信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-16.交差しない速度で / Crosswind -1

 

 

「さて、どう距離を詰めたもんか……」

 

 トレーナー室の机の上に広げたA4用紙へと向き合って、僕は呟いた。

 中央には「クレディカイゼリン」と書かれた名前がある。

 それをぐるりと囲むようにウマ娘たちの名前を書き連ね、名前同士を矢印でつなぎ、ベン図で括って人物相関図に仕立てあげていた。

 

 先日協会を訪れて、僕はスーサ先生の記憶を通じてクレディの過去に触れたが、それだけでは未だ遠く離れた距離は縮められない。

 実の父との別れ、生まれ育った孤児院の閉鎖、先生との別れ。代わりに彼女の前に開かれた、レースという新たな世界。

 想像もつかないほどに酷薄で劇的な人生――もといウマ娘生に、今のところ彼女にとって全くの部外者に等しい存在でしかない僕が、土足で踏み込むわけにはいかなかった。

 他のアプローチが必要だ。

 

「エトワールのオススメは、このあたりか」

 

 ペンを取って、紙面の上端の方にある名前のいくつかに丸をつける。

 紙面にある名前はどれも、現在の彼女――中央トレセン学園のウマ娘として過ごすクレディの姿を見知っている者たちだ。

 例えば、普段しているトレーニングのことについて。

 あるいは日常の友達付き合いや、学園生活を過ごす中で彼女が楽しみに、あるいは悩みにしていることについて。

 教会からの帰り道、エトワールと一種の秘密協定を結んだ僕は、彼女から情報源になりうるウマ娘たちの情報を貰っていた。

 

「本当に、あの子が協力してくれてよかった」

 

 そう独りごちて安堵のため息を吐く。

 紙面にまとめたいくつもの名前を知るだけでも、僕の力だけでは大きな回り道を強いられていたに違いなかった。

 だが、感謝してそれだけでいけない。

 クレディが本来の選抜レースを棄権した一件からここまで、クレディとエトワールの間には少なからぬぎこちなさが積み重なってしまっているはずだ。

 解消できるタイミングがどこかにあってほしいが、残念ながら、二人のやり取りを外から見る限り上手く運んでいる感じはしない。

 それでもなお愛想を尽かさずに付き合ってくれているのだから、エトワールの面倒見の良さというか、彼女がクレディを想う心の強さには感謝しかない。

 今となってはピクシスの――つまりはエトワールのサブトレーナーでもある僕は、彼女のケアも担わなければならないんだけれど。

 

「――ひとまず、そっちは今後の宿題かな」

 

 LANEで話した通り、いずれ"大人の甲斐性"を求められる未来を想像して苦笑いし、すぐに表情を引き締める。

 彼らに片っ端から聞き取りを進めても、それでも分からないことは残るはずだ。

 

 例えば、僕のスカウトを断った後の、彼女の本当の気持ち。

 何故頭を下げたのか。中堅トレーナーの言葉が言いがかりに近いものであったことは、きっと彼女自身が一番良くわかっていたはずなのに。

 何故手を伸ばしたのか。僕が彼女の走りにしか目を向けていないことを、見透かしていたはずなのに。

 何故あんなにも、苦しげな表情を浮かべていたのだろうか。不適格と断じたトレーナーの手を、ただ振り払うだけのことなのに。

 

「……やっぱり、どうにもひっかかる」

 

 頭の片隅では、まだあの日の出来事が(うず)いたままでいたけれど。

 その真相は、このままこの相関図を眺めていたところで、きっと分からないはずだ。

 

 結論づけて、僕はA4用紙をデスクの引き出しに納めた。

 腕時計で確認した時刻は、十七時半を過ぎたところ。

 僕が話を聞こうとしている人物は、予定通りならばメインコースでトレーニングに励んでいる頃合いだった。

 

 

 

 ◆

 

 

「クレディ? あー、あの子は良くやってますよ」

 

