「マキマちゃん、お願いがあるんだ」
緩慢に首を動かし、ポチタを見つめるマキマ。
金縛りにあっているように、あるいはまどろみの中にいて起き上がれないほど気が重くなっているときのように、マキマの体はほとんど動かない。
視線と、首。それだけ。
降りしきる雪の中、仰向けになって自身が埋まっていくのを待っているような。今にも眠りの中に再び引き摺り込まれてしまいそうな感覚に彼女は必死に抗った。
「ポチタ、くん」
平然と起き上がり、自分の隣におすわりしているポチタこそが異様なのだと嫌でも理解する。
まどろみの中、隣に憧れの存在が座っている。その事実にふわふわとした甘い幸せを受け止める。雪の中のように感じていた白い空間が、途端にショートケーキの上に自身が乗せられているような心地にさえなる。
このままポチタに食べられて死ぬのだろうか。
それならば、それなら、なんて幸せなことだろうか。
ぼんやりとした頭の中を多幸感が支配する。
こんなに幸せな気持ちになっているのに、どうしてこんなにも気が重いのかが分からない。
瞳から一筋縄、流れ落ちた涙の理由を思い出せなくて、マキマはうっすらと笑顔さえ浮かべてみせた。
そんな彼女にポチタも笑みを見せる。
「ようやくキミとお話ができるね、マキマちゃん。でも、思い出して。デンジがどうなったのかを」
「デンジ……くん……?」
瞬間、デンジが血を吐き出す瞬間が脳裏に過ぎって起き上がる。まるで悪い夢でも見て、飛び起きるように。
常にないほどにマキマは動揺した。そして、デンジが倒れた一連の流れを全て思い出して汗を流す。
「ポチタくん。デンジくんは……」
ポチタが黙って首を振って、マキマは愕然とした。
「ねえ、マキマちゃん。お願いがあるんだ」
「お願い……とは……」
ようやく最初の話に戻ってきて、ポチタがマキマの膝の上に乗る。
「マキマちゃん、私はデンジに心臓をやるつもりでいる」
「……え?」
膝の上に乗ってきたポチタを思わず腕で囲って柔らかく抱く。その腕に微笑んだポチタは、当然のように自身の心臓をデンジに渡すことを断言した。
「私はね、デンジの夢の話が好きなんだ。この私と生意気にも契約を交わして、健気に生きて、私の夢を叶えてくれたデンジが好きだから。そんなデンジに幸せになってほしい。デンジの言うような、幸せな夢をいっぱい叶えてほしい」
「あなたの、夢を……デンジくんが?」
感情が溢れるように話すポチタに、疑問を投げかければすぐに答えが返ってくる。
「誰かに抱きしめてもらうことだよ。ささやかな夢だろう。でも、私は強すぎるし、腕も刃物でできているから決して叶わない夢だった。でも、デンジは簡単に叶えてくれた。今も、マキマちゃんに抱いてもらえているのが奇跡だと思うくらい、私は嬉しい」
「……チェンソーマンにも、そんな夢、が、あったのですか」
「うん、キミと同じようにね」
腕の中のポチタに真っ直ぐ見つめられて、マキマは泣きそうな顔をした。
憧れの存在らしくはない。しかし、自身と同じように偉大な存在が苦しみを抱いていた事実は彼女の心の慰めになった。
自分だけではないんだ、と。
「キミに拾ってもらってから、デンジは毎日幸せそうだった。夢が叶ったような日々だったと思う。デンジの心からの笑顔を見ることができて私も幸せに暮らしていたよ。だからね、マキマちゃん。私にも、欲が出てしまったんだ」
そこまで聞いて、察せないマキマではなかった。
なぜなら、マキマだってそう思っていたから。
「私はね、デンジにもっと生きてほしい。もっと幸せな暮らしを見せてほしい。私の夢を叶えてくれたデンジの夢をいつまでも叶えてやりたいんだ。恩返しとはちょっと違うけど、これは私のわがままなんだ」
「私、も……デンジくんには、生きてほしいです。ですが、そうなるとあなたは……」
「そうだね、デンジに心臓をやれば私はいなくなる。死んでしまうわけではないけど、デンジの隣で生活はできないだろう。だからね、マキマちゃんにお願いしたいんだ」
