信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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本日は2話連続投稿しておりますので、未読の方は先に前話をお読みください。


1-29.君や来む吾や行かむのいさよひに / What Remains Owed -2

 

 

「――クレディ、君は、一体何を目指して走っているの?」

 

 問いかけて、そこで初めて首を捻ってクレディのほうを見やる。

 彼女はいつの間にか膝を抱えて座っていて、相変わらず俯いたままでいた。

 黒鹿毛の髪が(すだれ)のように降りて、表情の大半を覆い隠している。

 

「……書類を見たんですね。それなら、トレーナーさんもご存知だと思いますけど」

 

 その末端からちらりと覗いた唇が震えて、きつく結ばれた。

 線の細い肩が大きく動いて深い溜息を吐き出し、言葉が紡ぎ出される。

 

「捨て子なんです、私」

 

 闇夜の中に溶けて消えてしまいそうな儚い声色で。

 

「生まれた直後から親はいない。育った場所ももう無くなってしまいました。他の皆と違って、帰るところなんて、私にはどこにもない。……()()()()って言うんですよね。こういうの」

 

 僕に向けているようで、その実、一言一句を自らに刻みつけるような口ぶりで、クレディは言った。

 無理矢理にトーンを上げ、冗談めかして言う様があまりに痛々しくて、僕はとっさに口を差し挟む。

 

「学園は、君にとっては帰る場所にならなかったのか」

「……確かに、入学して気持ちは一度落ち着きました。……全寮制ですから、生活の不安は当面ありません。でも、……ずっとそのまま居られるわけじゃない」

「……道理だね」

 

 現実問題。

 青春の日々(モラトリアム)にはいつか終わりが来る。

 先送りした猶予(credit)に、向き合わなければならない時が来る。

 ヒトか、ウマ娘かの区別なく。

 だから、と彼女は云った。

 

「奨学金が貰えるように目一杯勉強して、レースで成績を残せるように精一杯練習して。先生にも、クラスメイトにも、皆にいい顔して、――皆の負担にならないように、皆に受け入れてもらえるように、()()()で居なきゃいけない」

 

 道を踏み外しかけた己を戒めるように。

 

「そうしていれば、いつか……誰か、どこかに、私一人が立っていられるだけの場所を、空けて貰える……って、信じて」

 

 震える声で、心に楔を打ち込むように。

 

「たった小さな、……足場にさえ届ければ、それで良かったんです」

「それが、君が目指すモノ」

 

 僕が確かめるように問うと、クレディは揃えた膝小僧の上に額を預けながら、静かに頷いた。

 レースウマ娘の世界において上澄みも良いところの、"中央トレセン"ウマ娘が抱くには、ひどくちっぽけにすら思える目標。

 けれど、縁故も、寄る辺も持たざるものとして生きる彼女にとっては、自身の未来が懸かっていると言っても、まだ言葉足らずかもしれない。

 十代もようやく半ばに差し掛かろうという少女が掲げるには、ひどく(いびつ)で、それでいて無垢な願い。

 それを(ないがし)ろにすることなど、到底出来ようはずもなかった。

 そしてそんな彼女の心に向き合うための言葉も、すぐには見つからなかった。

 

「トレーナーさん、以前言ってくれましたね。私のことを、真面目だって」

「……今でも、変わらずそう思ってる」

「分かったでしょう? 私のすることはぜんぶ、打算なんです。他人の気持ちと正面から向き合わないで、いつも受け止めたフリをして、いいようにその場を納めて、逃げてばかり……。真面目だなんて、そんな評価、私なんかには勿体ない」

 

 見つからない答えを探し続ける僕をよそに、クレディはいつもより饒舌に、自身の瑕疵(きず)を曝け出す。

 

「身の丈に合わないことをするから、こうやってボロが出るんです」

 

 言葉とともに、抱えていた右足をヒョイと伸ばして、微かに顔を強張らせた。

 雪肌の上、膝頭に巻かれた包帯が、月光の下で病的な白さを照り返している。

 止めようとして慌てて手を伸ばすと、ジャージの左手が空中で僕の手首を捕まえ、押さえつける。

 

「トレーナーさんにも、選抜レースに出られるように力を尽くしていただいたのに。あんな、不甲斐ない結果で……」

「勝負の世界だ。思い通りにいかないこともあるさ」

 

 語気を強めて腕に力を込めるけれど、たったの4本、揃えた指ををあてがわれただけで拮抗状態が保たれた。

 

「……耐えられないんです」

 

 静かに首を横に振りながら、クレディは僕の言葉と、差し伸べた腕とをひと息に押し退けた。

 

「一度でも私のことを()()と思ってくれた人に、失望されるのが、怖くて、(たま)らない」

「……」

「おかしな話ですよね。誰かにとっての特別な存在になるしか、根無し草が生きていく道なんて無いのに」

 

