もう付き合っちゃえよ(真顔)   作:オールドファッション

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恋する者の狂乱は、あらゆる狂乱のなかで最も幸いなるものなり

プラトン著『パイドロス』


私の一番大好きなもの【閑話】

『うーん、結構入り組んでたからな……500年くらいかな?』

 

 私は船酔いのような気持ち悪さに襲われながら、淡々と事実だけを述べた。

 

 複雑すぎて、精神魔法の専門家ではない私にはこれしか言えない。

 怠惰のリーベと呼ばれる男の精神構造はもはや魔族でも人でもない、別の何かだ。

 奇跡のグラオザームなら分かるかもしれないが、リスクとリターンが噛み合わない無駄な行為に加担すると思えなかった。

 

 私の言葉を聞いて、彼ら3人が浮かべた顔を見るまでは。

 

(ソリちゃんとリヴァちゃんはまだ分かるけど、グラちゃんまでそんな神妙そうな顔するとは思わなかったなぁ)

 

 私は精神魔法の専門家ではないが、呪いの専門家だ。

 初めてリーベと対面した時に、その特殊な呪いの気配には薄々感づいてはいた。

 これはリーベを介して私たち魔族の魂に干渉する呪いだ。

 本来は人類が解明できていない状態異常の魔法の総称であるが、これは魔族すら解析できない異質なもの。

 これに気づいているのは、恐らく私か魔王様だけだろう。

 

 この呪いは、リーベと長く接触すればするほど進行していく。

 数百年以上の長い時を生きる魔族にとって、これほど効果的で厄介なものはない。

 現に付き合いの長いリヴァーレとソリテールはその影響を強く受けているようだった。

 グラオザームはここ最近の付き合いだと聞いているが、精神魔法でリーベに干渉している分、より強い影響を受けているのかもしれない……少なくとも、昔のグラオザームはあんな愉快な反応はしなかっただろう。

 

 私もリーベとは最近になっての付き合いだが、私には呪いへの耐性があるせいか影響は少ない。

 人間の僧侶で言うところの先天的な才能、女神様の加護に近い体質らしい。

 

 多分、この場にいる全員の中で純粋な魔族の思考回路を持っているのは私だけだ。

 私だけが、リーベを救うことを諦めてしまっている。

 

『トート、お前はどうする?』

『ん、私?』

 

 全員で採決を取っている最中、リヴァーレの目線が私へ向いた。

 私は思わず首を傾げる。

 

 リーベは確かに興味深い魔族ではあるし、一緒に研究をする中で新しい発見をさせてもらったことも多い。

 何より、彼の作る料理はどれも絶品だ……正直、私ではレシピを教わっても同じ味は出せないだろう。

 だが、私にとってはそれだけだ。特別助けたいとは思えなかった。

 

『……まあ、いつもなら興味がないから帰りたいって言ってるところだけど…私が石碑を読んでって言ってリベちゃんこうなったからな……うん、ソリちゃん達についてあげるよ』

 

 心にもない言葉が自然と口から溢れて出てきた。

 それはまるで、魔族が人間を欺くために意味も分からない言葉を吐く習性に似ている。

 結果的にそれが功を奏して円滑に話が進んだ。

 どうやらリーベを助ける流れになったらしい。

 

 私とソリテールが援護に入りながら、グラオザームがリーベの精神へと潜り込んだ。

 その複雑怪奇な精神世界に、私とソリテールは5分も耐えきれずに脱落したが、グラオザームは1時間も潜り続けた。

 並みの魔族なら逆に自身の精神が壊れただろう……改めて、私たちは七崩賢の偉業に畏敬の念を抱く。

 

『ぐっ!?』

 

 グラオザームが短い悲鳴を上げた瞬間、その姿にノイズが走って霧のように消えてしまった。

 恐らく、グラオザームの本体にまで干渉するほどのリーベの精神防御が働いたのだろう。

 一部の魔族の間では、グラオザームの姿が幻影であることは知られていた。

 

『よお、徹夜明けの表情って感じだな…』

 

