信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング) 作:A_Kaname
「おい、
「……? どうしたの? 体調でも悪いの?」
「いや、大丈夫。至って健康。健康そのもの、だけど――ハァ……」
「いや……どう見たって健康には見えないんだけど。主に精神衛生的なところが。何かあったの?」
ハンバーグランチの付け合わせとして皿の端に乗っているブロッコリーに箸を突き刺しながらも、口からは勝手にため息が漏れてしまう。
トレセン職員用のカフェテリアで食事をとっていた僕に声を掛けてきたのは、四月から自分と同じく新人トレーナーとして働き始めた同期のトレーナーたち二人だった。
「こいつ、目をつけてたウマ娘に昨日スカウト持ちかけたらしいんだけど、断られたんだと」
それで朝からずっとこんな調子、と続けて、角刈り頭の男のほう――
朝から
格闘技経験者らしくゴツゴツと骨ばったその手を「やめれ」と払い除けつつ、箸先のブロッコリーを口に運ぶ。
特段野菜嫌いというわけではないのだが、瑞々しい緑色をしたそれを前にしてもいつものように食欲がそそられることもなく、モソモソと味気ない食感を
「へぇ! 良いカンジの子、もう見つけたんだ? 小椋クン、結構奥手なのかなって思ってたけど、意外と大胆なのね」
「茶化さないでくれるかな……、今でも自己嫌悪で死にそうな気分なんだから」
トーン高めの声で絡んでくる、同期のもう一人――亜麻色のロングヘアをゆる巻きにした
デビュー前のウマ娘――クレディカイゼリンにスカウトを断られたショックは、案の定、自分のメンタルに多大なダメージを及ぼしていた。
我ながら女々しいとは思うのだが、選抜レースの後、僕は彼女と交わしたやり取りを思い返し、色々脳内反省会を繰り広げていた。
あの時ああすれば、あるいはこうすれば、と湯船に浸かりながら、あるいは床に就いてからも頭を捻って見たが、ついぞ考えはまとまらなかった。
まんじりともせずにいつの間にか夜が明けて、出勤時刻を迎えてしまったせいでガチ寝不足状態にある。
そんなわけで、我ながらさっきから物言いが無愛想だ。
思考にもうっすらモヤが掛かっているようで、絵柄の合わないジグソーパズルを無理やり
それが中途半端に神経を苛立たせていて、ハンバーグを割るために差し入れた箸に、知らず知らずの内に力がこもる。
「……これ、本人的にはほぼ確でOKしてくれるだろうと踏んで声を掛けたら玉砕したパターンね」
「う゛っ」
「言ってやるな言ってやるな。本人にとっちゃ大勝負だったんだろうから」
図星を突かれて、口に含んだハンバーグの一切れを吹き出しかかる。抗議の意志を視線に込めて高峰の顔を見上げると、彼女は小さく肩をすくめて見せた。
口の中を空にしてから「流石は中央トレーナーになるだけはある観察眼」と茶々を入れたら、「研修からの付き合いでわからいでか」と、同期二人から異口同音にツッコミが返ってきた。
正規のトレーナーライセンスを得るまでの研修期間中、与えられる諸々の課題と教官役の正規トレーナー陣にシゴカれ尽くした仲だ。
同じ釜の飯を食ったのみならず、毎夜のごとくこのカフェテリアの閉館時間寸前まで、互いに額を突き合わせて試験対策やらレポート課題やらに励んでいたのもつい最近のことだった。
お陰で、それぞれの"メンタル的に余裕がない状態の顔色"がどんなもんかなど、とっくの昔に割れていた。
「失敗談ってのは後生大事に胸の中に抱えておくモンじゃないぞ。信頼できる仲間に話して共感の輪を広げてこそ、ちったぁ気分も晴れるってもんさ」
「言うて、自分がスカウトする時用のトラブルシューティングにするつもりだろ。騙されんぞ」
「そりゃそうだ。同期の新米が記念すべき一回目の失敗を経験したんだからな。我が身を正す絶好の機会だろ?」
「言い方ァ!」
「清々しいくらい隠す気ゼロね」
「表裏の無さで売ってるからな」
