1話
「わらわが当主になればいいのでしょう、雪斎さん」
「……」
氏元に対する雪斎は無表情のまま、茶を静かに飲む。
「姉上……」
氏元の隣に座る瓜二つの少女が氏元を見て呟く。氏元の双子の妹の氏真である。雪斎と氏元と氏真が話をしている場所は寺である。氏元、氏真の二人が寺に預けられているためである。それには二人の出生が関係する。
二人は戦国大名である今川氏親の娘として生を受けた。二人が産まれた時にはすでに兄がおり、二人は本来なら、姫として育てられるはずだった。しかし、時代がそれを許さなかった。
姫武将。男であろうと、女であろうと大名の第一子が家督を継ぐという考えから産まれた存在。実際、大名の世継ぎが女である家は少なからずあった。そのため、二人のことを寺に送ることに決めた。氏元、氏真の父、氏親と母、寿桂尼である。二人は姫武将の存在を重く見た。氏親の死後、家督相続が起こることを二人は恐れたのだ。今川は足利将軍家に連なる家である。名家である今川家にとって、家督相続の様な家が滅びる可能性はできるだけ排除しておきたかったのだ。姫と言えども、誰が姫武将として担いで家督を奪おうとするか、分からなかった。実際に氏親も家督相続の結果、家督を継いだ大名の一人であったことも決断を後押しした。家督争いを避けるため、二人は双子を寺に預けることにしたのだ。家を護る。戦国の世でそれは大事であった。
その様な経緯から二人は五歳になった日に寺に預けられた。五歳の子供にとってそれは突然のことだった。氏元も氏真も大泣きし、母様、父様と言い続けた。二人とも最後は諦め、寺で過ごすことにした。二人はその日からずっと京都の寺で過ごして来た。
それから数年間、今川からはほとんど連絡は無かった。
しかし、二人はまだ8歳だった時、二人の父親、氏親は亡くなった。京の寺にいた二人は養育係である雪斎に連れられ駿河に戻り、葬儀に出席したが、待っていたのは冷たくなった父だった。二人は雪斎と共にそのまま駿河の寺に残った。それから度々、雪斎は駿河にある今川館に呼ばれる様になった。
今日も雪斎は昼に今川の駿河館に呼ばれた。帰って来た雪斎は氏元を呼んだ。雪斎は氏元だけに用事があったのだが、氏真も双子の妹ということで同席させることにした。二人には呼ばれた理由は粗方分かっていた。
雪斎の話は寺を出て今川の当主の就く様に、との今川宗家からの要請であった。
家督は長子である氏輝が継いだ。しかし、すぐに亡くなった。家督を継いで2年目のことである。急死だった。
家督を誰に継がせるか、その会議がすぐに始まった。前当主、氏輝の母、寿桂尼や他の重臣は寿桂尼の子である氏元を押した。氏元の本来の名前は菊であるが、氏輝が存命の時、一門として還俗させる計画があったため、今は氏元となっていた。本来なら、そこで家督が決まり、後は氏元に話をつけるだけのはずだった。
そこに横槍を入れた人物がいた。福島正成という重臣である。正成の娘は氏親の側室であり、子もいた。現在は氏元と同様、寺に預けられており、名前は玄広恵探と言い、氏元よりは年上である。しかし、正室の子ではないということで、他の重臣は玄広恵探ではなく、氏元を選んでいたのだが、福島一族全員が玄広恵探を押したため、話し合いは結局まとまらずに終わった。その後も寿桂尼が正成を説得したが、話は平行線のままであった。そんな時、正成が玄広恵探を寺から自分の城へ招き入れたのだ。これにより、お家騒動は避けられないと判断した氏元派は氏元を駿河の今川館に呼ぶことにしたのだ。
「姉上に姉様を討てと言うのですか?」
氏真の声は少し怒気を含んでいた。そんなこと等気にしないという風に氏元は言う。
「雪斎さん、お話は分かりましたわ。私が今川の当主になりますわ」
「……姉上!」
「負けるかもしれませんぞ」
雪斎は氏元に脅しを掛ける。
「……分かっておりますわ」
「では、明日の朝までに準備をお願いします」
氏元が承諾した。それで全てが決まった。氏真が何を言おうと、この場で求められているのは氏元の意思の確認だけなのだ。
氏元の一声で氏元の承諾が得られた雪斎は寺の外で待っていた今川の侍に返事を言って寺に戻る。雪斎は寺の廊下を歩いていると、氏真に会った。
「……雪斎様」
「何ですかな、氏真様」
氏真は雪斎を師として尊敬していることもあり、様をつけ、雪斎は氏真が自分の仕える大名家の子ということで様をつけていた。しかし、今の氏真の目には明らかな怒気が籠っていた。
「雪斎様、何故です。何故、姉上が当主になる必要があるんですか?」
「それを今川が望んだからです」
雪斎は少し哀しい顔で答える。
「私達を勝手に捨てておいて、次は勝手に当主になれ。こんなおかしな道理がありますか?」
「氏真様は間違えております。そなたの親は何もそなた達を捨てたのではない。そなた達のことを思って儂に預けたのです」
聡明な氏真様が理解していないはずはない、と雪斎は言う。そう言われた氏真は少し顔を歪ませて、ですが、と続ける。
