信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング) 作:A_Kaname
たたん、たたんとリズミカルに響く走行音を聞きながら、座席の側板に頭を預ける。
帰宅ラッシュと逆行する上り方面の電車の中は、人影も少なく空席を探す手間のかからない程度にがらんとしていた。
車内アナウンスがトレセン最寄りの府中駅を数駅先の停車先として数える。
そういえば、夕飯をどう調達したものかな。
何か食べて帰るか。買って帰るか。ちょっと今日は自炊って気分じゃないな。
そんなことをぼんやりと考えながら、スマートフォンを取り出して画面のロックを解除するのと、LANEの通知が視界に飛び込んでくるのは、ほぼ同時だった。
【プリマエトワールに友だち登録されました】
《小椋トレーナー! この前は本当にお世話になりました!!
さっきウチのトレーナーから、新しくピクシスのサブトレーナーになってくれるって聞きました!
これからもよろしくお願いしますね!!》
(=^・・^=)
絵文字の散りばめられたメッセージに続いて猫のキャラクタースタンプがぺこりと頭を下げている。
文体の若々しさに面食らって、僕は「うへぇ」と嘆息した。
仮にもこっちは教職なんだけど……とか、色々と言いたいことが湧き上がってくる。
まぁでも、
そんな独白とともに、ジジ臭いお小言を半ば強引に頭の隅に押しやりながら、返信の文面をしたためる。
(こちらこそ、これからよろしくお願いします)
(最初に君が布施田トレーナーのチームの所属だって聞いた時はビックリしました)
(サブトレーナーとして精一杯がんばります)
そう入力して送信。
それじゃトレセン近場の飯屋でも探そうか、と地図アプリを開いたところで、再度ぴょこんと通知が出る。
流石はデジタルネイティブ世代。打てば響くような即レスだった。
《トレーナー……固い固い! せめてフェミレスの時くらい砕けたカンジにしてくれないと落ち着かないよー》
「ぐふっ……」
バッド、とまでは行かずともプアコミュニケーションだったようだ。
理論先行・頭でっかちさはつい最近、他ならぬ彼女のトレーナーに指摘されたばかりだ。
新人トレーナーとして最優先で身に付けるべきなのは、思春期女子たちとの距離感の測りかたなのかもしれなかった。
しかし……一体どこからどう手を付けて改善すれば良いんだろうか。
難題だ。
眉根を寄せて考え込んでいる僕の事情を知ってか知らずか、エトワールは間髪入れずに続きのメッセージをよこした。
《まあ、うちのトレーナーには、もうちょっとその言葉遣い何とかしろっていつも叱られるんですけど》
(叱られたんかい。しかも複数回)
《てへぺろ》
画面の向こうでも舌を出す
思わず突っ込んでしまったが、先程と比べると感触は悪くない。
これが正解なのか? なんだか釈然としないけど。
(親しみを持って貰えたことを喜ぶべきか、もうちょっと教育的指導に積極的な姿勢を見せるべきか……)
《そこは喜んでくださいよー! うちのトレーナーは時々冗談が通じなくて怖いんですから》
《サブトレーナーさんまでまじめキャラだと、みんなずっと緊張してリラックスできなくなっちゃいます》
そんなコメントとともにグルグル目の猫がへたばっているスタンプがお出しされる。
「……まあ確かに、一理ある」
エトワールの言い分を聞いて、僕は独り頷いた。もちろん後が怖いのでメッセージにして送り返す訳にはいかないが。
布施田トレーナーはちょっとどころではなくコワモテで、物言いにも少し昭和の頑固親父めいたアトモスフィアがある。
そんな調子だから、確かに自分が肩肘張った物言いでチームの輪の中に入って行くと一層空気がピリつきそうだ。
これから先、彼女以外のチーム・ピクシスのメンバー共々、学園生活のかなりの時間を一緒に過ごすだろうことは違いない。
日常的に顔を合わせるわりにアイスブレイクもままならず、胸襟を開いたやりとりも
それならやっぱり、さっきの返信みたくもうちょっとフランクさを全面に出して……。
と、まだ見ぬチームメンバーたちとのコミュニケーションを脳内でシミュレートしていたのだが、時間を開けて続いたエトワールのメッセージは、それに待ったをかけるものだった。
《でも小椋トレーナーはそのくらいの堅さがちょうどいいのかも》
(……それはどうして?)
つい先程までのやり取りを
直後に既読がついたのはこれまで通りだったけれど、次の一言が返ってくるまでには、たっぷり三分が経っていた。
《クレディは、そっちのほうが合うと思う》
ぴくり、と心臓の鼓動が跳ね、キーボードを走りかけた指が途中で行き詰まる。
メッセージアプリ越しで直接表情は伺えずとも、既読が付いてから返信が来るまでのタイムラグから、エトワールが慎重に言葉を選ぼうとしているのは伺えた。
《小椋トレーナー、お願いがあるんです》
(何でしょうか?)