「一歩間違えば厚顔無恥って言うんだよそりゃ」
僕が容赦なくこき下ろしてもどこ吹く風、ニヤリと口角を引き上げて健康的な真白い前歯を
横合いからサムズアップしてくる暑苦しい角刈り男と目を合わせないようにしていると、きつねうどんの丼を載せたトレーが向かいの席に置かれた。
「ま、実際ベテランたちのスカウトなんか、掴みから契約まで高等技術のカタマリすぎて正直参考にならないし。実際のところ、小椋クンのスカウトがどんな感じだったのか、興味はあるわね」
「……ブルータス、お前もか」
対面の席を確保し、こちらの顔を真正面から覗き込むようにして、「逃がすつもりはない」と言わんばかり。
好奇の眼差しとはこういうもの、という実例のような高峰の顔を見て、僕はこの空間に味方が居ないことを悟った。
と、そこで僕たちのやりとりに新たに加わる声がある。
「おうおう、若モンたちが
「布施田トレーナー! ちわっす!」
「布施田先生、お疲れ様です」
ラガーマンのような分厚い体躯に太い首。頑固親父という形容が似合う強面に、オレンジのバンダナを被った中年男性。
トレセン研修生時代の、僕ら三人の指導担当教官であり、キャリアにして二十と数年目という紛れもないベテランの中央トレーナーだ。
「先生、ご無沙汰してます。働き出しでバタバタしてて、なかなかご挨拶にも伺えず……言い訳みたいですみません」
頭を下げた谷合と高峰にワンテンポ遅れて僕も
「まったく、相変わらず堅っ苦しいなお前は。それはそうと、同期の団らんを邪魔して悪いんだが……、小椋、俺はお前に礼をしなくちゃならない」
「礼? えっ、先生になにかしましたっけ……?」
忘れ物を拾ったとか? 最後に先生と顔を合わせたのは3月――研修期間の最後のほうだったはずだ。ここ一ヶ月内をざっくり思い返してみても、特にそんな記憶はないけど……。
僕が記憶をひっくり返していると、布施田トレーナーはテーブルに自分のトレーを置いて、こちらに頭を下げて見せた。
「この前授業中に怪我して、お前が病院まで付き添ってくれたウマ娘な、あいつぁウチの部員なんだ。俺ぁちょうどその日船橋まで出張に出ていてな。手間を掛けさせてすまなかった」
「もしかして、その子ってプリマエトワールですか!? ……いやまぁ、現場で様子を見てたのが自分だけだったので、成り行きで。昨日たまたま会った時に聞きそびれちゃったんですが、彼女、足の調子はどうですか?」
「お前の初期処置が良かったみたいで、来週には練習に復帰できるだろうって話だ。あいつもだいぶ安心していた」
「ああ、それは良かった。安心しました」
社交辞令などではなく、現実的な実感を伴って、胸の中にあったモヤモヤ感の体積がごっそりと減ったような、そんな気がした。
彼女の怪我は他ならぬ自分が監督していた授業で起こってしまったものだし、病状説明も一緒に聞いた手前、その後の経過が気にならないはずもなかった。
昨日の選抜レースでは、お互いに彼女の体のことよりもレースそのものの心配で頭が一杯になっていたし、レース後も……きちんと挨拶を交わして穏当な形で別れたわけではなかったから結局確認できず仕舞いだった。
それに、同室であるエトワールが全快して再び走れるようになるのなら、きっとクレディカイゼリンの心境にもポジティブな影響を与えるはずだ。
……っと、やれやれ。
「ちっとは気が晴れたか?」
「それとこれとは別の話だけど、まぁね」
谷合の問いかけにも、意図せず含みのあるような言い方で応じてしまう。
エトワールの怪我のことと、彼女にとっての同室であるクレディの走り。それぞれに対して、向けきれなかった思いや、掛けきれなかった言葉。
それぞれを切り分けて考えるべきだと自分の中では分かっていても、ふたつの事象は互いに撚り合わせられたように絡み合っていて、自分の中では容易に
と、そこで高峰が何事か思いついた様子で、パン、と手を打ち合わせる。
「ちょうどいいじゃん、小椋クン、この道のプロの意見を伺うチャンスよ」
