信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-12.深く静かに手を伸べて / The Listener -2

 

 

「中等部の3年、B-2の棚……」

 

 移動書架の立ち並ぶ細い通路を、メモを片手に奥へ奥へと進んでいく。

 ここは中央トレセン学園事務局・学生課の奥まったところにある、学生資料室。

 トレセンに在籍しているあらゆるウマ娘の情報が集積されていて、その性質から立ち入りが厳格に制限されている空間だ。

 

「か、き、く、……クイーン、クイック、クイン、……もっと奥だな」

 

 呟く自分の声が、自分の他に誰も居ない静かな空間に、やけに大きく響く。

 ウマ娘の名前に付けられやすいメジャーな単語というものはあるもので、時に大量のよく似た名前の奥底から目的のウマ娘を探しださなければならない事態も稀ではない。

 だが幸いというべきか、自分が探しているその名前はどちらかというと特徴的なワードの連なりで、探し出すのにそう苦労しなかった。

 

「あった、クレディカイゼリン」

 

 背表紙に書かれた名前と、合わせて記載されている学生番号とを照合して、書棚からファイルを引き出す。

 その表紙に手をかけつつ、僕はここに足を運ぶ発端となった、カフェテリアでの出来事を思い返した。

 

『チーム・ピクシスのサブトレーナーになれ』

 

 思ってもみなかった提案に、二の句の告げずにいる自分へ向かって、「俺だって全くの善意で提案してるワケじゃない」と、布施田トレーナーは食後のコーヒーを啜りながら続けた。

 

「去年の春でウチのメンバーが一気に三人トレセンを卒業してな。チーム構成の最低人数を下回っちまったんだ。ひとまず、たづなさんに掛け合って半年間は猶予期間としておいて貰ってるが、ピクシスは解散の危機だ。今年デビュー予定のメンバーも居る手前、シリーズ出走権を維持するためになるべく早く新入りを見つけたいっつー事情もある」

 

 明かされた()()というのを聞いてみれば、確かに状況が切迫したものであることは疑いようがなかった。

 

「……何人必要なんですか?」

「とりあえず、一人だ。それで最低人数の条件はクリアできる」

 

 人差し指を立てて、念押しするように告げられた布施田トレーナーの言葉。そこまでお膳立てされれば、含まれた意図にはすぐ合点がいった。

 

「話が見えました」

「なぁるほど。つまり、ピクシスの存続は小椋のスカウトにかかってるってわけだ。責任重大だな」

「阿呆。俺が何年トレーナーをやってると思う? あいつらが抜けるのに先手を打って、何人か別に()()()は付けてある。ひよっ子に尻拭いをしてもらうつもりは無ぇよ」

 

 だから仮にスカウトが失敗し(ご縁がなくても)ても、お前が気に病む必要はない、と前置きしつつ。

 

「お前は、その子に起きたレース中のアクシデントも見逃さなかった。目の良さは間違いなく中央でやって行けるトレーナーだ。おまけにたった1人のウマ娘のために学園上層まで動かそうとするクソ度胸もある。だが、それだけじゃ足りない」

 

 僕自身にに足りないもの――ウマ娘本人に関わる"大人"としての振る舞い。そして、もっと大きな"世界に向き合う者"としての振る舞い。

 それを見つめ直して、自分なりに答えを出すことが、どうやら僕に必要なことのようだった。

 

「お前が本当にその子の走りを支えたいと思うのなら、まずはもっと彼女を深く知る努力をしてみろ。本人が抱えている思いや願い。その全てに向き合えるように」

 

 そう言って送り出されたのが数日前のこと。

 関係各所に掛け合い、諸々の手続きを済ませてここに行き着いた、というわけだ。

 

 手の中のファイルに目を落とす。飾り気のない事務用の2穴リングファイルだ。

 この中には、ウマ娘・クレディカイゼリンがレースの世界で生きることを決めた、"思いや願い"が言語化され、集約されているはずだ。

 規定どおりの手続きを踏んで閲覧許可が与えられたとはいえ、部外秘中の部外秘とされるデータだった。

 ひとたび読み進めれば、ウマ娘個人の極めてプライベートな情報に手を伸ばすことになる。

 根源的でデリケートな、"想いや願い"に、素手で触れることになる。

 

「小椋、お前にその覚悟はあるか?」

 

 布施田トレーナーに、最後に投げかけられた問いが頭の中で響く。

 本当に、自分が触れて良いのか?

 自問自答しながら、目を閉じる。

 クレディと言葉を交わした時間は、それほど長いものではない。

 けれども、短い関わりの中で交わした言葉は、一言一句鮮烈に僕の記憶に残っている。

 

『承りました。寒いので、中で待っていて下さいね』

 温情。

 

『その言い方は、ちょっと卑怯(ひきょう)だと思います』

 不満。

 

『これは、真面目さなんかじゃ、優しさなんかじゃ、ありません』

 否認。

 

『私は、自分のしたことを間違いだとは思いません』

 決意。

 

『それで、本当に、いいんですか?』

 懊悩(おうのう)

 

『貴方に私の"たった一度きりのキャリア"を任せてもいいか、決心がつきません』

 そして、拒絶。

 

 一番新しい彼女との記憶――決裂の場面を思い返すたびに、心の中に残った後悔が胸を刺す。

 それでもなお、否、むしろスカウトに臨んだその時よりもずっと、自分の中の決意は強固になっていた。

 

 彼女が発したいくつもの言葉の裏に、そして心の内に秘めているもの。それが何かは今の僕には分からない。

 分からないままでは、前に進めない。自分を置いて先を急ぐ彼女に、追いつくことなど到底できない。

 あの時見た走りに、彼女の可能性を見出したのだから。

 あの走りが向かう先を見てみたいと、勝手に願ってしまったのだから。

 彼女はウマ娘で、僕はトレーナーだから。

 彼女よりも先に生き、彼女が征く先で前路を眼差して、その道行きを導かなければならないのだから。

 

「――!」

 

 意を決して、ファイルを開いてみる。トレセンの入学願書が最初のページに綴じられていた。

 そこに貼り付けられた顔写真は、今よりも少しだけ幼気(いたいけ)で、表情はこわばってこそいたが、それでも記憶にあるクレディカイゼリンの姿と間違いなく一致していた。

 

 すぅ、と深呼吸をして。踵を返す。ゴロゴロギュルギュルと耳障りな音を立てながら移動書架を壁際の位置に戻して、足早に廊下を歩む。

 手にはファイルを握ったまま。

 

 この学生資料室に入室が許されているのは事務方職員の一握りと学園所属のトレーナーが主だが、それでも一回の入室につき二〇分までという時間制限つき。

 資料の持ち出しには申請書を複数枚揃えて、それぞれに学生課長、事務局長、理事長まで続くハンコリレーが必要という手間のかかりようだ。

 心の迷いに()()()()()()()()だとか、贅沢なことに浪費できる時間は無かった。

 

「すみません。こちらの複写をお願いします――」

 

 そして、同じ日。

 社会人として初めての半休を取ることにした。

 

 




パートを分けたところ短くなりすぎたので、追加で1話更新します。
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