リーベがフリーレン達と旅に出てから一年が経った頃、珍しく家の扉を叩く音が鳴った。
魔力感知ですでに来客の正体が分かっていた私は、突然の来訪に驚くこともなく扉を開く。
「やっほー、アウちゃん元気?」
「何しに来たのよ……トート」
終極の聖女トートは貼り付けた笑みを湛えて扉の前に立っていた。
私とはあまり関わりのない魔族だが、この女はリーベの知己だ。
リーベがヴィッセン山脈で暮らしていた頃は互いに交流があったらしいが、リーベがここに居着くようになってからは交流は減っていた。
考えてみれば、わざわざ北部高原からここまで来る物好きは少ない。
それを考えると、時々訪れるリヴァーレは相当な変わり者ということになるだろう。
トートは、入り口の前から家の中を覗いて首を傾げた。
「もしかしてリベちゃん出かけてる?」
「運が悪かったわね。アイツはしばらく戻らないわ」
「あちゃー」
その言葉にトートは残念そうに俯いた。
いつものわざとらしい演技かと思ったが、ここまで来るほど要件だ。
何か火急の用事かと思い、私は渋々と家に招くことにした。
ちょうどテーブルには二人分の食事が並んでいる。
リーベとの暮らしに慣れすぎて、つい余計に作ってしまうのだ。
捨てるのも勿体ないから、トートにもう1つの食事を下げ渡す。
献立は野菜たっぷりのシチューとパンだ。
トートはシチューを一口した瞬間、目を見開いて驚いていた。
「んー、美味しい。アウちゃん料理上手なんだね」
「まあね、当番制で料理作ってるし」
「へぇ……でも、やっぱりリベちゃんの料理が食べたかったなぁ」
ご相伴に預かっておいてなんて言い草だと、言い返そうと思ったが、その気もすぐに失せた。
たった1年だというのに、私もリーベの料理が少し恋しくなっていたからだ。
「リベちゃん元気?」
「そうね、まあまあかしら」
「ふーん……そっか」
一瞬、探るような視線を感じたが、私は気にも留めずにシチューをすくう。
間違いなく自信作の味だが、やはり何処か物足りなかった。
「あれ?」
トートが再び、部屋の中を見回して首を傾げ出した。
「そういえばソリちゃんは?一緒に住んでるんだよね」
「数ヶ月前に戻って来たけど、リーベが旅に出たって聞いたらどっか行ったわ。リーベがいなきゃここに居着く理由もないしね」
「そっかぁ。残念なような、助かったような……」
からかう相手がいなくて残念がっているのか、または危険人物の不在に安堵しているのか。
あるいはその両方で葛藤しているようだった。
あのソリテールをからかいたがるなんて奇妙な趣味だ。
「でも、んふふ」
呆れてる私を見て、トートは意地悪そう笑みを浮かべた。
魔族のくせによく表情が変わるな。
「で、どうなの?」
「何が?」
「リベちゃんとの夜の営み」
「ぶー!」
予想外の言葉に、私は盛大にむせた。
「アウちゃん大丈夫?」
「げほ、ごほっ……あ、あんた食事中に何てこと言い出すのよ!」
「えー、だって男と女が1つ屋根の下で暮らしてるんでしょ?そういうことをするってこの本にも書いてあるよ」
トートが懐から取り出したのは、やたらと目の痛くなるようなピンク色の本だった。
受け取って読んでみれば、その内容はとても口で言えないようなものだ。
おそらくは人類圏で売られている官能小説というものだろう。
「昔いろいろあって恋愛小説を読み始めたけど、意外とハマってね。私好みのやつを探したら、それが一番面白かったんだ」
「何というか……えげつない内容ね。リーベの本棚にある恋愛小説でも、ここまでのやつは見たことないわ」
「興味ある?貸そうか?」
「いらない!」
私は男女がくんずほぐれつしているシーンを閉じてトートに投げ返した。
トートは同好の士を見つけたかのように目を輝かせていたが、投げ返されて残念そうな顔をする。
私をからかっているのか、本心で勧めて来たのか判断が付かない反応だ。
「で、実際どうなの?」
「あると思う?あのリーベよ」
