信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

39 / 39
0→1.選び取るものたちのダイアローグ / Do you give me Credit?

 

 いよいよ、担当ウマ娘・クレディカイゼリンと共に挑むトゥインクル・シリーズが始まる。

 

 暦の上では小暑を過ぎた頃。梅雨の残り香の向こう側から太陽が容赦なくギラつき出す時期だ。

 

 ウマ娘レースの世界には、"夏の上がりウマ"という言葉がある。

 バイオリズム――冬の終わりから春にかけてこの世に生を受けるウマ娘が、生来有する"成長の波"がそうさせるのか、彼女たちの競争能力は夏期にかけてぐんと充実することが多い。

 質も量も充実したトレーニングが行えるように、体調管理にはとりわけ気を配る必要がある。

 つい先日の選抜レースの結果を受けて正式に担当契約を結んだ僕とクレディは、迫りくる夏合宿に向けて、基礎体力作りと暑熱順化(高温慣れ)に励んでいた。

 ただし、合宿前に根を詰めすぎていざ合宿本番はグロッキー、なんて本末転倒な事態にならないよう、練習日と休養日を明確に分けてメリハリを付けている。

 その一環として、今日は休養日をちょっとした『お出かけ』に充(あ)てていた。

 

「おーい! 小椋トレーナー!」

 

 己の名を呼ぶ声を耳に受けた僕は、スマホの画面に落としていた視線を跳ね上げて、声の聞こえた方へ向けた。

 駅のコンコースをゆく人波に混ざった学生ウマ娘が二人、にわかに人目を引き寄せている。

 こちらの方に向けてぶんぶんと手を振っている、鹿毛の髪を首後ろで左右のシニヨンにまとめ、両耳に白いメンコを被せたウマ娘――ではなく。

 

「ちょっとエト、大声出しすぎ……! 皆さんびっくりしてるじゃない……」

 

 斜め後ろから彼女・プリマエトワールの肩に手をかけているほう。

 右耳の黄色いリボンと紅白のふたつ賽子(ダイス)が目をひく黒鹿毛の子が、僕の担当ウマ娘・クレディカイゼリンだった。

 二人はするりするりと人波をかきわけて、待ち合わせ場所にしていた府中駅の改札前までやってくると、揃って頭ひとつ下の高さから僕の顔を見上げてきた。

 

「だって、アタシ達が向こうのほうから手ぇ振ってもずーっとスマホ見てて全然気付いてくんないんだしー。可愛い教え子に向ける態度ですかー? それがー?」

「だからって、公共の場でああいう風に叫んじゃ駄目でしょ、もう……。お騒がせしました、トレーナーさん」

 

 腰に手を当て、唇をツンと尖らせながら挑戦的に煽ってくるエトワールは、ダークカラーのシアーシャツに、細身のデニムパンツを合わせたマニッシュなコーデ。

 それを窘(たしな)めつつ礼儀正しく頭を下げて見せるクレディは、シンプルながら品の良いワンピースの上に、薄手のショートケープを合わせた可憐な装い。

 風体も、立ち居振る舞いも、いかにも対照的な凸凹コンビといった二人だったが、遠慮なく応酬する呼吸の合いっぷりは同室同士という関係性の為せるわざだろう。

 

 いつぞやのギクシャクした空気感も今は昔。

 すっかり気心の知れた学友然とした雰囲気を取り戻した二人の掛け合いに微笑ましさを感じつつ、僕は片手で頭をかきながら応じた。

 

「や、ゴメンゴメン。ちょっと野暮用があってね」

 

 この日は、クレディ、エトワールを連れて三人で出かける約束をしていた。

 いつぞやエトワールと交わした約束「次は肉を食べに行く」を果たすというのが目的のひとつ。

 練習で酷使した結果、いい加減履(は)き潰してしまったクレディのレース用シューズを新調するというのがもうひとつだった。

 

 挨拶もそこそこに、三人連れ立って改札を通り、電車に乗り込む。

 集合時間どおりに合流できたし、路線の遅延もなし。昼食も予約の時間通りでいいはず。

 と、今日の予定を整理しながら地図アプリを引き回して乗り換えを確認していたところ、隣の座席に着いたクレディがおずおずと問いかけてきた。

 