 グラオザームと入れ替わりで、リーベは目を覚ました。

 

 グラオザームの安否はともかく、私たちはリーベの意識の帰還に安堵する。

 だが、2人の安堵の表情は私のとは少し温度差があった。

 

(たかが他人なんかのことで、どうしてそこまで感情が動くんだろう)

 

 きっとリーベが死んでも、私は彼らのような感情の変動はない。

 だって私は、この世で一番自分のことが好きなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

【魔王討伐から40年後】

 

 ヴィッセン山脈の曇天を仰ぎ見ながら、俺は紅茶を淹れて一息ついていた。

 隣には籠いっぱいに積まれた野菜の山がある。

 

 料理の習慣のために食材を自給自足する目的で作った畑だったが、今では手に余るほど広大になってしまった。

 時々訪れる魔族の来客への食事や、ヒンメルたちへのおすそ分けで消費しても、手元に結構な量が残る。

 捨てるのも勿体ないので瓶詰めに加工しているが、さすがにこれ以上は納屋に入り切らないだろう。

 数百年規模で肥沃な土壌に変えてきた土地だが、畑は今年で限りで終わりにしよう。

 

「どうせ、もうすぐ引っ越すわけだしな」

 

 俺は荷造りした家財道具に目を向ける。

 流石にそれなりの量があるので、1人で持ち運びするのは一苦労だ。

 リヴァーレやアウラが来た時に手伝ってもらう為に、一応荷造りだけはしておいた。

 

「おーい、リベちゃーん」

 

 予期せぬ来訪者に俺は首を傾げる。

 確かに魔族の来訪を望んではいたが、訪れたのは俺と同じ協調性のない魔族だ。

 

「珍しく手土産を持参か?トート」

「そうだよ……農家並みに野菜が積んであるけど、どうしたの?」

「瓶詰めにしようと思ってな。余ったら冬の間だけ雪の下に埋めるつもりだが……思いの外、今年は豊作でな」

「ふーん、引越し前でどう処分するか悩んでいると。じゃあ、私が来てよかったね」

 

 トートは布の被さったバスケットを俺の方へ投げる。

 受け取った俺は、そのあまりの軽さに呆気に取られた。

 こういう手土産といったら果物やジャムが相場だ……だが、バスケットの中身はあまりにも突飛な内容だった。

 

「なあ、トート……何でバスケットいっぱいにマカロニが入っているんだ?」

「ふ、馬鹿だなリベちゃん。はるか東方の国では、引越しの時に蕎麦という麺類を手土産に渡す風習があるんだよ」

「ああ、なるほど。恋愛小説の受け売りか」

「あ、バレちゃったかぁ」

 

 俺がトートに勧めたマハリー物語の一文にそのような内容の説明があった。

 蕎麦なんてそこら辺にも生えている植物だし、せっかくなら手打ち蕎麦というものを食べてみたかった。

 別にマカロニが嫌いなわけではないが、手土産に寄越されて特別嬉しいものでもない。

 そして何より……。

 

「何で、すでに茹でてあるんだ……」

「すぐに料理がしやすいように?」

「麓の方で何やら狼煙が上がってると思ったが……で、ソースは?」

「え、ないよ」

「……そのまま食えと?千年前の古代人でも、もっとマシな食い方してたぞ」

 

 俺は悪態をつきながらも、トートの魂胆を察して食料庫をあさりに行く。

 茹で上がったマカロニなんてものは、すぐに調理しなければダメになってしまう。

 

 去年瓶詰めにした香辛料漬けトマトと、塩漬けにした豚の燻製ベーコンを取り出した。

 そして、干してあった玉ねぎも渋々と手持ちに加える。

 

「リベちゃん、玉ねぎ嫌いじゃなかった?」

「馬鹿だなトート。流石の俺もたまねぎ嫌いを克服したのさ……まあ、本当なら抜きたかったが、トマトベースだと入ってた方が美味いからな」

「ふーん、大人の味覚になったんだね」

 

