信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-17.眼差しは何処に向くか / Crosswind -2

 

 

 廊下の突き当りにある扉を開けると、古紙とインクが織りなす独特の芳香が僕を出迎えた。

 放課後を迎えた図書室には、自習スペースで勉強に励んだり読書をしているウマ娘たちの姿がちらほら見える。

 受付カウンターで返却された本の整理をしていた三つ編みに眼鏡のウマ娘に会釈をしつつ、書架の方へと向かう。

 

 天井近く、少々圧迫感を感じさせるほどにうず高く積み上げられた本たちの間を縫って、奥へ奥へ。

 そうしてたどり着いた一角には、小振りなアームチェアと椅子のセットがある。

 書架の間に埋もれるようにさりげなく、動線を阻害しないよう控え目に(しつら)えられたそこは、恐らく図書委員の配慮によるものなのだろう。

 ここからだと少々距離のある閲覧スペースまで本を持ち出さずとも、近場で腰を落ち着けることができる。

 幸い、あたりに先客は居ないようだった。

 

「さて、やるか……!」

 

 アームチェアに腰を下ろし、人知れず気合を入れて、ノートパソコンを広げる。

 チーフ――布施田トレーナーから受け取った資料と、ピクシス所属のウマ娘四人のスケジュールとを突き合わせながら、夏までの練習計画をまとめるのが僕の仕事だった。

 

 高等部と中等部のシラバスは……、行事がこのあたりで……。

 目標レースはここと、ここ、……あと状況次第でここ。

 ここは中2週のローテーション、となるとメニューは……。

 

 資料と首っ引きになりながら諸々の日程を書き込んで行くと、たちまちカレンダーのマス目は予定で一杯になった。

 僕が作っているのはあくまでもたたき台であり、素案に過ぎない。

 だけれど、チーフに目を通してもらってこってりダメ出しを食らい、さらにメンバー個々人の意見を盛り込む分の時間をマージンとして残しておかなければならない。

 

 ジム設備やトレーニングコース、プールの使用予約は先着順だ。

 ミニハードルや()(おもり)――いわゆる()()()()()()()である――などの練習器具も、計画が形にならなければ貸し出してもらえない。

 

 裁量は大きいが、時間は有限。

 自分の仕事がチームメンバー皆の出足の速さを決める。

 だからこそ集中して、必要なものを、可能な限り迅速に仕上げなければ。

 中央トレーナーに()()()()とはもう、事情が違うのだから。

 

「……」

 

 パソコンのキータップ音と、紙面を行き交うボールペンの筆記音とが断続的に響く。

 静粛さに満ちた図書室の、その中でも人気(ひとけ)のないエリアともなれば、そのほかに聞こえてくるのは空調設備が吐き出す送風の音くらい。

 アイデアを纏めるときはなるべく思考に没頭できる環境が欲しい僕にとって、広いトレセン学園の敷地の中でもここはかなり理想的な作業環境だった。

 ピクシスのサブトレーナーになった僕は、チームトレーナー向けに(あつら)えられた部屋に作業場所を動かすこともできる。

 環境としてはあちらも(ウマ娘たちが突撃して来なければ)静かは静かなのだが、アイデアが煮詰まったとき、ついつい同室に居る布施田(チーフ)トレーナーに意見を求めてしまいそうで、ちょっとばかり自重していた。

 巨人の肩の上に乗っかるのも大事だが、やっぱり実務的なノウハウは自力で手を動かさなければ身につかないんだろう、という予感めいた気づきがあったからだ。

 

 とはいえ流石にそろそろ自分で詰められる限界に来た感があるから、いずれにせよまた後で相談なんだけど。

 誰にともなく脳裏でそんな言い訳をしながら、チーフへの上申内容をまとめ始めていた、その時だった。

 

 とん、とん、とん。

 思考の水面に波紋が浮かぶ。

 徐々に近づき、大きくなってくる足音が、さざ波のようにこちらへ届く。

 

 この辺に人がくるのは珍しいな……?