「トレーナーさん。さっきのは……何か、お仕事ですか?」

「仕事、といえば仕事だけど、僕がやりたくてやってることだね。君にも関係するし、色々軌道に乗ったら少しずつ説明するよ」

 

 この場はひとまずそれだけ告げて、僕はスマホを服のポケットへ滑り込ませた。

 

 クレディと契約を結んで、正式に専属トレーナーと担当ウマ娘という関係になったその日から、僕はトレーニング日誌を兼ねた日記をつけることにした。

 書き留める内容はトレーニングメニューの変遷や、クレディからのちょっとした気づきや提案、その他にも日常生活に関する問答だとか、他愛のない世間話まで様々だ。

 彼女が走る道を『記録』し、予期せぬトラブルに先手を打って、最適なルートを提示する者――いわばナビゲーターとして。

 走りきったその先で彼女が見返した時、それらを輝かしい『記憶』として手に取ることができるように整える者――レコード・キーパーとして。

 知る人から受け継いだ彼女の過去、こうして隣に立つ現在、そして未来の彼女の姿までもを、ひと繋ぎの存在として留めておきたかった。

 

 もちろん、ただ『記録』してそれでおしまいという訳にはいかない。

 クレディの望みは走りによって彼女自身が存在証明を得ることだ。

 そのためにはトレセン学園の外に居る人々に、彼女を識(し)ってもらう必要がある。

 なので僕は、彼女に代わってしたためた『記録』を、少しずつ学園外――世界に向けて発信するための環境を整えつつあった。

 

 ウマッター、ウマスタグラム、ウマトック。

 同じSNSと一口に言っても、それぞれユーザー層も発信者のスタンスも違う。

 なので、偉大なる先行者や有名なインフルエンサーのスタイルを取り入れて、プロフの文面なんかを媒体ごとにチューニングしているのだけれど、……正直加減が分からない。

 発信のほうについても、これから先色々勉強していく必要がありそうだった。

 同僚トレーナーの中には、手ずから担当の子をモチーフにしたグッズ制作や四コマ漫画(※驚きの毎日連載である! バケモンか?!)まで手掛けている剛の者もいると聞くけれど。

 あいにく僕にはそこまでの器用さはない。

 あまり手を広げすぎて管理の手が回らなくなっては元の木阿弥だから、ひとまず有名どころ三つに情報を集約し、重点的にアカウントを育てていくのが当面の目標だった。

 

「んー、……やっぱあの辺はバッサリカットするかぁ」

 

 電車に揺られ、車窓を流れすぎる景色をぼんやり目で追いながら、頭の中でプロフの文面をもう一度練り直そうと編集ボタンを押した、その時だった。

 

 ぐるるるる。

 野生動物の唸り声めいた重低音がクレディの向こう側から聞こえ、僕は思わずそちらを見た。

 シアーシャツの下、夏らしい薄手のトップスの前身頃を撫でつけながら、エトワールが不敵な笑みを浮かべている。

 

「うーむ。今宵の腹は肉に飢えておるわ……」

 

 芝居がかった調子で曰(のたま)う彼女は、空きっ腹に野獣を飼っている系女子だった。

 自分の中高時代、ちょうどウマ娘ふたりと同じ年頃の同級生女子たちの姿を思い返す。

 彼女たちは、昼食前にあたる3・4限の授業中に腹の虫が泣き喚くのを殊更恥ずかしがり、蛇蝎のごとく嫌っていたと記憶しているけれど、ウマ娘はそこら辺事情が違うのかな。

 うちのチームメンバーも普段のトレーニング中しきりにお腹をすかせているけれど……。

 頭の中にウマ娘たちのデフォルメされたポートレイトをポンポンと思い浮かべて――まぁ、個々人によりけりか、と結論した。

 とはいえここまであけすけなのは流石に珍しい。これが新時代・令和の、女子力ぅ……ですかねぇ?

