ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾” 作:物体Zさん
暗い屋敷の中で2人の者が向き合っていた。片方はヴォルデモート、もう片方は名も告げぬ侵入者。燭台の火は弱く、揺れる光が石床の埃を薄く照らす。外では雨が壁を叩き、湿った冷気が室内へ滲み込み、古い木材の匂いに鉄のような湿気が混じった。沈黙の間、ヴォルデモートの杖先だけが白く浮き、床を這う影がその動きに合わせて伸び縮みした。
「呪力というものを知っているかい?」
ヴォルデモートの前に佇む者が言った。草臥れたカーキのスーツ、額には縫い目のような筋。ブラウンの髪は撫で付けられ、男とも女とも断じ難い顔貌なのに、不用意に触れれば切れる刃の気配がある。声は柔らかいのに、言葉の端が冷たい。
「呪力……だと?」
「そう、負の感情から産まれるエネルギーのこと。全人類が持つ。魔力とは似て非なるものだね。魔法使いの君にも備わっている」
「それくらいは知っている。日本で使われる呪術体系のことだろう。それがなんだというのだ」
ヴォルデモートは苛立ちを隠さず杖先を向けた。魔力の圧で空気が重くなり、火が細く震える。侵入者は肩を竦め、笑みを崩さない。脅しが通じない相手に向ける視線は、無意識に鋭くなる。
「俺様の前に突然現れ、能弁を垂れにきたのか?何が目的だ」
「敵対する意志はないよ。ただ提案がある。僕の目的のために」
「目的?それは俺様と何の関係がある」
「直接的にはない。けれど必要なんだ。どうだい、術式というものに興味はあるかな?」
「術式」
呪力を媒介に固有の作用を起こす異能。呪文も杖も要らず、理屈を飛び越えて現象だけを引きずり出す。ヴォルデモートは知識として把握していたが、目の前の者の口調は軽すぎた。軽いのに、背後に膨大な重さが隠れている。
「貴様はなんだ」
「名は今は要らない。君が欲しいのは支配と不死だろう?分霊箱で魂を裂いた。蘇生魔術で肉体を繋いだ。けれど銃弾の痛みがまだ骨の奥に残っている」
侵入者の言葉は刺のように正確だった。ヴォルデモートの瞳孔が僅かに細まり、指が杖を握り直す。傷口は治癒で塞いだはずなのに、ふいに頭蓋の内側が疼き、黒い血の味が喉に蘇る。
「覗き見か。誰の差し金だ」
「観察だよ。君の仕組みは歪で、面白い。魂を割れば割るほど器は脆くなる。そこへ呪力の理屈を足せば、別の形で安定できるかもしれない」
「俺様に講釈を垂れるな。何を寄越し、何を奪う」
侵入者は人差し指を立てたまま掌を返した。空気が薄く波打ち、燭台の火がほんの瞬間だけ横倒しになる。魔力の匂いはない。ただ、皮膚の内側を撫でる不快な感触が走った。
「
「何を言ってる?」
胡散臭い。ヴォルデモートが抱いた率直な感想はそれだった。だが、身体の不調を言い当てる洞察、目の前の空気を撫でただけで火を倒す異質さ、そして正体の見えない威圧が、胸の奥の警報を小さく鳴らしている。恐怖を認めた瞬間に負ける。ヴォルデモートはそう知っていたからこそ、声を低く落とした。
「……これは呪物といってね」
縫い目の者がポケットから何かを取り出した。掌には骨片があった。乾いた白ではなく、内側に煤のような黒が染み、近づけた瞬間、部屋の湿った匂いが腐った甘さに変わる。ヴォルデモートの魔力が反射的にざわめき、杖先の光が揺らいだ。
「これを取り込んでもらう」
「それでどうなる」
「ふふ、君の魂、正確には脳に、本来ない回路を生やす。術式を生み出すものさ。ただし……折れない意志がなければ、この呪物に君は乗っ取られる。折れなければ、術式は君のものだ」
ヴォルデモートは骨片を見つめたまま動かなかった。指先が僅かに痺れ、雨音が遠くなる。危険は明白だ。だが、完璧な不死という言葉が、裂けた魂の隙間に蜜のように染み込んでいく。
「俺様を試す気か」
