ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾” 作:物体Zさん
今回も短めです。
トロールの騒動も沈静化し、すっかり過去の話になっていた。
誰もがもうそんなことを気にしている余裕はなかったのだ。
理由は一つ。
伏黒甚爾の体育の授業に備えるため、少しでも体力を温存しておきたいと生徒達が本能的に思っていたからだ。
筋トレ地獄、組み手、打ち込み、そして飯。
魔法学校とは名ばかり、もはや軍隊の訓練所と化したホグワーツの一日は、確実に生徒たちの体を鍛え上げていた。
「最近、杖を振る前に拳を握る癖がついてきたんだけど……」
「それ分かる……でも、筋トレの後だと魔法が軽くなる気がしない?」
「僕、ちょっと腹筋割れてきたかも……!」
そんな会話が寮の談話室でも日常的に飛び交うようになっていた。
そして、11月中旬。
ついにクィディッチのシーズンが始まる。
ハリー・ポッターは史上初、1年生ながらシーカーとしてグリフィンドール代表に選ばれた。
寮はお祭り騒ぎで、談話室には旗や横断幕が張られ、生徒たちは勝利のための応援歌まで勝手に作り始めていた。
一方のスリザリン側では、戦略会議と称して夜な夜な作戦を練り、相手チームを出し抜く方法を真剣に考えている。
魔法界でのクィディッチはただのスポーツではない。
誇りと名誉、そして時に賭け事まで絡む非常に熱狂的なイベントだ。
そんな中――伏黒甚爾はホグワーツの時計塔の上で、ひとりタバコをふかしながら空を見上げていた。
「な、なぜだ……なぜ勝てない……!?」
空気が冷たい。
11月の風が白い息を攫っていく。
彼の手元には、かつて分厚かった財布の残骸。
月々の給与、トロール退治の報酬、さらに夜間巡回のボーナス――すべてが、日本競馬という魔物に呑まれて消えていた。
数日前のこと。
甚爾はいつものようにハグリッドのバイクを借りパクし、深夜のイギリスを飛び立って日本へと渡った。
目指すは競馬場。
前回負けた時の屈辱を晴らすため、念入りに準備をしていた。
山奥に隠したバイクを降り、夜明け前にタクシーを拾い、レース開始の1時間前にはすでに競馬場入り。
馬のコンディション、歩様、騎手の癖まで観察した。
「今回は勝てる……完璧な布陣だ……」
そう確信していた。
あの時までは。
だが――結果は無残な大惨敗だった。
買った馬券はすべて紙くずと化し、ポケットからすっからかんの財布が顔を出した瞬間、甚爾の心から何かが音を立てて崩れ落ちた。
「ちくしょう……あの牝馬の足元の踏み込み、あれは勝ち馬のもんだっただろうが……」
競馬に“もしも”はない。
彼はそれを知っていた。
だが納得できるわけがない。
この一ヶ月で稼いだ金が、跡形もなく吹き飛んだのだ。
甚爾は煙草の先を見つめたまま、白い息を深く吐き出した。
「……結局、俺にギャンブル運なんざねぇんだよな」
目を閉じると、競馬場の熱気と馬の蹄の音、そして外れ馬券を握りつぶした自分の手の感触が蘇る。
呪術師も魔法使いも、トロールすらも殴り倒せるこの腕が、競馬の前ではまるで役に立たない。
「クソが……」
低く吐き捨て、塔の外に灰を落とす。
そんな彼の耳に、遠くから聞き慣れたガキ共の声が届いた。
「ハリー、いよいよだね!」
「うん……僕、絶対勝つ!」
「私達、応援してるから!」
下の広場を見下ろすと、ハリー・ポッターを先頭にロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーが走っていた。
ハリーは真新しい真紅のクィディッチ用ローブを身にまとい、緊張よりも高揚感が滲んだ顔をしている。
「……あいつ、ほんと若ぇな」
甚爾はふっと鼻で笑い、煙を吐いた。
「ああいう顔ができるってのは、まだ“金の苦しさ”を知らねぇ証拠だ」
だが、どこか羨ましさもあった。
勝負に全力で向かっていける顔。
純粋な勝ちへの渇き。
自分がかつて持っていて、とうの昔に失ったもの。
「……ったく、しょうがねぇ」
甚爾は立ち上がり、時計塔の欄干に片足をかけた。
そこからはクィディッチ競技場が一望できる。
