思わぬ有給休暇となって二日目、二人は上野動物園へと訪れていた。
日本ではじめての動物園には平日であってもそれなりに人がやってきており、並んで歩く美女二人が通り過ぎるだけで思わずといったように振り返っている。
動物を見にきたはずが、一番人々の目を奪っているのは遊びに来ているだけのこの二人かもしれないほどだ。
いつも通りロングスカートのユカリは髪をアップにしてまとめ、バッグにはマキマからのプレゼントである扇子をしまっている。
対してマキマは髪をおろしたパンツスタイル。その首元にはユカリがプレゼントしたアメトリンのネックレスがかけられており、赤いリボンはバッグに飾られていた。
「どこから見ていく?」
「中心から右に向かって、全体的に左回りになるように順路を辿っていくのはどうでしょう?」
「それじゃあそうしようか」
「かなり大きいわねえ……」
動物園内の地図を眺めながら、ユカリが呟く。
実際、ユカリの記憶よりもよほど動物の飼育量が多かった。故に園内も時代のわりに広く使われ、ゾウ舎も古い。壊されてから新しく建造するということがなかったためだ。
第二次世界大戦が消失したために、肉食動物やゾウの処分といった歴史も無かったことになっているのだろうか。大戦の際に失われた命はたとえ戦争がなくなったところで帰っては来ないはずだが、処分が行われる前に大戦が無かったことになったのかもしれない。
後世にまで残される悲劇のいくらかは、起こることなく現在まで続いているのだろう。この世界では「かわいそうなぞう」などいなかった。よって、上野動物園には動物の交換などによる移動はあるが、悲しみの歴史は存在しない。クロヒョウの脱走事件はきっちりあったが、現代までしっかりと動物が脱走した際のための訓練などが行われているようだ。
悪魔による動物脱走は十分に考えられるため、こういった大型施設には民間のデビルハンターが雇われている場合もある。
たまに民間の契約デビルハンターでは手に負えない悪魔が出ると公安が出動することになるが、そういった事例はあまり多くない。動物に対する恐怖は動物園によってある程度抑制されているといっていい。
ただ、クマやイノシシといった動物はその限りではない。動物園での良い印象を塗り替えるような事件、事故が発生して悪魔よりもよほどひどいことになる場合もあり、人類が恐怖を忘れる前に新しく恐怖の記憶を植え付けることがあるからだ。
「残念ねえ、ライオンは去年移動しちゃったんでしたっけ」
「そのはずだね。多摩動物公園のほうに。でも、ほら、パンダはちゃんといるよ」
「今は「何ちゃん」だったかしら?」
「リンリンが今年の一月くらいに来てるよ。その前のユウユウは北京動物園に代わりに移動してるね」
「じゃあリンリンちゃんは必ず見に行きましょうね。来たばかりということは、言葉の違いに戸惑ったりしているのかしら」
「そうかもしれないね」
ユカリが思い浮かべたのは妖怪、さとりだ。
外国から来た動物の心の声を聞いたらどんなことを話しているのだろうかと考えたらしい。しかし、ユカリ本人がさとりを苦手とするために考えるだけだ。絶対に彼女の前には姿を現したくないので、地底を調査するときですら遠隔通話をできるようにするという離れ業を使ったのだ。筋金入りである。
妖怪の賢者の威厳のためにも、自分が思っているよりも呑気な性格をしていることは知られたくないのだ。藍にはすっかり呆れた目で見られているが、それは自分の言うことをちゃんときく式神だからいいのである。藍は秘密を漏らしたりしないので。
「食べ歩きもしましょう」
「歩きながら?」
「ええ、こういうときの
「そっか。そうだね」
二人で違うものを頼んでときおり交換したり、たまにお互いの持っている食べ物に勝手に口をつけて楽しみつつ順路をまわる。
様々な鳥、虎、ホッキョクグマにキリン、ゾウ。シマウマにカバ。昼休憩を入れつつも歩き回って広い園内を回った二人はとうとうパンダ舎までやってきて人間の列にさっと並ぶ。
互いに手洗い場へ行っていて一人でいる際や、あるいは二人一緒にいるときでもたまにナンパしに来る人間がいたものの、その全てがマキマの「話しかけるのをやめなさい」という言葉ひとつであえなく敗北していく。命令しますと言ってこそいないが、しっかりと悪魔の力が乗った言葉には下等と見做された男たちは抗えないのだ。
実に平和的に二人きりのデートを楽しみ、待ち時間や移動時間にもおしゃべりをしていれば時間はあっという間に過ぎていく。
その間に話すことといえば、特異課設立のために必要なもろもろの処理に人員集めの話と仕事の話の場合もあれば、デンジくんはもう野菜系の悪魔なら大型でもポチタと二人で危なげなく勝てていて将来有望だとか、そういう話もあった。
