ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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お待たせしました。たくさんのコメントありがとうございます。
有馬記念なんで投稿します。ちなみに私は買ってません。ギャンブルはもうやめました。


第八話

 

 

 

 

 城に戻り、そのまま自室へ向かった。長い回廊を歩くたび、石造りの壁が昼間の熱をまだわずかに溜め込んでいて、肌に当たる空気がぬるく感じる。夏が完全に終わったわけじゃない。だが、ホグワーツに生徒が戻ってくるこの匂い、この空気、この音の混ざり方は、はっきりと新学期の始まりを告げていた。

 

 部屋に入り、鞄を床に放り投げる。中身を確認する気にもならない。どうせ呪具と着替えだけだ。鏡に映る自分の顔は、競艇場帰りよりは多少マシだが、相変わらず教師らしさとは程遠い。だが、それでいい。俺は俺だ。

 

 大広間に向かうことにした。ダンブルドアへの報告は山ほどあるが、組み分けと始業式が終わってからでも問題ない。むしろ、あの爺さんは式の前に余計な話を持ち込むと、話が無駄に長くなる。俺はそういうのが一番嫌いだ。

 

 教員用の入口から大広間へ足を踏み入れる。天井は既に夜空を映し、無数の星が静かに瞬いている。長机はまだ半分ほどしか埋まっていないが、生徒たちのざわめきが徐々に大きくなり始めていた。俺はいつもの位置、壁際の隅に腰を下ろす。

 

 隣には、これもいつも通りの顔があった。

 

 「おぉ!フシグロ先生、こんばんは」

 

 小さな身体を精一杯伸ばしながら、フリットウィックがにこやかに声をかけてくる。背の低いおっさんだが、その内側に詰まっている魔力は本物だ。

 

 「どうも」

 

 短く返すと、フリットウィックは気にした様子もなく、椅子の上でちょこちょこと足を揺らした。

 

 「また始まりましたねぇ、ホグワーツが」

 

 「そうだな」

 

 それだけで十分だった。余計な言葉はいらない。生徒たちが戻ってくるということは、騒ぎも問題も必ず戻ってくるということだ。

 

 そうこうしているうちに、生徒が続々と大広間へなだれ込んでくる。赤、青、黄色、緑のネクタイが入り混じり、声と足音が床に反響する。まだ新入生の姿は見えない。ハグリッドが湖を渡っている最中だろう。

 

 「去年も荒れましたが……今年はもっと荒れそうですな」

 

 フリットウィックが、少しだけ声を落として言った。軽い口調だが、目は笑っていない。ヴォルデモートの名が公然と囁かれるようになった今年、平穏を期待する方が無理というものだ。

 

 「まぁ、いつも通りやるだけだ」

 

 俺はそう答え、腕を組んだ。騒ぎが起きれば叩く。歯向かえば折る。それだけだ。

 

 「いやぁ、フシグロ先生の授業のおかげで、生徒達はとても良い子に育ってくれてますよ。授業態度も随分良くなりましたし、本当に助かっています」

 

 「言うことだけは聞くように教えてるからな」

 

 褒められても嬉しくはない。俺がやっているのは教育というより躾だ。だが結果が出ているなら、それでいい。

 

 そのとき、大広間の扉が開き、ざわめきが一段階大きくなった。新入生だ。尖り帽子と期待と不安を抱えた顔が列をなして入ってくる。俺は椅子に深く腰を沈め、視線を巡らせる。

 

 今年も始まる。面倒で、厄介で、血の匂いが消えない一年が。だが、逃げる気はない。金も仕事も、全部ここにある。

 

 俺は静かに息を吐き、組み分け帽子が運ばれてくるのを待った。

 

 そうして組み分けが始まった。マクゴナガルが背筋を伸ばし壇上に立ち、新入生の名前を一人ずつ読み上げていく。そのたびに小さな体が前に出て、組み分け帽子を被せられ、数秒から数十秒の沈黙の後に寮名が高らかに宣告される。拍手、歓声、あるいは安堵の吐息。その繰り返しだ。

 

