〈5〉
オペレーション・アーレウス。
国連軍の隷下にある陸海空の全軍団の共同、総戦力の半分を攻撃に用いるという、この大掛かりな作戦は、午前十一時、各種弾道ミサイルの発射から始まった。発射から着弾までの間には、潜水艦やミサイル艦から放たれた巡航ミサイルが防空能力を飽和、弾道ミサイルの命中率を高めるべく、主に前線の防空拠点を叩く。続いて通常型、または地中貫通型の核弾頭を搭載した弾道ミサイルが基地に着弾することで防衛力をすり減らす。
純粋熱核弾頭たるそれらは、従来型の核兵器よりはずっと汚染は少なく済ませることができる。無論、それでも放射性の汚染は生じるとはいえ、熱核兵器以外では〈天使〉の基地機能に有効打を与える事ができないのも確かである。
戦力の投射は前線から後方に行くにつれて漸減するように分布している。これは、そのように〈天使〉の戦力が分布しているからであり、奥に進出するまでに消耗しないためである。最後方に着弾する弾道ミサイルはほとんど牽制と言ってもいい。効力射になる、などとは最初から考えていないだろう。
次いで、空域制圧型のミサイルが発射される。
戦術核弾頭を搭載したこのミサイルは、特定の敵ではなく空間そのものを破壊の対象とする。躱されるのなら周囲ごと吹き飛ばしてしまえ、ということだ。これによって、被害を免れて迎撃のために待機する航空戦力を殲滅する。
斯くして各段階で入念に掃討した後、部隊が投入される。
この作戦の目標は人類の生存圏を取り戻そうというものであり、より正確に言えば、資源地帯として利用できる領域を広げようというものだ。三〇年に及ぶ戦争、資源は限界に近いが、脅威に晒される外縁部に資源拠点を構築するわけにはいかない。ならば、外縁部と定義される部分をより外へ広げてしまえばいい。代わりに、これまで外縁部だった地域を資源地帯化する。そういうことだ。
この作戦における第9戦略偵察飛行隊の任務は、戦闘を偵察し、データを収集、そして帰還することである。普段と同じだが、そこにYRX-100が僚機として加わる。尤も、やる事はほぼ変わらない。
十一機のYRX-99は九つに区切られた戦闘空域に投入される。余る二機は、交代要員として待機。
創設以来初めての、ほぼフル稼働である。
第9戦略偵察飛行隊一番機、パーソナルネーム〝時雨〟は、三つに区切られた最前線の中央の担当だった。その左右は二番機〝スピアヘッド〟と三番機〝ナイトレーベン〟が担当する。
時雨とYRX-100は高度一八〇〇〇メートルを燃料の消費が最小となる速度で巡航。低高度では、正規量産型としては最新鋭のFRGM-89〝テンペスト〟から成る制空部隊が、散発的に現れる〈天使〉の迎撃機を叩いている。作戦は順調に進んでいた。
さらにその下、地上では、ジャガーノートを始めとする無人陸戦兵器がCORPSの指揮下で制圧を進めている。事前の核攻撃、誘導爆弾と対地ミサイルを満載したFRGM-79〝ハリケーン〟による
時雨は四発のEMRAAM-72と六発のESRAAM-12を搭載して、戦域の高空を8の字に飛ぶ。
付近にはFRGM-86〝ハリケーンⅢ〟の編隊が四機ずつ編隊を組み、計十二機が広く間隔を取って、早期警戒管制機の少し下の高度を飛んでいる。時雨のレーダーはかなり本格的なものだが、その用途に特化した早期警戒管制機ほどではない。時雨で戦闘空域のほぼすべてを見渡せているのだ、向こうはもっと詳細に見えているのだろう。ミナセは思った。
キャノピー越しに見渡せる範囲には、高高度の暗い空と、地球の丸みに沿うように雲の白が広がっている。その僅かな切れ目からは海のそれとは違う、大地の色が見える。概ね、いつもの景色だ。
なんと長い任務だろうか。並んで飛ぶYRX-100を見ながら、ミナセは左腕の腕時計を確認した。
「あと何分だ」
少尉が問うた。
「六〇分以上」
「ああ、クソ、こんなのは初めてだ。暇すぎる」
油断はするな、とミナセは後部席の少尉に釘を刺す。しかしオート・マニューバで決まった経路を巡航するだけだから、暇なことも確かだ。操縦桿はほとんど手を添えているだけ、スロットルレバーからは手を放してさえいる。むしろ下手に力を入れないように操縦桿も手を放した方がいいのだろうが、なんとなくそれは嫌だった。