 トレーニング合間の休憩中と思しきウマ娘は、そう言って鹿毛に金メッシュが入った前髪を手で掻き上げた。

 本格化が早く来たために、既にトゥインクルシリーズの一線で走っているという彼女は、クレディと同じクラスの同級生だった。

 

「一年の頃からずっと、栗東でも五本指に入るくらい早起きだし、練習時間もそんじょそこらのシニア級の子よかこなしてるんじゃないかな」

 

 スポーツタオルに顔を埋め、滴り落ちる汗を拭った彼女は、ふーっと大きな息を吐きながらそう補足した。

 その言葉を聞いて、思わず目を丸くしながら問い返す。

 

「マジか。本当だとしたら凄い負荷量だぞ、それ」

「時間だけなら、ですね。練習内容が噛み合ってないと、なかなか実力には繋がりにくいだろうけど……って、これはトレーナー相手に言うまでもないコトか」

 

 手厳しいようだが、指導者として確かに同意せざるを得ない、紛れもない事実。

 そんな感想を、誰に(はばか)ることなく言ってのけながら、金メッシュのウマ娘ははにかむように笑った。

 

「あんな細いのに意外と体力おばけだよねー」

 

 そこにほんの少しだけ眩しいものを眺めるような、憧れと嫉妬がないまぜになった感情の波紋が浮かんだのには気付かないフリをして、僕は問いかける。

 

「具体的にどんな練習してるかっていうのは、わかる?」

「やー、最近のことは知んないです。未出走の子たちって、何人かで模擬レースする以外はジムトレとかロードワークが基本だし、あっしはそんなに練習時間被らないから」

「そりゃそうだよね。……皐月賞、もうすぐなのに時間とってもらって本当にごめん」

 

 金メッシュのウマ娘の言葉と、彼女とコンタクトを取る前に仕入れた情報とをすり合わせて、僕は深く頭を下げた。

 彼女の次走――クラシック三冠レース、第一の冠・皐月賞の開催は今週末に迫っていた。

 追い切りでレースコースを日夜駆けている彼女と、未だ下積み時期であるクレディとの間に接点が生じにくいのは、考えてみれば自明のことだった。

 金メッシュのウマ娘にとってみれば、間違いなく本番に向けた最後のもうひと伸びのため、踏ん張っている時期にあるはずだ。

 練習を邪魔するわけにはいかないと、僕は早めに情報収集を切り上げて辞去しようとしたのだけど。

 

「いやぁ、いいんですよ。もう仕上げ時期だから、()()()()()()の回復も考えて負荷を掛けすぎるなって、トレーナーからも言われてるし」

 

 彼女は思いのほか鷹揚(おうよう)な態度で僕を引き止めた。

 ターフの上に腰を下ろし、スラリと引き締まった健脚を投げ出して膝踵(ひざかかと)のストレッチを始める彼女の言葉は、社交辞令というわけでもなさそうだった。

 彼女が腰を下ろした場所から少し距離をおいて横に並ぶように、僕もラチの横竿にもたれかかる。

 

「なるほど、『ピーキング』ってやつか。それじゃあお言葉に甘えて……。レース以外では、あの子はどう?」

「そうねぇ……、トレーナーさんが聞くんだから、スカウトに役立つ情報が欲しいんでしょうけど、あっしもそんなに詳しくないっすよ? 割とあの子とは話すほうだと思うけど、それもクラスの班分けが同じで、それなりに行事とかで一緒になるからってだけで」

「ふむん……」

 

 金メッシュのウマ娘の言葉から考えるに、彼女とクレディの関係はいわゆる"当たり障りない同級生"の範疇に収まるのだろう。

 これまでの視点主――プリマエトワールとスーサ先生の二人は、トレセンと、トレセン外とで立ち位置は異なるけれど、どちらも彼女と非常に近しい距離にいた。

 そう考えると、金メッシュのウマ娘は明らかに立ち位置を異にするもので、だからこそ十分参考にすべき情報源だと言えた。

 

