信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-20.怖れを掲げて / They Run Rings Around Me -1

 

 

「ぐっ……、はぁ……はぁ……、流石に……堪えます」

「あ゛ー、くたびれた」

「ふくらはぎが~ダルダルダルメシアンです~」

「おむ、らとれ、なー……タイム、どうだった?」

「えーと……、上がり3ハロン47.1」

「くそタイムすぎる……」

 

 思い思いに、口々に疲労を訴えながら、先輩たちとエトはコース外の地面にぐったり座り込んだ。

 それぞれの腰に巻き付いたウエイトベルトが外されて、ぼすん、と鈍い音を奏でる。

 

「お疲れ様。5セット終わったところだし、ここで一旦ショートブレイクにしよう。みんな水分補給とストレッチをしっかりね」

「「はぁーい」」

 

 腕時計を覗き込んで告げたトレーナーさんに応じて、ピクシスの皆が唱和する。

 私は膝を突きながら深呼吸して息を整え、皆に少し遅れて「わかりました」と小声で応じた。

 つい先程まで全身に満ちていた、ほぼ全力を尽くしたラストスパートの余韻――どくどくと高鳴る鼓動がまだ体の中で(うず)き続けていた。

 

「ほら、クレディ。お疲れさま」

「……あ――、ありがとう、ございます」

 

 柔らかい声色とともに差し出されたスクイズボトルは、チームの備品にしては擦り傷のひとつもなく真新しい。

 違和感を感じて記憶を掘り崩していくと、あの選抜レースの後にトレーナーさんと交わしたやり取りに行き当たった。

 はっとして顔を上げる。小首を傾げ、不思議そうな面持ちでこちらをうかがっていたブラウンの瞳と視線がぶつかった。

 

「他の子は使ってないよ。念のため」

「いえ……。私、そういうの気にしませんから」

 

 その台詞はまるきり、()()()の焼き直しみたいに聞こえて。

 あの時の自分から、何も変われていない。そう突き付けられたような気がしてしまって。

 とっさに、苦し紛れに吐き出した返事には、自分でもまずいなと思うくらいに鋭く突き立った(トゲ)があった。

 それを特段(とが)めることなくさらりと流したのは、きっとトレーナーさんなりの気(づか)いだったのだろう。

 ばつが悪くて、彼と正面切って向き合うことはできなかった。

 私はそれとなく余所(よそ)の方に体を向けて、ボトルに口を付ける。

 

 市販品のものと特に変わらない柑橘系のフレーバー。

 飲み慣れた味わいが口の中に広がった苦みを少しだけ薄めたけれど、さっき掘り返したばかりの記憶と混ざり合って新たな呼び水になる。

 ひと息に飲み下すと、あの時に感じた感情のせめぎ合いが、胸の奥底に少しずつ滲み出てくるような、そんな気がした。

 

「さっきは良い走りだったよ。特に最後の50m、競りかけられても粘り抜いたのは本当に頑張った」

「……ほかの皆にハンデがあってこその結果ですから、喜んでられません」

「それでも、君の()()であることは変わらないさ」

「……」

 

 それだけ言い残して、トレーナーさんはピクシスのほかのメンバーにドリンクを配るため去っていった。

 去り際に残した一言は、私が『無価値』と切り捨てて地に放り出してしまった成果を、ひとつひとつ拾い上げては(ほこり)を払って、また私の手の中に握らせようとするかのようなもの。

 けれども。

 ひとたび地にまみれ、泥に汚れたはずのものを『価値あるもの』として満足そうに取り上げて見せるその所作こそが。

 誰かを満足させられる成果などロクに生み出すことのできない私からしたら、不格好で醜い自分自身の姿を鏡映しにされているようにしか見えなくて。

 

 なによりも。

 きっと純粋な善意から出たはずのその行いを、好ましく受け止められない自分自身が腹立たしかった。

 

 ボトルを握る手に、知らず知らずのうちに力がこもる。

 

 もしもあのレースの道中で、落鉄せず走っていたら。

 こんな鬱屈とした感情を知らないまま、新しい世界に踏み出せていただろうか。

 

(……つまらない妄想ね)

 