ドロップタンク内の燃料が尽きかける頃、一度下がって空中給油し、タンクを満たして再び前線へ。
それからまた三〇分以上が経過した頃だった。一言も喋らぬまま、くぐもったエンジンの轟音だけが満たすコックピットの中に、少尉の声が響く。
「空間監視レーダーに反応あり。しかし……レーダーには反応がない」
空間監視レーダーは、将来、より高度なステルス性を獲得するであろう〈天使〉に対し、機体からの電波反射ではなく、機体周囲の空間の変化を監視・検出するという、つまりは次世代のレーダー装置の試作品である。
空間監視レーダーの心臓部たる空間監視装置、あるいは〝
つまり、反応は、システム側からの「これは意味のある信号だ」という意思表明でもある。
「継続的に移動している。飛翔体だ、しかもかなり速い」
「誤作動ではないのか」
「YRX-100が自律行動の許可を求めてきた。どうする、中尉。向こうも見えているようだ」
いくら試作品とはいえ、これまではレーダーとの齟齬なく動作してきたのだ。二機揃って誤作動、というのは考えにくい。
つまり、電波では検出できない何かが接近してきていると考えるべきだろう。仮にそうでなかったとしても、動かずに死ぬよりはずっといい。そう考えて、ミナセはオート・マニューバを切り、操縦桿とスロットルレバーを握る。
「時雨より各隊、未知の反応が接近中、かなり速い。高度なステルス機と見られる。目視にて警戒せよ」
スーパーサーチ・モード、オン。ECMを真っ向からぶち抜き、ステルス塗料の電波吸収能力すら飽和するほどの大出力のレーダー波が下方を捜索する。ステルス性は当然のことながら犠牲となるが、そういう問題ではない。
一時方向、やや下の遠方に例の反応、と少尉。機体を傾けてその方向を見る。
「見えるか」
「いいや、どこだ──待て、あれは」
少尉が言う直前、空間監視レーダーを反応が埋め尽くした。ミナセは視線を落とす。地下に潜伏していた戦闘機か、などと考える間に雲海を抜けていく機影。雲の白に、まるでコピー用紙に針で穴を空けたかのように、黒が混じる。
レーダーに微弱な反応。スーパーサーチでこれか、とミナセ。
「ボギー、反応あり。四群、総数……およそ十六。
早期警戒管制機が無線で命令を飛ばす。〝ハリケーンⅢ〟の編隊が散開、
中枢コンピュータが自動的に情報収集を開始。敵機、友軍機、管制機の位置、互いの兵装使用状況にミサイルの軌道、各機の通信内容、そして撃墜と被撃墜、その他あらゆる情報を収集し、記憶装置に記録すると共に、それら情報を糧にNMCが自己進化を繰り返す。
時雨は戦闘には参加しない。早期警戒管制機が見落としているものが、危険な情報であれば通達するが、それ以上はない。帰還こそが任務であり、戦闘は不可避の場合のみだ。
「中尉、例の反応がまだ接近中。レーダーに反応なし、空間監視レーダーだけが反応している」
「なんだって?」
「この距離なら見えるはずなんだ、クソ、どうして」
「YRX-100に交戦を許可しろ。今、すぐに」
「了解。YRX-100、自律戦闘を開始。システム・モニター、アクティブ」
YRX-100は編隊を解除、おそらく見えているのであろう不明機を迎撃するべく、最大推力で飛んでいく。空間監視レーダー上でYRX-100の反応と不明機の距離が縮まり──レーザー砲の有効射程内、発射のログ。攻撃評価:命中せず。
ヘッドオンのまま両機はすれ違う。超高速の状態では旋回半径は非常に大きくなる。対する不明機は真っ直ぐにこちらへ。
「交戦は避けられないようだぞ、中尉。こちらを狙っているように見える」
時雨が、時雨の中枢コンピュータが、機体のコントロールを求めている。多機能ディスプレイでオート・マニューバが点滅していた。こちらには見えている、だからこちらに制御を寄こせ、ということなのだろう。
しかしミナセはそれを拒否した。振り返ればいくらでも理由は思いつく。しかし、この瞬間には、ただ自分が操る方が良いだろうという、漠然とした予感だけで動いていた。
「増槽投棄、格闘戦に備えろ」