「リベちゃんはその辺りの欲は薄そうだけど、他の2人は性欲強そうだよね。特にアウちゃんは一番強そう……髪の毛ピンクだし」
「どういう基準よ!?」
何でも官能の小説の界隈ではピンク髪は淫乱という不名誉なイメージがあるらしい。
その風潮を広めた本人がまだ生きているなら絶対に血祭りに上げてやろう。
「えー、本当に何もないの?」
「な、ないわよ」
「つまんないなぁ。何か色っぽい話がないかと少し期待してたのに」
トートには悪いが話せそうな色っぽい話などない。
リーベは他人の色恋の話には凄まじい反応を見せるが、自分に関する色恋には興味がない。
おそらくは極度の自己嫌悪に由来する反応なのだろう。
「残念ながら普通の生活よ。例えば……」
私はつまらない日々の暮らしぶりについて語ることにした。
「朝はリーベがいつも早起きして朝食を作ってくれるわね。料理当番は日によって決まってるんだけど、大体リーベが作っちゃうのよ。そのくせ、私の寝癖を直しながら『今日はアウラが当番だったのにな』とか文句を言うし」
「ふーん、リベちゃん相変わらずお母さんみたいだね」
「でしょ?色気なんてないわよ」
一緒に住んでようが、リーベはリーベだ。
普段のあの男と大して変わらない。
「昼は私やソリテールと一緒に魔法の研究をしてるわね。ソリテールが出かけてるのもその研究資料探しだし」
「へー、どんな魔法?」
「秘密よ。でも、いい日和にはソファで昼寝をしたりするわね。リーベも疲れが溜まってるのか、ソファに腰掛けたまま船を漕いでる時があるわ」
「今度はおじいちゃんみたい」
「本当よね。まあ、私もあいつのことをとやかくは言えないわ。私も眠くなったら一緒にソファで寝るし」
「……ん?」
リーベがあまりにも気持ちよさそうに眠るものだから、つい私も睡魔に襲われる。
夜間にちゃんと睡眠は取っているから、軽い仮眠のためにソファで眠るのだ。
隣にあの男がいれば、私が寝入っても目覚まし代わりにはなる。
「夜は、特にすることはないわね。晩御飯を食べて、お風呂に入って、眠るだけ」
「うん……」
「普通でしょ?ああ、でも、あいつなぜか昔からお風呂嫌いなのよね。ソリテールもよく愚痴ってたわ」
「あー、確かに前にソリちゃんが言ってたね」
「普段はソリテールが無理やり入れてるんだけど、あいつが留守の時は私が代わりに入れてるのよ。洗ってる私まで濡れるし、でかい犬を洗っているような気分になるのよね。まあ、面倒臭いから時々一緒に入って……どうしたの?」
「……」
「もう付き合っちゃえよ!!!」
小さな酒場の中で俺の声が木霊する。
俺の言葉に、一緒の席にいるフリーレンは首を傾げ、リーベは腕組みをしながら首を縦に振った。
俺は樽のジョッキに注がれたエールを飲み干す。
先ほどのフェルンとシュタルクの小さな諍いを見たせいで、酒を飲まなきゃやってられなかった。
リーベは相変わらず強い酒を呷り、フリーレンはエールをちびちびと飲んでいる。
俺が明日で旅のパーティーを抜けることもあって、珍しく大人3人組で酒盛りを開いていたのだ。
現在俺たちは北側諸国のローア街道近くの集落に滞在している。
大峡谷に掛かった橋を渡れば魔法都市オイサーストに行けるが、北側諸国特有の強い寒波の影響でここに足止めになっていた。
まあ、俺に関していえばオイサーストは目的の場所じゃない。
俺がフリーレンたちと旅をしている目的は、かつて10年前に村を出た親友を探す事だ。
近くに住んでいる頑固婆さんの話によると、あいつは北側諸国中部の交易都市テューアに向かったらしい。
テューアは東の方角で、オイサーストとは反対の方向だった。
フリーレンたちは、元々は親友を探す旅の道連れだ。
それなのに、寒波による足止めで1ヶ月滞在することになった時、俺は不思議と安堵していた。
だが蓋を開けてみれば、この1ヶ月間全員がバラバラの行動をしている。
「何だかんだほとんど一緒にいなかったな」
「魔族並みに個人主義の強いメンツだからな」
