〈3〉
滑走路を二機の黒い戦闘機が駆ける。
F91ターボファンエンジン、そして専用の航空燃料によって生み出される馬鹿げた推力は、ジェット排気に何度も燃料を吹きつけて吸気の酸素を使い果たす多重推力増強装置で、より一層大きな推力となり機体を押す。
滑走、前輪が離れる。直後に後輪も離れ、時雨とYRX-100の二機は、降着装置が格納されるまで地を這うような飛行を続ける。
先に動いたのは時雨だった。垂直に近い角度まで機首を上げ、ロケットのように上昇。失速し、あまつさえ適切な吸気ができずにエンジンが停止しかねない無茶苦茶な機動。だがそれは、主翼を挟むようにして上下に配置された両側合計四つの吸気口と強制吸気装置、多段階過給機、三次元推力偏向ノズル、そして中枢コンピュータによる姿勢制御性能と耐ストール性能を証明するものである。
一歩遅れてYRX-100が追従する。垂直上昇だというのに、出遅れを取り戻す加速能力。F91の改良型は伊達ではない。
YRX-100はあっという間に時雨の斜め後方に陣取る。
規定の高度で一八〇度ロール、ピッチアップによって機体を水平にし、再びロール。全く同じ動作をYRX-100も行う。
まるで生き写しだ。頭脳の構造とデータが同じなのだから、当然と言えば当然だが。耐Gスーツと電気信号によって収縮するパイロットスーツに締め付けられていた部分に血が巡るのを感じながら、ミナセは思った。
多重推力増強装置を切る。この装置の燃料消費は馬鹿にならない。
先んじて離陸していたFRGM-86〝ハリケーンⅢ〟の編隊と合流。無線通信を通じて、リーダー機が告げた。
「こちらはイーグル1、これよりイーグル隊が貴機の護衛につく。作戦空域までは事前に通達された自動飛行ルートに従え」
「了解した」
返しながら、ミナセは多機能ディスプレイを叩いてオート・マニューバをオン。
表示されるコードがブリーフィングで通達されたコードと相違ないことを、後部席に搭乗する電子戦オペレーターが確認する。
二機はハリケーンⅢの編隊の後方、やや高い高度を巡航する。
FRGM-86〝ハリケーンⅢ〟はFRGM-79〝ハリケーン〟の改良型であり、第7世代に近い特徴を有するそれは、第6.5世代戦闘機とでも呼ぶべき存在だろう。戦闘を学習して反応速度を改良する高度な戦術AIを搭載し、ある意味ではYRX-99の先駆けと言える。
尤も、知能をソフトウェア上での再現を試みたアーティフィシャル・インテリジェンスと、脳というハードウェアからの再現を試みたニューロモルフィック・コンピュータは、根本的に異なる。入力層と出力層の間に無数の中間層を生成するAIに対し、NMCは処理装置と記憶装置が一体化したセルを物理的に生成・削除し、さらにその距離と接続の強さを弄り回せるのだ。
前者が人工知能なら、後者は人工頭脳と呼ぶべきだろう。その分、コストは跳ね上がるが。
空中給油を経て、作戦空域へ。
YRX-100は問題なく給油を終えた。とはいえ、有人機でも空中給油は人の手がほとんど入らない時代だ。両機が相対速度や位置を合わせ、フライング・ブームを突き刺す。それはシステムが自動でやってくれる。
オート・マニューバからマニュアルに切り替える。ここは〈天使〉の前哨基地が近かった。
「イーグル隊、上昇せよ。対地攻撃の後、迎撃機との戦闘によるYRX-100の評価試験を行う」
作戦は既に入力してあった。イーグル隊が上昇、戦闘に巻き込まれないよう、高高度で待機する。YRX-100が編隊を解き、加速すると、まるでミサイルのように飛んでいった。流石のYRX-99でも追いつけそうにない、文字通り殺人的な加速。コーン状の雲が一瞬、かの機体を覆った。
それを見送りながら、ミナセは操縦桿を引いた。低速巡航のまま、緩やかに高度を上げる。
データリンクで送られてくる情報には
<YRX-100 ENGAGE.>
地対空ミサイルがYRX-100を追う。小型のフレキシブル・レーザー・ターレットがそれを迎撃、瞬く間にシーカーを焼き切る。
使い捨てのロケットブースターで緊急発進した〈天使〉の一機がYRX-100の背後を取った。対するYRX-100は、独楽のようにくるくるとエルロンロールしながら、バレルロール。