 

「なんだその討ち入り前の新選組局長みたいなセリフ」

「今宵……? 今真っ昼間じゃない?」

 

 僕ら二人から投げかけられた疑問に、ぽん、と腹鼓(はらつづみ)をひとつ叩いてエトワールはしたり顔を浮かべた。

 

「寝る前からの持ち越しだから、部分的には合ってるハズよ。なんてったって、昨日の夕飯はお茶漬けで済ませて、今朝も大豆バーだけだから」

「こいつ……胃を仕上げているッ?!」

 

 安易に食事を抜いて胃粘膜を荒らすような真似はせず、食欲を満たすにしても消化の負担にならないような食品を選んでいた。トレセンの栄養学の講義が無駄に生かされている。

 前日の献立を綿密に計算して胃袋に投じ、慣らし運転を済ませたところで満を持してメインの食事に向かう。

 フードファイターかな?

 

 と、同じウマ娘であり、同じようにウマ娘の日々の食事量を身に沁(し)みて知っているはずのクレディが、声を潜めて囁きかけた。

 

「……エト、物怖じって言葉知ってる?」

「百人乗っても――」

「――大丈夫。って、それは物置き」

     

 素面(しらふ)でしれっと返されたボケに、流れるようなノリツッコミが光る。

 周囲の乗客の間に微妙な雰囲気が満ちて、窓際のほうではこちらに背中を向けたサラリーマンのおじさんが小さく肩を震わすのが見えた。

 休日出勤で心が荒んでいるだろうに、ちょっとした笑いをお届けできてトレーナーとしても誇らしい気持ちです。

 っていうか、そのネタ分かる世代か、君たち?

 

「あー……なぁ、エトワール?」

「アタシとクレディの間に貸し借りはないけどー、トレーナーさんにはい(・)っ(・)ぱ(・)い(・)貸してるからね」

「……折半(わりかん)ってことにならない?」

 

 歯切れ悪く目配せすると、彼女は満面の笑みを浮かべたままコトリと小首を傾げた。

 

「……スゥ――――」

「大人の甲斐性、見せてくれるんでしょ?」

「――いいぜ、やってやろうじゃないか!」

 

 ま、そっすよね。知ってた。

 ボディバッグの中の財布の厚みを確かめつつ、挑戦的な視線を真っ向から受け止めて、僕はそう啖呵を切った。

 イザとなれば、大(・)人(・)の(・)カ(・)ー(・)ド(・)だってある。

 なに、男に二言はないものだ。――だろ?

 脳裏で呟く。

 人生の先達にして、トレーナー人生の大先輩こと我が爺さまが、僕の頭の中で腕組みしながらむっつりと頷いた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 オーダーストップで運ばれてきた伝票を見て、一瞬意識が飛びかけた。

 

「あの。大丈夫ですか、トレーナーさん? 顔色が……」

「あ、……うん。まぁ。クレディ、お腹いっぱいになった?」

 

 エトワールが席を外した隙を見計らって、しっかり黒焦げになった焼き網の向こう側から呼びかけてきた担当ウマ娘に、引きつった笑みを貼り付けながら尋ね返す。

 多分、己の表情のレイヤーを一枚めくれば、三分でリックドム十二機を溶かしたおじさんもかくやという悲壮な顔が隠れているに違いなかった。

 危なかった。ウマ娘用食べ放題プランでなければ即死だった。

 元ネタたちも僕も、大概白い悪魔に好き勝手に翻弄されている。

 

 そんな精一杯の痩せ我慢の甲斐あってか、クレディは顔の前で静かに合掌してこちらに頭を下げてくれた。

 

「そっか。まま、楽しんでくれたなら何よりだよ」

 

 思い返せば、彼女と対面で食事をしたのは、エトワールの怪我の一件、あのファミレス以来だった。

 食べ放題対象メニューをせっせとお代わりしつつ、対象外の『いいお肉ゾーン』にも容赦なく注文の手を伸ばすエトワールと、それを隣から白い目で見ているクレディ。

 そんな二人の姿を、僕は「案外立場って入れ変わるものだなぁ」などとぼんやり考えながら、懐かしさ半分、冷や汗半分に見守っていた――もとい、現実逃避していた。

 まあ、殊勝なクレディ自身もちゃっかり『いいお肉』を半分こして舌鼓を打っていたので、結果的に二人がかりで丁寧丁寧丁寧に肉と僕の財布とを炭火で焼き払っていった形になるわけだが。

 

「……さて、ちょっと外すね」

 