 甘ったるい息を吐きながら独白する。

 終わったレースに『もしも』はない。

 あの時ゴール板を通り抜けた瞬間に、私が負う価値は一度決まってしまった。

 だからこそ、次は新たな成果をもってそれを覆すために、勝ちを掴むために。

 顔を背けたくなるような自己嫌悪を飲み込んで、私はここにいるのだから。

 

「まったくもう……、さ!」

「――ひゃっ!」

 

 突然、(すね)に氷のような冷たさを感じて、頭の中で渦巻いていた思考がまるごと吹き飛んだ。

 反射的に飛び退いて、足元を見やる。

 ぐでー、と地に倒れ伏したエトが、いつの間にか忍び寄ってきてアイスバッグを中空に掲げていた。

 高さはちょうど、さきほど足に冷たさを感じたあたり。

 

「小椋トレーナーの言う通りよ。アタシはともかく、先輩たちにだって勝ったんだから、もうちょっと嬉しそうな顔しなさいよ」

「そんな……こと、できない。トレーニングにお邪魔してる立場なんだから……」

 

 氷嚢と同じくらい冷ややかな視線に下から突き上げられながら、私はかぶりを振った。

 私よりもずっと実力のある先輩たちに、レースに必要のない重り――負担を背負わせて、自分と同じところまで降りてきてもらって初めて、ようやく手にした一着。

 そんなものが、かりそめの勝ち以外の、何だって言うの。

 口には出さなかったけれど、もやもやした感情が両耳まで行き着いてひとりでに絞られる。

 

「あのねぇ――」

「全然、気にしませんよ」

 

 エトが鼻息荒く起き上がり、何事か言い出そうとしたちょうどその時、私達の間に割って入る声があった。

 声の主はアル――カミーノアルアンダさん。学年でいうと私達のひとつ上の先輩だ。

 普段エトがチームのことを話すときに名前だけは聞いていたけど、顔を合わせるのは今日が初めてだった。

 芝の上に座って足回りにアイスバッグを当てながら、先輩は落ち着いた声色で言った。

 

「どんな形式でも、一度スタートしたらレースはレース。所属も過去の戦績も関係なく、お互い実力だけで一着を争う関係ですからね。勝者には栄誉があって然るべきです」

「実力、って言っても――」

 

 その先を告げようとして、私は途中で口を噤んだ。

 だって、いくらなんでもおこがましい。

 トレーナーさんがそういうメニューを組んだのは、きっと私が先輩たちと同じ土俵で走れるようにするため。

 つまり先輩たちが重石を背負っているのは、他ならぬ私のせいなのだから――。

 

「私見ですが」

 

 言葉を紡ぎ出せずにいる私に向き直ると、そう前置きしてアルさんは切り出した。

 

「本気を出せないなら出せないなりに、実力が劣っているなら劣っているなりに、どんなレースをするか。もとより、コレはそういう対応力を養うためのメニューだと思います」

「劣っているなら、劣っているなりに……?」

「ええ。コンディションを完璧にするのは理想ですけど、必ずしも毎レースとも調整が上手くいくわけじゃありません。太め残り、風邪や足元の不調、メンタルの乱れ……。色々な要因で"調子"は左右され、脚のキレは鈍ります。G1の前哨戦なんかは、完成度七,八割の状態でも『当たって砕けろ!』って感じで臨む子も、実際多いですし」

 

 ままならないものです。そう言って、アルさんは苦笑いを浮かべた。

 それはレースウマ娘にとって決して好ましくないはずの事態なのに、悲観したり、開きなおるような物言いじゃなかった。

 まだ未出走の私には想像もつかないけれど、先輩はきっと何度も調整を重ねてレースに臨んだのだろう。

 いつでも完璧の状態で出走できたわけではなかった、そんな実経験から来たものだろうと、直感的に分かった。

 自分の中にあるもやもやが、ほんの少しだけ流れを変えた、ような気がした。

 

「それで本当に、勝てますか……?」

「可能性は劣るでしょう。"絶好調"の時のパフォーマンスに比べれば。ですが――」

 

 見つめる私の視線を受け止めながら、アルさんは手元のドリンクをごくごくと煽り、ふう、とひと息吐いてから続けた。

 

「爪痕を残すことはできるかもしれない。一着はとれずとも、三位以内に入れれば、あるいは掲示板に載れば、次走に向けてステップアップできる。トゥインクルシリーズを走っていく中で、そんな機会は多い。デビュー、そしてクラシックレースを控えたキミたちなら、特に」

