さかしい知者の立場になることはできない。
せめて酒と盃でこの世に楽土をひらこう。
あの世でお前が楽土に行けると決まってはいない。
オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』第四詩
※ただの息抜き回です。
【魔王討伐から2年後】
「げっ、何で全員来てるのよ」
扉を開けて入ってきたアウラの第一声に、この場にいる私とリヴァーレとトートが同意する。
別に示し合わせて来たわけでもないのに同日に皆がリーベの家に訪れていた。
私はリーベ秘蔵の茶葉を棚から引っ張り出し、アウラの分の紅茶を用意し始める。
「私は彼に色々と報告することがあって来ただけよ。リヴァーレは……」
「俺はあいつのうつ状態が治ったって聞いてな、祝いの肉を持って来た」
振り向けば、厨房で巨大な塊肉を捌くリヴァーレの姿があった。
料理の腕はまだ未熟だが、普段から狩りをしているせいか肉を捌くことだけは手慣れている。
だが、あの軍神と呼ばれた男がエプロン姿で厨房に立っているのは……何というか奇妙な光景だった。
「私はリベちゃんのご飯食べに来たよ……まあ、あいにく留守だったんだけどね」
「そう、せっかく様子を見にやってきたのに無駄足になったわね。どこ行ってるのかしら」
「多分、マハちゃんのところじゃない?前に先輩の誕生日パーティーが近いとか何とか言ってたような?」
「……あいつ本当に魔族よね?」
食卓で揚げ鶏の塊を頬張るトートは首を傾げ、その隣に座ったアウラは頭を抱えている。
最近のリーベしか知らないトートにとってはいつものことでしかないが、以前のリーベを知る私たちにとっては大きな違和感だ。
昔はいつ死んでもおかしくないような覇気のなさだったが、今では随分と快活になってしまった。
それが良いことなのか、悪いことなのかは判断がしずらい。
「アウちゃんも食べる?」
トートはテーブルに盛られた料理を指差した。
アウラはそれを見て眉をひそめる。
「なんか……全体的に茶色くない?」
テーブルに盛られた料理はどれも肉料理だった。
一応、芋などの野菜もあるが、それも油でこんがり揚げているから結局は茶色だ。
まあ、リーベの料理ではないのだから仕方がない。
「俺が作ったんだよ。男料理だから飾り気は気にするな」
「は?リヴァーレが?」
「リベちゃんほどじゃないけど結構おいしいよ。はい」
「むぐっ!?」
驚愕で口を開いたアウラに、トートが一口大に切られたステーキを無理矢理食べさせる。
困惑しながらもアウラはそれを咀嚼し始めた。
「悪くはないけど……味がしつこい」
「そうか?リーベは美味いって言ってたぞ」
「は?あのリーベがこんな料理を美味しいって言うわけないでしょ?お世辞に決まってるじゃない」
「なんか当たりが強い……」
厨房で落ち込んでいるリヴァーレには悪いが、私も料理に関しては同意見だった。
私が以前、リーベに駄目出しされた手料理の方が断然に上だ。
不味いわけではないが、味覚でも変わらない限りリーベはこれを美味しいとは言わないだろう。
「はい、どうぞ」
「……どうも」
私が淹れた紅茶を差し出すと、アウラの体が少しだけビクついた。
どうやら以前の集まりで苦手意識を持たれたらしい。
私は別にどうとも思ってはいないが、確かに性格は合わないだろう。
私の淹れた紅茶にこれでもかとミルクを注ぐアウラを見て、そう確信した。
「うーん、でも確かに喉が渇くと言うか……何だかお酒が飲みたくなる味付けだよね」
「酒か。快気祝いだし、持ってくればよかったな」
確かに香り高い紅茶にはこの濃い味の料理は相性が悪い。
私もいくらか酒を嗜む方だからトートには同意するが、見た限りではここに酒類はなかった。
料理と違ってすぐに作れるものでもないし、諦めるしかないだろう。
「いや、多分あるわよ」
不意に、アウラが口を開いた。
アウラはティーカップをテーブルに置き、テーブルの下に潜って床を探り始める。