「魔族に言われると説得力あるね」
リーベとは時々ここの酒場で一緒に飲んでいるが、そんなに頻繁ではない。
意外とあいつも、一人の時間が欲しいのかもしれないな。
「しかしまあ、フリーレンがまさか既婚者とはな。色々と驚いたぜ」
「王都では割と有名だけどね。私たち、あそこに住んでたし」
「北側諸国じゃそんな話聞いたことないな。兄ちゃんが書いたヒンメル戦記も魔王を倒したところで終わってたし……何でそこまで書かなかったんだ?」
リーベはその言葉で一瞬、眉をひそめる。
「色々あってな……続きを書けるメンタルじゃなかったんだ」
「へえ、兄ちゃんでも落ち込むこととかあるんだな」
俺の知っているリーベは落ち着きの大人の男という印象だ。
ただ、趣味に全力疾走している時は様子がだいぶおかしくなる。
ならば落ち込んだというのは、そういうことなのだろう。
「そういえばフリーレン」
「ん?」
酒も入っていた俺は、無礼講ということもあって素面じゃ聞き辛いことを聞いてみることにした。
「結婚したということは分かったが、子供はいなかったのか」
「いたら、ザインにあの二人の喧嘩の仲裁頼んだと思う?」
「まあ、そりゃそうか」
先ほどのフェルンとシュタルクの喧嘩でアタフタしていた姿を見て、何となく察しは付いていた。
思春期の子供の扱いに全くといって慣れていない。
エルフは生殖本能が希薄だと兄貴が言っていたし、案外結婚はしても、その辺りのことはあまり励まなかったのではないかと邪推してしまう。
そもそも思い返せば、色仕掛けに投げキッスをするようなお子様だ。
俺は勇者ヒンメルが同じ男として哀れに思い酒を煽る。
「一応ヒンメルとは頑張ったんだけどね」
「ぶー!?」
俺はその言葉に盛大にむせた。
「大丈夫ザイン?」
「げほっ、ごほ……す、すまん。予想外の言葉に驚いちまった」
純粋そうな顔して、平気で下ネタをぶち込んでくるフリーレンに俺は畏敬の念を抱いた。
そして同時に、勇者ヒンメルが無性に妬ましく思えてくる。
さすがは既婚者だ……ちゃんと大人だったんだなフリーレン。
「たく、勿体ないな。ほら、お代わり持って来たぞ」
「ありがとう兄ちゃん」
こぼしてしまったエールの代わりを、リーベが持って来た。
俺は心を落ち着けるために酒を煽る。
「ちなみに、俺も手伝ったぞ」
「ぶー!?」
俺は再び、盛大にむせた。
「おいおい、せっかく注いで来たのにむせるなよ」
「げほ、がはっ……わ、わざと言ってるだろお前……!」
「何が?」
リーベはいつもの真顔でそう答えた。
本心で言っているのか、からかって言っているのか分からない。
だが、それはもはや問題ではなくなっていた。
それよりも問題のある言葉が俺の耳に入って来たからだ。
俺はむせた原因を恐る恐る聞く。
「手伝ったって……どういう意味だ?」
「ほら、エルフって性欲が希薄だろ?だからそういう魔法薬を作ったんだ」
「……ああ、なるほど。うん、よく考えればそうだよな」
「作るのに苦労したよ。治験に協力してくれた相手は暴走するし」
何やらリーベが苦労を滲ませているが、俺は安堵の表情を浮かべた。
確かに、よく考えればそういう可能性の方が大きかったはずだ。
酒が回って来たせいで、ひどい妄想をしてしまった。
「で、何でむせたのザイン?」
「すんません、勘弁してください……」
フリーレンが真顔で俺に理由を訊ねてくる。
子供のような幼い顔と、純粋な瞳が俺の罪悪感を苛んだ。
(おかしい……俺の為の酒盛りだというのに、どうして疲れてるんだろう)
俺は意趣返しを込めてリーベに視線を向ける。
「で、兄ちゃんはどうなんだよ?」
「ん、何が?」
「惚けるなよ。指輪を貰うくらいだ……未婚とはいえ、いるんだろ?これが」
俺は小指を立ててリーベの目の前で振った。
すると、みるみるうちに苦虫を噛み潰したような顔に変化していく。
以前、フェルンに鏡蓮華の指輪について指摘された時と同じような表情だ。
