今川狐姫   作:潜水ラクダ

6 / 8
6話

 花倉城は抵抗空しく降伏した。玄広恵探は捕らえられ、福島正成やその一族は散り散りになって逃亡。玄広恵探という大きな柱を失った事で今回の家督争いは義元の勝利と言ってよかった。

 

 その後、雪斎達、重臣達は福島正成等の今回の首謀者を討ち取るためにすぐさま兵を送り出した。完全な勝利を得るためだ。

 

 義元と氏真は今川館の牢屋で玄広恵探と謁見していた。玄広恵探は今川館にある牢屋に閉じ込められていた。

 

 双子は玄広恵探と会った事がある。父である氏親の葬式の時である。それが二人の記憶の中の一回目である。二回目は悲しい再開になった。

 

「久しぶりね、菊、辰」

「……今は義元ですわ、末さん」

「そうだったわ。それと私の名前は玄広恵探……いいえ、違うわ」

「どういう意味ですか、玄広恵探様」

「還俗したから名前も変えたの、今は今川良真」

 

 牢の中の小娘は、もう意味もないけど、と自嘲する。玄広恵探、改め、良真は二人の姉に当たり、歳は二歳程上である。双子とは似てはいないが、歳相応の幼さを持った少女であった。それも捕まってからそのまま牢獄に入れられたために、顔も服も汚れていた。

 

「正成はどこに逃げたのですか?」

「知らないわ、皆同じ事ばっかり……」

 

 良真は何度も聞かれた問いにそっけなく応える。

 

「私は正成に連れて来られただけだし、何も知らないわ」

 

 聞く人が聞けば、言い逃れにも聞こえるが、氏真には本当の事にしか聞こえなかった。氏真がそういった感性に秀でているのか、単に純粋なのかは分からないが。

 

「家督なんて興味も無かったのに————何でこんな事になったのかしら」

 

 良真の目はすでに死んでいた。自分の運命を悟った目だった。これ以上は何も良真は話さなかった。

 

 義元と氏真は悲壮感が漂うこの場所を後にする。

 

「……無理ですわ」

 

 義元が弱音を吐く。

 

「雪斎さんも他の家臣も良真は絶対に斬るべきだと言って聞きませんわ」

「姉上……」

 

 良真を生かす理由はどこにもないのだ。生かせば、別の者が焚き付け、新たな火種になる。そうでなくとも、次は自分自身の意思で歯向かうかもしれない。今の良真は薪である。火さえあれば、いつでも燃え上がる。

 

 氏真もそれは理解している。それでも、自分の身内である良真を見殺しにできない。氏真の幼心では耐えきれないのだ。恐らく、義元もそうなのだろう。だから、二人して良真を救う妙案はないか、と良真を尋ねる等と、あっちこっち迷走している。

 

(私達じゃ家臣を納得させる事ができない)

 

 氏真の様な少女の意見を誰が聞くのか。それに、姫武将の浸透していない駿河では、姫武将を下に見る者も多い。

 

「そうですわ!!」

「姉上、何か思いついたのですか?」

「氏真、私達が親綱や正信を説得して彼らの口から他の者を説得してもらえばいいのですわ」

 

 義元の策は、二人の初陣の際に近くにいた岡部親綱や由比正信を説得して彼らをこちら側に取り込んでしまおう、という作戦である。

 

 いくら当主であっても、独断専行しては、家臣は付いて来ないのだ。ましてや、家臣全員が反対することを若い義元が感情論だけで無理矢理押し進めれば、それこそ謀反が起こる。

 

 しかし、家臣の中に良真を許すという考えの者がいれば、義元も自分の意思を通しやすくなる。さらに、その家臣が上手く他の家臣を納得させれば、全て上手く収まるのだ。

 

「私が親綱で、氏真が正信でお願いしますわ」

 

 姉が出した案が必ず成功すると何の根拠もなく思う氏真は目的の正信を探すために義元と別れる。ここで雪斎を候補に挙げない二人は子供ながらに利口なのかもしれない。雪斎は優しい。優しいが、厳しい。二人の案を聞き入れてくれる可能性は低い。

 

「ま〜さのぶ」

「これは、氏真様、いかがなされた?」

 

 正信は姫様とは呼ばず、氏真様と呼ぶ。これは昨日、義元が、どちらを呼んでいるか分かりませんわ、と注意したためである。結局、二人を姫様と呼んでいた理由は聞けなかったので残念だったのは氏真である。