 相変わらず、あの組み分け帽子からは妙な気配を感じる。魔力だけじゃない。思考、記憶、執着、欲望、そういった人間の内側を無遠慮に撫で回すような感触だ。今日この日だけ、校長室から大広間へと運び出される魔法具。使われる時間は短いが、その中身はとてつもなく濃い。

 

 ジジイの話では、ホグワーツ創設者4人の人格が魔法的に写し取られ、判断基準として組み込まれているらしい。気が遠くなる話だ。人格の複製だの分割だのは、呪術でも魔法でも碌な結果を生まない。俺の感覚からすれば、あれは立派な特級呪具だ。以前、本気で売り飛ばしてやろうかと考えたこともある。まぁ、そんなことをした瞬間に即刻クビだろう。だからこそ、本当に金に困った時の最終手段として、頭の隅にそっと置いてある。

 

 新入生たちは帽子を被るたび、わずかに肩を震わせたり、唇を噛み締めたりしている。自分がどこに行くのか分かっていない不安と、分かってしまう恐怖。その両方を抱えた顔だ。俺は腕を組み、淡々とその様子を眺めていた。どの寮に入ろうが、ここに来た時点で楽な道はない。

 

 やがて最後の名前が呼ばれ、組み分けは終わった。帽子が静かに回収されると、大広間の空気が一段階緩む。次は宴だと分かっているからだ。だが、その前に必ず挟まるものがある。

 

 ダンブルドアがゆっくりと壇上に上がった。白い髭を撫で、眼鏡の奥から全体を見渡す。その視線だけで、ざわついていた大広間が自然と静まっていくのは、何度見ても大したもんだと思う。

 

 「新入生の諸君、ホグワーツにようこそ」

 

 いつもの挨拶だ。だが、声の底に僅かな重みがあるのを俺は聞き逃さない。

 

 「まず例年通りの注意じゃ。禁じられた森への生徒だけでの立ち入りは禁止されておる。破れば、死よりも恐ろしい酷い最期を迎えることになるじゃろう」

 

 毎年、ほぼ同じ文句だ。だが守っている生徒がどれほどいるかと言えば、正直怪しい。特にあの4人だ。俺は自然と視線を滑らせ、ハリー、ロン、ハーマイオニー、ネビルが座る辺りを見る。背筋を伸ばし、真面目な顔で話を聞いているように見える。だが内心では、きっと別の算段をしている。経験上、そういう顔をしている時ほど危ない。

 

 「それから、既に知っておる者も多いじゃろうが、今イギリス魔法界は騒然としておる」

 

 大広間の空気が一気に張り詰めた。ダンブルドアは一呼吸置き、はっきりと言った。

 

 「ヴォルデモートが復活したからじゃ」

 

 ざわめきが広がる。恐怖、疑念、興奮、怒り。様々な感情が渦巻くのが、肌で分かる。俺はその中心で、ただ静かに座っていた。復活した?正確には、何度目だって話だ。だが、生徒たちにとっては初めて聞く現実だろう。

 

 今年も面倒な年になる。そう確信しながら、俺はダンブルドアの言葉を待った。

 

 「ヴォルデモートは嘗て、皆と同じようにこのホグワーツで学んでおった生徒じゃった。嘗ての名はトム・リドル、今はヴォルデモートと名乗っておる」

 

 ダンブルドアの声は落ち着いているが、その言葉が持つ重さは大広間全体にゆっくりと沈んでいった。生徒達の間に小さなどよめきが走る。過去の英雄譚ではなく、今まさに続いている現実の話だということを、皆が否応なく理解し始めている。

 

 「皆の父や母の中には、苦しい過去を持つ者もおるやもしれぬ。それに、これから何が起こるのかという不安を抱いておる者もおるじゃろう」

 

 俺は椅子に深く腰を下ろしたまま、天井に浮かぶ蝋燭をぼんやりと見上げていた。恐怖は連鎖する。大人の恐れは、形を変えて子供に伝染する。魔法界も呪術界も、その構造は大して変わらない。

 

 「だが安心してほしい。ホグワーツは安全じゃ」

 

