ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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伏黒甚爾と不死鳥の騎士団
第一話


 

 

 

 

 夏休み半ば。三大魔法学校対抗試合を制し、ヴォルデモートの復活を目撃し、そしてほんのわずかながら死を分け合う決闘まで経験したハリー・ポッターは、例年どおりダーズリー家に戻っていた。戻ったとはいえ、そこにかつてのような惨めさや怯えはない。伏黒甚爾の授業で身体を鍛え、精神を鍛え、戦場の空気まで僅かに感じ取れるようになった少年は、今やダーズリー家という小さな檻に収まる器ではなくなっていた。

 

 その証拠に──

 

 「ダドリー!そこ!そうだ!」

 

 「フッ!フッ!」

 

 家から少し離れた空き地で、ハリーとダドリーが向かい合ってスパーリングをしていた。二人の靴が乾いた土を蹴り、汗が額を伝い、近所の猫が妙なものを見るように視線を向けて逃げていく。以前は太り切った身体を揺らしハリーをいじめていたダドリーだが、今では別人のように締まった腕を振るい、短い息を鋭く吐き出していた。

 

 「ダドリー、ガード下がってるよ。そこ殴られたら倒れる」

 

 「わ、分かってる!」

 

 ダドリーの額には汗が滴り落ちているが、その目は昔のような濁りではなく、勝ちたいという真っ直ぐな意思を宿している。ハリーが特訓をつけるようになってからダドリーは性格まで変わり、いじめの関係から、気づけば奇妙な友情にすり替わっていた。

 

 ふと、ハリーが動きを止めた。

 

 「ん?」

 

 「どうした?ハリー」

 

 ハリーは空を見上げる。ついさっきまで青空が広がっていたはずなのに、いつの間にか雲が重く垂れ込み、風が湿った冷気を含んで吹き始めていた。ひと雨来るだけならよくある話だが、ハリーの肌にまとわりつく“嫌な気配”は、天気だけでは説明がつかない。

 

 「なんか嫌な感じがする。今日は帰ろっか、ビッグD」

 

 「もう終わりか?まだまだやりたかったのにな」

 

 「家でやろうよ。そっちの方が安全だし」

 

 「まあ、そうだな!」

 

 二人が家へ向かい始めて数十秒もしないうちに、空気を切り裂くような強烈な雨が叩きつけた。霧のような水滴が顔に刺さり、シャツが一瞬で肌に張り付く。あまりの降りの強さに、二人は家の途中にある古いトンネルへと駆け込んだ。

 

 「ちょ、すげぇ降ってきたな……!」

 

 雨音が金属の天井を叩き、鼓膜を震わせる。だが、ハリーはその騒がしさの中に飲まれることなく、むしろ逆に──ある異様な静寂を感じ取った。周囲の空気が一気に温度を失い、息を吸うたび肺の奥が凍えるような冷気が入り込んでくる。霧雨がトンネル内にしみ込み、それすら硬く結晶になるみたいに冷たい。

 

 「……ダドリー、僕の後ろに下がって」

 

 「え?なんだよ?なんかいんのか?」

 

 マグルであるダドリーには、その“影”は見えない。

 

 だが、ハリーの目の前には、薄闇を裂いてそこに“存在する”何かがいた。アズカバンの看守──ディメンター。腐臭と死気を孕んだ冷気が、トンネルの入口からゆっくりと流れ込み、暗闇ごと二人を包もうとしていた。

 

 ハリーの呼吸が一瞬浅くなる。脳裏に冷たい気配が押し寄せ、心臓の鼓動が僅かに乱れた。だが、以前と違い、彼の足はすぐにはすくまない。伏黒甚爾の授業で叩き込まれた“恐怖の中でも動け”という教えが、身体の奥に根付いていた。

 

 「エクスペクト──(守護霊よ)

 

 ハリーは濡れたシャツの内側から杖を抜き放ち、指先に力を込めた。

 

 「パトローナム!(来い!)