《あの子のスカウトを諦めないで》
ゆっくりと
再び瞼を開いても、LANEの画面に刻まれた文言は小揺るぎもせずそこに残っていた。
恐らく、というかほぼ確実に、プリマエトワールが話したいコトの本題はこっちなのだろう。
答えに
電車はするりとプラットホームに滑り込んで速度を落とし、がっくんとつんのめるように停車する。
電光掲示板の駅名表示を見てみれば、トレセン最寄りの府中駅まではあとひと駅だった。
《あの子、同室の私にもあんまり自分のこと話してくれなくて、なんで断っちゃったのか、よくわかんないんですけど》
《でも、入学した時から一緒の部屋で過ごして、嫌な思いをしたことはないんです。むしろ私のほうがメーワク掛けてるかもってくらいで…》
《なかなか本格化が来なくても、クサる素振りもなく一人でずっと自主トレしてるし。それなのに、私のほうが先にトレーナーと契約した時、自分のことみたく喜んでくれて》
《でも、ここのところどんどんドツボにハマって行ってる感じがして、見てらんない》
《小椋トレーナーにまで当たりが強かったのは、きっとレースの結果が思うように行かなかったせいもあると思うんです》
僕が視線を外して応答を控えていた時間が長かったせいだろうか。
エトワールは矢継ぎ早にメッセージを飛ばしてきていた。
それまでの軽快なやりとりとは打って変わって、どうにもまとまりを欠いて、落ち着きのない感情の連投。
内心の不安が滲み出していることがありありと分かる、そんな言葉の連なりだった。
どう答えたものだろうか悩ましくはあったが、少なくとも、彼女の懸念は杞憂なのだとはっきり伝える必要がある。
慎重に考えをまとめ、たった1つの文を書いては消し、表現を考えては修正し、推敲して、最後に送信ボタンをタップした。
(同じ立場だったら、僕だってクレディと同じ反応をしたかもしれない。だって自分の人生が掛かってるようなものなんだし)
(だから、全然気にしてない)
《よかった! スカウトの件であの子のことが嫌いになってるかも知れないって心配で》
(嫌いになる要素はどこにもないって。それに、彼女の走りはとっても魅力的だった)
そう。選抜レースでの彼女の走りを見てから、何度も思い返した。
一番に目を引かれたのは出足の速さだったけれど、落鉄というアクシデントに足を引っ張られてもなお、彼女の内に秘めらたポテンシャルはこんなものじゃないはずだと。
ほんの小さな衝突を経た程度で、縁がなかったと見切りを付けてしまうのは勿体ないと、確信した。
そして、僕がスカウトを申し出た時の彼女の反応も、
(根が優しい子なのもよく分かってるよ。彼女のことを良く知っている人たちが、みんな口を揃えて言うんだから)
エトワールを安心させようとして送ったメッセージは本心から出たものだった。
けれど、チクリ、と針で刺したように、少し心が痛む。
クレディがその人物評を真正面から受け止められないだろうことも、その理由にも、既に思い至っている。
当人の預かり知らぬところで、手前勝手に彼女の人物像を塗り固めてしまうことは、かえって彼女を苦しめることに繋がるかもしれない。
だからといって――、
(誰かが悪い訳じゃない。
(悪かったとすれば、あの時彼女の問いにちゃんと答えてあげられなかった僕のほうだ)
僕自身が立場を明らかにするのを、控える理由にはならない。
それは、クレディと再会したあの日、ファミレスのボックス席でお互いに反目していた彼女たちに向けた言葉でもあり、自分自身に向けた決意表明でもあった。
ウマ娘のキャリアを導くトレーナーとして彼女と向き合うにあたって、今の自分に必要なこと。
それは、彼女が心の内に抱いているはずの孤独な世界観を、丸きり否定することでも、全て受け入れて肯定することでも無いはずだ。
《もう一度、クレディと会ってくれますか?》
(一度と言わず、何度でも。専属の居ないトレーナーは意外と時間に余裕があるんだ。トレーニングだって見てあげられる)
《そしたら今度は三人で練習して、その後でごはん行きましょ!》
(その時はもうちょっと奮発できるようにしておくよ)
《約束ですからね! 次はお肉がいいな!》
(……財布が吹っ飛んじゃうよ)
《ここは大人の甲斐性見せるところですよー》
(お手柔らかにお願いします)
冷や汗の絵文字を添えて返した最後のメッセージに、《それじゃぁそろそろお休みなさい》と返ってきて、エトワールとのやりとりは一区切りを迎えた。
クレディのことを気にかけつつも、いつもと同じ気安いやり取りで締めたのは、エトワールなりの気遣いだったのかもしれない。
『次は府中、府中――』
アナウンスが到着駅を告げ、電車はスルスルと速度を落としてプラットホームに滑り込んだ。
電子音声のチャイムが鳴り、自動ドアが開く。
制服姿の学生やくたびれたスーツのサラリーマンなんかの人波に混ざって電車を降りる。
黄昏時を迎え、駅前の繁華街は等間隔に並んだ街灯の明かりに照らし出され始めていた。
商店街でお惣菜を漁ってからトレーナー寮へ戻ることにした僕は、アーケードのほうへと足を向けながら、スーサ先生と交わした言葉を思い返す。
『どうか、あの子のことを導いて頂けませんか。あの子が道に迷い、希望を失い、将来が闇にとざされることのないように』
代わりに出した回答は、「任せて下さい」と自信を込めて
思い返してみれば、ひどく中途半端で卑怯な保身めいたものに聞こえてしまうけれど。
それでも今の僕にできる、たったひとつの誓いだった。
灯火の注ぐ雑踏の中へ踏み出しながら、僕は教会を辞去する際にスーサ先生へ伝えた言葉を、もう一度だけ呟いた。
「――また伺います。今度は、クレディと二人で」