「試すのは僕じゃない。君の器と、君の執着だよ。死だけは嫌う、その粘りが必要なんだ」
骨片の縁が、燭台の光を吸って鈍く濡れたように見えた。握れば指の腹が切れそうな冷えが、視線だけで伝わってくる。ヴォルデモートは結界の綻びを探る癖で室内をちらりと見回したが、どこにも隙はない。隙がないのに、ここにいる。それが最悪だった。
「取り込めば、俺様の中に異物が巣食う可能性もある」
「ある。だから条件を言った。折れないなら支配できる。折れるなら喰われる。単純だろう?」
嘲りに近い軽さが、逆に真実味を帯びる。ヴォルデモートは杖を下げないまま左手を伸ばした。指先が骨片の上を通っただけで、皮膚の毛が逆立ち、笑い声の幻聴が耳の奥で弾ける。分霊箱で裂けた魂の断面が疼き、残滓が甘い餌の匂いに誘われて蠢いた。
縫い目の男はヴォルデモートの伸ばした左手を見て、指先で骨片を軽く弾いた。弾かれた白い欠片は空中で1度だけ回転し、燭台の弱い火を吸い込むように黒さを増したかと思うと、次の瞬間には何事もなかったように乾いた色へ戻る。雨の匂いに混じって甘く腐った臭気が立ち、ヴォルデモートの喉の奥が熱くなった。
「一見するとただの骨に見えるだろう?でもね、これは立派な呪物。およそ1000年前の呪術師の骨で、僕との契約で呪物化したんだ。まぁ……本人はとっくの昔に死んでる。コレはただの人格と記憶が入ったデータバンクだと思えばいい。もし君が弱ければこの骨に入った意識が君の肉体を乗っ取り受肉する」
縫い目の男は教授じみた口調のまま、骨片を摘んだ指をヴォルデモートの目前に差し出す。骨の表面には細い亀裂が無数に走り、そこから墨を溶かしたような気配が滲み出ていた。魔力の圧とは違う、背中の産毛を逆立てる粘ついた重さ。ヴォルデモートはそれを嫌悪しつつも、同時に惹かれている自分に気づき、口角がわずかに歪んだ。
「呪術にそのような術があるとはな、だが待て……1000年前だと?貴様は——」
ヴォルデモートの杖先がわずかに上がり、室内の空気がきしむ。裂けた魂の縁が痛み、脳裏に墓場の土の冷たさと、頭蓋を穿った弾丸の衝撃が生々しく蘇った。治癒魔法が肉を塞いでも、記憶の穴だけは塞がらない。だからこそ、目の前の骨が語る可能性に、理性が反射でブレーキを踏むのに、欲望はアクセルを踏み続ける。
「おや、気づいたかい?私は君と同じ
縫い目の男は笑い、雨音の隙間にその声を滑り込ませた。笑みの奥にあるのは誇示ではなく、退屈のようなものだった。生き延びることが目的ではなく、目的のために生き延びている顔。ヴォルデモートはその種類の人間を知っている。自分がそうだからだ。
ヴォルデモートは骨片を受け取った。指が触れた瞬間、冷たいはずの骨がぬるりと湿り、皮膚の内側を舐めるような感触が走る。魔力ではなく、別の力、呪力を感じる。魔力のように無色透明で何色にも染まる性質ではなく、最初から黒く澱み、憎しみと恐怖と執着の底を沈殿させたまま動く力だ。骨の奥から遠い囁きが上がり、ヴォルデモートの心臓が1拍遅れて強く脈打ったが、彼はそれを平然と押し殺し、骨を掌の上で転がして亀裂の角度を確かめた。触れるほどに、分霊箱で裂いた自分の魂の断面に何かが絡みつき、欠けた部分を無理やり埋めようとする感触がある。埋まれば安定するのか、それとも内側から噛み砕かれるのか、答えはまだどこにもない。
「契約というのは何を差し出した。貴様はその呪術師に何を与え、何を奪った」
質問は冷静だったが、部屋の火がまた細く揺れた。縫い目の男は答えを急がない。ヴォルデモートの目線を避けず、骨片に向けられた警戒と渇望の混ざり合いを観察するように、息を整えた。
「欲しがるものは人それぞれだよ。名誉、復讐、愛情、救い、くだらないほど多様だ。彼は死を恐れた。だから君と同じように、不死へ手を伸ばした。君は魂を裂いた。彼は魂を縫い付けた。手段は違うけれど、望みの形は似ている。だから君なら耐えられる可能性がある」