そして、まるで木箱の蓋を開けるように床の一部を持ち上げた。
そこには布に包まれた瓶が保管されていた。
「やっぱりね。日が当たらない適度な湿気のある場所……あいつが酒を隠しそうなところよ」
アウラは呆れた表情で瓶をテーブルに置いた。
私はコルクを引き抜いて中の黄金色の液体の香りを嗅いでみる。
樽で熟成された酒とは違った甘味のある芳醇な香り……どうやら自家製の蜂蜜酒らしい。
家の裏手の方にも養蜂用の巣箱があったはずだ。
「確かにお酒ね」
「ほらね、むふー」
自慢げな表情を浮かべるアウラは置いといて、私は蜂蜜酒を軽くテイスティングする。
最初にほのかに香る蜂蜜の甘さと、後から来る複数の種のハーブが組み合わさったスパイシーさ。
かなり辛口だが、自家製にしてはかなり上等な品質のものだ。
私は思わずその名酒との出会いにほくそ笑む。
「じゃあ、リーベがいないうちに飲んじゃいましょうか」
「えっ」
固まったアウラを他所に、私は人数分のグラスを並べる。
こんな上等な酒を口をつけて回し飲みするなんて許されない。
「意外だな……トートはともかく、お前なら止めるかと思ってた」
「リヴァちゃんひどくない?」
「前にリーベにはとっておきのお酒を盗み飲みされたからね……あなたも飲むでしょ、アウラ?」
「え、いや……あのっ」
何やらしどろもどろになっているアウラに、私は首を傾げた。
自分から酒を見つけておいて飲まないつもりだったのだろうか。
いや、それともあれか……。
「あなた、もしかして下戸?」
「の、飲めるわよ!リュグナーが勧めたぶどう酒とか偶に飲んでるし!……水や蜂蜜で薄めたりするけど…」
反応から推察するに、どうやら渋みや辛みの強い味が苦手らしい。
道理で紅茶にあれだけのミルクを注ぐわけだ。
「じゃあ、嫌ならいいわよ。私たちだけで飲むから」
「…………の、飲むわよ」
アウラは私からグラスを奪い取ると、蜂蜜酒を少しだけ注いだ。
まるで毒が盛られた盃でも見るような表情を浮かべている。
そんな嫌なら飲まなければいいのにと思ったが、別に引き止める理由もない。
私は他の皆にも蜂蜜酒を注ぎ、それを皆が同時に呷った。
『う、うまい!』
「……蜂蜜のお酒なのにあんまり甘くない」
アウラ以外の皆の顔が綻んだ。
やはり、この辛口の酒ならこの料理の味付けにも合う。
私たちは料理を肴に蜂蜜酒をちびちびと楽しみ始めた。
「うん、確かに良い酒だな。それに何だか懐かしい気がする」
「蜂蜜酒は最古の時代からあるらしいわ。多分、リーベ独自のアレンジもあるけど、作り方自体は昔の製法なのね」
「うーん、でも少し度数が高いね。後味がすっきりしてるから気にせず飲めるけど……」
トートの言う通り酒精はぶどう酒よりも高い。
だが人と魔族では、魔族の方が毒に対するより強い耐性を持っている。
確かに致死量はあるが、そもそも並みの剣や矢では肌に傷すらつけられない魔族には毒殺は効率が悪く、魔法の方が効果的だった。
それが人類が魔族相手に毒の武器を使わない理由でもある。
当然、魔族は人よりもアルコールに対する耐性が強い。
この程度なら瓶一本を飲み干しても酔うことはないだろう。
私たちは”上気”する互いの顔色に気づかずに、その蜂蜜酒を飲み続けた。
ヴァイゼからの帰り道の道中、俺は前にトートが座っていた岩に腰掛けて休憩していた。
ヴィッセン山脈は確かに人が来ない住みやすい場所だが、やはり人が寄り付かない険しい山なので登り降りだけが一苦労だった。
俺は懐にしまった携帯ボトルを取り出し、中の特性蜂蜜酒を呷る。
懐の体温で温まり、よりその香気が際立っていた。
だが、やはりこういう飲み口の酒は氷を入れるか、キンキンに冷やした方が美味い。
味覚がほとんど機能していない俺にとっては、アルコールの刺激や温度の方が分かりやすかった。
最近は嗅覚も衰え始めているし、味よりも度数の強い酒の方が嗜好品として楽しめるかもしれない。
「おっ、天脈竜だ。珍しいな」
晴天の空を見上げると、あの天脈竜がはるか上空をゆったりと飛行していた。
