パンタニア見聞録~転生猫獣人はパンの食レポで異世界を救うらしい~   作:倉田六未

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おかしな行商さん、あらわる

 ガランの家の屋根の上で、いつものように日向ぼっこを堪能していると、村の中心広場から、いつもとは違う賑やかなざわめきが聞こえてきた。

 

 村人たちの声が、普段よりも弾んでいるように感じる。

 

 俺は日向ぼっこを中断して家の中に戻った。

 

「あら、行商さんが来たみたいね」

 

 ミーナが静かに呟いた。その声には、どこか穏やかな期待が込められている。

 

 俺は以前、ガランから行商人の存在について聞いたことを思い出していた。

 

「行商さんって? 行商人のこと?」

 

「そうじゃ。この村に来る行商人はいつも同じ人でな。名前も誰が呼び始めたかは分からんが、皆が『行商さん』って呼んでおるのう。決まって30日に一度来るんじゃよ。もうそんな時期じゃったか」

 

 ガランが補足した。

 

 この世界では、そういうものなのだろうと、漠然と思っていた。

 

 その後、ガランとミーナが、慣れた手つきで大きな水瓶の中に保管していた硬貨を、小さな革袋へとジャラジャラと音を立てながら入れ替えていた。

 

 そしてガランとミーナに連れられ、俺は村の中心広場へと向かった。

 

 広場はすでに村人でごった返しており、活気に満ちている。子供たちがはしゃぎ回り、大人たちは楽しげに談笑している。

 

 その賑わいの中心に、一人の男が荷車を引いて現れた。

 

 村の北の道から、ゆっくりと、しかし淀みない足取りで進んでくる。無地の茶色いローブを身につけ、フードで顔は隠れ気味。

 

 表情の変化に乏しく、どこか生気がないように見える。彼の動きはあまりにも滑らかで、まるで昨日巻かれたばかりのゼンマイ人形のようだった。

 

 荷車を広場の中央の決まった場所に止めると、くだんの「行商さん」は村人たちに向かって抑揚のない声で告げた。

 

「さあさあ、いらっしゃい。リーカ村の皆さん、今日もお安くしときますよ」

 

 その声と仕草は、まるで録音された音源と映像を再生しているかのように、どこか機械的で、不自然なほどに淀みがなかった。

 

 村人たちは自然と列を作り、それぞれの順番を待っている。

 

 行商人は、列の先頭に立った村人に対して接客を始める。

 

「いらっしゃい。良質な木の実だよ、銀貨一枚だ」

 

「まいどあり。おつりは銅貨三枚ね」

 

 行商人はいくつかの決まったセリフを、全く同じ抑揚と表情で繰り返す。

 

 村人たちは当たり前のように取引を進めているが、俺は一人、その不自然さにモヤモヤを抱えていた。

 

(まるでゲームのNPCみたいだ……)

 

(……いや、待てよ。NPCですら、もう少しバリエーションがあるはずだ。これは……)

 

 俺の順番が来たとき、俺はわざと行商人の定型的な会話を崩そうと、いくつかの質問を投げかけてみることにした。

 

「ねえ、今日のおすすめは?」

 

 行商人は俺の言葉が聞こえていないかのように、こう返答した。

 

「いらっしゃい。今日は特別に、上質な木の実をお安くしときますよ」

 

 その目は、まるでガラス玉のように光を反射するだけで、奥に何の感情も宿していない。

 

「いや、それさっきの人にも言ってたよね……あなたのお名前は?」

 

「ああ。私は行商人だよ。月に一度この村に交易のために来るんだ。」

 

「いや、絶妙に噛み合ってない気がするんだが!? 名前を聞いたんだよ?」

 

 俺が少し声を荒げても、行商人は表情一つ変えず、また同じセリフを繰り返そうとする。

 

「いらっしゃい。今日は特別に、上質な木の実を…………」

 

 不自然な行商人の様子に戸惑う俺を、ガランが「ほれほれ、行商さんを困らせてはいかんよ」と宥めた。

 

 村人たちは、この行商人を()()()()()()()として受け入れているようだった。

 

(いやいやいや、これは完全にバグってるだろ! 話し掛けると同じセリフを返す動物の人形と同じレベルだぞ!)

 

 俺は心の中で全力でツッコミを入れるしかなかった。この違和感を覚えているのは、俺だけなのだろうか?

 

 その時、村長のセイルが俺の肩に手を置いた。その温かさが、ひんやりとした違和感を一瞬和らげる。

 

「ユウマ、行商さんはいつもあんな感じなんだ。村の北から月に一度、決まって同じ商品を持ってやってくる」

 

「その……行商さんの素性とか、気にならないの?」

 

「彼の素性を知らないことで困ることはないからな。必要な交易品を持ってきてくれるし、この村の素材も買い取ってくれる。皆、感謝しているんだよ。それで十分だ」

 

 セイルの言葉の中にも、どこか諦めのような、受け入れるしかないような響きが混じっていた。

 

 すると、セイルは懐から革袋を取り出し、硬貨を俺の前に並べた。

 

 それらは陽光を受けて、まるで小さな太陽のように輝く。

 

「せっかくだから、貨幣について説明しておこう。この世界には鉄貨・銅貨・銀貨・金貨の四つがある。鉄貨10枚で銅貨1枚、銅貨10枚で銀貨1枚、という具合でな」

 

