パンタニア見聞録~転生猫獣人はパンの食レポで異世界を救うらしい~   作:倉田六未

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やさぐれ神官ハンナと、オルガン演奏

 

「モフさま、本当にひとりで大丈夫? 迷ったりしない?」

 

「うん……すぐ近くだし、大丈夫だよ。ティナも無理しないで」

 

 パン屋の玄関で、ティナが何度も心配そうに声をかけてくる。

 

 香露ハニーブレッドの評判でパン屋は連日大賑わいだ。ティナも忙しそうに走り回っている。

 

 これ以上、彼女に負担をかけるわけにはいかないからね。申し訳ない気持ちと、彼女の優しさに感謝しながら、俺は背を向けた。

 

 俺はティナから受け取った秘伝書『パンくろっく』をしっかりと抱え、神殿へと足を向けた。神殿は村の中心にあるから迷うことはない。

 

 リーカ村の建物はほとんどが木造で素朴な作りだが、この神殿だけは異質だった。白く磨かれた石造りで、空に伸びる尖塔はまるで天を指差すかのようにそびえ立つ。

 

 ステンドグラスからは七色の光が差し込み、内部はどこまでも静謐な空気に包まれていた。

 

 神聖な空気が、肌を刺すように冷たかった。

 

 それは、単なる気温の低さではなく、人間の温かさが届かない、永い時の流れそのもののように感じられた。

 

(パンの魔の属性…………。そして、神殿図書館のリビか。一体、どんな話が聞けるんだろうな)

 

(……それにしても、この神殿、やけにデカいな。村の規模に合ってなくないか?)

 

 俺は胸の高鳴りを感じながら、神殿の重厚な扉を押し開けた。

 

 扉を開くと、ずっしりとした重みが両手から伝わってきた。

 

 

 

 

 

 

 神殿の中に入ると、外観の荘厳さとは裏腹に、どこか気怠い空気が漂っていた。

 

 広々とした空間の中央には、巨大なオルガンが鎮座しているが、誰も演奏している気配はない。

 

 しかし、どこを見渡しても埃一つ落ちてないほど清潔に保たれているのが、かえってその場所の異様さを物語っていた。

 

 静けさの中に漂う、微かな、しかし確かな緊張感。時間が止まっているかのような、不思議な感覚に襲われる。

 

 祭壇の脇に、一人の女性が椅子に座っていた。透き通るような白い肌に、腰まで届く白菫色の髪。

 

 虹色の瞳はどこかぼんやりとしていて、神官服を着ているにもかかわらず、その後ろ姿からは一切のやる気が感じられない。

 

 俺が近づくと、彼女はゆっくりとこちらに顔を向けた。

 

「…………今日は、何の御用で来やがったんですかねぇ」

 

 その口調は、まるで寝起きのような、気の抜けたものだった。その声は、重く、そしてどこまでも響かない。

 

(え、何だこの人。神官だよな? やる気なさすぎだろ……)

 

「あの、すみません。神殿図書館に行きたいんですが、場所を教えてくれますか?」

 

 俺が尋ねると、彼女は面倒くさそうに指を差した。

 

「ああ、図書館ならあっちですよぉ。奥の扉。でも、あそこは妖精族のリビが管理人だから、騒がしくしやがると追い出されますよぉ。あと、本棚に登ったりしやがらないように。リビがうるさいんで」

 

 彼女の言葉に、俺は思わず耳がピクリと動いた。本棚に登るな、とは、まるで俺の習性を見透かしているかのようだ。

 

(なんで俺が本棚に登る前提なんだよ……!? いや、絶対と言えないのが辛い)

 

「ありがとうございます。あの、あなたは…………神官様ですか?」

 

「ええ、そうです。神官のハンナですが、何か……?」

 

「俺、ユウマと言います。パン屋のティナに紹介されて来ました。魔の属性について、もっと詳しく知りたくて…………」

 

 俺が魔の属性という言葉を出すと、彼女のぼんやりとした虹色の瞳が、一瞬だけ、鋭く輝いた──

 

 が、それはすぐに消え、元の気だるげな表情に戻る。

 

「魔の属性、ですか。それは、この世界に満ちる『理(ことわり)の魔力』そのものですよぉ。パンに宿る魔は、他の五つの属性を繋ぎ合わせる『バランサー』のようなもの。パンを作る者の心が、この『理の魔力』と共鳴して、パンに宿りやがるんです」

 

(『理の魔力』? 『バランサー』? 何言ってるのか、ほとんど分からない…………いや、さっきの無気力そうな態度はどこに行ったんだよっ!?)

