兎は再び跳ぶ   作:hoin337

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本作はPixiv・アカツキにも同時掲載しています。


第2章 - 選択

その言葉が、空気の中に滲んだ。

――リワインド。

 

しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。

天井の照明が微かに唸り、静寂の中でノイズのように響く。

 

相澤は椅子に腰を下ろしたまま、片手で口元を覆っていた。

何かを言いかけて、しかしやめる。

重い思考は形を結ばぬまま部屋を巡り――

やがて、ゆっくりと言葉となってこぼれ落ちた。

 

「ホークス。お前も分かっているだろ……エリの“リワインド”は、身体全体を巻き戻す。数日じゃない、八年だ。未知の領域だぞ」

 

低く落ちた声が、部屋の空気を震わせた。

相澤は額に手を当て、こめかみを指で示す。

 

「肉体はいいとして……精神はどうだ。下手をすれば、この八年の記憶をすべて失う。今のルミが、消えるかもしれん」

 

ホークスは無言で指を組み、ゆっくりと頭を垂れた。

長い沈黙ののち、掠れた声が落ちる。

 

「……オール・フォー・ワンとの戦いで、彼女はあまりにも多くを失いました」

 

彼の視線は、モニターの中のルミの背に固定されたままだった。

 

「両腕、右脚、耳の先まで……しかも右脚は、自分で切断した。

リハビリを捨て、最終決戦に臨むために」

 

一呼吸置き、ホークスはかすかに唇を噛む。

「彼女はただ“失った”んじゃない。戦い続けるために、自らの身体を少しずつ“差し出していった”んです」

 

相澤はまぶたを伏せた。

 

「俺は“個性”だけを奪われた。翼――それは俺の一部だが、身体は残っている」

 

ホークスは空を掴むように手を上げた。

「でも彼女は、全身を削り、自分のすべてを燃やして戦った」

 

言葉を切り、そっと目を閉じる。

 

「……局長。俺はいまでも覚えています。

装備なんて何もなく、二本の腕と二本の脚だけで日本中を駆けたルミを。

どんなヴィランも逃さなかった。あれは金属音じゃない、生きた『響き』でした」

 

モニターの中で、ルミが歓声の中に笑っていた。

ホークスは再び目を閉じ、低く呟く。

 

「……あの笑顔を、あの身体を返してやりたい。

彼女が守った世界なら、今度は世界が彼女を守るべきでしょう」

 

相澤は顔を覆った。

長い沈黙ののち、指の隙間からホークスを見る。

 

再び顔を上げたとき、モニターの中ではまだ群衆が歓声を上げていた。

――眩しすぎるほどに、うるさすぎるほどに。

 

テレビの中で、ミルコは歓声の波に手を振り続けている。

その笑顔を見つめながら、相澤はまた顔を覆った。

その歓声は、現実よりも残酷に聞こえた。

 

「……まずはエリと話そう」

 

掠れた声だったが、揺るぎはなかった。

 

「それと、ミルコ本人にも会う。だが君も局長として万全を期せ。

エリの保護、メディア対応、そしてミルコのケアだ」

 

ホークスは小さく息を吸い、肩の力を抜いて頭を下げた。

「ありがとうございます。それと……図々しいですが、俺からの頼みだとは、内密に」

 

相澤は片眼を細め、疲れとも諦めともつかぬ表情を浮かべる。

 

「……まったく、厄介なことをしてくれる」

 

返事の代わりに目を閉じた。その沈黙が、重い承諾だった。

 

歩きながら、無意識に手をポケットへ突っ込む。

足取りは軽いのに、胸の奥が重く沈んでいた。

自分が動かした歯車の重さを、彼は確かに感じていた。

 

(もう観客じゃない。翼を失っても、隣に立つことはできる。

彼女を一人で走らせはしない)

 

彼は顔を上げた。

天井の薄い灯りが瞳に反射し、きらりと光った。

 

---

 

その言葉が、空気の中に滲んだ。

――リワインド。

 

しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。

天井の照明が微かに唸り、静寂の中でノイズのように響く。

 

相澤は椅子に腰を下ろしたまま、片手で口元を覆っていた。

何かを言いかけて、しかしやめる。

重い思考は形を結ばぬまま部屋を巡り――

やがて、ゆっくりと言葉となってこぼれ落ちた。

 

「ホークス。お前も分かっているだろ……エリの“リワインド”は、身体全体を巻き戻す。数日じゃない、八年だ。未知の領域だぞ」

 

低く落ちた声が、部屋の空気を震わせた。

相澤は額に手を当て、こめかみを指で示す。

 

「肉体はいいとして……精神はどうだ。下手をすれば、この八年の記憶をすべて失う。今のルミが、消えるかもしれん」

 

ホークスは無言で指を組み、ゆっくりと頭を垂れた。

長い沈黙ののち、掠れた声が落ちる。

 