 俺は何やら生暖かい視線を受けながら家の厨房で料理を始める。

 まずは無難にトマトソースのマカロニパスタだろう。

 瓶詰めトマトは香辛料漬けにしているから、潰して熱を加えるだけでソースが完成してしまう。

 マカロニもすでに茹でてあったので、トマトパスタはすぐに出来上がりそうだ。

 並行して、野菜とベーコンをたっぷり入れたスープでも作ろうか。

 

「付け合わせも作るか」

 

 ついでなので瓶詰めにした野菜のピクルスと、乳酸発酵させたザワークラウトも付け合わせに出そう。

 収穫したばかりの野菜もあるので、簡単なサラダと塩茹で野菜を出すのもいい。

 鮮度が高い分、こういう食材はシンプルな料理が一番うまい。

 

「相変わらずのすごい手際だね」

「お前も俺くらい長く料理を続けていればできるさ」

 

 トートは料理に参加せず、食卓に座りながら本を読んでいる。

 引越し用に荷造りしてあったのに、それを勝手に解いて一冊取り出したらしい。

 相変わらず、自分本位なことをする奴だ。

 

「リベちゃん、”聖典”持ってるんだね。まあ、女神様の石碑読めるぐらいだから今更驚かないけどさ」

「……色々あってな」

 

 それは最近聖都で出版された聖典だった。

 どうやらハイターたちによる『時巡りの鳥の章』の解読が難航していると聞いたので、俺も独自で暗号解読に乗り出したのだ。

 未来の収束を考慮するなら必ず解読に成功するとは思うが、保険として調べておく必要はあるだろう。

 

「うーん」

 

 トートは聖書を一通り流し読みし終えると、それを閉じて首を傾げる。

 

「女神様のポエム書いてなくない?」

 

 俺は一瞬だけ、トートの方へ視線を向けた。

 

「前にも言っただろう。人間は時代の転換期で聖典を編纂していると……だが、言語が変わったことによる変化じゃないな。多分、編纂した学士の解釈や、当時の教皇庁の意向で内容が書き換わったんだろう」

 

 言語体系が変わったことで、聖典にどれだけの変化が起きているかは気にはなっていたが、ここまで大胆に改変されていたとは驚いた。

 だが、それだと必然的にある1つの疑問が浮かび上がる。

 トートも同じ考えが浮かんだのか、どうにも腑に落ちない様子だった。

 

「それダメじゃない?聖典って女神様の魔法の暗号文になってるんでしょう?そこまで改変しちゃうと解読にも影響が出ると思うんだけど……」

「まあ、たしかに色々変わってたな。特に”魂”に関する記述とか。現代の宗教学における魂というのは、人間のみが持つもので、魂の状態で死後に天国か地獄に行くんだと」

「昔は違ったの?」

「最古の原書は基本的に女神様の独白だ。現代のは……その中にあった魂の記述を拡大解釈したって感じだな。古代の哲学者たちの著書の内容ともいくらか違う」

 

 古代の哲学者たちは何事においても多角的に探求していた。

 

 魂とは森羅万象、全てに宿ると論じたアニミズム。

 魂とは神を感じる受容体であると論じた神秘哲学。

 魂とは真実の世界を見通す瞳だと論じた二元論。

 

 読み物としては、それらの方が個人的には読み応えがあった。

 それに比べると現代の宗教哲学は自由がなく、あまり面白みがない。

 少なくとも、現代魔法学の方が魂についてはまともな研究がされているようだ。

 

「まあ、聖都で古い原典が残っているらしいから、そっちから解読してるんじゃないか?そうでなければ、あそこまで改変されて解けるわけがない……と、はい完成」

 

 俺は完成した料理をテーブルの上に並べた。

 一応、2人分は用意したが、最近は胃も退化してきたようであまり固形物を受け付けない。

 だから、俺の方は極小量の盛り付けだ……多分、これでも食べきれないだろう。

 

「わーい、いただきまーす」

 

