(やっぱ、来ねえのかな)
有り金全てと少しの着替え、そして彼女が喜んでくれた花を、とにかくたくさん。
後先のことは考えていないというか、考えられる脳ミソが無いと自身を断じたデンジは、ただ静かに待っていた。
(一緒に逃げようって言ったけど、先に断ったんは俺だかんなァ……)
レゼ。
やっと普通の人生というものを得たデンジに、その先の、彩りを与えてくれた彼女。
助けてくれたからいいヤツで好きになるといった打算ではなく、ただ居るだけで心地よく、もっとレゼのことを知りたいし自身のことを知ってほしいと思った存在。
デンジには経験が浅い分、分からなかったが。
他人を知り、自己を知ってほしい欲求は、恋とも呼べるのだ。
(こんなもん、昔の俺ぁ見向きもしなかったろうに)
電話ボックスで花を渡したときの笑顔がまた見たい。
どの色が好きか、どの花が好きか、もっとレゼの気持ちを知りたい。
食べられれば何でもいい自分と違い味の好みもあるだろう、遠い何処かまで行ったら、あの祭りの日みたいに飯屋巡りをしてもいい。
喧嘩もするだろうが、まあ、常識的な範囲で喧嘩して仲直りすればいい、互いにもっと知れるだろう。
(ああ、なんで花束を渡してーのか、分かっちまった)
レゼに対して、尽きることない気持ちが溢れている。
それを伝えたくて、種類も、色も、とにかくたくさん詰め込んだのだ。
(好きだ)
(マキマさんとは違う、好きだ)
(マキマさんはもちろん好きだけど、違う)
(付き合いたいとかエロいことしたいとか、レゼには、いやしてーけど、ちょっと違う)
(それよりも、俺はレゼが何したら喜んでくれんのか、何したら笑ってくれんのか、何したら怒るのか、そういうのを知りてーんだ)
(レゼ)
(来ねぇのかな、やっぱ)
きん、と甲高い音が響いて、世界が停止したのは同時だった。
視界の隅のマスターはぴくりとも動かず、換気扇や、沸騰したポットの音もしない。
デンジは反射的に胸のスターターに手を伸ばすが、しかし、頭のどこか奥で、ポチタが止めろと言っている気がして。
「自らを無知と知りながら、しかし愚者ではなく、只々人を想える少年よ。 とても良き一幕であった」
異形と呼ぶに相応しい存在が、いつの間にか目の前にいた。
人ひとり分はある縦に割れた単眼の左右には人間のように耳が生えており、瞳孔が割れ歯列となり虹彩が唇になり声を発する。
「その芽生えた感情は正に恋だ。 恋焦がれ、相互理解を求め、性欲が湧くもいつか昇華し愛になる。 幼い心が産声を上げた瞬間は何にも勝る感動となる」
「……覗き見たぁ、随分シュミ悪ィんじゃねぇ?」
「このくらいしか娯楽がないのだよ、少年。 このラブ・ロマンスの主役はお前だった。 名前を聞かせてほしい」
「デンジってんだ、覚えとけよ」
デンジ、デンジ、良い名だ。
異形は口の中で転がすようにデンジの名を呟く。
見た目はアレだが思ったより悪いヤツじゃないのかと、デンジは警戒を解いた。
「我が姿を見せたのは理由がある。 目的と、そのために交渉し契約する材料もだ」
「契約ゥ? 俺ぁポチタと契約してっから、お前とは無理だぜ」
「問題はない。 まずは話を聞いてもらおう。 振り返って窓の向こうを見るのだ」
言われるがままに振り返ったデンジは、止まった世界の中で、血溜まりに沈むレゼを見た。
(レ)
「支配の悪魔と天使の悪魔により、お前が待っていた女は死んだ。 あの女は逃亡しようとしていたが、お前との約束を忘れられず、罠と知りながら戻って来たところを穿たれた」
(レゼ)
(なんで、いや、俺が待ってるなんて言ったからか)