 食後のデザートとして供されたシャーベットの最後ひと掬(すく)いを口内に放り込んだ僕は、お手洗いに立ちがてら先に会計を済ませることにした。

 大人の甲斐性を気前よく引き受けた手前、今更文句は言うまい。

 だが、注文伝票の上にずらっと連なる記述に不思議な既視感を憶えながら、流石にゲンナリする。

 

「ぬかった。成長期ウマ娘の胃袋容積が、ここまでとは」

 

 年頃の女の子がせっせと食事を口に運ぶさまは見ていてカワイイ限りだが、アスリートウマ娘が二人して積み上げたオーダー額はというと、ちっともカワイくない。

 レジ前に進み出て伝票のバーコードを読み取ってもらうと、予期せぬお大尽の出現に気を良くしたか、店員さんはえらく機嫌よさげだった。

 ところが、精算のため僕がクレジットカードを示したところ、彼はおもむろに表情を入れ替えて申し訳なさそうに言葉を返した。

 

「大変恐縮でございますが、ただいま決済端末が故障しておりまして」

「ああっ、そうなんですか。それじゃあ現金で――」

 

 幸いにして、ウマ娘二人が座っている座席は、レジから見て壁を挟んだ裏手にあった。

 渋沢さんの束を受け渡す手が思わず震えたのを、教え子たちに見せずに済んだことだけは、ひとつ幸運だった。

 

 

 

「ごっつぁんです」

「お 口 に あ っ て 何 よ り で す」

「どうしたの、小椋トレーナー? 目が据わってるじゃん。お酒入って無いよね?」

「入れてたら懲戒もんだよ」

 

 社会人のコンプライアンスを舐め腐ったエトワールの物言いに、どついたろうか、と半分本気で思った。

 彼女は、雑食だったらしい胃袋の野獣に肉も野菜もコメもたらふく食わせてホクホク顔を浮かべていたが、こっちは入店する前と後でむしろカロリーを損耗したような気さえしてくる。

 

「七つの大罪に『暴食』が含まれてる理由、私、分かった気がします」

「こんなところで天啓得ないで! "先生"もきっと『違う、そうじゃない』って言うからさぁ!」

 

 ぼそりと呟いたクレディに、そうツッコミを入れつつ思い返してみる。

 そう言う彼女はといえば、食事風景を見る限り、注文ひとつとってもかなり自重していたような気がする。

 具体的には、自分からこれが欲しいと進んでタブレット端末を操作するでなく、誰かが注文したものに乗っかる形でもう一人前オーダーするというのがほとんどだった。

 

「何よ、元はと言えばアンタの祝勝会なんだからね! 他人(ひと)の金で焼肉なんて人生でもそうそう無いんだから、遠慮せずにもっと食べれば良かったのに」

「言い方ァ! ――だけど、それはそう」

 

 "物怖じ"という言葉を引き合いに出した本人が、一番それに囚われているんじゃないだろうか。

 仮に彼女がそれをかなぐり捨てて臨んでいたら、僕の財布は炎上を通り越して灰になっていた可能性はあるけれど。

 奢るからにはしっかり楽しんで貰いたいのが人情だ。

 お祝いとして相応しい分だけ、ちゃんとお腹具合は満たされたのだろうか?

 

「夕食は、それこそお茶漬けだけで良いかも知れません」

 

 心配が拭いきれず、念押すように聞いた僕に、彼女はみぞおち辺りを撫でて満足そうに答えた。

 それなら、当初の目的は達成できたのかな。

 言うてこの子もヒト息子三人前分くらいは食べてそうだったし。

 

「ふぅん……まぁ、小椋トレーナーのお財布を焼け野原にしちゃうと本チャンの買い物ができなくなっちゃうし、今日はこのくらいにしておきましょか」

「このくらいて……。アレだけ食っといてまだ食えるのかよ。おっそろしいなぁ、ウマ娘の胃袋!」

 

 

 ともあれ腹ごしらえをしっかり済ませたところで、僕達はいよいよこの日の主目的・クレディのシューズ選びへ向かうことにした。

 重たくなったはずのお腹を感じさせない軽やかな足取りで、エトワールがずいずいと先頭(ハナ)を取って歩き出す。

 女子中学生らしい小柄ながら、意外と肩幅のしっかりした背中越しに、鼻歌のメロディーが漏れ聞こえてくる。

 この曲、何だったっけ……。

 ああ、思い出した。『ウマすぎ!グルメパレード』だ。

 美味しい食事を楽しんだ後に、なんともぴったりすぎる選曲だった。

 

