信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-14.或る聖職者の贖罪 / The Confessor -1

 

 

「あの年は……ああ、もう14年も前になるのですね。始まりはクレディを引き取る半年前のことだったかと思います」

 

 スーサ先生は、記憶の(ページ)を一枚一枚めくるように、語り始めた。

 とある年の瀬。この教会ではなく、教区の中心にあたる場所――主教座聖堂(カテドラル)で行われていた炊き出しに参加していた先生は、幼いウマ娘を負った男に呼びかけられて足を止めた。

 ぐずる幼子を示して、おにぎりとけんちん汁ではなく、ミルクの用意は無いものかと男は問うた。

 先生は、彼らを聖堂の中へと(いざな)い、勤めている修道女(シスター)とともに幼子のおしめを替え、湯浴みをさせ、哺乳瓶でミルクを()ませた。

 そうしてすやすやと寝息を立て始めた幼子を傍らに、男はほっと救いを得たような面持ちを浮かべていたのだという。

 

「それが、クレディと、その親御さん……?」

 

 僕の問いかけに、スーサ先生は静かに首肯した。

 

「母ウマと別離し、苦難の中、男手ひとりで幼子を育てていく苦しみ、不安、恐れ……。胸に抱いた多くの思いを、あのお方は話されました」

 

 語るうちに、男性――クレディの父親にあたるその人は、生活が立ち行かなくなることへの焦りを口にして、時にやり場のない怒りに震え、時には瞳に涙を浮かべていた。

 それにじっと言葉に耳を傾け、彼のたどった苦難と努力を肯定し、静かに言葉をかけ続けたスーサ先生に、男性は深い信頼を抱いたようだった。

 奇しくもこの教会の近隣で借り住まいを得ていたという男性は、年の瀬の炊き出しのあと、たびたび教会を訪れるようになったという。

 

「ほそぼそと、日頃の暮らし向きや、生活上のお悩み、行き詰まりをお伺いしておりました。やがて、硬くこわばっていた面持ちにも彩りが見られはじめていて、この様子なら、そのまま親子二人、平穏な生活を歩んでいくことができるのではないかと。私も、そんな希望を持っていたのです」

 

 だが、破局は突然訪れた。

 時期は梅雨入りもほど近い六月の頭ごろ。

 にわか雨の降りしきるの中、外での日課を終えて教会へと戻ったスーサ先生を出迎えたのは、何枚もの毛布で丹念におくるみに巻かれたウマ娘の幼子だった。

 首元には、養育を断念するに至った父親の悔悟(かいご)と、幼子の将来の幸福を祈念する言葉とが(つづ)られた手紙が挟まれていた。

 末尾に記されたその子の名前は、雨で濡れ滲み、不定形のシミの連なりとして、かろうじて紙面に残っていた。

 どうにか判読できたのはおおよそ半分、『カイゼリン』の五文字だけ。

 皮肉なものだ。

 皇女(Kaiserin)という綺羅びやかな名とは裏腹に、少女の人生の始まりはあまりにも寂しく、頼りない道行きだった。

 

「残念な結果にはなりましたが、その時既に私の心は決まっておりました」

 

 そう言って、先生は柔らかそうな栗毛に包まれた笹葉耳をふるりと震わせる。

 言葉を紡ぐ直前、小さく――ごくごく小さく吐き出された吐息には、言葉にできない感情が含まれていたように聞こえたけれど。

 それでも先生の言葉は、希望を裏切られたことを残念がるわけでも、クレディを手放す決意をした彼女の父にあたるヒトを責めるものでもなかった。

 

「それで、クレディは孤児院の子に……」

「ええ。ウマ娘の孤児はごく稀ですが、過去にも受け入れていた経験がございましたから」

「……こういう言い方は失礼かと思いますが、……彼女の父君に心変わりを促したりとかは……?」

「無論、考えました。ですが実際にヒトの子とウマ娘とでは、同じ幼子でも手のかかり様は大きく異なります。片親では尚更のこと。……頭ごなしに理想論を説いたところで、いずれきっと、親子双方の人生に不幸を招くでしょう」

