信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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カミーノアルアンダのヒミツ①
実は、学期の合間にお遍路巡りをしている。





1-22.輪の中のわたし / They Run Rings Around Me -3

 

 

「――いい? 開けるよ?」

「いつでもどうぞ~♪」

 

 最後の11セット目。勝利を納めたのはノート先輩だった。

 

 シャワーを浴びて練習の汗をすっかり流した後で、私たちは優勝賞品のイチゴミルフィーユ目当てにチーム・ピクシスのトレーナー室に集合していた。

 観音開きになっている冷蔵室の扉を、ソアラさんとアルさんが左右からやけに恭しく捧げ持つようにしてガパリ、と開く。

 ノートさんは嬉しそうに眦を下げながら、中に鎮座していた賞品を前に目を輝かせていた。

 

「おおおぉぉぉ? あぁええぇぇ!?」

「デッッッッッ、か!」

「ははっ、この物量、いつ見てもばかばかしくて笑える。……そっか、二人は見るの初めてだって言ってたっけ」

 

 言葉通り、ふひ、と堪えきれない笑いを口元からこぼしつつ、ソアラさんは棚奥からイチゴミルフィーユを引っ張り出した。

 

 驚くべきはそのサイズで、なんと土台のパイ生地からしてA4判ノートくらいある。

 そこにカスタードとホイップの2種類のクリームが、交互に挟まれて合計4段。

 頂上のパイ生地は香ばしくカラメリゼされた粉砂糖でデコレーションされ、仕上げのホイップと大粒のイチゴが紅白のコントラストも鮮やかにあしらわれていた。

 

「私の知ってるミルフィーユと違う……」

「世界広しと言えど、こんな暴力的なスイーツ、中央トレセン(ここ)にしか無いわよ。……一体何キロカロリーあるのか、考えるだに恐ろしいわ」

「甘いですよ、エト。スイーツの本場と言ったらフランス。欧州(ヨーロッパ)のウマ娘は、タフな洋芝を走り抜くために、こういう()()で英気を養ってるんですから」

「向こうのトレセンから交換留学で来るパティシエ資格持ちの給養員(コック)さんが作るから、この時期しか食べられないんだよね、コレ」

「ほしょっ――この他に主食(メイン)があるんですか!?」

「食べきった後一週間くらい胸焼けしそう……」

「だから~、皆に来てもらったのよ~♫」

 

 ぴぴぴ、と鳴り出したアラームの出どころを見てみると、ノート先輩が電気ケトルでお湯を沸かし、人数分の紙コップを並べていた。

 

「コーヒーorティー?」

「アタシはコーヒー」

「お、お茶を――じゃなくて、お手伝いします!」

 

 のんびりと小首を傾げて尋ねてくるその人こそが今日の主役なのだ。

 慌てて配膳側に回って、皆に飲み物が行き渡ったところで、練習お疲れ様でした、と一同で乾杯。

 

 その後、『優勝おめでとう!!』という祝福の声と拍手に囲まれながら、ノートさんは美味しそうにミルフィーユを頬張った。

 人懐っこそうな垂れ目をいっそう垂らして、頬に手を添えながら幸せそうに微笑む姿を見れば、味の感想なんてわざわざ聞くまでも無かった。

 

「クレディちゃん、お口あ~けて♪」

「はっ、はい! ――もがっ」

 

 ……そしていきなり直接味わうことになった。

 一口サイズには大きすぎる分量に切り取られたミルフィーユがフォークに載せて差し出され、言われるがまま反射的に口を開ける。

 瞬く間に、暴力的なまでに舌に絡みつくクリームの甘さとイチゴの酸味に頭の中がショートした。

 調理されてから時間が経てばパイ生地がふやけてしまいそうなものなのに、意外なほどにパリッとした軽やかな歯ざわりが心地よい。

 ザクザクとした食感を楽しんでいるうちに、甘み一辺倒のように思えたクリームの風味にカラメルのほろ苦さがアクセントを与えて、奥の奥で微かに洋酒が薫る。

 ツンと鼻に抜ける芳香は、昔どこかで味わったことがある気がしたけれど、その正体が何だかはどうにも思い出せなかった。

 

「はい! エトもどうぞ~」

「い、いやいや一口がでかすぎ――ふがっ」

 

 大口を開けたところにすかさずミルフィーユを押し込まれて、エトはハムスターみたいに頬を膨らませたまま、顔を赤く染める。

 ノートさんはそれを見てくすくす嬉しそうに笑っていた。

 

 ミルフィーユを切り分けるためのデザートナイフなんて洒落たものはもちろん、人数のお皿やカトラリーもこのトレーナー室にはなかった。購買部に走ろうにも閉店時間は過ぎている。