 歩調に同期してひょこひょこ首元で揺れるシニヨンヘアを、ぼんやり眺めながら後に続いていると。

「あの、」と密やかな呼びかけとともに、シャツの袖を引っ張られる感触がある。

 見ると、黄玉(トパーズ)の瞳が申し訳なさそうな色味を湛えながらこちらを見上げていた。

 

「トレーナーさん、やっぱり私のほうからも少しは……」

「ストップ。いいから。今日は元からそういう約束だろう?」

「でも……」

「受け取っちゃうとお祝いじゃなくなっちゃう。それに、エトワールにも手伝って貰ったからこそ、巡り巡って今日こういう場が設けられたわけだし」

 

 こちらの意図を改めて示すべく、チラリと向けた視線の端で、エトワールの耳がピクリと動いた。

 けれど特段こちらを振り返る素振りはみせず、雑踏の中を相変わらずずいずいと突き進んでいく。

 彼女が切り開いてくれた後をたどるように歩みを進めながら、相変わらず申し訳なさそうに笹葉耳を寝かせたままで居るクレディに言葉を掛ける。

 

「僕の方としても、改めてきちんとお礼をしたいワケさ。だから今日は、君も受け取っておいて」

「……ご馳走様でした」

 

 そこまで言い含めてようやく、彼女はショルダーバッグのフラップから手を引いた。

 こういう、生真面目でちょっとした頑なさがあるところが、この娘の人好きするポイントではあるんだよな。

 

 

 さて。

 一駅とちょっと離れた距離にある店舗の方へ歩く道すがら、食後の腹ごなしがてらウィンドウショッピングに興じるウマ娘二人を背後から見守ったり、広場に置かれた謎オブジェの前でポーズを取りつつ三人で記念撮影したり。

 遅れてきた青春時代を二〇代なかばの今になって味わっているかのような、甘酸っぱさと寂寥感が同居した感慨を胸に抱きつつ、ゆったり歩くこと小一時間。

 

「着いた! ここね!」

 

 家電量販店が収まった大型ビルの上層三階分を占めるその店は、全国にチェーン展開するスポーツショップだ。

 あえて西東京エリアの主力店らしいここを選んだ理由はというと、トレセン学園から路線でほど近いこともあってか、他店舗にない特別な設備が設えられていることにある。

 

「――お、あった。これこれ」

「……? 何ですか、これ?」

 

 店舗に入ってウマ娘用のスポーツ用品コーナーを巡り始めてから、そう時間はかからないうちに目的の設備は見つかった。

 足型のアウトラインが描かれた踏み板とトレッドミル(ルームランナー)が合体したようなその機械を、ウマ娘二人は興味深そうに覗き込んだ。

 

「こちらは、ユーザーの方一人ひとりの足にあったシューズを選んで頂くための精密スキャナーです」

 

 僕が解説を差し挟むまでもなく、機械の隣に立っていた販売員さんが流れるように説明をしてくれた。

 僕よりひと回り年上だろう販売員さんは、おもむろに店舗ロゴの入ったスニーカーを脱ぎ去ると、僕達に実例を示すように足型のアウトラインの中に踏み込んだ。

 

「まずこのように――こちらの踏み板の上に立っていただくと、センサーで足型を3次元解析して、長さ、身幅、甲の高さなどを測定します」

 

 解説の傍ら、ウィンウィンと音をたてながら機械が稼働し始める。

 緑色のレーザー光が踏み板の上にある足をなぞっていくと、操作端末のほうに足の3Dモデルが表示された。

 

「次に、こちらのランナーの上で実際に走っていただき、左右の足にかかる荷重や体重移動を解析します」

 

 販売員さんが踏み板から一歩踏み出してトレッドミルのほうに移ると、機械からアナウンスが響いてベルトコンベアがゆっくり稼働し始める。

 歩きペースから段階的に加速して、15秒ほどランの定常状態が続き、その後、徐々に減速していって緩やかに停まった。

 もちろんスポーツウェアなどではないポロシャツとスラックス形式の制服に身を包んでいながら、その走りには体軸のブレもない。走り終えてもそれほど息が上がった風にも見えなかった。