 

 白い閃光がトンネルの闇を裂いた。雨粒が光を受けて一瞬だけ虹色に弾け、その中心から光の奔流が溢れ出す。やがてそれは一頭の牡鹿の形をとり、その身体は以前よりもはっきりとした筋肉の線を浮かび上がらせていた。強く、逞しく、頼もしい。

 

 光の牡鹿は地を蹴り、トンネルの中へ一直線に駆ける。

 

 ディメンターの黒ずんだ布が風に裂け、存在が後退する。冷気が一瞬だけ悲鳴のように揺らぎ、トンネルの奥に吸い込まれるように逃げていった。

 

 ハリーは肩で息をしながら杖を下ろし、雨宿りの闇へ視線を向けた。

 外はまだ土砂降りだが、トンネル内の空気はほんの少しだけ温度を取り戻している。

 

 「は、ハリー……?いまの……」

 

 ダドリーの声は震えていたが、それは恐怖よりも“理解できない現象を前にした驚き”に近かった。ハリーは息を整えながら、濡れた髪をかき上げた。

 

 「大丈夫。まだ近くにいるかもしれないけど……追っては来ないはずだよ」

 

 自分で言いながら、ハリーはほんの少しだけ背筋を冷たいものが撫でる感覚を覚えていた。

 ──なぜディメンターがここに。

 アズカバンの看守が、許可なくマグルの街中に現れるなどあり得ない。

 

 雨の音が、さっきよりもさらに激しくなった。

 その中で、ハリーは胸の奥にじわりと広がる不安を押し込めながら、濡れたアスファルトに視線を落とした。

 

 ここから、何かが変わり始めている。

 それを肌が告げていた。

 

 そして──この“異常な雨”こそ、魔法界を揺るがす前兆のひとつだった。

 

 「ダドリー、大丈夫?」

 

 「んあ?あぁ、ちょっと寒いくらいだけど何もない。何があったんだ? それ杖だろ?魔法使ったのか?」

 

 トンネルの中に残る冷気は、雨の冷たさとは別種のものだった。骨の芯を撫でるようにじっとりと貼り付き、息を吸うたび肺の奥で凍るような感覚が残る。ダドリーは武者震いだと誤魔化そうとしていたが、彼の体格に似合わぬ小さな震えは、ディメンターの気配をわずかに感じ取っていた証拠だった。マグルである彼に姿そのものは見えなくても、魂を削るあの冷たい圧だけは、確実に肌へ染みていた。

 

 「うん、使った」

 

 ハリーは短く答えた。濡れた黒髪が額に張り付き、杖を握る指に力が残ったままだ。光の牡鹿を形づくった魔力の余韻が、まだ右腕に熱として残っている。だがその熱が逆に、周囲の冷たさを際立たせていた。

 

 「なぁ、確か未成年は魔法を使っちゃいけないんだろ?」

 

 「そうだけど……」

 

 返事は歯切れが悪かった。雨音に混じり、ハリーの心臓が速く脈打つのが自分でも分かる。未成年の魔法使用の禁止──それは魔法界では絶対の規則だ。《外》での使用は特に厳しく、違反すれば重い処罰が下される。だが今日ばかりは、そんな規則より命の危機の方が圧倒的に上にあった。

 

 「とりあえず帰ろう。まだ嫌な感じがする。急ごう」

 

 「おう」

 

 二人はトンネルから飛び出し、容赦なく叩きつける雨に身を晒しながら家へ走り出した。足元の水たまりが跳ね、冷水が膝裏を打つたびにダドリーは顔をしかめたが、ハリーは気にも留めず前だけを見ていた。背後に残るあの冷気が、雨音の奥でまだ追ってくるような錯覚さえあった。

 

 家に飛び込み、玄関のタイルに水滴を落としながらタオルを掴んで身体を拭う。ようやく温かい空気が肌に触れ、ふたりの呼吸が少し落ち着いたころ、リビングから妙な光景が飛び込んできた。

 

 バーノンがソファに座ってプロテインを飲み、ペチュニアがテレビの前でストレッチをしていた。二人とも以前のような肥満気味の姿ではなく、ハリーとダドリーの鍛錬に触発され、わずかながら体型を気にし始めているのが見て取れた。バーノンの腹回りがほんの少しだけ凹んでいるのを、ダドリーは密かに誇らしく思っていた。

 

 「あら、お帰りなさい……あんたたち!ずぶ濡れじゃない!」

 

 ペチュニアはタオルを新しく差し出しながら、母鳥のように二人の顔を覗き込んだ。

 

 「シャワー浴びてこいよ〜」

 

 バーノンはまだ息が上がっているのか、妙に柔らかい声でそう言った。いつもの怒鳴り声ではない。

 

