パンタニア見聞録~転生猫獣人はパンの食レポで異世界を救うらしい~ 作:倉田六未
森の出口が見えた瞬間、緊張の糸がぷつりと切れた。
全身から力が抜け、体が鉄の塊のように重い。
軋む足を引きずり、一歩ごとにぬかるみが粘りつく。
なんとか村の門前にたどり着いた。
でも呼吸は乱れたまま、心臓が暴走機関車のように激しく脈打っていた。
「ミミ! 無事か!」
「ミミぃ~なにしてたの、もう~!」
ミミの両親と弟のロッコが、血相を変えて駆け寄ってくる。
母親は泣きながらミミを抱きしめ、父親は安堵と感謝の表情で俺に深く頭を下げた。
「ユウマくん、君が助けてくれたんだね……。本当に、本当にありがとう」
父親の声は震え、瞳は潤んでいた。ミミは母親の腕の中で、しょんぼり、と肩を落とす。
「バタースライムを取ろうとして……それで……森へ……ひぐっ……」
ミミはパンの素材を取りに森に入っていたらしい。バタースライムは子どもでも倒せる魔物だ。
そこであの恐ろしい存在「ギンコ・カゲユラ」と鉢合わせしてしまったらしい。何とも不運な巡り合わせだった。
「いや、二人とも無事だったからなんとかね。気にしないで」
そう言って、俺はなんとか口角を上げた。
全身の疲労はピークで、今すぐにでもその場に座り込んでしまいたいほどだった。
だが、ミミが無事でいる姿を見たら、それだけで胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
この安堵感が、今の俺には何よりのご褒美だった。
ミミはそのまま家に帰っていったが、しばらくすると村中に響き渡る怒声が聞こえてきた。
──あぁ、親父さんの愛の説教タイムだろうな。長くなりそうだ。
◆
「モフさま、大丈夫だった?」
今度はティナが、焼きたてのバタークロワッサンを片手に走ってくる。その目元は、ほんのり赤く腫れていた。
(心配をかけてしまったな……)
「なんとかね。ちょっと戦っただけだし……」
(いや……まじで死ぬかと思った。)
「無理はダメ。ちゃんと日向ぼっこして、ちゃんとパン食べて、ちゃんと猫してなきゃ」
そう言って、熱気を帯びたバタークロワッサンを突き出してくる。湯気と共に、焦がしバターの甘い香りがふわっと広がる。
「『猫してなきゃ』って何だよ……」
そう言いつつも、俺はすぐにクロワッサンを奪取し、大きく一口頬張った。サクッ、じゅわっ……。
バターのコクと小麦の甘みが口いっぱいに広がる。
美味い。最高だ。まさに至福。身体の芯にまで、じわりと温もりが染み込んでくる。
──本当に、生きてて良かった。この味が、俺の命綱だ。
すると疲労度(6/10)と表示された──おかしい。
パンを食べれば疲労度が全回復する体のはずなのに、2しか減っていない。
アイツは一体何者だったんだ……やっぱり普通の魔物じゃないのか……。
「ユウマよ、怪我はないか? 薬草茶を煎れてやろう」
ガランは、いつもの穏やかな声で案じてくれる。
「また無理したのでしょ? 早く休まないとね」
ミーナが心配そうに眉を寄せる。
他のみんなも思い思いのやり方で、俺を温かく迎えてくれた。
本当に疲れた。体中が鉛のように重い。でもやっぱり、みんな優しくて、あったかいな。
この村は、俺にとってのんびり過ごせる、最高の場所だと改めて感じた。
◆
水浴びをして、パンもまた食って、ようやく夜になった。
俺はベッドの上でしっぽをくるんと巻いて、いつものアレを呼び出す。
「そういえば……戦闘中にスキルが増えてたっけな。ステータス、確認しとくか」
意識を集中すると、ふわっと淡い光が浮かび上がる。
目の前に、半透明のウィンドウが現れた。
名前:ユウマ
年齢:12歳
種族:猫獣人
特性:自律神経ケア個体
LV:17(475/560)
HP:190(+30)
MP:85(+15)
STM:72
疲労度:6/10
STR:14
AGI:36
SEN:34
DEX:24
VIT:19(+3)
MEM:17(+3)
称号
・転生者
・働きすぎた者
・駆け出しの爪(爪攻撃威力+5%)
スキル
・にゃんぱらりLV2
・やんのかステップLV1
・ロックオン(食)LV3
・ステルス歩行(低)LV2
・感覚強化(視・聴)LV2
・臨戦態勢(常時)LV3
・肉球スラッシュLV1
???スキル:※未解放
装備
・武器:なし
・防具:翡翠のエプマント(マント形態:VIT+3、MEM+3)
・アクセサリー:なし
「なるほどな……《肉球スラッシュ》って、まさかあれがスキルだったのか。本能でやっただけだと思ってたけど。でもやっと攻撃系スキルを習得できたな!」
「《にゃんぱらり》と《やんのかステップ》にも助けられたな。あの狐の動きを止められたのは、コイツらのおかげだ」
「そして、《ロックオン(食)》は今後戦闘に使えるんだろうか……。食べ物以外にもロックオンできたら、かなり便利そうだからな」
「称号も……『駆け出しの爪』って。また猫っぽいネーミングだな。まあ、効果も悪くないから文句は言えねえか」
俺は思わずため息をつく。
「……それに、この『???スキル』って何だろうな。スキル名くらい教えてくれてもいいのに」
ステータスウィンドウがふっと消える。
しっぽを軽く動かして、毛布にくるまる。今日の激戦と、ステータスの確認で疲労の極致にあった。まあでも、リザルトは確認しないとね。
それとふと思い起こすことがある。
「……あの時の、あの白い部屋」
どこだったかはわからない。だが、思い出そうとすると、ぼやけた映像が頭に浮かぶ。
まるで霧がかかったような、不鮮明な夢。
──光に包まれた、無限に広がるような真っ白な空間。天井も壁もなく、どこまでも続く白。
──そして、その中で誰かと話していた記憶。男性? 女性? どちらだったか、声すら思い出せない。
「なんかパン屋談義で盛り上がった記憶が……。なんだっけ、あれ……あ、そうだ、異世界転生……パン……」
喉元まで出かかった何かは、結局、明確な形にならずに消えていく。
「……やっぱ夢だったのか? でも、はっきりしすぎてて、妙にリアルなんだよな……」
ぼんやりと、遠い日の声のような感覚だけが残っていた。
俺の自由気ままな猫ライフ、その裏側に何が隠されているのか。
この体になった訳、この世界に来た理由……。
少しだけ、本気で思い出してみるとするか。