流石に距離が離れているので、ここからだと大き目のトカゲくらいのサイズに見える。
実際はこの山脈よりも巨大な生物だ。
ピィーッ。
俺は口笛を吹いた。
口笛といっても、普通よりも高音の音なので人の聴覚には聞こえないだろう。
だが、自然界にはそれらを聞き分ける生物が存在し、竜はもっとも音に敏感な生物だ。
『ウォーン』
鈍い唸り声が、かすかに山々に木霊する。
500年も住み続けてるので、互いを認識し合うくらいの関係にはなった。
時々、俺の家の近くに見たことない木の実が降ってくることもある……一度だけ木が降ってきた時は流石に驚いたな。
「もし俺が別の場所に引っ越したらあいつ寂しがったり……するわけないか」
流石に500年も経つとそれなりに家が痛んでくる。
あれは修繕するくらいならもっと住みやすい場所に家を建てた方が早いだろう。
以前言われた通り、トートが暮らしてる辺りに引っ越すのもいいかもしれない。
「……もう、体がポカポカしてきた。流石に特性の”魔法薬”が入ってるから酔いが早いな」
俺はマハトの土産用に作った酒の効果に舌を巻く。
レクテューレ先輩のプレゼントとは別に用意したものだが、あれならマハトも喜ぶだろう。
何やら以前、酔ってみたいと周囲に愚痴っていたらしいから特別に調合したのだ。
ただ、俺がすぐに酔えるくらいの効果だから少し水で薄めた方がいいかもしれないな。
自慢ではないが、俺は魔王様がドン引きするくらいアルコールに耐性があるらしい。
魔王城在住の時期に魔王様に勧められて色々と酒を飲まされたものだ。
『魔王様、これ辛口だけど美味いな』
『えぇ……それサプライズ用に用意しておいたやつなんだが……90度は超えてるぞ…』
あの後、吐いた息で料理用の火に引火したのは驚いたな。
予知してたシュラハトが助けに来なければ魔王城がボヤ騒ぎになっていたかもしれない。
関係があるかは分からないが、タコに含まれるタウリンにはアルコールの分解機能を高める効果があるらしい。
まあ、それはタコを食した人に限った場合なので、俺に当てはまるかは疑問だ。
本題に戻るが、そういう特異体質のせいで俺は今までほろ酔いくらいにしかなったことがない。
だからこの魔法薬の効果は中々に興味深かった。
酒を飲む時に時々使わせて貰おう。
ちょうど家に、その魔法薬入りの蜂蜜酒が一本隠してある……はずだったのだが。
「喜び勇んで戻って来たら……何だこの惨状は?」
帰宅した俺は、その光景に目を覆いたくなった。
「うぅ……」
なぜかリヴァーレが床にうつ伏せの状態で這いつくばっている。
何やら床が濡れてるし、時々リヴァーレの体がびくんっと跳ねていた。
まるで陸に打ち上げられた魚のようだ。
「アウちゃん!一発芸をやれ!」
「牛さん!」
「ぎゃははははっ!」
アウラは何やら四つん這いになって牛のモノマネをしていた。
正直に言うと、牛に似てるのがその角部分しかない低い再現度のモノマネだ。
だが、それを見て赤ら顔のトートが大爆笑をしている。
普段から笑顔を浮かべてはいるが、ここまで声を荒げて笑ってる姿を俺は見たことがなかった。
何だ、この狂気にも似たおかしな空間は……。
「おかえり……遅かったわね」
ややほんのりと顔に赤みを帯びているソリテールは、椅子に座って静かに紅茶を飲んでいる。
どうやら他の連中よりは酔いが回ってないらしい。
確かに俺ほどではないがソリテールもかなりの酒豪だった。
俺はコルクの抜けた蜂蜜酒に目を向ける。
「それを、飲んだのか……」
「グラス一杯だけよ。やけに酔いが回ると思ったら薬入りの酒だったとはね」
「その量であれか。あとでマハトに連絡しとくか……いや、もう遅いだろうなぁ」
魔法薬の効果を俺の体で試したのが悪かったらしい。
たかが一杯であそこまで泥酔するとは思わなかった。
あれでも一本飲み干してようやく俺が気持ちよく酔えるくらいの調合だったのに……。
「リーベ!」
「うお!?」
