ヒンフリ不足で作者もリーベも体調不良になりそう…ぐえー!
「どうして、こんなことしたんだ?」
テーブルに銀のナイフが放り投げられ、その金属が部屋の中で嫌に響いた。
向かい側に座る、茜色に燃える夕日のような髪を持った女が俺を見下ろす。
長い髪を大きな三つ編みに束ね、トーガという一枚布の衣服を着ている…俺も同じ物に着替えさせられていた。
タンッ。
女が軽くテーブルを叩き、大口を開ける。
「何だいその目は!腹を痛めて産んだ子に、こんなことされるなんて…あたしは悲しいよ!」
何かしらないが、ひどく演技くさい言い方だった。
女もちょっと笑いながら言っていたし、本気ではないのだろう。
「…てのは冗談さ。ちなみにお母さん人生で一度は言ってみたかったセリフ13位だ」
「別に、あんたの腹から生まれてないし…」
「ふっ…早めの反抗期か。あのじゃじゃ馬より早く拝めるとはね…それはお母さんになって体験したかった事7位だ…なと」
互いに気取らない会話の最中、女はナイフを拾い上げると俺の首筋にあてがった。
目を凝らしていたわけではなかったが、残像が残るほどのスピードだ。
「確かに、こんな子供用のナイフでも首を切りつければ…5歳くらいのガキでも大の大人を殺せる」
「そうだな…だからできそうだからやった」
「出来そうだから殺そうとした…悪意の欠如と人を害する性質か、魔族らしい思考だ」
あの時、この女が屈んでいて、側には運良く子供用のナイフが落ちていた。
だから、背後から忍び寄ってナイフでこの女の頚動脈を刺した…はずだったが。
「馬鹿か息子よ、お前の力は人間の5歳児以下だ…こんな玩具じゃお前は誰も殺せない。まあ、怪我ぐらいならさせられるから村の学校に通えずにこうしてアタシと毎日自宅学習してるわけだが…これはランキング55位だな」
実際、俺の力は弱い。
同じ背丈の人間の子供の首にナイフを刺しても、肌の弾力で押し返されるほどだ。
だが、今回は体重を乗せて試したから、いくらか成功確率はあったはずなのだが…女の首には傷が全くなかった。
「何だ、母さんのセクシーな首に興味津々か?これは思春期到来だな…うーん、6位だ」
頬を染めて体をくねらせながら、女は握ったナイフを…ねじり曲げた。
まるで雑巾でも絞るように、銀製の食器が悲鳴を上げながら形を変える。
この女、俺よりも化け物だなと思った。
「しかし息子よ。お前は拾った時からあんまり大きくならないな…ついにあのじゃじゃ馬に越されたぞ」
「そうだな。最近は姉を自称されて絡まれている…ちょっと面倒だ」
「仲がいいのは良きことだが…5年も経ってそれしか成長しないのは魔族でもおかしいな」
定期的に身長体重を測らされているが、この女がドン引くほど差異がないらしい。
おかげで自称姉に弟としてこき使われている。
「お前はあれだな。いわゆる
女は部屋の奥の書棚から分厚い本を取り出した。
ページを開くと、生き物の絵姿と文字が書かれている。
女は霊長類や魚類のページをめくった。
「人間が猿から進化したなら、魔族は…魚、いやサメが人間を真似て直に進化したとする。ならお前はさしずめ、タコが人間を真似て進化した…いや、サメとタコの超進化…シャークトパスだな」
「…なんか知らんが駄作臭がする名だな」
「シャークトパスを侮るなよ…いや、サメはいいや臭いしまずいし…褒めるべきはタコだな。知ってるか、あいつらって触腕の神経が脳の働きをするんだぞ。触腕と中央の脳…言い換えれば9つの脳を持っている……お前と同じだな」
女は俺の両手を握った。
女の大きな腕に対して、俺の腕はひどくか細く小さい…我ながら頼りない。
「お前の体は、おそらくは7、8割が脳の役割を担っている。この腕だって思考するための機能が殆どで、運動能力がその分低いのかもな……なあ、5日前は何を食べた?」
「朝食にパンケーキとミルク、昼にパンとミルク、夜はシチュー」
「正解…じゃあ、三年前のこの時間は何をしていた?」
「あんたに聖典の読み書きをさせられた。『時巡りの鳥の章』の13節フィアラトール」
「ああ、やったな……じゃあ、あれ覚えてるか?じゃじゃ馬が壁に落書きしてた数字」
数日前に家の壁にやたらと長い数字の羅列が書いていた。
この女が自称姉に掃除させてたので落書きはもうないが、今更答え合わせもできないだろうその羅列を唱える。