 安全、ね。俺は内心で小さく鼻を鳴らした。嘘ではない。今の段階では、確かにこの城は堅牢だ。ホグワーツそのものに張り巡らされた結界は複雑で重層的だ。魔法による空間固定、転移妨害、侵入検知。姿現しで直接城内に入り込むことは不可能に近い。外部からの大規模な攻撃にも耐え得る設計になっている。

 

 だが、それは「正面から来た場合」の話だ。

 

 「この城には優秀な教師陣がおり、生徒諸君を守るため、あらゆる手段を講じておる」

 

 教師席の面々を横目で見る。マクゴナガルは厳しい表情のまま腕を組み、スネイプは相変わらず仏頂面で壇上を睨んでいる。フリットウィックは不安そうに足を揺らし、ハグリッドは巨体を縮めるように座っている。守る意思は本物だろう。だが意思と結果は別物だ。

 

 俺の脳裏に、去年の記憶が蘇る。クラウチ・ジュニア。ポリジュース薬でムーディに化け、堂々と教師として城に入り込み、一年を通して生徒達を騙し続けた男。内部からの侵入。最も厄介で、最も見逃されやすい方法だ。

 

 今はもう難しい、そうダンブルドアも判断しているだろう。警戒は格段に強化されている。だが「絶対」は存在しない。呪術でも魔法でも、それは同じだ。帳を張れば抜け道を探す者が現れ、結界を築けばそれを壊す手段が生まれる。力とはそういうものだ。

 

 「諸君は学生としての本分を全うすることに専念してほしい。学び、友を得て、成長すること。それが今、諸君にできる最善じゃ」

 

 正論だ。だからこそ危うい。子供は正論だけでは守れない。

 

 俺はハリーのいる方角にちらりと視線を向けた。真剣な顔で壇上を見つめている。だがその背後に、見えない鎖が絡みついているのを、俺だけは知っている。ヴォルデモートと繋がった因果。切れるかどうか分からない、厄介な代物だ。

 

 ダンブルドアの演説は続き、やがて締めの言葉に入る。大広間の緊張は完全には解けないまま、しかし表向きは平静を装った空気が戻ってきた。

 

 安全かどうかを決めるのは言葉じゃない。これから起こる出来事だ。

 

 俺はそう思いながら、無意識のうちに指を鳴らしていた。今年も、仕事が増えそうだ。

 

 「あぁ、そうじゃそうじゃ、忘れておったわい」

 

 ダンブルドアは壇上から一度降りかけた足を止め、思い出したように振り返って言った。その仕草だけで、大広間に残っていたざわめきが一段落する。生徒も教員も、全員が嫌な予感を抱いた顔になる。俺もだ。こういう前振りの後に碌な話が来た試しがない。

 

 「今年の闇の魔術に対する防衛術は、カリキュラムから外すこととなった」

 

 一瞬、空気が凍った。次の瞬間、あちこちから小さなざわめきが広がる。驚き、不満、戸惑い。闇防はこの学校でも屈指の重要科目だ。それを外すというのは、正直かなり異常な判断だ。

 

 「楽しみにしておった生徒もおるじゃろう……当初はリーマス先生が復帰される予定だったのじゃが、魔法省との手続きが難航しておってな。少々もたついてしまった」

 

 そう言いながら、ジジイが一瞬だけこちらを見る。その視線は短いが、十分すぎるほど意味を含んでいた。

 

 ……あぁ、そういうことか。

 

 脳裏に浮かぶのは、あのねっとりとした笑顔の女だ。ドローレス・アンブリッジ。魔法省の犬で、権威を振り回すことにしか興味のないババア。狼人間に教壇は相応しくないだの、危険だの、形式だの。どうせそんな理由を並べ立てて、リーマスの復帰を止めたんだろう。あの女ならやる。

 

 闇防を空席にするほどの圧力を、魔法省がかけてきたという事実に、俺は内心で舌打ちした。ヴォルデモートが復活しているこの状況で、教育を弱体化させる判断を平然と下す。安全を守る側が、率先して足を引っ張っているようなものだ。

 

 「そこでじゃ」

 

 ダンブルドアは間を取り、場の空気を完全に自分のものにしてから続けた。

 

