パンタニア見聞録~転生猫獣人はパンの食レポで異世界を救うらしい~   作:倉田六未

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今日から再連載開始いたします。
以前書いた原稿を読みやすくリライトしています。
ぜひお読みいただけると嬉しいです。



俺の名前はユウマ、パン好き猫獣人だ


 猫になった。

 

 いや正確には──過労死して、耳と尻尾の生えた猫獣人に転生していた。

 

 そして今、俺は屋根の上で陽だまりに身を委ね、どこからともなく漂ってくるパンの香りに鼻をひくひくさせていた。

 

 翡翠色のマントに刺繍されたパンのマーク。金色の陽射しに透けて美しく輝く。

 

 身長100cmほどの小さな体に、黒と白のハチワレ模様。琥珀の縁取りが美しい黒瞳は、猫のそれだ。

 

 毛並みは雲のように柔らかく、触れた者を虜にする魔性のモフモフさを兼ね備えている。

 

 前世では終電を逃すのが当たり前の激務に追われ、深夜のオフィスで冷めたコーヒーをすすりながらPCと向き合っていた。

 

 それが今では、日当たりのいい場所でごろごろするのが日課だ。

 

 面倒ごとは苦手だし、うるさいのも嫌い。

 

 どうやら猫としての特性に、人間だった頃の魂まで引っ張られているらしい。

 

 それでも──パンにだけは、逆らえないんだ。

 

 小麦が歌う甘い調べ。バターが奏でる黄金のハーモニー。

 

 その香りを嗅いだ瞬間、体の奥底から抗いがたい衝動が湧き上がる。

 

「にゃー……今日のお日様も、悪くないな」

 

 ふわりと背中を伸ばすと、三角の耳がピクピクと陽風に揺れる。

 

 どこかで小鳥がさえずり、遠くから焦がしたバターの芳醇な匂いが絹糸のように鼻腔をくすぐる。

 

 

 

EXP(経験値)獲得!

・日向ぼっこ 15EXP

 

 

 

 この世界ではゲームでよくある『ステータス』が存在する。行動すると経験値を得て、スキルも発動できる。

 

 ……便利だから文句は言わない。

 

 俺の名前はユウマ。

 

 ミルカの森のふちで倒れていたところを薬師のガランに拾われ、今はその家で薬師夫婦とまったり第二の猫ライフを送っている。

 

 ここはパンが美味しくて、人が優しくて、昼寝しても怒られない。

 

 そんな最高の世界である。

 

 

 

 

 

 

「……はっ!! この匂いは!……バタークロワッサンか!」

 

 俺の大好きなパンの匂いを鋭敏な猫ひげが捉えた。

 

「モフさまー! 起きてるー?」

 

 下から弾んだ声が響く。ティナだ。

 

 14歳のパン屋の娘で、明るい栗色のツインテールをぴょこぴょこ揺らしながら手を振っている。

 

「……名前はユウマだって何度も言ってるだろ!」

 

「だーめ! そっちの方が断然可愛いもん。それにミミが最初に『モフさま』って呼んだから、私たちの公式名称なの!」

 

 ティナがにっこりと笑って紙袋を掲げる。

 

 中から漂ってくる香りで、俺の鼻先がひくひくと震えた。

 

「焼きたてのバタークロワッサンだよ!」

 

「……バタークロワッサン」

 

 その瞬間、視界の端に《ロックオン(食)》という文字が浮かんだ。食べ物にしか反応しないスキルだが、行かざるを得ない。

 

 屋根から軽く跳躍し、空中でくるっと宙返り。背中をしならせると四肢が自然と着地態勢を取る。

 

 猫らしい身軽さは、この体になって得た数少ないメリットだ。

 

 足音ひとつ立てずに地面へ着地。

 

「ほらほら、特製バタークロワッサン!」

 

 ティナが差し出す紙袋から、湯気とともに小麦とバターが織りなす至福の香りが立ち昇る。

 

「これってもしかして……『バタースライム』を使ってる?」

 

「そうそう! 父さんがこの間、森の奥でとってきたんだ。普通のバターより濃厚でね、一度食べたら忘れられない味なんだよ」

 

 バタースライムとは、この世界に生息する黄金色のスライム。

 

 危険度は低いが、その体液から作られるバターは絶品だという。ただし森の中に生息しているため、採取には相応のリスクが伴う。

 

 一口かじった瞬間、サクッと軽やかな食感の後にじゅわっとバターの旨みが口中に広がった。思わず鼻先がふにゃりと緩む。

 

 これは……反則だ。

 

「……猫目になってるよ?」

 

「元からそうだよっ!」

 

 反論はしたものの、自分でも顔が緩んでいるのが分かる。

 

 

 

 

 

 

「おーい、いたいたー!」

 

 元気いっぱいの声とともに、子どもたちが駆け寄ってくる。ミミとロッコの双子コンビだ。

 

 ミミは6歳でボーイッシュなショートカット。活発で負けん気が強く、俺を『モフさま』と最初に呼んだ張本人。少しくすぐったいが、嫌な気分ではない。

 

 一方のロッコは、もっさりした髪と大きな瞳で、甘えん坊全開の男の子である。

 

「モフさまー! おいかけっこしよー!」

 

「おんぶ~! おんぶ~!」

 

「うおっ、やめ……耳はダメだ、敏感なんだよぉ!」

 

 小さな手が俺の耳に向かって伸びてくる。捕まりそうになって慌てて全力ダッシュ。

 

 だけど、なんだかんだ走っているうちに、こっちも楽しくなってきたりする。

 

 前世では子どもと遊ぶなんて機会もなかったのに、今では自然と笑顔になっている自分がいる。

 

 ……くそっ、猫の気分屋な性格には抗いがたい。

 