「差し支えなければでいいんだけど、いつもは、どんな話しを?」

「どうって……普通っすよ。カフェテリアのメニューの話とか、期末テストのこととか。特にこれと言って特別じゃ……あ、こないだ放送のことで相談を受けたことはあったかな」

「放送……? 学生がやってる校内放送のこと?」

「ですです。放送委員なんですよ、あの子。といっても、アナウンサーじゃなくて、裏方で原稿書く係らしいですけど」

 

 話を聞いてみると、金メッシュのウマ娘はクレディが書いたという放送原稿を見せられて、意見を求められたことがあるのだという。

 曰く、普段の控え目な性格を考えると意外とエッジの効いた格調高い台詞回しをするらしい。

 確かに、エトワールから聞いた話でも、クレディの交友関係には委員会関連の繋がりがあったっけか。

 そちらも当たってみると、もっと多面的な情報が集まるかもしれない、と僕は脳裏にメモをとった。

 

「放課後とか、トレーニングしてない日はどうしてるの?」

 

 続けて問いかけてみると、金メッシュのウマ娘は「うーん」と腕組みをして考え込んでしまった。

 

「プライベートなこと聞こうとすると、なんだかんだはぐらかされちゃうし、オフの日作ってみんなで遊びに行く感じのキャラでもないし。なんとも……。彼女、かなり()()()()()()ですからね? トレーナーさん」

 

 行き詰まった挙げ句、「覚悟してくださいよ?」と、茶化してるんだか本気なんだか分からない台詞を添えて、ウィンクしてきた。

 これは……、いつぞや未出走の子たちの相手をした時と似た香りの反応だな。

 ともあれ、そんな人物評を聞いて、おおよそのあたりをつけていたクレディの性格について、確信を一段深める。

 彼女の世界観は、一見外に向けて開かれているようで、その実内向きに閉じている。

 

「なるほどね。少なくとも、()()()って感じじゃあなさそうだ」

 

 オブラートに包んだ表現で指摘すると、金メッシュのウマ娘は少し吹き出して、ですねー、と応じた。

 

「そこがあの子の強さでもあり、弱さでもあると、あっしは思うんですよね」

 

 ストレッチをひと通り終え、今度はラチの横棒を支えにする形で体幹のエクササイズを始めながら彼女は続ける。

 

「あっしもそうでしたけど、デビュー前でトレーナーも付かない時期って、本当に正しいトレーニングができてるのか、いっつも不安なんですよ」

 

 傾き、西の山肌の向こうへと暮れかけている夕日に照らされて、影法師がターフの上にヒョロリと伸びをしている。

 体を動かす本人よりも、ずっと背の高い人影が。

 

「いくら練習しても実力に繋がってる気がしなくて、誰だってヤんなるのに、あの子はいつ見てもよそ見しない。真剣そのものだもん。ほんと、何食ったらあんなにストイックになれるんだか。……でも最近ちょっと――」

 

 話の途中で、金色メッシュのウマ娘が言葉を濁すのが分かった。

 

「最近、ちょっと?」

「いや、ちょっとじゃないかもなぁ……。なんつーか、前よりずっと焦ってる感じ」

 

 ()()、と予防線を張った割には、彼女の言葉にはずしりと思い実感が篭りすぎていた。

 

「こっちが心配になるくらい一人で走ってる。もともと誰彼構わずつるむ子じゃなかったけど、それでも前は誘われたら未出走の子同士の模擬レースにだって、ひょっこり顔出してたんですよ?」

「それは……いかにも思い詰めてそうだ」

 

 心配げな声色を隠そうともしない彼女の言葉に、僕は小さく息を吐いた。

 体幹トレーニングを終えて、金色メッシュのウマ娘はまたひと口スポーツドリンクを煽る。

 しばらく双方の間に沈黙がおりた。

 びゅう、と一陣の風が吹いて、短く刈り揃えられた芝の連なりを波立たせる。

 遠くの方からは、「トレセーン! ファイッ、オー!」という掛け声とともに、足並みの揃った蹄鉄の音が聞こえてくる。

 金色メッシュのウマ娘は、トラックコースを横切って響いてくるアンサンブルにしばらく耳を傾けた後、こちらに真っ直ぐ視線を投げかけてきた。

 