縫い目の男の指が、骨片の亀裂の1つをなぞった。そこから黒い気配が針のように跳ね、ヴォルデモートの掌へ吸い付く。痛みはない。代わりに、古い記憶の匂いがする。血と泥と、祈りの残り香。自分の魔力とは系統が違うのに、拒絶だけではない反応が体内で起きているのが分かる。
ヴォルデモートは試すように杖先を骨片へ近づけ、極小の探索呪文を吐いた。白い閃きが骨の表面を撫でるはずだったが、光は触れた瞬間に濁って沈み、石床へ垂れた墨のように広がって消える。魔法で解析できないものは初めてではない。だが、解析できないのに確かに「ある」と分かる感触は稀だ。骨片は拒まず、迎えもしない。こちらが踏み込めば、踏み込んだ分だけ呑み込むだけだと告げている。
「代償は?」
ヴォルデモートが問うと、縫い目の男は肩をすくめた。
「君の決断だよ。取り込むなら、骨の意識が君の内側へ入る。その瞬間に君が怯めば終わりだ。怯まなければ、術式は君の脳に根を張る。君は分霊箱のように裂く必要もなく、別のやり方で“増やせる”ようになるかもしれない。僕はその可能性が欲しい」
「俺様の身体を実験台にする気か」
「君は実験台にされるほど弱いかな?もし君が君であり続けることができたなら——呪術の指南をしてあげよう」
縫い目の男の声が落ち、燭台の火がいっそう小さくなった。ヴォルデモートは骨片を見下ろしたまま、杖を握る指を緩めない。彼の胸の内で、死という言葉がいつもより近い場所で呼吸している。だが同時に、不死という言葉もまた、骨の亀裂から覗く闇のように鮮やかだった。
「やってらんねぇよ……」
「まあまあ、そう言わずに」
「そうだぞ甚爾、負ける時もある。いや甚爾は毎回か!ハハハ」
俺は日本にあるいつもの拠点で項垂れていた。畳の匂いに混じって、昼に吸った煙草の甘い残り香と、買ってきた缶コーヒーの焦げた香りが部屋の隅に淀んでいる。窓は少しだけ開けてあるのに湿った空気がべったり肌に貼り付いて、遠くで車の走る音が薄く耳に刺さった。
胡坐をかいて肘を膝に乗せ、指の腹で目頭を押さえると、乾いた熱と一緒に今日1日の映像が押し寄せてくる。最初の数レースで当てたときは、脳の奥が甘く痺れて、札束の重みが手の中で鳴った気がしたのに、負けが混じった瞬間に取り返す算段しか考えられなくなった。
勝っている最中に引き際を決められる奴が勝者で、俺みたいに「まだ行ける」と言い訳を積み上げる奴が養分だと頭では分かっているのに、指が勝手に舟券を掴み、目が勝手にオッズを追い、胸が勝手に鼓動を速めていく、あの魔境の吸引力は結界より厄介だ。
ジジイとシリウスもいる。ジジイは座布団にどっかり座り、湯呑みの縁を指で回して遊んでいる。シリウスはスーツの上着を脱いで、襟を緩めたまま椅子に座り、俺の惨状を肴に笑う準備だけは万端だ。コーネリウス?アイツは魔法省で仕事だよ。結局ああいう奴が一番長生きする。俺は逆だ。金が入った瞬間に、金の匂いを嗅ぎつけて自分で自分を殺しに行く。
ドラコの親父とその取り巻きの親父共を助けた報酬5000ガリオンとちょっとしたボーナスと月の教職員給与で合計8000ガリオンもの大金を俺は1日で全部スッた。ガリオンを袋から出して両替屋に渡した時の音、紙幣の束を胸ポケットに突っ込んだ時の温度、店の灯りが指輪みたいに瞳に映った瞬間まで鮮明なのに、最後に残った小銭を台の返却口に吸われたときだけ、やけに現実味が薄い。やり始めは勝ってたんだ。シリウスが札束を鼻先で揺らし、ジジイが「ここで押すのじゃ」と訳の分からん勘を披露して、俺だけが「馬鹿らしい」と言いながら一番熱くなっていた。そこでやめときゃよかった。欲張ったんだ。
「チクショウ……」