 別に立入制限があるわけもない学園の図書館の一角であるから、特におかしいことでもない。

 特に意に介さず、手近な棚から取り上げたトレーニング教本の一冊を手にとって、ペラ、とめくったその時。

 とん、とん、とん、と規則正しかった足音が数メートル先で途切れた。

 

「――っ」

 

 密やかな息遣いがそちらから聞こえた気がして、僕はつられるように視線を上げ、そして、思わず目を見開いた。

 

「――や、奇遇だね」

 

 反射的に飛び出た声は、思いのほか上擦(うわず)ってしまっていた。

 予期していなかったけど、一方的に期待を募らせていた、その姿。

 黒鹿毛のウルフカットに、黄玉石(トパーズ)の瞳。右耳で控えめに主張する紅白ダイスの髪飾りと黃色のリボン。

 ウマ娘・クレディカイゼリンが、そこに居た。

 

「――どうして……ここに……?」 

 

 ハードカバーの書籍を胸元に抱えたまま立ち尽くして、こちらを見下ろす瞳は突風に煽られた灯火のように不安定に揺らいでいた。

 

「ご挨拶だなぁ。これでもお仕事の一環だよ。専門書に当たっていろいろ調べ物さ」

 

 ここはコンセントも、レース関係の本も近いし。

 そう、手を広げて示してみせた自分の姿は、もしかしてわざとらしく映っただろうか。

 

「あ、ココ、使うようなら退()くよ?」

「いえ……結構です。長居はしないので。トレーナーさんこそ……何もこんなところで……。机の方に、行けばいいじゃないですか」

 

 気まずそうに、目を伏せながら、クレディは言った。

 なんだか、実家の兄弟がちょっとしたお小言を言いに来た場面を思い出して、思わず苦笑いが溢れる。

 

「生徒たちの自習スペースをトレーナーが占領するわけには行かないだろう? その点ここはちょうど良いんだ。通路ぎわだけど邪魔にならないし、ヒトもそんなに来ない」

 

 首を傾げてみせるクレディにそう答えたものの、ここを作業場所に選んだ理由は、実はもう一つあった。

 放送委員の子から聞き出した情報――クレディが任されたという放送原稿のこと。

 ここは、その執筆に役立つであろう資料が収められた書棚へと向かう通路上だった。

 ついでに、僕の目の前にあるのはウマ娘レースのトレーニング理論や戦術を扱った成書が並ぶ書棚でもある。

 

 委員の仕事にも、自身のトレーニングにも、何事にも手を抜かない彼女であれば。

 勉強家で、来歴ゆえに節約志向であると聞く彼女ならば。

 ここで張り込んでいれば、いつか捕まえられるかもしれない。

 確実性なんてどこにもなく、オッズの相当高い賭けだったが、どうやら幸運にも当たりを引き当てたようだった。

 机の(かげ)で(ヨッシャ!)と拳を握りしめる一方、表情には歓喜が漏れ出ないよう細心の注意を払いながら、僕は続ける。

 彼女との間にある距離感を慎重に測りながら。

 

「だから君も、どうぞ、お構いなく」

「……」

 

 クレディは僕の言葉に静かに頷いて、書架の間へと歩みを進めた。

 細く伸びやかな指が居並ぶ本の背表紙を順々になぞって、一処(ひとところ)で止まって一冊引き出すのを認めてから、僕はまたパソコンの画面に視線を落とした。

 

 そこから再び、一角は静寂を取り戻す。

 それまでと違うのは、本棚から本を引き出し、ページをめくる音が新たに一人分増えたことだけ。

 ときにまばらに、不規則に。

 ときにリズム良く、足並みを揃えるように。

 ときに先を急ぎ、置き去りにするように。

 はらり。パラリ。

 奇妙な連弾か合奏のようにも聞こえるそれをBGMに、僕は作業を続けつつ、話を切り出すタイミングを計っていたのだが――。 

 

「エトのトレーナーに、なったんですね」

 

 切り出したのは、あちら側だった。

 ぱたん、と本を閉じる音に続いて、クレディの声が耳朶(じだ)を打つ。

 最初の挨拶から、既に十五分ほど過ぎていた。 

 

「――うん。サブトレーナーだから、他のチームメンバーにとってのでもあるけど」

 

 僕はそう応じて、一旦はパソコンの画面に落とした視線を、もう一度跳ね上げる。

 エトワールから聞いたのだろうか。僕から彼女には、特に伝えてくれとも、伝えるなとも言っていない。

 そうでなくとも、ウマ娘たちの間ではそういうちょっとした噂が広まりやすい事は知ってのとおりだから、特別驚くほどの事ではなかった。

 

「よろしくお願いします。あの子は真っ直ぐで、実力もある子ですから。……私と違って」

 

 クレディはそう言って頭を下げた。

 同室のウマ娘のことをそう評し、こちらに(ゆだ)ねようとする言葉はいかにも優等生然としていた。

 

「もちろん。できる限りのサポートをするつもり。ただ――」

 

 再び本のページに視線を向けた彼女が、最後に付け加えた一節だけは、聞き流せなかった。

 

