信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-23.風来坊のみちびき / Something in the Air-1

 

 

《所用のため、19日のチーム練習は欠席させてください》

《先日に引き続き申し訳ありません》

 

「……うーむ」

 

 LANEのメッセージに目を落とし、僕は眉根を揉み込みながら唸る。

 

 最初にクレディをチーム練習に誘ってから1ヶ月が経ち、季節は初夏――5月の下旬に差し掛かろうとしていた。

 選抜レースで結果の伴わなかった彼女が次に目標として掲げたのは、当然ながら、6月に開催される次の選抜レースだ。

 既に本人には選抜レースの条件に合わせて作った個人用の練習メニューを渡してある。

 これに取り組んでもらいつつ、週に3日くらいの頻度で走りを評価して、都度都度フィードバックを返すというのが最近の定型パターンだった。

 たとえ断られてもダメ元というつもりで提案したものだけど、当初の予想に反してこの一見奇妙な指導関係は順調に続いていた。

 中でも収穫と言えるのは、クレディが自分なりに走りに関する疑問点や課題を挙げて、僕に献策を求めてくれるようになったことだった。

 ただ――、

 

「思ったとおりには行かないもんだ……」

 

 先のメッセージのとおり、ピクシスのチーム練習からは足が遠のいていた。

 最初のほうは週1回くらいの頻度で声をかければ顔を出してくれていたのだが、ここ最近はそれとなく誘いかけても断られてしまう。

 彼女の脚質は逃げか先行向きだ。だから集団トレーニングで、『展開に左右されるより、展開を左右する側の立ち回り』の経験値を蓄積してほしかったのだが……。

 

「クレディちゃんのこと?」

 

 自然と飛び出た独り言。それに応える声が聞こえ、僕は椅子をぐるりと回して声の出どころへ向き直った。

 トレーナー室の一角を占める、応接セット兼パトロールビデオ鑑賞スペース。

 ニ人がけソファの上にゴロンと寝そべって、サーマルソアラが漫画を読んでいた。

 

「――びっくりした。ソアラ、いたの。いつの間に……」

「いたよ? 5分くらい前から。……入る時声かけたら返事したじゃん。気づいてるものだと思ってたけど」

「……完っ全に、無意識だった」

 

 集中すると周りが見えなくなるのは自分の悪癖だ。

 やれやれ反省、反省、と独白を胸中に飲み込みながら、僕はスマートフォンの画面を消した。

 ブラックアウト間際に映った時刻表示を見てふと気づく。

 

「っていうか、まだ2時回ったとこじゃないか。授業はどうしたの?」

 

 トレセン学園は文武両道。アスリート養成学校ではあるが、その実、学科のカリキュラムも世間一般の中高一貫校の内容と遜色ないものが組まれている。

 学業の成績が悪ければ、レースの成績がどれほど優れていても進級に関わるし、授業サボりなどご法度だ。

 よもや……と訝る僕に、ソアラはソファーの肘掛けの上に顎を載せて答えた。

 

「ちゅーかんこーさ」

「ちゅー?」

「ちゅー、かん、こー、さ」

 

 耳に入ってきた文言は抑揚のないひらがなだった。

 脳内の予測変換が上手く働かずに首を捻っている僕に向け、ソアラは少しだけ苛立たしげに、音節を区切るように同じ言葉を繰り返した。

 頭の中でいくつもの漢字を取っ替え引っ替えしてみて、ようやく意味の通った語彙に行き着いたところで、ぽんと掌を打つ。

 

「ああ、中間考査(テスト)! あったねぇ……、そんな時期かぁ」

「あったねぇ、ってトレーナーさんだって学生やってたんでしょ?」

「ごめん。試験って言えば学期末だとばかり……。存在そのものを忘れてたよ。大学は前期後期の2学期制だったし」

 

 僕はそう弁解しながら、まいったな、と頭を掻いた。

 社会人になるとだんだん学生とは時節感覚がズレてくるとは聞いたことがあるけど、まさか働き出して二ヶ月でこの有り様とは。

 こんな感じで、いずれ若者と話題が共有できなくなってくのかなぁ。

 トレーナーは年々歳をとっていくけれど、相手にするウマ娘の年代は固定だ。今からこれでは先が思いやられる。

 