 そんな俺の状態などつゆ知らず、トートは食べ盛りの子供のような食欲で料理に手をつける。

 少々行儀は悪いが、俺はテーブルに肩肘をつけながらそんなトートの様子を眺めた。

 リヴァーレほどではないが、こいつもそれなりの量を食べる魔族だ。

 気持ちよく食べている姿を見ていると、尚更俺は腹が満たされて行くような感覚に陥る。

 それはそれで不快な感覚ではない。

 

「美味いか?」

「うん。リベちゃんの畑の野菜って美味しいね。北部って気候のせいで野菜はあんまりよく育たないのに」

「過酷な環境でも生育するトマトやジャガイモなんかの救荒作物を育ててるからな。日照時間がもっとあればもっとうまく作れたんだが」

「ふーん、だから今度はもっと南下した場所に引っ越すの?」

 

 引越しの手土産なんかを持ってくるくらいだから薄々は察していたが、随分と耳の早いことだ。

 大方、リヴァーレにでも聞いたのだろう。

 

 トートは口の周りをトマトソースで汚しながら、首を傾げた。

 

「最近大暴れしたそうじゃん。らしくないね」

「まあ、それも色々とあってな。ほら、ハンカチ」

「ん、ありがと……」

「どうせ使い捨てるから気にせず使え」

 

 トマトソースのシミは手洗いじゃ中々落ちにくい。

 この世には”しつこい油汚れを取る魔法”なる伝説級の魔法が存在するというが、あいにく南側諸国ではお目にかかる機会はなかった……いつかどこかで手に入れたい魔法だな。

 

「あ、そうだ。これ返すよ」

 

 トートは懐から分厚い本を取り出し、それを俺に渡した。

 俺が言語学習のために勧めたマハリー物語一巻だ。

 しかし、その薄い布地の服にどうやってこれを隠していたのだろう。

 

「どうだ?面白かっただろう」

「うん、あのマハちゃんが『リーヴェリット……お前は俺の女だ』とか、絶対に言わなそうな言葉を言ってるのがシュールで面白かったかな。それに文章を通して人間の考えとかも学べたし、いい勉強になったよ……でも、やっぱり分からない部分も多くてね。それ全部を挙げればキリがないけれど……一番分からなかったのが恋愛感情ってやつかな」

「恋愛小説でそれが分からないのは致命的だな」

 

 魔族は社会性を持たず、基本的に群れることをあまり好まない性分だ。

 個人主義の弊害からか、コミュニケーション能力が人間よりも拙く、そもそも恋愛感情というものを抱くことはほとんどない。

 魔王様が存命だった時代にある程度統率が取れていたのは、恐怖と力による原始的で動物的なヒエラルキーが機能していたに過ぎない。

 現に、魔王様が討伐されて以降の魔王軍は完全に統率力を失ってしまった。

 

 俺も恋愛感情を感じるかというと、正直疑問が残る。

 他者の恋愛の機微を感じる能力があっても、恋愛感情そのものを感じるのとは別のものだろう。

 

「そもそも、私たち魔族って恋愛感情あるのかな?」

「おっ、それを俺に聞くのか……このヒンフリの伝道師たる俺に」

 

 トートは相変わらず笑みを貼り付けた表情をしているが、どこか面倒くさそうなものを見る目をしていた。

 だが俺は構わず、感覚派のトートに理論的な推論を述べることにする。

 

「結論から言うと、魔族にも恋愛感情はある。まあ、流石に個体差はあるがな……7つの大罪って知ってるか?」

「たしか人間の根源的な欲望の感情だっけ。えっと、貪食と金銭欲と悲嘆と憤怒と傲慢と色欲と怠惰?」

「八つの想念と混ざってるぞ。傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰だ」

 

 『修行論』か、懐かしい。

 1000年以上も前の時代に書かれたただの想念が、今や宗教的な原罪になるとは驚きだ。

 だが相変わらず、人間の考えることはよく分からない。

 ただの感情に善悪や優劣など付けることに、どれほどの意味があるのだろうな。

 