「普段から走られているんですか?」と僕が尋ねると、「昔取ったなんとやらです」と、彼は少しだけ恥ずかしそうにはにかんだ。

 

「……失礼しました。そして、想定される使用環境――馬場条件や距離、レース本番用か練習用かなどの情報をこちらの端末に入力していただくと、」

 

 トレッドミルから降りた販売員さんがポチポチと操作画面に指を走らせて、しばし待機時間が過ぎたのち。

 

「このように、在庫品の中から適合率の高いシューズがピックアップされるというものです」

 

 どうぞご覧下さい、と示された端末の画面にはずらりとシューズの写真がならび、それぞれの予想適合率がパーセンテージで表示されていた。

 写真をタップするとシューズが拡大表示されて、詳しいセールスポイントと一緒に見比べることができるらしい。

 

「へぇー」

「ハイテクですねー」

 

 笹葉耳を興味深そうにピクつかせながら、ウマ娘二人は私も、アタシも、と寄って集(たか)って端末を爪弾きはじめる。

 その様子を眺めつつ、販売員さんは興味深そうに尋ねた。

 

「お二人はトレセン学園の生徒さんですか?」

「ですです。で、こっちがアタシたちのトレーナーです」

「あ、どうも。中央トレセンの小椋です」

 

 もしよろしければ名刺をどうぞ、と大人ふたりして会釈しながら、ジャパニーズ社会人的な挨拶を交わす。

 

「バッジをお見受けして、そうだと思いました。いやぁ、本職の方に不格好な走りをお見せしてしまい恐縮です」

「いえいえ、もしかして実業団とかで走られてるのかと思いましたよ。今後ともどうぞ、よろしくお願いします」

 

 お世辞のように聞こえるかもしれないが、半分本気である。

 ウマ娘とヒトとで種族は違えど、走りの世界の一端に身を置いている人がそれを武器に仕事をしているのなら、まさに餅は餅屋という奴だ。

 これから用具の調達や、プロ目線での目利きを期待してお世話になるかもしれないし、顔見知りになっていて損はないよな。

 

 そんな風に考えつつ業界トークに花を咲かせていた横から、ちょいちょいとシャツの袖口を引っ張られて、そちらに顔を向ける。

 差し伸べられた腕の先をたどっていくと、きらきらと跳ね回るような灯火(ともしび)を宿した、黄玉(トパーズ)色の瞳と視線がぶつかった。

 

「トレーナーさんトレーナーさん、走ってみてもいいですか?」

 

 普段聞くよりも半オクターブ高い声で、クレディは問うてくる。

 いつも物静かで控えめなこの娘(コ)が、こんなにテンション高く居るのも珍しいな。

 そんな感想を抱きながら、「いやまずは計測をね――」と注文を付けかけた僕の前で、エトワールがひょいと操作端末を指差した。

 画面の表示を見るかぎり、その行程は早々と済ませているらしい。

 いつの間に……。

 

「ご飯食べたあとだし、いくらかセーブしときなよ?」

「ご心配なく。腹八分目ですから!」

 

 ふんす、と鼻息荒く言うが早いか、クレディはトレッドミルの上に乗り込んでせかせかと足を動かし始めた。

 常歩(ウォーク)から始まって徐々に速歩(トロット)へ。

 間に駈歩(キャンター)を経ながら、鋭く踏み込んで襲歩(ギャロップ)に。

 ヒトならざる身体、ウマ娘の優れた筋骨格系にのみ成しえる前傾姿勢の強いフォームが、ちょうど目と鼻の先で躍動する。

 

「はっ――、はっ――、はっ――ふふっ」

 

 息遣いの合間、気恥ずかしそうに笑みを漏らしながら彼女は駆けた。

 一歩一歩、軽やかに。

 一跳(とび)一跳(とび)、伸びやかに。

 サマーワンピースは流石に走りにくいんじゃないか、という僕の懸念も、結局のところ杞憂にすぎなかった。

 

『計測が終了しました。慌てずゆっくり止まってください』

「――あっ、……ととっ」

 

