信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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1-32.闇に燃えし篝火は / The Long Way Home -2

 二年生の先輩から聞いたオススメのルートを選んで走っていたアタシ――プリマエトワールは、ふと耳に入った雑音に気を取られて立ち止まった。

 川べりを吹く風の音に乗って届いたのは、泣きじゃくる子供の声。

 周りをぐるっと見渡してみるけれど、声の出どころらしい子の姿はない。

 というより、子供以前に大人の姿だって一人も見えなかった。

 

「え……どこ? こっち……?」

 

 河川敷の道を離れて声の聞こえるほうの道をたどって歩いたら、外周をフェンスで囲まれた児童公園に出た。

 滑り台のはしごの隣でしゃくりあげているのは、黒髪をおさげ頭にまとめたヒトの女の子だった。

 歳は……みた感じ五歳も行っていなさそう。

 

「どっ、どうしたの、大丈夫? どっかケガした?」

「うぅぅぅ……」

 

 声を掛けると、女の子はびくりと身体を震わせて、アタシの顔を見上げ、

 

「うあぁあああああぁぁ、ああぁあああ――!」

「いぃぃぃぃっ、み、みみが……」

 

 小さな身体のどこにそんな声を出せる空気が入るんだ、と不思議なくらいに大きな泣き声を上げた。

 耳をつんざく叫びに、アタシはたまらず両手で耳を抑え込んで、頭にぺったりと押し付けた。

 

 小さい子供が泣く時って、何と言うかアレよね。

 "人前で泣くのは恥ずかしいこと"っていう常識のストッパーが無いからか知らないけど、破滅的っていうか、この世の終わりみたいな絶叫するじゃん。

 ビンビン響いて鼓膜に突き刺さる金切り声は、ウマ娘の耳には正直マジでキツい。

 黒板ひっかきとか、デパート前のモスキート音とかとおんなじ部類。

 アタシは昔から耳が敏感すぎるからメンコを付けてるんだけど、中に内張りのクッションが詰まっていようが、しょせん誤差みたいな紙防御だった。

 ドラマや映画で見る子役の泣き演技は、あれはあれで職人技なんだなぁ、と身を持って実感したわね。

 

 名前とか、親御さんはどこ、とか色々聞いたけれど、女の子はえんえん泣くばっかりで何のヒントも掴めない。

 

「ああもう、泣きたいのはこっちよ……!」

 

 耳を塞いで多少マイルドになったけど、それでも頭の中には金切り声がくわんくわん響き渡る。

 ヤケクソ気分になりながら愚痴るけど、それさえも泣き声に押し流されて消えていく。

 童謡の『犬のおまわりさん』にでもなったような気分だ。

 迷子の迷子の子猫ちゃん。あなたのお家はどこですか?

 聞き出そうにも、女の子はイヤイヤと首を振って、頬を真っ赤に染めて泣きじゃくるだけ。

 あの歌の歌詞はぱっと出てこないけど、そういえば、結局子猫ちゃんの家は、親は見つかったんだっけ……?

 

「……無い無い! 絶対、そんなこと無いし!」

 

 そこまで連想して、みるみるうちに不吉な色に染まっていった頭の中のイメージを、首を振って消し去る。

 公園に居るのはアタシと、この女の子だけ。

 この子をどうにかして家に帰すために、アタシが何かをしてあげなきゃいけない。

 現代っ子のサガってやつか、無意識の内にポケットのスマホに手が伸びる。

 ロックを解除したまではいいけど、スマホを持たない左手で押さえられるのは片耳だけで、ぎゃんぎゃん泣きじゃくる声がダイレクトに流れ込んでくる。

 おかげで、頭の中で少しずつまとまりかけたアイデアも、片っ端からぶち壊されてしまった。

 

 いったい何を?

 どうやって?