マキマは耐え難い言葉をこれから聞くことになる。そんな予感を覚えて首を振る。しかし、ポチタの言葉は決して止まらず、躊躇われることもない。
「これからもデンジのことを幸せにしてあげて」
ポチタが伸び上がって、マキマの心臓の上を踏む。
「私がいない分、きっと寂しがってしまうから。キミが私の代わりにデンジの幸せな生活を続けてあげてほしい。マキマちゃんなら、できるよね?」
柔らかく、小さな足が胸の上に乗っている。
ただそれだけなのにマキマは心臓を掴まれ、握り潰されそうな感覚に陥った。
呼吸の仕方を一瞬で忘れてしまったように、息が止まって目の前がぼやける。
ポチタに自身の生死の選択すら奪われてしまったような焦燥感。目の前のポチタは可愛らしく微笑んでお願いしているだけだというのに、突きつけられた言葉が受け入れられなくてなにも考えられなくなる。
「これは契約なんかじゃない。悪魔同士での契約はできないから、ただのお願いだよ。キミが最終的にどうするかは自由だ」
「私に、選べというのですか」
呼吸が怪しくなる。
動悸が激しくなる。
ポチタにも伝わっているだろうに、ポチタはマキマの心臓を掴んで離さない。
逃れようと後ろ向きに下がっても、ポチタは彼女の上からどこうとはしない。焦燥感と息苦しさのせいで彼女が再び仰向けに倒れると、さらに彼女の心を足蹴にしてポチタの顔が間近に迫る。顔に刃を突きつけられているように。
「わ、私はあなたのことが好きです。ずっと、ずっと、ヒーローとして……あなたなら、私と対等な存在になれるのではないかと思って、憧れてきました。あなたは、私にとって特別な存在なのです。それなのに」
「でも、キミにとってデンジも大切な人になっているよね」
ポチタの言葉も、声色も優しい。
しかし、彼のお願いの仕方はマキマにとって、圧にしかならない。
彼にそんなつもりなどなく、ただ焦っているだけなのもマキマは理解している。しかし、マキマにとってそのお願いは自身を苦しめるものだった。
だってポチタの願いはつまり。
「私に、あなたとデンジくん、どちらが生きるかを選べと言うのですか……」
正確には、ポチタは死ぬわけではない。けれど、同じことだった。デンジの心臓になればポチタはいなくなるのだから。
未来の悪魔の最悪な選択肢の話を思い出して、マキマは唇を噛み締める。
「そう、そして、私はキミがデンジを選んでくれると知っているよ。私は死ぬわけじゃない。でも、デンジは選ばれなければこのまま永遠にお別れだから」
踏みつけられた心臓が締め上げられるような痛みを訴える。
マキマはいやいや、と子供のように首を振ってポチタを抱きしめた。
「わた、私は、あなたのことも大切なんです。そんな、そんな残酷なことを言わないでください……!」
「どちらかしか選べないんだよ?」
「いやです! 絶対にいや! 二人と過ごしたいと思ってはいけないんですか!? なにか、方法はないんですか……!?」
とうとうポチタをぎゅっと抱きしめて泣きじゃくりだしてしまったマキマを、ポチタは困ったような顔をしながら受け入れる。それだけ大事に思ってくれるというのは満更でもないから。
「泣かないでマキマちゃん……ひどいことを言っているのは、分かってるんだ。ごめんね、こんな辛いことを頼んで。でも、キミだからデンジのことをお願いしたいんだ」
ポチタが選んだのはユカリではなくマキマだというのは、この空間でお願い事をされたときから彼女は理解していた。しかし、いつもなら寄りかかることのできるユカリがいない場面で、こうして重要な選択を自身で選ばなければならない状態となるのははじめてで……どうしていいのかが分からなくなっていた。
ユカリと出会う前は、そんな選択肢無数にこなしてきたはずなのに。
「いやです、いやです……めっ、命令です。そんなひどいこと言わないでください……ふたりとも、ずっと一緒にいてください。じゃないと許しません。二人一緒じゃないといやです」
