち上がり、各寮の上級生が下級生を集めて列を作る。全員が訓練された兵士のように整列し、スネイプが出口の安全を確認しながら誘導を始めた。

 

 ざわつきはあるが混乱はない。ほんの1ヶ月前なら、こうはいかなかったろうな。

 

 俺は立ち上がり、コートの襟を軽く正した。

 

 「行ってこい、って顔してんなジジイ」

 

 壇上に座るダンブルドアが、俺にほんのわずか目配せをする。

 それだけで十分だ。

 

 「ボーナスタイムってやつか。これは後で金をたんまり請求しよう」

 

 椅子を蹴るように立ち上がり、俺は静かに歩き出した。

 

 ガキ共の避難が終わり、残ったのは教員と緊迫した空気だけ。

 俺の頭の中には、既にトロールの輪郭が浮かんでいる。

 

 鈍重な足音。鼻にまとわりつく血と肉の臭い。

 遅い、臭い、デカい――そんな相手ほど狩りやすい。

 

 「久しぶりに身体が喜んでるな」

 

 廊下に出た瞬間、空気が変わった。

 俺の戦場感覚が、ゆっくりと蘇る。

 

 穏やかだった夜が、少しずつ“俺向き”の夜に変わっていった。

 

 俺は気配を辿りながら廊下を進んでいった。

 

 夜のホグワーツは普段よりも静まり返っている。外では風が吹き抜け、石造りの壁に低くうなるような音が反響していた。

 

 鼻の奥にじわりと染みついてくる、妙な臭い。

 

 途中、足元にうっすらとした跡が残っているのを見つけた。

 

 「……あ?」

 

 かがみ込み、石床を指先でなぞる。ヌルヌルとした粘液と、鈍い腐臭。

 

 大人の男の足跡。そして――獣臭。

 

 「クィレルの臭いに似てるな……だが、なんで獣臭が?」

 

 クィレルとトロール。この組み合わせが偶然であるはずがねぇ。

 

 トロールの現物は見たことがない。だが図書室でリサーチは済ませてある。

 あれはデカくて、鈍くて、力だけは無駄に強い魔法生物。

 頭も悪いが、その分だけ扱いやすい――“誰か”が利用するにはちょうどいい駒だ。

 

 足跡を追うごとに、獣臭が強くなる。生ぬるく湿った、血と泥の混ざったような臭いが鼻を突く。

 廊下の石床は、トロールの巨体が歩いたせいか、ところどころひび割れ、削れていた。

 

 「このバカデカさ……こりゃ一丁前に暴れてんな」

 

 俺は鼻で笑い、足跡をさらに追い詰めていく。

 

 やがて、女子トイレの入り口前に辿り着いた。

 

 「……は?」

 

 扉の前の床は見事に壊されており、壁には拳のようなもので叩きつけられた跡が刻まれていた。

 

 その扉の向こう――強烈な獣臭と、地響きのような低い唸りが漏れている。

 

 「……女子トイレかよ。なんでそんなとこいんだよ、変態か?」

 

 女子トイレに何か特別な意味でもあるのか?

 まさかトロールにも女子トイレに夢やロマンでもあるのか?

 気色悪ぃにも程がある。

 

 鼻をひくつかせて気配を探る。

 ……生徒の気配はない。誰かが個室で泣いてるわけでもない。

 完全に“空”だ。

 

 なら、容赦はいらない。

 

 俺は音もなく大扉に手をかけた。

 

 ギィ……と鈍い音が響く。

 

 その瞬間、鼻に刺すような悪臭が一気に吹き出してきた。

 腐った肉と泥水を煮詰めたような、吐き気を催すほどの臭い。

 

 中にいたのは、図書室の本で見た挿絵よりもさらにデカいトロールだった。

 

 灰色がかった肌。小さな脳みそが詰まってそうな頭。

 丸太みたいな腕をぶら下げ、腰布一枚の半裸。

 バカみてぇにでかい棍棒を引きずりながら、鼻水を垂らしてやがる。

 

 「……うわ、想像よりキモいな」

 

 トロールが俺に気付く。

 

 ぎゅるる……と不快な音を立て、顔をこちらに向けた。

 黒目がちの小さな目がギョロリと光る。

 

 「おい、お前、なんで女子トイレにいんだよ」

 