風が強く吹きつけ、ロングコートがはためいた。
グリフィンドールとスリザリンの応援旗が翻り、観客席からはすでに歓声が上がっている。
「クィディッチってやつが、どれほど面白いか」
灰色の瞳が、空へと向けられた。
彼にとってギャンブルは負け続けてきた因縁の戦場だ。
だが、少年たちにとってはまだ“夢の舞台”である。
金を賭ける側と、勝利をつかむ側。
その差を、甚爾は嫌というほど理解していた。
「ま、俺が勝つ必要はねぇ。勝つのは――ガキ共の番だ」
ふっと息を吐き、煙草を投げ捨てた。
それは空中で小さく弧を描き、地面に落ちて火花を散らした。
クィディッチ初戦の幕が、いよいよ上がろうとしていた。
「ポイ捨てをしたらいかんぞ」
背後から落ち着いた声がした。振り返ると、ダンブルドアのジジイがそこに立っていた。まるで空間から“滲み出る”ように現れやがった。
「ダンブルドア……」
その手には、俺がさっき欄干から投げ捨てた吸い殻がきっちりと摘まれていた。どうやら、俺の悪行を見逃すつもりはないらしい。
「前から気になってたんだが、その魔法は誰でも使えるのか?ビシュンッって瞬間移動する魔法だ」
「ふむ、姿現しのことじゃな?」
ダンブルドアは吸い殻を指先で軽く揺らしながら微笑む。その目は、まるで全てを見透かしているようで妙に腹が立つ。
「大人向けの高等魔法じゃが、練習すれば誰でも使える。じゃが……失敗すれば
「バラける?」
「身体がバラバラになるんじゃよ。この魔法を使うには、『どこへ』『どうしても』『どういう意図で』という3つの要素を強く意識する必要がある。ま、魔法を使えんフシグロ君には全く意味のない話じゃ」
「……」
こいつは時々、俺にちくちく刺さるような言い方をする。悪気がねぇのが余計に腹立つ。
「ところでフシグロ君、クィディッチは見ないのかい?わしの隣に席が空いておるぞい」
そう言って、ジジイはにこにこと笑ってやがる。
「……いや、別に興味はねぇ」
俺は短くそう答えた。
クィディッチ。
箒に跨って空を飛びながら、ボールを追っかけて殴り合う、空飛ぶサッカーみたいな競技。初めて見たときから正直「バカみてぇな競技だな」としか思えなかった。
「ふふ、そう言うと思っておったよ」
「じゃあなんで誘ったんだよ」
「“興味はない”と言いながら、君はもう15分も競技場を見下ろしておる。風に当たりながら煙草をふかし、心のどこかで『まぁ暇つぶしにはなるか』と思っておる顔じゃ」
こいつ……地味に観察力が高い。
「……まあ、暇だからな」
俺はぼそりと呟き、再び視線を競技場に向けた。
観客席には生徒たちがぎっしり詰まり、旗や横断幕がひらめいている。グリフィンドールは赤と金の旗を振り、スリザリンは緑と銀の紋章を掲げていた。地鳴りのような歓声が空気を震わせる。
「まったく、これだから学生のイベントは面倒なんだ」
「面倒だと言いながら、君はクィディッチの賭け率を気にしておるのではないかね?」
「……ッ!」
図星だ。
確かに俺は数日前から、闇賭博みたいな換金所でクィディッチの賭け率を聞いていた。
あの店は呪術界ともつながっている裏の稼業で、魔法界の情報にも妙に詳しい。
グリフィンドールとスリザリンの勝敗賭け――オッズはグリフィンドールが2.8倍、スリザリンが1.6倍だった。
俺はグリフィンドールに突っ込もうとして、ギリギリで踏みとどまった。
なんせ、前回の競馬で財布が死滅している。
「……俺に金の話をするんじゃねぇ」
「ふふ、図星を突かれると人は黙るものじゃ」
ジジイは肩をすくめ、長い髭をなでた。
「ハリー・ポッターの初試合じゃ。君も見ておくといい」
「なんで俺があのガキの試合を」
「君は戦いを見る目がある。何か面白いものを拾うかもしれんぞ?」
そう言い残して、ダンブルドアはひらりとローブを翻し、まるで風と同化するようにその場を離れた。
一瞬、空気が揺らぎ、次の瞬間には姿がなかった。
「……あれが“姿現し”か」
妙な魔法だ。呪術とは構造がまるで違う。
呪術は「負の感情」を根源にしているが、魔法は「意志と意図」が核になる。
だが根っこの匂いは、魂に触れる部分はやっぱり似てる。