「自分を卑下(ひげ)するものではないよ。君の走りは、君だけのものだ」

「……私たちは、走りで優劣を競っているんですけど」

「だとしても、デビュー前の能力で、レースウマ娘としての優劣が決まる訳じゃない」

 

 クレディが再び顔を上げる。

 僅かに見開かれた黄玉の瞳を真っ直ぐに捉えて、僕は(たしな)めた。

 

「なぜ走るか、どんなゴールを目指して走るのか。抱えてる事情はウマ娘それぞれだけど、どれもみんな等しく価値あるものさ」

 

 ウマ娘自身が、その事情に対してどのような思いを抱いているにせよ。

 思いを抱いて、走る事を選んだその決意に、優劣などあろう筈もない。

 

「……そういうものでしょうか?」

「そういうものだよ」 

 

 クレディはどうも腑に落ちなさそうな顔をしていたが、こちらに会釈だけを返した。

 彼女の背景について大まかに知った今、掛けられる言葉はもう少し他にもあるのかもしれない。

 だが彼女が心の内に秘めたものを易易(やすやす)とは明かしてくれない以上、これより深くは踏み込みすぎだろう。

 コミュニケーションは時に、引き際が肝心だから。

 話題を変える。

 

 僕は思いがけず思い出した風を装って、「そういえば」とクレディに問いかけた。

 

「あのレースの後、競技課から何か言われた?」 

「――いいえ。特には何も……そちらは?」

「同じく、何もなし」

 

 虚を突かれたような言葉には、はぐらかすような不自然さは無かった。

 返事を聞いて、一安心する。

 少なくとも、公平な審判の目から見て、彼女の走りに瑕疵(かし)はなかったということだ。

 クレディ個人にだけ競技課からの追求が及んでいて、彼女がそれをこちらに明かしていないという可能性も考えないわけではなかったが、多分この線は無いだろう。

 

 ルドルフから直に釘を刺されたとおり、彼女の公欠扱いを認めさせたうえで選抜レースにねじ込むという、一歩間違えばウマ娘をダシにした個人的な利益誘導と受け取られても何らおかしくない行為をしたのだ。

 もしそんな僕によって推挙(すいきょ)された彼女の走りが、スポーツマンシップを問われるような性質のものならば、僕自身の責を問う声だって必ず上がるはずだ。

 レースの現場に居合わせた者(出走ウマ娘やそのトレーナー)だけじゃなく、許可を出した学園の上層部の方からも。

 

 問題(クロ)と認識された上で泳がされたのか。

 不幸な事故(シロ)という扱いで放免(スルー)されたのか、はっきりとは判らないが。

 公的なお達しが無い、ということは、当面「問題なし」であるはずだ。

 

「なら、ひとまずビクビクして眠れない夜を過ごさなくてもよさそうだ」

「……そうですか」

 

 冗談めかした僕の言葉に、少しだけ耳を伏せながら、クレディは再び本に向き直ろうとした。

 

「お邪魔じゃなければ、いくつか提案があるんだけど」

 

 パソコンのモニターを閉じて、そんな彼女に正対する。

 視界の端でこちらの様子を認めたのか、本のページをめくりながら、ドキリとしたように身じろぎするのが見て取れた。

 

「スカウトの件は、一旦忘れてほしい」

「……」

「その上で、次走を見越して練習を見てあげることはできる。次の選抜レースは、確か二カ月先だったよね? それだけ準備期間があれば、今度はもっと、踏み込んだ作戦も立てられる」

 

 どうだい? と視線に込めて反応を伺う。

 僕のスカウトを断ったクレディだったが、先日の選抜レースを経て、新たに担当として立候補したトレーナーがいないことはリサーチ済みだ。

 なればこそ、彼女の目は次の選抜レースに向けられていることは疑いようがない。次は好成績を、願わくば一着を()る。そう心に決めて練習に励んでいるに違いなかった。

 

 僕の提案を受け止めた黒鹿毛の笹葉耳が(せわ)しなく揺れ動き、ややあって、彼女は流し目にこちらの様子を伺いながら聞き返した。

 返事が返るまでには、ふた呼吸ほど間があった。

 

「……チームのお仕事のほうが、優先じゃないんですか?」

「もちろん。チームメンバーの練習も、学科の仕事も手を抜くつもりは無い。その上で、迷ってるウマ娘ひとりのサポートに入れるくらいの余力はあるつもりだよ」

「……別に、迷ってなんか……それに、レース対策だって元々ひとりでやってましたから」

 