「俺たち魔族は人間とはまったく異なる存在だが、俺たちが自己のために抱く欲望というのは根源的なものだからこそ、人間とは大差がない。ある者は魔法使いとしてプライドを重んじ、ある者は欲するがために戦い、ある者は絶対的な魔法の才覚を妬み、ある者は戦い破れて憤り、ある者は気まぐれに喰らい殺し、ある者は絶対の強者の命すら怠る……俺が今まで観測した限りでは、魔族は原罪の欲望を持ち合わせてる」

 

 俺の身近な知り合いで例えるなら、アウラは傲慢、マハトは強欲、ソリテールは嫉妬、色欲はグラオザーム、暴食はリヴァーレだろう。

 憤怒に関しては全員共通して持っている欲望だ。

 そして怠惰に関しては言わずもがな……。

 

「リベちゃんは怠惰の2つ名が付けられてるくらいだしね……でもこの概念って、恋愛感情に関係ある?」

「あるぞ、色欲だって恋愛感情の一種だ。まあ、他者と相対的に成り立つ感情ってのは、個人主義の魔族では薄い傾向だな。だが、自分のために他者を欲する我欲はそれなりにある。他者と尊重し合う人間の恋愛感情とは異なるがな」

 

 ヒンフリのような甘酸っぱい恋愛観に比べると、魔族のは独占欲や束縛といった一方的な関係になりそうだ。

 それを考えると、マハリー物語のマハトのセリフもそこまで的外れな解釈ではない……流石はベルバラマリー先生だな。

 

「しかし案外、昔の哲学者というのは的を射ていたのかもな」

「ん、何の話?」

「……”イデア界”って知ってるか?」

 

 トートは人参のピクルスをぽりぽりと齧りながら首を横に振った。

 大昔の人間の哲学者が考えた概念だし、知らないのも無理はない。

 俺が生まれる何千年も昔の哲学らしい。

 

「俺たちが現実世界で知覚しているものは、イデア界に存在する完全な真理の形の影法師に過ぎないらしい。善のイデアと呼ばれる最上位の根本原理が太陽とすれば、それに照らされたイデアの影が、俺たちが感じている存在の全てだ」

「……」

 

 トートはピクルス加えたまま、沈黙を保っている。

 仕方がないので、分かりやすく洞窟の比喩*1を教えると、トートはぎこちなく頷いた。

 

「この理論でいくと、俺たちも人間の知覚しているイデアの影を共通認識していることになる。だが、前提としてこのイデア自体を正しく認識するためには魂……とりわけ魂の三分割の1つである理性的部分(ロゴス)と不死性が必要だ。著者によれば、獣の魂は欲望や感覚といった非理性的部分のみで構成され、不死性も持たないので死後は消滅するらしい」

「あー、なるほど……魔族も死んだら塵になるね。魂まで消えてるのかは分からないけど」

「魔族の魂の存在はアウラが服従させる魔法(アゼリューゼ)を発現させたことで証明された。俺たち魔族と人間の認識の齟齬というのは、脳の構造上の差異というよりも、魂の構造上の差異で生じたものなのかもな」

 

 その哲学書があまりにも内面的な表現だったので、当時の俺はあまり好きではなかった。

 まあ、あの頃はまだ何事にも興味が抱けなかった時期なので、好きなもの自体存在していなかったが……強いてあげるなら、その弟子の書いた著書の方が現実的で肌に合っていたな。

 

「ふー、食べた食べたぁ」

 

 トートはその細い腹を摩りながら最後の皿を空にした。

 リヴァーレほどの大食漢ではないが、それでも細い体の割にはかなり食べた方だろう。

 こういう食べっぷりを見ていると、作り手として気持ちがいい。

 

「結構食べたな」

「今度いつ会えるか分からないしね……食い溜めってやつ?」

「どこぞのエルフと同じ理論だな」

 

 俺は琺瑯のケトルを火に掛けながら、皿洗いを始めた。

 相変わらずトートはただ座って俺の様子を眺めている。

 最近のリヴァーレとは雲泥の差だ……まあ、料理を習いたての頃はあいつもよく皿を割っていたがな。

 

「ねえ、リベちゃん」

「何だ?」

「もしかして今日、リベちゃんの”誕生日”?」

 