 言葉なんざ当然通じねぇ。

 トロールは鼻息を鳴らし、ゆっくりと棍棒を持ち上げた。

 床がミシリと音を立てる。

 

 次の瞬間、そいつは地響きのような咆哮を上げ、俺に向かって突っ込んできた。

 

 「よし、やるか」

 

 踏み込み。

 

 トロールの一撃目――縦に振り下ろされた棍棒を、俺は軽く半歩横にずらしてかわした。

 棍棒が床に叩きつけられると同時に、石床が砕けて水しぶきが跳ねる。

 

 俺はその隙に一歩踏み込み、拳を握った。

 

 「おらぁっ!」

 

 ――ゴンッ

 

 トロールの鼻梁に拳がめり込んだ。

 鈍い音とともに、デカい巨体がぐらりと揺れる。

 鼻血がドッと流れ、あいつは情けねぇ声を上げた。

 

 「鼻が弱点ってのはどの生き物も共通かよ」

 

 俺は跳躍し、右の肋骨に蹴りを叩き込む。

 巨体が壁ごと吹き飛び、洗面台が砕け、鏡が粉々に割れた。

 

 「おいおい、意外と軽いじゃねぇか」

 

 トロールは呻きながらも立ち上がろうとする。

 だが遅い。動きが全部見える。

 

 俺は肩を回し、顎に掌底を叩き上げた。

 

 ――バキィッ

 

 音を立てて首が跳ね上がる。白目を剥いたトロールはその場で膝から崩れ落ちた。

 あれだけデカい図体をしていながら、反応は驚くほど鈍い。

 

 「……呪霊の方がまだマシだったな」

 

 あたりには粉々に砕けたタイルと洗面台の破片が散らばっている。

 天井のランタンが傾き、鎖の音がチリンと鳴った。

 

 トロールは完全に失神している。鼻からはまだ血が垂れていたが、もう反応はない。

 

 「ふぅ……ったく。女子トイレで何してやがった」

 

 俺は巨体を一瞥して肩をすくめる。

 

 「ちょうどいいボーナスタイムだったな、ジジイに報告して金をもらう。完璧だ」

 

 そう呟いて、俺は倒れたトロールを跨ぎ、壊れた扉を出た。

 

 トロールの巨体が倒れ伏した女子トイレからは、血と土と獣臭の入り混じった生臭さが漂い続けていた。

 

 静かな廊下に戻ると、遠くから生徒達のざわめきと教師の怒号が聞こえる。

 避難は順調のようだ。

 

 「さて……報告に戻るか」

 

 拳を軽く握り、血の感触を確かめながら俺は歩き出した。

 

 やれやれ……トロールってのは、呪霊よりよっぽど扱いやすい獲物だったな。

 

 廊下を歩いていると、前方から教師たちが慌ただしく小走りでやってきた。

 

 「おせぇな」

 

 誰にも聞こえないように小さく呟く。

 

 先頭にいたのはミネルバ・マクゴナガルだ。その後ろにはセブルス・スネイプ、さっきまで大広間で気絶していたクィリナス・クィレル、そしてアルバス・ダンブルドア。全員が明らかに息を切らせている。年寄りども。

 

 「フシグロ先生! トロールは?」

 

 マクゴナガルが勢いよく声をかけてきた。眉間にしわを寄せ、焦りと安堵が入り混じった表情をしている。

 

 「そこの女子トイレで気絶してる。もう動かねぇよ」

 

 短く言い放つと、後方でスネイプがわずかに顔をしかめた。マクゴナガルは俺の肩越しにトイレの方を見て、目を見開く。

 

 「まさか、あなたが一人で……?」

 

 「他に誰がいる」

 

 「……やれやれ、君はやはり普通の教師ではないのぉ」

 

 ダンブルドアがいつもの調子で笑いながら一歩前へ出る。だがその目は笑っていなかった。

 トロールが“どうやって”侵入したか、そこが問題なんだろう。

 

 俺はほんの一瞬、クィレルに視線を向けた。

 

 するとあからさまに、奴は目を逸らした。

 

 “確定”とまでは言わねぇが、怪しさ満点だ。ま、俺が今ここで追い詰める必要はねぇ。あとでダンブルドアに報告すりゃいい話だ。

 

 「気配からして誰かが城内に入れたのは間違いねぇ……」

 

