その言葉が、空気の中に滲んだ。
――リワインド。
しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。
天井の照明が微かに唸り、静寂の中でノイズのように響く。
相澤は椅子に腰を下ろしたまま、片手で口元を覆っていた。
何かを言いかけて、しかしやめる。
重い思考は形を結ばぬまま部屋を巡り――
やがて、ゆっくりと言葉となってこぼれ落ちた。
「ホークス。お前も分かっているだろ……エリの“リワインド”は、身体全体を巻き戻す。数日じゃない、八年だ。未知の領域だぞ」
低く落ちた声が、部屋の空気を震わせた。
相澤は額に手を当て、こめかみを指で示す。
「肉体はいいとして……精神はどうだ。下手をすれば、この八年の記憶をすべて失う。今のルミが、消えるかもしれん」
ホークスは無言で指を組み、ゆっくりと頭を垂れた。
長い沈黙ののち、掠れた声が落ちる。
「……オール・フォー・ワンとの戦いで、彼女はあまりにも多くを失いました」
彼の視線は、モニターの中のルミの背に固定されたままだった。
「両腕、右脚、耳の先まで……しかも右脚は、自分で切断した。
リハビリを捨て、最終決戦に臨むために」
一呼吸置き、ホークスはかすかに唇を噛む。
「彼女はただ“失った”んじゃない。戦い続けるために、自らの身体を少しずつ“差し出していった”んです」
相澤はまぶたを伏せた。
「俺は“個性”だけを奪われた。翼――それは俺の一部だが、身体は残っている」
ホークスは空を掴むように手を上げた。
「でも彼女は、全身を削り、自分のすべてを燃やして戦った」
言葉を切り、そっと目を閉じる。
「……局長。俺はいまでも覚えています。
装備なんて何もなく、二本の腕と二本の脚だけで日本中を駆けたルミを。
どんなヴィランも逃さなかった。あれは金属音じゃない、生きた『響き』でした」
モニターの中で、ルミが歓声の中に笑っていた。
ホークスは再び目を閉じ、低く呟く。
「……あの笑顔を、あの身体を返してやりたい。
彼女が守った世界なら、今度は世界が彼女を守るべきでしょう」
相澤は顔を覆った。
長い沈黙ののち、指の隙間からホークスを見る。
再び顔を上げたとき、モニターの中ではまだ群衆が歓声を上げていた。
――眩しすぎるほどに、うるさすぎるほどに。
テレビの中で、ミルコは歓声の波に手を振り続けている。
その笑顔を見つめながら、相澤はまた顔を覆った。
その歓声は、現実よりも残酷に聞こえた。
「……まずはエリと話そう」
掠れた声だったが、揺るぎはなかった。
「それと、ミルコ本人にも会う。だが君も局長として万全を期せ。
エリの保護、メディア対応、そしてミルコのケアだ」
ホークスは小さく息を吸い、肩の力を抜いて頭を下げた。
「ありがとうございます。それと……図々しいですが、俺からの頼みだとは、内密に」
相澤は片眼を細め、疲れとも諦めともつかぬ表情を浮かべる。
「……まったく、厄介なことをしてくれる」
返事の代わりに目を閉じた。その沈黙が、重い承諾だった。
歩きながら、無意識に手をポケットへ突っ込む。
足取りは軽いのに、胸の奥が重く沈んでいた。
自分が動かした歯車の重さを、彼は確かに感じていた。
(もう観客じゃない。翼を失っても、隣に立つことはできる。
彼女を一人で走らせはしない)
彼は顔を上げた。
天井の薄い灯りが瞳に反射し、きらりと光った。
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その言葉が、空気の中に滲んだ。
――リワインド。
しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。
天井の照明が微かに唸り、静寂の中でノイズのように響く。
相澤は椅子に腰を下ろしたまま、片手で口元を覆っていた。
何かを言いかけて、しかしやめる。
重い思考は形を結ばぬまま部屋を巡り――
やがて、ゆっくりと言葉となってこぼれ落ちた。
「ホークス。お前も分かっているだろ……エリの“リワインド”は、身体全体を巻き戻す。数日じゃない、八年だ。未知の領域だぞ」
低く落ちた声が、部屋の空気を震わせた。
相澤は額に手を当て、こめかみを指で示す。
「肉体はいいとして……精神はどうだ。下手をすれば、この八年の記憶をすべて失う。今のルミが、消えるかもしれん」
ホークスは無言で指を組み、ゆっくりと頭を垂れた。
長い沈黙ののち、掠れた声が落ちる。