「ですが、勝手すぎます……」
「しかし、不条理はこの世の定め。氏真様が思っているほど、簡単に抗えるものではない」
氏真はまだ納得してはいない様であるが、これ以上、言っても無駄ということは理解した様だ。
「それなら、雪斎様。私も連れて行って下さい」
「何故ですかな?」
「姉上が家督を継ぐのなら、私はそれを支えます」
急に話題を変えた氏真に雪斎はその真意を聞き出そうとした。
「それはそなたの本心かの」
「はい、姉上が当主になるなら、私はそれを支えます」
「嘘です」
「……っ!」
5歳の頃から二人を見て来た雪斎には氏真の嘘を見抜くのは簡単だった。
「……姉上と離れたくありません」
「……分かりました」
簡単であった。今年で10歳になる氏真はまだ子供。一人にはなりたくなかった。氏真には父と母の記憶は少ない。そのため、今の氏真にとって信頼できる身内は氏元だけである。
「本当は恐いんです。姉上がいなくなるんじゃないか、戦から帰ってこないんじゃないか。姉上が危ない目に会うくらいなら、玄広恵探様が家督を継ぐ方が……」
氏真は涙目になって言葉を紡いだ。
「心配せずともよい。戦は儂がする。氏真様は何も心配する事はありませぬ」
それを聞いて氏真は黙り込むが、目力を込めて雪斎を見て言う。
「……私も————」
「私も……?」
雪斎は氏真の言葉を反芻し、続きを促す。
「私も連れて行って下さい!」
「なら、儂と約束して下され」
「何でしょうか?」
雪斎は一息置いてから言う。
「絶対に無茶はしないで下され」
「……はい!」
そう言う氏真の目は姉の役に立つ、その思いしか映していなかった。恐らく、雪斎の言葉は耳に入っていない。
「それでは、そなたも準備しなさい」
「はい!」
氏真は自分にできることがあると知り、姉上のために頑張ろうと思いながら自分の部屋へと帰って行った。
「姉思いのかわいい娘じゃのう」
雪斎は誰もいなくなった廊下で佇む。
(姉よりも少し賢く、加えて底抜けに優しい。それに自分の危険はおかまいなしの様じゃな、それとも、姉が心配でそこまで頭が回らんか……)
二人の養育係を務めている雪斎双子に対して情は湧いていた。しかし、それだけでは生きては行けない。
(今回のお家騒動でも、もし、氏元が家督をほしがらなければ、福島の勝ち。そうなれば、そうなったで、氏元様も氏真様も恐らく、斬られていただろうの)
福島にとって双子は邪魔なのだ。仮に争わずに家督をとっても、玄広恵探に不満を持つ家臣が双子を謀反の中心として担ぎだされることは自明の理である。
(結局、あの二人が生き残るには玄広恵探と争って勝つしかないのか)
雪斎はそれを理解していた。もし、氏元が当主にならないと言った場合の手も考えていたが、それについては問題なかった。
もともと、氏元は物事に対し、不真面目なところがある。それに面倒事が嫌いである。
氏真は姉に比べ、物覚えが良く賢い。最悪、雪斎はそんな氏真を利用するつもりだった。氏真に氏元の命が危ない事を理解させ、説得させるか、氏真を当主として担ぐ。もう双子の運命はそうするしか選択肢は残されていなかった。
部屋に戻った氏真は荷物の整理をしていた。
「氏真、何をしているの?」
氏真が後ろを見ると、姉の氏元が入り口に立っていた。
「姉上、私も一緒に行きます。姉上だけ戦場には行かせません」
「氏真……ありがとう」
氏元はそう言うと、氏真に歩み寄った。
「姉上、私達は双子なんですから、どこに行くのも一緒です」
「氏真の言う通りですわ。私達はいつも一緒です」
氏元と氏真は産まれた時から一緒である。相手が何を考えているのか、大体分かる。二人とも不安なのだ。何も考えていない様に見える氏元でも戦は恐い。戦は知らなくても、戦で人が死ぬことぐらいは分かっている。そして、氏真も同じく恐かった。
「姉上、何故家督を継ごうと思ったのですか?」
氏真が聞くと、氏元はきょとんとした顔で答えた。
「なりたいから言っただけですわ」
氏元は何も考えていなかった。氏真は呆れた。
「戦が恐いのに、ですか……」
「なってみたいんですから、仕方ないでしょ!」
「姉上らしいです……」
氏真は笑い出した。
「氏真こそ、戦が恐いのにどうして行こうと?」
「行きたいんですから、仕方ないです!」
今度は氏元が笑い出す番だった。最近は一人部屋をもらったため、別々の部屋で寝ていた二人だが、その日は二人で一緒に寝ることにした。
「姉上」
「何ですか?」
「何でも無いです」
「……」
そこで会話が終わる。
「氏真」
「何ですか、姉上?」
「何でも無いですわ」
「……」
また、会話が途切れる。唯の呼びかけ。他人が聞けば、意味の無い会話だった。それでも、二人にとってそれは何か意味があったのかもしれない。
「姉上」
「何ですか?」
「静かですね」
「ええ、静かですわ」
その会話を最後に二人は静かな寝息を立て始めた。