(忘れてくれてもよかったんだ)
(生きててくれりゃ、よかったのに)
(なんだ、これ、痛え)
(痛えよポチタ。 胸が痛えんだ。 死ぬのなんて仕方ねぇことだって思ってんのによ)
(なんでか、レゼは、痛えんだよ)
「ボーイ・ミーツ・ガールから鉄板の青春劇。 ヒロインはまさかのスパイ。 大爆発を伴う刺激的かつノースタントの殺陣。 決して結ばれぬふたり……しかし、総てを捨てて逃げようと約束したヒロインは知らぬ間に処分され、主人公は独り待ち続ける。 とても濃厚な悲恋。 悲劇的なラブ・ロマンス。 まるで映画のようだ」
花束がデンジの手から滑り落ちる。
包装が解け、花が散る。
「デンジ。 契約の前に、この感動の礼を与えよう」
「……ンだよ、何をくれるって?」
「我は偶然の悪魔。 因果の悪魔と対を成す、総ての悪魔と生命の祖。この世界は因果の奴が観測してしまったので我は無力であるが、我が権能により、お前と女を別の世界で出会うようにしてやろう。 枝分かれした幾多の世界で、またお前と女のラブ・ロマンスが見たいのだ」
「シュミ悪ィな」
デンジは理解しているとは言い難いが、ただ、またレゼと出会えるということだけは分かった。
それだけで十分だった。
「ここから先は契約のための交渉だ」
悪魔との契約。
ポチタとしか経験はないが、狐やら幽霊やらと契約しているのを見ている分には、正直あまり良いものには思えない。
が、デンジはどこか、酷いことにはならないだろうという確信があった。
「我は偶然という、因果に囚われなくなる権能がある。 つまりこの力を使えば、お前は幾多の世界で幾多の女と出会い、性交することも可能である」
「……今じゃなけりゃ跳び跳ねて喜んでたぜ」
「ただ我は、お前と女のラブ・ロマンスが見たいのだよ。 分かるか?」
「お前と契約したら、他の女は諦めろってことか?」
「話が早いな」
(なぁレゼ。 俺はレゼとなら学校行ってもいいか、なんて思ってんだ)
(他の女とエッチできねーのは惜しいけどよ)
(それにマキマさんから聞いたって言ったらレゼは怒りそうだけど)
(相手を知れば知るほどエッチってーのは気持ちよくなるって)
(それなら俺は、レゼをもっと知って)
(頭バカになるくらい気持ちいいエッチがしてぇって思っちまった)
「良いぜ。 乗った」
「良いのか? お前の夢がひとつ潰えることになるが」
「知らねーのか? エッチってのは、相手を知れば知るほど気持ちよくなるもんらしいぜ。 ってことはよォ、いっぱい女抱いたところで、本当に気持ちいいエッチはできねぇんじゃねぇか?」
「悪魔である我には到底理解出来ぬものではあるが、その意見は面白いな。 今後の参考にしよう」
(なぁレゼ。 次また会ったら、くだらねー話だけじゃなくて、もっとレゼのことをちゃんと見て話をする)
(照れくさくてあんま顔見ねぇで話ししてたからなァ)
(可愛いし綺麗だって思ってたけど言わなかったし)
(何が好きで何が嫌いか。 されたら嬉しいことももっと知りてーし、喜ばせてぇと思う)
「では契約だ。 代償は『枝分かれした幾多の世界で、デンジは記憶を保持し続ける』こと」
温い風呂に浸かった時のような、ぼんやりと心地よい感覚に包まれて、デンジは思わず目を瞑った。
ゆっくり沈んでいく感覚に、レゼとの最後の差し合いを思い出す。
「芽生えた恋が愛に成るときを楽しみにしている」
(レゼ)
(俺ぁ馬鹿だから、演技してないレゼが何に喜んでくれるかわかんねーけど)
(また、何度でも、花を贈る)
(金がねーのは情けねぇから、次は稼いで貯めとかねぇとなぁ)