ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾” 作:物体Zさん
「来たか、ルシウス」
ホグズミードのホッグズ・ヘッド。看板の豚の頭は煤けたように黒く、扉を押した瞬間に古いビールと濡れた木と、獣の脂みたいな匂いが鼻に貼り付く。陰気なパブだ。薄いランプの光が天井で揺れて、埃が金粉みてぇに舞ってやがる。カウンターの奥で皿を磨いてるのが店主、アバーフォース。ダンブルドアに弟がいるって今日初めて知った。似てねぇ。眼鏡も笑い方も、何もかもが刺々しい。
俺とジジイとシリウスは奥の丸テーブルに陣取っていた。椅子は脚が不揃いで、座るたびギシッと抗議する。シリウスは落ち着かねぇのか指で机を叩き、ジジイは緑茶を頼むって言い出してアバーフォースに睨まれてた。ここで和の心を求めるなよ。
扉の鈴が鳴って、ルシウス・マルフォイが入ってきた。隣には妻だろう女。名前は知らねぇ。銀色の髪をきっちり結い、背筋は棒みたいに真っ直ぐで、目だけが刃物だ。対してルシウスは見る影もねぇ。長い金髪は痛み、無精髭が頬に影を作り、ローブの袖口は擦れている。貴族のくせしてだらしがねぇ。焦燥が皮膚の下を走ってるのが分かる。足取りが軽いのに、膝が震えてやがる。
「座れ」
ルシウスは返事もせず椅子に沈み、指が勝手に組まれてほどける。呼吸が浅い。妻は俺を一度だけ測るみたいに見てから、ルシウスの背後に半歩立った。護衛じゃなくて監督だな、これ。
アバーフォースが無言で近づき、ジョッキを2つ、湯気の立つ茶を1つ、汚れた水みてぇな何かを1つ置いた。最後のやつをルシウスの前に滑らせる。
「水だ。飲め。吐くなら外でやれ」
「……感謝する」
ルシウスの声が掠れて情けねぇ。アバーフォースは俺たちを見回し、鼻で笑った。
「兄貴の集会か。壁は薄い。余計な呪文はやるなよ」
忠告はもっともだ。俺は店内の影を一度舐めるように見た。角の席にフードを深く被った客がいて、こっちを見ているようで見ていない。魔力の匂いは薄いが、視線の粘りが気に食わねぇ。だが今は潰す理由がない。シリウスも気づいたらしく、指の動きが止まった。
「……」
「ルシウス」
ジジイが名を呼ぶだけで、ルシウスの肩が跳ねた。喉が鳴って、唾を飲む音まで聞こえる。闇の帝王に呼び出された獣みてぇだ。
「依頼の話をしようか。ドラコから金は受け取る。だが俺は慈善団体じゃねぇ。何から守れって?ヴォルデモートから、で合ってるな」
シリウスが眉を寄せた。
「甚爾、脅すな。今は味方だ」
「味方なら、なおさらちゃんと喋れ」
俺が言うと、ルシウスはようやく顔を上げた。瞳の奥が乾いていて、そこに映る俺たちの輪郭が歪む。妻が低い声で口を挟む。
「夫は昨夜から眠れていません。腕が、時折灼けるように痛むのです」
「腕?」
シリウスが反射で身を乗り出す。ルシウスは袖を握り締め、迷ってからローブの内側に指を入れた。皮膚に触れるのが怖いみたいに指先が震える。
「見せなくていい。分かった。闇の印だろ」
ルシウスの目が見開かれた。ジジイは黙って、ただ指を組んだまま動かない。アバーフォースの皿を拭く音だけがやけに大きい。
「復活の夜……私は、呼ばれました。だが私は……」
「逃げた。墓場でな。俺が逃げろって言った」
俺が言うと、ルシウスの顔色がさらに悪くなる。妻の視線が俺を刺し、次にルシウスへ落ちる。
「命令は来たのか」
ジジイが静かに問う。
「……魔法省へ近づけ、と。古い扉、地下、神秘部。予言だと……」
ルシウスの声は掠れ、言葉の終わりが息に溶けた。俺は舌打ちしそうになるのを堪える。予言か。俺が割ったやつの匂いが、また追ってきやがる。
「で、お前は何を望む。守りたいのは命か、地位か、それとも家族か」
ルシウスは答えられず、妻が一歩前に出た。