 突然の言葉に俺は洗っている皿を落としかけた。

 俺の誕生日を知っているのはこの世でただ1人だけだ。

 死人もカウントするなら魔王様も一応入るが、あの人はトートとそこまで接点がない。

 

「……リヴァーレか」

「うん。前にリベちゃんは誕生日を覚えてるようなことを言ってたから、付き合いの古いリヴァちゃんなら分かるかなって思って聞いてみたんだ」

「そうか……それで、『実はあの茹でマカロニが誕生日プレゼントでした』とか言うなよ」

「失礼だなぁ。私もそこまでケチじゃないよ……とっておきのプレゼントを用意して来たんだから」

 

 トートは何やら自信満々といった表情を浮かべている……こういうのをドヤ顔というのだろう。

 そしておもむろに両手の人差し指を立てると、その指先を”自分自身”に向けた。

 俺は奇妙なものでも見るように見つめ返す。

 

「……プレゼントは私とかつまらんこと言うつもりか」

「うーん、当たらずも遠からずかな」

「は?」

「リベちゃんはさ、時々忘れそうになるけど、結構すごい魔法使いなんだよね。どんな魔法でも覚えようと思ったら覚えられるんでしょう?」

「藪から棒にどうした。まあ、既存の魔法とそれらの応用なら大体は習得できるが」

「じゃあさ……」

 

「他者の生命力を奪う魔法っていうのも覚えられるんでしょう?」

 

 洗い物を終えた俺は胡乱げな視線をトートに向けつつ、紅茶を淹れ始める。

 短い沈黙の中、ケトルから流れる液体の音だけが、ひどく室内に響いた。

 

「……似たような魔法なら存在するな。とても古い、神話の時代からある魔法らしいが」

「覚えられる?」

「ああ、あれは可能だ」

「なら……」

「トート、お前は大事なことを忘れているぞ」

 

 俺は湯で満たされたティーポットをテーブル中央に置き、トートの向かいに座る。

 そして、したり顔を浮かべた。

 

「俺はあの怠惰のリーベだ。興味のない魔法は覚えんよ」

「……」

 

 俺の返答にトートは珍しく真顔になる。

 その表情からはどんな感情浮かべているのか、そこそこの付き合い程度の俺では測ることはできない。

 こいつは俺たちの仲間内の中で一番魔族らしく、そして欺くことに長けている。

 ”直感”だが、こいつはあまり俺の呪いの影響を受けていない気がしていた。

 

「それに思い違いをしてるぞ」

「思い違い?」

「多分、お前の言ってる魔法は、自分の命を他者へ分け与える魔法のことだ。この場合は術者がお前である必要がある……俺の代わりにそれを覚えられるか?」

「うーん、無理かな。私の専門分野の呪いでもなさそうだしね」

 

 想像の通りの返答だ。

 魔族は基本的に1つの魔法の研鑽に執着している。

 俺は例外として、ソリテールやマハトのような複数の魔法を習得しているやつは稀だ。

 それに片手間に覚えるにはあまりにも効率が悪い代物だろう。

 

「そっかー、残念だなぁ」

 

 しばらくして、トートはいつも通り作り笑いを浮かべる。

 だが、窓から差し込む光の加減で表情に独特の影があった。

 

「自分が一番好きなお前がどういう心境の変化だ?」

「別にそれは今も変わってないよ。でも、最近色々と考えるようになってね。リベちゃんも少し体調が悪いみたいだし」

「お前にそれを悟られるとは思わなかったな」

「私が一番最後になっちゃったけどね。多分、他のみんなはもっと早くに気がついていたんでしょう」

 

 実際その通りだ……しかし、これで魔族の知り合い全員に知られてしまったな。

 付き合いが最近になってできた人間だと、気づいたのはヒンメルくらいだ。

 最近彼とは茶飲み話で互いの老後生活に関して語り合っている。

 