 

 私とエトとを順々にまなざして、最後に確信を持った面持ちで、アルさんは告げる。

 均一に刈り揃えられたターフを思わせる、澄んだアースグリーンの瞳には、虚飾の影も過言の差し色も見えなかった。

 

「そういう局面で、勝ち筋を探してあがき続ける走りが必要になる。このメニューでは、ソレを試すことができる。……ですから私にとっても有意義ですよ。この練習は」

「――だってよ、クレディ?」

「そういう、ものですか……」

 

 隣からエトにジロリと睨みつけられる。

 はっきり苛立ちが混ぜ込まれた仏頂面を向けられたまま、ぎこちなく頷いたけれど、それでもなお心のもやもやは晴れなかった。

 アルさんの言葉を疑うつもりはない。でも、私はそれに甘えてしまって本当に良いのだろうか。

 誰かに意見を求めてどうにかなるものではないはずだけど、かといって自分ひとりでは到底答えなんて――。

 

「――流石はピクシスいち、ベテランのウマ娘。後輩指導も堂に入ってるね。……この分なら、アタシもいよいよ()()()()()()かなぁ」

 

 ウッドチップの乾いた匂いを連れて、夕風が吹き抜けた。

 髪を吹き散らし、巻き上げられた右耳のリボンが視界を掠めて思わす目を細める。

 乱れた髪を手櫛でかき分けていると、ぱさ、ぱさりと芝を踏む足音が近づいてきて止まる。

 チーム・ピクシスの最年長――サーマルソアラさんはのんびりとした口ぶりでそう言って、両手を頭上で組んで大きく伸びをしていた。

 スラリと引き締まったスマートな肢体は、真正面から受けた突風を前に小揺ぎもしていなかった。

 

「あはは……本番前なので、少し熱くなってしまいました。……というかソアラ先輩、いきなり何を言い出すんですか? 隠居なんてまだ許しませんよ!」

「えぇー、老体に鞭打つのはやめてくれよー。これでも新進気鋭な後輩たちに追い越されないか内心ヒヤヒヤしてるんだからさぁ……って、うわぁ!」

 

 アルさんに釘を刺されたソアラさんは肩をすくめながらはにかんでいたけれど、突然その両脇からニョキッと手が伸びてくる。

 

「駄ぁ目ですよ~♪」

 

 謡うような調子をつけながら囁いたノートさんが、そのままソアラさんの腰元をホールドして抱えて持ち上げた。

 風に揺るがない()やかな体躯も、ウマ娘パワーの前ではなんのその。

 ノートさんはソアラさんを抱き上げたまま、片足立ちでぐるりぐるりと――エトが寮室でたまにやるバレエのピルエットのように回る。

 

「ソアラがレースをやめちゃったら~、ピクシスの存続がも〜っと危ぶまれちゃいますからね〜♪」

「のぉぉぉおおぉぉぉとぉおおぉ!?」

 

 遠心力に手足を引っ張られてちょうどカタカナの「ヒ」に近い格好でぶん回されたソアラさんの声はくわんくわんとうなりを伴って響いた。

 突如始まった上級生たちのじゃれ合いを前に、どんな反応を返していいか分からずにいると、隣でエトが(あき)れたような声色でぽつり呟く。

 

「先輩、声やば……、あれよあれ、何だっけ? 物理でやったやつ。救急車の……」

「……ドップラー効果?」

「そうそれ。ってかノート先輩、全然姿勢がブレない……っあー」

「どうしたの、エト?」

「……なんでもない。なんか負けた気がするって、思っただけ」

「……?」

 

 いつも竹を割ったようにはっきりとした物言いをする彼女には珍しい、要領を得ない返事。

 言葉尻にほんの少しだけ苦いものが混ざっているような気がしたけれど、その由来が何かは私には分からなかった。

 当たり前か。

 自分の身の振り方ひとつ決められない自分が、理解(わか)ってあげられるなんて思い上がりもいいとこだ。

 それが、たったひとりの同室の子のことだとしても。

 

「の、ノート先輩! それ以上だめです! ソアラ先輩がGで白目剥いてます! リリース、リリースです!」

「はぁい……それはさておき、アルもずいぶん頼もしくなりました~♫ エトもクレディちゃんも、よく頑張りました~♬」

 