 そんな疑問の欠片だけが、てんでバラバラに散らばっていく。

 

「――プリマエトワール、さん……? 一体何が……?」

 

 突然背中に声をかけられて振り返る。

 海老茶色と白の、トレセン学園のジャージ。

 黒鹿毛の髪に、オレンジと黄の間の色みをした瞳。

 右耳で揺れる黄色いリボンと、紅白のサイコロ型の髪飾り。

 

「あ、クレディ、カイゼリンさん……!?」

 

 ふらりと現れたのは、栗東寮のアタシの同室だった。

 『助かった』という安心と、『よりにもよってあんたかぁ……』というがっかり感。

 正反対の気持ちが頭の中でケンカして、アタシは口を半開きにしたまま目を泳がせた。

 

 正直、この子との関係はあんまり良いもんじゃない。

 アタシたちは一年生だから、寮の同室は上級生か同じ一年生同士だけど、入学して二ヶ月も経てば、放課後や週末一緒に出かけるくらいの仲にはなるじゃん、普通?

 ところがこの子ときたら、授業終わりに遊びに誘っても付き合い悪いし、軽い世間話や身の上話も一方通行で愛想もない。

 同じ部屋で寝起きして、ほんのちょろっとした可愛げもない。

 授業終わりにはちみーキメに行く流れで、『同室ガチャ爆死したわー』って、ダチに愚痴ったこともある。

 敬語なんて――それも同期でなんて――堅っ苦しくて鳥肌立つくらいのアタシが、あえて"さん"付けしてるあたりで察してくれって。

 

 それでも。

 ちょうど猫の手も借りたいこんな時だから、普段のソリの合わなさとかは一旦抜きにして、全力で頼み込んだ。

 

「ねぇごめん、助けて! この子、迷子みたいなんだけど、さっきからずっとこんなんでなんにも喋ってくれなくて!」

「……!」

 

 お願いだからいつもみたいに遠目に見てるだけなんて止めて――とは勿論口になんか出さないけれど、神頼みでもするくらいの勢いで事のなりゆきを説明する。

 と、彼女は少しだけ目を丸く見開いて、早足でアタシと女の子のほうに歩み寄ってきた。

 

「……どうしたの? なんで泣いているの?」

 

 しゃがみ込んで女の子と目線を合わせ、お下げ頭をそっと撫でながら、静かに話しかける。

 女の子はイヤイヤと首を横に振って泣きじゃくっていたけど、目を真っ直ぐ見て、我慢強く向き合い続けた。

 

 そうして十分くらいたった頃か。

 始めのころは絶叫混じりだった女の子の泣き声はだんだんと穏やかになっていって、すすり泣くくらいに変わっていった。

 

「お……おぉぉ!」

 

 見かけによらぬ堂に入ったあやしぶりを見て、思わずぱちぱちと小さく手を叩いてしまう。

 ピクリと黒鹿毛の耳を揺らしながら、クレディカイゼリンさんは続けて女の子に問いかけた。

 

「……どうしたの? お姉さんにお話してごらん?」

「ま、ママが、居なくなっちゃった」

「あぁ……、うん。そんな感じするわ」

 

 アタシがポロッと言った途端、女の子は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をまた歪めて泣き始めた。

 

「うっ…、ひっく、うわぁぁぁああああ!」

「……」

 

 いけね。下手こいた……。

 女の子の絶叫を聞いて反射的に耳を塞いだアタシの顔を、同室のウマ娘(クレディカイゼリン)は斜め下の位置からジトッとした目で見上げてきた。

 

「ごめん。アタシ黙るね」

 

 気まずくなって一歩二歩距離を取る。子供のあやし方はアタシなんかよりもこの子のほうがずっと上手だと思い知らされたから。

 アタシのそんな反応を見て、クレディカイゼリンさんは何も言わずに女の子の方に向き直る。

 砂を被ったタイルに膝を突いたかと思うと、女の子の顔をジャージの胸元に抱き寄せて、ぽんぽんと優しく撫でさすった。

 

「大丈夫……大丈夫だから……」

 

 ちょっと歳の離れたお姉さんが幼い妹を慰めるように、静かに何度もそう声をかけながら。

 ほんの一瞬、本当のお母さんみたいだな、と思ったけど、そうじゃない、と咄嗟に思い直す。

 