「3.141592653589 793238462643 383279502884 197169399375 105820974944 592307816406 286208998628 034825342117 067982148086 513282306647 093844609550 582231725359 408128481117 450284102701 938521105559 644622948954 930381964428 810975665933 446128475648 233786783165 271201909145 648566923460 348610454326 648213393607 260249141273 724587006606 315588174881 520920962829 254091715364 367892590360 011330530548 820466521384 146951941511 609433057270 365759591953 092186117381 932611793105 118548074462 379962749567 351885752724 891227938183 011949129833 673362440656 643086021394 946395224737 190702179860 943702770539 217176293176 752384674818 467669405132 000568127145 263560827785 771342757789 609173637178 721468440901 224953430146…」
「おーい、もういいぞ。ちなみにあの落書き何文字くらい数字書かれてた?」
「86400であんたがあいつの頭殴って終わった」
女がちょっと引き気味に笑った。
「うーん、我が子たちがジーニアスを通り越してモンスターチャイルドって感じだな。多分、生まれてから今までの出来事や見たものや聞いたもの全部覚えてるだろ?」
「覚えてる」
「なるほど、凄まじい記憶能力と処理速度…たぶんエルフとは別種の脳内構造だな。お前なら理論上、ある程度の魔法は全部使えるが…どうする?魔王ぶっ殺しに行くか?」
「面倒だからやりたくない。必要も感じない。魔法に興味もない」
「うん、人間や魔族に比べても欲望ってのがないな。たぶん、アタシが拾って世話しなかったら死んでたぞ」
女は俺の頭を撫でた。
銀をひしゃげる握力にしては優しい手つきだ。
「アタシは魔法使いじゃないが、これだけは言える。何かをやりたいって気持ちがなければ物事は始まらない。能力はあってもお前にはそれがないからたぶん魔法使いにはなれないな…それにその虫みたいに”低い魔力”だ」
俺は体から発せられる薄い魔力の膜を見る。
俺ほど魔力が低い生物もかなり稀らしい。
ちなみに自称姉はそこそこの魔法使いの魔力量を持っている…道理であれが近づくと肌がチクチクとすると思った。
不意に、女の指先がツノに触れる。
その指先がかすかに折れたツノの断面をなぞった。
痛むはずもないのに、失ったツノが痛かった…幻肢痛というらしい。
「狼ってのは能力のない仲間の個体を稀に殺すらしい…お前を殺そうとした魔族もそうなのかな。悲しいが、お前は同族に受け入れられることはないだろう」
魔族というのは魔力によって実力を測る階級社会らしい。
そのようなコミュニティーに俺のような奇形児が入る隙間はない。
俺が不出来だから殺そうとしたのだろう。
それに対して、特に感じるものはなかった。
「タコってのは結構感情豊かだけど、お前は無愛想だな。脳があるってことは感情はいくらかあるはず、その能力の代償か…あるいは感情ホルモンの分泌がわけあって抑えられてるのかもな…タコの寿命に関する論文で見たような気がするが……まあ、いいか」
見上げると女の表情から珍しく笑みが消える。
これはあれだ、おそらく悲しみというやつだ。
俺にはよくはわからない感情だった。
「知ってるか。タコって長くても5年しか生きられないんだと……お前はもってあと”1年”ってところだ。息子の葬式なんてランキング圏外だぞ親不孝者め」
「そうか、あの毎週飲んでるクソまずい薬も役に立たないな」
「あれでも高価な薬だぞ…戦闘でガス欠になった魔力を補給する薬と体調を整える薬だ」
初めて飲んだ時はあまりの不味さに生理的に吐いてしまったが、今はなんとも思わずに飲んでいる。
自称姉の方は飲んだら魔力が漲っていたな。
『か、母さん!この謎の力は!』
『何それ…しらん…こわ…』
『眩しい…』
眩しいと、近所からクレームが入ったな。
そのあと3人で村中を謝りに回った…自称姉はまだちょっと光ってた。
「魔族ってのは生きてくのにある程度魔力ってのが必要らしいな…だが、うちはそんなに金持ちじゃないからこれ以上は薬は買えない。あたしらの魔力をあげられればいいんだが、他人の魔力ってのは吸収しづらいからな…たまに拒絶反応も出るらしい…」