 「今年は特別措置として、フシグロ先生による体育の授業を増やすこととする。体力、判断力、反射、基礎的な危機回避能力。闇に対抗するためには、まず己の身体を知ることが重要じゃからな」

 

 おい。

 

 俺は反射的に背もたれに体重を預けた。嫌な予感が、嫌な確信に変わる。

 

 「皆、気合を入れて取り組むのじゃぞ」

 

 「はい!!!!」

 

 大広間に、地響きみたいな返事が響いた。グリフィンドールだけじゃない。レイブンクローも、ハッフルパフも、スリザリンですら条件反射のように声を揃えている。軍隊か。ここは学校だぞ。

 

 俺は一瞬、現実を理解できずに固まった。体育が増える。つまり、俺の授業が増える。授業準備、管理、怪我人対応、居残り指導。全部倍だ。しかも相手は成長期のガキ共だぞ。

 

 教師席の方を見ると、フリットウィックが小さく手を叩きながらこちらを見ている。スネイプは口の端を歪め、心底愉快そうだ。マクゴナガルは溜息を一つ吐き、同情の目を向けてきた。ハグリッドは意味が分かっていないのか、ただ頷いている。

 

 ふざけんな。

 

 俺は殺し屋だ。護衛だ。呪術師だ。体育教師はあくまで仮の顔だ。それが本職みたいな扱いになるとは聞いてねぇ。

 

 だが、ダンブルドアは悪びれもせず、満足そうに壇上を降りていく。完全に決定事項だ。相談なんて欠片もなかった。

 

 ……まぁいい。

 

 俺は深く息を吐き、指を鳴らした。闇防がない分、身体を鍛えるのは悪くない。逃げ足と判断力があれば、死なずに済む場面は確実に増える。

 

 問題は、ガキ共がどこまで耐えられるか、だ。

 

 今年のホグワーツは、間違いなく地獄になる。俺がそうする。

 

 

 組み分け、始業式、そして宴が終わり、俺はそのまま大広間を抜けて校長室へ向かった。腹は満たされているはずなのに、胸の奥に溜まった重たい感覚だけが消えない。ヴォルデモート復活、闇防消滅、体育増設。今日一日だけで、嫌な予感の種を蒔かれすぎだ。

 

 廊下を進み、いつもの位置にある不死鳥の像を拳で軽く小突く。鈍い音が響いた直後、床が震え、螺旋階段が姿を現す。何度見ても慣れない光景だが、今さら驚きもしない。俺は階段に足を乗せ、ゆっくりと上昇する感覚に身を任せた。

 

 校長室の扉が開くと、案の定というか、ジジイはもうくつろいでいた。深い肘掛け椅子に腰を沈め、片手にはスルメイカ、もう片手には湯気の立つ緑茶。宴であれだけ食っておいて、まだそれを齧るか普通。

 

 「ジジイ、報告がある」

 

 俺が言うと、ジジイは噛んでいたスルメをゆっくり咀嚼し、喉を鳴らしてからこちらを見た。

 

 「ほぉ、早速何かあったかね?偽物の先生でも紛れ込んでおったかの?」

 

 「いるわけねぇだろ。ドラコの件だ。ジジイも相談されただろ」

 

 その瞬間、ジジイの表情が僅かに引き締まった。冗談半分の軽さが消え、校長としての顔になる。彼はコップを机に置き、深く息を吐いた。

 

 「……ふむ、夏休みの間に手紙が届いておった」

 

 そう言って、引き出しを開け、一通の封書を取り出して俺に差し出す。封は既に切られており、紙には何度も読み返した跡が残っていた。内容は、俺がドラコ本人から聞いた話と寸分違わない。ルシウス・マルフォイを助けてほしい。ヴォルデモートに怯えている。逃げ場がない。

 

 「フシグロ君、どうするつもりか。何か考えておるのかね?」

 

 俺は手紙を机に置き、指で軽く叩いた。

 

 「もう受けた」

 

 「……はい?」

 

 間抜けな声が漏れたのは珍しい。ジジイが眼鏡越しに俺を見つめる。

 

