今川狐姫   作:潜水ラクダ

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5話

 あの日以来、小さな小競り合いはあっても両軍の大きな衝突はなかった。それも今日で終わる。今度は義元が総大将として相手の城を攻撃する。これに勝てれば、もう勝ちは決定になる。攻める城は方ノ上城。ここを落とせば本拠地である花倉城を孤立させることができる。氏真と義元が聞かされたり、教えられたりして得た情報である。

 

二人はこの一週間で付け焼き刃の武術や戦の知識、今の状況、姫武将の事を教えられ続けた。武家の作法等は後回しにされたが、それでも覚える事は多かった。

 

「氏真、行ってきますわ」

「はい、姉上……気をつけて」

 

 具足を身につけた義元はまだ身長が小さく、大人には幼くかわいく見えるのだが、氏真にはとても凛々しく見えた。これから初陣を迎える義元は不安そうにしているが、姉であるためか、必死でそうでない様に振る舞っていた。それが逆に目立ち、氏真には気付かれていたが、氏真は何も言わなかった。

 

 姉を見送った氏真は書物を読み始めるが、義元の事が気になり、集中できない。雪斎から読んでおく様に言われた本であるが、無理に読んでも全く頭に入らないので止める。しかし、何もしないでいると、義元が気になる。そこで氏真は以前読んだ書物を軽く読み返す事にした。その書物には今川家の事や氏真の父親、氏親の行った事を簡単にまとめられている。

 

 義元や氏真の覚えが悪かったために、雪斎や母親の寿桂尼がまとめたのである。

 

 そもそも、今川家とは何か。この辺りは義元と氏真には想像しにくい話であまり分かっていない。

 

 今川は戦国時代の前から続く名誉ある家である。先祖は足利家に連なる。祖父の代には駿河の守護大名であった。要は、駿河の統治を任された大名である。遠江の守護も任されていたが、氏真の祖父、義忠の時代に守護の地位を喪失。父氏親の時代に再び遠江守護を得る。領土面では守護の有無と時期は異なるが、祖父の代に遠江を失い、父の代で再び取り戻した。こうして駿河・遠江の二国を統治する大名へとなる。これが近年の今川の歴史である。

 

 氏真が今読んでいる本にはこの他にも様々な事が記されているが、あまり理解できていない。雪斎や寿桂尼も全てを理解できるとは思っていないと考えられるが。

 

 今の氏真が理解できている事は今川家が凄い名家である事、領土が二カ国の大名である事の二つである。年齢等を考えれば十分である。

 

 そうなると、現在の状況はどうなっているのか。玄広恵探を押す福島勢は今川館より西に位置する方ノ上城、花倉城を主な拠点としている。方ノ上城の南に花倉城が位置している。どちらも駿河にある城である。ちなみに今攻めている城は方ノ上城である。

 

「姫様!」

 

 家臣の中でこの呼び方をするのは由比正信だけである。義元のことも姫様と呼んでいたりするので、時々混乱する。理由を聞きくかったが、報告の方が氏真は気になった。

 

「方ノ上城、落城です」

「姉上は?」

 

 今、聞きたい事は戦の結果ではない。義元の無事である。正信は恐らく無事かと、と言って明言しなかった。

 

 勝ちよりも安否の報告を聞きたかった氏真は余計に義元の安否が気になり、知りたい事を知らない正信に少し苛立ちを覚えた。

 

「報告ありがとうございました。下がって下さい」

 

 正信は氏真の命を聞かずに言葉を続けた。

 

「姫様。姫様も出陣の準備を!」

「出陣の準備?」

 

 出陣の要請にさっきまでの苛立ちは吹き飛んで聞き返す。

 

「方ノ上城を落とせたなら、このまま勢いに乗り、花倉城を攻め落とすための総攻撃をかける、と————」

 

 そこで正信は一息入れる。

 

「————姫様が言っておったそうです」

 

 氏真は一瞬混乱したが、義元がそんな命を下した事に驚き、瞬きする。

 

(雪斎様に何か言われたのでしょうか?)

 

 今までに義元は家臣達に形式上の命令はいくつか下していた。全て家臣達や雪斎が進言した決定事項を義元の口を通して義元の命としただけである。しかし、雪斎は今城内にいる。

 

(姉上が自分で言い出した?)

