信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-21.赤い残光の果て / They Run Rings Around Me -2

 

 

「ふへぇー……もう、……バテバテ」

「なんの、これ、し……き、――重ッ……」

「疲労コンパイルですぅ~」

「もぉーだめ限界……」

「はーっ、……っはーっ、……うぇほっ!」

 

 ゴールラインを突き抜けた後、待機エリアまではどうにか保っていた呼吸も限界を迎えて、私は地面に倒れ込んだ。

 

 コースを走り、駆けて。

 ジョグとダッシュを交互に、追って、追われて。

 ウエイトを負って、降ろして。

 小休止を挟みつつ走り続けること更に5セット。

 

 走った距離は合計24km。ウォームアップのジョギングも含めれば、追加でドン。

 

 いつものロードワーク2周分とちょっと。毎日朝夕合わせて同じくらい走る距離。

 

 でも自分のペースで走るのと、常時追われ、逃げ続けるのとでは全然別物。

 

 今日もチーム練習が終わったあとでいつも通り走る予定でしたが、やっぱりナシ。やめます。終了。

 

 もう色々とお腹一杯です。いえお腹は空きました。水物しか口にしていないので。

 

 ……普段なら絶対考えられないアップテンポで、細切れになった台詞が頭の中で渋滞している。

 私自身がもう少しお喋りなタチだったら、口を開くたびに思ってもみない文句が飛び出して、チームの皆からドン引きされていたかもしれない。

 ランナーズハイっていう奴だろうか。

 

 そんなまとまりのない思考を放り出して芝生の上で仰向けになったところで、いよいよ限界が来てピクリとも動けなくなった。

 重たい布団を上から三枚くらい覆い被せられたかのように、全身に重だるさが押し寄せてくる。

 さんざん酷使した足だけでなく腕にも力が入らなくて、目元に被さった前髪をかき上げることさえ億劫だった。

 

「――さて、これで10セット終わったわけだけど。……皆横並びで二勝ずつかぁ」

 

 タブレット端末から顔を上げて、トレーナーさんはぐるりと辺りを見回した。

 仰向け、うつぶせ、横寝、ラチに背中を預けた長座、ごめん寝。

 死屍累々、思い思いの姿勢で地に倒れ伏す私達一人ひとりを見分して、「さぁて」、と困ったように頭を掻きながら、彼は提案した。

 

「後一周で勝者を決め――」

「悪魔!」

「無理(です)!」

「限界だってーの!」

「ダメですぅ~」

「――あっはい」

 

 そして、私達の大ブーイングを受けて、即座に引っ込めた。

 そりゃそうだ。そうでなくては、困る。

 

「そっかー……それじゃ仕方ない」

 

 トレーナーさんはパタンとタブレットのカバーを閉じて、肩掛けカバンにしまいながら(のたま)う。

 

「残念だけどミルフィーユは僕と布施田トレーナー(チーフ)とで半分こしておやつに――」

 

 代案もまた、聞き捨てならない代物だった。

 抗議の声を上げようとしたけれど、困ったことに今度は盛大に()せこんでしまって蚊の鳴くような声しか絞り出せない。

 

「えっ! ちょっと、それはズルでしょ!?」

「Booooo!」

「あんまりな仕打ちです!」

 

 代わりに、ごめん寝姿勢から顔を上げたエトが叫び、ラチ際ではソアラさんが天に拳を突き上げて親指で地面を指す。

 少し離れたところではアルさんが芝の上をゴロゴロ転がって遺憾の意を表明していた。

 唯一声の聞こえないノートさんも、うつ伏せのまま両手でビシバシと芝生を叩いている。

 どうやら、テンションの(たが)が外れているのは私だけじゃないらしい。

 

 仰向けのまま、上下反転した景色をぐるりと見回す。

 騒ぎを聞きつけたのだろう。視界の外からピクシスのチーフトレーナーさんがやってきて、鬼瓦のような(いかめ)しい顔でトレーナーさんの肩を小突いた。

 

「やめろ小椋、俺を巻き込むな」

「チーフ!! もっと言ってください!」

「……健康診断で引っかかってンだ。血糖値」

「チーフ……」

「栄養ドリンクの飲み過ぎでは~?」

「ちゃんと奥さんに食事管理してもらえー」

「むしろ奥さんと同じ量食べちゃダメでしょ」

 

 鬼瓦の鬼は、ウマ娘たちから口々に叱られてしょぼくれていた。

 布施田チーフトレーナー。どうかご自愛ください。

 ともあれ、私達の大反対を受けて、トレーナーさんは代案を撤回したみたいだった。

 カバンから大学ノートとタブレット端末を再び取り出して何やらぶつぶつ呟きはじめる。

 