「さっきと言ってることが逆じゃんかよ。
「大元は貴方の失敗談なんだから話は別。ベテラントレーナーの経験と勘にせいぜいダメ出ししてもらいなさい」
「なんだぁ、どうした小椋?」
「もうこれ公開処刑だろ……」
天井を仰いでボヤくが、時既に遅し。
高峰の誘導にきっちり釣られる形で、布施田トレーナーは僕の斜向かいの位置に腰掛けた。テーブルに置かれたトレーの上で、焼きサバ定食が美味しそうな湯気を立てている。
「とりあえずお前ら、飯食いながらでいいか? 小椋、話してみろ」
恩師に面と向かってそう促されては、僕もこれ以上はぐらかしている訳にはいかない。
トレーの前で手を合わせたのち、サバの切り身を箸で割りながら促してくる布施田トレーナーの方に向き合って、一同に詳しい経緯を明かすことにした。
「実は……」
ウマ娘――クレディカイゼリンと初めて出会った時のこと。
プリマエトワールの通院に付き添ったとき、たまたま彼女と再開できたこと。
選抜レース後にスカウトを持ちかけたが、あえなく断られてしまったこと。
中堅トレーナーとのやりとりは……、触れるべきか否か一瞬考えて、胸の内に仕舞っておいた。
どこで本人が耳を傾けているか分からない、というのも勿論だが、「あそこで茶々を入れられなければスカウトに成功していた」とか愚痴を言ったところで、結局は負け犬の遠吠え以外の何物でもない。
それに、クレディに対しても不誠実だろう。
「『貴方に私の"たった一度きりのキャリア"を任せてもいいか、決心がつきません』と。彼女はそう言って……自分はそれに、何も言い返せませんでした」
「あー……そう、なのねぇ……」
僕が語り終えたところで、高峰は露骨に気まずそうな顔をして視線を逸らした。
「ごめん、やっぱ
「わかった……いいから、いいから」
谷合は幾分トーンダウンした声色とともに、僕の肩をべしべし軽く――本人は励ますつもりで叩いているのだろうが、そこは格闘技経験者。一発一発にキレがあって地味に骨身に響いた。
「とまぁ、こんな感じです。駄目ですね……学生相手に見透かされてるようじゃ」
ひとしきり話し終えて、本日何度目か分からない嘆息を漏らしつつ、白米と味噌汁を口に運ぶ。
配膳してもらった時に比べれば少々冷めてきていたが、味そのものは依然として美味しかった。設備投資に余念のない秋川理事長様々だ。
「……ふむ」
布施田トレーナーは定食を口に運びながら僕の話に耳を傾けていたが、今は一旦箸をトレーの上に置き、腕組みをして目をつぶっていた。
何事か考え込むような素振りを見せたのち、ややあってこちらをまっすぐに見据え、
「小椋、お前はその子が言ったことに納得したのか?」
「納得は、まだ……。けど、"指導経験が足りない"というのは事実ですから。そこを懸念されたら、弁解の余地ないじゃないですか……」
ウマ娘の指導は、授業の延長線上の
だが、担当ウマ娘とマンツーマンで練習を積み重ね、レースに送り出した経験はない。
ある意味では、クレディをどうにか選抜レースに出走させたことや、レース前の声掛けやデブリーフィングこそが、彼女に向けた
だが、それを見せてなお――いや、見せた結果として、ソレ以外の積み重ねがない=「足りない」と不合格を突きつけられたのだ。
昨日の夜から未明にかけて、睡眠時間を
布施田トレーナーは「わかった」と一声応え、僕ではなく高峰と谷合のほうへと順々に目を向けた。
「お前たちはどう思った?」
「私だったら、もっとその子と向き合って、言葉を尽くせたかもしれないって、思う気持ちはあります。けど……実際、今の話を聞いて、小椋クンがその子のためにやってあげた以上のことを、私はできるとは思えないです」
「……俺、学生のころ主将やってたんで、ウマ娘が迷ってても”大丈夫”って言えるようなトレーナーになれるはずだって思ってました。けど今は……、俺も明日には小椋と同じ目見てるかもなって、思います」
