信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-30.まだ結べない手と手の距離は / What Remains Owed -3

 

 

「だいぶ、遅い時間になっちゃいましたね」

 

 タクシーの車窓を流れていく街角の時計を見て、ぽつりとクレディが呟いた。

 僕が顔を向けたときにはもう遠く後ろに離れてしまっていたので、代わりにスマートフォンの画面を点ける。

 学生寮の食堂の夕食時間帯はとっくに過ぎてしまっていた。

 

「この前みたく、どっかで食べて帰ろうか」

「だっ、駄目です! そこまでご迷惑をおかけする訳に行きません」

 

 いつぞやのファミレス以来だね、という僕の提案を聞いて、クレディは両手をわたわたさせながら首を横に振った。

 そんなに遠慮せずともいいのに。

 思わず苦笑がこぼれるが、怪我の身の彼女にこれ以上気負わせるのも難だ。

 

「それじゃあ、せめてコンビニにで何か仕入れよう。――運転手さん、その辺で止めてもらえますか?」

 

 まだトレセン学園からいくらか距離はあるが、コンビニの看板を示してタクシーを止めてもらい、精算を済ませる。

 東京都心のベッドタウンである府中の町並みは、日中に比べると車通りもずっと少なく、行き交う人影もまばらだ。

 ところどころに突き立つ街灯と、民家の窓から漏れる薄明かりに照らされながら、大通りはひっそりとした静寂に包まれていた。

 学園からほど近く、歩いて10分ほどのところにあるコンビニの自動ドアをくぐる。

 右足をかばいながら歩くクレディと彼女に肩を貸す僕の姿を認めた店員さんが、レジ向こうから慌てた顔で駆け出してくるが、軽く会釈を返して奥の弁当コーナーに進む。

 

「コンビニ弁当って、最近揚げ物と炭水化物ばっかになったよなぁ……、ほら、クレディ、何でも好きなの入れなよ」

「いえいえそんな。お支払いは別々にさせて下さい。いくらなんでも……」

「その膝じゃカゴ持って歩くの辛いでしょ」

「お忘れかも知れませんが、ウマ娘ですよ、私」

「知ってる。忘れてもらっちゃ困るけど、僕はトレーナーなんだ」

 

 怪我してる教え子に荷物を持たせて隣で涼しい顔っていうのは、何ていうか世間体がよろしくない。

 そう言い含めてやっと彼女は折れた。

 

「……失礼します」

 

 幕の内弁当と、お惣菜を何品か会計カゴに差し入れる。

 ウマ娘の、それもアスリートの摂取量にしてはあまりにも控えめだ。

 食べることもトレーニングだぞ、と念押すと、頬を仄かに染めながら鶏胸肉のサラダとレバニラ弁当を追加で手に取った。

 

 うむ。それでよし。

 

 こちらは手近にあった唐揚げ弁当と缶コーヒーをその隣に重ねると、怪訝そうに見上げる黄玉(トパーズ)の瞳と視線がぶつかる。

 

「トレーナーさんは、それだけですか?」

「あんまり夜遅く食べると余計な肉がついちゃうからな。君たちほど代謝良くないし」

「量の問題じゃなくて、栄養バランスです。ちゃんと野菜も取って下さい……はい」

 

 言うやいなや、眉根を寄せながら野菜サラダのパックを差し出してくる。

 (かな)わないな、とひとりごちながら、初めて彼女と出会った時に感じた『世話焼きのお姉さん』といったイメージの片鱗を想起して、少しだけ懐かしく思う。

 

 "先生"から伝え聞いたとおり、クレディカイゼリンというウマ娘がもつ本性(ほんせい)はこちらの方なのだろう。

 なにかにつけて抑制的に、自罰的な方向に流れがちな彼女の意識を変えていくヒントは、そこにあるのかもしれない。

 願わくば、彼女が"打算"によるものと自認しているであろう、生まれ持った心根の()さをいつしか"誇り"に変えることができれば……。

 

 そんなことを考えながら会計に向かう。

 ポケットをまさぐって財布を持っていないことに気がついたらしいクレディが、ガックリ肩を落としている。その横合いから手を伸ばし、ささっと支払いを済ませた。

 

「食費まで出して頂いて、本当に……」

「良いんだよ。こういうのには順番があるんだ」

「順番?」

「世代交代、あるいは数学的帰納法様収支均衡」

「……すみません、よく、わかりません」

「将来後輩に同じことをしてあげな、ってこと。――あ、領収書ください」

 

 そんなアドバイスが、少しだけ彼女の視界を開く切っ掛けになることを、願ってやまない。

 

 ま、僕のこれも大学時代の先輩の受け売りだけど。

 

 冗句めかしながら店外に置いておいた折りたたみ自転車を広げる。

 クレディをサドルに(またが)らせ、健在な左足でバランスを取ってもらいながらハンドルバーに手を添えて押し出せば、肩を貸しながら歩くよりはお互い楽な道行きになる。

 本来のウマ娘の足とは比べるべくもない鈍足ではあるけれど、何にせよ、彼女の膝に掛ける負担は少ないほうがいい。

 

 人気の失せた夜道を二人、しばらく無言で進む。

 町並みの向こうから、次第に特徴的な三角錐型の屋根――てっぺんに蹄鉄の意匠を頂いた、トレセン学園本棟の鐘楼が見えてきたとき。

 

「提案が、あるんだ」

「……はい?」

 