 女の子に語りかける彼女自身の声もまた、細かく震えていたから。

 

 

 

 

 それから、二十分か、三十分くらいは経っていたっけか。

 クレディカイゼリンさんが根気よく女の子と向き合い続けた甲斐あって、女の子はどうにか泣き止んだ。

 涙と鼻水をハンカチで拭いてあげて、もう一度「大丈夫?」と聞くと「お腹が空いた」と答えなさる。

 たまたまアタシが持っていたレモンフレーバーの塩分タブレットをあげると、「しょっぱい」と言いつつもガリガリ噛んではにかんでいた。

 ちゃっかりした奴め。

 まぁ、それはそれとして。

 

 それまで棚上げしていた問題は、いざ取って降ろそうとすると、ヒトより力自慢のウマ娘にも手に余った。

 

「なんとか泣き止んでくれたは良いケド、結局どこの誰だかよく分からないんじゃぁね……」

 

 この子はコレと言った持ち物もなしに、着の身着のまま飛び出してきたらしい。

 鼻水でぐちゃぐちゃになった女の子の顔にティッシュを当てて、「はい、ちーん」と鼻をかませながら、アタシはぼやく。

 途方に暮れていると、すぐ隣にいたクレディさんがポツリと呟いた。

 

「――服」

「なん……?」

「……服のタグに何か書いてないかしら?」

「タグ? ――そっか! あんた天才か?」

 

 それだ、って思わず両手を打つ。

 ウチのおかんもアタシや弟たちが小さいときは、そうやってもしもの時の迷子探しに備えてたって聞いたことがある。

 女の子のシャツをぺらっと小さくまくりあげてみる。ぷにっとしたもち肌を揺らしてくすぐったそうに逃げようとする身体を捕まえて、布地の裏側を手でばさばさ引っ掻くと、布地とは違うツルリとした薄手の感触が指に触れた。

 

「これか――、あった! 電話番号」

 

 十一桁の番号は、きっとこの子の家族誰かの携帯に繋がるはず。

 信じてスマホに打ち込む。

 呼び出し音が二回ほど続いて、息せき切った声が返ってきた。

 

「もしもし――!」

「あの、迷子の子をお預かりしてます……」

「――! どちらですか!? ミサキは無事ですか――!?」

「あっ! ママ!」

 

 スピーカーフォンを通して聞こえたお母さんのものらしい声を聞いて、女の子の顔がぱあっと明るくなる。

 河川敷の児童公園、とアタシ達の居場所を伝えると「すぐ向かいます!」と残して通話が切れた。

 

「ミサキちゃんって言うの? あなた?」

 

 クレディカイゼリンさんが聞くと、女の子はこくりと頷いた。

 それから、三人でベンチに腰掛けて待つこと更に十分――も経たないうちに、大通りのほうからパタパタと足音が響いてきた。

 息も荒く公園に駆け込んできた三十歳くらいの女のヒト――ミサキちゃんのお母さんは、女の子をぎゅっと強く抱きしめてからアタシ達二人に向き直って、深々と頭を下げた。

 そして「せめてものお礼に」と、おもむろにお財布を取り出そうとしたけれど、

 

「頂けません。当然のことをしたまでですから」

 

 クレディカイゼリンさんはそう言って、お母さんからの提案をきっちり断った。

 その後も何度か押し問答があったけど、結局お母さんの方が折れた。

 アタシは内心「ラッキー!」と思わないではなかったけど、同室が頑なに拒否している以上、さすがに一人だけ受け取るわけにもいかんでしょう。

 

「本当に、なんとお礼を申し上げたらいいか――!」

「それじゃ――」

 

 隣で居心地悪そうに立ち尽くしている同室の肩を抱えて、自分のほうに引き寄せる。

 いかにも後ろ髪を引かれるような顔で頭を下げていたお母さんに向けて、ウマ娘二人並んで提案した。

 

「いつかアタシたちのレースを見に来てください」

 

 ね、と隣に同意を求める。

 

「待ってますよ」

 