頭を抱えている俺に、背後からリヴァーレが掴みかかって来た。
酔って制御を失ったこいつの力が加わったら、俺の体なんて粉々になってしまう。
引き剥がそうと後ろを振り向いた瞬間、俺はリヴァーレの顔を見て絶句した。
「な、泣いてるのか?」
「うぅ……」
リヴァーレの顔は涙と鼻水でひどいことになっている。
なぜか床が濡れていると思ったが、あれはリヴァーレから流れ出た体液らしい。
普通にばっちいなと思った。
「リーベ!お前は……お前ってやつは!」
「な、何だよ。汚いから近づくなよ」
「お前は……偉い!!」
「……は?」
突然の予想外の言葉に俺は唖然となった。
なぜ急に褒められたのか分からない。
「お前!あんな辛い仕事ばっかりたくさんやって偉いよ!怠惰って周りの奴らは馬鹿にするが、そいつらより強いし、ちゃんと働いてる!」
「まあ……魔王様の命令だったし」
「お前は本当にすごいやつなんだ!それなのに若い連中と来たら分かってない!分かってないんだよぉ!!」
「あー、うん……とりあえず泣くな。どうしていいか分からん」
俺はすすり泣くリヴァーレの背を摩りながらソファーへと誘導した。
水の入ったコップを渡したが、嗚咽のせいで飲めないらしい。
「ソリテール、あれがいわゆる泣上戸ってやつか?」
「知らないわよ。私もあんなに酔った相手見たことないんだから」
涙まみれの軍神の姿は何と言うか……魔族なのに哀れみのようなものを覚えそうになる。
何となく察してはいたが、あいつは意外とナイーブな性格なのかもしれない。
昔のことで一々後悔するようなやつだしな。
「リ〜ベちゃん!」
「げっ」
今度は後ろから分かりやすいくらい泥酔しているトートが抱きついて来た。
元々パーソナルスペースが狭い奴だが、ここまで近づかれたのは始めてだ。
これはあれだ、いわゆる絡み酒というやつだろう。
「離れろ酔っ払い」
「きゃっ」
背中から引き剥がそうと振り向くと、なぜかトートは途端にしおらしくなり始める。
恋愛小説の挿絵に書かれた女のように、赤面しながらもじもじとしていた。
まあ、赤面してるのはただの酔いのせいだが。
「ねえリベちゃん……あのね、あのね…」
「何だよ。言いたいことがあるなら早く言え」
「うーん、やっぱり恥ずかしい……ちょっと耳貸して」
俺は渋々屈んで、トートに耳を貸した。
トートの吐息が掛かってこそばゆい。
「前からね……伝えたいことがあったの」
「……何だよ」
「それはね……」
「もう付き合っちゃえよ!!!!!」
至近距離で放たれたその一声に、俺の鼓膜が切れかけた。
片耳を抑えてる俺の姿を見て、トートは再び大爆笑している。
「謀ったな、トート……」
「だって、リベちゃんが悪いんだよ!毎回あんなやり取り見せられて、私も愚痴りたくなるよ!虫や爬虫類の方がまだ性欲があるよ!早く交尾しろー!!〇〇とか〇〇〇とか〇〇〇〇しろー!!!」
「からみ酒に加えて汚言症まで出るのか……一番面倒臭いなこいつ」
耳をやられて弱っているところに、今度はトートが激しく俺の肩を揺さぶる。
平衡感覚が狂い、まるで乗り物酔いのような感覚に陥って来た。
ソリテールに助けを求める視線を送るが、奴は俺たちを肴に薄めた蜂蜜酒をちびちびと飲んでいる。
こうなったら精神魔法で無理やりトートを眠らすかと思ったが……。
「りーべをいじめるにゃー!」
「ぐえー!?」
真横から闘牛のように突進したアウラが、トートの鳩尾に会心の頭突きを与えた。
酔っ払いの足取りなので勢いはそこまでないが、魔族の体は頑丈で特に頭蓋骨などの骨が硬い。
アウラの石頭のおかげで、トートは床に伸びている。
流石だアウラ、お前は完全に牛になり切っているぞ。
ただし語尾は猫だっただがな。
「アウラ……お前の状態はなんて言えばいいんだろうな。怒り酒?」
「りーべ!」
「おおう、どうした?」
アウラの頭部がこちらに向く。
アウラは特に角が発達した魔族なので、あれが突進して当たりどころが悪ければ大惨事だ。
あの角はまるで命を刈り取る形をしている。
