信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-2.踏み出す足跡 / Trail of Traces

 

 

 

 結局、あの後は丸一日にわたって頭痛と吐き気との消耗戦を繰り広げ、休養と最低限の身の回りの家事をこなして休日がつぶれた。

 少々もったいない気もするが、正規職員としての勤務初日から醜態(しゅうたい)(さら)すような事態は避けられたわけで、ひとまず良しとすることにした。

 明けて、四月一日。新しい年度が始まるこの日、学園は多くのニューフェイスを迎え入れる。

 真新しい制服に袖を通し、期待いっぱい、夢いっぱいの笑顔を満面に浮かべながら桜並木の下で記念撮影に励む新入生(ポニー)たち。

 それを横目に見つつ、勤務初日の午後から早速中央トレセン所属のトレーナーとしての通常業務が始まったのだった。

 

「――うん。良い走りだった。次はトップスピードに乗ってからのストライドに注意してみようか」

 

 コースの端からスタート地点へと駆けて戻って来た、明るい栗毛のウマ娘を出迎えて声を掛ける。

 走りを見ていると、体格に合わずストライドを大きく取ってしまうようで、ところどころフォームが崩れていた。

 速く走りたい思いが行き過ぎている子にありがちなパターンだ。

 彼女の体格は平均よりやや小さめ。そしてスタート後二ハロン区間の足の回転数を見るかぎり、どちらかと言えばピッチ走法向きだろう。

 

「ありがとうございます! やってみます!」

 

 そんな講評をかいつまんで伝えると、栗毛のウマ娘はこちらに向けて礼を述べ、新しいフォームのイメトレだろうか――模擬コースの脇をゆったりしたリズムの小走りで帰ってくる。

 

「よし、次!」

「いつでも行けます!」

「よーいっ! ――スタート!!」

「――やぁぁっ!」

 

 スタート係のウマ娘が黄旗を振り下ろす。

 それに続いて、前髪をぱっつんにして額を顕にした芦毛のウマ娘がスタートラインを飛び出した。

 蹄鉄が砂地を掘り返すザクザクという足音が急速にテンポを引き上げていき――途中でちょっとヨレた。

 が、それにめげることなく加速を続けていき、ハロン棒代わりに立てかけた土ならし(トンボ)の前を通り過ぎる。

 その道行きを一瞬たりとも見落とすまいと目を凝らして、左手のカウンターをカチカチと刻む。

 ……この子の課題はスタートダッシュの足運びか。

 

「左足を踏み込みむときの軸が、少しズレているようですね」

 

 横合いからそんな声投げかけられる。

 

「彼女、手前(利き足)が右でした。意識してトレーニングしないとどうしても凹んじゃいますよ。()()()()()は」

 

 直線コースの終端にたどりついて、折り返しこちらの方に戻って来る芦毛の子のバ体に視線を向けたまま、僕は応じた。

 足をまっすぐ踏み出して、後ろに蹴り出す。

 前後方向の移動が絡むだけの至極単純な動作のように思えるが、実際は回旋――内向きと外向き、真反対に向かう()()()の力がうまく釣り合って初めて成し遂げられるものだ。

 

「踏み込みの瞬間、大殿筋(だいでんきん)のパワーに内旋筋群(ないせんきんぐん)が負けてしまって、つま先が外に()()()()()。そのせいで地面を蹴る力が内側に流れちゃうんですよね」

「徐々にフォームのブレが大きくなって、補正しきれなくなったところでああやってフラつきが出る、ということですね」

 

 自分の言葉を引き継ぎ、生徒に起こった現象を分析する声に「そういうことです」頷き返し、僕はさて、と頭を捻った。

 問題点を指摘するだけならスポーツ誌を片手にガヤを飛ばすオッサンでもできる。

 これを具体的かつ、技術習得に繋げられるようなコメントをあげるなら……。

 

「体幹を鍛えよう」

「――体幹? ですか?」

 

 スタート地点に戻ってきた芦毛のウマ娘に、フォームにを見て感じた問題点を伝え、そんな解決策を示す。

 彼女はコテンと不思議そうに首を傾げた。

 足のひねりと体幹。一見関連が無さそうに感じるのは言った手前良くわかる。

 端的に理由を言うと、左右の回旋のバランスをとる筋トレの塩梅が相当難しいのだ。

 利き足でない側の内旋筋群ばかりを集中的に鍛えると、そこにだけ疲労が蓄積しすぎてしまったり、左右両足の筋力バランスをかえって損ねてしまいかねない。

 