 俺は頭の中で日本円に置き換えてみた。

 

(鉄貨=10円、銅貨=100円、銀貨=1,000円、金貨=10,000円くらいか)

 

「銅貨1枚あれば、パンが一つ買えるぞ」

 

 

 

 

 

 

 交易が熱気を帯び始め、村人たちが次々と行商人の荷車に群がる。

 

 ミーナは編み物に使う「紡ぎ糸」や、アロマに使う「香りの結晶」を行商人から購入していた。「紡ぎ糸」には銅貨3枚と鉄貨5枚、「香りの結晶」には銀貨1枚使用したようだ。

 

 ミーナは次に、行商人の荷車に積まれた布地の山に目を向けた。

 

 様々な色や柄の布を吟味し、一枚の()()()の布地を手に取ると、俺の体にそっと当てがった。

 

「うん、この色、ユウマちゃんの毛並みにとても合いそうね。少し暗めの色だけど、光の加減で表情が変わるのが素敵だわ」

 

 ミーナはまるで着せ替え人形でも扱うかのように、俺の体に布地を巻いてあれこれと試していく。

 

 光にかざしてみたり、肩にかけたり、そのたびに草木のような香りがふわりと漂った。

 

(……俺、猫型マネキンじゃないんだけどな……)

 

 俺は、ミーナの真剣な眼差しと優雅な手つきには逆らえず、されるがままになっていた。

 

 その間、行商人は何も言わず、ただ無表情に立っている──

 

(今の状況からすれば、行商さんが羨ましいよ)

 

 俺は少し気疲れを感じていた。

 

「よし、これに決めたわ」

 

 ミーナは満足そうに頷き、その翡翠色の布地を購入することに決めたようだ。

 

「これらは交易でしか手に入らないから、行商さんが来てくれるのは本当に助かるわ」

 

 

 

素材

・翡翠の型布(形・D)

伸縮性に富んだ翡翠色の布地。軽量でしわになりにくく、長時間の使用にも適する。

 

 

 

 ミーナが嬉しそうに呟く。

 

 ガランも薬やアロマの調合に必要な乳鉢と乳棒を2セット購入していた。ガランも同様に貨幣で会計をしていた。

 

 二人に「何か欲しいものは?」と尋ねられるも、俺は特に目ぼしいものがなく、首を横に振った。

 

 その時、パン屋のティナが硬貨を握りしめながら、行商人の元へやってきた。

 

 彼女は行商人から岩塩とオリーブオイルを購入するみたいだ。

 

 

 

素材

・ラヴァソルト(熱・D)

加熱によって風味を引き出す作用が強く、焼き料理との相性が良い岩塩。味付けだけでなく、保存・防腐にも役立つ。

・オリオイル(香・E)

素材の香りを引き立てるオリーブオイル。パン生地に混ぜれば、表面をしっとりさせながら芳ばしく焼き上げる力を持つ。

 

 

 

「これで美味しいフォカッチャが焼けるわ!」

 

 ティナが嬉しそうに言うのを聞いて、俺は驚いた。

 

 これまでパン作りの材料は、すべてが魔物から手に入れるものだと思っていたからだ。

 

「塩やオリーブオイルは、採取で手に入るのよ! もっとランクの高いものは魔物からドロップする場合もあるけどね!」

 

 ティナが教えてくれた。

 

(塩や油って、ずっと不思議だったけど……行商人が運んでたのか。採取できる素材もあるんだな)

 

 俺は納得した。

 

 リーカ村以外のエリアでは、魔物だけでなく多様な自然の恵みがあることを想像し始める。広大な世界が広がっているのだろうか。

 

 しかし、今は深く考えるのはやめよう。

 

 考えるのは疲れるし、美味しいパンを食べてゆっくりするには、リーカ村が一番だもんね。

 

 

 

 

 

 

 行商人は、村人たちとの取引を終えると、来た時と同じように規則的な動きで荷車を引いて北の道へ消えていった。

 

 その背中はまるで舞台の幕が下りるように、何の感情も残さずただ静かに遠ざかっていった。

 

(最後まで、あの機械的な動きは変わらなかったな……本当に、何なんだ……あの行商さん……)

 

 俺は心の中でモヤモヤを抱えたまま、行商人の後ろ姿を見送った。

 

(……一番気になるのは、出会いの経験値獲得の通知が無かったことだ。どういう判定なんだろう?)

 

 賑わいが一段落したところで、ティナが俺に声をかけてきた。

 

「モフさま、行商さんから新しい材料も手に入ったし、フォカッチャを焼いてみようと思うの!」

 

 俺は行商人への違和感を振り払い、美味しいパンへの期待で胸をいっぱいにした。俺の表情は先ほどの戸惑いを忘れたかのように、いつもの楽しそうな笑顔に戻っている。

 

 広場には昼下がりの日が差し込み、温かい光が村人たちの顔を照らしている。

 

 ティナが手に持つ新しい材料からは、微かに塩とオリーブオイルの香りが漂ってきた。

 

 それは、まだ見ぬフォカッチャの甘く香ばしい未来を約束する、希望に満ちた匂いだった。

 

 

 それでも俺の心の片隅には、あの行商さんの空虚な瞳がまるでセピア色の写真のように焼き付いて離れなかった。

 

 

 あの瞳が映し出すのは──この世界の温かさとはかけ離れた、何か別の真実のような気がしてならなかった。

 

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