 「あぁ、依頼だ。ドラコ、クラッブ、ゴイルからな。金の用意もさせてる」

 

 「ついに生徒からも金を巻き上げるようになったか……」

 

 呆れたように言いながらも、ジジイの声には本気の非難は混じっていない。俺は肩を竦めた。

 

 「別にいいだろ。俺は教師以前に、金で仕事を引き受ける人間だ。殺し屋だってことは、今さら隠してねぇ」

 

 俺がそう言うと、ジジイはしばらく黙り込み、スルメをもう一口齧った。顎を動かす音だけが室内に響く。

 

 「ルシウスを守るということは、闇に踏み込むということじゃぞ」

 

 「知ってる。だが放っとけば、あいつは確実に潰される。子供を盾に使うのが、あの闇のやり方だ」

 

 ヴォルデモートは甘くない。恐怖で縛り、逃げた者を見せしめに殺す。その理屈は呪術界も魔法界も変わらない。

 

 「それに、ドラコを見捨てるのは趣味じゃねぇ」

 

 俺の言葉に、ジジイは僅かに笑った。

 

 「やれやれ……相変わらずじゃな、フシグロ君」

 

 笑みの奥にあるのは、覚悟を決めた者の目だ。俺も同じだ。この件は、もう後戻りできない。

 

 「表向きは教師、裏では護衛。仕事が増えただけだ」

 

 俺はそう言って立ち上がった。夜はまだ始まったばかりだ。

 

 「あ、そうじゃ、フシグロ君。今年は体育の授業が増える」

 

 ジジイは湯呑みを置き、いつもの調子でそう言った。まるで天気の話でもするような軽さだ。

 

 「あのな、全然聞いてなかったんだが」

 

 俺は即座に返した。事前通告なしで仕事を増やすのは契約違反だ。教師として雇われてはいるが、こっちは便利屋じゃない。

 

 「ホッホッホ、まぁよいではないか。今年はこれといったイベントもない。去年は対抗試合があったからのぉ……賭け事はいけなんだが——」

 

 「今年こそは……だろ?」

 

 俺が言葉を被せると、ジジイは一瞬だけ目を細め、すぐにいつもの胡散臭い笑みに戻った。

 

 「うむ、今年こそはじゃ!」

 

 その言い方が気に食わない。何もない年ほど、裏では厄介なことが起きる。長年の勘がそう告げていた。

 

 「で、増えるってのはどのくらいだ」

 

 「通常の倍、じゃな。低学年から高学年まで幅広く見てもらう。基礎体力、実戦想定、集団行動……君の得意分野ばかりじゃろう?」

 

 得意分野、ね。確かに肉体訓練と実戦教育なら右に出る者はいない自負はある。だが、それを学校教育に落とし込むのは別問題だ。

 

 「ガキ共が泣くぞ」

 

 「泣くだけで済めば安いものじゃ」

 

 軽く言いやがる。だが、その裏にある意図は分かる。闇防が消えた今、実質的な防衛教育を担わせる気だ。

 

 「アンブリッジか」

 

 俺がそう言うと、ジジイは否定も肯定もしなかった。ただ、緑茶を一口啜る。

 

 「魔法省との折り合いは難しくてのぉ。だが君なら、呪文を使わずとも教えられる。そこが重要じゃ」

 

 要するに、グレーゾーンを押し付けられたってことだ。魔法省に睨まれず、生徒を鍛える方法。確かに俺向きだが、面倒くさい。

 

 「給料は?」

 

 「もちろん上乗せする。文句は言わせん」

 

 即答だった。金の話になると早い。さすがジジイだ。

 

 「……まぁいい。やるからには中途半端はしねぇぞ」

 

 「それでよい」

 

 ジジイは満足そうに頷いたが、すぐに真顔に戻った。

 

 「それと、ルシウスの件じゃが……ホグワーツ内での直接的な介入は控えてくれ。城は中立でありたい」

 

 「分かってる。仕事は校外だ」

 

 俺は立ち上がり、校長室を見渡した。歴代校長の肖像画が、興味深そうにこちらを見ている。こいつらも、また一波乱あると察しているんだろう。

 