 意を決して切り出す。歩みは止めずに。

 ハンドルを握るクレディの手に少しだけ力が籠もるのが、ちらりと見えた。

 

「トレセンに居る間だけでいい。一切の重荷を僕に預けてくれ。不安も、迷いも、(おそ)れだって、全部振り切って、君がただ前だけを向いて走れるように」

「……」

 

 僅かに漏れた吐息が、カラカラというラチェット音に紛れる。

 普段通りを装っていても、彼女の荷重分だけ重たくなったハンドルバーを押す手にかかる抵抗は少しだけ強く、いつもよりほんの少しだけ息が上がった。

 

「君が信じて進めば、後に続く道ができる。そこをみんなが歩き出せば、やがて道は広がる。――"足場"なんかよりも、ずっと広くて、ずっと先まで続く"道"が」

 

 願わくば。

 僕は、クレディカイゼリンというウマ娘の道を(ひら)くものの一人として在りたい。

 彼女が何に悩み、何を望み、何を選んで走るのか。

 そしうして走り続けた先に、どんな答えを得るのか。

 全てを見届けたその時、それは僕の中で色褪せることのない、彼女だけが持つ輝きとして残り続けるはずだ。

 それだけでなく、きっと――、

 

「いつか必ず、君の進んだ"道"は誰かの『記憶』として刻まれる」

 

 世界でたったひとつだけの、類稀(たぐいまれ)なる輝きとして。

 そこまで至れば、もう"足場"を探して惑うことも、その必要も無くなるはずだから。

 

 想いを込めて投げかけた言葉に、答えはすぐには返ってこなかった。

 

 それでも確信を胸に抱きながら歩き続ける。

 交差点を曲がる。

 学園まで、あとは大通りを一直線に進むだけ、という地点まで来た時。

 

 ぎゅ、とゴムが引き絞られる音がしてハンドルバーを支える手が重たくなり、自転車がつんのめるように停まった。

 

「ごめんなさい」

 

 ブレーキレバーに掛けていた指を開きながら、クレディはうつむき気味に言った。

 その答えを聞いて、僕は長く息を吐く。

 

「……そっか、それなら――」

「あっ、いえ、違うんです! トレーナーさんのことを信用できないとか、そういうことじゃなくて……」

 

 矢継ぎ早に続いた言葉を聞いて、おや、と思いなおしながら、吐き切りかけた息を飲み込んだ。

 

「ええと、その……、」

 

 言い淀む彼女に、「ゆっくりでいい」と言葉を掛けてその先を待つ。

 ややあって、心底困り果てたような素振りで額に手を当てながら、彼女は答えを出した。

 

「私が私のことを信じられるようになるまで、まだ時間がかかるみたいです」

「……いいんだよ。それで」

 

 黄玉の瞳は不安に揺れていたけれど、はっきりとした意思の強さを感じる眼差しを受け止めて、僕はもう一度自転車を前に進ませる。

 

 結果を積まなければ――選択することで良い方向に変わったという収穫がなければ、えてして自信はついて来ないものだ。

 それまでと全く違う針路を選択しようとする時、誰しも不安に駆られて立ち竦むはずだ。

 人間も、ウマ娘も大差ない。一歩踏み出すのに掛かる力の必要量が、ちょっとずつ違うだけだろう。

 

「選抜レースで結果を出します。返事は、……その時まで、待っていて頂けますか?」

「もちろん」

 

 頷き返すと、クレディはホッと息を吐いて大通りの先――遠くに見える学園の門柱に視線を向けた。

 手探りでも、足元を確かめながらでも、着実に前へ進もうとしてくれている。

 その答えを確かめられたことが、一番の成果だった。

 それ以上のものは、()()望むべくもないと、そう思った。

 

「なら、またスケジュールの組み直しからだね」

 

 怪我の療養と、休養期間中にできるトレーニング。

 ブランク明けの再始動プランに、選抜レース直前期の仕上げまで。

 こういう内容を、このくらいの強度で……という練習メニューのセットアップが複数、ひょいひょいと数珠つなぎになって思考の底から飛び出てくる。

 我ながら現金なやつだな、と苦笑いが漏れてしまう。

 計画を立てているときが一番楽しいとはよく言うものだが、自分にとってトレーナーという仕事は割と天職なのかもしれない。

 

 そんな事を独り考えながら学園の正門前まで来て、道路を挟んで向い側にある学生寮へと足を向ける。

 向かって左側、栗東寮のエントランスに人影が二人立っているのが遠目に見えた。

 まぁ、トレーニングどうこうよりも――、

 

「まずは、エトワールと、寮長に頭を下げるところから」

「う……」

「さて、一緒に怒られようか」

 

 僕にも責任の一端はあるわけだし。

 

 言い添えて、ハンドルバーを押す。

 クレディはひとしきり渋面浮かべたあとで、僕の手の動きに合わせて、ほんの少しだけ左足でペダルを踏み込んだ。

 

「……トレーナーさんは、大人ですね」

「そんな大それたもんじゃないよ」

 

 囁くような言葉にはほんの少しだけ憧れのような情感が乗っかっていて。

 それが気恥ずかしくて、何より自認よりもだいぶ上方修正された評価だったから、僕は首を横に振った。

 

「君よりたったひと回り先に、人生を始めただけの若造さ」

 

 空を見上げる。

 曇天にくすんで星はよく見えないけれど。

 十六夜の月が、僕達二人の行く先を空の高みから静かに照らしていた。

 

 

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