 いつしか中天に昇った月を見上げながら、そう、あけすけに言い放つ声は、隠しきれない諦念の中から泡沫のように浮かび上がってきたものにしか聞こえなくて。

 思わず、拳を握る。

 もどかしい。

 己の限界を識った気でいるように、賢しらに(わら)って見せる眼の前のウマ娘が。

 もどかしい。

 視野を開いてやると(うそぶ)いておきながら、自ら狭隘(きょうあい)な視野に囚われたままでいる自分自身が。

 

「――そうやって、ずっと人との距離を測り続けて、遠間から眺めるだけで、君は前に進めるの?」

 

 口に出してから、後悔する。やっぱり僕は、卑怯という(そし)りを免れない。

 力負けして勝てないからと言って、誰かからの借り物のような――言葉にすれば自分の身にもそのまま跳ね返って来るようなセリフを振りかざすのは、我ながら子供のようで呆れるばかりだ。

 こんなやり口は、正直流儀じゃないんだけど。

 そうだとしても。

 道端の迷い猫のように、天を仰いで涙を堪らえようとする()()を、黙って見ている訳にはいかなくて。

 もう口に出した言葉を飲み込むことも、できるはずなかった。

 

「怖くて引っ込んでたんじゃ、君はいつまで経っても誰かにとっての特別にはなれない。こういう言い方は良くないけど、いつまでも『()()()()()()()()()()()()』のままだ」

 

 立場や遠慮をかなぐり捨てて、ひと息に言い放つ。

 クレディは苦々しげに顔を歪めたあと、滲んだ涙をふるい落とすかのように強く目をつぶり、初めてこちらに向き直った。

 

「そうですよ! 分かってます、それでいいんです! どうせ私は"逃げ"続けなきゃいんだから!」

「常に次の足場を探して、ずっとソワソワして落ち着かないままでもか?」

「今の足場が崩れる前に、次の場所まで飛び移れるなら、そのくらいの扱いでいい!」

 

 キッと見開かれた黄玉の瞳が僕の姿を映す。

 笹場耳を後ろに絞りきり、唇をきつく結んだその面持ちは、普段は品行方正な仮面の下に隠されているはずの激情。

 いつぞや皇帝(ルドルフ)から向けられたものとは別種の、ウマ娘の本性――プリミティブな闘争心から来るであろう気迫に正面から殴りつけられ、抑えようもなく総毛立つ。

 それでも、見上げる彼女の瞳をまっすぐ見据えて、その青臭い衝動を真っ向からどつき返した。

 

「先達から言わせてもらうけどね。足場のほうは、君の存在を忘れたとしても、足蹴にされたことだけはずっと覚えてるぞ。繰り返せばそのうち、君の重み(おそれ)を受け持ってやろうなんて考えてくれる奴は、どこにも居なくなる」

 

 クレディの華奢な肩に両手を添える。

 ビクリと身体を震わせて僕の手を振り払おうとする彼女を押さえつけるようにしながら、懇々と聞かせた。

 現実問題。

 人ひとりが持てる繋がりには限度がある。

 彼女がやろうとしていることは信頼の前借りであって、人間関係の与信には上限があるものだから。

 踏み倒し続ければどうなるかなど、あえて言うまでもない。

 痛い目を見てからでは、何もかも遅すぎるから。

 

「なら、……他にどうすればいいんですか! だって……だって――っ」

 

 僕の言葉を聞いて、クレディは俯いた。

 鈴を転がすような声が嗚咽に震える。

 黄玉の瞳から水晶のような雫がひとつ、ふたつと流れ落ちる。

 大きく言葉を詰まらせて、ぐっと堪えた後で、ひと息に吐き捨てるように彼女は叫んだ。

 

「……誰も私のことなんて見ていない! 誰からも必要だって思われない! これから先、誰かの記憶に、……記録にでも残らない限り!」

 

 むき出しの激情が津波のようにクレディの内から発し、僕たちの間を過ぎ去って、消えていく。

 それに呼応かのするように一陣の夜風が境内に吹き込んで、神社の周囲を囲む鎮守の森が口々にざわめいた。

 再び黄昏時の静寂(しじま)が場に満ちて。

 僕は噛みしめるように呟いた。

 

「――――なんだ、言えたじゃないか」

「――――ぇ?」

 

 クレディは虚を突かれたような顔をして、眦から涙の一雫をこぼした。

 

「"足場"探しなんかより、()()()のほうが、ずっといい」

 

 輪郭に沿って流れ落ちるそれを人差し指で拭い取って、僕は彼女に笑いかけた。

 彼女の手にハンカチを押しやって、代わりにペットボトルに手を伸ばす。

 緊張でカラカラになった口をもう一度潤して、残る甘ったるさを吐き出すように言葉を紡ぐ。

 それはたった独りで走り続けようとするウマ娘に向けた提起でもあり。

 彼女と向き合い続けるうちに、自分の心の中で芽生えた問いに対する、答えだった。

 