「……オール・フォー・ワンとの戦いで、彼女はあまりにも多くを失いました」
彼の視線は、モニターの中のルミの背に固定されたままだった。
「両腕、右脚、耳の先まで……しかも右脚は、自分で切断した。
リハビリを捨て、最終決戦に臨むために」
一呼吸置き、ホークスはかすかに唇を噛む。
「彼女はただ“失った”んじゃない。戦い続けるために、自らの身体を少しずつ“差し出していった”んです」
相澤はまぶたを伏せた。
「俺は“個性”だけを奪われた。翼――それは俺の一部だが、身体は残っている」
ホークスは空を掴むように手を上げた。
「でも彼女は、全身を削り、自分のすべてを燃やして戦った」
言葉を切り、そっと目を閉じる。
「……局長。俺はいまでも覚えています。
装備なんて何もなく、二本の腕と二本の脚だけで日本中を駆けたルミを。
どんなヴィランも逃さなかった。あれは金属音じゃない、生きた『響き』でした」
モニターの中で、ルミが歓声の中に笑っていた。
ホークスは再び目を閉じ、低く呟く。
「……あの笑顔を、あの身体を返してやりたい。
彼女が守った世界なら、今度は世界が彼女を守るべきでしょう」
相澤は顔を覆った。
長い沈黙ののち、指の隙間からホークスを見る。
再び顔を上げたとき、モニターの中ではまだ群衆が歓声を上げていた。
――眩しすぎるほどに、うるさすぎるほどに。
テレビの中で、ミルコは歓声の波に手を振り続けている。
その笑顔を見つめながら、相澤はまた顔を覆った。
その歓声は、現実よりも残酷に聞こえた。
「……まずはエリと話そう」
掠れた声だったが、揺るぎはなかった。
「それと、ミルコ本人にも会う。だが君も局長として万全を期せ。
エリの保護、メディア対応、そしてミルコのケアだ」
ホークスは小さく息を吸い、肩の力を抜いて頭を下げた。
「ありがとうございます。それと……図々しいですが、俺からの頼みだとは、内密に」
相澤は片眼を細め、疲れとも諦めともつかぬ表情を浮かべる。
「……まったく、厄介なことをしてくれる」
返事の代わりに目を閉じた。その沈黙が、重い承諾だった。
歩きながら、無意識に手をポケットへ突っ込む。
足取りは軽いのに、胸の奥が重く沈んでいた。
自分が動かした歯車の重さを、彼は確かに感じていた。
(もう観客じゃない。翼を失っても、隣に立つことはできる。
彼女を一人で走らせはしない)
彼は顔を上げた。
天井の薄い灯りが瞳に反射し、きらりと光った。
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ミルコの家。
訓練を終えたばかりなのか、汗に濡れたルミが腰を下ろしていた。
腕を組んだ口元には、相変わらずの豪快な笑み。
「はぁ? 私はNo.6ヒーローだぞ!」
荒々しい笑いが壁を震わせる。
「前より人気、上がってんだ。“ウェポン・ザ・バニー”、知ってるだろ?
ヴィランには悪夢、市民には英雄だ」
相澤はしばし彼女を見つめ、低く問う。
「……本当に大丈夫なのか」
「なに、先生がそれを私に聞くのか?」
ルミの目がぎらりと光った。
返事の代わりに、相澤の視線が彼女の身体をなぞる。
鋼と傷の線をたどるその眼差しは、静かで揺るぎがなかった。
鋼に置き換わった両腕。
右膝下の義足。
切り落とされたウサギ耳の痕。
「……失いすぎたな」
短い沈黙。
やがてルミはにっと笑い、鋼の義手をぐっと握りしめ、挑発するように言う。
「それで? 失ったから弱くなったと思うのか?
私が失ったのはただの肉の塊だ。ミルコであることは変わらない」
口角が上がり、鋭い犬歯がのぞく。
「この噛みつき、この蹴り、この精神! 誰にも触らせない。
私はまだ十分残ってる。むしろ強く、頑丈になった。
今でも飛んで、走って、蹴って、ぶっ壊してる」
顎をぐっと上げる。
「この身体は私が選んだ。必要な犠牲で、やるべきことをやっただけ」
表情に揺れはない。
「後悔はない」
相澤は片眼を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
言葉にできない重さが、しばし部屋に降りる。
笑みの奥には、誇りよりも深い沈黙があった。
外では風が窓をかすめ、
どこか遠くで拍手の残響が、まだ消えきらずに漂っていた。
今になって思えば、彼女はあまりにも短い時間で、誰よりも多くを失った。
だからこそ、彼女の強さにはいつもどこか孤独が滲んでいたのかもしれない。