 「フシグロ君」

 

 扉に手を掛けたところで、ジジイが呼び止めた。

 

 「ホホホ、今年は忙しくなるぞ」

 

 「今さらだ」

 

 俺はそう言い残し、校長室を後にした。廊下に出ると、城の空気がひやりと肌に触れる。静かな夜だが、その静けさが逆に不気味だった。

 

 闇防は消え、体育は増え、ヴォルデモートは動き出している。生徒達は何も知らずに眠っているが、守るべきものは確実に増えていた。

 

 「……やれやれ」

 

 俺は小さく呟き、自室へと足を向けた。仕事は山積みだ。今年も、楽な一年にはなりそうもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伏黒甚爾が校長室から去ったあと、室内には再び静寂が戻った。螺旋階段が元の床に収まり、壁に掛けられた歴代校長の肖像画たちも、それぞれ小声の囁きをやめて眠ったふりをする。夜の校長室はいつもこうだ。表向きは穏やかで、しかし水面下には決して澱まぬ思考が沈殿している。

 

 ダンブルドアはゆっくりと引き出しを開け、その奥から一つの指輪を取り出して机の上に置いた。

 

 黒い石が嵌った、古びた金属の指輪だった。金とも銀ともつかぬ色合いは長い年月を経て鈍くくすみ、触れずとも分かるほどの禍々しい気配を放っている。周囲の空気がわずかに歪み、ランプの炎が不規則に揺れた。

 

 「ゴーント家の指輪、ヴォルデモートの分霊箱……そして蘇りの石——」

 

 ダンブルドアは低く呟き、その言葉を噛みしめるように、杖を持たぬ左手で嵌め込まれた黒い石をそっと撫でた。指先に伝わる感触は冷たく、同時に脈打つような違和感を伴っている。そこに宿るのは紛れもない闇の魔術だ。しかも、彼自身がこれまで触れてきたどの呪いとも質が違う。

 

 死の秘宝の一つ、蘇りの石。

 

 死した者を現世に呼び戻し、声を聞き、姿を見ることができるという伝説の魔法具。だが、それは決して完全な蘇生ではない。呼び戻された者は生者の世界に留まることを望まず、現世に生きる者の心を深く、そして確実に蝕む。

 

 ダンブルドアは知っていた。石を使った者たちの末路を。愛する者に会いたいという純粋な願いから石を手にし、その仕組みを理解した瞬間、取り返しのつかぬ絶望に沈んだ者たちを。彼らは生と死の境界に立ち、最終的には自ら命を絶った。

 

 「ふむ……」

 

 小さく息を吐き、ダンブルドアは視線を落とした。分霊箱の破壊そのものは難しくない。バジリスクの毒を吸収したゴドリック・グリフィンドールの剣があれば、この指輪に宿るヴォルデモートの魂の欠片は消し去れる。

 

 だが問題は、その前だ。

 

 ダンブルドアにもまた、愛する者がいた。若き日に失い、その喪失を胸の奥に封じ込めて生きてきた存在。年月と共に痛みは薄れたはずだったが、この指輪を前にすると、その名、その声、その微笑みが鮮明に蘇る。

 

 もし、この石を使えば。

 

 理性が警鐘を鳴らす。これは罠だ。ヴォルデモートの魂が宿る分霊箱である以前に、これは人の弱さにつけ込む破滅の遺物だと。

 

 それでも、指は石から離れない。

 

 「どうしようかのぅ……」

 

 ダンブルドアは誰にともなく呟いた。その声は迷いと、老いた賢者である前に一人の人間としての未練を孕んでいた。校長室の空気は重く沈み、指輪の黒い石だけが、まるで返事をするかのように鈍く光を反射していた。




お久しぶりです。今日は記念すべき有馬記念ということで投稿しました。甚爾とギャンブルドアとシリウスとコーネリウスも多分行ってると思います。今年の更新はこの話で終わりです。次回は年明けかな?


今更なんですが、校長室前の像は不死鳥じゃなくてグリフィンだった。ここでは不死鳥にします!お願いします。
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