俺が獣でも宥めるようにしていると、奴は頭をゆっくりと上げた。
顔はまるでりんごのように赤みを帯び、目はとろんとして視線も定まっていない。
おそらくこの中で一番泥酔している。
「りーべ見て!」
「ん?」
「三つ編み!たくさん!」
「……あ、うん。たくさん結んであるな」
「褒めて!」
「は?」
俺が困惑していると、アウラは再び頭を下げた。
ちょうど、その凶器にも似た角が俺の喉元に向けられる。
褒めなければ刺すと脅しているらしい。
俺は仕方がなく、”昔”のようにアウラの頭を撫で始めた。
「そういえば、昔は俺が髪の手入れをしてやったな」
「うん!三つ編みも1人でできるようになった!」
「そうか、えらいな。てっきり側近に手伝ってもらってるのかと思ってた」
「……偶にそういう時もあるかも」
「さっきのえらいを返せ」
俺はアウラが寝落ちするまで頭を撫でた。
幸い、一番酔いが回っていたので、すぐに眠ってくれた。
リヴァーレもトートも酔いつぶれてイビキをかいている。
「あの七崩賢の大魔族が、まるで甘えん坊の子猫ね」
「魔王様も同じこと言ってたな」
ようやく場が落ち着き、俺はソリテールの隣に座って一緒に酒盛りを始める。
気のせいかアウラの頭を撫でている間、ソリテールの酒の進み具合が早かった。
水で薄めているからといって、流石にボトル半分飲まれたのは驚いたな。
「で、収穫はどうだった?派手に暴れてたとヴァイゼにも噂が届いていたが」
「別にこちらから敵対したわけじゃないわ。しつこい相手だから対処しただけ……はい」
テーブルに羊皮紙の紙束が置かれる。
俺は酒を呷りながら、それに目を通し始めた。
「怒らないのね。人をいくらか殺したのに」
「勇者ヒンメルならそうしただろうな。だが、俺だって魔族だ。人と魔族の両方の立場から見て判断してる。俺の前で必要もないのに人間を殺すなら止めるだろうが……しかし、北部各地を回ってこれだけか」
俺は必要なくなった紙束を放り捨てる。
かつて途絶えた一族に伝わっていた秘伝魔法や、人里離れた地域に伝わる民間魔法の数々。
興味深い物もあったが、どれも時間移動に役立ちそうもなかった。
「北が駄目となると……安直だが、次は南だな。北側諸国とは違った魔法技術が発展する場所だ。それに物理移動の魔法だが、
「南側諸国ね。内戦が激化してるそうだけど……」
南側諸国は終わりなき戦乱が続く地として世に広く知られ、魔王様が討伐された現在では大陸でもっとも危険な紛争地帯だ。
元々、魔族の勢力圏である北部から最も離れている代わりに、人同士の争いが絶えないきな臭い場所だった。
そこに大魔法使い『大逆の魔女ミーヌス』という存在が、南側諸国の人々に魔法という武器を与えてしまった。
北側諸国の魔法が魔族に対するために発展したものなら、南側諸国の魔法は人を殺すために発展したものである。
今や北の果てよりも危険な場所かもしれない。
「今度は俺が行く。元南側諸国出身の貴族の伝手を借りてみるつもりだ」
幸い、ルヴィア嬢とはまだ懇意にさせてもらっている。
だが、リーヴェリットの姿で南側諸国に行くと言ったら絶対止められるだろう。
何か適当な理由でも考えて置かねばならない。
「帝国は?あなた、あの帝都には何度も行ってるのでしょう」
「帝国か……なんか怖い連中が多いんだよな。市内で本でも買う分にはいいが、本格的な潜入調査になると捕まりそうだ。前回訪れた時は化け物レベルのドワーフがいたし」
帝国領帝都アイスベルクもまた独自に魔法文化が発展した魔法都市だ。
かの統一帝国時代に大魔法使いフランメの働きにより最初に国を上げて研究を始めた国であり、大陸最大の魔法文明が栄えた軍事国家でもある。
宮廷の禁書庫でもあされば何か目ぼしいものが見つかる可能性もあるが、流石にそこまでは俺も容易には近付けないだろう。
帝国は大陸でも最高の魔法部隊を保持するが、当然その反乱が起きた場合に備えて複数の特務機関が存在している。
