俺がこの世界の貴族に転生して十三年。
貴族――なんと響きの良い言葉だろうか。貴族、貴族、貴族。うむ、高貴である。
……だが我が領地の多くは荒地、残りは未開拓の森林地帯。
名ばかりの「男爵家」である。貴族といっても、現実は自給自足の延長みたいなもんだ。
なんで転生者がいる領地のくせに、こんなボロボロなのか。ほんとうに理解できない。
もちろん、小さい頃から俺は地球の知識を持っていたため、とんでもない神童であった。
このクソ底辺な領地を改革すべく、動きまくったのだ。
なぜなら――貴族といえばノブレス・オブリージュだろう。
俺の浅学によると、「大いなる力を持つ者には、大いなる責任が伴う」らしい。
それなら俺の知識をフル活用して動くのも当然といえる。
だが、俺のあらゆる政策はほとんど使えなかった。
いや、まずな。よく考えてみろ。
俺は前世で偏差値40代の高校からFランに入り、誰も知らない謎の会社に就職した男だ。
そんな無能が政策なんてできるわけがない。
俺も冷静になって考えてみれば分かった。
俺にそんな能力はない。だから領地は昔から変わっていない。
民は冬越しで毎回何人か死んでるし、このままいくと全滅の可能性すらある。
それでもまあ、ギリ生きてはいける。
この世界には「ダンジョン」がある。
世界中に点在していて、金銀財宝や古代の遺物、果ては魔導具まで眠ってるらしい。
爵位の高い貴族たちは皆、自領内のダンジョンを踏破する。
それがその貴族の「強さ」を示すものらしい。
なぜかって? 魔導具や遺物は自領、ひいては王国の発展に繋がるから――らしい。
らしいばかりで悪いが、そういうものなのだ。
そんなダンジョンに命を懸けて潜るバカ……いや、冒険者が後を絶たない。
冒険者は貴族と契約し、ダンジョンに挑む。
俺もそのひとりだ。貴族とはいえ、ダンジョンで稼がないと食っていけないからな。
そんなわけで、今日俺は身代わり役を買いに人生初の「奴隷市」に来ている。
「この子なんてどうです? 見た目は地味ですが、手先が器用で気が利くタイプですよ」
老商人が笑みを浮かべながら、鎖につながれた少女を前に出した。
年の頃は十五。亜人族。
耳が頭の上にあり、目の色は琥珀に光っている。そして……体中に鱗と鱗の間から毛が生えてきてキモい。
顔は……くそブサイクだな。
なんか、爬虫類系の人種と狼系の人種が混ざっててグロい。
まあ、女でブスとなると安いから、まずこいつを買うことにした。
男は労働で使えるから高いのだよ。
「名前は?」
「ミラと申します、ご主人様」
声が震えていた。
怖いのだろう。当然だ。
俺はため息をついて、商人に小袋を放った。
「買おう。連れていく」
「毎度あり!」
こうして俺は初めての奴隷を手に入れた。
目的はひとつ――高難易度ダンジョン踏破。
死体の山を越えて、頂点まで登る。
この世界で“最高の貴族”になるために!
奴隷市からの帰り道、こいつは、とぼとぼとずっと俺の後ろを歩いていた。
なんつーか覇気を感じないし、顔と体はグロいしでどうしたもんかと悩んでいたが、俺のような聡明叡智は新たな発想が浮かんできたのである。
大いなる力には異端が付き物だということだ。顔や体のグロさ含めてそれも貴族の俺にとっては必要悪ということだ。
「おい、腹は減ってないか?」
「……はい。ご主人様のご厚意、感謝します」
お辞儀がやたら丁寧だ。
教育はしっかりされてるっぽい。
「そうか。だったら帰ったら飯を作れ。俺、料理できねぇから」
「かしこまりました」
おお、返事が早い。悪くない。
屋敷に戻って間取りを説明すれば、ミラはすぐ厨房に消えた。
俺はその間に地図を広げ、近場のダンジョンを確認する。
目的地は『灰の洞窟』。この辺じゃ唯一踏破されているイージーダンジョンで、低ランクの魔石が採れる。因みに階層は二階層まででクソ雑魚ダンジョンである。
それでも油断すれば即死。実際、去年だけで二人が帰らなかった。まあ挑んだのが俺と俺が連れてきた村人二人だったのだが。
「ご主人様」
顔を上げると、テーブルの上にパンとスープが並んでいた。
……あれ? 見た目、悪くない。香りもいい。
「これ、お前が?」
「はい。保存してあった乾燥肉をほぐして、香草と煮込みました」
「おお……才能あるんじゃねぇか?」
スプーンを口に運ぶと、思わず声が漏れた。
うまい。塩加減もちょうどいい。
「おいお前、明日からダンジョンに行く。準備しとけ」
「……わたしが、ですか?」
「ああ。荷物持ちと罠解除役が欲しい。できるか?」
「……努力します」
少し間を置いてから、ミラはうなずいた。
奴隷の割には良い返事である。
まあ、奴隷が着けている首輪によって逆らえないのだがな。
――翌日。
俺はミラと村人二人を連れて『灰の洞窟』の入口に立っていた。
地面のひび割れから白い靄が吹き上がっていて、底が見えない。
空気は湿って、鉄と血の臭いが混じっている。
「怖いか?」
「……少し」
「なら、慣れろ。生き残るコツは、怖いまま動けるようになることだ」
俺はランタンをミラに渡して、暗闇から一歩後ろに踏み出した。
この先に、俺の貴族としての未来があるのだ!