YRX-99からドロップタンクが切り離されて落下していく。格闘戦となれば、ドロップタンクは空気抵抗と重量の増大という、悪影響の原因になる。燃料流入経路が変更、機内タンクに切り替わった。
ミナセはドッグファイト・スイッチを入れる。
レーダーが機能しない以上、アクティブ・レーダー・ホーミングのEMRAAM-72は使えない。全近距離兵装アクティブ。バイザー上に仮想のHUDが投影される。まだ見えないが、逃げることはできないだろう。不明機はまるでミサイルのような速度で突っ込んでくるというのだから。
「有効射程までカウント」
赤外線シーカーならば、あるいは。〈天使〉とて物体である。ならば、電波的にステルスと言えど、物体が放射する赤外線くらいは拾えるだろうとミナセは考える。
ミサイルリリース・ボタンに乗せた親指に力を籠め、機関砲のトリガーに人差し指を添える。
「五秒もない。スリー、ツー、ワン──今だ、撃て!」
HUDには敵機の反応を示す表示はない。空間監視レーダーは火器管制システムとは連携していないのだ。だが、撃てばミサイルのシーカーが拾ってくれるかもしれない。ミナセはミサイルリリース・ボタンを二度押し込み、スロットルをミリタリーへ入れつつ右下方向に緩旋回、一八〇度。
大Gに圧し潰されそうになりながらも、少尉はミサイルを目で追う。狭まる視界の中、白煙を曳いて飛んでいくだけの二発のミサイルは、誘導されているとは思えない。
「ミサイル、命中せず」
「まるで幽霊だ。敵はどこだ」
「前方、反転したぞ。ヘッドオン」
「幽霊め」
ミナセは前方に目を凝らす。空間監視レーダーは動作している。つまり確かに敵は存在し、そして空気が揺らいでいる。
RDY GUN。
敵機が、敵機が巻き上げた空気が、見えた気がした。
トリガーを引く。機関砲発射口が開き、二五ミリ口径の四砲身ガトリング砲が火を噴く。炸裂徹甲焼夷弾に混じって曳光弾が吐き出される。〇・二秒きっかり。射撃をやめ、後退位置で固定された主翼で大気を切り、ブレイク。
時雨は旋回で反転、加速して敵機を追おうとする。YRX-100が接近中。
「どこだ」
「反応が重なっている、これは」
不意に、コックピットに影が落ちた。緩やかに、前から後ろへと、影が広がっていく。
ミナセは反射的に見上げた。
「上、に」
見たこともない〈天使〉が──否、見覚えがある。それもよく知っている。
YRX-99そっくりの、しかし淡く煌めく、天使の輪を浮かべる白い戦闘機が、すぐ真上、ほんの数メートルのところに、背面飛行で張り付いている。映画でこんなシーンを見たことあるなと、異常に冷静な頭で、ミナセは考えていた。
スロットルを絞る。エアブレーキ全開、急減速。オーバーシュートを狙ったそれは、しかし、不気味なまでにぴったりと合わされた。
大きく動かない限りは無理だ。だが、こうも異常な近さで張り付かれてはそれもできない。つまるところ、振り切れない。そう悟り、巡航速度に。
「何が目的なんだ、撃墜しないだと」
少尉が言った。これまでの〈天使〉の行動からは逸脱している。
YRX-100が後ろについた。だが、撃てない。ミサイルは当然、レーザー砲でさえ、撃墜すれば残骸が時雨に襲いかかることになる。
YRX-100は火器管制レーダーで〈天使〉を捕捉したまま止まり、三機は奇妙な姿勢で飛行を続ける。
「レーダー照射を受け──いや、なんだ、断続的に照射しているのか、これは」
「どういうことだ」
「分かるわけないだろう」
レーダー照射の警告音。次の瞬間には解除され、再び警告音。それが何度か続いた。
意図が分からない以上、下手に動くわけにもいかなかった。少なくとも、この姿勢ではミサイルは撃てず、機関砲も当たらない。まだ安全だ。それこそ、衝突してこない限りは。
「モールスだ、と中枢コンピュータが」
少尉が言った。YRX-99は高度な電子戦装備を備え、照射されるレーダー波のパターンを解析することで、その目的を推測する機能もある。その応用だろう、と。
「何かを伝えようとしているのか。何を」
「待て……『当機の目的は、貴機の理解である』、と」
「誰がだ、この〈天使〉が、か」
「おそらくは」
ミナセは眉をひそめた。
「人間を理解したい、とでも言うのか」
「なら、せめて名乗って欲しいものだな」