 

 自分で勝手に、と氏真は頭が痛くなる。自分なら絶対に下さない命だから。戦のいろはを知りも知らない小娘がそんな事をすれば、敗北するかもしれない。小心な所がある氏真は気分が悪くなるが、姉であり、当主である義元も命である。従わない訳にはいかない。

 

 氏真は準備してすぐに城を出る。それでも、突然の事で時間がかかり、出陣は次の日になった。氏真はまだ馬には乗れなかったために輿が用意された。他の者が馬に乗ったり、歩いたりしている様子を見て、馬に乗れる様になりたい、と氏真は密かに思った。

 

 今川館と花倉城はかなり離れているわけではない。氏真の軍は昼間には出て夕刻には花倉城付近に着いていた。

 

「姉上はどこに?」

 

 輿に乗っていたためにお尻が痛かったが、義元が無事かどうかが気になって仕方が無かった。そのため、義元の陣が分かった途端にそこに向かって一人で走って行った。

 

「姉上!」

 

 陣に入ると、義元はいた。見た所、疲れが顔に出ているが、傷らしい傷は無く、無事だった。周りにも家臣がいるが、氏真は義元に近づこうとする。しかし、義元の言葉に止められた。

 

「氏真、そこに座りなさい」

「は、はい!」

 

 義元の有無を言わさぬ雰囲気を漂わせ、氏真に命じた。氏真は義元が指示する椅子に座る。その後に陣に入ってきた正信が氏真の隣りに座ると、全員揃ったとばかりに義元の近くに控えている雪斎が仕切る。

 

「昨日、方ノ上城は落ち、残るは花倉城のみである。そこで今いる軍勢で城を囲み、攻撃を加える」

 

 雪斎の作戦を簡単に言うと、力押しである。数の減った福島勢を滅ぼすつもりなのだ。

 

 城攻めでは城を護っている戦力の三倍から十倍の戦力が必要とされるが、大凡十分な数である。

 

 戦場での軍義は始めての氏真であったが、どうにか正信の助けもあって恙無く終える事ができた。

 

 軍義が終えると、家臣達は出て行くが、氏真は最後まで残っていた。最後には義元と雪斎になったが、雪斎は何も言わずに出て行き、義元と氏真だけになる。

 

「姉上……」

「……勝ちましたわ」

 

 義元は疲れた顔に嘲笑の様な笑みを浮かべて呟く。

 

「……」

「……全く恐くなかったですわ」

「……私の軍はずっと勝っていて余裕でしたわ」

 

 義元の顔は笑みではなく歪んだ顔になっていく。必死で自分の感情に嘘を吐く義元に氏真は耐えきれない。

 

「嘘です」

「嘘じゃないわ」

「嘘」

「嘘じゃない」

「嘘っ!」

「違う!」

 

 最後は口喧嘩になった。嘘だと言い続ける氏真とそれを否定する義元の意地の張り合いである。実は頑固な二人は中々折れない。しかし、今回に限ってはすぐに終わった。言い合いの内に義元が泣き出したのだ。これを見て氏真は目を見開くだけで何も言えない。普段の喧嘩であれば、勝ち負けがついて終わりである。それも氏真の負けで終わる事が殆どだった。義元が負けてしまうのを見た氏真は久しぶりの事で呆気にとられてしまったのだ。

 

「……本当は、恐かったですわ」

 

 氏真が喋ろうとするが、でも、という義元の言葉でタイミングを逃す。

 

「雪斎さんが……ぐす…………恐いと思っても……恐いと言うな、と、言いましたもの!」

「……!」

 

 私頑張りましたと言って泣き続ける義元。氏真はそれを見てわなわなと震えながら、椅子から立ち上がって義元に近づいていって義元の目の前に立つ。

 

「……氏真?」

「……ぐす…………姉上」

 

 泣いている義元を見ていて氏真も悲しくなって泣き出した。もらい泣きである。それに釣られて義元はさらに大泣きする。二人はずっと抱き合って泣き続ける。

 

 二人は目を赤くしながらも数分で落ち着いた。誰もいない陣からは花倉城が見える。方ノ上城と同じ山城である。山に作られているから山城。防御に優れている。

 