表向きに設立された治安警察の『魔導特務隊』と、秘密裏に汚れ仕事を請け負っている暗殺部隊『影なる戦士』。
どちらも対魔法使いに特化した部隊であり、特に近接戦に特化した影なる戦士は俺とは相性が悪い。
『聖杖法院』と呼ばれる特務機関も存在するらしいが、それについては俺も実態は把握していなかった。
「それに最近はどうもきな臭い……しばらくは近寄りたくはないな」
元々、それほど好きな国でもないし、あの大魔法使いの像が残っていると聞いて気まぐれに訪れただけに過ぎない。
特にあの古くからある信仰の考え方が、俺にはどうにも合わなかった。
どうせ残すなら正しく姿形を残して貰いたいものだ。
俺は蜂蜜酒を一気に呷った。
空になったグラスに、ソリテールが酌をする。
「時間移動の魔法……本当にそんなもの作れると思う?」
「無理だろうな。とりあえず現時点では……未来の俺はどんなズルをして思い付いたんだか」
俺の中に存在する今までの魔法の構築式と魔法理論の知識の数々。
それらを総動員したとしても時間移動などできるはずがない。
脳内の演算で、すでにその結論には行き着いている。
だが、未来が確定している現状、時間移動を実現させた未来へと必ず収束するだろう。
未来の俺にとってそれが必要な行為だったとすれば、それはおそらくヒンメルたちの為だ。
なら、何年経とうが諦めるわけには行かない。
女神様の魔法が扱えないとなると、これはまた別種の魔法概念が必要となる。
俺が既存の魔法とは別に、全く新しいものを生み出せる才能がない以上、現代に至るまでの魔法を調べ尽くして応用を重ねるしかない。
「あの腐敗の賢老クヴァールなら思い付いたのかしらね」
「どうだろうな。だが、これからの平和な時代にあいつは不釣り合い過ぎる。一度だけ封印を解除せずに会話を試みたが、あいつ俺の魔法を解析して封印を解きかけたよ……人類が滅びかけたな」
「さすが偉大な魔族ね」
クヴァールが封印されている現状、魔族の中で特質した魔法の才の持ち主はマハト、トート、アウラだろう。
俺とソリテールはどちらかといえば知識の延長でしか考えられない秀才だ。
マハトとは時々情報交換をしながら魔法理論について談義をしているし、トートは典型的な感覚派だが、時々面白い着想をするので刺激をもらってる。
アウラとは、俺が鬱になっていた時期はそれなりに会話したが、魔法理論や魂に関する話になると奴は急に口が硬くなった。
俺相手にあまり手の内を明かしたくないらしい……互いに長い付き合いだから今更手の内も何もないと思うんだがな。
(アウラの
俺はベットで猫のように丸くなっているアウラを眺めながら料理を摘んだ。
何となくだが、塩味のようなものを感じる。
「その料理美味しい?」
「まあ、リヴァーレにしたら頑張ったんじゃないか」
「でも、それ焦げてるわよ」
振り返って皿を見ると、焦げた芋のような物が盛られていた。
どうやら火加減を間違えたらしい。
料理初心者のくせに背伸びして揚げ物を作るからだ。
「やっぱり、味覚がもうないのね」
「まあな」
特に驚きもない、平坦な声でソリテールは言った。
どうやらすでに気が付いていたらしい。
リヴァーレが気が付くくらいだから、ソリテールや”マハト”も気が付くか。
「先輩の誕生日パーティーでマハトにも言われたよ。最近の俺は隠し事が下手になったな」
「そうね……でも、昔のあなたよりは好きよ」
ソリテールは俺の両手を取って、自分の膝の上に置いた。
自然と互いに向き合う形になる。
「他におかしな場所は?」
「嗅覚だな。味覚よりはまだ機能しているが……まあ、お前がここに来る前に風呂に入ったことくらいは分かるさ」
出会ったばかりの頃は死臭の塊のような体臭だったが、俺を風呂に入れるようになってからは石鹸の匂いに変わった。
魔族のくせに、日常的に風呂に入る習慣がついたのだろう。
ソリテールは桜色に染まった表情で俺の顔を見つめた。
流石にいくらか酔いが回っているらしい。
「そう……ちょっと触診してもいい?」