「三人とも、自己認識が伴っていることは良いことだ。だが、お前たちが気にするべきは、指導能力や経験の未熟さ、本当にそれだけか?」
「……それだけ、って……?」
僕達の内から追加の答えが出てこないことを確認して、布施田トレーナーはグラスの水を一口含んでから話し出した。
「いいか? 勝負の世界に身を置くのはウマ娘だけじゃない。あいつらを導く俺達トレーナーもだ。特に俺達はレース場とはまったく違う場でも、責務を負って戦わなきゃならねぇ。というより、こっちがメインと言ってもいいくらいだ。……言っとくが、"自分自身が最大の敵"だとか、そんな使い古された
先程までの
静かな熱量を宿した声色は、ウマ娘のトレーナーというより、後進を導く指導教官然としたもので、つい数ヶ月前まで僕達が日常的に聞いていたものだった。
僕ら教え子三人は、ほとんど反射的に居住まいを正して続く言葉に聞き入った。
「ひとつはウマ娘本人に関わること。もうひとつは、ウマ娘本人よりももっと大きな世界に関わること」
「ウマ娘本人と、世界?」
布施田トレーナーはそう言葉にしながら指を二本立てて見せる。
並べて挙げられたふたつの物事のスケールが違いすぎて、正直何を指しているのかピンとこなかった。
とっさに質問が出ないことを確認して、布施田トレーナーは続ける。
「ここに居るウマ娘は、言うまでもないが学生だ。トレセン生でいられる時間は、本人の人生のうち一割もない。だが、お前たちも自分の中高時代を振り返ってみろ。中央トレーナーを目指すために、色々考え始めたのはちょうどあいつらくらいの年代じゃないか?」
ウマ娘たちの指導にまつわる話から、自分たち自身の事情に触れられて、とっさに他二人の顔を見る。二人共、そういえば……という顔をして小さく頷き合った。
「お前たちが志したのはトレーナーだった。なら、トレセンで過ごすウマ娘たちは? 必ずしもレースの世界で生き続けられる子ばかりじゃぁない。むしろそんなのは例外で、ほとんどはいずれ卒業してそれぞれ全く別の人生を走り出すわけだ。その時、一人ひとり何を人生の目標として見出して、何を志すか、それは聞いてみなけりゃわからんが――」
そこで布施田トレーナーは、僕たち三人から少し視線を外し、どこか遠くを見るような目をする。
どこか遠い記憶を、回想しているようだった。
「中高の時分に経験したことや人との繋がりは、本人の志、ひいては人生全体に相当大きな影響を及ぼすモンだ。友人、先輩や後輩、教師、そして契約してからおおかた三年間は付きっきりになるはずのトレーナー。特にお前達の年代ともなれば、ちょうど一世代歳上の人生の先輩だ。ウマ娘から見たら
「ウマ娘たちにとっての、ロールモデル、ってことですか……」
「一言で言えば、な。社会ってモンに一丁前に目を向けられるような年頃になったウマ娘からすれば、その時一番近くに居た"大人"が、あいつらにとっての"大人"像に及ぼす影響は、間違いなくデカい。親とはまた別の立場に居て、教師にも反面教師にもなる存在として振る舞う、そんな存在が要る」
高峰が投げかけた問いに頷き返しながら、布施田トレーナーは「ソレがトレーナーにとっての責務、そのひとつ目だ」と告げた。
谷合は
高峰は顎に手を添えて何事か思いを巡らせるような顔をしながらも、目はどこか一点を見据えている。
――そして僕自身は、それを聞いて胸の奥が妙にざわついていた。
“ロールモデル”――その言葉の意味は、分かる。何せ研修生時代の講義でも度々触れられていたことだから、あえて言われなくても、分かっていたつもりだった。
けれど、「走りを支える者」以外の面で、自分がクレディの前で何を見せていたかと記憶をたどってみれば――実際のところ、お世辞にも頼りがいのある姿とは言えない。
あのとき彼女が見て探っていたのは、表面的な指導の質や、優しさだけじゃなくて、もっと本質的な
――小椋トレーナー。あなたは、"一度きりのキャリア"を預けるに値する“大人”ですか?