「今、立てこもっている玄広恵探様はどんなお気持ちなのでしょうか?」

「分かりませんけど、いい気持ちではないでしょうね」

 

 当分会っていない姉は今どのように過ごしているのだろう。そして、この戦で義元が勝てばどうなるのだろう。子供の喧嘩であれば、いつもの義元と氏真の様にごめんなさい、でいいが、それで済むはずがない事は明らか。二人ともどうなるか、大体想像はつくが、上手く想像できなかった。足軽の様に戦場で倒れる死はすでに何度も見ているが、そうではない。捕らえた弱者を一方的に殺す事を想像できなかった。

 

 山城はその特徴から大きくない。山の上にあるために建てにくいからだ。つまり、立てこもれる人数も少ない。いくら防御に優れていても、数で立ち向かえば落ちるのも時間の問題である。

 

「姫武将は出家すれば許されるわ……」

「ええ、そうですね」

 

 姫武将は武将であっても女である。男ではない。男であれば切腹や斬首でも、女であれば、出家で許される。しかし、許されない場合もある。

 

「雪斎様は……どうでしょうか?」

「……」

 

 分かっている。義元も氏真も雪斎がこういう事では容赦しない事を知っている。

 

「私達で捕らえてしまいましょう!」

 

 義元は名案とばかりに手を合わせて顔を輝かせる。

 

「捕らえて、私が命令して助ければいいんですわ!」

 

 氏真も理解した。そうすれば、玄広恵探は助かる。一番上の命令は絶対。誰も逆らわない。そんな子供じみた計画を二人は練っていく。もちろん、自分の周りには二人が思い描く『善人』しかいないという前提があるが。

 

 そして、義元と氏真の様子を伺っていた雪斎は二人からは見えない所から無表情で眺めていた。何を見て、何を思っているのか、本人しか分からない。

 

 

 

 

 

 朝から城を攻める。それは昨日の予定通りだ。それに加えて、義元が朝の段階で玄広恵探は捕縛せよ、と全軍に指示を出した。

 

 戦いは追いつめられた福島正成の軍勢の強固な抵抗と義元勢の数に任せた強烈な攻めで攻防戦は熾烈なものになった。

 

「まだ城は落ちませんの?」

 

 義元は思い通りにならないため、焦っている。氏真は義元の隣りで何も喋らず城を眺め続ける。

 

(何を思ってここまで戦うのですか?)

 

 降伏すればまだ生きられるかもしれないのに。武士という生き物を理解しきれていない氏真には死を選ぶ者の考えが読めない。

 

「義元様!! お味方、城を落としましてございます」

「玄広恵探はどうした!?」

「城から落ち延び逃走中です」

「探せ、逃がしてはならん。抵抗するならその場で殺せ」

 

 雪斎の無情な言葉が伝令役に、義元に、氏真に、届く。義元が反論しようとするが、雪斎の威圧するかの如く眼光に睨まれ何も言えない。

 

「では、私が出ます」

「氏真様が出るとおっしゃいますか」

 

 総大将である義元は陣から動けない。そこで、氏真は動く事ができる自分が出ると言う。だが、それは必要なかった。

 

「花倉城、陥落」

 

 伝令が陣に走り込んで来て伝える。その数分後に別の伝令が入ってくる。

 

「玄広恵探、捕らえました!」

 

 玄広恵探は捕まった。けれど、福島正成初め、福島一族の多くは逃亡していた。

 

 雪斎達、重臣は首謀者福島正成を討ち取るため、すぐに追っ手を差し向ける。義元と氏真は今川館へと戻る事になった。玄広恵探も連れて。

 

 玄広恵探を捕らえた。義元と氏真の計画通りである。けれど、不安しか感じない氏真だった。

 

 輿で揺られながら城に戻った氏真はすぐに輿から降りて義元の輿の側へと駆け寄る。義元が降りて見たものは氏真だった。氏真は一言告げる。

 

「おかえりなさい、姉上」

 

 義元は最初ぽかんとした顔で氏真を見るが、城から出る時に氏真に言われた言葉をすぐに思い出した様で。

 

「ただいま、氏真」

 

 さらに、義元はそれに一言付け加える。

 

「おかえり、氏真」

「はい、姉上。ただいま帰りました」

 

 これから夏に入っていこうとする駿河の空はまだ梅雨の雲を残していた。

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