「だからここはひとつアプローチを変えてみよう。上半身のブレが少なくなれば、足腰の筋肉にかかる負担は減るはずだから」

 

 根本解決からは少し外れるが、制動機(ダンパー)として働く体幹が強靭であれば、足腰にかかる体重移動の負荷を肩代わりできる。

 ただし、この方法にも穴はあった。いわゆる体幹を担う深部筋(インナーマッスル)はとにかく鍛えづらいのだ。

 バランスボールを使ったエクササイズやプランク、スクワットだけでは、ヒトならまだしも、彼女たちウマ娘にとっては負荷量が足りない。

 重りを背負ってやれば負荷はキツくなってトレーニング効果は保証されるけど、とかく絵面が地味だしタイパにも難がある。

 結果的に、筋力という絶対尺度(キログラム)で目に見える結果が出やすいウエイトトレーニングなんかの影に埋もれてしまうのだ。

 

「練習メニューといったら……そうだ、ライブの練習って、普段からやってる?」

 

 そこで取り入れるのが、ダンスレッスンである。

 飛んだり跳ねたり、静と動の運動が複雑に入れ替わる全身運動は、深部筋(インナーマッスル)を端から端まで良く使う。

 選曲や振り付けの工夫次第で負荷のアレンジができるし、モチベーションを維持したまま続けやすい。

 

「飛びが少なめのフォームだから、それを活かした走りを研究するといいと思うぞ。あとは、皆が走り終わったあとにでも話そうか」

 

 走りの講評に寄せてそうまとめると、芦毛のウマ娘はささっと手帳にメモをとった。

 よろしくお願いします、と頭を下げて待機エリアに戻っていく彼女を見送って、次の子をレーンの中に招き入れながら、「あんな感じのコメントでよかったかなぁ」と小声で独りごちる。

 最近はプロスポーツ選手の間でも体幹トレーニングがやけに推されているきらいがあって、猫も杓子も体幹、体幹と一辺倒なのは正直どうかと思わないではないが。

 

「まあでも、ある程度楽しんで続けられないとトレーニングも苦行になっちゃうし――」

 

 と続けたところで、自分のすぐ隣でやりとりを見守っていた人物が誰だったのか、という点に気がついて真顔になる。

 

「――っていうのが、私見ですけど、いかがでしょうか、教官……?」

 

 すぐ背後にいた成人ウマ娘――左前髪に走った白い流星が特徴の彼女は、学生たちの指導教官だった。

 トレーナーと、教官。

 職域という括りの中では斜向かいの親戚くらいの近さにいる存在だが、指導者としてのキャリアは相手の方が年次も経験もだいぶ上である。

 これ、新米の癖に割と知ったような口で御高説垂れる、態度のでかい厄介新人の構図じゃないか?

 社交辞令などではなく、恐縮しつつ首をすくめていると、

 

「的確な指導だと思いますよ。学生たちの励みにもなるでしょう」

「……恐縮です」

 

 黒鹿毛の成人ウマ娘は、「本心ですよ」と言い添えてクスクスと笑った。

 その笑顔を見て、ようやく少しだけ胸の奥の緊張が緩んだけれど、指導がきちんとウマ娘たち一人ひとりの結果につながるのかどうか、まだまだ不安は拭えなかった。

 

 

 

 

 当たり前の話だが、新人トレーナーはみな、担当を持たない()()()としてキャリアをスタートする。

 とにもかくにも、指導するウマ娘がいなければ仕事にならないから、担当を見つけるための最初の道しるべは学園側から用意されていた。

 辞令に導かれて新米トレーナー四人がたどりついたここは、中央トレセンの目玉・東京レース場とほぼ同格の威容を誇るメインコース――ではなく、その中心部に併設された内バ場だった。

 人間用の陸上トラックのサイズ感にわりあい近い(実際にはひと回り以上でかい)砂地の上で、デビュー前のウマ娘たちの一団が教官に率いられ、ランニングに励んでいた。

 