喉の奥から漏れた声は、負け犬の遠吠えにもならず畳に落ちた。拳を握ると、掌に残ったインクの匂いと金属の冷たさが蘇る。俺は呪力も魔力もねぇのに、負の感情だけは一丁前に湧くんだから笑える。金が尽きたという事実より、勝ってたのに自分で踏み外したという事実が、骨の内側を擦って痛い。腹の底が空っぽになる感覚は、餓えよりも屈辱に近い。
「フシグロ君の悔しがる姿はいつ見ても面白いのぉ」
「うるせぇ殴るぞ」
俺が顔を上げると、ジジイは涼しい顔で笑っていた。緑茶の湯気が眼鏡の縁でゆらりと揺れ、あの老人は自分の懐が痛まないときだけ世界一穏やかだ。シリウスは堪え切れず声を出して笑い、指で畳を叩く。俺は本気で一発入れたくなったが、殴れば殴ったで面倒が増えるだけだ。
「なぁ甚爾、金がないなら、私が貸してやろうか?」
「借りねぇ」
「意地張るな。利子は取らん」
「取らなくても借りねぇ。貸しを作ると面倒くせぇ」
シリウスは肩を竦めたが、目は笑っていない。俺が金で縛られてることを知ってるからだ。ジジイが湯呑みを置き、指先で畳の縁を撫でながら言う。
「借りを作りたくないなら、借りを返せる仕事を増やせばよい。体育が増えるのじゃろ?」
「増えた分の給料、前払いしろ」
「ホッホッホ、それは規則がの」
「規則は破るためにあるんだろ」
言った瞬間、シリウスが吹き出した。俺は睨んだが、笑い声は止まらねぇ。禪院のコネを使ってルシウス達を日本へ流したばかりで、俺の周りの線は増えた。綺麗事は吐けねぇ。
「次はどうする。ホグワーツの仕事は増える。お前の護衛も続く。そこに余計な火遊びを足すと、どこかで綻びるぞ」
シリウスの声が少しだけ低くなる。笑いの奥に、ハリーの顔が透ける。金の話だけしていると気が緩むが、俺がここにいる理由は賭け事じゃない。
「分かってるよ。金がねぇと護衛も続かねぇだけだ」
言い訳みたいに吐き捨てた瞬間、ジジイが机を軽く叩いた。乾いた音のあとに、梟の羽ばたきが障子越しに落ち、封蝋の匂いが部屋へ滑り込む。嫌な予感が背筋を走る。俺が手を伸ばす前に、ジジイが封を切り、目だけで内容を追った。
「……フシグロ君。死喰い人が動いた。しかも、いつもの連中とは匂いが違う」
俺は舌打ちを飲み込み、空になった財布を畳に置いた。金は消えたが、厄介事は消えない。
俺は上着を掴み、残った小銭を探す癖でポケットを撫でた。空だ。明日の飯は知らねぇ。だが校長室の呼び出しは逃げられない。畳の冷たさが足裏に貼り付き、腹の奥で負けがまだ燃えてる。
「シリウスも来るか?ホグワーツ」
俺は椅子に座るシリウスに尋ねた。足を組んで、湯呑みを指先で回しながら茶をすすってやがる。英国人のくせに渋い所作が妙に様になって腹が立つ。俺は床に転がした旅行鞄の取っ手を爪で弾いた。金が減った音しかしねぇ。
「いや、私はやめておく。騎士団の仕事がある」
「騎士団ねぇ……ジジイが動かしてんだろ?」
「まぁそうだが……」
シリウスが視線だけでダンブルドアを指す。ジジイは窓際に立ち、背中で外の気配を聞きながら手を後ろで組んでいた。障子越しの光が白くて、こっちの空気が少しだけ乾いているのが分かる。
「ふむ……騎士団の面々にはヴォルデモートの分霊箱の捜索を依頼しておる。なんせ何個あるかも分からんのでな」
「なるほどね。ジジイの予想は何個だ?」
「そうじゃのぉ……7個、とか」
「その理由は?」
「魔法界では数字に特別な意味を持たせておる。例えば神の世界を意味する3、そして自然界が4、これを合わせた7が最も強いと言われておる。ホグワーツにも7が関係しておるよ。7階建、7学年、箒競技のメンバーも7人じゃろう?」
ジジイはさらっと言うが、俺には縁起担ぎで魂を刻む狂人の講義にしか聞こえねぇ。シリウスも眉を寄せて湯呑みを置いた。茶の表面に小さな波が立ち、すぐ静まる。
「だが……フシグロ君は気づいておるかね?」
ジジイが振り向き、笑みを浮かべた。顔は笑ってるのに瞳は笑ってない。俺の腹の中の打算まで見透かして、なお手綱を握る老獪な笑いだ。