 その瞬間だった。雨に濡れた窓がふいに開き、冷たい風とともにフクロウが室内へ舞い込んできた。ペチュニアが悲鳴をあげ、バーノンがプロテインをこぼしそうになる。

 

 フクロウは一直線にハリーへ向かい、一通の手紙を落としていった。

 

 「んー?」

 

 ハリーが拾い上げた瞬間、紙がふわりと浮かび上がり、まるで生き物のように形を変え始めた。折り目が勝手に動き、皺が寄り、やがて口の形を作る。

 

 そして、突如として大声が響いた。

 

 「『ポッター殿、あなたは未成年でありながら今日午後6時23分人間(マグル)の前で守護霊の呪文を行使した。“未成年魔法使いに関する法令”違反により——ホグワーツ魔法魔術学校を退学処分とする。ご健勝を、マチルダ・ポップカーク』」

 

 バーノンが口を開けたまま固まり、ペチュニアの手からタオルが落ちた。ダドリーは「はぁ!?」と声を上げ、ハリーだけが紙片を握りしめたまま、凍りついて動けなかった。

 

 外では相変わらず雨が激しく地面を叩き続けているが、ハリーの耳にはその音さえ遠ざかっていくように聞こえた。胸の奥を冷たい針で突かれたような鋭い痛みが走り、指先がじっとりと汗ばむ。さっきまで命を守るために杖を振るったはずなのに、それが学校を奪う理由になるという理不尽が、重くのしかかった。

 

 ダーズリー家の空気が固まる中、ハリーはただ静かに息を飲んだ。

 雨音の奥で、あのディメンターの残滓のような冷気が、まだ背後にまとわりついている気がした。

 

 そして──嵐の中心がこれから訪れることを、この家の誰もまだ知らなかった。

 

 「何だいきなり……」

 

 「退学……」

 

 「そんな突然、ひどいわ」

 

 ハリーの周囲で、バーノン、ダドリー、ペチュニアがそれぞれ固まったように言葉を漏らした。昔ならハリーの失態を喜々と責め立てるはずのバーノンでさえ、今回ばかりは違っていた。雨で濡れたハリーの肩を、思わず心配げに見つめていた。

 

 「お前はこれまでも魔法を使ってただろ!ほら、あの学校に入る前に動物園で窓ガラス消したり!それが何故いきなり法令違反などと!おかしいではないか!」

 

 声を荒げながらも、その奥には混乱と動揺が混じっていた。ホグワーツ入学以前、バーノンは魔法という存在そのものを忌避し、ハリーを遠ざけようとしていたはずだ。しかしハリーの肉体改造じみた成長と、ダドリーとの関係改善、そして日々の家事や訓練への協力を通じて、この家はわずかながら変わった。ハリーが追い出されるという事態を、もはや簡単に歓迎できない家族になっていた。

 

 「それは暴発してたやつだから……まだ許されてたんだと思う。今回のは明確な使う意思があったから」

 

 ハリーは静かに答えた。濡れた髪を指で払いつつ、先ほどの手紙を改めて開く。紙はまだ魔力の余韻を帯びているのか、ひんやりとした感触が指に残った。ディメンターを前にして咄嗟に放った守護霊の術。その正当性を考える余裕などなかった。ただダドリーを守る。それだけだった。

 

 「し、死んでたかもしれないんだぞ、あれは……」

 

 ダドリーがぽつりと言った。大柄な身体を縮め、腕に鳥肌を立てている。彼にはディメンターの姿は見えなかったが、魂を削る冷気だけは確かに感じたのだ。それがどれほど恐ろしいものだったのか、いまになって理解が追いついていた。

 

 ハリーは続けて手紙の文を読み下ろした。読み飛ばされた部分は、形を変えた口による宣告よりもさらに冷酷だった。

 

 「『魔法省ウェゼンガモット法廷で尋問があります。所定の時間を厳守し必ず出廷してください。なお守られない場合は闇祓いによる強制捕縛が行われます』」

 

 その一文を読み上げた瞬間、部屋の空気がまるで氷点下に落ちたように感じられた。ペチュニアが口元を押さえ、ダドリーが「え、捕まるのかよ……」と息を呑んだ。バーノンは信じられないといったように首を振りながら、大きく息を吸い込んで叫んだ。

 

 「捕縛だと!? 闇祓いというのは……あの、その……魔法世界の警察のようなものだろう!?なぜ子供を捕まえるんだ!」

 