 アルさんが慌てふためきながら、半ば強引に回転を押し止めた。

 ノートさんは素直に私達のほうに向き直ったかと思うと、今度は後ろ抱きにしたソアラさんの右手(ぐったりしている)を取り上げて、二人分の手のひらをこちらに差し出した。

 まずアルさんの頭に、そして立て続けに、エトの頭、そして私の頭に載せて撫でさする。

 

「――うわっぷ」「な、何? なんですか!?」「あうっ」

 

 えらいえらい。かわいいかわいい。

 しっとりとした、慈しむような手つきで順番に撫でさすり。

 そして花の蕾がほころぶような柔和な笑みとともに、私たち三人を見回して言った。

 

「私も、アルの意見に賛成です〜。勝者の栄誉は格別なものだけれど、たとえ勝ちきれなくても『目いっぱい勝利に手を伸ばした走り』を積み重ねて、グランプリレースに出走できる子も居るわけですからね~♬」

「グランプリ……、宝塚記念と、有馬記念」

 

 私はその2つのG1レースの名を反芻しながら、思わず胸元に手を添える。

 ポリエステルのさらりとした生地の感触越しに心臓の鼓動の高鳴りを感じて、少しだけ息が詰まった。

 2つのレースはともに、ファンの投票によって出走者が決まる。

 ウマ娘の走りが、人々の信に値するものであればこそ。

 たとえ距離適性が合わなくとも、バ場条件が合わなくても。

 駆け出しの若駒でも、円熟期にあるトップランナーでも、キャリアのピークを過ぎた老兵でも。

 中央(URA)に属し、トゥインクル・シリーズで走り続けている限り、出走の機会は与えられる。

 その栄誉に浴することはつまり、世代の頂点に立つ『価値ある18人』のひとりとして認められることに違いない。

 

「――だから、ひとつひとつの練習をしっかり、ね?」

 

 最後に私の頭を柔らかくひと撫ぜし、ノートさんはもう一度念押すように言った。

 直前までの奇行(失礼ながら)を考えると、落差が凄くて少々出し抜けに聞こえてしまったけれど。

 その言葉は暖かく慈愛に満ちていて、なぜか懐かしく感じた。

 

「……はい。ありがとうございます。先輩」

 

 今の自分の実力を考えれば、とんでもなく大それた空想。それでも、――もしそれに(あずか)ることができたのなら。

 心の中で渦巻く"もやもや"の、さらに奥底にある凍て付くような()()だって、癒やされるのかもしれない。

 そんな分不相応な願いを抱くことも許されたように感じて、もやもやが少しだけ薄らいだ、そんな気がした。

 

「……ノート先輩? 綺麗にまとめようとしてるところ難ですけど、そろそろソアラ先輩を離してあげてください」

「あら~、いけない!」

 

 私が頷くのを見計らったかのように、アルさんが遠慮がちに横合いから突っ込みを入れる。

 ノートさんは慌ててソアラさんを腕の中から解放し、ようやく自由の身になったソアラさんはこてんとターフの上に倒れて青い顔のまま(うめ)いていた。

 

「大丈夫ですか、先輩?」

「うえっぷ……。んんん……頭がグラグラする。ヴァーティゴ……。こりゃあ当分空には上がれないや」

「冗談言えるくらいなんで、大丈夫そうですね」

「ひどい!」

 

 先輩相手とは思えないエトの雑なコメントに、ソアラさんが声高に抗議する。

 それを聞いてノートさんとアルさんが声を上げて笑いはじめ、ソアラさん自身も「なんだよもー」と半笑いになる。

 私も釣られて吹き出してしまって、いけない、と意図せず上がった口角を手で押さえたその時。

 脇腹を小突かれてすぐ隣を見た。

 少し呆れたような面持ちで覗き込んでくるエトと目が合った。

 

「……やっと、笑ったわね。気負いすぎよ。アンタは」

 

 つっけんどんではあるけれど、少しだけ柔らかさのある声色でそう言って、小さくため息を吐いた。

 私が何か言い出すよりも早く、エトは芝の上に倒れ込んでぐったりしているソアラさんを支え起こし、ドリンクボトルを差し出しながら問いかける。

 