「バラける、ね……魔法使いってのは無駄に命懸けの遊びが多いな」
俺は欄干に背中を預け、競技場に目をやった。
選手たちが箒に跨がり、空に浮かび上がる。
観客席からはひときわ大きな歓声があがった。
「ま……金はねぇが、見物くらいはタダだからな」
冷たい風が吹き抜け、赤と緑の旗がはためく。
それを見上げながら、俺は煙草の箱から1本を取り出し、ライターを鳴らした。
パチン、と火花が散る。
煙が白く夜空に溶けた。
「クィディッチってやつが、どれだけのもんか見せてもらおうじゃねぇか」
小さく呟き、試合開始の瞬間を待った。
金は賭けていない。
だが、胸の奥のどこか――ほんの少しだけ、熱が宿っていた。
「……やっぱり行くか」
煙草を踏み消しながら、俺は立ち上がった。
さっき――ダンブルドアが言っていた。「わしの隣に席が空いておるぞい」と。
どうでもいいと思っていたはずなのに、気づけば足は時計塔の縁にかかっていた。
「どうせ暇だ、見物してやるか」
軽く息を吸い込み、塔の欄干から飛び降りた。
石畳を蹴り、重力と風を利用して着地する。膝に負担もない、いつも通りの動きだ。
観客席へと向かう道は、すでに生徒でごった返していた。
赤と金のグリフィンドール、緑と銀のスリザリン。旗が翻り、甲高い声と足踏みが混ざり、空気はすでに祭りのような熱を帯びている。
「教員席は……あそこだな」
コートを囲むようにしていくつもの観客塔が建っている。
その中でも一際目立つのが、教員専用の2つの塔だ。
片方にはダンブルドアと他の教員たちが座る本部席、もう一方にはスネイプとクィレルの姿がちらりと見えた。
俺は群衆をすり抜けるように歩き、教員塔の階段を登っていく。
吹き抜ける冷たい風が、コートの裾をばさりとはためかせた。
塔の最上段、見晴らしのいい特等席。
そこに腰を下ろしていたのは――
「ホッホッホ、やはり気になったかな?」
長い白髭をなでながら笑うジジイ、ダンブルドアだった。
「まぁな」
俺は隣に座り、背もたれに体重を預ける。冷たい鉄の感触が背中を撫でた。
「もうすぐ始まるぞい」
ダンブルドアは目を細め、競技場を見下ろしている。
その声には妙な高揚感があった。まるでガキの運動会を前にした親の顔だ。
俺もつられて視線を下に落とす。
グラウンドには選手たちが並び、箒を構え、風を切る準備をしている。赤と緑が風にはためいて、空全体がざわついているように見えた。
隣の塔――つまりスネイプとクィレルのいる塔にも、ちらりと目を向ける。
スネイプは腕を組み、不機嫌そうな顔でグリフィンドールの選手を睨んでいる。
クィレルは額にうっすらと汗を浮かべ、挙動不審に視線を右往左往させていた。
「……なんかあの二人、仲悪そうだな」
「スネイプとクィリナスじゃ。仲が良いわけなかろう。あやつらは根本的に“相容れん”のじゃよ」
「まぁ、見りゃ分かる」
俺はふん、と鼻で笑い、肘掛けに腕を置いた。
観客席のざわめきが徐々に一つの方向に収束していく。試合開始が近い。
「フシグロ君、今日は賭けはしておらんのかね?」
「……」
「その顔、図星じゃな?」
こいつ……地味に観察眼が高い。
「金がねぇんだよ」
「ほぅ、それは惜しい。今日はいい試合になりそうじゃ」
その言葉に、俺はほんの少しだけ視線を強くした。
勝負の匂い――俺が一番好きな“戦い”の空気が、競技場の隅々にまで染み渡っていた。
箒に跨った選手たちが一斉に宙へと浮かぶ。
その中に、ハリー・ポッターの姿もあった。真紅のローブが風を切り、あいつは目を細めて空を見ている。
「……いい顔してやがる」
無駄な恐怖も、余計な悩みもねぇ。
純粋に“勝つ”ことだけを見ている顔。
俺にはもう持てねぇ表情だ。
金に追われ、勝ちに執着して、そして競馬で全部溶かした俺にはな。
「始まるな」
ロランダ・フーチがホイッスルを吹く。
空気が張り詰め、瞬間――赤と緑が風を裂いて舞い上がった。
隣の塔でスネイプが低く何かを呟き、クィレルがびくりと肩を震わせる。
ここから先はもう戦いだ。
「クィディッチってのが、どれくらいの“勝負”になるか……」
俺は肘掛けに腕を置いたまま、薄く笑った。