「むぅ……そうか、それじゃあ……ここまでの負荷量的には……最終着順とタイム、……積算だと? ははぁ……、チーフ、ちょっとよろしいですか?」

「何だ? ……まぁ、そのくらいならどうにかなるだろ。だが、距離はもっと短く」

「分かりました。レディーズ(Ladies)……じゃなかった、フィリーズ(Fillies)! ウエイト外していいぞ」

 

 チーフトレーナーさんとも方針をすり合わせ、改めて私達に向けて呼びかけた。

 許可が出て早々、重荷を下ろせることへの喜びの声と、ベルトを解除するバチパチという金属音とが立て続けに響く。

 

「……っあー、ようやく解放されたー」

 

 芝の上にずしんと落ちたベルトを心なしか遠くへと押しやっているエトを横目に見ながら、私もバックルに手を伸ばした。

 細かい手の力が入らず、何度か掴み直してようやく腰回りが楽になる。

 思えば始めは一番軽かった私のウエイトも、何回かの入着と追加の一勝を経て、最後には上から三番目くらいの重さに増えていた。

 

「改めて、みんなお疲れ様。いきなり良くわからない練習メニューに付き合ってくれてありがとう」

「自分で言っちゃうんですか……」

「でも、新鮮で面白かったですよ~♪」

 

 トレーナーさんは律儀なんだか自虐的なんだか良くわからないお礼を述べつつ私達に頭を下げて、ウエイトはこっちに、とプラスチックケースを示した。

 ハードな練習も終わりが見えてしまえば気分も楽になるもの。

 ウマ娘同士重い体とベルトを引きずりながら、話題は自然とお互いの走りについての評価に変わっていく。

 

「色々学びがありました。まさかソアラ先輩が"逃げ"を打つなんて」

「そこはほら、ペースメーカー不在のレースがあったから、ね」

「あっ……、私がウエイトアップして出遅れた時!」

「あぁ、あれはそれで。一段階の差が、意外と馬鹿にならないのよねぇ」

「ま、結局つつかれて負けちゃったけど。慣れないことはするもんじゃないや」

 

 そう言ってソアラさんは私の方を振り返り、パチリとウィンクをした。

 その所作には不思議と愛嬌があったけれど、瞳には前の休憩の時に私が見たのと同じ光が浮かんでいて。

 

『一着おめでとう。それと、次は負けないから』

 

 言葉がリフレインする。

 先ほど違うのは、背筋を寒くするプレッシャーを微塵も感じないこと。

 そして自分の中に温かいけれど少しだけむず痒い喜びがあること。

 褒められ慣れない私にとってその光は少々眩しすぎて、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。

 

「サブトレーナー、この後は?」

「体力的にはみんな限界一歩手前。勝ち越した子はいない。賞品は(なま)モノで明日以降に持ち越せない。といったところで、ウエイトも外してもらった訳だし、……後はわかるだろう?」

 

 トレーナーさんはプラケースに蓋を被せながら、私達をぐるり見渡して最後に聞き返した。

 最近分かってきたけれど、このトレーナーさんは情報を噛み砕いて耳障りよくしつつも、時折ウマ娘を試すような言い回しをしがちだ。

 もったいぶらないでほしい。

 

「つまり……?」

「インターバルなし。手加減、ハンデもなしのガチンコ勝負。ウッドチップコース、距離1400m・右回り。一着ウマ娘に景品あり」

「そんなこったろうと思ったわ」

 

 ハァ、とため息を漏らしながら、エトが呆れと自棄(ヤケ)が半分ずつ混ぜ込んだ返事を漏らした。

 他のチームメンバーの表情を伺ってみても、それぞれ比率の違いはあっても皆同じような顔をしている。

 それでも反対の言葉は誰からも出なかった。

 毎回のお約束になりつつある枠順決めのあみだくじを済ませて、スートラインに並ぶ。

 たったの5人立てだから大した違いにはならないけれど、私には最内1番が巡ってきた。

 

「泣いても笑っても、これが最後の1戦だ。今日の練習で何度も走り合って、みんな互いの手の内はもう(わか)ってるはず」

 

 トレーナーさんの言葉に導かれるようにして、スタートラインに並んだ5人それぞれが目配せし合う。

 

「だから最後の瞬間まで考え続けて、限界を見極めるんだ。相手と、自分の。……きっとそこに、勝ち筋はある――」

 

 その言葉の後、「スタート」の一喝とともにトレーナーさんは黄旗を振り下ろした。

 

 

 最初の出足は瞬発力がモノを言う。息をこらえて姿勢を低く。

 地を踏み退けて飛び出したら、続く駆け足は一歩ずつ浅く、鋭く。

 

「ふっ――!」

 

 レース前から疲労度合いはピークに達していて、スタートダッシュはみんなモタついた。

 それは私も例外ではなくて、密かに自信を持っていた出足の速さは鈍っていた。

 けれど、ウッドチップの蹴り方はもう身体が覚えている。

 踏み出した足が力強く推進力を生み出して、耳元でひゅるりと風切音が奏でられるのを聞いた。

 

(身体が、軽い――!)