「そりゃよかった…まずい薬飲まないで済む」
「でも代わりにちゃんと食事は3食しっかり取れ、カロリーが魔力の代わりになる可能性がある。睡眠もしっかり取って、出来れば風呂も毎日入って、女神さまに願掛けして…残りの1年で可能性のあるものは全部試してみよう」
「もっと面倒になった…」
俺のつぶやきに母が笑みを浮かべた。
そんなに面倒くさがる姿が面白いのだろうか。
「いいか”リーベ”。怠惰ってのは根源的な欲望の感情だ。欲望ってのは生きる活力にもなる…それを大事に育てろよ」
「…はぁ、そりゃめんど…ぐえっ」
面倒だと視線を落とそうとしたら、後ろから首を引っ張られる。
ああ、学校が終わった時間だったな。
「帰ったぞ母さん!弟よ!」
「いや、たぶん俺…お前より年上…」
「うるさい!お姉ちゃんとお呼び!」
「うーん、我が子たちの美しい姉弟愛…ランキング3位だ」
「ぐえー」
ああ、これからの1年も、この変わらぬ日常が続く…とても面倒だと俺は思った。
いまだに頭痛の残る脳が、その光景を理解することを拒んでいた。
リーべが仰向けのまま倒れかけた時、気が付けばリヴァーレが彼を受け止めていた。
リーベの目と鼻から血が、口からは血で赤く染まった泡が溢れている。
「仰向けにしないでっ、体液で窒息するわ。側臥位に寝かせて…できるだけ頭を揺らさずにして」
「あぁ、分かった」
ソリテールの焦りを含んだ言葉で、私とトートはようやく我に帰った。
リヴァーレはソリテールの指示に従いながら迅速だが丁寧に体を横向きに寝かす。
頭を固定するために、ソリテールは彼の頭を膝に乗せていた。
「え、リベちゃん冗談だよね…リベちゃん?」
当然、返事はない。
いつものように戯けて怪我をするのとは違い、あまりに聞き慣れたあの作った悲鳴すら彼はあげなかった。
(ああ、この男と一緒にいると…どうしてこうも物事が悪い方に転ぶのか…)
さらに頭痛を感じそうになるが、目の前で倒れている男が感じている痛みに比べれば些細なものだ。
私は頭を切り替えて状況把握に努めた。
「容態は?」
「意識喪失、体内の一部血管破裂、脈拍と血圧と体温の上昇、外傷なし…私じゃ今はこれくらいしか…」
「おいトート、例の『ババン、ボンッ!』だ。何かわからんのか?」
「リヴァちゃん弄らないでよ…リベちゃんちょっとごめん」
トートが気絶したリーベの額に手を添える。
そしていつもの作った笑顔が歪むほど口を歪めた。
「うわぁ…ひどいなこれ。精神防御が焼き切れてる…熱した針で肉を刺したみたいに貫通されてるな。てかリベちゃんの精神防御ぶ厚いし複雑すぎ…ちょっとめまいがしてきた…うえ」
一通り見終えたトートは頭を押さえながら座り込んだ。
リヴァーレが彼女の背中を軽く摩る。
私は彼女が落ち着くまでソリテールと会話を続けることにした。
「女神の石碑に宿った魔力の防衛攻撃でしょうか」
「でも、私たちが見ていた限りでは石碑の魔力は動いていなかった…まあ、私たちの知らない未知の魔法という可能性もあるけど」
実際、彼は平気で石碑に触れていたし、フリーレンの時のような時空干渉は起こっていない。
石碑の一節を唱えてからこうなったと考えれば、私たちの知らない女神の魔法という可能性もある。
だが、知らない魔法に対して我々には対抗手段がない。
今は彼の容態が見た目よりも軽いことを願いたいが…。
「落ち着いたかトート」
「うん…少し…うぅ」
「率直に聞きますトート。リーベはまだ無事ですか?それとも助かりませんか?」
全員が彼女の返答を息を飲んで待った。
「率直に言うと…大丈夫だけど、うーん…大丈夫でもない?」
「…ハッキリしてください」
「ごめんよぉ…」
私はリーベと同じく彼女の表現力と言語能力に少しイラつきを感じた。
ソリテールに至っては怒りで魔力が揺らめいている。
あのリヴァーレすらも、珍しくリーベ以外に握りこぶしを見せている。
トートは何とか頭を振り絞って説明を始めた。
「えーと、確かに精神防御はめちゃくちゃなことになっているけど、精神自体を攻撃されたわけじゃないから見た目ほどダメージは少ない…例えるなら、誰かが家の扉を斧で粉砕して侵入してきたけど、その人は家主に挨拶だけして帰ったみたいな?」
「むしろ無事なのがこわい状況だなそれ」
リヴァーレに同意しかけたが、私はもう一つの理由を聞くことにした。
「大丈夫ではないとは、どう言う意味ですか?」
「うん、リベちゃんの意識がだいぶ深いところに沈み続けてる…と思うんだよね。例えるなら、さっきやばい奴が家に来たから深い地下室に逃げ込もうとするみたいな…」
「それだと家から出た方が安全な気がするな」
「茶々を入れないで…じゃあ、いつもみたいに殴って起こせばいいわけね」