「家族です。ドラコを、そして夫を。どちらも失いたくない」
その目は冷たいのに、声の底に焦げた匂いがある。守るためなら牙を剥く女だ。俺は椅子に深く座り直し、指を鳴らした。
「よし。条件を詰める。逃げ道、身代わり、護衛の優先順位。手間賃は前払い、追加は危険度で上乗せだ。貴族様なら払えるよな」
「金ならある」
シリウスが横から口を挟み、妻が嫌そうに睨んだ。俺は肩をすくめる。
「まずは今夜、お前の家に何が来るかを洗い出す。ルシウス、手紙と呼び出しの痕跡を全部出せ。出し惜しみしたら、その瞬間に契約は終わりだ」
言い終えた瞬間、角のフードが僅かに身じろぎした。椅子が擦れる音。俺は視線だけで釘を刺す。逃げるなら勝手に逃げろ、だが次に近づいたら骨を折る。
ルシウスの指が震え、ジョッキの水面が揺れた。
「で、名前は?」
俺はルシウスの横に立つ女に顎をしゃくって尋ねた。さっきから背筋が折れねぇまま、俺の目を真正面から刺してくる。貴族の奥方ってのは大抵、香水と虚勢で鎧を作るが、こいつは匂いより刃が先に来るタイプだ。ホッグズ・ヘッドの湿った木の臭いに混じって、冷えた鉄みたいな気配が鼻の奥に残る。外套の縁に付いた雨粒が床に落ち、鈍い音で潰れるたび、こっちの時間まで削られていく気がした。
「彼女はナルシッサだ。私の従姉だ」
そう言ったのはシリウスだった。ブラック家の血か。なるほど、喧嘩腰の目つきが腑に落ちる。
「へぇ……そうなのか」
「分家筋だがな」
ダンブルドアは一言も挟まず、湯気の立つ茶を口に運んでいた。笑っているようで目は笑っていない。あの爺さんが黙ってる時は、誰かを助ける算段と誰かを捨てる覚悟を同時にやってる。俺としては前者に賭けるが、賭け事は今日はもうやめたい。
ルシウスは黙ったまま、指先でジョッキの縁をなぞっていた。水面が震えているのは酒の禁断症状じゃない。恐怖だ。ヴォルデモートの名を聞いただけで人間はここまで縮む。俺は机を指でコツ、コツと叩き、音で思考の速度を揃える癖がある。仕事の段取りを組むときは、殴るよりも先に数を並べる。
「まぁ俺は金さえもらえれば依頼は受ける。一先ず考えてるのはルシウスを死んだことにする。死んだ人間を一々気にする奴はいねぇ。ただ問題なのは残ってるナルシッサと息子のドラコだ。ヴォルデモートがそっちにも手を出す可能性はゼロじゃねぇ」
「そんな真似をして、どうやって魔法省を黙らせる」
ナルシッサが低く言った。声が落ち着きすぎていて逆に怖い。シリウスは肩をすくめるが、目だけは笑ってねぇ。
「黙らせるんじゃねぇ。納得させる。人は疑いより面倒を嫌う。事故なら尚更だ。転落、火災、闇祓いの失敗、いくらでも絵は描ける。問題は筋書きの傷だ。お前ら貴族は周りが多い、噂が早い。ルシウス、さっきもいったがお前は今どこまで追われてる。印が疼く頻度、呼び出しの気配、使い魔、手紙、全部出せ」
ルシウスの喉が鳴った。
「……昨夜、腕が灼けた。言葉はない。だが、来いと言われている気がした」
「気がする、じゃ足りねぇな。だが十分だ」
俺は椅子にもたれ、鼻先で笑った。ここで笑うのは慰めじゃなく釘だ。甘さを見せると、連中は勝手に希望を膨らませて勝手に死ぬ。
「金の話をする。前払いで5000ガリオン。追加は危険度と作業量。俺は今、夏の日本で全部溶かした。財布が軽いと判断も軽くなる。俺は軽くなりたくねぇ」
「ぼったくりだな」
シリウスが半笑いで言ったが、俺の目を見てすぐ真顔に戻した。
「ふむ、命の値段にしては安い」
ダンブルドアが淡々と言った。ナルシッサの眉が僅かに動く。反論の言葉を探しているが、夫の肩が震えているのを見て飲み込んだ。