 

 彼女はそう言いながら、手元の数珠を指で弄んだ。

 

「まあ、詳しいことは、図書館のリビに聞きやがった方がいいですよぉ。あいつは、古い書物や知識を管理しやがっているから。あーしは、オルガンを弾くのが専門なんで」

 

 そう言って、彼女は再び祭壇の方に目を向けた。その表情は、まるで遠い昔の記憶を辿っているかのようにも見えたが、すぐに「あー、今日も眠い」と小さく呟いた。

 

「オルガン…………弾けるんですか?」

 

 俺が何気なく尋ねると、彼女の虹色の瞳が、再び、今度ははっきりと輝いた。

 

 そして、無気力だった表情に、微かな、しかし確かな熱が宿る。

 

 その熱は、彼女の全身から発せられ、空気を震わせるかのようだった。

 

「ええ、まあ。弾けますよぉ。このオルガンはね、ただの楽器じゃないんですよぉ。この神殿の『理の魔力』を増幅させるための、特別な装置なんです」

 

 彼女はそう言うと、ゆっくりとオルガンの前に座った。その指が、鍵盤に触れる。

 

 

 

 ──その瞬間、神殿の空気が一変した。

 

 

 

 ドォォォォン…………!

 

 

 

 地を這うような重低音が響き渡り、神殿全体が震えた。

 

 それは、ただの音ではない。

 

 魂の奥底に直接響くような、圧倒的な音圧。続くメロディは、荘厳でありながらもどこか不穏で、神秘的。低音の唸りが空間を満たし、高音の響きが天へと昇っていく。

 

 複雑に絡み合う音の奔流は、まるで世界の始まりと終わりを同時に奏でているかのようだった。それは音を超え、もはや一つの現象だ。

 

 俺の体の奥底から何かが揺さぶられ、全身の毛が逆立つ。

 

(な、なんだこれ!? これがオルガンなのか!? まるで、世界の根源が鳴り響いているような、とんでもない音だ…………!)

 

 オルガンの音色は、神殿のステンドグラスを透過する光を揺らし、壁に描かれた聖なる絵画が、まるで生きているかのように蠢いている錯覚に陥る。

 

 音の波が、光と影を操り、この空間全体を一つの生命体へと変貌させていく。

 

 彼女の表情は、先ほどの無気力さが嘘のように消え失せ、恍惚とした、しかしどこか悲しげな、複雑な感情が入り混じっていた。

 

 その指の動きは、まるでオルガンと一体化しているかのようだ。彼女の魂そのものが、オルガンの音となって、この空間に満ちていく。

 

 数分後、音はゆっくりと収束し、静寂が訪れた。神殿には、オルガンの残響だけが、微かに漂っていた。

 

 彼女は、再びいつもの気だるげな表情に戻り、フゥと息を吐いた。

 

「…………こんなもんで、いいですかね」

 

 彼女はオルガンの鍵盤から手を離すと、再びいつもの気怠い表情に戻った。まるで、夢から覚めたかのように。

 

 そして、彼女は俺に向かって、まるで「早く行け」とでも言うかのように、手のひらをしっしっと振った。

 

「ほらほら、いつまで突っ立っていやがるんですか。あーしのサボりの邪魔ですよぉ」

 

(サボりの邪魔って、堂々と言うな!? ってか、さっきまであんなすごい演奏してたくせに、この落差はなんなんだよ!?)

 

 そして、オルガンの音色のような通知音が鳴った。

 

 

 

経験値獲得!

・ハンナとの出会い 30EXP

 

 

 

(キャラが濃い神官様だな……でも、あの切り替えようは……プロの所作だと思ったけどね!)

 

 

 

 

 

 

 俺はふと、彼女の言葉に不思議な感覚を覚えた。

 

 無気力な口調とは裏腹に、魔の属性について語る彼女の言葉にも、そしてあのオルガンの音色にも、どこか深遠な響きがあった。

 

 特に『理の魔力』という言葉が、俺の心に強く残った。

 

(魔の属性は、他の属性を繋ぎ合わせる『バランサー』か……)

 

 ティナから借りた『パンくろっく』を抱え直し、俺は神殿図書館の奥へと続く扉へと向かった。

 

 彼女の言葉と、あのオルガンの音色が、これから出会うリビとの会話への、新たな伏線のように感じられた。

 

 

 そして、もう一つ。

 

 

 リーカ村の住人たちは、俺の猫耳や尻尾を見ると、いつも「モフモフしたい!」と駆け寄ってくるのに、この神官だけは、一度もそんな素振りを見せなかった。

 

 まるで、俺が猫獣人であること自体に、何の興味も抱いていないかのように。

 

(なんでこの人だけ、俺をモフってこないんだ? この村の住人にしては、珍しいよな…………まあいいか)

 




オルガン演奏のモチーフは、ヴィーナスにリインカーネーションして、デビルをフュージョンする某アト◯ス様のゲームです。題名は「5+難しい英語」のやつ。

ア◯ラトに脳を焼かれた人は多いと思う。万能ビルドでめっちゃ使いました。

6は出るのか!? 出してくれ!
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