「トレーナーの皆さんには、これから午後の二時限にかけて、こちらにいる生徒たちの指導にあたっていただきます」

「具体的にはどのくらいの内容を?」

「そうですね……。フォームを見て改善点を指摘したり、ラップタイムを測ってペース配分の調整をしたり、模擬レースで実践形式の指導をしたり、脚質や距離適性ごとの質問に答えて頂いたり……。できるだけ生徒たち個人へ向けた内容になるよう、お願いします」

 

 教官が挙げた内容はどれも集団授業ではなかなか手を付けづらいポイントだ。それならなるほど、僕ら私らトレーナーが持って来いの役回りじゃないか。

 そんな風に納得して、一同はウマ娘たちの小グループに一人づつ散らばった。

 正規トレーナーを目指す研修生として同じ釜の飯を食った仲、切磋琢磨した同期のよしみは続けども。

 今となっては担当するウマ娘をセンターに立たせるため、バチバチに競い合う関係になったライバルたちの声を遠間に聞きながら、僕もメガホン越しに声を張り上げる。

 我ながらそれほど熱血肌というわけではないはずなのだが、気づけば自然と胸の中でふつふつ(たぎ)る闘志があるのに気付かされるのだった。

 

 担当するウマ娘たちがそれぞれ三回ほど直線コースを走り抜けたところで、他のグループに順番を譲ることになった。

 時間的にもショートブレイクにちょうどよいタイミングだろうと考えて、スポーツドリンクの入った給水ボトルを配って回る。

 

「みんなお疲れ様。水分補給をしっかりして、休んだ後は実戦形式でコース取りの練習をしてみようか」

「はーい」

「わかりましたぁ」

 

 ボトルを傍らに、生徒たちは内バ場の柵の外側でクールダウンに入った。特にこちらが促すまでもなく、自主的にストレッチを始めるあたりは流石、アスリート養成学校の生徒たちといえる。

 

「トレーナー、さっきの体幹トレーニングのことですけど、どういうメニューがいいですか?」

「ああ、それはね――」

「トレーナー、私も質問いいですか?」

「トレーナーさん、その次にお願いします~」

「わ、わかったわかった。順番にね」

 

 ストレッチの合間に、自然な流れで質問タイムが始まる。

 先ほど教官が言ったように、専属トレーナーを持たないウマ娘たちは自らの走りを高めるヒントになるようなフィードバックに飢えているらしかった。

 矢継ぎ早に投げかけられる質問は、走りそのものに関する内容にとどまらない。メンタル面管理や日々の栄養・カロリーコントロールへ及んだのち、やがて少し砕けた雑談へと会話が広がっていった。

 

「トレーナーさんは、いつからトゥインクル・シリーズを観てるんですか?」

「いつからだろうなぁ……たぶん一桁歳の頃から爺さんの隣でレーススタンドに座ってた気がする。――知ってるかい? 昔は宇都宮にも地方トレセンとレース場があったんだ」

 

 そう言うと生徒たちは「ウッソー」、「聞いたことない」と口々に言い合い、一人がスマホを取り出して検索したところで感嘆の声を上げた。

 祖父がトレーナーとして働きはじめた時代はもう半世紀ほど前になるが、その頃の中央(URA)主催のレースや学園の収容人数は、今よりもずっと少なかった。

 その反面、レースで身を立てようと願うウマ娘の数は今よりもずっと多かったので、そんな彼女たちが研鑽を積む場として日本各地に今日では考えられないほど多くのトレセンが存在していたのだ。

 

 そんな地方トレセンの一つ、『宇都宮』所属のトレーナーだった祖父宅の居間には、教え子が重賞を獲った時の記念写真が、今でも丁寧に額装されて掲げてある。

 時代は変わって、地方の過疎化やURAの規模拡大が進むにつれて、地方レース場・トレセンの多くは統廃合を余儀なくされた。

 このあたりはヒトの学校でもよく耳にする話だが、宇都宮トレセンもその例に漏れず、確か自分が物心ついた時には閉校が決まっていた。

 爺さんもその後を追うようにトレーナーを引退して久しいが、今でもかつての教え子から年賀状が届くという。

 名前は、なんて言ったかなぁ……。

 

「――あっ、そうだ。名前で思い出した」

 

 そのとき、ハタと思い出したことがあり、ちょっと訊いてもいいかな、と生徒一同の顔をぐるりと見回す。

 

「ヒトを、というか、生徒を探してるんだけど。右耳に黄色リボンを付けた黒鹿毛のウマ娘に心当たりはない?」

 