 「魔法省が決めることだから……」

 

 ハリーは顔を伏せた。胸のあたりに重たい石を押し込まれたような苦しさが広がる。ディメンターに襲われた直後の冷えとは別種の、もっと粘りつくような重圧だった。

 

 「ハリーは悪くないだろ!俺だって感じたんだぞ、あの……寒気。あれが危険じゃなかったわけない!」

 

 ダドリーは拳を握りしめて立ち上がった。筋肉質になった腕に力が入って震える。彼にとって、いま目の前のこの状況は理不尽以外の何物でもなかった。

 

 ペチュニアも息子の背中越しに言葉を紡ぐ。

 

 「そうよ……なにかの間違いじゃないの? だって、あなたは人を守ろうとしただけじゃない……」

 

 「でも、ルールはルールだから……」

 

 ハリーの声は弱々しかった。それが自分を責めるようにも聞こえ、三人の視線がより一層深い心配を帯びる。彼らは魔法界の掟に詳しくはないが、それが時に残酷なまでに無慈悲に働くことを、手紙一枚で悟ってしまった。

 

 外では雷が落ち、窓を叩く雨脚がさらに強まった。まるで魔法省からの通知が、この家の空気を嵐へ巻き込む合図であったかのように。

 

 バーノンは大きく息を吸い、ぎこちなくハリーの肩に手を置いた。

 

 「いいか、ハリー。どうすればいい?その……法廷とやらには行かなければならんのだろう?」

 

 「うん。行かないと……もっと悪いことになる」

 

 「だったら、行こうじゃないか。家族として……だ」

 

 その言葉に、ハリーは思わず顔を上げた。驚きと温かさが胸に広がる。こんな日が来るとは、ホグワーツに入る前の自分なら想像もできなかっただろう。

 

 だが温もりの裏では、次に何が待ち受けるのかという不安が重く底を這う。

 

 ウェゼンガモット法廷──魔法界の最も古く、最も厳格な審判の場。

 未成年が呼び出されるなど前代未聞。

 そこに向かうということは、嵐の中心へ足を踏み入れることと同じだった。

 

 そして、ハリーはゆっくりとタオルを下ろし、家族を見渡した。

 逃げられない。行くしかない。

 手紙を折り畳む音が、やけに大きく響いた。

 

 こうして嵐の夜、彼は新たな闘いの始まりへと歩き出すことになる。

 

 その日の夜、ダーズリー家では晩御飯の皿が静かに並べられていた。しかしテーブルを囲む4人の表情はどれも硬く、温かい料理の湯気が立ちのぼる食卓とは不釣り合いな重さが空気に沈んでいた。原因は明白だった。ハリーのホグワーツ退学通告、そして近々行われる魔法省での尋問。どれも少年の未来を揺るがすほど重大で、家族にとっても他人事ではなかった。

 

 テレビでは派手な衣装のコメディアンが観客を笑わせている。歓声と拍手は明るく響くのに、この家にはひと欠片の笑い声も落ちなかった。ペチュニアの作った棒棒鶏サラダも、湯気が消えてしまったように見えるほど味気なさを漂わせている。

 

 「ママ、美味いよ」

 

 「ダドリーちゃんありがとう」

 

 ダドリーが箸を動かしながら言った。筋肉で腕回りが太くなった息子が、以前とは違う穏やかな表情で母を気遣う。3年生に上がる夏休みの頃、ハリーの“指導”という名の容赦ないトレーニングを受けて以来、ダドリーは驚異的に変わった。暴食を減らし、甘い物を断ち、ペチュニアの作る料理も健康的なものに変わっていった。ペチュニアは最初こそ戸惑ったものの、次第に料理の工夫に楽しさを見いだし、今ではハリーの食卓にも気を配るようになっていた。

 

 棒棒鶏の胡麻の香りと蒸し鶏の白い湯気が漂うなか、誰も口を開かず黙々と咀嚼するだけだった。沈黙が痛いほど響きはじめた頃、玄関のチャイムが夜の静けさを破った。

 

 ピンポーン。

 

 ペチュニアが驚きで顔を上げる。バーノンは「誰だこんな時間に」と小声でつぶやきながら椅子を引き、玄関へ向かった。足音が廊下に吸い込まれていく。しばらくして、低く太い声が家中に響いた。

 