 クレディはこちらと直接視線を交わすことなく、本のページの文字を指で追っている。

 その横顔に向けて、もう一歩踏み込むように言葉をかける。

 

競争相手(ライバル)に混ざって、集団に揉まれる経験は、ロードワークでは得難(えがた)いものだと思うけれど」

「……視野が狭いって、また、おっしゃりたいんですか?」

「本の理論を実践してみる場は必要だろう? それともまさか、イメトレだけで本番に臨む気?」

 

 君が持ってるソレは、レース戦略を扱っているようだけど。

 そんな、まぜっ返すような物言いが気に障ったのか、クレディは無言のままこちらを一瞥(いちべつ)し、少しだけ耳を絞った。

 

「私がどんなトレーニングをしようが、貴方には――」

「関係無い。そうだろうね。……君はここまで、極力他人に頼らずやって来た。その努力を、道筋を否定するつもりは無い」

 

 語気を強めて反駁(はんばく)する彼女の言葉には、はっきりといら立ちが感じ取れた。

 それを真正面から受け止めて、そう伝える。

 彼女の背景を知った今だからこそ、取り(つくろ)うではなく、こうして言葉にできる。

 彼女が歩んできた道のりは、きっと彼女にしか歩めなかったもので、ひとり悩み抜いた末に見つけた道だ。

 それを突き崩すことなど、できるはずも無い。

 僕にはとても、そんな権利は無い。

 

 でもね、と一旦言葉を切って、僕は続く言葉をまとめ上げた。

 

「これから君が進む先の道は、いくつも枝分かれしてる。総当たりですべて試すには、ウマ娘の本格化の期間は短すぎるのさ」

「……」

 

 足掛け20年におよぶレースファンとしての実感と、職業トレーナーに要求される知識として身についている、先達の苦闘の歴史。

 そのどちらもが、嫌と言うほどその事実を教えてくれる。

 

「それと、これは君自身の問題とは別なんだけど」

「……まだ、何か?」

「たぶん、エトワールは、同室の子を置き去りにしてひとりで突っ走れるほど、強くはない」

「――っ」

 

 無数に枝分かれた道のうち、どれを選ぶかはウマ娘本人に委ねられている。

 その選択の過程に、同世代・同期のウマ娘の走りや想いが与える影響は、無視できないほどに大きいことを、僕はレースファンとしても、トレーナーとしても()っていた。

 クレディには彼女自身だけでなく、すぐ隣にある別の道を走っているウマ娘のことも、改めて気にして欲しかった。

 

「僕はあの子のサブトレーナーだから。彼女が安心して走れる環境を整えてやらなくちゃあならない。直接的にも、間接的にも、ね」

 

 そこまで一息に言い切って、僕は、ふぅっと長く息を吐いた。

 ページをめくる音は、いつの間にか止まっていた。

 

「……思うんですけど」

「うん」

「その言い方は、本当に、卑怯だと思いますよ」

 

 眉を(ひそ)め、(まなじり)を吊り上げながら、クレディはこちらを見据えていた。

 怒りと迷いの狭間で、黄玉(トパーズ)の瞳が揺れている。

 鋭く振るわれた尻尾が書架に当たり、バシン、と鋭く空気を震わせる。

 

「最初に会ったとき、言っただろう?」

 

 威圧感をはらんだ(うら)みがましげな視線を真っ直ぐに眼差(まなざ)して、僕はニヤ、と笑いかけながら告げる。

 

()()()()()()()()()()()()

「特に性格が」

「おっと、これは手厳しい……」

 

 容赦ないこき下ろしだが、こればっかりは彼女の調べ物を邪魔してしまった迷惑料として、甘んじて受け取ることにした。

 そのお返しとして、日時と場所を手短に伝える。

 

「興味があれば、当日そこに来て。……君の進路が目標に向かってるのか、ズレてるのか、見定められる機会を用意してあげられると思うから」

「……考えておきます」

 

 その言葉を最後に、書棚から数冊の本を追加で引き出して、クレディはその場を後にした。

 とん、とん、とん、と、やって来た時と同じ足音を伴いながら。

 それは、彼女がここに来た時よりも、心なしか早いペースのように聞こえた。

 

 再び静寂を取り戻した書架の一角で、僕は再びパソコンを開いた。

 LANEのアプリを立ち上げて、エトワールに先程までのあらましを共有して、再びもとの作業――ピクシスメンバーのトレーニング予定の調整に頭を(ひね)った。

 

 ひとまず、彼女に向けてボールは投げかけた。

 受け止めてくれたのなら、それでいい。

 今は、それで。

 

 

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