「ねぇ、ソアラ先輩は今日のメニュー、どう思いますか?」

「うーん……ぶっちゃけ特に何も考えて無かったなぁ」

「無いんですか!?」

「いやまぁ、サブトレーナーさんも最初に言ってたし、そうかー今日は戦術メインのトレーニングかーって、それだけ」

 

 期待していた答えとは違ったみたいでアテが外れたような顔をしているエトに、特にはぐらかす様子もなく返して、ソアラさんはエトの手からボトルを受け取った。

 ドリンクを一口含み、ふうっという細長く息を吐く。

 そして――めまいはもう落ち着いたのだろうか――体育座りの姿勢から大きく上体を反らしたかと思うと、後方ブリッジの姿勢から足を跳ね上げて、流れるような所作で倒立し、勢いそのままに立ち上がった。

 

「よっ、と」

 

 行動は突飛だけど、もったいぶったり奇を(てら)ったりする素振りは欠片もない。

 できるから、やりたいからやっている。そういう動きだった。

 自然体、という言葉はこの人のためにあるみたい。

 エトが言うには"気負いすぎている"私とは、まさしく対極にいる。

 

「ソアラさんは――」

「ん?」

「怖く、無いんですか? 実力どおりの結果が出せないことが。支えてくれたヒト、送り出してくれたヒトに、(むく)いられないことが――?」

 

 私が恐る恐る発した問いかけを聞いて、ソアラさんは首を横に振った。

 

「怖いよ。相手が格上でも、そうじゃなくても。どんなレースだってそう。……でもそれは、スタートラインに立ったウマ娘皆、同じことだと思うな」

「同じ、こと……」

 

 返ってきた言葉をオウム返しにつぶやきながら、私は視線を彷徨わせる。

 視線の行く先で、ノートさんが薄く微笑み、アルさんは瞑目したままむっつりと頷いた。

 ぽん、と背中にあてがわれる温かい感触。

 ウマ娘としても体温の高めなそれは、私が良く知っているエトの掌だった。

 

「怖さは――その()()は一人ひとり違う。走りに人生掛けてる奴と、『何かを成し遂げたくて』走ってる奴と、ただ『走れるから』走ってる奴とで、全く同じであるわきゃない。同じレースを、同じゴールを目指して走っているのに、そもそも前提からしてアンフェアなんだよ」

 

 ソアラさんは私たちに背を向けて数歩、歩き出しながら茫洋と言葉を続けた。

 

「ウマ娘が二千人も居れば、中には重みを放り捨てて走れる子だって、多分いる。けど、レースが終わって頭が冷えたら、また向き合わなきゃいけない。レースウマ娘として生き続ける限り、ね。……それが嫌になって、トレセンから出ていく子も一杯見てきたけど」

 

 不公平に対する文句にも、現実に対する諦めのようにも聞こえる音色を言葉の端々に滲ませながら、足取りはどこか寂しげにも見える。

 

「だからって、誰かの怖さを肩代わりしてあげることも、誰かに背負わせることもできないから。自分の持ち分なら、()()()()()()()()()()()、抱えて走らなきゃ。――()()と同じ」

 

 そう言って、ソアラさんは少し離れたところに置かれていたウエイトベルトを掴み上げる。

 ナイロン袋の端を握る右手の甲には筋が鋭く浮き出ている。

 釣り上げに無酸素運動(ウエイトリフティング)が必要なくらいには重みのあるはずのそれを、よっ、ほっ、と軽やかに振り上げ、空中でもう片端を掴みとって自分の腰に巻き付けた。

 

「ともあれ、そうだね……。もしキミの中にまだ私達への遠慮や、心残りがあるなら……掛ける言葉はひとつだけ」

 

 パチリ、とバックルを留めて、ソアラさんは私に向き直った。

 昏々(くらぐら)とした(おそ)れを内に受け()れてなお、澄み切った蒼空(あおぞら)のように輝く瞳。

 自由人でいて不自由な、競技者の瞳で、私をまなざしながら。

 

「一着おめでとう。それと、次は負けないから」

「――っ!」

 

 瞬間、寒風に吹かれたように肌が泡立って、首筋を掴まれたような息苦しさが沸き起こる。

 反射的に、すぐとなりに立っていたエトのジャージの裾に手が伸びて掴み、エトの手が私のジャージの背中を握り込んだ。

 

 ソアラさんが私達に背を向けて歩き出したその時、全身に感じていた圧力がすっと和らいで、初めてプレッシャーに当てられていたことに気がついた。

 

