とある雨降る日の事であった。
「賭けをしませんか?」
「何をだい?」
「何でもいいですよ。」
「何でもいいのか…。」
酷く間抜けな会話をしているという自覚はあった。しかし何でも良いから天に、神に、確率の化け物に身を委ねたい衝動に駆られたのであった。その為には30枚の銀貨ですら安いように感じられた。
「じゃあまあやってみます?ここに丁度良くトランプもある事ですし。」
そう言って彼女はトランプを差し出した。
「じゃあまあ、はい。」
自分が切り出した噺なのになぜか気乗りしない。其れは掛金が無いからか、それとも究極の暇故か、私には判断する事が出来なかった。しかし高尚な数学の問題よりかは心躍らされる事は間違いなかった。
「赤、だね。」
「じゃあ私も引いてみよう。…黒だ。でもまあ確率的に考えたら黒の出る確率の方が高いしそりゃそうか。」
「ん?ちょっと違う気がする。別に無視できる範疇だし完全に其れは運じゃないの?」
「いやでも黒は貴方が引いたから枚数が少ない。であれば当たり前というのは言い過ぎだとしても確率的に黒が出る方が自然、そう言えるのでは?」
非常に悩ましい。数学の偏差値は頑張って57を叩きだしていた物の、こういった問題には如何せん弱い。
「でもさあ、何回もやんないと理論的な確率は使えなくない?そりゃあ同じ状況で500回くらいやったら黒い方が多く出るよ。でもこれは一回ぽっきりでしょ。理論なんて意味ないよ。」
「大数の法則だっけ。」
「確かそんな感じ。」
「いやまあ、確かに数学的にはそうなのかもしれないけどさ、じゃあ物理的に考えてみようよ。」
物理は現在進行形で非常に苦しめられているので生理的に嫌悪感を示さざるを得なかった。
「例えば今ここでこのトランプを落とすとどうなると思う?」
「そりゃあ、落下するでしょう。」
「そう。そしてどこに落下するかは物理的に予言する事が出来る。非常に複雑な式になるかもしれないが、空気抵抗、重力、質量、様々な要素を考慮すれば確実に誤差なく予言できる筈。」
「確かにそうかもしれないね。」
論理的に矛盾は無さそうである事を確認しながら祝詞を紡ぐ。其れに呼応して彼は語る。
「この噺を拡大していけば全ての事象は其れが発生する事が決定されている、そう思わざるを得ないんだよね。」
「確かに。」
少し考えようと思ってカーテン越しに見える雲を見た。雨の日の神社とはここまでどんよりとしていて陰気なのかと思わざるを得なかった。哲学的な話をするのには向いているのかもしれないが。
「でもさ。私たちは好き勝手に考えてやるやらないを決めている訳じゃない。ちょっと違う気がするんだよね。」
「それも説明できるさ。彼方の体がタンパク質や原子、そして素粒子で構成されている以上自由意志などは幻想にすぎない。結局我々が考えていると思っている事も考えている訳ではない。全てはミクロな世界の影響に過ぎないんじゃないかな。」
悪い生徒の演戯をしている自覚はあった。しかしここまで科学的というよりは決定論的な考えが出てくるとは思いもよらなかった。
「確かに。ただそれは余りにも決定論的立場に寄っているきらいがあるよね。」
「まあ確かに。」
「パラレルワールドやら色々議論されているわけだし余りにも決定論に依存しすぎた解釈もまた危険である可能性が高い。そう思う。」
「うーん。そうすると逆に気になったのが、『完全なランダム』ってどういう物なんだろう?」
「ランダム…。」
「例えば賽子を6000回投げたとする。この時1000回1が出る事は正しいランダムなのだろうか?」
「正しいんじゃないの?」
「いや、これは麿の詞が悪かったな。6回賽子を投げたとして1回1が出る事は正しいランダムなのか、という事だ。」
「ああ、確かに。真のランダムならば10回連続して1が出るという事も普通にありそうだね。」
「完全なランダムが何なのか、それが解ればそれが実現されているのかもわかりそうだ。」
「確かに。」
ふと、外を見遣る。空模様は先ほどとは少し変わって雲もより厚く、雨も激しくなっている様に思われた。この天気は100億年の昔から予報できたのだろうか。何となくそうでは無い気がした。
「大数の法則からすれば無限回試行したら理論通りになる、というのが良い気がする。」
「それは必要だね。」
「そして予測できない、つまり前後の結果に依存しない事かなあ。」
「結局良く分からなかったな。」
顔を歪めて快活に笑っている。
「で、結局何を掛けるのかい?」
「そうですねえ、まあ何でも良いんじゃないですか?致命的で無ければ取り返しはなんだって効きます。」
「そうだ、あれはどうだ、人類の将来。」
ごくり、唾をのむ音が聞こえる。
「別に賭けの対象は何でも良い。人類が滅びるも続くも大した事ではない。宇宙のスケールで見れば無視できる。」
でしょ?とソレは囁く。
私は努めて笑顔を作る。
「まあ、そうかもしれませんね。でも言霊という言葉もある事でしょう?今日の天気くらいでどうです?」
「いや、麿は『決めたことはやる』がモットー。なあに大した意味はないさ。よし、そのトランプを貸してみよ。」
アレは私からひったくる様にして2枚の赤と黒が抜けたトランプをシャッフルし始めた。床にはハートの7とスペードの6が不規則に落ちていた。目を上げるとコレは私にシャッフルし終わったトランプを差し出した。
「一枚引いてみよ。赤ならば滅び、黒ならば安寧。さあお主が選ぶのだ。」
全身が硬直した様な感覚に襲われた。自由に動かす事が出来たのは目と指のみであった。汗の滲む掌で一枚掴みとり、広げた。
「クラブの2、ですね。」
「良かった良かった。これで100年は安泰だな。」
快活に彼女は笑う。そこに意味が含まれているのかは神ならぬ私には判断しかねた。外を見るといつの間にか雨は上がり夕焼けの太陽が室内を紅に染めていた。秋なので掃き掃除をする必要がある。
「じゃあ、掃除してきますね。」
返事は無かった。既にどこかに行ってしまったようだ。袴を正し、箒を持って境内へ向かう。明日は少しだけいい日になるだろう。確信は無かったがそう思えた。
「確率の神が居たっていいじゃない。」
ソレは本の一頁、円周率の頁を真の住処とする。そこにはこう記されていた。