兎は再び跳ぶ   作:hoin337

2 / 3
本作はPixiv・アカツキにも同時掲載しています。


第1章 - リワインド

U.A.のカウンセリングルームの窓から、秋の日差しが静かに差し込んでいた。

十五歳になったエリは、小さな指先に力を込める。

まっすぐ伸びた光の線が、空気をわずかに揺らした。

 

「先生……もう大丈夫です。ちゃんとできます」

声は震えていたが、瞳には確かな決意が宿っていた。

「あの時は何もできなかった。でも今は――助けたいんです」

 

机に肘をつきながら座っていた相澤は、しばらく黙っていた。

黒髪の隙間から見えた片目が、ゆっくりとエリを見つめる。

 

「……やめておけ。俺は平気だ」

 

淡々とした声には、長年積もった疲労が滲んでいた。

「もう戦うこともほとんどない。歳も取ったしな」

背もたれに身を預けながら、彼は静かに続けた。

「それに……あまりにも昔に失ったものだ。もしおまえが巻き戻せば、副作用が出るかもしれん」

息を整え、低く付け加えた。

「この八年で積み重ねた記憶を、失うかもしれない」

 

エリの指先の光が消えた。

「でも……」瞳が揺れた。

「先生はいつも私を守ってくれた。今度は私が――守りたいんです」

 

相澤は小さくため息をつくと、わずかに口元を緩めた。

「その気持ちだけで十分だ。おまえがそこまで成長したことが、俺には何より嬉しい」

 

少しの沈黙。

彼は立ち上がった。

 

「それに、おまえの力は一人で抱えるものじゃない。公安に報告する必要がある」

片足が床を軽く叩きながら歩き出す。

「ホークスに会いに行こう。おまえの“リワインド”は、もう国家が共に背負うべき力だ」

 

エリはうなずいた。

だが、その瞳の奥に残った寂しさは消えなかった。

 

静かな足音の先。

透明な隔離壁の中、両手を失って二日目の中堅ヒーローが椅子に座っていた。

手首には生体センサー、こめかみには脳波パッド。

 

相澤は目を細めた。いつでも「抹消」を発動できる距離。

ホークスはモニターのタイムスタンプを確認した。――約48時間前。

 

エリは深呼吸をし、両手を被験者の身体にかざした。

指先が淡く光る。

光が広がり、心拍・体温・脳波が同時に「巻き戻る」。

 

一瞬の閃光。

モニターの波形が乱れ、やがて安定。

失われた手が元の位置へ――皮膚、筋肉、細胞までもが「以前」に収束していく。

 

エリはすぐに手を離した。光が消えた。

相澤は短く目を細めた。

 

被験者が拳を開いた。

感覚が戻っている。信じられないというように、その手を見つめた。

エリは荒い息を整え、額の角を触って確認した。

 

「よし。二日前へのリワインド、成功。停止も正確だ」

相澤が低く言った。

 

ホークスが記録をつけながら微笑む。

「報告書にはこう書こう。“全体時間の巻き戻し、分単位で安定”――だな」

 

「この調子じゃ外科の仕事が減りそうですね」

相澤がわずかに口角を上げた。

「エリの限界を忘れるな。それに――その力を狙う者たちも。八斎會を忘れたわけじゃないだろう」

 

ホークスはうなずいた。

「わかってます。それでも、今日ひとりのヒーローが確かに救われた」

 

彼の笑みの奥、瞳だけが静かに沈んでいた。

 

都市外縁での掃討任務を終えた日。

公安本部の訓練室前、ホークスは花束を手に立っていた。

中心には赤いガーベラ。

 

エレベーターが開き、汗の匂いと共に白い耳が飛び出した。

ルミ――ミルコが満面の笑みで現れた。

 

「なんだよ、ファンクラブでもできたのか?」

花を乱暴に奪い取り、茎を何本か折りながら鼻を近づけた。

「いい香りじゃん」

 

ホークスは肩をすくめた。

「今回の任務もおまえのおかげだ。あれがなけりゃ、また街ひとつ吹き飛んでた」

短く息をつぎ、静かに言葉を足した。

「おめでとう、ルミ」

 

「ヒーローなんてそんなもんさ! 大したことじゃない!」

彼女の高笑いが天井に響いた。

ホークスはその横顔から目を離せなかった。

 

しばらくしてルミは装備室へ向かい、義手と義足を訓練用補助器に交換した。

金属の音と共に、身体が再び兎のように軽くなった。

 

花の香りと鉄の匂いが空気に混じる。

ホークスの瞳には、笑う横顔と――そこに残る“空白”が同時に映った。

 

ルミは右耳の義装を外した。

金属片が「シュッ」と音を立てて外れ、光を受けた古い傷跡がわずかに輝いた。

彼女は何事もないようにそれを脇に置いた。まるで鎧の一部を脱ぎ捨てるように。

 

「今日も走るぞ。おまえはまた見学か?」

「見学専門だ。翼もないしな。拍手だけは得意だぜ」

「太るぞ、局長」

 

笑いながら、ルミは鉄柱を蹴り上げた。

義手と義足がぶつかるたび、重い音が訓練室を震わせた。

ホークスは腕を組み、目を逸らせなかった。

 

(あの頃と同じだ……)

まだすべてを失う前――弾けるような跳躍、轟く衝撃音、汗の光。

“ホークス! 見てな! これがルナ・ラッシュだ!”

笑い声、震える耳。

そして今も、変わらず彼女は前へ跳んでいる。

 

ホークスは心の中で呟いた。

――まさか、こんな未来になるとはな。

 

「おい!」

ルミの声に我に返る。

「またボーっとしてんの? 目が死んでるぞ」

「いや、感動してた。ウェポン・ザ・バニーの必殺アクションにさ」

「感動は後で! 今は一緒に走れ!」

「今日はパス。あんな動き真似したら死ぬ」

「情けないな、局長」

 

再び鉄と鉄がぶつかる音。

ホークスの瞳はただ、その影を追っていた。

 

数日後、公安局長室。

相澤が入ると、ホークスは窓際に背を預けていた。

冗談も笑みもなかった。

 

「どうした、局長」

相澤が椅子を引き、静かに座る。

ホークスは答えず、リモコンを押した。

壁のモニターにニュース映像が流れる。

 

〈ウェポン・ザ・バニー、最新型レールガン装備!〉

ミルコ――兎山ルミが両腕に巨大なレールガンを装着し、

軍用輸送機へと乗り込む姿。

強化義足を履いた彼女が、群衆の歓声に笑顔を返していた。

“ウェポン・ザ・バニー、今も最前線に!”

アナウンサーの声とカメラの閃光が交錯する。

 

映像が止まっても、室内には余韻が残った。

相澤の視線が揺れた。

ホークスはしばらく画面を見つめ、低く呟いた。

 

「……お願いできますか。

リワインドを。」

 

相澤の片目が大きく見開かれた。

短い沈黙。

窓の外の風よりも、ずっと冷たい空気が流れた。




原作を読むたびに、ミルコの姿が忘れられませんでした。
彼女の強さの裏にある孤独や痛みを思うと、どうしても「救われてほしい」と願ってしまって。
この作品は、そんな私のささやかな祈りのようなものです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。