 

 重りを降ろした身体は驚くほど軽くて、足の沈み込みも少ない。

 疲労が速度に枷をかけているけれど、それを差し引いてももっと速く走れそうな気がした。

 アスファルトの地面は硬すぎるから、普段のロードワークで今日と同じ距離を走ればとっくに足裏を痛めている頃合いのはず。

 それ以上の距離を走ったというのに、全くと言っていいほど苦痛を感じないのは、きっとクッションの効いたバ場のお陰だ。

 

 行ける。

 

 そう確信して先走りかけた両足を、ちょっと待った、と押し止める。

 トレーナーさんの言葉を、思い返す。

 

 考えろ。

 

 ウエイトを降ろして余裕ができたのは皆同じ。

 私だけ先走っては、折角の小休憩で回復した体力も無駄に使ってしまう。

 ここは1400mの短距離レース。ぼけっとしていると、あっという間に勝負は付いてしまう。

 

 考える。

 

 逃げているのは私ひとり。

 後ろにはきっとエトがついていて、背後から私の出方を伺っている。

 

 先輩たちはみんな後ろからのレースをするけれど、ソアラさんは時々序盤から先行策を選ぶこともあって、油断していると道中でハナを攫われるから要注意。

 

 ノートさんは順位の浮き沈みが激しいけれど、勝つ時は二回とも最後方から一気に追い込んでゴボウ抜き。その鮮やかな末脚に抜かれたら、後は呆気に取られるしかない。

 

 アルさんの走りが一番堅実で、道中は上二人の先輩たちと付かず離れずの位置でジッと堪えて、スパートで加速したらゴールラインまで延々と伸び続ける持続力が持ち味。

 

 走るよりも考えるほうに意識を向けたお陰で、私の行き足は少し緩んでいた。

 あいにく、肌感覚でラップタイムが分かるほど、パンクチュアルな体内時計は持ってないけれど。

 これまでの『ダッシュ』と比べたら、間違いなくスローペース。

 だからきっと、ハナを取ろうと誰かが競りかけて――。

 

「楽逃げは、させない!」

 

 ――来る。

 

 ウッドチップを蹴散らす足音は特徴的でよく響く。ウマ娘の耳は音源の位置を捉えるのも得意だ。

 すぐ近くを追ってくるのはひとり。息遣いに混ざる声色は普段から聞き馴染んだエトのもの。

 私のものよりも少しだけピッチの早い足音から、加速の気配を読み取って、応えるように少し前に出る。

 

「抜かせない!」

 

 でも突き放しはしない。互いに競り合って中盤で息を入れられなければ、ゆくゆくゴール前で共倒れだ。

 

 ――見る。

 

 コースはゆるく右に曲がって第3コーナーへ。

 視界が通りやすくなった期を逃さず、肩越しに後方を振り返る。

 先輩たちが徐々に距離を詰め始めて、先行する私達ににじり寄っていた。

 けれどまだ、走る姿勢は襲歩(ギャロップ)じゃない。

 まだ誰も、"本気"を見せていない。

 全員の"本気"が真っ向からぶつかり合うのは、きっと最後の直線勝負。

 確信を得て、前を向いて、アウトに膨れかけていたコース取りを内向きに軌道修正。

 

 第4コーナーを回ってホームストレッチへ飛び込んだ私達を、地平線へと落ちていく西日が出迎える。

 炎のように赤い夕焼けが視界を灼いて、――瞬間、目が眩んだ。

 

 

 

 

 

「――クレディ! 待ってよ!」

 

 声が聞こえる。

 エトの声じゃない。先輩たちの声のでもない。

 そう遠くはない昔、毎日のように私を追いかけていた、舌足らずでいたいけな声。

 

「待たない! 捕まえてごらん!!」

 

 どこか懐かしさを感じるその声に叫び返した自分の声は、思っていたよりずっと甲高くて。

 振り上げた腕も、蹴り出した歩幅(ストライド)もなんだかちまちまとして、これじゃぁまるで幼駒(ポニー)みたい。

 おかしいな、と気に留めたのはほんの一瞬。

 私は姿勢を低く落とし、力強く踏み込んで加速した。

 

 走る。走る。

 

 駆ける。駆ける。

 