 なので、一本だけ添えられていたフォークで一口分ずつ食べさせ合いっこという苦肉の策をとることになったのだけど、当然とんでもなく気恥ずかしい。

 砂糖いらずでも口の中に残った甘さだけで濃いめの紅茶がスイスイ行けてしまうくらいに。

 

「にしても、賞品の主旨から外れてるような気がしますが……」

「まぁ、ノートが楽しそうなら良いんじゃない? ねね、アタシにも頂戴?」

 

 そんな突飛なお茶会も、先輩たちは普段から慣れっこなのか、特に気にした風もなかった。

 

「はい、あーん♪」

「うぉふっ、あんまっ!」

「アルちゃんも、あーん♪」

「は――、んんっ! 美味しいです!」

「アル、ほっぺにクリームついてる」

「えっ」

「逆逆、取れてないよ……あー広がっちゃった」

 

 先輩たち二人の仲睦まじい様子をジロジロ見ている訳にもいかず、私はそれとなく視線を逸らした。

 

「その……ご馳走していだたいて、ありがとうございます。私、たまたま練習にお邪魔しただけだったのに……」

「うふふ。いいのよ~♪ こちらこそ、手伝ってくれてありがとう。賞品はもらったけれど、お腹一杯にして帰る訳に行かなかったから~♪」

 

 ミルフィーユを端から少しずつ崩して口にんでいるノートさんに、おずおず口ごもりながら伝えると、逆に向こうから頭を下げられてしまった。

 

「何か食べに行く予定でもあったの?」

 

 アルさんの頬についたクリームを指で拭い取りながら、ソアラ先輩が尋ねた。

 ノートさんは今度はエトの口をミルフィーユで一杯にしながら、こっくりと頷く。

 

「同室の子がね、誕生日のお祝いをしようって、ケーキを用意してくれることになっていたの~♫」

「ケーキとミルフィーユでスイーツがダブってしまった……という訳ですか」

「ええ~。当日はレースがあってお祝いできないからって~」

「なるほど! そういうことなら、ぜひお手伝いさせて下さい」

「ふふふ。ええ、アルも協力ありが、とうっ〜♪」

 

 ノートさんはお礼とともにミルフィーユのひとかたまりをアルさんの口へと滑り込ませた。

 この時期は春の重賞レースのシーズン真っ只中で、減量のため泣く泣く好きな食事を楽しむ機会を我慢している子も良く見かける。

 ケーキひとつ分くらいは誤差の範囲内と言ってしまえるくらいに、同室の(かた)も身体を仕上げているはずだ。

 ノートさんがしっかりお祝いの場を楽しめるように。

 そんな大義名分があればこそ、少し引け腰だった私も気持ちを入れ替えてご相伴に預かる覚悟ができた。

 

 その時、コーヒーを冷まし冷まし口に含んでいたエトが、何かを思い出したように、「そういえば」と切り出した。

 

「誕生日って言えば、クレディももうすぐなんですよ」

「えっ……、あっ、うん」

「あら、そうなの~? いつかしら~?」

「4月の、27日です」

「ノートと2日違いじゃん」

 

 奇遇だね、とソアラさんは目を丸くするけれど、ウマ娘の誕生日は一年のうち春先から初夏にかけて集中するので、数日違いの関係なんて特に珍しくもなんとも無い。

 だからお構いなく、と応えたのだけれど……。

 

「それじゃあちょうどいい。今日来てくれたのもご縁だし、この際だから二人まとめてお祝いしよう」

「えっ、いえいえ……、お心遣いありがとうございます。でも、いきなりお祝いだなんて――」

「良いじゃん良いじゃん。当日はもっと賑やかにするとして、今日もパーッと前祝いさ」

「誕生日の前祝いとは……? ともあれ、めでたいことです」

「ロウソクは~? あるかしら~?」

 

 恐縮しながら引き留める私をよそに、先輩たちはトレーナー室の各方面に散って家捜(やさが)しを始めた。

 トレーナーデスクの引き出しに、壁に据え付けの天袋、書類キャビネット下の物入れまで、目に付く収納場所を手当たり次第に開いて品定めしていく。

 

「いやいや、ノート先輩は祝われる側でしょうに……。っていうか、ロウソクぅ? 食器もロクにないこの部屋に?」

 

 先輩たちの背後からエトが突っ込みを入れた、その時。

 キャビネットの引き出しを漁っていたアルさんが、「これは!」とビニールの包みを取り出した。

 

「――アロマキャンドルがありました。……チーフがわざわざ買うとは思えませんし、何かの貰い物でしょうか?」

「でかしたね! アル!」

「あったよ。マジか」

 

 まさかの展開に、エトは額を押さえて天を仰いでいた。

 赤と緑のパステルカラーに色付けされたキャンドルは、灯す前から微かにフローラルな香りを漂わせている。

 