「……オール・フォー・ワンとの戦いで、彼女はあまりにも多くを失いました」

 

彼の視線は、モニターの中のルミの背に固定されたままだった。

 

「両腕、右脚、耳の先まで……しかも右脚は、自分で切断した。

リハビリを捨て、最終決戦に臨むために」

 

一呼吸置き、ホークスはかすかに唇を噛む。

「彼女はただ“失った”んじゃない。戦い続けるために、自らの身体を少しずつ“差し出していった”んです」

 

相澤はまぶたを伏せた。

 

「俺は“個性”だけを奪われた。翼――それは俺の一部だが、身体は残っている」

 

ホークスは空を掴むように手を上げた。

「でも彼女は、全身を削り、自分のすべてを燃やして戦った」

 

言葉を切り、そっと目を閉じる。

 

「……局長。俺はいまでも覚えています。

装備なんて何もなく、二本の腕と二本の脚だけで日本中を駆けたルミを。

どんなヴィランも逃さなかった。あれは金属音じゃない、生きた『響き』でした」

 

モニターの中で、ルミが歓声の中に笑っていた。

ホークスは再び目を閉じ、低く呟く。

 

「……あの笑顔を、あの身体を返してやりたい。

彼女が守った世界なら、今度は世界が彼女を守るべきでしょう」

 

相澤は顔を覆った。

長い沈黙ののち、指の隙間からホークスを見る。

 

再び顔を上げたとき、モニターの中ではまだ群衆が歓声を上げていた。

――眩しすぎるほどに、うるさすぎるほどに。

 

テレビの中で、ミルコは歓声の波に手を振り続けている。

その笑顔を見つめながら、相澤はまた顔を覆った。

その歓声は、現実よりも残酷に聞こえた。

 

「……まずはエリと話そう」

 

掠れた声だったが、揺るぎはなかった。

 

「それと、ミルコ本人にも会う。だが君も局長として万全を期せ。

エリの保護、メディア対応、そしてミルコのケアだ」

 

ホークスは小さく息を吸い、肩の力を抜いて頭を下げた。

「ありがとうございます。それと……図々しいですが、俺からの頼みだとは、内密に」

 

相澤は片眼を細め、疲れとも諦めともつかぬ表情を浮かべる。

 

「……まったく、厄介なことをしてくれる」

 

返事の代わりに目を閉じた。その沈黙が、重い承諾だった。

 

歩きながら、無意識に手をポケットへ突っ込む。

足取りは軽いのに、胸の奥が重く沈んでいた。

自分が動かした歯車の重さを、彼は確かに感じていた。

 

(もう観客じゃない。翼を失っても、隣に立つことはできる。

彼女を一人で走らせはしない)

 

彼は顔を上げた。

天井の薄い灯りが瞳に反射し、きらりと光った。

 

--

 

ミルコの家。

訓練を終えたばかりなのか、汗に濡れたルミが腰を下ろしていた。

腕を組んだ口元には、相変わらずの豪快な笑み。

 

「はぁ? 私はNo.6ヒーローだぞ!」

荒々しい笑いが壁を震わせる。

「前より人気、上がってんだ。“ウェポン・ザ・バニー”、知ってるだろ?

ヴィランには悪夢、市民には英雄だ」

 

相澤はしばし彼女を見つめ、低く問う。

「……本当に大丈夫なのか」

 

「なに、先生がそれを私に聞くのか?」

ルミの目がぎらりと光った。

 

返事の代わりに、相澤の視線が彼女の身体をなぞる。

鋼と傷の線をたどるその眼差しは、静かで揺るぎがなかった。

 

鋼に置き換わった両腕。

右膝下の義足。

切り落とされたウサギ耳の痕。

「……失いすぎたな」

 

短い沈黙。

やがてルミはにっと笑い、鋼の義手をぐっと握りしめ、挑発するように言う。

 

「それで? 失ったから弱くなったと思うのか?

私が失ったのはただの肉の塊だ。ミルコであることは変わらない」

 

口角が上がり、鋭い犬歯がのぞく。

「この噛みつき、この蹴り、この精神! 誰にも触らせない。

私はまだ十分残ってる。むしろ強く、頑丈になった。

今でも飛んで、走って、蹴って、ぶっ壊してる」

 

顎をぐっと上げる。

「この身体は私が選んだ。必要な犠牲で、やるべきことをやっただけ」

表情に揺れはない。

「後悔はない」

 

相澤は片眼を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。

言葉にできない重さが、しばし部屋に降りる。

 

笑みの奥には、誇りよりも深い沈黙があった。

 

外では風が窓をかすめ、

どこか遠くで拍手の残響が、まだ消えきらずに漂っていた。




今になって思えば、彼女はあまりにも短い時間で、誰よりも多くを失った。
だからこそ、彼女の強さにはいつもどこか孤独が滲んでいたのかもしれない。
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