 

 僕の問いかけに、先生は淡々と応じた。

 信仰の徒としては予想外に現実的な、有り体に言えば()()()物言い。それに違和感を感じないと言えば嘘になる。

 だけど、信仰だけ、思いだけでは向き合えない現実世界の困難に、幾度も対峙(たいじ)してきた経験から語られる重みがあった。

 ともあれ、こうして雨粒の洗礼を受けた孤児のウマ娘は、新たに聖句に由来する冠名(かんめい)を得て、教会で庇護を受けることになった。

 教会に併設された孤児院で育つ、三人目のウマ娘として。

 

「まだ乳離れが済んだばかりだったあの子は、当時ここに居た子たちの中でもひときわ幼くて、何をするにも年嵩(としかさ)の子たちの後ろをついて回っていましたね」

 

 先生は古びたアルバムを書棚から取り出して卓上に広げた。そこに並ぶのは、孤児たちの日常を切り取ったいくつもの写真。

 一枚一枚を丹念に眺め過去のエピソードに思いを()せながら、白魚のように美しい指がその表面を()ぜる。

 (いつく)しむように、懐かしむように。

 アルバムのページがめくられるごとに、写真の中の子どもたちと同じように、クレディカイゼリンもすくすく育っていった。

 おかっぱ頭の幼児期を過ぎた彼女は、いつの間にやら黒鹿毛の髪を背中まで伸ばしていて、黄玉(トパーズ)の瞳に愛らしさだけではなく凛とした輝きをたたえるようになっていたけれど。

 先生の記憶、そして写真の中で華やかに、快活そうに笑うその姿だけは変わらなかった。

 

「学校から帰ると繕いものや料理を教わりに来たり、下の子たちの面倒見もよく見てくれていました。私が腰を痛めたときなどは、教会の掃除や礼拝の準備を手伝ってくれたりしていたものです」

 

 先生は写真の一枚一枚を丹念に示しながら、自身の記憶を思い返しているようだった。

 その中のひとつ、ランドセルを背負ったヒトの童子数人とウマ娘ひとりを映した写真のところで先生の手が止まった。

 小学校に向かう道行きの途中だろうか。今よりもずっとあどけなく、子供らしい無邪気な顔を浮かべたクレディが、子どもたちを先導しながらカメラの方を振り仰いでいる。

 

 その隣に、ポストカードが差し挟まれていた。

 先生の手がふたつ折りに閉じられたそれを開くと、ビーグル犬がひょっこりと四つ足で立ち上がる。ポップアップカードだ。

 口元にカーネーションの花束を咥えたビーグル犬は、愛嬌のあるとぼけた表情をのぞかせていた。

 色鉛筆で描かれた手書きのイラストを切り貼りして作ったらしいカードの端書きに、他ならぬクレディカイゼリンの名前があった。

 大人の目線から見ても切り抜きから彩色まで丁寧な造りをしていて、気持ちを込めて造ったことが伺い知れる。

 

「……やっぱり、真面目な子ですね」

「ええ、本当に。他の子たちの模範になるような、良きお姉さんでした。ちょっと引っ込み思案で頑固なところはありましたけれど」

「ハハッ、それは、ええ。そうだと思います」

 

 スーサ先生の言葉に、初めて出会ったその日の彼女の姿を重ねて、思わず笑みが漏れた。

 アルバムのページをめくる。

 スーサ先生と孤児たちが教会の前に勢揃いした集合写真が、最後に一枚。それを皮切りに、アルバムは唐突に終わりを迎えていた。

 

「ちょうどあの子が8歳の誕生日を迎えた頃です。孤児院の閉鎖が避けられなくなったのは」

 