 クレディカイゼリンさんは少し驚いた顔をしていたけれど、それでもぎこちなく笑顔を作りながらアタシに続いて頷いた。

 ……ま、駆け出しのアタシたちが必ずトウィンクルシリーズに出られるって決まったワケじゃないけどね。

 とまれ、このままじゃあ多分、お母さん的には納得いかないままだろうし。

 そう考えてシャコージレー的に伝えたつもりだったけれど、お母さんは強く、大きく頷き返す。

 

「ええ! 必ず伺います。この度は、本当にありがとうございました!」

 

 アタシたち二人の名前を、記憶にしっかりと刻むように繰り返してから、最後に深々と頭を下げた。

 

 そうして、親子は夕日に照らされた町中を、時々こちらを振り返りながら去っていった。

 お母さんに手を引かれたミサキちゃんは、さっきまでの泣き顔が嘘のように満面の笑顔を浮かべて、「ばいばーい」と元気に手を振っていた。

 

 二人の背中が大通りに出て、交差点を曲がって見えなくなるまで見送って、アタシは大きく息を吐いた。

 

「……はー、一時はどうなることかと思った」

「プリマエトワールさん、お手柄ですね」

「よしてよ。あなたが来なきゃここまでスピード解決はしなかったわ」

 

 すかさずアタシの顔を立てようとする同室にそう言い返しつつ、自販機にコインを滑り込ませる。

 運動で掻くのとはまた別種の汗が滲んだ体操服は変に暑苦しくて、ジャージのジッパーを開けてから取り出し口に手を伸ばした。

 

「ウチも弟はいるんだけど、ほとんど年子だからあんな風に小さい子をなだめたことなんてなかったからさ」

「そう、なんですね……」

「アタシは余計なこと言って泣かすくらいしか出来なかったワケだし、お手柄はあなたのほうじゃない」

 

 そう言い含めて、取り上げたミネラルウォーターのボトルを手に握らせる。

 予想通りだけど、貸し借りに厳しい同室は飲料代分の硬貨を耳を揃えて突き出してきたので、掌を開いてそれを受け取った。

 

「もし自分だったら、どうしてもらいたいか。――って、考えて。思ったままのことをしただけです」

 

 ペットボトルの封を切って、こくりと一口呑んでから、彼女は言った。

 なんでもないことのように。それが当然であるかのように。

 

「素直にそれができるって、凄いことだと思うよ?」

 

 少なくともアタシには無理だったわけだし。

 頭に浮かんだまま、正直な言葉を伝えると、彼女はほんの少しだけ頬を染めながら、気まずそうに顔を逸らした。

 黒鹿毛の後ろ髪がサラリと首元で揺れる。

 ボブでもミディアムでもない、中途半端な長さで混じり合った髪束。

 一体どこで切っているのやら、その毛足は不揃いに乱れていた。

 ヘアケアに関しては人一倍コダワリがあるつもりのアタシから見て、お世辞にも良い仕事だとは決して言えない。

 今度行きつけを紹介してあげようかしら。

 そんなことを考えながら、いつもよりほんの少しだけ近い距離にいる同室の隣に並びかけた。

 

「――ね、いつもはこっからどんな風に帰ってるの?」

 

 そう問いかけて聞き出したルートは、アタシのトレーニングコースと比べてかなりハードな道程で。

 付き合って同じペースで走り始めたら、何度も途中で立ち止まって息を整える羽目になった。

 彼女はそのたび心配そうな顔をしていたけれど、アタシがまた走り出せるようになれるまで、気長に待ってくれていた。

 本人にとっては迷惑以外の何でもないことのはずなのに、いつも寮の部屋で顔を合わせる時よりも、少しだけ穏やかな顔をしていた気がした。

 

 なんだ。同室ガチャ、意外とアタリじゃん。

 

 って、本人に聞かれたらド失礼な感想を胸に留めながら、いつもより小一時間は遅れて学園の門をくぐったのを憶えている。

 

 

 アタシが寮長(フジさん)から、クレディの来歴について聞かされたのは、それから少し経ってからのことだった。

 

 

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