 音声指示に遅れて、トレッドミルの送り出し速度が徐々にゆっくりになる。

 少しだけ名残惜しそうな顔をしながら、クレディは手すりを掴んで身体を支え、そっと静かに機械から降りた。

 

「お疲れ様です。お客様、素晴らしい走りでございました。それでは、シューズの用途や想定環境について、最後に入力をお願いします」

「いっ、いえ、恐縮です……。想定コースはダート、の短距離。これで良いですか、トレーナーさん?」

「うーん、ひとまずは、そうだねぇ……」

 

 こちらを振り仰いで尋ねてくるクレディに応じようとして、いざGOサインを出すのに戸惑った。

 選抜レースを終えてからだいたい1ヶ月経つが、チーム練習でクレディの走りを見守るにつけ、僕の中では徐々に疑問が膨らんできていた。

 

 彼女の適性は、果たしてダート短距離という枠組みに当てはまるのだろうか?

 

 あのフィールドはとにかく行きっぷりの良さと瞬発力がモノを言う。激しい先行争いに伴うバ体のぶつかり合いから肉弾戦に例えられるような場所だ。

 一方で、本格化を迎えて程よく引き締まった筋肉を纏いつつあるとはいうものの、クレディの骨格はどちらかというと華奢なほうだ。

 脚質はともかく、体躯のほうが噛み合いそうかというと、ちょっと首を傾げてしまう。

 補欠出走したほうのレースを見るに、芝コースの適正がそんなに壊滅的とも思えないし、普段のロードワークメニューを考えるとスタミナの潜在性にも期待できそうだった。

 

 河岸(かし)を変えて、距離を長く。

 三冠路線、というワードが脳裏をよぎる。

 ただ、彼女が実戦形式のレースで明確に実績を持っている条件はというと、不良に近い重馬場のダート1400mであるわけで。

 ……悩ましい。

 考えを巡らしてはみるものの、なにぶん根拠が乏しすぎて、自分の勘に自身が持てずじまいだった。

 

「よっしゃ、片っ端から試着していくわよ! とりあえず上から順に5個ね!」

 

 結局僕が口を差し挟むよりも先に、エトワールが高らかに宣言してシューズ選びが始まった。

 

 それから、装置が弾き出したクレディの足との適合率が高いシューズを在庫から運び出してもらい、履いては脱ぎ、履いては脱ぎ。

 サイズや足とのフィット感、グリップ性、馬場との相性、デザインなどなど、吟味に吟味を重ねること三時間。

 最終候補に残った二つのうち、鮮烈な赤のベースカラーに青の差し色が入ったものを、クレディは手に取った。

 

「お眼鏡に叶う一足を見つけていただいて、本当に良かったです」

 

 シューズ選びの最初から最後まで付き合ってくれた販売員さんは、少しだけ気疲れしたような雰囲気をまとわせていたが、その足取りは軽い。

 にこやかな笑顔を浮かべながら、流れるような手つきで箱の中にシューズをパッキングしていく様子をみて、きっと本心からの言葉なんだろうな、と思わされた。

 後はこれを履いた彼女を、僕がしっかり導かなきゃいけない。

 そんな決心を改めて胸に刻みながら、クレジットカードを読み取り端末に差し込んで暗証番号を入力する。

 

「ん? ……あれ?」

 

 唐突に、クレジットカードがエラーを吐いた。

 何度か読み取りを試してみるが、一向に決済されない。

 

「大変恐縮でございますが、どうやら、お取り扱いできないカードのようです」

「えー、おっかしいなぁ……?」

 

 ICチップの故障だろうか。決済機の方はといえば、このカード会社には対応している。

 中央トレセンに就職してからというもの、たまの飲み会以外は仕事をしたら帰って寝るだけみたいな生活をしてるわけだし、まさか上限額に達しているはずもない。

 いや、待った。――飲み会?

 

「……ちょっとすみません」

 

 記憶をひっくり返す。

 そう言えば先月、同期たちが僕のスカウト成功祝いを口(・)実(・)に(・)飲み会を開いてくれたことがあった。

 ちょうど3月末の『研修修了記念』飲み会と同じように、あの日も全体会計を僕がまとめてカード決済したっけか。……お祝いとは?