 スーサ先生の声色は僅かに震えて憂いを帯びていた。

 事の発端は、政治的なものだったという。

 その年の選挙で就任した新市長が、財政をぐるりと見渡して、収支成績のあまりよろしくなかった福祉分野に目を留めたらしい。

 赤字の続いていた会計を改善するために改革のメスを入れ、地域の児童福祉施設の統廃合を進めた。

 市長、市の職員や、養護施設を運営する数多くの民間団体、エトセトラ…。色々な部局と人間たちの間で、利害関係の調整や、思惑があったのだろうが、 廃止・閉鎖の対象として選ばれたリストの中にはこの孤児院の名前があった。

 通達を携えた市の担当者が訪れたのは、閉鎖の期限にあたる時期から数えて、ちょうど3年前のこと。

 戦後まもなくからこの地に開かれていたという孤児院は、降って沸いた存続の危機に晒されたのだ。

 

「何だってまた、ここが閉鎖なんかに?」

「決定事項との一点張りで、詳細は教えていただけませんでした。ただ、()()()()()()()()()、宗教団体の関連施設を公金で支援するのは(まか)りならぬ、と」

「だからって……」

 

 そんなのただのお題目じゃないか。

 とっさに吐き出しかけたセリフを、僕は憤懣(ふんまん)やる方ない思いともに、飲み込むしかなかった。

 今となっては、そう。6年ばかり遅すぎる。

 

「もともと、信徒の方々からの支援も受けて、ほそぼそと運営していた孤児院です。近隣の教会にも掛け合って助力を乞うたのですが、残念ながら……。ひとえに、私の力が及ばなかったのです」

「――っ」

 

 そこまで聞けば、察しの悪い僕でも嫌と言うほどに認識させられる。

 もう一度部屋の中を見回せば、次々目に映る、一見して十字教の教会には似つかわしくない小物たち。

 それらはきっと、もうここには居ない幾人もの孤児たちが(つむ)いだ、暖かな記憶の断片にほかならない。

 どの角度を向いても、どれかひとつは必ず目に入る。

 どれだけ目を背けたくても、否応なしに追いかけてくる。

 "罪の告白"という、突飛にも聞こえた先生の言葉に含まれた意味を、僕はようやく理解した。

 教会の管理者であり、孤児たちの養育者でもあった先生は、今もなお悔い続けているのだ。

 責務を果たせず、守るべき孤児たちから安寧を奪うことになった自身のことを。

 日々を過ごしているであろうこの場所は、(とが)を負った先生を繋ぎ止める()()のようにも思えて、仕方がなかった。

 ロザリオを固く握りしめ、頭を垂れるスーサ先生に、僕が掛けられる言葉はない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()ひとりで踏み込むには、先生が抱いたままでいるその罪はあまりにも重く、(くら)い。

 言葉だけではきっと、照らし出せないほどに。

 

「……少し、休みましょう。先生」

「――ええ。申し訳ありません。小椋トレーナー」

 

 そう言葉を交わした後で、先生はハンカチを取り出して静かに目元を抑えた。

 僕は先生にティーカップを示しつつ、自分も一口紅茶を口に含む。

 注がれてから少しばかり時間が経って、人肌程度のぬくもりに落ち着いたそれをゆっくり飲み下すと、波立った心を少しだけ落ち着けてくれるような気がした。

 鳩時計が静かに時を刻む中、五分か、十分か、無言の時間が過ぎて。

 

「……失礼しました。クレディの話でしたね」

 

 頬を伝った涙をもう一度拭い、僕と同じように紅茶を口にして、ややあってから、スーサ先生は再び顔を上げた。

 通達から、4年間の猶予期間があった。

 ――孤児たちはその間に、ひとりひとり里子として新たな家庭に受け入れられたり、養護施設に引き取られていったのだという。

 だが、クレディカイゼリンの身柄の引き受け先はなかなか決まらなかった。

 なんとも酷い話だが、基本生活費――ウマ娘の生活を成り立たせるには避けて通れない()()()()がネックになって、誰もが二の足を踏んでいたのだという。

 そんな中――、

 

「あの子にとっての弟妹たち……ほかの孤児たちの次の保護先がほとんど決まった頃でした。……ある日突然、教会を飛び出して行ったのです」

 