「多分、私たちの中で最初に死ぬとしたら最高齢のリベちゃんかリヴァちゃんだよね」

「寿命で考えればそうだろうな」

「私たちの集まりって、リベちゃんがいたからここまで続いたと思うんだよね。リベちゃんが死んだらきっとみんな昔みたいにバラバラになる……基本的に私たち魔族はそういう個人主義の塊だから、私は家に籠りっぱなしになるかな」

 

 確かに、俺みたいに無理やり他人を巻き込んで集会を開くようなやつがいなければ成り立たない関係だ。

 俺を訪ねて各々が集まることはあっても、全員で集まること自体、この数十年間で数回程度だった。

 

「リベちゃんが死んだらさ。多分、私以外のみんなは結構落ち込むと思うんだ」

「お前は落ち込んでくれないのか?」

「どうだろうね。でも、落ち込むにしてもみんなほどではないかな……私は数日くらいでリベちゃん達のことを忘れて、いつも通りの日常に戻る。そこそこ楽しい毎日を繰り返しながら、自分で作ったそこそこの味の料理を食べて『美味しー』とか言って満足しているんだろうね」

「目に浮かぶな」

 

 他のやつらはどうなるか分からないが、トートはその通りの行動をしそうだ。

 こいつの行動原理は美味い飯と魔法の探求で一貫している。

 

 そして何よりも大事にしていることがあった。

 おそらくそれが今回のことに起因するのだろう。

 

「でもね。そんな自分を想像したら、ひどく嫌な心持ちになったんだ。リベちゃんを生かす方法があるかもしれないのに、それも探さずにのうのうとそこそこの人生で妥協している自分を想像して……多分、私は初めて”自己嫌悪”という感情を理解した」

 

 トートの表情が一瞬だけ歪んだように見えた。

 表情に浮かんだ影のせいで、より一層深い嫌悪感が滲んで見える。

 鏡でよく見た、自己嫌悪で歪んだ俺の表情と同じだ。

 

 トートはすぐに笑みを作り直すが、いつもよりも表情がぎこちない。

 その形容しがたい感情を抱えきれずにいるようだった。

 

「私はさ、自分自身が一番大好きな魔族だからそういう気持ちはいらないんだ。だから、私が私を好きであるために、私の寿命の半分くらいならあげるつもりで来たんだよ」

「そうか、無駄足だったな」

「そうだね。でも、リベちゃんの料理をお腹いっぱい食べられたから良しとするよ」

 

 俺は燭台に明かりを灯し、蒸らし終えた紅茶をカップに注ぐ。

 

 たかが数分の語らいだったが、それでも濃密な時間に感じられた。

 おそらく初めてトートが内面をさらけ出した瞬間だったのだろう。

 

「私たちの中で一番長生きをするのは、アウちゃんか私になるだろうね」

「年齢ならアウラが若いが、お前は基本的に戦いの場に出ないからな。確かに長生きはするだろう」

「そうだよねぇ……なら、リベちゃんに習って私も小説でも書こうかな」

「ほう、フィクションか?ノンフィクションか?」

「ノンフィクションかな。楽しい記憶っていうのは、それを書き起こしているうちに追体験するものらしいし」

 

 その言葉はマハリー物語一巻のあとがきに書かれた一文だ。

 ベルバラマリー先生がマハリー物語を執筆していた頃は、原稿用紙を鼻血で汚しながら書き殴っていたらしい。

 俺も先生ほどではないが、共感できる気もする……実際、ヒンメル物語の終盤を書いていた辺りは吐血していた。

 

「楽しみにしてよ。私がみんなの物語を未来まで残してあげるんだからさ」

 

 紅茶を一服して、トートはいつものように笑みを浮かべる。

 その小説がいつ完成するか分からないが、とりあえず誕生日プレゼント代わりにもらうことをトートと約束した。

*1
古代ギリシアの哲学者プラトンが『国家』第7巻で用いた『善のイデア』を説明するための比喩




トート「ちょっとー!前回のヒロイン投票に私がいないじゃん!」
じゃじゃ馬「横暴だー!過去キャラといえど人権侵害だー!」
自称主婦「ふしだらな母と笑えー!」


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