人間、というより既存の機体では不可能な機動だ。バレルロールはピッチアップに合わせてエルロンロールを組み合わせる機動である。間違ってもピッチアップに合わせずに機体を回しはしない。それを無視して、こんな機動をしようとすれば絶えず機体に掛ける力のベクトルを変える必要があり、事実、YRX-100はそうしている。
YRX-100を追う〈天使〉の量産型戦闘機、
その異様な機動性によって背後に張りつき、進行方向と一直線上に並ぶ、まさにその瞬間。
YRX-100は三次元推力偏向ノズルを背中側に向け、一瞬だけ多重推力増強装置を作動、その勢いでピッチ方向に回転する。クルビット。機首が進行方向と真反対を向いた瞬間、レーザー兵器が作動した。
二発。〈天使〉の輪の下、中枢と考えられている位置が爆ぜる。自爆装置が作動、爆散。残骸を残さないが故に〈天使〉の正体を探ることはできない。
YRX-100はそのまま一回転し、多重推力増強装置が作動する寸前までエンジン出力を上げた。
「なんて機動だ」
その戦闘を観測する時雨の後部席で、電子戦オペレーターの少尉が言った。
高精度光学カメラが捕捉する戦闘の映像は常識を超えている。無茶苦茶な機動に、それを実現する、制約から解き放たれた機体。
二機の
本来はもっと高速域を想定されたものだったが、低高度の空気密度では、ずっと遅い速度域で始まっている。それもまた、第9戦略偵察飛行隊からすれば収集すべきデータである。
まともに追いかけあっていること自体が奇跡だ。〈天使〉の機動は非ニュートン的運動とすら言われる。流石にそこまではいかないとしても、やはり、〈天使〉は異常な機動性という他ない。
従来戦術では追いかけられる側の役割を無人機に押し付け、その横っ面を有人機が殴りつける。
だが平然と、YRX-100は逃げる。放たれたミサイルをレーザーで焼き、あるいは機動だけで躱し。
競争は過熱する。不意に、YRX-100が翼下に吊るす三連ランチャーからESRAAM-12短距離高機動空対空ミサイルが放たれた。
火薬を用いた一次加速が終了、先端と後端のサイドブースターで方向を転換して二次加速に移ろうとした瞬間、敵機を捕捉したミサイル先端のスマート信管が作動。
もう一機は辛うじて回避。再び追おうとした瞬間、その機首を硬質ペレットが襲う。YRX-100の近接防御システムが作動してキャニスター弾が放たれ、擬似的な弾幕が張られていた。その中に高速で突っ込んだのだ。無事で済むはずがない。
「あんなことまで出来るのか、これが初飛行だろう」
またも少尉が言う。
本来は撃ち漏らしたミサイルを迎撃する最後の手段だ。攻撃に使うなど、思いつきもしなかった。
それは、〈天使〉が初めて虐殺される側に回った瞬間であった。
これまで数多の戦闘を眺めてきたミナセですら見たことがない。潜伏していたのだろう〈天使〉の反応がレーダーに現れては、二〇秒と経たず消える。
空戦能力を評価する試験であるから、駐機中や離陸中といった交戦能力のない状態の〈天使〉は狙わないように設定されている。
その制限下で、こうも殺せるか。
ミナセは想像してみた。自分たちが、YRX-99というハイエンド機で編隊を組んだとして、同じことをできるだろうか。
YRX-99は戦術電子偵察機であると同時に、次世代制空戦闘機の雛形である。その空戦能力はハリケーンやハリケーンⅢよりずっと高い。搭載している兵装だっていくつもグレードアップしている。だが、それでも。
それでも、多分無理だ。
最新鋭機だから、無人機だから、ではない。本質が違う。純然たる戦闘機械生命体、生来の殺戮者。
死を恐れる生物はなり得ぬ、そういう存在だ。
空中に爆炎が咲く頻度が段々と落ちていく。やがてぱったりと消えた頃、時雨の多機能ディスプレイに、YRX-100から指向性レーザー通信で送られてきた文章が表示された。少尉はディスプレイを見遣る。
<ALL ENEMY DESTROYED./MOVE TO THE NEXT PHASE.>
YRX-100は単機で〈天使〉の航空戦力を殲滅した。
それを、人間はただ見ているだけだった。
「イーグル4、爆弾投下」
戦闘空域の外から、イーグル4が操縦桿のウェポンリリースボタンを押し込んだ。
戦術熱核弾頭を搭載した滑空爆弾は機体から切り離されると、格納されていた主翼を展開し、慣性誘導で前哨基地の上空へと飛んでいく。