 尋ねたのは、ほんの数日前にたまたま行きあったあのウマ娘のことだ。

 彼女の介抱のお陰あって無事体調は全快したので改めてお礼を言おうにも、名前すら分からない状態だった。

 全校生徒約二千人の中からたった一人を探し出すのは困難を極めるが、餅は餅屋と言うし、ウマ娘のことはウマ娘に訊く方が良いに違いない。

 そう考えてのことだったが……。

 

「右耳リボン……黄色、ですよね」

「うーん……、誰か、いる?」

「意外と思いつかない」

「黄色リボンねぇ……? ――カルストンライトオさん?」

「あー、あの直線狂の……耳カバー(メンコ)でしょ、リボンじゃないよ」

「あれぇ、そうだっけ。なんかストラップ的なの付けてた気がするんだけど……」

 

 期待に反して感触は芳しくない。生徒一同、首を捻ってしまった。

 記憶の中にある件のウマ娘の外見情報を絞り出そうとするが、髪色と耳飾り以上のものは出てこない。

 なにぶん顔を突き合わせたのもそれほど長い時間ではなかったし、服も学園指定のジャージだった。

 顔立ちを言い表そうにも、語彙力の無さが絶望的に足を引っ張って、とっさに目元口元がどうとか形容する言葉が見つからない。

 まさか、かわいいとか美人とかいう小並感(こなみかん)が役立つとは思えないし、そもそもウマ娘はヒト基準から見ておしなべて顔面偏差値が高いのだ。

 

「私達、たいてい耳に何かしらアクセ付けてますし、誰がどんなの付けてたかなんて、相当有名人じゃないとパッとは出て来ないですよ」

「確かになぁ」

 

 確かに自分だって、顔と名前を一致させ、日常的に動向を追っているのはG2,G3クラスの重賞戦線までがいいとこだ。

 その他はというと、メイクデビューや未勝利戦でよっぽど強い勝ち方をした()をそれとなく翌年のクラシック戦線に向けて追いかけていく程度だろうか。

 オープン戦まで含めるとメンバーの入れ替わりが激しすぎて正直全くわからない。

 中央トレセン所属のウマ娘でもそのくらいの把握度合いだから、船橋、笠松などの地方トレセン生ともなると交流重賞に顔を出してくるメンツの数人くらいしか記憶に残っていない。

 海外? 凱旋門、キングジョージ、エプソムダービー・オークス、ブリーダーズカップとかの主要なG1レースくらいなら……トレーナー、勉強不足です。

 もっと言うならば。

 

「未勝利かデビュー前の()って線も考えたほうがいいか……?」

 

 そう、ぽつりと呟いた一言を聞いて、芦毛のウマ娘が耳をピクリと動かした。

 

「――そういえば、今度の選抜レースの出走表、もう出てたよね」

「うん。昨日の夕方、競技課からメールが来てたはずだけど……、そっか! もしかしたらトレーナーさんが探してる()、この中に居るかもしれませんよ!」

 

 栗毛のウマ娘はそう言って、キャラクターシールでデコられたいかにも女子学生らしいスマホをこちらに見せてきた。

 ネイルの施された指がPDFのアイコンをたたき、少しロード時間が挟まった後に現れたのは()()()()()()()出走表(ウマ柱)だ。

 

 上から順番に、枠番、所属寮、誕生日、といった具合で記載されているのは一般的なURAレースの形式と同じ。

 所属チームやトレーナーの欄は多くが空欄だが、既に専属契約済みの選手もチラホラいるようだ。

 その下に各ウマ娘の顔写真と外見的特徴(毛色・耳装飾)の簡単な付記と、ポートレートが並んでいるのだが……。

 

「芝1000には居ない、と。他の距離って、出てる?」

「ありますよぉ」

 

 スカイブルーのネイルがひょいひょいとPDFのページを送る。

 芝1200、いない。

 芝1400、いない。

 芝1600、選抜レースのボリュームゾーンであり、レース数はかなり多いが、ここにも居ない。

 

「ダートレースの方も見てみますか?」

「うん。お願い」

 

 コース変わってダート1000。芝のそれより組まれたレース数は若干多いが、やはり探しているウマ娘の顔はない。

 続いてダート1200。いない。そろそろウマ柱に居並ぶ名前がゲシュタルト崩壊を起こしてきた。

 ダート1400、第1レース、2レース、3レース目に探し求める姿はない。4レース目を流し見スクロールしたところで――。

 