 「ハリー!!お客さんだ!」

 

 ハリーは反射的に顔を上げた。こんな時間に? 嫌な予感と期待の入り混じった感情が胸を駆け抜ける。椅子を押しのけて立ち上がり、廊下を早歩きで進んだ。

 

 玄関に辿り着くと、薄い外気が流れ込み、雨の匂いが漂っていた。その向こうに──

 

 「シリウス! ムーディ先生! えっと……」

 

 そこに立っていたのは、黒衣のローブを羽織ったシリウス・ブラック。日に焼けた精悍な顔に笑みを浮かべ、かつての逃亡者とは思えないほど堂々とした立ち姿だった。その隣には、片足をゆるく引きずりながら玄関に入ってきたアラスター・“マッドアイ”・ムーディ。魔法の義眼が玄関・天井・床をくるくると見回し、警戒心を隠そうともしない。

 

 さらに──ハリーの視線は、シリウスとムーディにはさまれるように立つ女性で止まった。

 

 ショートボブの髪はふわりと紫色に染まり、蛍光灯の光に反射してゆらめいている。しなやかな身体にフィットしたジャケット、鋭い目つきに反してどこか人懐っこさを宿した表情。彼女は玄関に入ると、少しだけ腰をかがめてウインクした。

 

 「初めまして、ハリー・ポッター。ワタシはニンファドーラ・トンクス。トンクスって呼んでね」

 

 その声は明るく張りがあり、玄関の重たい空気を一瞬で吹き飛ばしたように感じられた。

 

 「ニ、ニンファ……?」

 

 「だからトンクスって呼んでって言ったでしょ。ニンファドーラは嫌いなの」

 

 シリウスが笑いながら肩をすくめる。

 

 「ハリー、彼女は不死鳥の騎士団の新人だ。今夜は、お前の保護のために来た」

 

 ムーディの低い声が重く響く。

 

 「……魔法省が動いた。ディメンター襲撃の件、そして“退学”の通告。このまま放っておけば、連中はさらに踏み込んでくる。早急にホグワーツの周囲──いや、英国全土が揺れ始めるだろう。お前をここに置いては危険だ」

 

 義眼がガチャリと音を立てて回転し、階段の影まで警戒している。

 

 ハリーは無意識に背筋を伸ばした。

 つい数時間前の通告が、ただの手紙ではなく“始まりの合図”であったことを彼らの登場が物語っているようだった。

 

 「でも……ダーズリー家は……」

 

 ペチュニア、バーノン、ダドリーが背後から顔を覗かせた。ムーディの異様な外見にビクリとするが、それでも引き下がらない。

 

 シリウスが振り向き、穏やかに言った。

 

 「心配しなくていい。彼らに危害は加えさせない。私たちは味方だ」

 

 その声に、ペチュニアがほんのわずかに息を吐いた。

 

 トンクスが明るい声で続ける。

 

 「だからハリー、準備して。夜は長くなるよ」

 

 その言葉は、まるでこれから始まる波乱の予告であるかのように玄関に落ちた。

 

 そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おぉ??」

 

 夏休みも残りわずか、競馬場の喧騒を背にホテルへ戻る途中で、夜風を切るように一羽のフクロウが滑空してきた。蒸し暑い空気を裂いて降りてくるその羽音は妙に鋭く、ただの郵便とは思えない緊張を孕んでいた。フクロウは一瞬だけコーネリウスの頭上を旋回し、嘴に咥えた一通の手紙を落とすと、何かに怯えたようにすぐ飛び去っていった。

 

 「何が書いておる?コーネリウス」

 

 ダンブルドアが紙袋を両手に提げて歩み寄る。袋の中に詰まっているのは今日勝ち取った札束だ。歩くたびに紙幣が擦れる柔らかな音がして、腹立たしいほど景気がいい。対して俺の懐は軽いどころか空洞みたいなもんだ。勝負勘が死んでいるとは思いたくねぇが、今日の大外しの連続はさすがに堪えた。

 

 「うむ……」

 

 さきほどまでワンカップ片手に千鳥足だったコーネリウスが、まるで別人のように背筋を伸ばし、手紙に目を落とす。酔いが一瞬で吹き飛んだらしく、額に刻まれた皺が深く沈んだ。

 

 「ハリー・ポッターが()で守護霊の呪文を使ったようだ。“未成年魔法使いに関する法令”違反で、ウィゼンガモットにて尋問が行われる。……それと、私に判事を務めよとの通達だ」