「……奴は分霊箱を自分込みで7に揃えた。だけどもう1つあるってことだろ。奴が意図してない形で」
「ご名答」
ジジイが手を軽く叩いた。
「……待て、それだけはダメだ」
シリウスの声が硬くなる。眉間に皺を寄せ、ダンブルドアを射殺さんばかりに睨みつけた。
「先生、ハリーを殺すつもりか……」
「シリウスよ、それは最後の手段じゃ。その件はフシグロ君に対処を任せようと思っておる」
「対処……」
「そうじゃ。フシグロ君の持つ“呪具”を用いて、ハリーとヴォルデモートの繋がりを断ち切る。ハリーの魂に貼り付いた欠片だけを剥がす」
俺は舌打ちを飲み込んだ。格納型呪霊に沈めてある釈魂刀。硬さも護りも関係なく魂を切る。だが刃が届くのは肉じゃない。触れた瞬間の手触りは、濡れた紙を裂くより嫌な感触だ。しかも相手は子供の魂だ。失敗しても謝って済む世界じゃねぇ。
「俺専用って言うなら、責任も俺専用だな」
「それが仕事じゃろう?」
ジジイがあっさり言う。俺は笑いそうになって、笑えなくて、喉の奥で苦い息を吐いた。
「条件がある。現場は俺の裁量で動く。邪魔は入れない。ハリーには事前に説明する。“怖がらせるな”じゃなく、怖いなら怖いって言わせる」
「……分かった。だが、無茶はするな」
シリウスが短く言った。俺は頷き返しながら、腹の奥の空間に意識を落とす。呪霊の腹の中、布に巻かれた刀の冷たさが指先に幻みたいに触れた。刃は静かなのに、鞘の隙間から鉄の匂いがして、胸の奥が妙にざわつく。
「場所も選ぶ。大広間みたいな人目のある所は論外だ。医務室はポンフリーが騒ぐ。校長室も嫌だ。結界が厚すぎて逆に切れ味が鈍る気がする。廊下の隅でやれるほど軽い仕事でもねぇ」
ジジイが眉を上げる。
「なら、どこで?」
「城の外だ。湖か森か、見張りが立てやすい所。切った欠片は俺が持つ。封じる器も用意する。日本側の呪物保管庫に回す。禪院に借りが増えるのは気に食わねぇが、ガキの首よりは安い。………無茶しねぇで勝てる賭けなら、俺はもう破産してねぇよ」
思わず口が滑って、シリウスが短く笑った。ジジイまでホッホッホとやりやがる。俺は笑わせた手を見て、指を握り直した。ふざけてる場合じゃねぇ。分霊箱が7なら、残りはまだ山ほどある。欠片を剥がすだけで終わりじゃない。剥がした後、その魂をどう始末する。逃げ場を作ればまた誰かに貼り付く。
ジジイが頷き、シリウスが拳をほどく。部屋の空気が少しだけ軽くなった。だが軽くなった分、次にやることがはっきりする。
俺は上着の内ポケットを探り、折り畳んだ時刻表と、こすれて薄くなった小銭入れを握った。連絡は梟か伝言だけだ。便利な道具がない時代は嫌いじゃねぇが、誤魔化しも効かない。失敗はそのまま、命取りになる。
「じゃあ俺は戻る。授業もあるし、ハリーの顔も見とく。あのガキ、平気なフリが上手いからな」
立ち上がると、畳がわずかに鳴った。窓の外の風が強まって、どこか遠くで雨の匂いがした。嫌な予感はいつも、先に匂いで来る。
そうして俺とダンブルドアはホグワーツの校長室に姿現しで戻った。
「では明日から頼むぞい」
「おう」
10月最初の日曜日。窓の外は英国らしい湿った灰色で、校長室のレモン飴の匂いがやけに甘ったるい。明日からまた授業だ。金を失った翌日にガキの相手をするほど気が進まない仕事はねぇが、俺は教師である前に雇われだ。サボれば給料が減るし、減った給料は賭け金に回せなくなる。最悪だ。
「顔が死んどるぞ、フシグロ君」
「生まれつきだ」
ジジイの笑い声を背中で聞き流して、俺は校長室を出た。廊下の石は夜気を吸って冷え、靴裏にしっとり貼りつく。肖像画の連中が何か囁くが、今はどうでもいい。金、金、金。頭の中で同じ単語が回って、喉の奥が乾いた。
自室に着いて扉を開けると、マグル仕様の水差しとタオルが整然と置かれていた。俺の部屋は魔法使いの生活感が薄い。杖を振れば片付く世界で、わざわざ手を動かすのは逆に贅沢らしいが、俺は自分の手で自分のツケを数える方が性に合う。