炸裂。閃光が〈天使〉の前哨基地を呑み込んだ。
〈4〉
滑空していく爆弾を中心に、突如現れて膨れ上がった〝白〟があらゆる色彩を呑み込み、消し去る。電磁パルスの影響なのか、僅かに映像が乱れた後には、まるで大地が弾けたかのような痕だけが残っていた。
映像が止まる。シークバーは右端。
この後、YRX-100を始めとする作戦部隊は空中給油を受け、帰還した。何事もなく。だからこれ以上は記録されていない。記録したところで意味がない。
数日前の作戦、核爆発の痕跡を映して止まったノートパソコンの画面を見つめたまま、ローフォードは言った。
「まるで人造の〈天使〉だな。怪物と戦うために怪物を生み出したか」
溶け残るまで砂糖をぶち込んだコーヒーを一口。このカロリー爆弾が、ローフォードの上司たるリッチモンド准将を経由して先進開発局から次々に押し付けられる新兵器、第9戦略偵察飛行隊のパイロット、技術者連中からの要求、その他諸々の諸問題を吹き飛ばしてくれる。
奥歯でじゃりじゃりと音を立てる砂糖を呑み込む。異常の一言に尽きる戦闘機動が、まだローフォードの脳裏に残っている。
「ニーチェの引用か」
「誰が言ったかなどどうでもいい。俺たちが奴らと同質のものを作り出したことには変わらん」
本来ああいった機動は、速度や高度、すなわちエネルギーが命と言っていい空戦では禁忌だ。
速度を落とさず機動に入れば強烈な負荷が掛かって主翼が吹き飛ぶ。かといって速度を落とせば、ミサイルや機銃の餌食になる。
戦術的な利点は皆無と言っていい。むしろ、技術の誇示という側面の方が強かった。
だがYRX-100は、そもそもの機体強度もさることながら、主翼を最大まで後退させて翼幅を狭めることで空気抵抗を低減、推力と推力偏向に物を言わせて、速度を殆ど落とさぬままクルビット。
真反対を向いた瞬間にレーザーを発射、撃墜。チャンスはほんの一瞬。人間では到底反応できない。
「期待以上だよ、なんてものを造ってくれたんだ」
「嬉しくなさそうだな」
デスクに腰かけたまま、ミナセは言った。
「怖いか、あれが」
「ああ。怖い。あれは機械だ。だが人間的でもある。どう言えばいいのか分からないが、そう思った。よく分からない。だから怖い」
正直だな、とミナセ。ブラックのコーヒーを一口。
合成プラントで製造される人工コーヒーの味わいは天然物と大差ない。含有される化学物質を厳密に再現することで、味を再現する。
だからこそ、代替品として成立する。ミリ規格のネジはインチ規格のネジで代替できないのだ。
「YRX-99とお前ならできるだろうな、あの機動を」
「技術的には。シミュレーションなら可能だろう。今から見せてもいい」
「だが、実戦ではやらない。当たり前だ。やった奴もいないだろう。YRX-99のニューロモルフィック・コンピュータが学習した膨大なデータの中には一例も存在しない、断言してもいいぞ」
ローフォードはひとつ、ため息をついた。
「だが、あれはやった。生み出したんだ、戦術を、リアルタイムで。近接防御システムもそうだ。膨大なデータからもっともらしい反応を生成して返すAIには、あんな芸当は無理だろう。あれは思考し、発想している。人の脳を模したのがNMCだ、設計通りだろう」
「〈天使〉に対して人間の進化は遅すぎる。故に、似ていながら、ずっと強力なマシンを創り出した。こうだろう、開発局の言い分は」
「ああ、そうだ。無人の戦争が目の前にある。俺たちは死ななくていい──だが、いざ目の前にすると、どうしようもなく怖い。それが恐ろしい」
ミナセがデスクから降りる。ローフォードに向き合い、コーヒーを飲み干し、そのコップをデスクにそっと置いた。
「少し、安心した。自分だけじゃないんだな」
「こいつは私見だ。間違っても言いふらすなよ、ローフォードの奴がビビってるなんて」
「言わないとも。──さぁ、少佐、次の命令をくれ。雑談のためだけに呼び出したわけじゃないだろう」
まったく大した仕事人間だ。ローフォードはぼやき、コーヒーを一口。そして告げた。
「例の大規模反攻作戦の詳細が決まった。五日後だ。詳細はブリーフィングで通達するが、お前は最も危険と予想される空域に投入される。最低でも
「何があろうと生還せよ。復唱終わり」
「退出を許可する」
次話の投稿は明日18:05予定です