 

「聞きたいことがあるのです」

「何ですかな?」

 

 正信は戦場でなければ、それなりに優しい。氏真や義元と話す時限定であるかもしれないが。今、この時も正信は正に孫と話す好々爺である。

 

「良真様を救いたいのですが、どうすればいいですか?」

 

 良い手が考えつかなかった氏真は直球を正信にぶつける。正信は一瞬眉間にしわを寄せた後、氏真と同じ高さに目線を合わせる。

 

「氏真様はお優しいお方じゃ。ですが、今回は諦めなされ」

「何故ですか?」

「良真様は義元様に歯向かったのです。それを誅するは当たり前の事」

「良真様は私と同じ歳頃です。それでも、殺すのですか?」

 

 氏真は涙目になって訴える。これは演技ではなく本物の涙である。流石の正信もこれには少したじろいだ。

 

「……氏真様、駄目です」

 

 出てくる言葉は否定の言葉である。

 

「仮に彼女がこれから先、義元様に忠誠を誓う、と言ったとしてもそれを証明できるものがありませぬ。あったとしても納得しない家臣もおりましょう」

 

 正信は氏真の反論の言葉を少しずつ奪っていく。

 

「出家すれば、命までは取らないと言っていたではないですか?」

「ですが、良真様は還俗しております。出家してもまた同じ事を繰り返すかもしれませぬ」

 

 氏真は追い込まれる。

 

「分かりました。私が勝手にやります」

 

 氏真は諦める。

 

「氏真様……」

 

 氏真は正信を置いて一人歩き出す。氏真の表情は何も諦めていなかった。残される正信は立ち止まったまま、去っていく氏真の背を見ていた。

 

「血は争えぬのう……」

 

 氏真は良真を助ける術を必死に探した。しかし、政治や策略に疎い氏真は何一つ思いつかなかった。そして、日が暮れる頃には一つの結論に至る。

 

「姉上、ただ今戻りました」

 

 氏真は部屋に戻り、義元の顔を見るや否や、義元も失敗した事を悟る。たかが幼子二人ができる事は限られているのだ。

 

「姉上……」

「氏真……」

 

 二人はお互いの表情で成功か失敗か瞬時に分かる。

 

「失敗しました……」

「わらわも……」

「……姉上、もしもの時は私が斬ります」

 

 恐らく、氏真本人が斬ることはまずない。氏真ができる事はその場で命令を下すことであろう。

 

「氏真!!」

「姉上、言い出したのは私です。私がけじめはつけます」

 

 氏真の目は本気だった。誰も氏真を止められないだろう。

 

「小度の沙汰がどうなろうと、最後は私が終わらせます」

 

 義元が氏真に勝てない時があるとしたらこの時である。氏真は自分で悩みに悩んで納得して決めた事は何があってもやるのだ。

 

「……私も立ち会いますわ」

 

 義元は氏真の目の前に立つ。

 

「私もそれくらいできますもの」

「……」

 

 氏真は何も言わなかった。

 

 次の日。良真の処遇について決めるため、家臣達が集まった。この時、義元も氏真も半ば諦めていた。

 

「先に捕らえた良真でございますが、処遇は話し合う必要もありませぬ。斬首でよろしいですかな?」

 

 雪斎の淡々とした喋りが場に響き渡る。誰も反対しようとしない。氏真はせめてもの思いでその斬首の役目を引き受けるために、声を挙げようとする。

 

「待って下さらぬか」

 

 氏真よりも先に正信が雪斎の申し出に意見を述べる。

 

「小度について、良真様は唯担ぎ出されただけにございまする。ここは情けを掛けてはいかがでござろう」

「正信殿。それは本気で言っておられるのか!」

 

 岡部親綱である。他の者は今回の戦の功労者としては正信や親綱に一歩劣るため、口を出しにくい状態である。この場では正信と親綱の一騎打ちとなる。

 

「儂は正気でございます」

 

 正信は一際大きな声でそう主張した。

 

「現在、我が今川家は家督争いこそ勝利しましたが、遠江では地侍の反乱が続いております。これに三河の松平が介入すれば、遠江を護れるかどうかも怪しくなり申す。さらに、東三河の戸塚や西郷、甲斐の武田が動かぬ保障はどこにもありませぬ」

