信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-26.迷い子の岐路 / Faith in Freefall -1

 

 

 西日が差し込む教室の中、ひとりで机に向かって書類を整理していると、廊下を近づいてくる足音が耳に入った。

 思わず紙をめくる手を止めて、音源の方を目で追う。

 機嫌良さげな鼻歌を()き連れて、パタパタと一定のリズムを刻んだ足音が教室の扉前で止まる。

 扉が横に引き開けられるその刹那、私はぐっと息を止めた。

 

「ありゃ、クレディじゃん。休みのこんな時間にどしたの?」

 

 明るいメッシュの入った鹿毛をひとつ結びにした、均整の取れた身体付きのウマ娘。

 はちみつドリンクのカップを片手に、学生カバンを背中に担ぎ持った彼女は、私の姿を見て少し意外そうな顔を浮かべた。

 

「ナーガさん……お疲れ様です」

 

 会釈しつつ、私は彼女に気取られないようほっと静かに息を吐いた。

 リョウアンナーガさん。

 クラスメイトの中でも、普段から班行動で交流のあるこの人で良かった。

 さもなくば当たり障りない挨拶を交わしたあと沈黙しか残らずに、お互いに気まずい思いをさせてしまったかもしれない。

 

「何か、忘れ物ですか?」

「そ、課題のノート持って帰り忘れてたのに寮戻ってから気付いたわ」

 

 彼女は事も無げに言いながらそのまま教壇の前を通り過ぎ、私の手元に視線を落として興味深そうに覗き込んできた。

 

「委員の仕事?」

「はい。ダービーに向けて、広報委員と共同で出走者の皆さんにインタビューを――」

 

 私はちょうど、放送委員の裏方として質問原稿の原案を取りまとめているところだった。

 とっさにそう説明したところで、眼の前にいる彼女もまたインタビューの対象者であることに気付いて、それはナーガさんも同じだったみたい。

 

「ねね、そんならさ、どういう質問が来る予定なのか見せてよ」

「え……ダメですよ」

 

 (はなだ)色の瞳に好奇の色が浮かんでいるのを見て、私は慌てて紙面を両手で隠す。

 対して、ナーガさんは私よりも頭ひとつ分は高い長身を折り曲げるようにしゃがみ、椅子に座った私を下から見上げて小首を傾げつつ、

 

「ちょこっとだけ、お願い?」

「――くっ」

 

 極めつけに、バチーンと音が聞こえてきそうなウィンクを投げかけてきた。

 唐突に振りまかれたパステルカラーをした愛想の波動を受けて、私はたじろいだ。

 暗室でまどろんでいたところを突然陽の光の下に引っ張り出された吸血鬼とか、こんな気持ちかもしれない。

 これが、いつでも明朗快活で、()()()だとか侠気(おとこぎ)だとか、おおよそ女子に向けられようのない人物評を得ているナーガさんの所業だなんて、(にわか)には信じられなかった。

 か……かわ、とか、あざといなぁ、とか、これが世に言う"ギャップ萌え"っていう奴か、とか。

 方向性の違う感想同士が頭の中で玉突き事故を起こしながらも、私はぶんぶん頭を振って揺らぎかけた心に活を入れた。

 一応こちらにも職責というものがあるのだし。

 

「ひとつだけ……《本番に向けての意気込みは?》っていうのは、皆さんに伺う予定です」

「外の取材でも毎回聞かれるよそれ……。いい加減みんな定型文で答えるっしょ」

「他にもいくつかありますけど、まだ部外秘です」

「その"他のいくつか"が知りたいんだけどなぁ。ちぇー」

 

 少し残念そうな顔をしながらではあるけど、ナーガさんは思いのほかあっさりと引き下がった。

 あっしじゃ"Curren"みたいにゃ行かんか、と(うそぶ)きつつふらりふらりと机の間を闊歩(かっぽ)して、尻尾を猫みたいに揺らしながら少し離れたところにある自分の机へ。

 物入れの中をまさぐって、予定通りお目当てのノートを見つけたらしかった。

 そのままの流れで、課題の進捗や展望について、相談とも意見の出し合いともつかない世間話を彼女と交わす。

 ちょうど私の作業も行き詰まり気味だったから、書類の片隅に書き留めたメモをペン先でつつきながら、図らずもその雑談はちょうどいい息抜きになっていたのだけれど。

 