「はぁ〜あ」
溜息が漏れた瞬間、負けた舟券やら馬券やらの紙の感触が指先に蘇って腹がムカつく。勝ってる時は紙切れが札束に見えるのに、負けた瞬間ただのゴミだ。俺の人生みてぇだな、とか考えた時点でさらにムカつく。自尊心?そんなもんはとっくに売り払った。だが、負けは腹が立つ。
鞄の底から競馬新聞と雑誌を引っ張り出し、棚の端に突っ込んだ。次に机の収支表。鉛筆の芯を舐めて、今日の数字を淡々と書く。マイナス、マイナス、マイナス。プラスになった日が驚くほどねぇ。自分でも笑えるくらい下手だ。なのにやめない。大勝ちして人生上がる、その妄想だけが麻薬みたいに効く。
「ふぅ〜」
椅子にどかっと座り、腹に力を込めた。
「オエッ」
掌に格納型呪霊を吐き出す。顔が赤ん坊で身体が芋虫の、不気味なくせに妙に愛嬌のあるやつだ。普段はウロボロスみたいに自分の身体を飲み込ませて小さくして飲み込んでる。吐き出すたび喉がムカつくが、まぁもう慣れた。指でツンツン突くと、ムクムク膨れて俺の胴に巻きついた。冷たく湿った感触が肌越しに伝わって、背筋がぞわっとする。
「働け、メシの分だ」
口に手を突っ込んで、呪具を引っこ抜く。
「釈魂刀」
見た目はデカい包丁。鍔のところに白いファーが付いてて、柄には口の装飾、悪趣味の極みだ。だが刃を握った瞬間、部屋の空気が変わった。壁の向こうで騒いでた
「ハリーの魂を傷つけずに、ヴォルデモートの欠片だけを斬る……か」
肉から脂を剥がすのとは訳が違う。俺には生物も無生物も、魂の形が感覚で見える。だから理屈の上ではできる。だが理屈と実戦は別物だ。刀が触れるのは肉じゃなくて、15のガキが夜な夜な悪夢で削られてる部分だ。余計な所を掠めれば、取り返しがつかない。
俺は刃を膝の上に置き、指先で空をなぞった。切る線を決めるみたいに。脳裏にハリーの目が浮かぶ。強がって笑う癖、痛みを飲み込む喉の動き。あいつは助けられる側の顔をするのが下手だ。だから俺が勝手に決めるしかない。
「……明日から授業、か」
窓の外で風が鳴った。遠い雷の気配。嫌な予感はいつも天気みたいに先に来る。俺は釈魂刀を布で巻き直し、呪霊の口に押し込んだ。まだ切らない。切るのは、準備が揃ってからだ。揃わなきゃ、俺が揃える。
机の端に小さくメモを置いた。場所、時間、見張り、封じる器。字は汚いが、やることは明確だ。最後に、自分の手を見て握りしめる。ギャンブルで空っぽにした掌で、今度は魂を扱う。皮肉で笑えねぇ。
メモの横に時間割も広げた。体育の欄がやたら黒く塗りつぶされている。ジジイの筆跡で「増」。闇防が消えた穴埋めを全部こっちに投げやがったんだ。俺は赤鉛筆で小さく「増給」と書き足して、丸を付けた。気休めだが、やらないよりマシだ。
部屋の隅、暖炉の前で小さな風が渦を巻いた。さっき首なしニックが顔だけ覗かせたが、釈魂刀の布包みを見た瞬間、目を泳がせて壁に溶けるように消えた。魂に触れる刃は洒落にならんらしい。俺は鼻で笑って、代わりに湯を沸かした。薬缶の取っ手は熱い。指先がじんと痛んで、俺はさらに機嫌が悪くなる。
茶を啜りながら、腹の奥が妙に重いのを感じた。負けた金の重さじゃない。明日からまた、あのガキ共の前で平然と立って、叱って、殴って、走らせて、守る。守るってのは面倒だ。殺す方が楽だと昔は思っていた。だが今は、守るために刃を抜く。しかも相手は魂だ。笑える話じゃねぇ。
窓の外でフクロウが羽音を立てて留まった。嘴に小さな封筒。俺が取ると、封蝋には校章。中身は短い一文だけだった。明日、放課後、校長室。至急。字はジジイ。タイミングが悪い。いや、いつも悪い。俺は封筒を握り潰しかけて、やめた。握り潰すのは舟券だけで十分だ。
モチベアップのため評価や感想、ここ好き、お気に入りなど。なんでもお待ちしております!アクシオ!!!