「こういう依頼は何度かやったことがある。護衛とは違う。社会から完全に消して新しい人生を与える。簡単に言えば証人保護プログラムだ。名前、顔、癖、話し方、歩き方、服の選び方まで変える。生き残りたいなら、貴族の仮面を捨てて土の匂いを吸う覚悟をしろ、失敗したらお前だけじゃねぇ、ドラコもナルシッサも巻き込まれる、だから俺は今この場で条件を決める、支払いは嘘をつかない、隠し事をした瞬間に契約は破棄、泣こうが喚こうが助けねぇ、いいな」
「……分かった。だが、私達が消えたと知れた瞬間に、あの方はドラコを」
ナルシッサの声が初めて揺れた。母親の揺れだ。俺は首を鳴らし、テーブルの上の埃を指で払い落とす。
「だから死んだことにする。消えるんじゃなく、終わらせる。死体役は用意できる。魔法でも呪いでもねぇ、人間の弱さで転ぶように見せる。あとは生き残った家族が悲しみに沈む芝居だ。得意だろ、貴族は」
シリウスが吹き出しそうな顔をして咳払いした。
「甚爾、相変わらず口が悪い」
「優しく言っても伝わらねぇだろ」
アバーフォースが皿を拭く手を止め、こっちを睨んだ。壁が薄いって忠告、まだ覚えてる。俺は声を落とす。
「今夜はまず身辺の洗い出しだ。明日までに筋書きと逃げ道を用意する。ルシウス、お前はここから出るな。ナルシッサはドラコを動かすな。動けば動くほど、狙いは当たりやすくなる。俺が合図を出すまで、息を潜めて生きろ」
ルシウスがやっと顔を上げた。瞳の奥に、ほんの少しだけ生きる意志が戻る。だがその瞬間、入口の鈴が小さく鳴り、冷たい外気が店内を撫でた。俺は反射で足の裏に力を入れる。仕事は始まったばかりだ。見覚えのない足音が、板の床を軋ませた。俺の指は無意識に呪具の柄を探していた。
「というわけでお客さんみたいだな」
「フシグロ君、この店で魔法は禁止じゃよ?」
「ハッ、魔法なんてもん俺には使えねぇよ」
ホッグズ・ヘッドの空気はいつも湿ってる。濡れた羊毛みてぇな臭いと、古い酒の甘さと、煤けた暖炉の熱が混ざって喉の奥に貼り付く。カウンターの木目は長年の油と酒で黒く艶を帯び、床板は靴底の泥を吸い込んだまま乾いて、椅子の脚が擦れるたびに骨を撫でるみたいな軋みを鳴らす。俺の背中側ではアバーフォースが皿を磨き続けていて、布と陶器が擦れる音だけが、ここがまだ“店”だと主張している。ダンブルドアは湯気の薄い緑茶を啜り、シリウスは肘をつきながら周囲を眺め、ルシウスは指先を落ち着かせようとして失敗してる。ナルシッサだけが、背筋の角度も顎の高さも崩さず、怖さを隠すってより怖さを武器に変えようとしていた。
入口の鈴が小さく鳴った。黒いローブの女が滑り込み、少し遅れて角の席に居たフードの男が立ち上がる。視線が合う前に分かる、あの粘つく練り方。杖に魔力が集まる気配は匂いみてぇに鼻に刺さり、空気が薄い膜で引っ張られる。客の数人が息を呑み、目を逸らして酒杯の底を見つめた。巻き込まれたくねぇって顔だ。賢い。
「おいルシウス、丁度いい死体が現れたぞ」
俺が軽く笑うと、ルシウスは喉を鳴らして硬直した。瞳孔が開き、金髪の隙間から汗が垂れる。ナルシッサは俺の冗談を冗談として受け取らず、口元を引き締めたまま、扉の二人を正面から見据える。シリウスは頭を動かさず目だけで追い、唇の端が僅かに吊り上がった。怯えてるんじゃねぇ、怒ってる顔だ。
「まさか……!」
ルシウスが身じろぐ。
「カロー兄妹だな」
「死喰い人か?」
「そうだ」
「なら話は早えな」
俺は椅子を押し、床板の軋みをわざと大きく鳴らして立った。男の方は背が高く、フードの陰で口角だけが歪む。女はニタつきながら、杖先を俺の胸に向けてくる。あの手の連中は杖があれば世界が自分のものだと思ってる。銃口を向けられても平気な顔をしてる奴が、拳ひとつで距離を詰められる怖さは想像できねぇ。
「どけスクイブ、貴様に話はない」
馬鹿みてぇに上から目線だ。背後でダンブルドアとシリウスが喉の奥で笑うのが聞こえた。アバーフォースの手だけが同じ速度で皿を磨き続け、布が湿った音を立てる。