「……本当、隠居はまだまだ早すぎますよ、先輩。さぁ、行きましょう、二人共」

「ふふっ。そうね。後輩たちに威厳のある姿をもっと見せてあげないと~。私達も負けませんから~♪」

 

 先輩たち二人もまた、少しだけ声のトーンに熱量を込めながら後に続く。

 斜めに伸びた影法師が遠ざかっていくのを目で追いながら、私はゆっくりとエトのジャージから手を離した。

 大きく、ひとつ深呼吸。

 自分の頬をパチンと両手で叩いて、まっすぐ前を向いたまま口に出す。

 

「――絶対、()()()()から」

「アンタ"逃げ"じゃん。逆でしょ、逆。――そっちこそ、腑抜けた走りしたら許さないから」

 

 小競り合いの後で、どちらからともなく、足を踏み出す。

 慣れないけど、本当に()()()みるのも良いかも。なんて、普段は絶対に考えもしないことを頭に浮かべながら。

 

「サブトレーナー、そろそろ始めてもいい? あんまり時間空けてると、かえって身体が冷え過ぎちゃうしさ」

「んー、時間的にはちょっと早いけど? ……まあ、皆が良いなら」

 

 トレーナーさんたち二人は打ち合わせをしていたところだったみたいだけど、ソアラさんの呼びかけに顔を上げ、二言、三言交わして準備を始めた。

 まっすぐウッドチップコースの中に向かうピクシスのメンバーとは一旦別れて、私はひとりでトレーナーさんの方に向かう。

 トレーナーさんはプラスチックケースの蓋を取り上げながら、私の顔を見て何だか興味深そうな顔をした。

 

「ちょっと疲れてるかなと思ったけど……、流石。まだ余裕がありそうだね」

「……これが自分の実力だとは、思ってませんから」

 

 なにせ他のメンバーと違って身体ひとつで走っていたから、自分を厳しく追い込んだわけじゃない。体力的にも、――精神的にも。

 そういう意味で返した言葉だったけれど、どうやら私の想定とは逆の意味で伝わったみたい。

 

「言うねぇ。その意気だ」

 

 トレーナーさんはヒュウ、と小さく口笛を吹いて、楽しげな面持ちでケースからウエイトを取り出した。

 そうじゃないんだけど、という言葉は胸に押し留めたまま。

 差し出されるまま腰元に巻き付けてバックルを留め、ベルトの長さを調節してキツめに固定する。

 一度背負うと決めたからには、いざ走り出してから緩んだりずり落ちたりというのは、願い下げだった。

 

「クレディ! 早く早く!」

 

 早くもスタートラインに並んで出走を待っているエトが声高に急かしてくる。

 声に促されて、足の向くまま飛び出そうとしたとき、はたと思い出して、後ろを振り返った。

 

「――トレーナーさん」

「何だい?」

 

 怪訝そうに、頭ひとつ上の高さから見下ろしてくる彼の前で、私は頭を下げた。

 胸の中の"もやもや"が少しだけ晴れて、ようやく口に出せるようになった言葉とともに。

 

「練習の機会を頂いたこと、感謝します。……ありがとう、ございます」

 

 顔を上げると、トレーナーさんは少しだけキョトンとした顔を浮かべてから、薄く微笑んだ。

 

「良いってこと。さぁ、行っておいで」

 

 もう一度会釈をして、具合を確かめるように小走りでコースに向かう。

 踏み出すたびに両足がほんの少し、地面に深くめり込む感じがした。

 受け取った重量は五人の中で一番軽くて、これが今の自分に見合った負荷なのか、と納得したけれど。

 それを甘んじて受け入れてしまっている自分自身に、少しだけ腹が立った。

 

 

 6セット目。私の順位は、ビリだった。

 




サーマルソアラのヒミツ①
実は、ハンググライダーのライセンス持ち





ウマ娘にとっての負担重量(斤量)って、何だろうな?
執筆にあたって頭をこねくり回し、出力された妄想がこちらです。
公式的にはレースの制度面からハンデとかウマ娘個人に負わせなさそうだしってことで、本作では個々人に内在するものとして扱っていきます。
コレ自体は議論の分かれる題材だと思うので、皆さんの考察も伺ってみたいですね。
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