 さておきアレが何日のことだったか、カレンダーを開いて、記録をたどると――、

 

「あー……」

 

 オチが何となく読めた僕は、声にならない声とともに、視線を虚空に彷徨(さまよ)わせた。

 ――オーケイ、状況を整理しよう。

 一つ、このカードの締め日は月中で、支払いは翌月10日。

 一つ、先日の飲み会は6月分の締め日前だったから、支払い予定日は7月10日。もう過ぎている。

 一つ、トレセン学園の給料は月末払い。

 最後にもう一つ、僕はひょんなことから懲戒処分として3ヶ月減給を食らっている只中だった。

 

 もろもろを頭の中ですり合わせ、家計簿アプリの入出金履歴を確認する。

 口座にお金はあるが、6月分のクレジットカード使用料金が引き落とされていない。

 要するに、知らず知らずのうちに資金ショートしていたのだった。

 

「……やっちまった」

 

 ひぇ、と背中に薄ら寒いものを感じながら財布を取り出すが、中にあったはずの現ナマはウマ娘たち二人の胃袋を満腹にするために、その大半が吹っ飛んでしまっていた。

 シューズの金額を払うには、わりと結構残金が足りない。

 

「トレーナー、さん?」

「えっと……、だいじょぶ?」

「…………ごめん。……ふたりとも、お金貸してくれない?」

「――は?」

「――えっ?」

 

 最敬礼の位置に下げた頭の天辺に、ウマ娘たちの戸惑いの声が降り注いだ後で、スンと沈黙が降りる。

 僕がその姿勢で固まったままでいるのを見て、エトワールが猛烈にどもりながら問うてきた。

 

「ちょ……、お、小椋トレーナー、そそ、それマジの本気?」

「本気も大マジだよ。後生だから手伝ってくれ。あと二万弱あればどうにかなる!」

 

 僕が提示した金額を聞いて、ひゅっ、と息を呑む声が響く。

 

「にまっ……ざっけんな! 学生にせがむ額じゃないし! 大人しくATMにでも走りなさい。店員さん困ってるわよ!」

「アッハイ。面目次第もございません」

 

 そりゃそうである。

 ド正論で叩きかえされて、僕は最敬礼を向ける方角をぐるりと変えて、平身低頭レジの背後に居る販売員さんに向けて頭を下げた。

 その時――、

 

「ふふふっ、……あっはははははっ!」

 

 僕達のやり取りを聞いていたクレディが、声を上げて笑い出した。

 雰囲気に流されて押し出した失笑でもなく。

 何かを心の奥に押し留めるような愛想笑いでもなく。

 いつぞやの月夜に垣間見た、悲しみを裏返しにした冷笑なんかじゃ、当然あるはずもなく。

 

「こんなこともあろうかと――、はい」

 

 年相応の女の子らしい、花の蕾がほころぶような目一杯の笑顔を浮かべながら、彼女はショルダーバッグから茶封筒を抜き出した。

 掌の上に広げたその中身は、紙幣の束と端数の硬貨。

 紙幣のほうには不規則に走った折り目を後から伸ばしたらしい跡がある。

 金額にして、二万とウン千円ちょっと。

 なぜだか凄く見覚えのある不揃いな手持ちを、ついと僕のほうへと差し出して。

 

「ブラックリストに載っちゃいますから、気をつけてくださいね。――悪いトレーナーさん?」

 

 ほんの少しだけ得意げな顔をしながら、僕にひとつ貸し付けた。

 

 

 

 

 

 第1章 Do you give me Credit? ・終・

 

 

 






本話が第1章最終話となります。
ようやく正式契約を結んでここからやんけ! ってタイミングで誠に恐縮ですが、一旦の区切りとさせていただきました。

ここまでお読み頂いた読者諸兄に多大なる感謝を申し上げます。
誠にありがとうございました。

現在、続く第2章、3章のエピソードを遅筆ながら執筆中ですが、暫く本業のそうで試験勉強に専念せねばなりません。
本編の更新は10月頃までお待ち頂くことになりそうです。それまでは、不定期に単話完結の幕間のパートを細々とupしていこうかと考えております。

しばし低調な更新となりますが、二人のグッドエンディングを描き切れるよう励みますので、今後ともよろしくお願い致します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。