「全部で2本。……分かってはいたけれど~、歳の数は無いわね~?」

「そりゃそうでしょう」

「なら、それぞれ17進数、15進数で10(イチゼロ)ということにすれば解決です」

「トンチですか!」

「あ、え、いや……、先輩方、そんな……」

「……アンタはもう諦めて、大人しく祝われなさい」

 

 みぞおちの辺りがむずむずするような気恥ずかしさはのこったまま。

 諭すような口調で肩を叩いてくるエトに促されて、私はすごすごとソファに戻った。

 布施田チーフのデスクからライターを拝借してキャンドルに火を灯す。

 電気を落としてカーテンを閉めると、調度品の輪郭が仄かに分かるくらいの薄闇の中、温かな明かりがトレーナー室を満たした。

 

「それじゃ行くよ――、皆さんお手を拝借! さん、はい、――」

「――ハッピーバースデー、トゥ、ユー!」

 

 テーブルの真ん中でロウソクの灯火が揺れる。

 空間に満ちる甘いアロマの香りが鼻先を通り過ぎて。

 ふっ、と陽炎のように視界がぼやけて、――――記憶が蘇った。

 

 

 

「ハッピーバースデー、トゥ、ユー!」

 柔らかく、透き通った先生の歌声。

 それを追いかけるように打たれる手拍子。

 大テーブルをぐるりと囲んだ私と同じ孤児たち。

 テーブルの真ん中には小振りなホールケーキがあって、新しい歳の数と同じだけ、細長く伸びたロウソクの火を頂いている。

 新しく一つ歳を重ねた"きょうだい"へ注がれる眼差しは、祝福と羨ましさのまざったキラキラした輝きに満ちていた。

 

 

 

「ハッピーバースデー、トゥ、ユー! ――ディア、クレディ&ノート!」

「――ほら、クレディ、ボケっとしてないの!」

 

 ぽすん、と肩が叩かれる。

 はっと我に返った私は、慌ててロウソクを吹き消した。

 部屋の中が一瞬暗闇に包まれて、パチリという音ともに――――部屋に明かりが満ちる。

 幻惑された視界が調節を取り戻してみると、辺りは元のトレーナー室に戻っていた。

 掘り出し物のアロマキャンドルにそういう効能があったのか。

 ハードトレーニングによって溢れ出した脳内麻薬の残り香がそうさせたのか。

 何がどう作用したのか、理由はわからないけれど。

 

 温かな胡蝶の夢は、私に冷たい現実を突きつけるのに十分すぎる働きをした。

 

「二人ともおめでとう!」

「おめでとうございます!」

「お互いお誕生日おめでとう~♫ クレディちゃん~♪」

 

 ぱちぱちばち、と鳴り響く拍手の真っただ中で。

 夢現のまま、差し出されるがまま、ミルフィーユを口で受け止める。

 狂おしいほどに甘くて、濃厚なクリームの味わいが心を満たす。

 

 気付いてしまった。

 噛み合わせるたびに、鼻の奥でしっとりと薫るものの正体に。

 

 分かっていた。

 記憶の中のそれは、今となってはもうどれだけ願っても戻ることのできない()なのだと。

 

 気付いてしまった。

 チーム・ピクシスの面々の中に、それと同種の安らぎを見出してしまっていたことに。

 

 分かっていた。

 ()()は私にとってかけがえのない、私の思い出の中にしかない、たったひとつの居場所なのだと。

 

 カラカラに乾いた口内を潤そうと、紙コップへ手を伸ばす。

 ついさっきまで、一口啜るたびに息を吹きかけていたはずの紅茶は、いつの間にか紙の肌越しにも分かるくらいに冷え冷えとしていた。

 

 ねぇ、と肩に手を置かれて、そちらを見る。

 エトが私の耳元に口を寄せ、囁いた。

 

「どうよ、うちのチームは?」

「そうね……とても――」

 

 群青色を湛えた人懐っこい瞳には、幸福の輝きが満ちていて。

 

 羨ましいと、思ってしまった。

 

 認めてしまえば戻れなくなると、分かっていた。

 

 それでも、私は()()を言葉にしなきゃいけない。

 

「――暖かくて、良いチームだと思う」

「でしょう?」

 

 エトはふふん、と満足げに鼻を鳴らして、ノートさんにミルフィーユをねだった。

 甘味に顔を綻ばせる同室を視界の外に追いやって、目を伏せる。

 すっかり冷めきっていた紅茶をひと息に飲み下して、口の中に残った甘みをすべて洗い流す。

 

 言葉に嘘はない。

 

 この気持ちにも、何ひとつ偽りはない。

 

 だからこそ。

 

 ――きっと私は、この()の中には居られない。

 

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