「よしお前たち、魔石十個取ってこい!」
俺の号令とともに、村人たちは青ざめた顔で頷いた。
ミラはちらっと俺を見てから、は?という顔をひとつ。
……そして諦めたように、手にしたランタンを掲げながら、闇の中へと消えていった。
俺? もちろん入り口で待機だ。
貴族だからな。
汗をかくのは庶民と奴隷の仕事である。
岩に腰を下ろして、干し肉をかじりながら考える。
「……しかし、貴族ってのは楽じゃねぇな」
誰も聞いてない独り言が、湿った空気に吸い込まれていく。
ちょっとした時間が経った。
洞窟の奥から、何かが潰れるような音がした。
「……あ?」
次の瞬間、ミラたちの悲鳴が響いた。
足音、金属のぶつかる音、何かを引きずる音――そして沈黙。
嫌な予感しかしない。
だが俺は貴族だ。焦って駆け出すわけにもいかない。
「……おーい、お前らー?生きてるかー?」
返事は、ない。
ただ、洞窟の奥から「ずるっ、ずるっ」と何かが這う音だけが近づいてきていた。
「……おいおい、マジかよ……」
俺はため息をつきながら、腰の剣を抜いた。
抜剣!
久しぶりに使うが、錆びてなけりゃいいけどな。
「ったく、貴族ってのも大変だな……!」
湿った空気を切るような、鉄くさい臭いが鼻を刺す。
「チッ……やっぱり出やがったか、魔物――!」
ランタンの光が影を照らした。
その瞬間、俺は剣を振り下ろす寸前で固まった。
「……おい、お前、か?」
光の中に現れたのは、血まみれのミラだった。
肩には片腕のない村人の死体を担いでいる。
顔も腕も、返り血と土でぐちゃぐちゃだ。
そしてその体――鱗の間からぬらぬらと粘液が滲み、光を反射していた。
「……っぶねぇ、完全に魔物かと思ったじゃねぇか」
「……申し訳、ありません……ご主人様」
ミラの声と目はひどく震えていた。血がべっとりと付いた汚い片手で死体をそっと地面に下ろす。
村人の顔はもう判別できない。顔と喉が酷く爛れていた。
「中に、スライムが……普通のやつじゃ、ありませんでした」
「スライムごときにやられたのか?」
思わず口に出してしまったが、ミラは小さく首を振った。
「……中身に、骨がありました。人の形をしてて……動いて……」
「……何だそれ、ホネスライム的な?」
「……近いかと」
俺は頭を掻いた。
村人は死に、ミラはボロボロ、そして未知のスライム。
初日からこれかよ。
「はぁ……分かった。いったん戻るぞ」
「……申し訳ありません」
「いいよ。お前が生きて帰っただけマシだ」
俺は屋敷の裏で剣を振っていた。
「うりゃっ……っと!」
腕がだるい。戦闘訓練は、思ったより体力を消耗する。
そんな俺を横目に、ミラは屋敷の掃除や洗濯に精を出している。血まみれになった服を何度も水に浸し、ゴシゴシと汚れを落としていた。
……まあ、奴隷としては仕事が早い。少しは使えるかもしれん。
「おい、ミラ」
俺は声をかけた。
ミラが顔を上げる。琥珀色の瞳がこっちをちらりと見た。
「はい、ご主人様」
「そろそろ新しい奴隷を買いに行くぞ」
「……え?」
ということで奴隷市、二度目の訪問である。
「さて、今回は戦闘用だ」
村人に関してだが、流石に人数が減りすぎてヤバい気がしたので連行するのは辞めた。
俺は地図を片手に歩きながら呟く。市場の奥に行くと、前回とは違い、鎖につながれた青年や体格の良い奴隷が並んでいる。目つきは鋭く、爪や牙、筋肉の付き方まで戦闘向きだ。俺の目が光る。
「おお……いいじゃないか。こいつなら戦力になりそうだ」
俺はひときわ大きな男に目をつける。亜人混じりで、腕の筋肉がエグい。顔はちょっと怖いが、あいつに比べたらマシだな。しかも怖い顔なんてある意味、戦士としての魅力だ。
「名前は?」
俺の質問に、青年は低く答える。
「ゼロス……ご主人様」
「ゼロスか。いい名前だ。お前、ここから俺の屋敷までついてこれるか?」
「……はい」
即答。返事の硬さが戦士らしい。こういうのが一番使いやすい。
「よし、これで少しはマシになるだろう」