「……ねぇ、小椋トレーナー。エトから聞いたけど、あの子に一度スカウト断られたんしょ? それでもあの子のこと、まだ諦めようと思わない?」

 

 彼女の言葉に僕は軽く眉を寄せつつ首を横に振る。

 クレディとの出会いが切っ掛けで、自分を見つめ直す機会を得て、了見が狭過ぎたことをまざまざと思い知らされた。

 トレーナーとしての実力も視座も、指導者たるに(あたい)しないという現実を突きつけられて、うんざりしなかったかと言われれば嘘になる。

 それでも、

 

「思わないね。ウマ娘の視野が狭くなっているのなら、それを広げるのが僕の役割だから」

 

 僕のど真ん中にある軸、トレーナーとして何をすべきかという確信だけはどうやっても揺るがなかった。

 

 ウマ娘――彼女たちは走るために生まれてきた。

 過去の自分を振り払うために、あるいはまだ見ぬ自分に出会うために。

 前進し、加速し、速度の壁をぶち抜くことを至上のものと信じて生きる種族だ。

 体が速度を増すたびに、景色はぼやけて自分以外のことが見えなくなる。

 それは彼女たちにとってかけがえのない武器でもあるし、同時に未来を狭める(かせ)にもなりうる。

 

 だからこそ、隣にトレーナーという存在がいる。

 時に背中を強く押してやるために、時に(かせ)を緩めてやるために。

 少しだけ行き足にブレーキを掛けてやるだけで、きっと視野は広がるはずだから。

 

「そうして広がった視野の先に、新しい道が開けて見えるのならそれでいい」

「……ならさ、クレディが見つけたのが、小椋トレーナーが居ない道だったら、その時はどうするの?」

「その先が崖っぷちじゃないかだけ確かめて、『気を付けて行けよ』つって、見送るだけさ」

 

 もちろん、振られちゃった時のショックはデカいけど、と何を隠し立てすることもなく言って、僕は口角を引き上げて見せた。

 キョトンとした顔でこちらを見ていた金メッシュのウマ娘は、「そっか」と一言呟いて、ペットボトルをスクールバッグに投げ込み、ぐいと大きく伸びをした。

 

「んんー、と。……話してたら結構いい時間になっちった。最後にひとっ走りしてから上がろかな」

「色々話してくれてありがとう。――そうだ、行く前にひとつ」

 

 スタートポジション向けて歩き出した背中に呼びかけて引き止める。

 多分担当トレーナーさんにも言われてるだろうけど、と前置きしつつ、ショルダーバッグの中から冷却パックを取り出して彼女に差し出した。

 最初に彼女へ声を掛けたとき、歩様を見てかすかに感じたぎこちなさが、ずっと気になっていたのだ。

 

「膝や足首に違和感があるなら、早めにアイシングして、休ませた方がいい。負荷を掛けるときはテーピングも考えてみて」

「あはっ、バレちゃったか。ホント、トレーナーってやつの目は誤魔化せないなぁ……」

 

 頭を掻きながら青いプラスチック包装に手を伸ばす彼女に、僕はぺこりと頭を下げる。

 

「忙しいところ、時間を取ってくれてありがとう。ええと……」

「ナーガ。みんなそう呼んでるから、ナーガでいいよ」

 

 金色メッシュのウマ娘・リョウアンナーガは、晴れやかな笑顔を浮かべながらそう返した。

 

「ありがとう、ナーガ。貴重な話が聞けて助かったよ。皐月賞、悔いのないようにね」

「どういたしまして。……そっちも、スカウト頑張ってね。お節介焼きのトレーナーさん!」

 

 




ちと長すぎな気はしますが、これにて溜め回終わりです。
次週からはストーリーが動き始めますので、またお楽しみに。
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