 「……そんな」

 

 マクゴナガルが低く呻くように言った。教員たちの間に緊張が走る。

 

 俺の鼻と耳は誤魔化せねぇ。トロールの臭いと、一緒にあった“別の臭い”はハッキリと覚えてる。

 

 その時、ふとスネイプの足元に目を向けた。

 

 「おい、スネイプ。お前、なんで怪我してんだ? 足から血が出てんぞ」

 

 俺の声に、スネイプの肩がピクリと跳ねた。黒いローブの裾から滲む赤。軽い傷じゃねぇな、あの歩き方。

 

 「……転んだのだ」

 

 「それは無理があんだろ」

 

 あからさまに嘘だな。まあ、こいつも何か掴んでるんだろう。

 

 「ゴホンッ……もういいじゃろう」

 

 空気を切るように、ダンブルドアが杖を軽く突いた。

 床に淡い光が走り、破壊されたトイレの方角へと伸びていく。どうやら片付けと補修の魔法らしい。便利なもんだな。

 

 「フシグロ君、よくやった。おかげで生徒には被害が出ておらん」

 

 「まぁ、そんなに手こずる相手でもなかったしな」

 

 俺が肩を回すと、マクゴナガルは安堵のため息を漏らし、クィレルは相変わらず挙動不審な視線を宙に泳がせていた。

 

 「……後で校長室にきてくれるかの?」

 

 ダンブルドアがいつもより少しだけ真面目な声で言った。

 

 「話があるんだろ」

 

 「ふむ」

 

 やはり“トロールを誰が入れたのか”が本題になるな。

 

 それに、俺にはもうひとつ気になることがある。

 あの臭い――あれはトロール単体のもんじゃねぇ。もっと冷たい、もっと深い、“別の何か”が混じってた。

 

 「分かった。あとで行く」

 

 俺がそう答えると、ダンブルドアは満足げに頷いた。

 

 スネイプは黙ったままトイレの中へ向かい、マクゴナガルは全教員に生徒の安全確認を指示している。

 クィレルだけが所在なさげに立ち尽くし、汗を拭っていた。

 

 「……やっぱり、臭ぇな」

 

 俺は心の中で呟く。

 

 あいつ――何か隠してやがる。

 

 ただ、それを暴くのは今じゃねぇ。俺の仕事はあくまで“外敵を殺すこと”。詮索なんざ、ジジイの仕事だ。

 

 「じゃ、あとは任せた」

 

 ひらりと手を振ってその場を離れた。

 

 背後では教師たちが慌ただしく動き回っている。だが、俺の頭の中には妙な静けさがあった。

 

 あの夜と同じ――薄く張り詰めた緊張と、近づきつつある“何か”の臭い。

 

 「……退屈は嫌いじゃねぇけど、こういう空気も悪くねぇ」

 

 廊下を歩きながら、俺はふっと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校長室には、夜の静けさが深く染み込んでいた。

 

 壁に飾られた古い肖像画の魔法使いたちは、一様に眉を寄せ、いつになく静かに二人を見下ろしている。

 

 暖炉では炎がゆらゆらと揺れ、橙の光が部屋の木目を照らし、古びた机の上に陰影を作っていた。

 

 向かい合っているのは伏黒甚爾とアルバス・ダンブルドア。両者の間には、張り詰めたような、しかし一歩踏み込めば崩れ落ちるような微妙な空気が漂っていた。

 

 「では報告を頼む」

 

 ダンブルドアが眼鏡を押し上げながら静かに言う。

 

 甚爾は腕を組み、椅子の背もたれにどっしりと身を預けた。

 

 「あぁ……気配を辿ってトロールの居場所を突き止めた。途中でクィレルとトロールの臭いが混ざった痕跡があった。城内に入れたのはまずアイツで間違いないだろうな」

 

 「そうか……ふむ」

 

 ダンブルドアは長い顎髭を撫でながら目を細めた。

 

 「臭いの混ざり方からして、ほぼ同時刻に動いていたな。偶然じゃねぇ」

 

 「君の嗅覚には本当に感心するよ。普通の魔法使いでは辿れんだろう」

 

 「そりゃどうも。だがな、ジジイ……」

 

 甚爾は椅子から立ち上がり、ゆっくりと机の縁に片手を置いた。

 

 「……これ、タダ働きってことにはならねぇよな?」

 