 そんな風に黙考する僕に対し、ソアラはソファの肘掛けから床に向けて頭を垂らし、上下逆さになった顔をこちらに向けた。

 そこには呆れと不満が半分ずつないまぜになった表情が浮かんでいる。

 

「なんか、物凄い不名誉な疑いを掛けられてた気がする」

「ソ、ソンナコトナイョ」

 

 図星を突かれた気まずさから棒読みの日本語ではぐらかす。

 

「……ふぅん。ま、アタシのことは気にしないで。お熱の子がなかなか(なび)いてくれなくて困ってるサブトレーナーさんの邪魔はしないからサ」

「言い方ァ!」

 

 妙にささくれ立った言葉を投げ返して、ソアラはまた漫画の誌面に視線を戻した。

 ものっそい不純に聞こえる物言いだったので大人気なく声を上げてしまうが、あちらはヒラヒラと手を振って謎にサムズアップまでしてくる始末だ。

 これは完全に冷やかしに入っている。

 

「やれやれ……」

 

 おちょくられては正直むかっ腹のひとつも立つところだが、身に覚えのない疑いを掛けられたソララからすれば、これで()()()()とでも言いたいのだろう。

 

 それに、彼女の指摘は僕の現状をわりと的確に表しているから文句も言えない。

 スカウトを断られた挙げ句、その未出走ウマ娘ひとりを延々追いかけ続けているのだ。

 レースウマ娘とトレーナーという関係性だからこそ社会的に波風は立たないが、それでも傍から見たら女々しさ満点に見られること請け合いだった。

 

 ……そうだとしても、誰も彼もどうしてこういう浮ついた言い回しを好むんだろう。

 

 そんな逆ギレじみた不満を脳裏に並べながらも、僕はひとまず頭を切り替えて書類仕事に手を付けることにした。

 無駄に長ったらしい提出書類リストとそこに添えられた締め切り日時を流し見て、まずゲンナリしたけれど。

 幸い、令和の世らしく一通りの書類は電子化されていて、現実世界の机を圧迫することがないのは救いだった。

 これが紙面の形で物理世界にあったなら、苛立ち紛れにペンでつついて盛大に崩落事故を起こしてしまっていたかもしれない。

 ポチポチとキーボードを叩いて所定の欄を埋め、学内ネットワークを通じて関係部署のサーバーに片っ端から投げ込んでいく。

 

 そうして、しばらく僕もソアラも沈黙したまま、時計の針が時間を刻む音だけを共有していた。

 最後の締めに夏合宿関連のメールを仕上げて事務方に送りつけ、ピクシスのメンバー四人に関係した案件はひとまず完了。

 

「ふわぁ……」

 

 ひと仕事終えた時特有の達成感があくびの形で口からまろび出るのを感じつつ、次の仕事に移る。

 トレーニングの指南書を突き合わせ、練習メニューのいち課題ごとの運動負荷量を引用してメモに残しながら、クレディの自主トレメニューを組み立てていくのだ。

 

 次の選抜レースは梅雨時に差し掛かるから、雨天を想定した重バ場用のトレーニングも必要だ。

 ダートコースに限らないが、天候に応じてバ場状態は大きく変わってくる。

 晴天が続けばパラリとした(ほぐ)れの良い砂地。

 稍重なら、接地圧が程よく分散されて良バ場よりもかえって良い時計が出る。

 一方で、連日雨が降り続いた後の重バ場ならほとんど泥濘といっても良い道悪、といった具合だ。

 天気予報――は流石に気が早すぎるけど。一応、例年の天候データも調べておくか。

 そう思い至って意識をパソコンの方に向けた時、横合いから画面を覗き込む気配を感じて、僕は本のページをなぞりながら尋ねた。

 

「……邪魔はしないんだろ?」

「お節介をしないとは言ってないよ?」

 

 小首を傾げ、そんな屁理屈を捏ねながら、ソアラは続けた。

 

「当てたげようか。また断られたでしょ、アタシたちとの合同練習」

「……キミはほんと、勘がいいよねぇ」

 

 もはやはぐらかす気にもならず、指南書と一緒に目を閉じる。

 活字を負い続けた両目には、だいぶ疲れが溜まってきていた。

 眼窩の(へり)に沿って指圧でマッサージをしていると、フフン、とソアラが我が意を得たりとばかりに鼻を鳴らす。

 