「まぁまぁ落ち着け、ルシウスとナルシッサに用か?」
「スクイブに話すことなどない」
「へぇ……ジジイ、どうする?」
「わしは何も見ておらんし、何も聞いておらん。シリウスとただここに食事に来ただけじゃからのぉ」
薄らとした笑みまで添えて言うから質が悪い。アバーフォースを見る。皿を磨く手は止まらねぇ。目も寄越さねぇ。店の掟は店主が守る、ってか。なら俺も俺のやり方で守ってやる。ルシウスをここで連れ出されれば計画が崩れる。金も消える。俺の財布事情は笑えねぇ。
「もう一度言う。どけスクイブ」
「ハッ嫌だね」
男の杖先が僅かに揺れた瞬間、俺の腕が鞭みてぇに走った。骨に当たる手応えと同時に乾いた音が店に弾け、左腕が不自然に折れ曲がり、指が痙攣して杖が床へ落ちる。悲鳴は遅れて出た。痛みの情報が脳に届く前に体が壊れてるからだ。痛みのあまり蹲り口から唾が糸を引きながら落ちていく。
「貴様っ!!!」
女がそれを見て声を上げながら杖を上げる。距離が近すぎる。それに遅い。
呪文を言葉にする前に、俺の指が女の手首を捻り上げて握り込む。杖ごと肉が潰れ、血が温かく指の隙間から噴いた。骨の欠片が掌に刺さり、滑りが増して掴みが強くなる。女の悲鳴が天井板を震わせ、耳の奥がキンと鳴る。
「う、うわああああああ!!!!」
男が片腕を押さえながら叫ぶ。とりあえず俺は女の顔面に掌を叩き込んだ。鼻梁が砕け、軟骨が潰れて鈍い湿った感触が返る。頬の皮膚が内側から裂け、赤い飛沫が木の床に散る。女は喉を鳴らして崩れ、椅子の脚を蹴って転がった。男は這い寄ろうとして止まる。恐怖で膝が言うことを聞いてねぇ。ルシウスが椅子から半歩下がり、ナルシッサは唇を噛んだまま視線だけを逸らさない。シリウスは笑ってる。こういう時だけは性格が悪い。
「や、やめろぉ!!!」
蹲ってた男が言った。やめると言われてやめる馬鹿はここにはいねぇよ。俺は男の前に屈み、目線の高さを合わせてやる。瞳孔が揺れてる。恐怖で、世界が小さくなってやがる。
「死ね」
拳を落とすと、顔面が潰れた粘土みてぇに沈み、歯が数本、舌と一緒に飛んだ。血と唾液が混ざった泡が喉から溢れ、男の声は途中でちぎれて喉の奥へ消える。鼻を突く鉄の臭いが濃くなり、暖炉の煤の臭いを塗り潰す。俺は息を吐き、手を軽く振って飛沫を払った。指の関節に刺さった小さな骨片が、皮膚の内側で引っ掛かる感覚が気持ち悪い。
「容赦ないのう、フシグロ君」
ダンブルドアが緑茶を啜りながら他人事みてぇに言った。
「依頼だろ。死体が欲しいって話だったしな」
俺は床の杖をつま先で転がし、ルシウスの方へ視線を投げた。これで“死んだことにする”材料が揃う。後は、どこまで綺麗に仕上げるかだ。
「おいフシグロ、血が垂れまくりだ。お前汚したのは自分で綺麗にしろよ」
「は?なんで俺が」
アバーフォースが皿を磨きながら俺に言った。薄暗いホッグズ・ヘッドの床板は古い酒と泥で黒く艶を帯びているのに、その上に今だけ生暖かい赤が広がって、踏めば靴裏に吸い付く。カロー兄妹は転がったまま、顔が潰れて判別できない肉塊になっていた。鼻梁も歯も混ざった血の泡が喉から漏れ、鉄の臭いが樽の酸味を押し返す。客はいつの間にか全員いなくなり、椅子だけが乱れて残っていた。俺の指先にもまだぬめりが残っていて、握れば骨の粉が戻ってくるみたいで気分が悪い。
「魔法でチョチョイと綺麗にできるだろ。おいルシウス、お前がやれ」
「……分かった」
ルシウスが席から立ち上がり杖を抜いた。震えはまだ残っているが、手首の角度だけは貴族らしく妙に丁寧だ。無言で軽く振るうと、床の血が膜のように剥がれて浮き上がり、空中で細い霧になって消えていく。あっという間に臭いも薄れる。便利なもんだ。これなら殺して捨てて洗って終わり、証拠は神様だけが握る。俺の靴底からも赤い筋が消えて、さっきまでの騒ぎが幻みたいに静けさだけが戻った。