「僕はトレーナーだ。君たちウマ娘を指導して、レースの世界で輝かせるのが仕事だ」

 

 視界の端で、クレディが膝の上で握りこぶしを固く握るのが見えた。

 何を言い出すのか、と涙を拭うハンカチの陰から怪訝そうな視線が刺さるのを頬に感じながら、構わず先を続ける。

 

「指導を求めてるウマ娘なんて学園に何百と居るのに、それでも一人ひとり担当を選ぶのは何故か? ――走りに惚れたから。性格や気風が気に入ったから。支えてあげたいと、そう感じたから。……人聞きのいい理由なら僕だって、何とでも言える」

 

 僕なんかよりもずっと苦難に満ちた人生を歩む彼女が、ほんの少しだけでも心の内を明かしてくれたというのに。

 僕ひとりだけこの()を胸に秘めたままというのは、どうしようもなくアンフェアだから。

 

「大元をたどると、それが仕事で、僕自身が生きていくための手段だから。――そんな"打算"からは、きっと逃れられやしない。足場を探し続ける、君と同じように」

 

 中天の空を見上げる。

 雲間に浮かぶのは十六夜(いざよい)の月。

 その呼び名は、現代語の「躊躇(ためら)う」にあたる「猶予(いざよ)う」に由来するのだったか。

 望月よりも遅くに地平線を出て夜空へ昇る様を、進もうとしても思うように進めない道行きに例えて、古人はそう称した。

 完全なものとして生まれたものが完全なまま在り続けるよりも、価値あることだと考えて。

 姿が満ち足りずとも、不完全に欠けたその姿こそを愛した者が確かに居た。

 そんな彼らによって受け継がれた名が、はるか時代を下った今代まで伝わっている。

 

「僕はきっと、――悪いトレーナーだ。君の将来を本当に案じているなら、信頼できる指導者のもとに君を送り届けてやるべきなんだ。"打算"抜きで、ね」

 

 そう、きっと僕が吐露したとて、二人の距離が縮まることはない。

 背負った重さからして、まさしく月とスッポンと言うべき、絶対的な違いがあるのだから。

 それでも。だからこそ――、

 

「"逃げ"続けることを悪いとは言わない」

 

 クレディにもう一度向き直る。

 まだ薄っすらと濡れた黄玉の瞳を見据え、告げるのは僕の本心から来る、隠し立てのない言葉だった。

 

「君の打算を、僕は(わら)わない。否定もしない。それが君にとっての生存戦略なら、(きわ)めることを止めろなんて、決して言わない」

 

 今の彼女の、欠けたところのある姿を、美しいと思う。

 満ち足りた姿に至ろうとする努力を、尊いと思う。

 でも、目的地を間違えたまま進み続ければ、その輝きはどこかで翳り、やがて砕けてしまうだろう。

 

「ただ、ひとつだけ訂正させて。君は君自身が思っているよりもずっと、色んな人達に見守られているし、気に留められてる」

「そんなことっ――」

「今はまだ、信じられなくてもいい。でもね――、先達が言うことなんだからとりま一旦聞いときなさい。眉唾でも、話半分でもいいから」

 

 目を伏せ、食い気味に否定しようとする口元に指を添えて、続く言葉を押し留める。

 

「ただそれだけじゃ、君はきっと納得しないから――これを」

 

 そうして、カバンから一枚の紙片を取り出して彼女のもとへ差し出した。

 二つ折りに閉じられた、小さなポストカード。

 差し伸べられた手がおずおずとそれを受け取り、開くと、中からひょっこりとビーグル犬が立ち上がる。

 その口元には、カーネーションの花束。

 

「手の届かないところに去ってしまった君のことを、僕に託した人がいる。――その人は、この『記憶』をずっと手元に置いたまま、今も君の幸せを願っていたよ」

「――」

 

 小さく息を呑んだ彼女は、言葉を失ったままに僕の顔をぼう、と見上げた。

 黄玉の双眸が惑うように小さく揺れている。

 ()()()は、僕がするよりもずっと昔から、こうやって彼女と向き合って、導いてきた。

 僕が同じようにできるかはわからないけれど、その人の言葉を――『記憶』のひと欠片を受け取ったのだから。

 同じ言葉を掛けるはずに違いないと、そう信じて告げる。

 

「だからクレディ。どうか、その名(credi)に恥じるような生き方(走り)だけはしないで」

「――ぅ、ぁ……っ」

 

 応える言葉は続かなかった。

 端正な顔をくしゃくしゃに歪めながら、クレディはポストカードを胸元に掻き抱く。

 背中を丸め震わせながら、堪えきれない嗚咽が漏れる。

 艷やかな黒鹿毛の髪に手を添えて、絞り出すように「先生」と呼ぶ声ごと、自分の胸元に抱き寄せた。

 ウマ娘を指導するトレーナーとしては道に外れているだろうけど。

 この時だけは、"託された者"として、この娘に向き合いたいと、そう思った。

 

 

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