 

 「ほぉ」

 

 ジジイが白い顎髭を撫でながら低く唸る。俺たちは繁華街のネオンに照らされる歩道をゆっくり進んでいたが、今の一報で空気の流れが変わった。夏の湿った風に混じって、魔力のざわつきのような不穏な気配が薄く広がる。守護霊の呪文なんて使う状況は限られている。ディメンターか、あるいは同レベルの闇の魔法生物に遭遇したってことだ。

 

 思い返せば、ヴォルデモートの復活からまだ時間は経っていない。あいつらが動くには十分すぎる頃合いだった。

 

 「シリウス、ハリーの保護を頼めるかの?」

 

 ダンブルドアの声はいつもの飄々とした調子とは違い、わずかに硬さを帯びていた。シリウスは歩みを止め、深く頷く。

 

 「分かりました。すぐに向かいます。グリモールドプレイスに連れていく」

 

 その横顔には、冤罪の12年を経た男特有の鋭さが戻っていた。仲間を失った苦しみも、ハリーに対する不器用な愛情も、すべてその眼光に込められている。

 

 「うむ。わしは弁護人として魔法省に向かう。フシグロ君、君はシリウスと共に動けるかな?」

 

 「なんだ、夏休みは終わりか」

 

 ため息が自然と漏れた。だが、口に出した声は妙に軽い。夏の終わりがどうこうより、俺は仕事には慣れている。呪術界でも魔法界でも、守るべきガキがいるなら動くのが筋だ。

 

 「まぁ、そういうことになるの。残念じゃが……」

 

 ジジイが肩を落とす。夏の夜の街灯に照らされて、金色の髭がひどく寂しげに揺れた。ほんの数分前まで、駅前の立ち食いそばを食おうだの、ホテルに戻ったら風呂に入ってマッサージでも呼ぶだの、くだらねぇ話をしていたのに、一枚の手紙で現実に引き戻された。

 

 それでも歩みは止まらない。競馬場帰りの人間でごった返す道を抜け、俺たちは宿へ向かう。

 

 「しかし……守護霊の呪文か。相手はディメンターだろうな」

 

 シリウスがぼそりと呟く。あの灰色の亡霊どもは、普通ならマグルの町に姿を現さねぇ。魔法省の監視のもとアズカバン周辺に配置されているはずだ。それが外に出てきたってことは──誰かが意図的に放ったと考えるべきだ。

 

 「……あり得るな。蛇野郎の差し金だろ」

 

 俺はポケットに突っ込んだ手を握りしめた。人通りが多いせいで気配が混じり合い、暑気と排気ガスが肌にまとわりつくように纏わりつく。そんな雑踏の中でも、悪意だけは妙に輪郭がくっきりしている。もしハリーが一人でいたら、あのガキは魂ごと喰われて終わりだったかもしれねぇ。

 

 「ハリーを守れるのは我々しかおらん。魔法省も信用できんからの」

 

 「すまない」

 

 ジジイが小さく呟く。札束の入った紙袋を握る手が、ほんのわずかに震えていた。あの老人は楽しげに笑っていても、判断は誰より冷静で、覚悟も重い。コーネリウスも同じく紙袋を持ち、申し訳なさそうに見えない赤ら顔で謝った。

 

 「……ったく、面倒ごとばっかりだ」

 

 口ではそう言うが、胸の奥ではすでに決意が固まっていた。ハリーは俺の教え子だ。弱っちいときから見てきた。殴られてもへこたれず、必死に食らいついてきた。あのガキをこんなとこで死なせるのはどうにも気分が悪りぃ。

 

 シリウスがふと笑う。

 

 「甚爾、お前も来てくれるんだな」

 

 「仕事だからな。当たり前だろ。というか放っておいたらお前ひとりで突っ走って死ぬだろうが」

 

 「フッ否定はできん」

 

 そんなくだらねぇやり取りを挟んだあと、俺たちは宿へ着いた。ホテルの自動ドアが静かに開き、冷房の涼しい風が肌を撫でる。この平穏が、明日には戦場になるかもしれねぇ。

 

 「じゃあ、動くか」

 

 俺たちは無言で頷き合った。

 

 夏休みの締めくくりは、思いもよらぬ形で幕を開けるのだった。

 

 

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