「その死体をルシウスとナルシッサに偽装するのかね?」
ダンブルドアが湯気の消えた茶を啜りながら言った。パブでするような会話じゃねぇが、その通りだ。顔を徹底的に潰したのは、後でどんな魔法を当てられても“本人”の判別を曖昧にするためだし、死体に残る魔力の癖まで真似できる奴は少ないが、逆に言えば魔力の癖を辿られたら厄介だから、ここで余計な呪文は使わせない、血と骨で片を付けて、後の処理だけ魔法で消す、そういう段取りにした。
「甚爾……これはかなりエゲツないな」
シリウスが腕を組み、目だけで死体を見た。
「アズカバンよりマシだろ」
「それは違いない」
俺は死体の袖を掴んで引きずり、床板に残る擦過の跡をルシウスに消させた。ナルシッサは唇を噛んだまま背筋を崩さず、旦那の肩を一度だけ押して息を整えさせる。泣くより先に生き残る算段を立てる女だ。こういうのは嫌いじゃない。アバーフォースは最後まで皿を磨き、皿が鳴る乾いた音だけで「出てけ」と言ってる。
店を出た瞬間、外気が肺に刺さった。ホグズミードの夜は冷たく、遠くで犬が吠える。俺は手袋を外して掌を見た。血は落ちても、あの骨が砕けた感触だけは残る。殺し屋としてはいつも通り、教師としては最悪。だが今は感情に浸ってる時間も金もねぇ。ルシウスを消すのは慈善じゃない、契約だ。
マルフォイ家の屋敷に戻ったら、見せ物を作る。長い廊下にわざと乱れた足跡を残し、玄関の真鍮の取っ手に血を擦り付け、絨毯を裂いて、壺を割って、壁に焦げ跡を刻み、窓を半分だけ割って外の湿った風を入れ、家妖精が悲鳴を上げたくなるだけの“惨事”を並べ、けれど肝心のところは曖昧にしておく、誰が何をしたか確定できないように、魔法省の捜査官が嗅ぎ回っても結論に届かないように、そうやって噂だけを先に走らせると、人は勝手に納得して墓を掘る。
ルシウスは自分の家を自分で壊した。杖を振るたびに肩が跳ね、貴族の仮面が剥がれていく。ナルシッサは鏡の前で髪を切り落とし、床に金糸を散らした。切れた髪は燃やして灰にし、灰は庭の土に混ぜた。俺は死体の骨格を整え、服を剥いで着せ替え、指輪の跡を作り、香水の匂いまで似せた。クラッブとゴイルの親父どもも同じだ。連中は最初こそ「家名が」と喚いたが、闇の帝王の名を出した瞬間に黙った。家名なんて、生きてりゃいくらでも作れる。
ルシウスとナルシッサはカロー兄妹、クラッブ夫妻とゴイル夫妻の代わりの死体は孔時雨に用意させた。余計な手間賃が掛かったが、依頼金で全部チャラにできる。
ドラコには、当主として残る覚悟を飲み込ませた。親が死んだふりをするってのは、子供にゃ酷だが、選ぶのは地獄の種類だけだ。葬式の段取り、理事会の顔、新聞の見出し、全部が刃物になる。泣き顔を見せる場所と、氷みたいな顔を作る場所を分けろ、と俺が言うと、ドラコは拳を握り、指が白くなるまで黙って頷いた。ヴォルデモートがガキ1人をわざわざ狙うとは考えにくい、狙うとしても“使えるか”を見るだけだ。その時は俺が潰す。
ルシウスとナルシッサは当面の間、日本で暮らす。こんなところで禪院のコネを使う羽目になるとは思わなかったが、直毘人に借りを作っちまった。ま、しらばっくれればいい。連絡先は紙に書かず、口で覚えさせ、乗る電車の匂いと音まで叩き込んだ。魔法が便利でも、逃げるのは結局足だ。
「ドラコ、これで満足か?」
ドラコは廊下の闇を背に立ち、喉を鳴らした。怒りも不安も飲み込んだ顔で俺を見上げ、声だけが少し震える。
「先生……父上と母上は、本当に、無事なんですね」
「生きてる。だが探すな。会えば全部台無しだ。色々片付いたら……また会えるさ。金はきっちり予定通り用意しろよ」
その瞬間、屋敷のどこかで梟の羽ばたきが乾いた音を立てた。
シュワちゃんの映画【イレイザー】をイメージして書きました。