「分かるよ。二人揃って、だいぶ奥手そうだから」

「まーたそうやってすーぐ浮いた話に結びつける」

「違うよ。茶化してるんじゃなくて、さ」

 

 のっけから、言い回しこそ色恋のもつれを揶揄(からか)うような選び方だったが、こちらを見下ろす視線は真剣そのものだった。

 ぽんぽん、と僕の肩を漫画の背表紙で叩きつつ、ワークチェアに座っている僕よりも頭ふたつ分高い位置から、念押すようにソアラは告げる。

 

「相手が一歩引こうとするなら、追いかける側は一歩踏み込まなきゃ。……このままダラダラ同じ関係を続けるだけじゃ、サブトレーナーさん、都合の良い()()()のままで終わっちゃうよ?」

 

 続けて、曰く。

 体育の学科の授業で行われるのは、基本的な走り込みやストレッチといった、基礎体力の向上や身体のメンテナンスに関するものがほとんど。

 トレーニング理論やレース戦術を教える座学はあれど、本格化前のウマ娘が実力を養う手段は自主トレにしかない。

 個人の資質に合った指導を受けるためには、専門のトレーナーの存在が不可欠なのだ。

 小椋トレーナー(ぼく)とクレディの関係を見て、他の未出走のウマ娘()たちはどう思うか?

 

 作業の手を止めて耳を傾ける僕を見つめながら、ソアラはつらつらとそんなことを語ってみせた。

 

「ははっ……。そんな僕は、"良い人"じゃなくて"都合のいい人"って、言いたいんだな?」

 

 僕の口から漏れたのは自嘲の笑みだった。

 それを真っ向から受け止めながらも、ソアラは肯定も否定もしなかった。

 

「――まぁでも、そういうトレーナーさんも世の中に一人くらい居たって良いと思うけどね。引く手数多(あまた)だと思うよ、きっと?」

 

 学科の体育の授業にサポートスタッフとして参加した時のことを思い返す。

 あの子達はまだ本格化の影も見えないポニーちゃんたちだったけれど、誰も彼も、瞳の奥に宿した熱意は本物だった。

 

 柳の下にいつも泥鰌(ドジョウ)はいない。それでも、あわよくば二匹目をと狙う者だってきっと一人や二人じゃない。

 

 正式な担当契約を結んだ訳でもないのに、個人の適性を評価して、具体的なトレーニングプランを立てて、並走まで組んでくれる。

 そんなトレーナーが居たとすれば、迷える彼女たちにとって、きっとひとつの光明に見えるはずだ。

 ソアラの指摘は確かに腑に落ちて、彼女が呈した懸念にも頷ける。

 だからこそ、僕は力を込めて首を横に振った。

 

「いや、……流石にそれは本意じゃない」

 

 "誰にも相談できずに燻っているウマ娘に指針を示してあげること"それ自体はやぶさかじゃないけれど、僕自身が理想とする働き方かと言われると明確に『(いな)』なのだ。

 中央のトレーナーになったからには、見出した担当と二人三脚でトゥインクル・シリーズの頂点を目指してみたいという人並みの野望が心の芯にはある。

 そして、僕が見出したと――勝手かもしれないけど――思っているのはクレディカイゼリンという一人のウマ娘なのだから。

 

「――だったら、しっかり手綱を握りに行かなきゃ」

 

 デスクの縁に両手を突き、掴むソアラの手指にぐっと力が込められる。

 

 一緒に走って分かったけどさ、と。

 

 そう前置きして、彼女は続けた。

 

あの子(クレディ)は多分、放っておくと一人で何処までも行っちゃう子だよ」

「……だよなぁ」

 

 ウマ娘は、走りを通じて、レースを共にしたライバルの内面の揺れ動きすら垣間見るという。

 公式レースの出走回数にして30はくだらないベテランのウマ娘が断言するのなら、認めるより他になかった。

 

 なぜならそれは僕自身が抱いていた印象と全く一致しているのだから。

 抱え込んだものの正体を他人に明かすことなく、脇目も振らずに走り続ける彼女を、どうやって追うべきか。

 彼女の道行きよりも前に出て、進むべき道を示すためには、どうすればいいか。

 彼女の向かおうとする先が、栄光に照らされた道かどうかはまだ分からないけど。

 もし道の先に苦難や不幸が待ち受けているのだと、事前に察知できたなら。

 その時は引き止めてやらなくちゃいけない。

 