 いつしか辺りはウッドチップから広い野原に変わっていて、夕焼け色に染められた名も無い草花が、風に吹かれて炎のように揺れている。

 道らしい道はない。前を行くヒトも、誰もいない。

 けれど、前を遮るものなんて無い方がきっと、ずっと良い。

 

「はっ――、はっ――、はっ――」

 

 高鳴る鼓動が求めるままに腕を振り抜き、足を突き動かす。

 蹴立てる草花のざわめきと、まばらで力任せな足音がいくつも追いかけてくる。

 

「クレディ!」

「姉ちゃん!」

 

 やがて、後ろから口々に聞こえる声が、だんだん大きくなってくる。

 走り疲れた足が少しずつ重たくなっていき、私の走りも少しずつ速度を落としていって。

 

 ――思い出した。

 

 そうしていつも、最後には足並みを揃えて走るのだ。

 遅れて追いついてきた"おとうと"、"いもうと"達と一緒になって。

 笑い合いながら最後の力でもう一度走り出せば、嫌なことも、苦しいことも、――怖さだって、全て忘れてしまうことができるはずだから。

 

 だから、私は――――、

 

 

 

 

 走る。

 

「っ――!」

 

 目を強くつぶって、開く。

 赤く灼かれた視界に実像が戻った。

 外と内、白いラチに挟まれて、まっすぐに伸びるホームストレッチ。一面に敷き詰められたウッドチップ。

 ゴール板代わりにトレーナーさんが掲げる黃旗が、その中ほどの位置でたなびいている。

 

 目算でおよそ2ハロン(400m)を切った残り距離。

 一完歩ごとに乳酸を溜め込んで重さを増していく脚。

 両方を天秤にかけて、確信とともに戦意に火ををくべる。

 

 行ける。――勝ちに、行け。

 

 すぅと一際大きく息を吸い、利き足を強く踏み込んだのとまったく同時。

 

「っ、らあああァァァ!」

「くっ――!」

 

 ここでスパートと決めて踏み込んだ私よりも、わずかに早くエトが仕掛けた。

 外から並ばれて、追い抜かれかけたところで私の加速が追いつく。

 私が足踏みをしている間に、私を置いてずっと先を行っていた、たったひとりの同室。

 ()()を脱ぎ去った今なら、周回遅れの位置からだって追いついて見せる。

 

「まだ――、まだぁぁッ――!」

 

 言の葉を編むより先に叫びが喉から飛び出して、鼓動を最高潮まで昂らせる。

 叫びは疾風となってコースをつんざき、新たな叫びを呼び寄せた。

 

「行くよッ――!」

「――させない!」

「――――」

 

 後方から雪崩を打って近づいてくる蹄鉄の音が3人分。

 どれが誰のものかなんてもう構っている余裕はない。

 誰もが私よりはるか先をゆく実力者。

 地力ではどうやっても()することなんてできない。

 ただひとつ分かることは、ほんの一瞬でも脚が(なま)れば、勝利は手から(こぼ)れ落ちるということ。

 

 だから、足掻け。

 

 だから、必死で手を伸ばせ。

 

 私の勝ち筋はきっと、そこにしかない。

 

「やあああああぁぁぁぁぁぁッ――!」

 

 二の足が持つか、末脚が届くか。

 

 残すか、差し切るか。

 

 なりふり構わない、手加減なしの真剣勝負。

 

 意地も、感情も、衝動も、熱狂も、絶叫も。

 

 すべてが灼け付いて、ひとつになって。

 

 そうして、私たち五人もろとも、ほとんど団子になってゴールラインに突っ込んだ。

 

「ゴール! 一着は――」

 

 高々と黄旗を振り上げて、トレーナーさんが叫ぶ。

 

 その言葉は、肝心の最後までちゃんと耳に届かなかった。

 

 最後に残った余力の全てを注ぎ込んで走り抜いた両足には、もう立っていられるだけの力は無くて。

 

 頭から倒れ伏すようにしてウッドチップの只中に飛び込んだ。

 

 はね飛んだ木片が夕立のように耳元に降り注ぐ。

 

 バラバラと細切れに続いた連弾が過ぎ去ってから、私はゴロリと寝返りを打って仰向けになった。

 

 視界に映る(あか)()けた空は、群青色の宵闇によって端から押しのけられ始めていて。

 

 その片隅で、静かに輝き出した一番星が私を見下ろしていた。

 

 吹き抜ける夕風が、火照った手足を急速に冷やしていく。

 

 段々と緩やかになっていく鼓動の高鳴りを名残惜しく思いながら。

 

「ああ、――――楽しかった」

 

 私は自分でも驚くほど久しぶりに笑っていた。

 

 

 

 




リーウェイノートのヒミツ①
実は、ネットスラングを若干ズレた意味で覚えている。
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