「デビルハンターは万年人員不足だからね。実力があればスカウトも可能だし、悪魔と二人で仕事をしているというのは特異課で実施する制度とも合致するし、なにより彼らは警察機関が保護するのに値する境遇にある。もう少ししたら迎えに行くつもりだよ」
「あらまあ、自分から迎えに行くつもりだなんて随分と気に入ったのね。やっぱりチェンソーマンがいるからかしら?」
「ううん、最初はそもそも……デンジくんが死んでから、チェンソーマンには会いに行くつもりだったからね。全然死なないようなら、私が支配してる悪魔をけしかけてもいいかなって思ってた……けど」
「けど?」
「ユカリに言われて、ちゃんと観察するようにしているうちに……デンジくんも私が守るべき国民の一人なんだって実感が強くなってきてね。あと、
立派なオタク発言に笑いつつ、ユカリは納得する。
マキマは人の特徴を覚えることができるようになった。興味を持って、意図的に。
それは姫野と佐原のおかげでもあった。四人でいろんな場所へ行き、写真を撮り、そしてそれぞれ全く違う服装で、髪型で遊んだ。
その写真を用いて、匂いに頼らずどれが誰かを当てる練習をしていたくらいだ。マキマはもう、デンジの不意打ちで死ぬようなことにはならないだろう。
それは良いことでもあって、悪いことでもある。
マキマがこのままユカリとともに人類の良き友として在れば必要のない杞憂であり、マキマが万が一人類に牙を剥いて暴走するようなら確実に彼女を討ち取ることができる方法が消滅する恐れのある成長。
だが、もし万が一があったのなら、ユカリは迷いなくマキマを幻想郷へ攫って自分自身で決着をつけるだろう。
異世界の幻想郷であるならば、マキマの身代わり契約は成立せずに殺すことが可能になるだろうから。友達の死は自分の手で下さなければならない。それは霊夢にすら譲るつもりはなかった。
だが、よほどのことがない限りもうマキマがそうなる恐れはなくなったと言える。
少しばかり心配なのはマキマがデンジに入れ込み過ぎていて、保護が早まりそうなことぐらいである。
ゾンビの悪魔による襲撃は本来マキマがけしかけたことだった可能性があるうえで、たった今その線が濃厚になったが、あの話がなければデンジはチェンソーマンとはならない。
それは良いことなのかもしれないが、あまり流れを逸脱し過ぎると人間であるデンジ本人がいつ死ぬか分からない状態になるため問題でもあった。
あの漫画はデンジが死なないことをいいことにわりとサクッと殺して生き返るのを繰り返すので、どう物語の舵を取ればいいのかさすがのユカリも判断が難しくなる。
突飛なことをするのはデンジのいいところだが、その分理性的にいろいろと考えて動く性分であるユカリの予測が大きく外れかねないのだ。
考えもつかないようなイカれた行動をする人物の手綱を握っても、どこに飛び出すかは分からない。
それ故に、なるべくマキマには保護を先延ばしにするように誘導してきていたのだが……。
「見て、ユカリ。ほらパンダ。毛がゴワゴワしてるね……デンジくんもあんな感じだったし、やっぱり物資くらいは送ってあげようかな」
ユカリは顔を覆った。
「ユカリ、どうしたの?」
「いいえ、なんでもありませんわ。可愛いわね、パンダ」
「うん、可愛いね。撫で心地はやっぱりそんなに良くないのかな。うちの犬たちも洗ってあげないと臭くなるし、虫とかもたかって大変そう。なるべく自然に近い形で展示してるんだろうけど……石鹸くらいはいいかな」
人間の個を認識するようになり、ポチタのおまけとしてではなくデンジ本人を見るようになった結果、彼の境遇には同情しまくりらしい。
むしろ母性とか、保護欲とか、大人としての正義感とか、その方面がかなり刺激されているらしく、いかにも我慢しきれなくなりそうだ。
確かに、人を大切にするようになったマキマが96年まで彼を放置し続けるとは思わなかったが、ここまでとはユカリも思っていなかった。
現状1993年の春、デンジは13歳ほど。アキが公安に加入したばかりで特異課は主に人員不足的な意味で許可が降りているのにもかかわらずまだ設立できず、デンジを受け入れるための
ヤクザを取り締まることでデンジを保護するのもいいが、明らかにまだ早い。
姫野も心に傷を負ったばかりで、アキは悪魔嫌いの性質がまだ強く、若さゆえの生意気さが抜けきっていない。マキマの言うことでも、支配されていない彼ではデンジの世話など無理だと突っぱねるだろう。
別にデンジがマキマ預かりになるのはいいが、家に二人きりになる機会が減るのは困る。
ユカリは実に自分勝手な理由で困っていた。
そして、ユカリの悩みにはデンジとポチタがそのまま公安に加入したとしても、デンジの寿命がいかほどか不明なのが痛いというちゃんとした理由も一応ある。
