パンタニア見聞録~転生猫獣人はパンの食レポで異世界を救うらしい~   作:倉田六未

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夢紡ぎミストブレッドを紡いで その四

 神殿図書館の静寂は、まるで時が止まったかのように深い。年代物の紙とインクが織りなす知識の香りが、ユウマの鼻腔をそっと刺激した。

 

 天井まで続く書架に囲まれた空間で、彼らが頼れるのは、机に向かう小さな妖精の膨大な知識だけだった。

 

 ──以前やって怒られた、本能に任せて本棚に登るなんてことは、しませんでしたとも。今はそれどころではないからね。

 

「モフ君、それで、今日はどうしたの?」 

 

 リビがユウマとガランを交互に見上げる。その瞳には、いつものような知識欲という名の炎が踊っていた。何か面白い謎が始まる予感に、彼女の好奇心がウズウズと疼いているのが分かる。

 

(この妖精の好奇心は……いつもすごいな……こっちは苦労してるってのに!)

 

 ユウマは深く息を吸い込み、言葉を選びながら話し始めた。

 

 ミミの異常な深い眠り。高熱なのに苦しまない不可思議な状態。そして何より──ロッコが感じ取っている夢の断片。まるで二つの心が見えない糸で結ばれ、同じ記憶の香りを共有しているかのような現象。

 

「そして俺も、あの時……白い霧に包まれた空間を見たんだ。あれは間違いなく、ミミの夢の中だった……と思う」

 

 ガランも医師としての見解を付け加える。その声には、長年の経験を積んだ者特有の重みがあった。 

 

「……どう考えても、普通の病ではない。まるで魂が、どこかの檻に囚われてしもうたかのようだ」

 

 リビはユウマの話を真剣な表情で聞いていたが──途中から「メモメモ」と小さく呟きながら、彼女にとっては大きめの羽ペンを手に、自前のノートに何かを書き付け始めた。

 

 ユウマが話し終えると、リビは机の上にぴょんと飛び乗り、きびきびとした動きで背後の本棚へと羽ばたいていく。

 

「その現象……ちょっと待ってて! 確か禁書庫のどこかに! 似たような記述があったはずよ!」

 

 リビは本棚の奥深くへ、ばびゅーんと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 しばらくの静寂の後──「ゴウゥゥ」という、まるで風を切るような音が図書館に響いた。

 

 ユウマが音の方向を見上げると、宙を舞う巨大な書物が目に飛び込んできた。思わず目を丸くする。やがて、その古びた一冊が、まるで羽毛のようにゆっくりと机の上へ降ろされた。

 

(……いや、またもや馬鹿でかい本が宙に浮いているんですけど! ツッコんだ方がいいの? 魔法的な何かなんだろう……以前俺も宙に浮かされたしな)

 

 

()んちがいしないでよね・第六版』

 

 

 その書物は石板のように分厚く、並みの書籍とは一線を画す威圧感を放っていた。表紙に触れてみると、紙というより何かの特殊な繊維を固めたような、独特の手触りだった。

 

(いや、タイトルさぁ……ツンデレが書いたのかな?)

 

 リビはご満悦な様子で、ユウマの毛並みを指先で撫でた。

 

「この書物の著者はね、知識を独占したがるちょっと偏屈な人物だったらしいの。だから、自分の研究が盗まれないように、故意にふざけた題名を付けたらしいわ」

 

(なるほど……! そういえば、魔属性の本のタイトルは『()ちがいない』だったよな……確かに誰もマトモな書物とは思わないよね)

 

 リビは、その書物を超常的な力で目の前に引き寄せると、ひらりと舞い降り、ユウマの頭の上にちょこんと座った。 

 

「まったく、モフくんの頭の上は、なんだか落ち着くのよねぇ」 

 

(……いつもここに座るよな)

 

 リビは満足そうに頷き、ユウマの耳をぴょこぴょこと揺らした。

 

 ガランは、そんな二人の様子を苦笑しながら見守っていた……かと思いきや、その手はいつの間にかユウマのふわふわの毛並みを撫でくり回していた。

 

(隙あらば撫でてくるなっ、この人……まあもう慣れてきたよ)

 

「これよ! きっと、ミミちゃんの症状と最も関連があるのは! ここ見て!」

 

 

 

 

 

 リビが指差すページには、奇怪な幾何学模様と共に、不気味な絵が描かれていた。

 

 繭のような形をした、半透明で白い霧を纏った存在──。

 その姿は、まるで記憶の彼方から立ち現れた幻影のようだった。

 

 そして、その絵の下に、かろうじて判読できる文字でこう記されていた。

 

 

『Wisp Cocoon』

 

 

 その文字列が目に入った瞬間、ユウマの胸の奥で何かが震えた。それは前世で目にした言語への心当たりというよりも、遠い記憶が呼び覚まされる感覚だった。

 

 

「ウィスプ・コクーン──」

 

 

 思わずユウマの口からこぼれ出た呟きに、リビが目を丸くした。

 

「えっ!? モフくん、この文字が読めるの!? これ、古代の言語で記されているから、普通は読めないはずなんだけど……」

 

 リビは驚きを隠せない様子で、ユウマを凝視した。

 

 その言葉に、ガランもまた、驚いた表情でユウマを見つめた。

 

(まあ……元日本人なら大体読めるよね。でもなんで古文書なんかに地球の言語が記載されているんだ……)

 

 この疑問は後回しだ。今は、ミミを救う手がかりを探すことが最優先。

 

「そうよ、この存在こそが『綴理獣(つづりじゅう)』なの!」 

 

「……つ……綴理獣(つづりじゅう)……? なにそれ?」

 

 初めて耳にする言葉に、ユウマは聞き返した。

 

