だが、赤子の体ではそれを受け止めきれなかった。
片や、愛玩の女神の一側面──報復機構の疑神化たる裁定者。
片や、異界の支配者にして魔術師──与えるものたる海の神とその依代。
存在のスケールが、あまりに違いすぎたのだ。
故に、念に目覚めたその赤子は“発”でもって自らに記述した。
「英霊に適合できる器である」と。
ただ一人の音だけが支配する、鉄の匂いに満ちた部屋。
魔法陣が灯す淡い光が、下からスポットライトのように黄金の杯を浮かび上がらせる。
そこに満ちているのは、なみなみと注がれた“生命”──視覚には液体であるが、その内側では鼓動がうごめいているようだった。
肉体は形を失い、結合を解き、意思を置き去りにする。それでも、命そのものは消えない。
工房の主は、最近思いついた加工法を試していた。
「聖杯よ──
聖杯の真髄──それは「できないこと」を願うのではなく、「できることの過程」を対価によって代替すること。
火を点け、燃料を焚べ、大火を起こす──その一連の労力と時間すべてを、オーラで支払う。
同じように、ルーンの刻印、意味の定義、変性の過程を、オーラでもって省略させた。
対価が支払われ、願いと均衡が整う。
杯の中で命は圧縮され、粒子となり、一点へと吸い寄せられる。
結晶化したそれは、濃い赤が僅かに光を透かして妖しく輝いた。
一粒の宝石となった命を、カヤは指先で摘み上げる。用意しておいた台座に丁寧にはめ込むと、オーラが滑るように巡り、装置は静かに機能し始めた。
「一応、上手くいきましたかね」
台座──ネクタイピンの形を模した生命維持装置。
宝石が生成するオーラを神字で制御し、法則刻印で宝石自身の“生”を保つ。そこから滲み出す余剰が外部へと流れる仕組みだ。
目の前にあるのは、生命を生かしたまま溶解・圧縮・結晶化し、オーラを抽出する機構。
仮称──《賢者の石》。
オーラは全身の細胞から等しく湧き出る。魂や霊的な器官に依るものではない。
ならば、生かしたまま抽出しつづければ、永続的にオーラを得られるはずだ。形に意味がないならば、小型にすることもできる。
そんな単純かつ危険な発想が、この実験の発端だった。
だが、現実は理論どおりにはいかない。
「……収支がマイナス? 素材の質が低すぎましたかね」
宝石の維持に必要なオーラ量が、生成量を上回っている。
徐々に色を失っていく石を見つめ、カヤは淡々と自分のオーラを注ぎ込み、延命を試みた。
無理があったのか、素材が見合わなかったのか。
だが──方法自体は確立できた。オーラの生成は確認済み。量の問題さえ解決できれば、成功は目前だ。幸い、心当たりがある。
「たしか、この辺りに保管しておいたはず」
倉庫へ向かい、カヤはバジリスクの肉を取り出す。
有用性と希少性ゆえに、オーラを供給して生かしておいた素材だ。それを再び杯へ入れる。
同じ手順を繰り返す。肉は溶け、液は杯を満たす。先ほど外した宝石を丁寧に中心へ沈める。
「聖杯よ──生命を一つの結晶に」
再び天秤が揺れ、均衡が訪れる。杯の液面が静かに減り、宝石は底からすべてを吸い上げて輝きを増していった。
少し膨らんだ賢者の石を取り上げ、台座へ戻す。先刻よりも深い妖しさが室内を満たす。宝石はオーラを吐き出し、生命の鼓動のように淡く脈動している。
「……よし。ん? あっ、他人のオーラって、使えましたっけ?」
完成とほぼ同時に、新たな問題が浮かぶ。
当初の目的は、自身にオーラを供給する装身具の開発だ。だが他者のオーラ──それはそう簡単に汎用化できるものではない。系統の違いが最も分かりやすい例であるが、そもそもオーラには“個性”がある。画一的なエネルギーではないのだ。
そう考えると、他の細胞を混ぜても稼働しているのが不思議なほど。
法則刻印で譲渡を記せるとしても、装身具という形態が容量の壁となる。素材の質だけでなく、体積も付与容量を左右する。生命維持の機能を削るわけにもいかない。結論──小さすぎるのだ。
「血に浸して親和性を高める……」
元が生命なのだから、アプローチ次第では馴染む可能性もある。
「何か他の作品の動力にする……でも今は動力を必要とする装置なんて、ないはず。新しく作る?」
いっそ巨大な装置に組み込めば容量の問題は解決する。しかし、導入コストと運用の煩雑さが増す。
「装身具は辞めて、遠隔でのオーラ送受信に挑戦する……」
送信機だけ大きくすればいい。だが、その手段を持たないのが現実だ。
思索は堂々巡りする。
オーラ収奪のような直接的な手段があれば簡単だが、カヤの能力はそうではない。なまじ有用であるがゆえに、この疑似永久機関を放置する気にはなれない。
「そうだ。オーラ収奪の道具を別に作ればいい。場所が近いほうがいいから──ラペルピン*1がいいですね」
ぶつぶつと独語しながら室内を歩き回り、唐突に思いついたように目を輝かせる。
一つの道具として完結させるのも良い。だが、対になる装備同士で機能を補い合わせる手立ても有効だ。出力と体積が比例するなら、いつか装身具に収まりきらなくなる日が来るだろう。それを見越して設計する価値はある。連携前提の道具はこれまで作らなかったが──今後、役立つだろう。
早速取り掛かりたいところだが、その前に、彼女はひとつ手を止める。
「あなたにも、
首だけとなったサダソを、灰も残さぬほどに燃やし尽くす。
自分にまた一つ、有用な技術をもたらしてくれた素材だ。弔いはしなくとも、苦しめ続けることはしない。
今回の素材は、結果的に見れば強制的に念を目覚めさせた動物を使う手もあった。実際、バジリスクの肉だけで良かっただろう。彼を使ったのは、思いついた時に簡単に手に入り、他の構想に合致する資質がなかったからだ。好奇心に突き動かされたとも言える。
骨の髄までしゃぶり尽くさねばならないほど切羽詰まっているわけではない。それに、構想が固まる前の実験に素材を付き合わせるほど強欲ではない。
だからこそ、ささやかな祈りくらいは捧げよう──前世で何者にもなれなかった自分と同じ幸運が、彼にも訪れますように。
感想いただけるととても嬉しいです。
賢者の石は、生命維持の他にも定期的な栄養補給が必要。形は宝石だけど実態は肉なので。