そう問われていたのだとしたら……。
「もうひとつの責務――こっちは大人にしかできなくて、大人がやらなくちゃあならない事。それも子どもであるあいつらの目には極力触れさせずに、だ」
僕たち三人がそれぞれに黙考している様子を見つつ、布施田トレーナーは更に話を進めていく。
「俺達人間は、ウマ娘たちに夢を見る。ウマ娘本人がメイクデビューや未勝利戦をようやく勝つくらいじゃ、ささやかで微笑ましいくらいの代物だが、二勝、三勝とコマを進めていくにつれて事情が変わってくる。純粋な夢や期待のほかに、
「……うへぇ、そういうクレーマーみたいなの、理屈では分かるけど勘弁してほしいっすね」
「全くだ。そんな些事に付き合うくらいなら、次走に向けたトレーニングメニューを捻出する時間に宛てたほうがよっぽどいい」
谷合が漏らした正直すぎる感想に首肯しつつも、布施田トレーナーは、「悪感情だけなら、まだ可愛いもんさ」と続ける。
「何より彼女たちの心を蝕むのは、圧倒的大勢の無理解と無関心だ。そして俺達トレーナーだって、時としてその圧倒的大勢の側にコロッと転落しうるんだ」
「無理解と、無関心」
つい、呟いた言葉に続いて、僕の脳裏にあのオールバック眼鏡の中堅トレーナーとの衝突が
直接言葉を交わせるはずの、同じトレーナー同士であっても、互いの事情を
なら、本人と関わりのない世間一般のレースファンや、正真正銘の一般人から一方的に向けられる言葉に悪意が混ぜ込まれたなら。
あるいは、ウマ娘本人の内心などつゆ知らず、好き勝手なことばかり
『好きの反対は無関心』という言葉があるが、けだし至言だ。
信頼を寄せているはずの担当トレーナーまでもが、何の因果かそちらの側に回ってしまい、孤独に追い詰められた時。
彼女たちの瞳に
「つまりだな、……俺達トレーナーは、うら若き乙女たちが手にする剣にも、外野からの攻撃を受け止める盾にも、人生を見つめ直す鏡にもならなきゃならん。ウマ娘たちはな、お前たちが思っているよりもずっと、"人間"としての俺達の振る舞いを見ているぞ」
布施田トレーナーは、そう言って僕たち若手三人を、厳しい目つきで順々に見据えた。
釘を刺すように。心の奥底まで深く戒めるように。
刃のように研がれた指導者としての
「だからな、小椋。どういうつもりでその子をスカウトしようと考えたのかは知らんが、お前自身の関心は、今のところ"走り"の一面にしか向いていないんじゃないか? ――三年間一緒に過ごして、ただ走りの速さ
一撃、鋭く頭を殴られたような衝撃があった。
布施田トレーナーの言葉は
なぜなら、彼女をスカウトする動機から、彼女に売り込んだつもりでいた自分の能力に至るまで、全てはクレディカイゼリンというウマ娘を
クレディカイゼリンという"ウマ娘"が、レース以外の人生に何を求めているのか。そして、彼女を包み込む
その二点について、僕はまさしく無理解で、無関心だったのだろう。
その事実に思い至り、布施田トレーナーの言葉をゆっくりと脳裏で噛み締めたあと、僕は深々と頭を下げた。
「……返す言葉もありません」
「顔洗って出直してこい――と、普段なら言うところだが、……今の俺の中にはお前に報いてやりたい気持ちがある」
「へ?」
「そんだけ未練タラタラなら、まだ諦めた訳じゃあないんだろう?」
下げた頭の上にさらなるお説教が突き刺さることを覚悟していたが、降ってくる言葉は予想に反して刺々しさの欠片もなく、温かいものだった。
問いかけを聞いて、僕は困惑しながら顔を上げた。
「教え子が世話になった礼と、ついでに無手でスカウトに突っ込んだそのクソ度胸を買って、俺のなけなしの手札をお前にやる。うまく使えば、その子が言う"キャリアの浅さ"っつー懸念をいくらか払拭できるはずだ」
ずずす、と味噌汁を飲み干して、箸を置いた布施田トレーナーは、呆気にとられる自分の顔を見て、ニヤと笑みを浮かべながら言ったのだった。
「小椋。お前、俺のチーム・ピクシスのサブトレーナーになれ」