「…………」
「そんな強くしないわよ。あなたは目をつぶって、私が軽く触った箇所を当てるだけ」
ソリテールの様子を見て、俺は恐る恐る目を閉じた。
リヴァーレやトートはともかく、そこまで悪酔いしていないソリテールなら大丈夫だろう。
ソリテールの細い指先が俺の体表をなぞる。
視覚や感知機能を閉じている分、感触が鮮明に感じられた。
「ここは?」
「左手の薬指」
「じゃあ、ここは?」
「右足の膝小僧」
ソリテールの問いに俺は淡々と答えていく。
触覚に関しては俺の自覚している限りでは異常はない。
それをソリテールに伝えても納得しないだろうから医者の真似事に付き合っている。
ソリテールの触診は続き、ランダムに触れていた箇所が、だんだんと上の方へと登っていた。
「ここは?」
「喉仏」
「ここは?」
「右まぶた」
「じゃあ、ここは?」
「……下唇。そこ触れてると喋りにくいんだが…」
俺はアヒル口になりながらソリテールに抗議した。
流石にこれで粗方の触診は済んだろう。
俺はその手を引き離そうとした。
だが、できなかった。
唇と口内に柔らかい”粘膜”のような感触が襲ったからだ。
「……どういうつもりだ」
「体の内側も調べないと意味ないでしょう?」
「だからって”キス”するか?」
「指だと汚れるじゃない」
目を開くと、鼻先が触れるほど近くに顔を寄せるソリテールと目が合った。
俺と奴の唇に艶かしい粘液の糸が繋がっている。
つまり、先ほどの感触はそういうことなのだろう。
「何、もしかして初めてだった?」
「いや、2回目だな」
「……それ、例の三つ編みの女?」
「さあな」
まだじゃじゃ馬と暮らしていた頃は、よく無理やりキスを迫られたものだ。
流石に俺も自尊心のようなものを守るために争ったが、流石に力ではどうすることもできず、一度だけ唇を奪われてしまった。
ませているとはいえ子供のキスなので、やり方や加減も分からず互いの前歯がぶつかって痛かったな。
「ふーん……そう」
俺の返答に、珍しくソリテールが眉をひそめる。
「おっ!?」
ソリテールの表情に呆気に取られていると、隙を突かれて床に無理やり押し倒された。
人間ならともかく、魔族の体なのでそこまで痛くはなかったが、いきなりのことで面をくらってしまう。
目を白黒とさせている俺に、ソリテールは馬乗りになって跨った。
何だか目がすわってる……酔っているのか、普通に怒っているのか微妙な所だ。
確かにそれなりに飲んではいたが、顔色はそこまで赤くなってはいない。
だが、普段のこいつは舌なめずりをしながら、俺の下半身をまさぐるようなやつじゃない。
「ねえ、リーベ……こういう状態ってなんて言うのかしらね」
「さあ……広義における言葉としては酒乱かな。それか、アルコールによる一時的な色情症か」
さっきの物音で他の奴らが起きないのなら、俺が喚いたところで気づいてはくれないだろう。
昔は感情の抑制のせいで勃たなかったらしいが、現代では試したことがなかった。
俺の理性と精神力が試されるところだな。
(ああ、どうやら寝かしつける順番を間違えたな)
もたれ掛かるソリテールを抱きしめながら、この危機から脱する方法を考えた。
リーベ「まさかあの後、俺が南側諸国で起こした珍事がマハリー物語の外伝作品になるとはな。『魔法令嬢物語一巻・救国の聖女と悪役令嬢』か……ベルバラマリー先生、南側諸国まで行って現地取材したらしいぞ」
マハト「……ただの一般人と聞いたが?」
リーベ「創作に対する情熱の為せる技だな。で、お前は酔ってどうなったんだ?先輩もグリュックも口を閉ざしてたが」
マハト「……誰にも言うなよ」
リーベ「言わんよ」
マハト「どうやら俺は酔うと…………笑い上戸になるらしい」
リーベ「……」
マハト「……」
リーベ「そうか……紅茶が冷めてしまったな、淹れ直そう」
マハト「じゃあ、その手に持った瓶を置いていけ」
この作品のヒロインは?
-
ソリテール
-
アウラ
-
魔王様
-
シュラハト