「それだと怖がってもっと深いところに沈んじゃうかな…まあ何もせずにすればいつかは起きるとは思うけど…」
「具体的にどれだけ経てば起きますか?」
「うーん、結構入り組んでたからな……”500年”くらいかな?」
私たちは言葉を失った。
長寿と呼ばれる魔族の年齢と同等の時間に。
「何とか、ならんのか?」
最初に口を開けたのはリヴァーレだった。
「私は無理だけど…できる魔族もいるかもね。でも、1日以内に連れてこないと難しいかな…精神って私たちのいる現在よりもっと早い時間で動いてるから。この喋ってる間で何十年分もリベちゃんは潜ってる…この状態でも起こすのに数年は掛かるかも」
「……」
俯いたソリテールが眠るリーベを見つめている。
どんな表情をしているかは見えなかった。
非常事態だが、私は目的を果たすために腰を上げた。
「リヴァーレ、勇者ヒンメルたちがここまで来るのにあとどれくらい掛かりますか」
「…リーベの予想が正しければ5、6時間といったところだな」
「では…」
「待ってよ」
私の言葉をソリテールが遮った。
相変わらず俯いたままで表情はわからない。
「彼は魔王様から勅令を受けた魔族よ。彼を連れて魔王城へ向かうことが先決だわ」
「…必要がありますか?」
「魔王様なら彼を目覚めさせることが…多分できる」
確かに、魔王様なら彼を目覚めさせることが可能だろう。
だが、ここから彼を担いだまま飛行魔法を使ったとしても、急いでも数ヶ月は掛かる。
その深い意識の底にいる状態の彼を起こすことができるのか?
できたとして、500年も眠る可能性の意識を呼び覚ますには何十年も掛かるだろう。
魔族を率いる王のすべき仕事ではないし、そもそも魔王様が応じるか分からない。
「却下です。そんな薄い可能性のために今回の機会を無駄にはできません」
「じゃあ、私は今回の任務に参加しないわ」
「一人で彼を運べるとでも?」
「じゃあ、俺もソリテールの意見に賛成するとしよう…2対1だな」
声の方を向くと、リヴァーレが手を挙げていた。
表情にいつもの老獪な笑みはなく、珍しく真顔だった。
「戦士との戦いを一番に好むあなたらしくありませんね」
「たしかに、勇者一行の戦士と拳を交えたいとは思う…だが、それ以上に重要なことがひとつだけある。こいつに作ってしまった”借り”を返さんとな…それまでは互いには死ねんのよ」
リヴァーレから魔力ではなく、戦士特有の闘気のような気配が発せられた。
どうやら引く気は全くないらしい。
私とリヴァーレは同時に残りの一人に目を向けた。
「トート、お前はどうする?」
「ん、私?……まあ、いつもなら興味がないから帰りたいって言ってるところだけど…私が石碑を読んでって言ってリベちゃんこうなったからな……うん、ソリちゃん達についてあげるよ」
「そうか…」
「それに私は、私の次の次の次くらいにはリベちゃん好きだしね」
「お、前回よりも上がったな」
「ふっ、馬鹿だなリヴァーレ、これが吊り橋効果だ……どう、リベちゃんの真似。似てた?」
「30点くらいだな…よし3対1だ」
私を除いて何やら一致団結の雰囲気を出している面々に対して私は頭を抱える。
選んだ時には最高の人選だと思ったが、リーベを始めとして全く私に従わない。
本当に、思い通りに運ばない下らない旅だった。
私は分かり切ったその言葉を告げる。
「何を勘違いしているんですか?最初から4対0で満場一致です」
「!」
俯いた顔のソリテールがようやく顔を上げる。
思ったよりも酷い顔していたので、私は彼女の方を見ないようにリーベだけを見つめたまま話を続ける。
「私の精神魔法でも到達はできなかった深層の記憶です。今回をおいてそれを見る機会はないでしょう…恐らく彼はすでに女神の魔法をいくつか解読している。その知識は将来的に魔族の役に立つはずです」
あの山小屋で
あの強固な精神防御が焼き切れているなら私にとっては幸いだ。
何より私は、全知のシュラハトから”彼を死なせない”ようにと、命令を受けている。
「トート、ソリテール…彼の残った精神防御の防衛攻撃を回避する手助けを頼みます」
「え、今から?でも…」
「私は七崩賢の奇跡のグラオザームです。”3時間”で終わらせましょう」
この程度の不可能を可能にせずして何か『奇跡』か。
なればこそ、我ら7人は七崩賢を名乗れたのだから。
「ああ、本当に。シュラハトの言う通りに近づかなければ良かったですね…」
私は頭痛のタネのその顔に手を添えて、彼の精神へと潜った。
リーベ「玉ねぎ嫌い…」
自称姉「ふ、情けないなリーベ…私のピーマンとトレードだ」
お母様「おい、好き嫌いはダメだぞ我が子たちよ…仕方ない、アタシのトマトと交換だ」