 

 

 

 

 

 昼前、薬屋に戻ると薬草をすり潰すガランと、その妻で編み物をするミーナが温かく迎えてくれた。

 

「おかえり、ユウマちゃん」

 

 ミーナが優しい笑顔を向け、横のガランも静かに頷く。

 

「ただいま。何か手伝えることはある?」

 

「無理しちゃダメ。ユウマちゃんはね、いてくれるだけでみんな助かってるんだから」

 

 ミーナが優しく笑いながら、俺の頭を撫でる。その手つきは、まるで我が子を慈しむ母親のようだった。

 

 ガランも俺の頭を撫でた。ふたりの温かい手に包まれながら、俺はゴロゴロと喉を鳴らした。

 

(こういうのもいいな……)

 

 前世の「何かをしてないといけない」という焦燥感も、今ではずいぶん薄れている。

 

 

 

 

 

 

 昼下がり。

 

 井戸のそばに腰を下ろし、しっぽをくるんと足に巻きつけながら青い空を見上げた。

 

「本日も絶好の日向ぼっこ日和……」

 

 暖かい陽射しが全身を包み込んで、まぶたが自然に重くなってくる。

 

「このまま昼寝しても誰も怒らない……最高だ」

 

 ふさふさの尻尾を枕に、意識が心地よい眠りへと誘われていく。

 

 

 

 

 

 ──しかし、平穏というものは、得てして脆いものだ。

 

 

 

 

 

 

 どれくらい眠っていただろうか。

 

 ふと目を覚ますと、空の色が西日に染まっていた。

 

「……ん、もう夕方近いのか?」

 

 体を起こしかけたその時、不意に風が止んだ。

 

 リーカ村の周りを囲む『ミルカの森』。

 

 村人たち曰く、そこは魔物が多く、日々の暮らしの糧になる一方で、戦う術を持たない者が安易に踏み入るべきではない場所だという。

 

「……なんか、空気変わった?」

 

 三角の耳がピクリと反応する。細く、重たい気配。

 

 風でも音でもない、何か得体の知れないものが空気に混じっていた。

 

 遠くで揺れていた木の葉が静止し、土の匂いがわずかに焦げ臭く変化した。

 

「……この気配、なんだ?」

 

 その直後、遠くから甲高い声が耳に届いた。

 

「だれかっ! たすけてーっ! まもの、まものが出たーっ!」

 

 《感覚強化(視・聴)》が発動する。

 

 耳がキーンと鳴り、その声が誰のものか瞬時に理解できた。

 

「ミミ!?」

 

 森の北の方角から、ミミの必死な声が響いた。反射的に立ち上がり、しっぽが逆立つ。

 

 パンのことも昼寝のことも、一瞬で頭から吹き飛んだ。

 

「ミミ!? なんで森なんかに入ってるんだよ……!」

 

 体が勝手に走り出していた。薬屋の脇を通り、急いで村の北の外れへ。

 

 途中の村の中心広場では、双子の弟ロッコが泣きじゃくって森を指差している。

 

「えっぐ。モフさま~。ミミが……もりに……一人で~」

 

「……分かった! 俺が助けに行くから、村の大人に知らせて!」

 

 ロッコは赤く腫れた目を擦りながら首肯した。

 

 そして俺は走るスピードを上げて森の入口へ急行した。

 

 足元の土はひどく乾燥しており、走るたびに小石や砂埃が宙に舞う。

 

 森に足を踏み入れると、普段とはまるで違う空気が肌にまとわりつく。

 

 鳥たちのさえずりも、虫たちの羽音も、まるで何かに怯えるように消え失せている。

 

 あまりに静かで、逆に耳が痛いほどだった。

 

 草をかき分け、木の根を飛び越え、森の奥へ。

 

「おい! ミミ、どこだ!」

 

 見上げると、太い枝の上で震えるミミの姿。そしてその真下に、ぬらりと動く黒い影。

 

 狐のような形をした魔獣だが、普通の狐の五倍はある巨体。

 

 輪郭がぼやけて影のように揺らめき、実体があるのかさえ定かではない。

 

 鋭い瞳だけがぎらりと光り、その存在感は不気味に木々の間を漂っている。

 

 その影は純粋な黒ではなかった。まるで生地の発酵を覗き込むような、気泡混じりの暗さが不安定に揺れていた。

 

「なんでこんな強そうな魔物が、森の浅い場所にいるんだ……?」

 

 転生してまだそれほど時間も経っていないのに。運が悪すぎる。

 

 俺の脳裏に、前世の激務を思い出すような警告音が鳴り響く。

 

 命の危険を知らせる本能が「今すぐ逃げろ」と叫んでいた。

 

 脚は震え、心臓は不気味なほど速く脈打つ。

 

 ……怖い。正直、今すぐ逃げ出したい。

 

 

 ──でも。

 

 

 枝の上で震えるミミの姿が、俺の瞳に焼き付いて離れない。あの小さな体が恐怖に震えているのを見ていると、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。

 

 面倒ごとは嫌いだが、あの子が傷つくのはもっと嫌だ。

 

「俺にできるのか? このひ弱で、ただパンを食って寝るだけの俺が……」

 

 そう葛藤しつつも、俺の体はすでに動いていた。重い前足が、ぬかるんだ土を強く蹴り上げる。

 

 猫獣人としての本能が、理性よりも早く、「大切な仲間を守る」という選択をさせたのだ。

 

 

 

 ──かくして、俺の安穏な猫ライフに、忌々しい厄介事が降りかかった。

 




恋愛、TS、ざまあ、主人公最強、勧善懲悪(悪・即・斬)要素はありません。
モチーフはペル◯ナ4なので、日常の温かさを感じていただければと。(河川はヒーロー)

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