ちっとも効かないと分かっているのに能力まで使おうとして、結局失敗してわがままを言うだけになる。
ポチタを抱きしめながら泣き続ける彼女にポチタはいよいよ困ってしまった。情緒が幼いことは知っていたが、ここまでごねられるとは思っていなかったのだろう。
悪魔は基本的に生死に関してドライである。ポチタのデンジの命を惜しむ気持ちですら珍しい部類なのだ。だから、ここまで泣きじゃくるマキマを前にして彼は哀れに思う。
「マキマちゃんは、心まで人間にそっくりだね。そんなキミだからこそ、デンジには寄り添えると思ってたんだけど……そんなに嫌かあ」
「あなたも一緒じゃないと、いやです……」
ずっとずっとマキマは二人の保護者として振る舞ってきていた。
だけれど、今この瞬間だけはポチタのほうが大人のように振る舞っている。
ポチタは泣きじゃくるマキマの中に、小さな頃不安定になったことのあるデンジを見出した。
だから、少しだけ『お願い』が付け足される。
「それじゃあ、マキマちゃん。もうひとつお願いしてもいいかな」
「いやです……いやです……なんにもきこえません。ききません」
子供のようなわがままを言い続けるマキマに頬を寄せ、ポチタはささやく。
「そんなこと言わないで。私はデンジの心臓になる。だけど、マキマちゃん……そんなにもキミが悲しんでくれるのなら……私たちが二人で暮らせる方法をどうにかして見つけてほしい。ユカリちゃんと二人で。できるかな?」
「二人で、暮らせる方法を……?」
ようやく顔をあげたマキマは涙でぐちゃぐちゃになっていた。
そんな彼女を見上げてポチタは笑いかける。
「そう、私がデンジの心臓のままでも、今までのように笑い合いながら、キミたちとも生きていけるようなそんな夢みたいな方法を探すんだ。デンジを任せるよりずっと難しいお願いだけど……どうかな」
「…………………………やります」
たっぷり時間をおいて、マキマはようやく声に出した。
泣いているとき特有の、震えるようなか細い声で。
「それじゃあ、約束しよう? 私たちは契約をできないから」
「……はい、約束します。必ず……方法を、見つけてみせます。だから、見守っていて、ください……私、頑張りますから」
「うん、見守ってるよ。いつもマキマちゃんは頑張ってくれてるから、応援してるね」
マキマが小指を差し出し、ポチタが尻尾を絡める。
悪魔同士では契約はできない。その代わりに、小さな約束をして二人は抱きしめ合う。
強制力のない約束を、悪魔が守る必要などない。
けれどマキマはきっと約束を守るだろう。
そう思いながら、ポチタは笑う。
荒唐無稽な、まるで夢のような方法が本当に存在するのかは分からない。けれども、彼女なら見つけてしまいそうだと期待しながら。
「マキマちゃん、今度会ったときは私とも友達になってくれるかい?」
「……もち、ろん…………です……!」
泣きそうな顔で返事をする彼女に擦り寄ってからポチタは飛び降りる。
再び眠りの中に落ちていった彼女を見送ってから、今度はデンジの元へ。
デンジにもひどいことを言わなければならないと、ほんの少しだけ憂鬱に思いながら。
「きっと見つけてね。そして、私と友達になってね、マキマちゃん」
てちてちと、可愛らしい足音をたてて、デンジを起こしに向かう。
「デンジ、デンジ、起きて、デンジ」
・約束
悪魔との契約ではないので強制力なんてものはない。守るかどうかは自由だ。
でも守るよ、きっとマキマちゃんはね。
・最悪な選択肢
ポチタとデンジ、どちらが生きるかを選べ。
今作でのマキマさん特攻選択肢。
・夢のような方法
今作で一番書きたかったところが書けて満足しています。
東方とのクロスでしかできない方法になる予定。
・マキマ
悪魔生で一番無様に泣いた。
人間らしくていいと思うよ。いっぱい泣いて、前を向こうね。