やはり他人の恋愛話は好物だが、自分に関するその手の話題は苦手らしい
「魔族とはいえ、兄ちゃんの顔なら恋人の一人や二人はいたんだろ?」
「いない。俺は恋は見る専なんだよ」
「かー!そう言う奴に限って女を泣かせてるんだよなぁ」
「なんだこのアゴヒゲ……うざいな」
「多分フェルンとシュタルクも、兄ちゃんをたまにそう思ってるぞ」
普段は口数の多いリーベが、次第に口を閉ざしていく。
俺は初めてリーベをやり込めた気がして、勝利の美酒に酔った。
「アウラは?一緒に住んでるんでしょう?」
珍しく、フリーレンからの援護が入った。
俺は内心で親指を立てる。
リーベはフリーレンの一言に呆け、首を傾げていた。
「アウラはそういうのじゃないな。例えるなら、手の掛かる娘?」
「お前、本当に未婚なんだよな?」
リーベの話によれば、アウラという魔族と一緒に暮らしているらしい。
最初は俺の期待通りの話かと思ったが、その内容は少し違っていた。
二人の暮らしぶりは男女の色めいた暮らしというよりは、気取らない家族の団欒という感じだ。
俺と兄貴の暮らしに似ている。
「じゃあ、もう一人の方は?」
「ソリテールか……」
新しい名前が上がると、リーベは思案顔になって手を顎に添えた。
今度こそ俺の期待通りの答えかと固唾を飲んで見守る。
「ボクサーとサンドバッグみたいな関係だな。ちなみに俺がサンドバッグだ」
「えぇ……」
エロティックを超えてバイオレンスな話だった。
リーベから語られるソリテールという魔族の話は、いかに凄いパンチを持っているだとか、武の真髄を見ただとか、そういう色気が全くない物だ。
言うなれば灰色か、赤色の話だな……ちなみに赤は血の色だ。
「じゃあ、例の指輪の相手はどうだ?」
俺は期待もそこそこに、俺はつまみをやけ食いしながらそう言った。
正直、これまでの問答を聞いて色めいた話は諦めかけている。
リーベは以前と同じように苦い顔をしたが、段々と表情が鎮まっていく。
何というか、昔を懐かしんでいるように思えた。
「まあ、嫌いな相手だったが、付き合いだけは一番長かったな」
「ほお、そうのか」
「ひどい奴でな、俺にクソみたいな仕事を押し付けておいてプライベートで呼び出しするんだよ。向こうはメンタルケアでもしてるつもりなのかもしれないが、休日に呼び出されることほどストレスの溜まるものはない」
「勤め人は大変だな」
「食事休憩の時もやって来ては、俺に飯を作れだの、一緒に食べようだのと宣いやがる。何が悲しくて、上司と顔を合わせて飯を食わなきゃならんのだろうな」
「うん……」
「おまけにセクハラが好きでな、俺の体の隅々を調べられたよ。最初の頃は夜這いも掛けられたし」
「……え、惚気話が始まった?」
「どこが?」
相手のことはよくは知らないが、聞いてる限りだと物凄いアプローチを掛けられているように思えた。
おまけに指輪まで貰っているということは、多分異性としての好意なのだろう。
それをさも普通の愚痴のように話すリーベを見ると、何というかフリーレンと同じような物を感じてしまう。
案外、当人が気付いていないだけで、本当に何人か女を泣かせているかもしれない。
うまくやり込めたという勝利の余韻が一転して、男としての敗北の苦さが胸中に広がる。
俺は酒を煽って、その苦さを胃の腑に流した。
「ぷはっ……おかわり!」
「ザイン、ちょっと飲みすぎじゃない?」
「飲まなきゃやってられるか!」
明日、二日酔いになろうと関係ない。
俺はこの下らない酒盛りを全力で楽しむことにした。
こいつらとの旅が下らなくも楽しい旅だったように、この最後の夜を同じように楽しもう。
シュタルク「随分あっさりと別れるじゃねえか」
フリーレン「ザインは大人だからね。きっとうまくやるよ」
シュタルク「……すごいふらついてるけど大丈夫か?」
フリーレン「昨日はかなり飲んでたからね。『もう付き合っちゃえよ』を何度も連発してたよ」
フェルン「何だかハイター様を思い出します」