武器人間にならなかった場合、彼は病気か健康を損ねて、もしくは十分な栄養を摂れぬまま悪魔と対峙し、とうとう限界を迎えるなどしてそのまま死んでいた可能性が存在するのだ。
それはそれで寿命と言えるかもしれないが、せっかく幸せな生活ができてもすぐに死んでしまったら意味がない。マキマがまた泣くことになるのはユカリとしても歓迎できることではない。
「マキマ、犬猫じゃないんだからそう簡単に拾って来たらダメよ。十分に保護して安全を保障してあげられない限りは、あまり中途半端に手を出すのは良くないわ」
「分かってる。犬猫もそうだけど、病院代とかちゃんと命に責任を持って拾わないといけないよね。実力はあるんだしスカウト……実力証明のための試験を設けるとか……ヤクザはさらっと神隠しちゃんに食べてもらおうかな……」
デンジを保護する気満々の彼女に少しばかり釘を刺したが、あまり効果があるとは言えなかった。
大丈夫かなあ、とユカリは内心苦笑いをする。ただ、マキマが自主的になにかをするのは悪いことではないので、あまり強く止めはしない。
想定外のことが起きたのなら、そのときはそのときである。
妖怪の賢者たるもの不確実性のある要素のひとつやふたつ、最初からさも分かってましたよという顔をしながら乗りこなせなくてはならない。
いつもそうやってきたではないか、と。
神隠しがどうのとなにやらよからぬことを企んでいるマキマに、まあヤクザは別にいいかと結論をつけてスルーし、ユカリは頷いた。
「少しずつ交流してみてはどうかしら。ヤクザを取り締まるためにも、協力者になってくれませんか……とか言って」
「そっか、そうだね。それで情報や悪魔討伐の報酬になにかをプレゼントすればいいのかな」
「そうそう、それなら少しずつ信頼を得て、彼の実力をデータとしても堂々と集めることができるでしょう? そのデータを元に公安で特別保護をして、元民間のデビルハンターとして雇う下地にするといいんじゃないかしら」
いつしか展示されている動物そっちのけで話し続ける二人はすっかり人間の流れに乗り、パンダの展示されているエリアから移動していく。
そうして話し合っているときだった。
人々の悲鳴と「悪魔だ!」という声が聞こえてきたのは。
「園のデビルハンターが処理できるやつか、一応確認しに行こうか」
「休日なのに、お仕事って大変ねえ……」
「人のためになる、やり甲斐のあるいいお仕事だよ」
「あなたが楽しんでいるのならいいけれど」
なお、出現したのは民間のデビルハンターでも対処できる悪魔だったが、マキマがその姿を見た瞬間に殺そうとしたためユカリが彼女を止めるはめになった。
なぜなら。
「マキマ、ダメよ。民間が手を出した悪魔は要請がない限り横取りは違反なんでしょう!」
「止めないでください。ユカリ、その手を離しなさい。あれは犬を……犬を冒涜している」
「離しません! 園のデビルハンターさん、公安に応援要請する必要がないなら早くそいつを処理してください! このワーカーホリックが暴走する前に!」
「は、はあ……なんだかすみませんね。休日でしょうにご苦労さんです。うちがやっておきますんで、お二人は園内を引き続きお楽しみください」
「分かりました! ほら、行きましょうマキマ。マキマ!」
「あれは犬を冒涜している。この世から消さなければなりません」
「もう、マキマ! 行きますよ!」
とうとう痺れを切らしたユカリがマキマを横抱きにしてその場を去っていく。
我に返ったマキマはあとで混乱することになるのだが、それはしばらくしてからのことである。
悪魔よりも美女二人組の仲睦まじい光景に目を奪われてぞろぞろとついていく人もチラホラと存在しているくらいだった。
そんな異様な光景を見ながら、園と契約している民間のデビルハンターは変な顔をしてやれやれと首を振る。
「オレを見逃してくれよぉ」
そして、動物園内に出現した『人面犬の悪魔』の脳天に槍を刺して汗を拭うのだった。
「なんだったんだあの美女二人組……」
・上野動物園
めっちゃ調べた。
・デンジ
めちゃくちゃ独自のルートに突っ込むフラグが立っている。
・マキマ
デンジくん観察日記をつけている。
デンジくんとチェンソーマンと友達になったらしたいことリストを制作中。大体ユカリとしたことは全部リストに入っている。
・お姫様抱っこ
お互いにできる。パンツスタイルのマキマのほうがイケメン美女オーラを出しているので立場が逆では? というギャップ込みで話題を掻っ攫うまで行った。
・人面犬の悪魔
口裂け女とかメリーさんもこの時期からいる。
当時第二次オカルトブームでしたが、原作には出る気配がないので学校の怪談系はいっぱい登場させたい。子供たちからきっちり恐れられてそうだし。