 ほんのさわりだけに過ぎないとしても、ひとたび彼女の"背景"に手を触れた僕には、その責任があるはずだ。

 これまでのクレディとの交流を経て、なんとなく自分の中で"答え"を掴みかけてはいたけれど。

 ただひとつ、もう一歩踏み出すために、確証が欲しくて顔を上げる。

 

「なぁ、ソアラは――」

 

 呼びかけた時、ソアラは直前までと同じ、デスクの上に手を突いた同じ姿勢で居ながら、何やらぼやっと中空を見つめていた。

 そして耳飾りのついた左耳をピクリと震わせて、確信を得たかのように表情を引き締める。

 

「――ちょっと急用ができた。行かなきゃ。……汚れるとヤだから、これ貸したげる」

 

 唐突にそう言って話の流れをぶった切り、ソアラは僕の手に漫画を押し付けた。

 

「あ? いやちょっと、貸すったって……単行本の4巻とか、また絶妙にストーリーの掴みづらいのを……」

「次の練習の時に返してね?」

 

 ヨロシク! と右手の指二本を伸ばして額に当てて、ウィンクをひとつ。

 蒼空を切り抜いたような瞳に映る光は、いつものいたずらっぽい気まぐれなものに変わっていた。

 呆気にとられる僕の眼の前で、ソアラは窓のサッシをガラリと開け、そこから躊躇いなく身を翻した。

 

「せめてドアから出なよドアからさぁ!」

 

 ここは一階だけどその振る舞いには流石にビビる。

 反射的にトレーナー室の入口扉を指して叫ぶが、本人の姿はもう既に部屋の中には無かった。

 黒鹿毛の尻尾が窓枠に少しだけ引っかかりながらもするりと抜けて、外からとすん、と身軽な着地音が響く。

 

 たったったっ、と軽快な足音が遠ざかって行ったのと入れ違いに、床板を荒く乱打するようなバタバタとした足音が廊下を近づいてきて、当の入口扉が勢い良く開かれた。

 ぜえぜえ息を切らした栗毛と芦毛のウマ娘二人が、部屋の中をぐるり見回して、部屋の奥に居た僕へと目を留める。

 

「突然ごめんなさいトレーナーさん。ソアラさんはここに来てませんか?」

「掃除当番ブッチして行方(ゆくえ)が分からないんです!」

 

 せめてノックをしてくれ、と頭には浮かんだが、切羽詰まった彼女たちの剣幕に押されるがまま、僕は無言で窓を指差す。

 開け放たれたサッシから吹き込んだ風がカーテンをふわふわ揺らしていた。

 

「くっ、逃げたか! 追うわよ!!」

「りょ! トレーナーさん、あざしたー!」

 

 名乗りひとつせず、嵐のようにやって来て嵐のように去っていくウマ娘たち――大方ソアラのクラスメイトなのだろう――に「え、ああ」と気の抜けた返事を返しつつ、呆然としたまま見送る。

 "狐につままれたような"っていうのは多分こういう状況を指すんだろうな、と他人事のような感想を抱きながら、漫画の表紙に目を落とした。

 

 明瞭でいて時にゆらぎ、途切れる輪郭線。デフォルメの効いた筆使いで描かれたヒトの女の子がふたり。シュールレアリズムの薫る小物配置や構図。

 中身をぺらぺらめくって、なるほどこういうのがソアラの好みなのか、と不思議なようで納得感のある感想を抱いたとき。

 

 きーん、こーん、と間延びしたチャイムが鳴った。

 時刻は15時ちょっと前。

 終業後のホームルームが始まるその前に、確か生徒たちが教室の掃除をする。そんな時間割だったことを思い出す。

 そして、試験期間中でもその予定は変わらないはずで。

 

「――結局サボりやないかーい!」

 

 他に誰もいなくなったトレーナー室で、僕は虚空相手にエセ関西弁でツッコミを入れた。

 さておき。

 予定外に押し付けられたにしては、漫画は結構面白かった。

 

 

 




漫画のモチーフは『シメジ シミュレーション』(作・つくみず先生)
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