「そこで、良真様を敢えて許す事で遠江の地侍共に和睦の機会を与えよう、と」

 

 雪斎の補足で氏真にも話が見えてきた。今川家は未だに危機的な状況から抜け出していないのだ。先の戦は言わば身内の争い。自らの国力をすり減らしたに過ぎない。そんな時に領国での反乱。これ以上の消耗は避けるべきである。正信は良真を使ってそれを避けようとしているのだ。

 

「奴らも引くに引けないだけでございましょう。ここは新しい当主である義元様の度量を示すがよろしいか、と」

「それでは、奴らがつけあがるだけではござらんか」

「そこはこれからの義元様次第でござる」

 

 正信は義元、そして、ちらりと横目で氏真を見てそう答える。

 

「まずはこの一連の争いを一先ず収める事が肝要でしょう」

 

 正信の筋の通った申し立てに家臣達の半数以上は頷くか、賛成の様な態度を示す。しかし、一部の者は未だ不満を持っている様で決定とまでは行きそうに無い。

 

「正信殿の案で良いと思いますが、いくつか、問題がありましょう」

「分かっておる……」

「まず、良真様本人が義元様に歯向かう意思がない事の証明ができませぬ。それに良真様を生かす事そのものに意を唱える者も数多くおりましょう」

 

 謀反を起こした者を生かす事もまた危ない事である。

 

「そこで良真殿に反乱の鎮圧をしてもらうのはどうでしょうか?」

 

 それなら義元への忠義を示す事もでき、かつ、良真を見た地侍も降伏するかもしれない。氏真はこうするしかないのか、と思案するが、代替案は見つかりそうにない。氏真はならば、と一つの決心を固める。

 

「まずは、良真様にそのつもりがあればの話ですがの……」

 

 氏真はここで初めて口を出した。

 

「私が良真様を説得と反乱の鎮圧の監視をします」

「氏真様、ですが……」

 

 雪斎がかなり驚いた様子で氏真を止めようとする。

 

「今は早急に国内をまとめる必要なのでしょう?」

「それはそうですが、氏真様である必要はありませぬ」

「ですが、私が監視でいてそれでも良真様が不穏な事をしなければ、それは立派な忠義の証明になると思いますが、どうでしょうか?」

 

 良真もまだ子供である。おかしな行動をすればすぐに大人の武将達には分かる。ましてや、憎しみ等の負の感情を隠し通せる様な腹芸は不可能である。氏真の提案は氏真の危険という意味以外では策として合格点ではあった。

 雪斎は自身の孫の様な存在である氏真を止めようとするが、氏真は拒否した。雪斎は次に義元を見るが、義元は氏真を心配そうに見るだけで止めようとはしなかった。

 

「では、儂も同行いたします」

 

 正信が今川館の防衛時と同様に氏真の下に付くと言い、大まかな事は決定になった。

 

「氏真様!」

 

 話が終わり、義元と氏真が一緒に部屋に戻ろうとしていると、雪斎に声を掛けられる。

 

「何故あのようなことを!?」

「……何故、ですか」

 

 氏真は顔を少し悩んで雪斎に一言言う。

 

「……後悔するから?」

「氏真様、そのような甘い考えなら————」

「雪斎、黙りなさい」

 

 義元が雪斎にこれ以上は言わせなかった。

 

「氏真、あなたは準備があるのですから、先に行って下さいな」

「えぇ、分かりました」

「氏真様!」

 

 氏真は雪斎が止める間もなく、行ってしまう。

 

「義元様、どういうおつもりですか?」

「今の氏真を止める事なんてできませんわ。あの子はこういう時は一途だから」

 

 義元の意味深な発言に雪斎は首をひねる。

 

「それとも昔よりもできる事が一気に広がったからかしら」

「何を言っておられるのですか?」

「分かりませんこと?」

 

 義元は笑って決して雪斎には話さない。しかし、雪斎も頭の回転は早く、意味はすぐに分かった様だった。

 

「……飛べる様になった雀は空に飛び出していく、という訳ですか」

 

 えぇ、そうですわ、と義元は嬉しそうに微笑んで言う。

 

「鳶を知らぬ雀が逃げ遅れなければよいのですが……」

 

 今度は義元が雪斎の言葉に首をひねる番だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。