「あっ、ちょっと待った。戻って」

「さっきの第4レースですか?」

「そうそう……。今ちょっと――、あー……ああ!」

 

 ピンチした指先が止まる。

 黒鹿毛に、右耳の黄色リボン。

 写真を見つめるうちに、頭の中で乱雑に絡み合っていた印象(イメージ)の断片が、ほどけ、つながり、形を成していく。

 パチパチと音を立てて独りでにパズルが組み合わせられていくような感覚。

 最後の1ピース、黄玉(トパーズ)色に輝く瞳が記憶の中から浮かび上がて、画面の中にある現実と重なった。

 

「これだ、この()だよ!」

 

 ポートレートの中の彼女は少し緊張しているのだろうか、記憶と比べてだいぶ表情がこわばっていたが、紛れもなくあの()()()()()()()()()だった。

 6枠12番、脚質は逃げ・先行。

 中等部3年、体重は微減。

 過去の戦績、なし。

 ()()()()

 

「――」

 

 その文字列に視線が吸い寄せられる。

 どくん、と。

 知らず知らず、心臓が跳ねるのを感じた。

 

「――なーさん……。トレーナーさん!」

「……うわっ! あ、ああ。ぼーっとしてた。ごめんごめん」

 

 横合いから呼びかけられて、弾かれるように視線をスマホの画面から引き剥がす。

 

「えっと……そんなにこの()のことが気になるんですか?」

 

 スマホを見せてくれていた栗毛のウマ娘が、不思議そうな面持ちで画面を見つめる。

 

「トレーナーの知り合い? でも、名前を知らなかったって……?」

 

 その横から芦毛のウマ娘が合いの手を入れた。

 

「もしかしてもしかして、L-O-V-Eなやつですか!?」

「いや、違う違う。ちょっと体調不良で動けなくなってたところを介抱してもらったんだ。そのときロクにお礼も言えてなかったから……」

 

 慌てて否定するが、それは返って彼女たちの第六感(女の勘)をいたく刺激したらしく。

 

「……ってゆーわりにはマジマジ見過ぎじゃない?」

「声を掛けても微動だにせず没頭してましたよ~?」

「なんか、運命の人と再会しちゃった感じ……?」

「それってさぁ、一目惚れってコト!?」

 

 こちらが止める隙もなく、ありもしない燃料を掘り出してきて片っ端から投下し勝手にヒートアップしていく。

 ほかの生徒たちも巻き込んで、きゃいきゃいと黄色い声を上げ始める始末だった。

 この()たちも色恋の話題に敏感なお年頃のウマ娘だ。こういう反応が起こるのは当然っちゃ当然なんだが、女子たちのオクターブの高いかしましさの中に男一匹放り込まれるのは独特の居心地悪さがある。

 なんの罰ゲームだ。

 

「……そういうのは少女漫画の世界だけだぜお嬢さんがた」

 

 僕は額に手を当てて、自分でも目に浮かぶほどげんなりした顔で絞り出した。

 もちろん、世のレースウマ娘と担当トレーナーとの間に、生徒と教育者以上の絆が生まれるケースが全くないかというと嘘になるが。

 そんな関係は、言うなれば劇薬に等しい。

 僕たち大人が"関わり方"を間違えれば、うら若いユメを導く仕事は一瞬で壊れてしまう。

 現実世界の社会規範ってものは、創作物(おはなし)の登場人物たちほど甘っちょろくはないのだ。

 

「ただでさえコンプラ的に厳しい世の中なんだから、駆け出し新人トレーナーの仕事を(おびや)かさないでくれよ」

「でもでもー、トレーナーさんも担当の()、探してるんでしょ?」

「そうそう。毎年新人さんの何人かはここで担当スカウトしてるって聞くし、丁度いいじゃない」

「うん、まぁ、……そうだね。当日は見に行くよ」

 

 自分でもなんだか歯切れの悪い物言いになってしまったが、これも何かの縁だし、と言い添える。

 ともあれ、探し人の正体が掴めたのは収穫だった。

 スマホを見せてくれた栗毛のウマ娘にお礼を言うと、PDFファイルをそのまま転送(UmaDrop)してくれるということで有り難く受け取ることにした。

 