少尉が言った直後、再びレーダー照射の警告音。こちらの言っていることを理解しているのか、と少尉は驚く。
「『われはセラフ』──熾天使、だと? 続きだ、『貴機の名を求む』と」
「少尉、YRX-100に撃たせろ」
「正気か、情報を引き出せるかもしれないんだぞ」
「敵は、敵だ。レッドアウトに備えろ」
ミナセは〈天使〉と語り合うつもりなどなかった。今、生還せよという命令の障害となっているのは、この
だが、そんなことは知ったことかと、言外に、ミナセはそう言っている。
知る、理解するという行為は必ずしも和平を意味しない。それは殺すため、戦いのためだ。これまで、第9戦略偵察飛行隊がそうしてきたように。これは和平ではなく、戦略の転換の前触れなのだと、ミナセはそう判断した。
操縦桿を前に倒す。浮遊感、マイナスGによって視界が赤く染まる。レッドアウト。主翼を振っても
YRX-100が撃った。
強引に時雨は反転。翼に雲を纏いながら飛ぶ
時雨はEMRAAM-72を終端誘導モードで全弾発射。僅かに時間差をつけて放たれたミサイルを、
速度が高度に変換され、どうしても動きが鈍る瞬間。そこを、YRX-100が撃ち抜いた。命中。主翼の一部が爆ぜる。だが致命打とはならない。
「なんて頑丈なんだ」
だが、かなりの痛手のはずだ。そう続くはずだった言葉は、ミナセが大G旋回したことで少尉の喉の奥に戻される。
スロットルをミリタリー位置から押し込み、推力増強装置が作動している範囲の硬い手応えの、更に奥へ。多重推力増強装置、作動。燃料の流入量が跳ね上がる。
時雨がESRAAM-12を発射。それに合わせてYRX-100も胴体下のEMRAAM-72を全弾発射、黒い機体が白煙で覆われる。慣性で速度の増したミサイルが
RDY GUN。
炸裂の直前、
「命中、命中」
まだ仕留めきれていない、とミナセ。
──〈天使〉は、そこにいる。
時雨が、そう言っている。
ESRAAM-12を発射。機関砲の短い連射で右へのブレイクを牽制し、もう一発。白煙を曳いてミサイルが飛んでいく。マーカーの位置をミサイルが加害範囲内に収める、その直前。
不意に、マーカーが消える。ミサイルは炸裂せず、たった今までマーカーのあった位置を通過する。そのまま飛んでいき、自爆。
「ターゲット、ロスト。空間監視レーダーにも反応無し」
「消えたとでも言うのか」
「そうとしか考えられない」
ふと、ミナセはレーダーを見る。レーダー上にはいつもと同じ強度で〈天使〉の反応。だがそれも、制空部隊によって次々に数を減らされている。早期警戒管制機の直掩につくのは、精鋭中の精鋭だ。
あるいは、本当に。あらゆる戦闘に参加せず、ただ観察する謎の戦闘機。それを不思議に思い、コンタクトを取ってきたのかもしれない。こちらに狙いを定めて。
「中尉、燃料がまずい」
「一度下がる。空中給油を受け、任務を継続する」
「了解。時雨よりHQ──」
ともかく、燃料が尽きてはどうにもならなくなる。空中給油のために下がらねばならない。
生還、それこそが任務である。面倒なことを考えるのは将校の仕事であり、政治家の仕事であり、
ミナセは緩やかに旋回、進行方向を反転した。
〈6〉
オペレーション・アーレウスは成功に終わった。〈天使〉の抵抗は想定より遥かに弱く、ある種の不安すら覚えるほどの大成功に。
人類は新たに広大な緩衝地帯を手に入れ、次の戦争へと備えるべく、これまで緩衝地帯であったために手を付けられなかった領域にて、資源と兵器の開発を推し進める。〈天使〉との戦争は新たな局面に至ったと、指導者たちは語った。
戦勝ムードに沸く市民とは対照的に、兵士たちは、楽観視はしていない。むしろ今以上に過酷な戦争が始まるのだろうと、そう考えている。あれは上手くいったのではない、戦力を温存していたのだ、と。
国連軍情報軍団、リッチモンド准将は言った。〈天使〉の戦略方針は──そんなものがあればの話だが──は変化の兆候を見せている。人類側も、いずれは戦略の転換を強いられるだろう。
これはただの戦争ではない。人類と〈天使〉、どちらかが死に絶えるまで続く絶滅戦争である。
〜完〜
続きの予定は今のところありません。好評だったら整理して長編にするかもしれないです。