 そして持って帰ってきたのがこちらです、と続け、先生はアルバムの下から少し色味のあせたコート紙で(つづ)られた冊子を引き出した。

 中央に印刷された校章と、肩に水瓶(みずがめ)を担ぐ三体のウマ娘――三女神像。

 年度は幾分古いが、それは紛れもなく中央トレセン学園の入学案内パンフレットだった。

 

「願書を書いてほしい。それが彼女の願いでした。……わがままひとつ、ねだり事ひとつしたことがなかった彼女の望みです。断るつもりは元よりありませんでした」

「……クレディは、走ることに賭けたんですね。自分自身の人生――未来を」

 

 口の中に苦々しい感情が広がるのを感じながら、僕は確かめるように先生に尋ね、先生は静かに頷き返した。

 ――目眩(めまい)がする。

 (よわい)二桁にも届かない子どものウマ娘がひとりで背負うには、それは大きく、重すぎる決断。

 それ以外に進む道はないと、突き付けられた彼女が感じた心細さはどれほど冷たいものだったのだろう。

 それ以外に生きる道はないと、背負った決意がもたらす苦しみはいかほど重いのものだったのだろう。

 彼女自身の口から内実を聞いたわけではないけれど、彼女――クレディカイゼリンというウマ娘が何を思って、レースの世界に飛び込んだのか。

 疑問の答えは確かに得た。

 同時に、自分の過ちも思い知らされた。

 『真面目』だの、『優しい』だのと、彼女の人間性を切り取ったたった一面だけを見て評した僕の言葉は、きっと彼女にとって何の(ほまれ)にも、励ましにもなっていない。

 だって恐らく、彼女はそうあることでしか――。

 

「――やってしまった」

 

 そこまで考えが及んで、僕は自分の見識不足を深く恥じ入った。

 事情を知らずに言葉を掛けたとはいえ、クレディが歩んできた軌跡を(ないがし)ろにするような物言いをしてしまった。

 ここまで深く踏み込んでおきながら、今更彼女との関係を見直すことなどできるはずないし、そのつもりもない。

 だが、次に顔を合わせたとき、何と声を掛ければいいのだろう。

 いや、そもそもあれだけ強く拒絶された後で、果たして受け入れて貰えるだろうか。

 知らず知らずのうち、長く細いため息を漏らしながら、ぎゅうと眉根を揉んだ。

 

「小椋トレーナー」

 

 テーブルの向こう側から、(ひそ)やかな呼びかけが聞こえて、顔を上げる。

 スーサ先生は、まっすぐに僕の視線を受け止めた。

 後悔と自己嫌悪に(さいな)まれ続けたのであろう(とび)色の瞳は涙で潤んでいたが、その奥にはまだ、僅かに希望の光が瞬いていた。

 

「学園の合格通知が届いたとき、あの子は……心が安らいだような、救いを得たような、そんな顔をしていたのです」

 

 そうして、意を決したようにテーブルの上に置かれた紅茶――とうに湯気は立たずすっかり冷めきってしまった――を飲み干す。口を潤した後で、彼女はこちらに向かって深く、深く頭を下げた。

 

「私の信仰も、愛も、あの子が抱いた絶望を一人で覆すには力不足でした」

「――っ」

「きっと主は、私では届かないところにまで手を伸ばせる方を、あの子のそばに(つか)わされたのだと思います」

 

 信仰の徒としての彼女の立場を考えれば、ほぼ敗北宣言にも近いような言葉。

 それを前にして絶句する僕の前で、先生は続けた。

 

「どうか、あの子のことを導いて頂けませんか。あの子が道に迷い、希望を失い、将来が闇にとざされることのないように」

 

 窓から吹き込んだ風がカーテンを揺らす。

 差し込んだ西日がテーブルの上に細長い光条を描き出し、机の上で広げられたポップアップカードのもとまでするりと伸びる。

 光の道をたどって外の世界へと駆け出す瞬間を、ビーグル犬は今か今かと待ち続けているかのように見えた。

 

 

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