「――話変わるけどさ、クレディ、ピクシスに入ったの?」

 

 世間話の流れが少しだけ緩んだところで、ふと思い出したように、ナーガさんはそんなことを訊いてきた。

 どきりとして、書類に向けていた顔を上げる。

 

「いえ……どうしてそういう話に?」

「エトと同じチームで練習してるって聞いたけど」

「それはそうですけど、チームに属したわけでは無いです」

 

 エトの怪我の一件で知り合ったトレーナーさんが、たまたまピクシスのサブトレーナーとして合流したため、体験入部の体で厄介になっただけだ。

 そんな風に、かいつまんで経緯を説明したのだけれど、話し進めるごとに彼女の頭の上にはクエスチョンマークが増えていった。

 

「そうなの? ついこないだもエトと並走してたじゃない。あの人……小椋トレーナー、だっけ?――に見てもらいながらさ」

「あっ……、あれは、ですね……ほら、次の選抜レースも迫ってますから」

「選抜、って、ええ? そこにトレーナーがいるじゃんかよ?」

「ええ、そう……それは、そうなんですけど」

 

 率直な疑問をぶつけられて、答えに詰まってしまう。

 自分の振る舞いを冷静になって整理してみると、既にトレーナーが指導についているのに、わざわざ選抜レースに備えてトレーニングを積んでいることになる。

 何をしたいのか分からない。そう思われても仕方のないことだった。

 

「彼のこと、あんまり信用できない感じ? 少なくとも、教え方はかなり"やり手"だって風の噂で聞いたけど」

「いえ、そんな……別に疑っていたわけじゃ、ありません」

 

 怪訝そうに問うてくる声に答えつつ、首を横に振る。

 経緯はどうあれ、先日のトレーニングを目の当たりにしたら、彼の力量を認めないわけにはいかなかった。

 チーム・ピクシスの先輩たちと走った、あの変則的なインターバル走を思い返す。

 

 最初のセットでアルさんが勝って、ウエイトベルトを初めて巻かれて始まった2セット目では4着。

 その時はノートさんが勝って、アルさんのものよりも少し重たいウエイトを巻かれて、3セット目で3着。

 3セット目で勝ったソアラさんには逆に少しだけ軽いウエイトが渡されて、4セット目で2着。

 4セット目で勝ったエトはソアラさんと同じ重量を背負った。

 

 こうして私以外のみんなが相応のハンデを負ってはじめて、私は5セット目にしてようやく1着を掴み取ることができた。

 レースの間中ずっと、トレーナーさんは五人分のラップタイムを計っては、端末に数値を入力して何事か計算を弾いていた。

 1セットごとの順位や区間タイム、レース運びなんかを基準にして、五人それぞれに負わせる重量を決めていたのだろうということは私にもわかるけど。

 

 レースの成績が良ければ負荷を上乗せし、負け過ぎれば軽くして。

 最終的に誰ひとり()()()()()()()()のは、彼の采配によってもたらされた結果だったのだから。

 

 それだけじゃない。

 トレーナーさんから個人指導を受けるようになって、走りが以前よりも良いものに変わっていっていることは自分が一番良く分かっていた。

 肌感覚の変化というだけだったら気のせいと片付けてしまったかもしれないけれど、記録に残るタイムが着実に縮まっている事実は否定しようがない。

 

「ふむふむ。……それじゃあ、また別の理由――顔に合わず性格がキツいとか?」

「いえ全く」

 

 柳のように飄々(ひょうひょう)としていて、頑迷さや高圧的な物言いとは無縁の人だ。

 ときどきこちらの意思や決意を試すような物言いをするところは、ちょっと引っかかるけど。

 それは誰かを(あざけ)ったり、(おとしい)れてやろうとか、そういう不純な動機があってのものじゃない。

 方向性の不一致は、……あるかもしれないけれど。

 

「練習方針に一貫性がないとか?」

「違います」

 