 リビは興奮した様子で書物のページをめくりながら、熱弁を振るい始める。

 

「ええ、この世界の記録ってね、見えない何かに書かれていると思うの。時間も歴史も、()()()()()()()()()()()()みたいに感じるのよ」

 

 彼女の瞳が、知識の炎でキラキラと輝いた。

 

「それで……私、そういう存在を()()()()()()()()として、勝手に『綴理獣(つづりじゅう)』って呼ぶことにしたの。『獣』って付けたのは私の感覚だけど、古文書の記述を読む限り、彼らはただの生き物じゃない。世界の文脈そのものを書き換えるほどの影響力を持っている……そう確信してるの」

 

 言葉の端々に楽しさを滲ませたリビは、得意げにモノクルを光らせた。

 

 

 

 

 

 

 彼女が読み進める古文書『()んちがいしないでよね』には、ウィスプ・コクーンという存在についての詳細な記述があった。

 

 リビは指で一つずつ項目を示しながら説明する。

 

『記憶を司る』

 

『特定の者の夢に介入する』

 

『風霧を纏う』

 

 それが、ミミの深い眠りとロッコが夢に共鳴している現象に、最も近い原因だとリビは考察する。

 

「そして……このウィスプ・コクーンの記述のすぐ近くにね、何やらパンの情報みたいなのが書いてあるの。この子が好きなパンなのかしら……」

 

 リビは指で古文書の特定のページを指し示す。そこには、古代の言葉で書かれた、具体的なレシピというよりは、謎めいた詩のような文章が記されていた。

 

「ここにはこう書いてあるわ」

 

 彼女の声が、図書館の静寂に響いた。

 

 

地恵(じけい)の結晶として、

 大地の生命を育む膨らみの源と、甘露をもたらす森の雫が

 

 見性(けんしょう)の道標として、  

 白き繭に宿る風の欠片と、夢に紡がれし記憶の種が

 

 理の精髄(せいずい)として、

 言葉を紡ぐ真の心が、至高へと誘う』

 

 

 古い言葉で綴られた文章は、まるで呪文のように神秘的だった。

 

「でも、抽象的でよく分からないわよね……多分それぞれが、パンの材料を指してるのかもしれないわ」

 

 リビが読み上げた記述は、ユウマの知るパンの材料とはかけ離れたものだった。

 

 ユウマの頭の中では、その詩的な表現から具体性を導き出そうと、必死に思考が回転していた。

 

(「地恵の結晶」……地の恵みだから、普通に入手できる素材ってことか? 「膨らみの源」は……酵母だろう。じゃあ「森の雫」は? 朝露? 樹液? それとも果汁か?)

 

(「見性の道標」って何だ……何かを見抜く目印……? いや、それよりも「風の欠片」と「記憶の種」だ。頭の中に、漠然としたイメージが浮かぶだけだ……手がかりが少なすぎる!)

 

(「理の精髄」……おそらく真理の核心という意味だろう。でも、それが何を示すのかさっぱりわからない……くそっ! でも、これらがウィスプ・コクーンに近づく鍵のはずなんだ!)

 

 頭を悩ませるユウマ。すぐには理解できない謎かけのような記述だが、間違いなくミミを救う手がかりが隠されているはずだった。

 

(俺が……俺が何とかしないと――)

 

 焦りが胸を締め付ける。ミミの穏やかすぎる寝顔、ロッコの苦しむ姿――あの光景が脳裏に焼き付いて離れない。

 

「それに、この書物にはね……」

 

 リビは、モノクルをキラリと光らせ、別のページを指した。

 

「時折、読んだ者の夢に干渉し、不思議な香りを漂わせ、白いページに詩文を浮かび上がらせる()の記述があるわ……。その本は、特定の人間にしか認識できないみたいだけど」

 

 その言葉は、ユウマの胸に鋭い直感を走らせた。

 

 ミミに起こっている現象と、何か深い関連があるのではないか──。

 

 

 

 

 

 

「……なるほど。まとめると、ミーナさんやミミとロッコの異変は、『記憶』『夢』『風』を司る綴理獣(つづりじゅう)の『ウィスプ・コクーン』が関係している可能性が高い。そして、古文書に記載されているパンの材料を集めることが解決の糸口になるかもしれない、ってことかな?」 

 

 ユウマが情報を整理してみせると、リビは満足そうにうんうんと頷いている。

 

 すると、それまで黙って話を聞いていたガランが、こう話しかけてきた。

 

「……ユウマよ。一人で何でもやろうとせんで良いんじゃよ。ミミやロッコのことは村中のみんなが心配しておる。ワシも含めみんなを頼れ……よいな?」

 

 ガランの言葉は、ユウマの心にじんわりと染み渡った。張り詰めていた心が、彼の温かい言葉で少し緩んだような気がした。

 

(そうだ。なぜか自分一人で解決しなきゃって思い込んでた。この村には、頼れる仲間がたくさんいるんだ……)

 

「……うん、そうするね」

 

「ああ。あとリビから聞いた古文書の内容は、しっかり書き留めておいたからのう」

 

「あっ! メモ取ってくれたんだね! ありがとう!」

 

(話に夢中で完全に忘れていた……脳の容量が少ない俺は、メモするのが一番大事なのにな……脳みそが小さくて悪かったな!!)

 

 ユウマはガランからの言葉を受け、見るからに元気を取り戻したようだった。そしてその様子を、リビは微笑ましそうに眺めていた。

 

 そしてユウマの瞳には、希望という名の小さな光が宿っていた。

 

 まずはこの特殊な素材集めからだ。村人の協力を得て、謎めいた詩に隠された材料を一つずつ解き明かしていこう。

 

 

 ミミとロッコを、一刻も早く救い出すために──。

 

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