 「……ほう?」

 

 ダンブルドアの眉が、ほんの少しだけ動いた。

 

 「危険な相手をブチのめして、生徒の安全を守った。教師の仕事以上のことをしたんだ。だったら報酬があってもいいんじゃねぇか?」

 

 甚爾の声には一片の遠慮もない。

 

 ダンブルドアは肩を震わせ、まるで愉快な冗談でも聞いたかのように微笑んだ。

 

 「なるほど。確かに、君の働きは目覚ましいものじゃった」

 

 「なら話は早ぇ」

 

 ダンブルドアは机の引き出しを開けると、小さな革袋を取り出した。革袋の口はきっちりと縛られているが、その中からはガリオンが触れ合う硬い音がした。

 

 「これは臨時の手当じゃ。トロールの件で特別に出そうと思っておった」

 

 甚爾は袋を受け取り、手の中で揺らす。じゃらりと心地いい音が響いた。

 

 「悪くねぇ額だな」

 

 「教師として当然の義務を超えて動いてくれたからの。感謝しておる」

 

 「教師らしいことなんざした覚えねぇけどな」

 

 「ふふ、それでも君は守った」

 

 ダンブルドアの声は穏やかだが、その眼差しは鋭い。老魔法使いとしての勘が働いているのだろう。

 

 「この件、クィレルについて調べを進めるつもりか?」

 

 甚爾の問いに、ダンブルドアは少しだけ目を伏せた。

 

 「今はまだ、確証が足りん。だが“何か”が動き始めているのは確かじゃ」

 

 「やっぱりな。アイツ、臭いが悪ぃ」

 

 「臭い、とな?」

 

 「トロールのと混ざってた。あいつは何かを隠してやがる」

 

 ダンブルドアは深く頷くと、革袋を指さした。

 

 「……その金には、もうひとつ意味がある。君には今後、()()()()()()夜間の巡回を任せたい」

 

 「……」

 

 「普通の教員では探知できぬものを、君なら察知できる。夜に潜む“異物”を、じゃ」

 

 甚爾は革袋を指で弾き、カランと音を鳴らした。

 

 「追加料金次第だな」

 

 「君は実に分かりやすいのぉ」

 

 「金がないと飯も競馬もできねぇからな」

 

 ダンブルドアは軽く笑い、もう一つ引き出しを開けて何かを記し始めた。

 

 「夜間巡回の特別手当も考えよう。君には“働いた分”はきっちり払う」

 

 「話が早くて助かる」

 

 甚爾は椅子の背に寄りかかり、にやりと笑った。

 

 「それと……」

 

 「ん?」

 

 「今後、何かを“見た”時、私に直接報告してほしい」

 

 「つまり……監視役ってわけか?」

 

 「見方によってはそうなるな」

 

 老魔法使いの目は、炎を映しながらも氷のように冷たかった。

 

 「俺は探偵じゃねぇ。あくまで“外敵”を潰すのが仕事だ」

 

 「それで十分じゃ。今はそれでな」

 

 甚爾はふっと鼻で笑い、革袋を懐に入れた。

 

 「金も貰ったし、しばらくは付き合ってやるよ」

 

 「頼もしい限りじゃ」

 

 「……ただし、金は忘れんなよ」

 

 「もちろんじゃ」

 

 二人の視線が交差する。

 

 その場に張り詰めた空気は、ただの報告会ではなかった。

 戦いの匂いを知る者と、戦いを予見する者の視線だった。

 

 「じゃ、俺は戻る」

 

 甚爾が背を向けると、ダンブルドアは静かに呟いた。

 

 「――やはり、君が来たのは偶然ではないのかもしれんな」

 

 「……そういう言い方は嫌いだぜ、ジジイ」

 

 「ふふ、君らしい」

 

 甚爾はそれ以上振り返らず、重厚な扉を開け、冷えた夜の廊下へと出ていった。

 

 扉が静かに閉まると、ダンブルドアは暖炉の炎を見つめ、低く息を吐いた。

 

 「……嵐の前触れ、かのう……」

 

 革袋の中でガリオンが揺れ、夜の校舎の奥深くで、確かに何かが蠢き始めていた。




ハリー達は賢者の石を見つけられるのか!?


感想1話で50件とかもらってみたい。返信が大変そうだけど。
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