 私の指導を始めるとき最初にトレーナーさんが確認したのは、私が出走する選抜レースの条件だった。

 レースの3日前を期日として、ライバルたちの誰にも引けをとらない能力に私を()()()()と、そう言った。

 課題に沿って練習メニューを細かく入れ替えたり、体調変化を見つつ負荷のかかるメニューを先送りしたり、指南はたしかに(せわ)しない。

 だけど『行き当たりばったり』という欠点というよりも、『臨機応変さ』という美点として数えるべきだと思う。

 私が必要と考えるトレーニングと、トレーナーさんから提案されたものがズレていることは、……そりゃぁ、あるけれど。

 

「ふぅん。それじゃ……」

 

 いつまでも否定を続けている私に向けて、ナーガさんは唇の端にほんのり笑みを滲ませて、斜に構えた流し目とともに続けた。

 

「……優しそうな顔してスケベとか?」

「なっ――! ちょっと、それは失礼ですよ!」

 

 思ってもみない方向からの勘()りに、かっと頬が熱くなるのを感じて、私は反射的に大声を上げた。

 頭の上で耳が真後ろに絞られる感触がして、微かに届いていた空調の音がほんの少し()もる。

 ここで私が曖昧にはぐらかせば、トレーナーさんの身の回りに良からぬ風評(うわさ)が立つことになる。

 私が一人で預かるには分不相応な厚意をくれた人に、恩を仇で返すことになる。

 それがヒトとして"正しい"行いだとは、絶対に思えない。

 

「トレーナーさん――小椋トレーナーは、そんな方じゃありません!」

「――いやいやいや、冗談だって! 目ぇ怖っ……そんな怒んないでよ」

 

 知らず知らずのうちに手元に力が入って三色ボールペンがみしりと(きし)んだ。

 ナーガさんは、慌てた様子でどうどうと私を宥めてから、気まずさを紛らわすかのように、ドリンクのストローに口をつけた。

 プラカップの中で折り重なった氷粒が崩れる音が、私達以外誰も居ない教室の中、不釣り合いに大きく響く。

 

「今のは謝る。変なこと言ってごめんね」

「……いえ、私の方こそ、失礼しました」

 

 ドリンクを飲み下す小さな息吹のあとに、ナーガさんは真面目な口調で謝罪の言葉を口にした。

 ささくれだった空気が居心地悪くてこの上なかった私も、それ以上追求する気にはなれなかった。

 それからまた、少し時間が空いて。

 

「……まぁ、さておきさ。それだけトレーナーさんのために怒れるンなら、少なくとも悪い人だとは思ってないっしょ?」

 

 微かなため息に続いて口火を切った時、ナーガさんの声はいつもよりもワントーン(ひそ)められていた。

 私は胸の中で(にわか)に燃え上がった激情――曰く、彼女から見ると『怒り』にカテゴライズされるらしいソレを、目を(つぶ)ってゆるやかに鎮火させながら、問いかけを頭の中で転がす。

 

 トレーナーさんから受けた走りの指導だけでなく、そこに至るまでの個々の出来事を思い返す。

 そうして、おおよそここ2ヶ月間におよぶ回想がひと(めぐ)りしたところで、私はゆっくりと頷いた。

 

「バシッと、早いとこ決めちゃったほうがいいんじゃない? ……人それぞれだと思うけど、サ」

 

 私の顔色をそれとなく伺いながら、それだけ言ってナーガさんは席を立った。

 

『何を』とも『どちらに』とも明言しないまま。

 

 そんな助言をくれた動機は、同じクラスメイトとしてだからか、同じ班員だからなのか分からないけれど。

 私の胸の中に(おこ)った火がまた(くすぶ)り出してくるほどには強く踏み込まず、軽く突き放すようでいて。

 それでも私の将来を案じてくれているがゆえの()()()なのだと理解(わか)ってしまって。

 私には絶対に真似できないその振る舞いが、少しだけ羨ましかった。

 

「邪魔して悪かったね。それじゃ、あっしはこの辺で」

「……はい。また、明日」

 

 ナーガさんは振り返らずに片手を掲げ、来た時と同じように教室の入口扉をくぐった。

 廊下を遠ざかっていく足音に、鼻歌は混ざらなかった。

 

 

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