「どうです? 見れますか?」

「うん、届いた。ありがとう、本当に助かったよ」

「どういたしまして。スカウト成功したら教えてくださいね! お祝いに奢りますから! 自販機で」

「自販機」

「振られちゃったら慰めてあげますからね~」

「ねー」

 

 ……なんだろうか、この雰囲気。

 ウマ娘たちがニコニコと浮かべている笑顔がなんだか生暖かい。

 スカウトだって、そんなカップルの告白イベントみたいな甘酸っぱい雰囲気の中でするやりとりじゃないはずなんだけど。

 気安さと馴れ馴れしさの瀬戸際でタップダンスを踊るような距離感の近さは、この年代特有の楽天さ、無邪気さの為せる技だろうか。

 これを狙ってやっているんだとしたら、女の子って怖えなぁ。

 というか、撃沈する前提かい。

 

「新米の癖にー。隅に置けないなぁもー」

「ちゃうって。大人をからかうんじゃないヨ――はいはい、それじゃ休憩はおしまい。練習始めるよ!」

 

 これ以上は収集がつかなくなりそうなので、ぱんぱん、と手を打って話の流れを半ば強引に変える。

 ちょうど順番待ちをしていたトラックコースが空いたところだったのだ。

 学生の本分は勉強、そしてレースウマ娘の本分は走りを磨くこと。

 恋バナは学生生活に彩りを与えてくれるものだろうが、線画はおろかデッサンすら描けていない未来予想図のまま彼女たちを社会に送り出すのは、流石に教育者のはしくれとして許容しがたかった。

 

「この子たちみたく、私のことスカウトしてくれるトレーナーさん、どこかに居ないかなぁ、――チラッチラッ」

「画面の中だけじゃなくて! ここ! ここにも専属担当募集中のウマ娘は居るんですよ!」

「それはそう。だけどまずは選抜レースに出られるよう頑張んなさい」

「それはアンタもでしょ! 本格化が来たとか、まだ聞いた覚え無いわよ?」

「みんな一緒よ~」

「練習中の動き次第では選抜レース出走の推薦はしてあげられるけど、スカウトしてあげられるかどうかはまた別の話だな」

「いけずー」

 

 トレーナーひとりを取り囲んでは、やいのやいのと言い合っているウマ娘たちだったが、トラックコースへと足を踏み入れるとそれぞれ少しずつ表情を引き締めて思い思いにウォームアップを始めた。

 それを横目に見つつ、ラップタイムを計るためスマートフォンを取り出す。直前まで開いていたPDFファイルの一ページがトップに表示されたままだった。

 

「忘れないうちに――コレでよし」

 

 スマホの側面ボタンを押す。シャッターを切るようなアニメーションとともに画面のスクリーンショットが保存される。

 出走表を覗くのはそれっきり。

 ちゃんと競技用のストップウォッチを用立てなきゃな、とメモアプリに打ち込んで、最後に頭の中身を入れ替えた。

 生徒たちに発破を掛けた自分もまた、一息入れたところで本分に立ち返らないといけない。

 

「それじゃ次は、さっきも言った通り、全員で並走を兼ねたコース取りの練習をしよう。みんな、準備が済んだらラインに立って!」

「「はーい」」

 

 結局のところ。

 自分も、彼女たちウマ娘たちも、誰かの蹄跡を追いつづけているのだろう。

 おぼろげな記憶の中にあってくっきり浮かびあがるほどに焼き付いた偉大な先駆者のものか。

 あるいは、こちらを時々気にかけながら少し先をゆく、敬愛すべき先達のものか。

 はたまた、すぐ隣で自分と競り合っているライバルたちのものか。

 

「位置について!」

 

 ひとつとして同じ蹄跡はなくて、そのどれもが――そしてそれを追う誰もが、夢や希望、成し遂げたい目標や、そのほかに色んなものを胸に抱いて走っているけれど。

 何はともあれ眼の前にある、やるべきこと(一レース)を乗り越えなければ、次に進めないのはハッキリしているわけで。

 

「――――用意!」

 

 人生というとりとめなく長いレースを少しばかり先にスタートしたものとして、後に続く彼女たちのことを、レーンから逸走しない程度に導いていかなきゃならない。

 

「スタート!」

 

 きっとそのために、自分は今ここに居るのだから。

 

 

 

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