俺は商人に値段を聞き、購入しようとしたが、くそほど高かったので、諦めて普通の体格のラーグというおっさんを購入した。
――屋敷に戻ってすぐ、俺はダンジョン計画の再確認だ。
『灰の洞窟』は俺ですら最奥に辿り着けたダンジョンで、本来スケルトンスライムとかいう奴は存在しないはずである。過去の文献を漁ってもそんなものは記載されていなかった。
ということはだ。未知、新種である。そいつを倒せた暁には俺の貴族としての名声を高め、死んでいった村人たちの無念を晴らすことになるだろう。なれば、再挑戦する必要がある。
「おい、ミラ、ラーグ、訓練の時間だ」
「はい、ご主人様」
「はい、ご主人様」
二人の返事が揃う。なんかちょっと壮観だな……と、俺は独り言をつぶやく。
「今回こそ、魔石を持ち帰るぞ」
俺は剣を握りしめ、気合を入れる。
――今回は俺も参加する。なんたって俺には秘策があるからな。待っていろよスケルトンスライム。
………………
……よし、準備は万端だ。
俺は歩きながら、干し肉をかじる。
「……いやー、貴族って楽じゃねぇな」
――さあ、再び灰の洞窟へ、奴隷を引き連れた貴族の小さな冒険が始まる。
――そして、灰の洞窟へと再び足を踏み入れた俺――
ランタンの灯りが湿った岩肌に反射して、薄暗い空間がさらに薄暗く、さらに陰惨に見える。
ミラはいつも通り、ランタンを握りしめ、ラーグは安っちい剣を構えて、鋭い目で洞窟を見回している。
「今日は俺の必殺を見せる。覚悟はいいか?」
「はい、ご主人様」
「……はい、ご主人様」
こいつら同じ返事しかしねえな。まぁ、奴隷だから当然だ。
足音が湿った岩に反響する。奥から、あの得体の知れない音がした。
俺は剣を強く握り直した。今日は俺が主導権を握るのだ。貴族の威厳、見せてやる。
「俺は必殺の準備をする!ラーグは前!ミラは後ろで援護しろ!」
「「はい!」」
声をかけた後、姿を現したのはスケルトンスライムと呼ぶに相応しいクソキモい魔物だった。人形の骨に粘性の高いスライムがへばりついて気色が悪い。
俺は即座に剣に相当量の魔力を注ぎ込む。
掌に熱がこもり、炎のように熱い感覚が剣に纏わりつく。
「よし、次は俺が前に出る。この必殺の一撃でこいつは木っ端微塵だぜ!」
ミラとラーグが頷く。
「はい!ご主人様」
「はい、ご主人様」
うん、声は勇ましい。でもその目は魚みたいにギョロギョロ泳いでる。まあ、いい。緊張感があった方が燃えるってもんだ。
前に踏み込むと、例のスケルトンスライムが、壁の影からヌルッと姿を現した。
骨を内包したその体は、光を受けてキラリと反射する。
俺は剣を握り直し、深呼吸……よし、今だ。
「くらえ! 魔法剣――!」
炎が剣に巻きつき、振り下ろす。
しかし、熱量の計算を誤った。
「あっ」
轟音と共に、炎と衝撃波が洞窟内を覆う。
スケルトンスライムが悲鳴を上げる前に、ラーグに直撃。
「ぎゃあああああッ!」
吹き飛ばされたラーグは壁に叩きつけられ、ゴリッと嫌な音がなる。
「ラーグさん!ご主人さまっ!……」
ミラも逃げ遅れ、炎の余波に巻き込まれる。
俺は目を見開いたまま、立ち尽くす。
洞窟内は煙と炎で視界ゼロ、静寂だけが残った。
………………
ようやく煙が晴れた時、俺は一人だけ生き残っていた。
倒れているのはラーグとミラ。片方は焼け焦げ、もう片方は毛が燃えて消え去り、鱗が赤く香ばしい色になっている。
「……うそだろ……俺の……秘策が……」
俺は地面に座り込み、剣をだらりと下ろす。
貴族の威厳?そんなもん、今の俺にはない。
ただ、あまりにも惨すぎる現実だけが残った。
「……これが、貴族の世界……か」
俺はため息をつき、ポケットに詰め込んだ干し肉のかけらを拾って口に入れる。
味? ……今はそんなもんどうでもいい。
灰の洞窟に、俺の涙がほろりと落ちた。
「……次は、もうちょっと慎重にいくか……」
そして俺は、落ちていた魔石をポッケに詰め込み、焼け焦げた剣を握り直す。まだ、俺の貴族としての戦いは終わっていない。
俺たちの戦いはこれからだ……!!